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E-MAIL MAGAZINE, @LAETITIA<10>, 2001.6.4

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┃ 「@ラエティティア」第10号・目次
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┃ ●作品
┃   岡崎裕美子(歌人)    ◇「マッサージルームにて」
┃   小川優子(歌人)     ◇「艶舞」
┃   桝屋善成(歌人)     ◇「雄にしても、雌にしても」

┃ ●特集 藤原龍一郎著『短歌の引力』『東京式』を読む

┃   ◆『短歌の引力』(柊書房)
┃   大辻隆弘(歌人)     ◇書評「引力と斥力」
┃   中津昌子(歌人)     ◇短評「――痛ましきものの前に」

┃   ◆『東京式』(北冬舎)
┃   荻原裕幸(歌人)     ◇短評「ノイズ、あるいは陰画としての文体
┃                    藤原龍一郎『東京式』について」
┃   正岡豊(歌人、俳人)   ◇1首評
┃   足立尚計(歌人)     ◇1首評

┃ ●編集後記
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┌───────────────┐ 短歌5首
│ 岡崎裕美子(歌人)     ├──────────────────
└───────────────┘

   マッサージルームにて

 手品師のような眼鏡だ恐ろしきこの大男に身体を任す

 肝心な部分に決して触れぬようやわらかく揉む吾の太股を

 交わってないのに腋に手をやって痛いですか、大丈夫ですかと聞く

 いいなりになっている快感寸足らずのパジャマが恥ずかしくてうつむく

 わたくしの死は案外にこういった強い力で首を持たれて

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┌───────────────┐ 短歌5首
│ 小川優子(歌人)      ├──────────────────
└───────────────┘

   艶舞

 マニキュアを塗るなだなんて妻に言ふやうな台詞を言つちやつたわね

 夫でもないあなたに我のできること妻よりもずつと綺麗でゐること

 唇を5分捧げて抜け落ちた魂もみな呉れてやりました

 この女激しく恋愛中につき餌をしばらくお断りします

 向けらるる視線はきびし女ゆゑここ浴場も舞台にてあるか

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┌───────────────┐ 短歌5首
│ 桝屋善成(歌人)      ├──────────────────
└───────────────┘ http://www2.ocn.ne.jp/~meicho/index.htm

   雄にしても、雌にしても

 喉もとにこゑこごらせて啼く鳥に雄のさだめの羞しきあした

 あざらけくかがよふ一樹見るごとき雄のこころをもちて歩まん

 雄にしても、雌にしても人間は瀑布の生を生きねばならぬ

 神のゆびさきとおもへる昼の陽に撫でられしきみは造花をえらぶ

 一方的に雄は責められ分別のできぬ苛立ちの捨て方にまよふ

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特集 藤原龍一郎著『短歌の引力』『東京式』を読む

 光が強ければ強いほどその影に引きよせられてゆくように、短歌の力も強け
れば強いほどその時代を濃く引き寄せてくるものなのでしょうか。短歌の最前
線で常に刺激のアンテナを張る藤原龍一郎さんの短歌発言集『短歌の引力』と、
短歌と日録の組み合わせによる『東京式』について見てみます。

┌───────────────┐ 『短歌の引力』書評
│ 大辻隆弘(歌人)      ├──────────────────
└───────────────┘

   引力と斥力

 藤原龍一郎の短歌に対するスタンスは、一見、両義的に見える。一方に短歌
定型というものの魔に殉じようとする伝統主義者としての藤原がいる。その一
方で、偽悪的と思われるまで、短歌を時流の表現のなかに位置づけようとする
刹那主義者としての藤原がいる。求心的に短歌定型の本質を求めようとする引
力と、強引に他ジャンルに対して短歌を開こうとする斥力。その間で、常に藤
原は激しく動いているような気がするのだ。藤原の第一発言集『短歌の引力』
は、そのような藤原のスタンスがよく現れた論集である。
 この発言集のなかで、私がもっとも心惹かれたのは、大塚大、杉山隆、井上
正一、坂田博義ら、夭折した歌人たちの作品を丹念に読み上げた諸論だった。
特に書き下ろされた大塚大論「早すぎた退場」のなかの大塚作品に対する詳細
で鋭利な読みや、実生活と作品との間を丹念に読み取った井上正一論「生きの
びること」には、藤原の短歌に対する愛情が迸るようにあふれ出ている。

