田中家の祖先
田中家の祖先は南北朝時代に関係があります。
肥後の地を拠点とした南朝の忠臣菊池家の武力を支えた刀鍛冶に由来するものと、菊池一族の応援に駆けつけた出雲の名和家の後裔である。との二つで、かってはこの両者が一つのものと言われていたようです。しかし、時代考証をしてみるとすぐわかるのですが、この両家を一つにすることは不可能です。どちらかまたは両方が間違いでしょう。
田中家は熊本県菊池市の出身です。出身地の西寺と言うところは菊池家の刀鍛冶の住んでいたところの一角と言えます。どちらかと言えば刀鍛冶に関係あるとした方が有力でしょうが昔のことは全くわかりません。
田中家のはっきりしている先祖は江戸末期に分家した田中恵左衛門で、この人を初代として考えています。本家のことは昔のことでよくわかりません。時代と共に本家・分家の関係も薄くなり、今は本家との交際はありません。
田中恵左衛門は細川藩の郷士でした。郷士とは、地方に住むことになっている武士で、今の菊池市にある細川藩の出先に勤務していました。
2代目はとく蔵と言います。とくという字は、はこがまえに賣と書きます。意味は同じ読みの「匿」と同じで、入れておくと言うことです。論語から取った名前です。武士として浦賀の黒船騒ぎに警戒に当たったり、京都で動乱に参戦したり(蛤御門の変と見られる)しています。また、漢学の素養にも優れています。維新後は県議を務めた後、小学校を設立して校長になったり、私塾を開いて人材の育成をしたりしています。眼病を患い途中失明したのも経歴に影響しているのかも知れません。
3代目を致知といいます。官僚として活動し、熊本警察署長(現熊本北警察署)や熊本県内の郡長をしています。
4代目は致孝と言います。教育者として旧制中学、新制高校にて教鞭を執りました。
5代目が順治です。
田中家の紋は○にカタバミです。不思議なことに足尾鉱毒事件で有名な田中正造さんと同じです。
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