第4日目 12月10日(月) ハワイ(オアフ島):晴れ

◆再びレンタカー

マラソン後の翌朝、7時過ぎに起床した。今日も再びレンタカーである。朝ごはんはホテルの下に入っているスタバにする。宿泊客の特典なのか、6時〜12時の間はコーヒー一杯とマフィンかスコーンのどちらかが無料でもらえるのだ。並んで待っていると、わたしの後ろにはフィニッシャーズTシャツを着た外人のおじさんが並んだ。違う旅行客に話しかけられたらしく、自分のタイムを言っていた。5時間20分。5時間台が本当に羨ましい。今日の新聞の一面にもホノルルマラソンの記事が大きく取り上げられていた。部屋で朝食を摂り、8時40分ころには出発した。もう一度スタバに寄り、コーヒーをもらっていく。
バジェットレンタカーのあるハイアット・リージェンシーまではおとといは歩いていったのだが、今日はそこまでもちょっと歩けないので、DFSからトロリーに乗る。途中で新聞が売っていたので、記念に購入する。(50セント=約64円)バジェットレンタカーは混んでいて、けっこう待たされた。
おとといのようにクルマのあるところまではクルマに乗って連れていかれる。今日はFORDの車種は忘れてしまったが、モスグリーンのクルマだ。上品でかっちょいい。10時頃今日もわたしの運転で出発した。


◆パールハーバー

H1へのハイウェイまではスムーズに行け、パールハーバーへとクルマを走らせた。目的地までも今日は何事もなく無事到着。駐車場にクルマを入れ、アリゾナ記念館へと行く。ここで荷物チェックをさせられる。どうやら手荷物を持ちこんではいけないらしいのだ。仕方がないのでわたしだけが先に入ろうとするが、妙に混んでいて一端二人とも荷物をクルマに置いてから一緒に入ったほうが賢いと思い、クルマに荷物を置き再び入場した。
ここは太平洋戦争の契機となった日本軍の真珠湾攻撃で戦死した2,341人のアメリカ兵の英霊を弔うために建てられた記念館だ。入場は無料で、入るとチケットをもらう。最初はよく判らなかったが、チケットごとに時間が決まっており時間がきたら案内をしれもらえることになっていた。
わたし達は11時前に入って12時からの回だ。1時間も待ち時間があるが、今日は時間に追われる格別な用事はないので待つことにした。待っている間、ブックマークとポストカードを買ったり、展示物を見たり、洋上の記念館をバックに写真を撮ったりして時間を潰した。入場料は無料だし、せっかくだからと日本語案内ガイドを3ドル(=約384円)で借りた。
わたし達の回になり、まずは真珠湾攻撃のドキュメンタリー映画の上映を見た。不勉強にも今まで知らなかった歴史がたくさん学べた。複雑な気持ちになり、考えさせられた。続いて、洋上に浮かぶアリゾナ記念館/U.S.S.Arizona Memorialへランチボートに乗って向かった。アリゾナ記念館の下には潜水艦“アリゾナ”が沈んでいてそこには今も1,177名の乗組員が眠っているのだ。記念館は中央部が低くなっており両端が力強く頑丈なイメージになっており、これは最初の敗北と最終勝利を表現していると言っていた。前の回のヒトたちがわたし達が乗ってきたボートで帰っていくという仕組みであった。次のボートが来るまで20分くらい待たされた。その間にちょっとだけ、人々の話し声でうるさくなった。すかさず、係りのヒトがきて、この下には安らかに眠っているヒトがいる本当に神聖な場所だからどうか静かにしてくださいということをとくとくと語っていた。ボートに乗って戻ると13時をまわっていた。

