草かんむりの訪問者

東直子


助手席にやさしい隣り人をのせ胸にしずかにうき上がる汗

てのひらにてのひらをおくほつほつと小さなほのおともれば眠る

ははそはの母の話にまじる蝉 帽子のゴムをかむのはおよし

ひまわりの種を数えきれなくて資料室には子供が九人

つま先で通る廊下のしずけさよ裁判官の荘厳な昼寝

真夜中をものともしない鉄棒にうぶ毛だらけの女の子たち

思い出を汚してもいい きつくきつく編んだみつあみゆうやけのドア

火を消しておしまいにする夜祭りの闇に立ち続けている姉さん

ライオンの塑像によりそい眠るときわたしはほんの夏草になる

かの家の玄関先をはいている少女でいられるときの短さ

桃味のグミキャンディーをつぶしつつ一年ぶりの大阪に入る

会うごとにしみのふえてゆく母の手の甲みつめているニュートラム

サンダルのかかとの角度ゆるやかな夢にとけこむ「終点」の声

丸めがねちょっとずらしてへっ、と言い革の鞄を軽そうに持つ

「恋人のいない夏です」モノクロの海と女のカードの裏に

おいやんの魚の化石のホルダーに世界をつなぐ金属がある

おばやんの笑った顔に光る銀 闘鶏神社に熊蝉が鳴く

空を飛ぶ魚を焼いている人の背中に汗の模様がうかぶ

菊の花のひとひらふいに殺しつつなたね油はゆうぐれである

毒舌のおとろえ知らぬ妹のすっとんきょうな寝姿よ 楡

駅長の頬そめたあと遠ざかるハロゲン・ランプは海を知らない

切れかけの螢光灯のまばたきの蕎麦屋しんかん真夏真夜中

台風が近づいている ささくれの指をガラスにおしあててみる

いいよ、ってこぼれたことば走り出すこどもに何をゆるしたのだろ

菊枕抱えた男訪ね来て冷や汗だらけのこころを告げる

「そら豆って」いいかけたままそのまんまさよならしたの さよならしたの

初秋の文鳥こくっと首を折る 棺に入れる眼鏡をみがく

今日中に出したい手紙があるようなそぞろごころの一三回忌

シナモンの香りの古い本ひらく草かんむりの訪問者たち

仕立屋の朝の音楽もれてくる北窓におく白いハブラシ


(歌集『春原さんのリコーダー』より)


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