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E-MAIL MAGAZINE, @LAETITIA<8>, 2001.3.28

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┃ 「@ラエティティア」第8号・目次
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┃ ●作品
┃   荻原裕幸(歌人)     ◇エッセー「水とアンドロイド」+1首
┃   加藤治郎(歌人)     ◇エッセー「始まっている」+1首
┃   穂村 弘(歌人)     ◇エッセー「なかった」+1首
┃   
┃ ●特集1 大松達知第一歌集『フリカティブ』を読む
┃   大松達知(歌人)     ◇自選15首
┃   藤原龍一郎(歌人)    ◇短評「旅行詠の個性」
┃   大井 学(歌人)     ◇1首評
┃   大塚奈緒美(歌人)    ◇1首評
┃   ゆきあやね(歌人)    ◇1首評
┃   横山未来子(歌人)    ◇1首評
┃   
┃ ●特集2 植松大雄第一歌集『鳥のない鳥籠』を読む
┃   植松大雄(歌人)     ◇自選15首
┃   川野里子(歌人)     ◇短評「鳥籠に棲んでいるもの」
┃   荒井直子(歌人)     ◇1首評
┃   石部 明(川柳作家)   ◇1首評
┃   佐藤りえ(歌人)     ◇1首評   
┃   棚木恒寿(歌人)     ◇1首評
┃   
┃ ●編集後記
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┌───────────────┐ エッセー+1首
│ 荻原裕幸(歌人)      ├──────────────────
└───────────────┘
                http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/

   水とアンドロイド

 先頃、テレビ番組の取材をうけたとき、あわせて水を飲むシーンを撮影した。
番組では、短歌を書き、電脳の世界にひたる30代の男の、あまり日常臭くな
い日常の1シーンとしてオンエアされる予定だったが、テレビカメラを向けら
れて、動きがぎくしゃくしていたせいか、そこには、まるで生きていることを
一生懸命演じているような自分の姿があった。奇妙な印象だった。仲間からは、
アンドロイドだってことがばれないように演出したんじゃないのかという冗談
もとびだした。テレビカメラは、文芸で言えば、読者の視線ということになる
だろう。そのときぼくのことばは、やはりアンドロイドのようにぎくしゃくと
して奇妙な姿をさらしているのだろうか。

 生きてるの生きるまねごとしてゐるのからだに水を満たす渇かす

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┌───────────────┐ エッセー+1首
│ 加藤治郎(歌人)      ├──────────────────
└───────────────┘ http://www.people.or.jp/~jiro/

   始まっている

 1月に【歌葉】がオープン。この1ヶ月いろいろな人に会って、直に意見や
感想を聞いてみた。

http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/

 歌人にとって<歌集の改革>というのは、盲点というか半ばあきらめていた
ことだったのかもしれない。予想以上に幅広い世代から反響を得て、嬉しく思
っている。
 【歌葉】と同時にスタートした「鳴尾日記」は、このエキサイティングな1
ヶ月のドキュメントである。

http://www.imagenet.co.jp/~ss/com/jiro/

   双子の姉妹

 手を繋ぎ春の草はら駆けてゆくわが幻の歌葉と詩織

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┌───────────────┐ エッセー+1首
│ 穂村弘(歌人)       ├──────────────────
└───────────────┘
          http://www.imagenet.co.jp/~ss/com/0521/syndicate.cgi

   なかった

 スパゲティはあったけどパスタはなかった。ミートソースとナポリタンはあ
ったけどカルボナーラとボンゴレはなかった。体脂肪計はなかった。体脂肪率
っていう概念自体がなかったから。体重計はあったけど自分の家にはなかった。
デパートの屋上にあがる階段の踊り場に、百円入れて計るのが置いてあった。
それに乗ってみるのがアベック(カップルっていう言葉はなかった)の楽しみ
だった。その横にはガムの自動販売機があった。キシリトールはなかった。八
頭身っていう言葉はあったけど顔が大きいとか小さいっていう概念はなかった。
イオカードはなかった。自動改札はなかった。駅員さんがぱちんぱちんぱちん
ぱちんと切符を切っていた。切符は硬かった。

 くぐり抜ける速さでのびるジャングルジム、白、青、白、青、ごくまれに赤


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 ∬特 集∬

 注目の青年歌人として活躍中の大松達知さん、植松大雄さんが昨年の秋、相
次いで歌集を出版されました。それぞれの新しい時代の空気を感じさせてくれ
る、対照的なこの2冊を21世紀最初の特集としてご紹介いたします。