◆ダウンタウン・チャイナタウン方面

そのまま駐車場に戻り、今度はダウンタウン方面にクルマを走らせた。ダウンタウンでは、会社の部署のヒトに勧められたシーフォーチュンというお店で中華を食べるつもりだった。ダウンタウンまでは順調に着いたが、そこから駐車場に入れるまでが大変だった。路上パーキングがどこも空いてなかったため、ビルのパブリックパーキングにクルマを入れた。パブリックのくせに、どこも24時間Reservedになっていて、かなり上の方まで行かされた。やっとの思いで駐車して、下に降りるとシーフォーチュンが載っている正確な地図を忘れたことに気がついた。
だいたい部署のヒトに聞いていた勘をたよりに捜したが、なかなか見つからない。目印となるリバティーさえ見つからなかった。何人かに訊いたら、リバティーはメイシーズに変わったのだと言われた。さっきからずっとここら辺をウロウロしていたことになる。リバティー(メイシーズ)からはすぐ判ると言われたのにやはり判らない。軽く1時間くらいさ迷って、いいかげんお互い不機嫌になったので観念して諦めることにした。
行きたいと思った目的地に行けなかったのは初めてではないかと思った。さ迷っていた途中で、他のトモダチに勧められていたバレというベトナムサンドウィッチ(バイン・ミー)が売っているお店を発見していたので、そこでサンドウィッチを買って食べることにした。(3.5ドル=約448円)ベトナムに行った時に買ったバイン・ミーは40円だったことを思い出した。あの国は狂ったように安かった。この国はなんだか妙に物価が高くてイラッとくる。でも、バイン・ミーはおいしかった。
クルマに戻ってからも、しかしたどり着けなかったのはおかしいと何度も言い合い、クルマで少し廻ってみることにした。何周目かクルマで廻ってここが怪しいという店に二人で行ってみると、なんとシーフォーチュンは潰れていた。For Rentの看板が店名の脇に掲げられていた。うー悔しい!!でも、店の場所がやっと判ってホッとした。
すっかり15時半をまわっていたので、アラモアナビーチに行くことにして姉の運転でクルマを走らせた。
アラモアナパークのトイレで水着に着替え、ABCストアで買ったゴザを敷いて横になる。たまにサーッと雨が降ってくる。今日も虹がキレイに見える。残りのバイン・ミーを頬張り、本を読んだりして横になった。
姉は泳いでいた。わたしも続いて海に入ったが、冷たくて冷たくてとてもじゃないけど我慢できずあがってしまった。17時くらいまでうだうだとしていたが、肌寒くなってきたので引き上げることにした。

◆コリアンレストランで夕食

お昼の時間と量がいまいちだったので、早めに夕飯にしてしまおうと、アラモアナショッピングセンターからそんなに離れていないところにある、ユーチャン・コリアン・レストランに行った。ここはくず根麺で有名らしい。会社の先輩に場所を教わっておいた。店には二組の日本人グループがいた。わたし達は冷麺とプルコギのセットを1つ注文する。セットだと単品注文よりはるかに安い。気づいて良かった。ここのレストランを利用したので、駐車場代もタダだった。
冷麺は冷え冷えだったけど、とてもおいしかった。プルコギもごはんが進んでかなりいけた。18時前にはお店を出て、きのうガソリンを入れたカパフル通りに向かった。通り沿いにあるレナーズのマラサダのドーナツを買おうと、途中でクルマを止めて店に寄った。どれがマラサダドーナツが判らないという失態だったが、おいしそうなのを買おうと言って2つだけ買った。(1.78ドル=約227円)
クルマに乗りおとといのガススタに寄る。今回はあっという間に給油を完了。マッハのスピードだった!1.689GAL/4.21ドル(=約538円)
19時にはクルマを返却。今日も無事故で本当に良かった。ホテルに戻る前にABCストアで自分用のかわいい柄のタオルを買ってから帰った。

◆完走証明書!!

荷物を置いたら、ソッコーでDFSに行く。今日の12時〜20時の間に完走証をもらいに行かなければならなかったのだ。完走証をもらって初めて自分の正式タイム、順位等を知ることができた。またまた嬉しさが込み上げてきた。5ドル(=約640円)でラミネートもしてもらった。ホノルルマラソン新聞も買おうとしたが、既に売りきれていた。残念である。見本だけ見ることにする。谷川真理が02:44:39のタイムで5位に、浅井えり子が02:55:15のタイムで8位、長谷川理恵が03:26:36のタイムで55位だということが判明した。3人とも一面に名前が載っていて羨ましかった。わたしは真ん中より後ろの方に載っていた。ラストのヒトのタイムも見ると12:19くらいだった。いろいろなコスチュームの写真が載っていて、わたしが見かけたヒトたちも何人か載っていた。残念ながら、“有頂天”はいなかった。
そのままDFSで買い物をする。初日に選べなかった口紅というかグロスをORIGINSで2本購入。チークもstillaで購入。何か自分のご褒美になるようなものはないかと捜していたら、時計売り場にめちゃくちゃかわいい、LEGOの時計が売っていたので買ってしまった。LEGOはわたしが今一番大好きなキャラクターだ。ホントものすごいかわいかった!あとは、足りないお土産を買い足したりして21時くらいにはホテルに戻った。姉は明日帰国ということもあり、最後のワイキキの夜の街へ出かけていった。わたしは、疲れたのでシャワーを浴び23時半ころ寝た。