 なほ遠きところに電車とどろきて風あるごとし地下のホームは   大塚大

 幼子の手がのびてきてひとにぎりの塩つかみたりそこまでにせよ 井上正一

 時代の流れのなかで埋もれようとする、これら優れた短歌表現に出会えただ
けでも、この発言集を読んだ価値がある、と思える。「岸上大作は、自死とい
う切り札によって、時代の殉教者の称号を永遠に自分のものとした。(中略)
しかし、“生きのびること”を選んだ井上正一は、その後の現実生活の暗い深
い闇に沈みこみ、あまりにも簡単にその名を、その存在を、すぐれた作品を忘
れ去られてしまう」。このような言葉の背後には、ひとりの人間の生を背後か
ら支えている短歌定型に対する藤原の深い信頼と愛情が感じられる。
 定型に対する引力と斥力に引き裂かれそうになりながら、それでも藤原は短
歌という定型に執着して止まない。藤原のダイナミックな活動の原動力になっ
ている短歌への深い愛情をまざまざと感じさせる発言集である。

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┌───────────────┐ 『短歌の引力』短評
│ 中津昌子(歌人)      ├──────────────────
└───────────────┘

   ――痛ましきものの前に

 90年代に書かれた、10年分の文章が集められており、短歌発言集という
副題がつけられている。
 たとえば、「ペシミズムの夕映」と題された香川ヒサについての一文。藤原
は香川特有の文体の裏にひそむ「精神の暗部」に目を向ける。作品を覆うペシ
ミズムを感受し、それを支えているのは強烈な個の意識だとして、具体的に、
二人称代名詞がまったく出てこないことを指摘する。そしてその拒絶の精神か
ら藤原が引き出してくるのは、断念という一語だ。断念。鮮やかな言葉だが、
それは一線を引いてしまうことでしか折り合いのつけられない、じくじくとし
た痛みに他ならない。
 香川の歌に、まことに始末の悪い人間の「情」を読む藤原の感受の仕方にわ
たしは立ち止まる。痛ましいもの、そこを黙ってこの人は通りすぎることがで
きない。
 現代を生きて、歌を書く者たちへの限りない心寄せの一冊だと思う。

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┌───────────────┐ 『東京式』短評
│ 荻原裕幸(歌人)      ├──────────────────
└───────────────┘ http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/