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◇特集1◆ 大松達知第一歌集 『フィリカティブ』 ◆◇

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┌───────────────┐ 『フリカティブ』自選15首
│ 大松達知(歌人)      |⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒
└───────────────┘

 少年の乗る一輪車たまゆらを止まりて風がその輪とほれり

 飛ぶかたちして泳ぎゐるさなかにてこの世のことを想ふはさびし

 死を浄めるごとしふたたび殺すごとし口開いたままのシシャモ焼きをり

 妻の傘にわが傘ふれて干されゐる春の夜をひとりひとりのねむり

 友人ごとアドレス帳を区分けして〈その他〉に入れる妻のアドレス

 収入のため異国語の摩擦音(フリカティブ)ひびかせてゐるわれのくちびる

 〈中学で習ふ単語〉に医者(ドクター)あり電車運転手(モーターマン)な
 し塵埃収集人(ガベッジマン)なし

 「aloneはさびしきことを含意せず」わからねば臍(ほぞ)のごとく眠
 れよ

 〈いい山田〉〈わるい山田〉と呼びわける二組・五組のふたりの山田

 美術室の濃闇は霧の匂ひして乾きゆく千枚の自画像

 早朝(パギパギ)に散歩(ジヤランジヤラン)す南海の楽園といふ喩にだま
 されて

 ヒヤシンス春のぬくとき部屋にゐてくるしむごとく速育(はやそだ)ちせり

 納豆を食べた器を洗ふとき洗剤の白き泡も糸をひく

 通夜にゐるわがポケットに前回の通夜のメモあり死者の名があり

 シロフォンのとほく鳴りゐるうたたねの夢のかたへに木蓮咲けり

  ※( )内はルビ

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┌───────────────┐ 『フリカティブ』短評
│ 藤原龍一郎(歌人)     ├──────────────────
└───────────────┘
          http://www.imagenet.co.jp/~ss/com/ryufuji/tanka.cgi


   旅行詠の個性

 栞に高野公彦氏が「大松達知の海外旅行好き」について書いている。そして
『フリカティブ』には海外旅行の作品が多い。
 たとえば「ひまはり」という一連がある。この一連は「一九九五年八月 第
五回柊二の旅に参加。中国・山西省などをまはる」との詞書が付されているよ
うに、「コスモス」の仲間たちと、宮柊二の所縁の地を訪れた時の旅行詠だと
いうことがわかる。

・ 音(おん)たかくくぐもりふかき言葉らのすべて漢字になること不思議
・ 日本軍を語る老人ふりあげてふりおろす手の鈍(どん)たれど速し
・ 写さんとすれば隠るる女ありかく犯せしかあのときの兵ら
・ 三万人の松田聖子がほほゑめるごとおぞましきひまはりの群れ
・ 耳掻きを探してカバンかきまはす旅行五日目くらゐにいつも

 大松達知という個性がかなりくっきりと顕われている作品ではないか。
 一首目は中国語の発音を漢字として認識している。私自身も中国の桂林など
に一度、旅行をしたことがあるが、中国語の発音と漢字表記の落差には違和感
をおぼえた。しかし、大松のように短歌に詠むことはできなかった。こういう
率直な感性の発露は貴重に思う。二首目、三首目は「戦争」を底流させた作。
ここにはもちろん、かつての戦争中の残虐な軍の行為が想起されているのだが、
表現において、偽善的な知的処理はない。あくまで、自分の感覚をとおしての
表現になっている。
 面白いと思ったのは四首目のひまわりの歌。中国の広大な向日葵畑を眼前に
して「三万人の松田聖子のほほゑみ」は普通は連想しない。「過剰なもののお
ぞましさ」の比喩なのだろうが、読者に対して説得力をもっている。最後の耳
掻きの歌も大松達知というキャラクターをイヤミなく伝えてくれている。
 旅行詠に顕われる個性は本物だろう。

  ※引用歌の( )内はルビ

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┌───────────────┐ 『フリカティブ』1首評
│ 大井学(歌人)       ├──────────────────
└───────────────┘