第5日目 12月11日(火) ハワイ(カウアイ島):晴れ

◆カウアイ島ツアー

姉の荷物はホテルのヒトが3時に部屋まで取りにくることになっていた。そのおかげで起きてしまって以後眠れなくなった。姉は4時に部屋を出て行った。ちょっと寂しかったけど、一人になれて嬉しかった。
これから二度寝して寝過ごすのも危険なので、テレビをつけてぼんやり見ていた。テレビでは、田代まさしが逮捕されたニュースがやっていた。街の女子高性のインタビューで、「またやったの、あいつしょうもないね。今から何か資格とか取っといたほうがいいんじゃない」と言われていて、確かに確かにと一人うなずいていた。ホントしょうもない男だ。つける薬ナシ。
朝ごはんはきのう二度目行った時にもらったスタバのピザパンを食べてジュースを飲んだ。今日はカウアイ島へのオプショナルツアーの日で、6時にシェラトン・ワイキキに集合である。15分前には部屋を出て、バス乗り場へ行った。オプショナルツアーのヒトたちはけっこうたくさんいて、名前を伝えカウアイ島ツアーのシールをもらい胸に貼りバスに乗り込んだ。バスに乗ったら曝睡してしまい気づいたら空港だった。
バスの中のオプショナルツアーのメンバーには他に、ハワイ島、マウイ島のヒトたちもいた。空港に着いたら組み分けをしてカウアイ島担当のヒトの指示に従った。わたし達のツアーは全部で28人だった。

◆あっという間の飛行

搭乗が始まる8時までまだ1時間近くあったので、外の景色を眺めていた。ハワイ航空の飛行機がとってもかわいくて写真を撮った。わたし達は8:30のアロハ航空85便でカウアイ島に向かった。自由席だったので窓際の席に座った。離陸前から曝睡してしまい、気づいたらコーヒーが配られていて隣に座っていた日本人のおじさんに起こされた。おじさんはわたしにおせんべいを2枚くれ、状況がよく飲みこめなかったが、あーすみませんともらうのが当然のことのように受け取りモソモソと咀嚼した。35分であっという間にカウアイ島のリフエ空港に到着した。もっと眠りたかった。

◆ヒロ・ハッティ、オパエカア滝

空港には現地のムームーを着たおばちゃんが迎えに来てくれていて、バスに乗りこんだと思ったら近くのヒロ・ハッティでトイレ休憩だと言われすぐ降ろされた。30分以上自由時間があったので、カウアイ島のポストカードや来年のカレンダーをお土産に買った。
再びバスに乗り、最初の観光名所オパエカア滝に向かった。オパエカアとは小エビが転んで落ちる滝という意味だと言っていた。滝は遠目から見てすぐにバスに戻った。
バスからは眠れる巨人(スリーピング・ジャイアント)が見える。眠れる巨人とは、東海岸の西に広がるノノウ山地の稜線が巨人が横たわっているように言われるからこう呼ばれているのだ。おでこ、まゆげ、閉じた目、鼻、口が本当に眠っている巨人に見えてビックリした。

◆シダの洞窟

ガイドのおばちゃんは世間話をするようにわたし達にいろいろとカウアイ島の話しを聞かせてくれた。カウアイ島のニックネームは庭園の島Garden Islandと呼ばれ慈しみに満ちた自然に由来している。
屋久島の形に似ていて、島の建物はココナツの木より高い建物を建造することが禁じられているため、4階以上の高さの建物はないと言っていた。今日は行かないナ・パリ・コーストは船かヘリで行かないと行けない場所で、映画『6デイズ7ナイツ』の舞台になったところらしい。
カウアイ島にはゴルフ場がたくさんあり、地元のヒトは35ドル払えば1ヶ月自由にコースが周れ、18歳以下は無料らしい。最近はちょっと値上がりして45ドルになったとも言っていた。19年前のすごいハリケーンがおとずれた後は沈黙を保っていたが、最近では急速に回復を見せているらしい。ワイキキよりは2度ほど平均気温が低く、22〜28度で、降雨量は世界一の地帯だと言っていた。名産品はポイというタロイモよりも大きいもので、離乳食やダイエットにいいらしい。
などという話しを聞いていたら次の観光地に到着した。ここからバスを降りてワイルア川をボートで遊覧して、シダの洞窟に行くことになっている。ワイは水、ルアは2という意味で二つの水の流れが一つになったという意味だ。ボートに乗ってからは、おばちゃんガイドではなくボートのおばちゃんがいろいろな説明をしてくれた。川の両端に生えているマングローブみたいな植物はハウといって曲がりくねった根という意味らしい。
ここでは、『アウトブレイク』『インディージョーンズ』『ジュラシックパーク』の舞台になったようだ。ツアーはこういう観光名所を周るツアーと映画の舞台を周るツアーもあるのだと教えてくれた。次に来る時はぜひそっちに参加したいものだ。
川にはカヌーを使ってシダの洞窟まで向かっている外人カップルが何組もいた。そっちも楽しそうだった。ボートを降り、うっそうと茂った熱帯樹林を歩いていくとその先にボストン・シダに覆われた洞窟があった。ここは、ハワイアン王朝時代には王族しか立ち入りを許されなかった儀式や結婚式に利用されていたハワイアンの聖地でもあった。日本人で一番最初に結婚式を挙げたのは梅宮辰夫夫妻であと何人か挙げたと言っていたけどわたしには判らないような世代のヒトだった。最近では、柳葉敏郎が挙げたらしい。ここで、皆さん結婚式を挙げましょうと言われ、洞窟に入った。ツアーにはほとんどカップルか家族で一人なのはわたしとおばちゃん、あとは怪しい男性二人組。えっ、わたしは誰と挙げればいいの?なんてことを思ったが、みんなで洞窟にあがっていって、(洞窟なのに高台にあるのだ!)下から現地のヒトたちが演奏をして唄をうたってくれて結婚式は終わった。
9年前の台風でここにあった大木が倒れてしまい、それ以降太陽の光がシダに直接浴びるようになってしまい、シダがだんだん枯れていってしまった。洞窟が隠れるくらいの3メートルのシダがかかっていたらしいのだが、確かに今はシダがぜんぜん垂れ下がってはいなかった。こんなところで結婚式を挙げるのはとてもロマンチックだと思った。
ボートに再び乗り、帰りはみんなでフラダンスを音楽に合わせて踊ってみたりした。難しかったけど、楽しかった。もうちょっと練習してみたいと思った。
ボートから降りたら、眠れる巨人をバックにみんなでハングルースのポーズをとり全体写真を撮った。

