風景の記憶


 先日、「サイダーハウス・ルール」という映画を観に行った。やさしい光の中で様々な人生が交錯する、清廉な映画だった。淡く雪の残る孤児院への道、たわわに実った林檎畑、雨の降りそうな海などの美しい風景が心に沁みて、涙が出そうになった。映画館を出ると、そこは下高井戸の商店街で、電気店の少しくたびれた幟、洋品店のマネキン、店先の果物などが目に入り、それが妙に輝かしい物に思えてしまった。映画を観たあとの、非現実と現実が体の中で溶け合う瞬間が好きだ。わたしたちは風景に生かされているのだと気づく。
 橋本多佳子の「乳母車夏の怒濤によこむきに」という俳句を読んで、その風景の持つ強さに胸を打たれて以来、俳句の毅然とした世界に憧れている。今年は魅力ある女性俳人の句集がいくつも出たことがとてもうれしい。
 仮の世を仮に出てゆく雨合羽 『ゆく船』 池田澄子
 忘年会ぽん酢はるけきところに在り 〃
 はづかしき骨を許してくれ朧 『蒙古斑』 櫂未知子
 ハイヒール呆然と提げ大干潟 〃
 父母ありて地に手花火の火をこぼす 『水の記憶』  高浦銘子
 こほりつつ溶けつつ春の水となり  〃
三人とも全く違う個性を展開していて興味深い。池田の句のユーモアでくるんだ人生の妙味は、噛みしめるうちに生きることの哀しみが滲み出てくる。櫂の句からは、はっと目が醒めるような強い言葉の奥に、女性としての深い孤独や痛みが感じられる。高浦の句は、ほの灯りのようなたおやかな世界の中に独特のあやうさを秘めていて、ぞくっとする。どの句からも、それぞれの人生の中で立ちあった情景がくっきりと見えてくる。
 映画の中の、少し愚かでとてつもなく優しい人々は、風景に静かな言葉を溶かしながら、孤児たちを育てていた。風景のために、一首。
 新しい家に林檎はうつくしく実っているわ額(ひたい)のように  東 直子

(初出:「信濃毎日新聞」2000年10月26日付朝刊)

illustration:kumiko kobayashi