 美術室の濃闇は霧の匂ひして乾きゆく千枚の自画像

 「意識はreflexioの能力である」とは古典的な定義だが、あらためてそれを
思い出す。この定義に従えば、自己意識は自己への反射であり、従って自己は
自己を無限に反射する。「千枚」という言葉には、その自我の無限反射の契機
が包含されているように思われる。一にして無限、無限にして一の、拡散と収
斂を繰り返す「自画像」。
 美術室は絵具や粘土の埃っぽい匂いがする。それは作品が完成するための、
或は使われなかった絵具が乾涸びる匂いであり、固化のプロセスの匂いだ。暗
い美術室にたちこめる、その霧の匂いに気が付いた時、「わたし」は何を考え
たか。闇に翳った自画像達の千の視線の中で、みずからの存在もまた乾きつつ
ある自画像であることを了解したのではなかったか。共振してゆく「わたし」
の心は、少し優しく乾いているようだ。

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┌───────────────┐ 『フリカティブ』1首評
│ 大塚奈緒美(歌人)     ├──────────────────
└───────────────┘

 塩ふりて火に並べたるニジマスのそれぞれの死に時差ありしこと

 人は生まれてくるときも死に行くときも、ひとりである。それは人に限った
ことではなく、命あるもの全てにおいて言える事である。氏はにじますに命を
見ている。おなじように塩をふり、おなじように並べて火にかけても、にじま
すの命は火加減だけでは決まらない。「命の強さ」が「時差」を生む。どうし
ようもない、どうすることもできない、あがきのような命を賭けた「時差」で
ある。
 氏の作品には、自らの生活を客観的に捕らえ、そこで見聞きし学びえたこと
を素朴に詠む、内証で、フラット感の強い歌が多い。そのストレートさがとき
として、このような、ニヒルさとシュールさを併せた、氏の資質を浮かび上が
らせる一首を生み出すのであろう。

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┌───────────────┐ 『フリカティブ』1首評
│ ゆきあやね(歌人)     ├──────────────────
└───────────────┘ http://www.airins.net/

 マイクにてもの言ふときのわが無智は増幅されてとりかへせない

 ある役割を与えられ、それに意識的でありながら、本意でも不本意でもなく
自史観に組みこんでいく。その歴史は、決してみずからだけで成立しているの
ではなく、他者をかすめて自返するごとく形成されていくようだ。掲出歌「増
幅されてとりかへせない」のように、内省的で、ともすれば自虐に終わりそう
な言い捨てを巧みに取り入れ、大松氏は、その「とりかへせな」さを読者であ
る私たちにある責任をもって投げかける。むしろ、それをふたたび共感や理解、
あるいは反感として、みずからへ戻すよう要求しているかのごとく、その「と
りかへせな」さを呈示し続ける、と言ったほうがいいかもしれない。それを受
け、読者であるわたしたちは、何らかの形でつい反応してしまう。わたしたち
が読者として経験したそのやり取りを通して、作者と読者の素直な関係を追認
するという不思議な体験もする。掲出歌は特に共有可能で作者の反省の態度を
感じさせる歌である。

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┌───────────────┐ 『フリカティブ』1首評
│ 横山未来子(歌人)     ├──────────────────
└───────────────┘
            http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/9828/

 a pen が the pen になる瞬間に愛が生まれる さういふことさ

 英和辞典で「the」を引くと、〈前述・既知・または前後の関係でさすものが
定まっている場合〉に用いる、とある。この一首にあてはまるのは〈既知〉。
だが、〈既知〉という言葉だけでは物足りない微妙なニュアンスを含んでいる。
ただのありふれた「pen」が「the pen」になる瞬間。大勢の中の一人でしかなか
った存在が、自分にとっての特別なひとりになる瞬間…。「pen」というさり気
ない単語によって普遍的な愛の始まりを表現したこの一首は、ほのぼのとした共
感を呼び起こしてくれる。ぶっきらぼうに放り出したような結句には、愛につい
て語った後のはにかみが、自ずとにじんでいるようである。


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◇特集2◆ 植松大雄第一歌集『鳥のない鳥籠』 ◆◇ 

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┌───────────────┐ 『鳥のない鳥籠』自選15首
│ 植松大雄(歌人)      |⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒
└───────────────┘