   ノイズ、あるいは陰画としての文体  
   藤原龍一郎『東京式』について

 現代短歌の詞書は、連作・主題制作等、近代以降の試行が方法の一端として
生みだした側面と、古典以来の日録的時空の構成(自歌自註もこの範疇か)に
かかわる側面と、ゆるやかに分かれた二つの要素を抱えている。
 両面をきわめたという点で、岡井隆『人生の視える場所』(1982)は、
一つの頂点をなしている。ただ、小池光『日々の思い出』(1988)以降、
にわかに後者が偏重され、佐佐木幸綱『呑牛』(1998)では、年間365
日の日録および関連作品という徹底した試みもなされた。
 藤原龍一郎『東京式』も、1999年10月から翌年3月におよぶ日録と短
歌による構成で、あきらかに小池以後、佐佐木につらなるスタイルではあるが、
これまでの試みと違うのは、短歌と日録とにおのずと生じる主と従の関係を生
じさせない点、日録の焦点が短歌の焦点へと予定的には調和されない点にある
ようだ。短歌の配置一つをとってみても、日録の前・中・後と、ばらばらであ
り、この点はむしろ、岡井の試みた主題制作系のスタイルに似ている。短歌と
散文との垣根がとりはらわれてしまった感覚で、スリリングだ。
 付録の対談で、藤原自身は、日録の存在を「バック・グラウンド・ノイズ」
と呼んでいた。枡野浩一は、ノイズの二重構造を指摘していた。本物のノイズ
は『東京式』の外側にあるのだ。日録と短歌、二つのフィルターによって、東
京のノイズが透明感のある音楽へと濾過される。濾過の過程を見せたことで、
バック・グラウンドも、陰画として短歌の文体を構成している、と言えようか。
 充分に吟味された日録の構成は、短歌の力を惜しみなくひきだしてくれる。
日録として読みとおす面白さが決して短歌によって阻害されない。こうした、
詞書の二つの側面を洗練させた魅力は、詞書におけるポスト岡井隆の萌芽とも
呼べる、不思議な時空の感触を生みだしているのではないだろうか。

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┌───────────────┐ 『東京式』1首評
│ 正岡豊(歌人、俳人)    ├──────────────────
└───────────────┘ http://www3.justnet.ne.jp/~masa-0606/

 暗黒と思えばすぐに暗黒が虚無と思えば虚無がひろがる

 結局記憶出来る歌がいい歌ではないかと考え、雑誌掲載時に記憶したこの歌
を抜いた。本として読むと、『東京式』は充分面白いのだが、歌集として読む
と不満は残る。最も不満など高野公彦をはじめたいていの歌人の歌集には残る
から、けちをつける事にはなるまいが、それでも歌としての「ハイパーイリュ
ージョン」にかける歌が多い。どこからどこまでがないものねだりか。引用歌
は虚子や爽波の俳句マジックを思わせる、秀歌だと思う。

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┌───────────────┐ 『東京式』1首評
│ 足立尚計(歌人)      ├──────────────────
└───────────────┘

 早すぎる登場なれば退場もまた早すぎるあわれウタビト

 早熟早世の女流歌人、永井陽子を詠んでいる。19歳で角川短歌賞の候補と
なった事実を「早すぎる登場」というのだろう。しかし、歌壇に登場をせぬま
ま生涯をおくる歌人のほうが圧倒的に多いのだし、歌壇の存在を知らなかった
り、関心をもたないまま逝ったウタビトもいるのだから、「退場」とか「あわ
れ」というのも、歌壇である程度の存在感がある歌人にしか、共感できないと
思う。作者が自己を投影していて、感傷に浸ってもいる。

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│ メールマガジン「@ラエティティア」第10号
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│   編集後記

│▽例年より雨の量が少ない春が過ぎ、しずかに夏に入ったような気がしてい
│ます。いつもと違う、あるかすかな違和感に気づくとき、そしてそれが過ぎ
│去ってゆくとき、読みたくなる歌集があります。うっかり見過ごしてしまっ
│たことを、「だめだよ」といってもう一度見せなおしてくれるような本があ
│ります。(久)
│▽先日築地ブディストホールで行われたマラソン・リーディングで藤原龍一
│郎さんの、録音された声とのコラボレーションによる朗読を聴きました。過
│去の声と生の声が編む世界に浸りながら、今生きている空間というのは常に
│過去と未来を少しずつ巻き込みながら存在しているのだと、今回の本のこと
│も含めて気づかされたような気がします。(直)
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│ 発行人  荻原裕幸 加藤治郎 穂村弘
|      (SS-PROJECT http://www.imagenet.co.jp/~ss/ss.html )
│ 編集人  小林久美子 東直子 
|      (直久 http://www.ne.jp/asahi/tanka/naoq/ )
│ 発行所  ss@imagenet.co.jp
│ 配信所  laetitia@ml.asahi-net.or.jp
│ 発行日  2001年6月4日
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