冬陽の寝床


 今年の四月、自分の住む町で小さな短歌の会を起こした。月一回、新作の短歌を持ちより語り合う。会員の年齢や環境は様々だが、それぞれの生活の中で生まれた言葉が短歌という器にやさしくそして濃密に盛りこまれる。短歌を初めて作ったという方から、短歌を知ると目に映る世界が全然違って見えます、という言葉と笑顔をいただき、短歌という形式をささやかながらも伝えることができてよかった、と思う。十二月の初めには、初めての吟行を楽しんだ。会場周辺の神社や公園をメモを片手にそぞろ歩きしただけなのであるが、あたたかな冬陽を浴びながら、樹々の美しさを眺め、池の水を見つめ、お天気がよくてよかった、風も穏やかでよかった、と、ときおり話しながら、なんともいえず穏やかな気持ちが満ちてきた。年齢を重ねるということのやさしさを肌で感じた時間でもあった。
 夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで  仙波龍英
 あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ  永井陽子
 背に草の切れはしをつけ日なたから帰ってくるわたしのイザナギ  北川草子
 三首とも一目見て好きになった私の愛唱歌である。悲しいことに、この三首の作者は、今年に入ってから次々にこの世を去ってしまわれた。仙波さんと永井さんは四十代、北川さんは三十歳になったばかりの若さだった。この美しい世界の新しい作品を、もう読むことはできない。本当に惜しい。残してくれた作品は、大切に後の世代へ伝えてゆきたい。
 誰も永遠の生を生きることはできない。十三年前にひとりの子をこの世に送りだした時、特に強く思った。ひとつの命を送りだすということは、ひとつの死を与えたということである。だから、だれもかれも、生きている時間を大切にしなくてはね、と、新世紀を前にあらためて思う。
 冬の陽の寝床のようなススキの穂 丘に無数の指がささやく  東 直子 

(初出:「信濃毎日新聞」2000年12月21日付朝刊)



illustration:kumiko kobayashi