 朱夏という遠い記憶がすれちがう雨降る午後の通勤快速

 黄昏に目覚めてみれば広報車「今日でこの世は終わりになります。」

 十五年ぶりに開けば『坊っちゃん』は無鉄砲のまま一つ歳下

 翼もつ生き物でさえ死ぬという他愛ないこと気づいた五月

 積乱雲山分けすれば頭からずぶぬれになる不運な八月

 高架線風に鳴る空見上げれば雲の引き方忘れた飛行機

 出てるなら鯨も歌うさあの月へ嫁いだ海の女神によせて

 サイゴンの虹はきれいな十二色 トム・ソーヤーは義足はずして

 ホールデン・コールフィールドまたいつか 郵便ポストに誓って捨てる

 鳥のない鳥籠となり永遠を日ごと夜ごとに味わうがいい

 このうだる暑さも明日の結末もみんな銀河の微熱のせいさ

 僕たちの前世は鳥でよく海を渡ってはぐれてばかりいたっけ

 ピーナツとカシューナッツがぶつかればどっちが負けるかわかっているだろ

 魂を容れておくにはちょうどいい 祖母の形見の胡弓奏でる

 システィーナ礼拝堂座を星という星もて描く少年と犬

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┌───────────────┐ 『鳥のない鳥籠』短評
│ 川野里子(歌人)      ├──────────────────
└───────────────┘

   鳥籠に棲んでいるもの

 今日株価が1250円を割って最低価格を更新した。このところ新聞が届く
と株価と為替市場の数字をまず見る。私は株も為替もほとんど知らない。もち
ろんそんなものは手にしたことがないし、これからも縁がないだろう。しかし
どうしても目が行ってしまうのはそうした数字が魅力的だからだ。
 言葉が信じられなくなってしまい、数字の方が表現力豊かで正直だとしばし
ば思える。だからこういう情報も文学的に解釈して満足する。ああ、希望が見
つからないんだな、と。じゃあ何で短歌なんか続けているのだ、と聞かれると、
たぶん誰もがそれに答えるためにいますごく頑張ってるからだと答えることに
している。
 植松大雄もその一人だろう。言葉に重力や意味や思想を求めようとしなくな
ったとき、短歌のような様式はどこで持ちこたえるのか? 植松は「鳥のいな
い鳥籠」なんだと言っている。それは無意味じゃないか、と言うのはおかしい。
鳥のいない鳥籠は、ただの鳥籠ではなく、鳥が去ったあとの空虚と気配に満た
され、まだかすかに揺れている鳥籠だからだ。この歌集のどの歌もそんな余韻
と気配を漂わせ、ありありと空虚を訴えている。

・鳥のない鳥籠となり永遠を日ごと夜ごとに味わうがいい

 この歌の命はたぶん結句の命令形にある。短歌という形式への、言葉への呪
詛、そしてそれに自分が同化する切なさ。そんなものを感じて背筋がじんとす
る。この歌集に器用さだけを見てしまってはいけないと思う。言葉は空虚だ。
それが前提となった時代を生きてしまった者がぎりぎりのところで空っぽを指
さしている、その思いがけなく熱っぽい指にまずは止まってみたいと思う。ち
ょっと泣けてくるよね。

・愛なんかいらない!なくてかまわない!日本人は形からだ!

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┌───────────────┐ 『鳥のない鳥籠』1首評
│ 荒井直子(歌人)      ├──────────────────
└───────────────┘

 冬の雨真夏の嵐 戦争はどれにも似てないなかまはずれ

 「月ロケット」の中の一首。ポップな口語の歌が並ぶ一連の中で、とりわけ
この歌は「どれにも似てない」という言葉遣いや結句の字足らず、ひらがな書
きが一見舌足らずな印象を与えるが、これはおそらく周到に計算された技巧的
な表現なのである。小さな子どものふとしたつぶやきにキラリと真実が光るよ
うに、この一首は「戦争」という、とかく画一的なとらえ方をされがちな得体
の知れない大きなテーマを、思いもつかない角度から鋭く切り取って歌うこと
で、安易な戦争批判の歌がもちえなかった力強さと美しさを獲得している。技
巧を凝らしていながら自然に口をついて出た言葉のように見せる力量が素晴ら
しい。

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┌───────────────┐ 『鳥のない鳥籠』1首評
│ 石部明(川柳作家)     ├──────────────────
└───────────────┘ http://ww3.tiki.ne.jp/~akuru/

