夏至の宵の散歩
静かな雨が続いている。「梅雨らしい梅雨」という奇妙な慣用句がささやかれる日々に、紫陽花や薔薇など、季節の花が水滴をたたえて美しい。
夕方になり、五日ぶりに雨が止んだ。私は娘の習い事のお迎えをするために家を出た。小学生の娘はミュージカルを習っている。もう七時を回っているのに、外はほんのりと明るい。今日は夏至だったか。
ゆるやかなカーブのある坂道をサンダルで下りてゆく。降り続いた雨の気配に、空も光も湿っている。歩いているうちに、空が重くなってくる。身体の芯まで湿ってくるようだ。芯がふやけてくる。いけない、私はこれから子供を迎えに行かなくていけないのだ。子供は、なまいきで、へらず口で、とても、こころぼそい。だから迎えに行く。
レッスン場に着く頃には、陽はすっかり落ちた。かつて、なまいきでへらず口でとてもこころぼそい子供、だった私は、防音用の重い扉をゆっくりと押す。扉のむこうから、少女たちの華やかな声が聞こえてくる。
「母さん」と庭に呼ばれぬ青葉濃き頃はわたしも呼びたきものを 佐伯裕子
ふと、心にこの歌が浮かぶ。「青葉濃き頃」のこのせつじつさ。なんだ、みんな実はそうなんだ、と、甘えてはいけないと張りつめていた心をほぐしてくれた歌である。
教室の中では秋の公演に向けてみんなで踊りを合わせていた。娘は相変わらず人より少し遅れてステップを踏んでいる。踊っている少女たちにはそれぞれの鼓動がある。短歌という一行の詩の中にもそれぞれの鼓動があるような気がしてならない。
(初出:信濃毎日新聞2000年7月6日付朝刊)
illustration:kumiko kobayashi