◆ランチ&バスのドライブ

バスに乗って今度はお昼を食べに行った。お昼はホリデイ・イン・サンスプリーホテルでバイキングだった。カレーややきそば、チキン、サラダ、フルーツ、ケーキといろいろ種類があって楽しかった。カレーが日本の味に似ていて食が進んだ。どれもとてもおいしかった。わたしが一人だということで、同席したカップルが気を遣って話しかけてくれた。優しいヒトたちだ。カップルはホノルルマラソンを走るために新婚旅行でハワイに来たと言っていた。彼らは7時間でゴールした。(勝った!)激しく人見知りをしてしまうので、とても緊張したが、奥さんの方がとても良いヒトですぐに打ち解けた。ものすごい訛りだったので、どこの出身かと訊くと、北陸と答えていた。富山か石川か?と訊いたがどちらも違い福井と答えていた。福井は40番目以降に出てくる県ですよねと言われ、思わずうなずいてしまった。失礼なヤツだ。
13時くらいには再びバスに乗り出発。島で見る黄色い花はユウナといって佳子さまのお花だと言っていた。
30分くらいバスに揺られて次は潮吹き岩に行った。カウアイ島の南に位置していて、冷え固まった溶岩の穴を通し海水が吹き上げる。すごい轟音とともに吹き上がっていた。海も深い青で景色がキレイだった。他のオプショナルツアーのバスが2台来ていた。

◆ハワイのグランドキャニオン、ワイメヤ渓谷

次は最後の観光名所ワイメヤ渓谷だ。1時間くらいで到着した。バスの中ではおばちゃんの話しを聞きながら寝てしまっていた。雨がパラパラと降っていたみたいだが、あいかわらず天気が良かった。雨が降ってくれたおかげでワイメア渓谷からは虹が見えた。リトルグランドキャニオンと呼ばれているだけあって壮大な自然の景観が続いていた。虹をバックに写真が撮れてよかった。30分くらい自由時間があったので、景色をずっと眺めていた。バスに戻る途中、さっきの潮吹き岩でもあった別のツアーの若い男の子3人組に写真を頼まれたので撮ってあげた。バスに乗ってアロハ坂を下りながら、もしかしたらあのノリはホノルルマラソンの“有頂天”かもしれないなーと思った。バスに乗ったら雲が出て雨が降ってきた。ワイメア渓谷では、天気も良く虹も見られてラッキーだった。

◆“有頂天”と再会!