 爆弾は神の手こぼれる砂のよう 輝きながら瞬きなから 

 無機質なゲームのように映像化された、あの湾岸戦争の様子をほぼリアルタ
イムで目の当たりにしたのはそう古いことではない。惰性の象徴のようなテレ
ビが放映する、あの「輝きながら瞬きながら」標的に向かい、炸裂する爆弾の
美しさは、死者の叫びとか、肉片となってふっ飛ばされる家族の焦げ臭い匂い
とか、映像には表れない戦慄が暗示されることによって、さらに魔的な美しさ
をかさねていくことになった。私たちはそれをパジャマ姿でビールを飲みなが
ら見ていたのである。
 あの映像とかさなってこの一首は、私には退廃する未来への予言であり、未
来から逆照射される現実の、途方もなく明るく甘美な喪失感であり、漂いつつ
消える世界への暗示でもある。

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┌───────────────┐ 『鳥のない鳥籠』1首評
│ 佐藤りえ(歌人)      ├──────────────────
└───────────────┘ http://www.fsinet.or.jp/~la-vita/

 鳥のない鳥籠となり永遠を日ごと夜ごとに味わうがいい

 不在感よりももっと強い喪失感、欠落をつきつける「鳥のない鳥籠」という
アイテム。そうやって苦しんだらいいんだという、ともすれば呪詛にもなりか
ねない下句を支えている、不器用な愛情。一見残酷に言い放っておきながら、
次の瞬間、唇は痛々しくつぐまれてしまうに違いない。憎みきれない、愛しき
れない、今わたしたちが感じている実にリアルな「かなしいやさしさ」が、こ
の一冊の中にたくさん隠されている。

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┌───────────────┐ 『鳥のない鳥籠』1首評
│ 棚木恒寿(歌人)      ├──────────────────
└───────────────┘

 つかのまの確信去って晴れ渡る秋空遥か精霊蜻蛉

 一時は確信した君との恋。しかしその関係性は常に不安定で、次の瞬間君は
私から遠く離れてゆくようでもある。「確信」は紛れもなく自分のものである
はずなのに、それを突き放したように「去る」と表現する作者。自分の恋をも
う一人の自分が眺めているような、どこか内省的な恋の歌だ。「晴れ渡る秋空
遥か精霊蜻蛉」は景の描写と言うよりも、内省的に自らの恋を見つめてしまう
作者の心理状態の投影とでも言うべき表現か。淡い、しかし想いの強い恋愛の
一場面を細かい神経で掬い取った歌である。実験的な表現も多い歌集の中では
地味な一首と思うが、定型を言葉のエネルギーが抜けてゆくときの快感を十分
に与えてくれるこんな歌もいい。


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│ メールマガジン「@ラエティティア」第8号
├──────────────────────────────────
│   編集後記 

│▽3月に入って、ぼたん雪が降って、屋根や樹木にうっすらと積もりました。
│椰子の葉に雪が積もっているのを見るととなんだか痛々しい感じがします。
│3月に入って、今年の本誌が活動を始めました。ゆっくりペースですが、新
│鮮な歌集特集で気分も引き締まってきました。(久)

│▽今年の冬は雪がよく降って、いつもより寒い日が多かったようですが、よ
│うやく春らしい光と匂いがしてきました。今回はメンバーの最新歌集を特集
│しました。「苦み」を感じさせる『フリカティブ』、「痛み」を感じさせる
│『鳥のない鳥籠』。楽しんでいただければ幸いです。(直)
├──────────────────────────────────
│▼感想募集!
│面白かった作品、ご意見、ご希望、その他、「@ラエティティア」について、
│あなたの声をお聞かせください。今後の誌面づくりに活かしたいと思います。

│▼読者をご紹介下さい!
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│のち、配信リストに追加させていただきます。

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│ 発行人  荻原裕幸 加藤治郎 穂村弘
|      (SS-PROJECT http://www.imagenet.co.jp/~ss/ss.html )
│ 編集人  小林久美子 東直子 
|      (直久 http://www.ne.jp/asahi/tanka/naoq/ )
│ 発行所  ss@imagenet.co.jp
│ 配信所  laetitia@ml.asahi-net.or.jp
│ 発行日  2001年3月28日
├──────────────────────────────────
│(C)2001 LAETITIA & SS-PROJECT
│※著作権については一般の印刷物と同様の扱いにてお願いします。
│※転送は自由にどうぞ。ただし編集および改竄は一切ご遠慮ください。
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|※掲載したURLは2001年3月28日現在のものです。
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