最後はマリコ・ギフトショップで降ろされまたお土産を見ることになった。店内を一周してしまうとやることがなくなったので座っていた。さっきの“有頂天”と思われるツアー客も入ってきたので、チャンスがあったら真相を確かめようと思った。しばらくして、フリードリンクのところでコーヒーを飲んでいると、彼らがやってきてやっぱりどう見てもそうだ間違いないと思う。うしろ姿しか見てなかったから顔は憶えているわけもないが、3人揃ってフィニッシャーズTシャツを着ているからそうであろう。
私:あのもしかして“有頂天”ですか?
有:おおーっ、そうです!有頂天ファンだってよっ(と皆に声をかける)
私:いや、ファンってほどでもないんだけど、わたしずっと近くで走ってたんですよー。
有:あーそうなんですかぁ、いや嬉しいなぁ、声かけてもらえて。
私:うーん、だってすっごい目立ってたもん。たぶん一番目立ってたんじゃないかな?
  6時間20分くらいでゴールしたよね。
有:正式には6時間1分でした。スタートするまで写真撮られまくってなかなかスタートできなかったんですよ、スタートまで20分くらいかかりました。
私:ホノルルマラソン新聞に出てると思って探したけど載ってなかったよー。そんなに写真撮られたのにねぇ。
有:あーそうなんですか?でもテレビでは何回か出てたみたいで、きのうオプショナルでマリンスポーツした
  んだけど、背中にまだ字が残ってたから現地のヒトに指摘されて、もしかしてお前らか?って言われたんですよー。他にも話しかけられたりしました。
私:すごーい、有名人だぁ。でもさ、なんで“有頂天”にしたの?いつ考えたの?
有:最初“大和魂”とかにしようと思ったんだけど、それもなぁと思って、日本人が見てプッと笑いを誘うのにしたかったんですよー。朝起きて考えて、マジックでお互い書きました。今年初めてなのにすごいインパクトあったから、来年とかどうしようって感じです。
私:ねーねーそれってトイレって大変だったの?
有:いや、ぜんぜん楽ちんですよ。何回も行ったし。しかも、ヒトん家のトイレとかまで借りちゃいました。

などと3人と立ち話に華が咲いた。“有頂天”の真相が判ってよかった。帰国したら姉に伝えなければと思った。彼らもわたしも来年もまた出場して、出会えればいいなと心から思った。彼らの次回のコスチュームが今から楽しみである。
そんなわけで、再びバスに揺られて17時過ぎには空港に着いた。18:30のアロハ航空272便まで1時間以上時間があったので椅子に座って待っていた。有頂天グループも後から空港にやってくる。もう一組のツアーバスも同じころにやってきた。座ってボーッとしていると、“有頂天”が誰かに話しかけ握手をしてもらって一緒に写真を撮ってもらっていた。きっとスポーツ選手なんだろうなぁ、でも判らないからいいやと思った。他のヒトも気づいたらしく写真を撮ってもらっていた。そんなに有名人なのか?
“有頂天”が、こんなところでロッテの野村に会えるとは思わなかったよなーと言っているのが聞こえ、野球選手なのか〜と思った。帰国してから、何人かの友人に訊いても誰も判らなかった。同じ部署の野球好きの後輩の男の子に問うと、広島には野村っていますよーと言うので、彼の顔写真をどこか(ネット上の)で探してきてもらい見たらそのヒトだった。まぁわたしにとっては広島の野村に会えたことより、“有頂天”と会えたことの方が貴重だった。
飛行機に乗るとまたまたあっという間にオアフ島に着いてしまった。バスでホテルまで送ってもらったら19時過ぎだった。楽しいオプショナルツアーだった。一日でカウアイ島が好きになってしまった。オアフ島以外の離島に行けて本当に良かった。次回はハワイ島、ラナイ島、マウイ島の順で行ってみたいぞ。

◆ら〜めん

あまりお腹は空いていなかったが、カウアイ島は寒かったので(日本から着てきたフリースを持っていって大正解だった!)温かいモノが食べたいと思った。ホテルからすぐ近くにあるラーメンなかむらに行った。ガイドブックには、“ハワイ一おいしいと評判のとんこつラーメン”と書かれていたが、味噌バターラーメンを食べた。日本の週刊誌、ファッション誌が置いてあったので、見ながら食べた。ファッション誌に書いてあるエッセイを読んでいたらなぜだかすごく元気が出てきた。店には日本人や日系人が多くて繁盛している感じがした。お会計をして外に出る。(10.30ドル=約1,318円)
カラカウア通りを散歩した。兄のお土産をすっかり忘れていたので、ABCストアでちょっとしたものを買う。(かわいそうな兄)繁華街が終わるところまで歩き、サーティーワンでストロベリー・スムージーを買って飲みながらホテルへ戻った。(4.28ドル=約547円)
22時前には部屋に戻り、シャワーを浴び少しだけ本を読んで23時半ころ寝た。


第6日目 12月12日(水) ハワイ(オアフ島):晴れ

今日は7時半に起きる。いつものようにスタバに行ってコーヒーとバナナマフィンをもらい部屋でテレビを見ながら食べていた。
テレビのCMではハイアット・リージェンシーホテルのナ・ホオラ・スパの宣伝をしていて、ハワイの伝統的マッサージロミロミの映像が流れている。このスパが非常に気になっていて、コースと値段を訊きにハイアット・リージェンシーに寄ってみようと思った。9時前には部屋を出て、ハイアット・リージェンシーへ。スパの料金表のチラシをもらうが、どれもほとんど100ドル以上するのであっさりと断念する。しかし、一度でいいからやってみたいな〜。スパの内容はどれも本当に魅力的だった。
ハイアット・リージェンシーの前からトロリーに乗りホノルル動物園の前で下車。今日はカピオラニパーク内でやる“プレザント・ハワイアン・フラ・ショー”を見に来たのだ。場所はカピオラニパーク内のワイキキ・シェルに隣接した野外ステージ。野外ステージに着いたショー開始の15分前にはけっこうヒトが座って待っていた。ショーは10時から始まり、フラダンスやハワイアンソングを堪能した。途中でゲスト参加のフラダンスのレッスンや新婚カップルへの祝福セレモニーなどもあってあっという間の1時間だった。無料なのがお得だ!風がある時は気持ちがいいが、座っているとジリジリと暑さを感じるので水と帽子は必携だと思う。

◆お昼はデニーズ

お昼はサム・チョイズでランチをしようと思っていたが、ガイドブックを見るとランチタイムは日曜日しかやっていないことが判明。ちょっと悔しく思い、お昼まで時間があるので自分の目で確かめようと歩いて行ってみる。カパフル通り沿いにあるのですぐに到着。やはり店は閉まっていた。
諦めて、次の候補地のデニーズへ。ここへもすぐに到着。海が見える席にして欲しいと伝え、良い席に座らせてもらう。メニューは写真入りで選びやすかった。迷わずロコモコを注文。白いごはんに濃くのないデミグラスソースがかかっていて、そこにハンバーグと目玉焼きがのっかっている。あとはトーストされたパン。
味はまぁまぁだった。(9ドル=約1,158円)

◆ワイキキビーチ

デニーズを出て、ワイキキビーチ沿いを歩いてホテルへ帰った。途中で、デューク・カハナモク像を発見し、写真を撮った。ビーチの中心にあるが気づかない人も多いとガイドブックに書いているだけあって、けっこう地味な像だった。
夜は賑やかなカラカウア通りは昼間は閑散としていた。みんな昼間は出かけて、夜になったら集まるのであろうと思った。
13時前に部屋に戻って、何ヶ所か行きたい場所がまだ残っていたが、ハワイに来ておいてワイキキビーチに行かないのもどうかと思い、水着に着替えてビーチに向かった。一人なので、貴重品などはいっさい持っていかなかった。ビーチアクセスの通りを探すのに手間取ってしまった。ビーチは妙に混んでいる部分があったが、比較的ヒトがいない場所を選んで、寝転がった。そんなに暑くなかったが寝ているとジリジリと日が照り付けてくるのでタオルをかぶって日焼けを防いだ。本を読んだり、海に入ったり、寝たりの繰り返しをしていた。いつのまにかだいぶ寝てしまっていて、気づいたら16時近くになっていたのでホテルへ戻った。


◆最後のショッピング

軽くシャワーを浴び、着替えてから部屋を出た。ローカル・モーションでボディーボード用のラッシュを買いたかったので、そこに向かった。途中ナイキタウンがあり、SALEの文字につられて店内へ。SALE品のトレーナーを購入。ホノルルマラソンの時にけっこうたくさんのヒトが着ていたウェアを発見する。同じチームのお揃いのウェアかと思っていたが、みんなここで買ったのだということが判った。
ローカル・モーションに行き、ラッシュを見たが、いまいちなのでやめてしまった。
そこからは、ヒルトン・ハワイアン・ビレッジまで歩いていき、トロリーに乗ってワード・ウェア・ハウスに行った。ここには部署のヒトからユニークなTシャツやさんがあると聞いていたので見てみたかったのだ。
T&C(タウン&カントリー)で、けっこう良さげなラッシュがあったのでここで買った。ロングスリーブじゃなかったのは残念だが、安いから良しとしよう。
奥のちょっとしたフードコートにアサヒ寿司というお寿司やさんがあり、カリフォルニアロール、太巻き、いなり、たまご、エビ、タイ、マグロ、などが入っているコンボ弁当を買う。この量で4.16ドル(=約532円)とはすごく安い。できるまでちょっと時間がかかると言われたので、他の店を見てみることに。
目的のノヴェルティTシャツやさんの隣にル・ロータス・ブルー・アクセサリーズというお店があり、かわいらしいので入ってみた。ビーズを使ったアクセサリーや、ネックレス・ブレスレット・ブローチ・ピアスなどがあり本当にかわいかった。完走のご褒美として、ネックレスとブレスレットをカードで購入。チープで本当にかわいかった。
Tシャツやさんは膨大な量があったが、自分の好みのがなかったし、無銭になりつつあったので買わずに出た。お寿司やさんに戻ると、なかなか来ないので捜しに行ってしまったと言われた。
19時過ぎのトロリーでホテルに戻る。明日のピックアップの時間が書かれた掲示板を見て部屋に戻ったら20時過ぎだった。お寿司を食べて、片づけをして、テレビを見て23時前に寝た。


最終日  12月13日(木) ハワイ(オアフ島):晴れ

◆最後のワイキキビーチ

最終日の朝、今日は5時半に起床した。7時半に部屋まで荷物を取りにくるので、パッキングを完了させてしまう。6時過ぎに外に出ると雨がシトシト降っていた。きのうの夜、明日の集合時間の9時半まで、さてわたしは最後に何をしたらいいのかと考えたら、マラソンをしている時に見たあの素晴らしい朝陽をもう一度見たいということだった。6時過ぎに出ればダイヤモンドヘッドまでは歩いても間に合うはずだった。ちなみにホノルルマラソンの当日の日の出時刻は6時57分と言っていた。
しかし、あいにくの雨。傘もないし、これでは外に出られない。仕方なく、開いたばかりのスタバでコーヒーとスコーンをもらい、テラス席で雨空を眺めていた。外はまだ真っ暗だ。なのに、何人かのヒトたちは、スタバでお茶をしている。みんな何してるんだろう。わたしもその中の一人なのだが。本を読みながら雨が止むのを待っていたが、いっこうに止む気配もなく、一層強く降り始めていた。これはひどい雨だ。マラソンの日にこの雨が降らなくてよかったと思った。しばらくすると雨は小降りになり、7時前には突然ぴたりと雨が止んでしまった。今からじゃダイヤモンドヘッドには間に合わないので、ワイキキビーチに出ることにし、カラカウア通りに出た。
雨上がりのカラカウア通りは静謐としていて、ヒト一人いなく美しかった。夜の喧騒がウソみたいだ。便利だけどゴミゴミとしたワイキキはそんなに好きではなかったが、この時初めて好きになった。ショップとショップの間の狭い通りを抜けると、一面にワイキキの海が広がっていた。激しくキレイだった。キレイでキレイでたまらず叫び出したいくらいだった。

遠泳をしに行く現地人が海に入っていき、近くには脱ぎ捨てられた洋服が散らばっていた。きのうの昼間のビーチより潮がすごく満ちている。わたしはゆっくりと砂浜を歩きながらカピオラニパークの方へと向かった。曇っていて日の出の瞬間は見られなかったが、空がゆっくりと白んでいった。砂浜には犬を連れて散歩しているヒトやサーフボードを出している現地人など多くはない人々がそこにはいた。この静かな時間を互いに共有できているみたいで嬉しかった。泳いでいるヒトがいるのを見て、わたしも水着を着てくればよかったと少し後悔した。
ワイキキビーチの端まで行くとまたちょっと雨が降ってきたので、雨宿りをして止むのを待った。すぐには引き返してこないで、海にせり出したコンクリの突堤を歩き突端まで行ってそこから海を眺めていた。ここからの海の眺めもサイコーに素晴らしかった。ボーッと海を見ていると外人のおじさんが来て挨拶をしてくれた。どこから来たのか、いつ来たのか、いつ帰るのかといった、旅行者が必ずするであろう質問をお互いし、話していた。わたしはその時フィニッシャーズTシャツを着ていたので、トレーナーをまくってTシャツを見せた。おじさんは日曜日にホノルルマラソンが行われたことを知らなかった。東京には仕事で何度も来たことがあると言っていた。おじさんの会社はGEだと言っていた。わたしはGEを知らなかったが、なんだかアメリカではとっても有名で優秀そうな会社であった。今はサンフランシスコに住んでいて、オリジナルはインドだと言っていた。おじさんは、穏やかでとても優しそうなヒトであった。わたしが持っていたカメラに気づき写真を撮ってもらい握手をして別れた。
元来た道を歩きながら、わたしは我慢ができなくなり靴とくつ下を脱いで、海に浸かってみた。やわらかな温かみのある海の水が足を包み気持ちよかった。ちゃぷちゃぷと飽きることなくずっと遊んでいた。遠くの空には不思議な形の虹が見えた。ハワイで見る最後の虹だ。
きのうの昼間に見たデューク像も見たが、なんだか一人寂しそうだった。きのうは気づかなかった隣の魔法石も見て写真を撮った。まだちょっと時間があったので、本当に飽きることなく海に足を浸しては逃げたりしていた。やり過ぎてズボンが濡れてしまった。8時半くらいになったので、ホテルまでは裸足でペタペタと歩いて帰った。アスファルトも気持ちよかった。

◆空港の待ち時間

足を洗って、忘れ物がないか最後の確認をして部屋を出た。チェックアウトをして、部屋からかけた電話代を支払う。(1.96ドル=250円)ロビーのソファで少しゆったりしてから、迎えのバスが来るシェラトン・ワイキキに行った。バスに乗り込むと雨が降り始めた。空港へ行くお客さんはホノルルマラソンに参加したであろうヒトは少なく感じた。わたしがのんびりしている間、皆先に帰ってしまったようだ。バスの運転手はおしゃべりだった。丘の上の家に住んでいて、冬は炬燵が必要なくらい寒くなると言っていた。日本では、100メートル高くなると0.6度気温が低くなるが、ここでは1度も低くなるらしい。600メートルも上に住んでいるため、随分気温が変わるらしい。
空港に着くと、テロの影響で荷物のチェックが厳しく出国までに相当時間がかかった。出国してから搭乗時刻まであと1時間半以上もあったので、免税店を覗いたりして時間を潰した。朝が早くお腹が空いてしまったので、バーキンでチーズバーガーセットを頼んで食べた。手持ち金が5ドル強だったので、そのセットが精一杯だった。ホントは隣の店のラーメンが食べたかった!
食べてから時間があったので、週刊誌を立ち読みした。古い女性セブンがなぜか、なーぜーか9.99ドル(=約1,278円)で売られていて驚いた。単行本も立ち読みしてみた。俵万智の本をちょっと読んだらすごくおもしろかったので買いたかったが、これも定価400円に対して10ドルくらいしていた。日本で読もうとそのタイトルをメモして、搭乗時間になったので乗り込んだ。

◆行きより長い機内〜

飛行機の座席は2-5-2で、ボロっちかった。専用のテレビ画面もなくて残念だった。席に着いたらたちまち眠くなり気づいたら離陸していた。その後はあまり眠くならなかったので、機内にあったアエラと週刊文春と週刊新潮を隅から隅まで読み尽くした。おもしろかった。週刊誌がこんなにおもしろいものだとは知らなかった。いろいろな情報が載っていて興奮してしまった。3冊読んでしまってもまだ時間はたっぷりとあるので、座席の前の機内誌も全部読んだ。その間にお昼ごはんのえびドリアが運ばれてきたのだが、さっき食べたばかりだったので食べなかった。
機内は乾燥していて、静電気がバチバチいった。コーラとジュースとウーロン茶とビールを一通りもらいずっと飲んでいた。映画はキャッツ&ドッグスで、途中まで観ていたがアホらしくてやめてしまった。途中でビンゴゲームもあったが当たらなかった。最後に軽食として、冷やし中華とマンゴープリンが出てきた。このマンゴープリンはいかがなものかと首を傾げたくなった。半活字中毒になりながらやっと飛行機が成田に着いた。行きより1時間程度違うだけで、こんなにも長く感じるとは思わなかった。うー疲れた。入国手続きを済ませ、荷物が出てくるのを待つ。重たいスーツケースをひきずりプラットホームに立つと冬の冷気が頬を刺した。


あとがき

長い長い日記を読んでいただいてありがとうございます。自分の力が入っている箇所が明確で、サラッと書いてしまったところは、まだまだ長く書けたのですが早く完成させたかったので、あまり力を入れませんでした。
日記では一度も触れなかった、「来年もまた走ってみたいのか?」ということですが、はっきりいって判りません。姉は絶対に走ると言っていたので一人でも走りに行くことでしょう。しかし、来年はこういうふうにしようとか来年のオプショナルはハワイ島にしようなどと考えている自分に気づくと、もしかしたら来年も走っているのではないかと思います。その前に右膝(いまだに何もしないでも痛い!)を完治すべく、そのトレーニングをしなければならないのが重要課題ですが。
完走後には何が待っているのか?とずっとずっと考えながら走っていたのですが、こうして日記に書いて、自分がどんなけがんばったかということをみんなに伝えたいというのが待っていました。やはり、自分ががんばっていなければ日記に書いて残そうとは思わなかったかもしれません。こんなに早くこの日記が完成したのは、がんばった自分がいたからではないかと思います。タイムが悪くても達成した自分を褒めてあげたいと日記を書きながら思いました。
最後にわたしのタイムを載せます。わたしがおばあちゃんになってこのタイムを見て、あーあの時はがんばったなと振り返る日がいつかくるといいと思います。


ホノルルマラソン関係HP:ププさんの「気分はホノルルマラソン」「ホノマラ完走テクニック」が参考になります)
お世話になったHP:ホノルルマラソン公式HP

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