直線上に配置 
 Mexico









ロスでバイクをレンタルし、いざメキシコへと向かう。そして、目の前に国境のゲートが現れた。「おお、メキシコだ!」期待に胸を膨らませ、バイクに乗ったままゲートへ。入国管理官らしき人は何人もいたが、だれも僕を呼び止める人はいない。どこでどう手続きをするのだろうと思っているうちに、何と国境を越え、メキシコに入ってしまっていた。しまった!きっと入国管理官たちは騒いでいるに違いない!あいつを捕まえろと・・・。そして僕は、言い訳をしようと振り返った。しかし、彼らは騒ぐでもなく、僕の存在にさえ気づいていないようであった。こいつらの職務怠慢のために、僕は不法入国か?そして、僕はゲートを逆走し、立ち話に夢中の入国管理官らしき人の前へ行き、入国の手続きをしてくれと頼んだ。しかし彼はおっしゃった。「そんなものは必要ない。」地球の歩き方には、必ずツーリストカードとスタンプが必要であると書いていた。こいつらには立ち話のほうが大切かもしれないが、僕は困るのである。メキシコのどこかで、ツーリストカードがなかったがために不法入国者として逮捕されたら・・・。僕はなおもしつこく食い下がった。管理官はいかにも「ちぇっ」というような感じで、僕を事務所へ案内した。そして、「どこにあったけ?」といわんばかりにその辺の引き出しを探しまわり、やっとカード作成用の書類を僕に渡した。この旅はきっとおもしろくなる!そんな予感がした。

*実は、あとから知ったのであるが、72時間以内の滞在者にはツーリストカードは不要ということだった。しかし、入国時にパスポートをチェックせず、入国のスタンプを押さないので、滞在時間を証明するものはなく、全くいい加減な規定だと思った。

世界一豊かな国、アメリカからメキシコに入ると、そのギャップに驚いてしまう。国境を越えるだけでこんなにも環境が違うのかと驚かされる。まず、住環境である。そして道。舗装しているのは幹線道路のみ。市街地は砂埃が舞っている。また走っている車もボロボロ。フロントガラスが割れている車も、何事もないかのように走っていた。

しかし、住んでいる人はそこぬけに陽気だった。そして旅人にやさしかった。

ちょっといい話 その1
ある日、公衆電話で国際電話のかけ方がわからず困っていた。するとその様子を見て、一人二人と人が集まり、何と十数人もの人たちが集まってくれた。こんなにたくさんの人に囲まれるのは初めてだった。彼らに聞いたが、彼らもわからないらしく、申し訳なさそうに立っていた。親切な気持ちがすごく伝わってきてとてもうれしかった。また僕のためにこんなにたくさんの人が集まってくれて恐縮もした。

ちょっといい話 その2
とても暑かったので、水を買い、バイクに腰掛けて飲んでいた。すると車がやってきて、「お前は中国人か」と聞いた。「いや、日本人だ」と答えた。そのあとよくわからない会話(スペイン語)をかわしたあと、彼は店の中に入っていった。そしてビールを両手に抱えて出てきた彼は、そのうちの1缶を僕に投げてくれた。そして車で去っていった。これを今飲むと飲酒運転だと思い、僕はしばらく悩んだが、思いがけないプレゼントに感動した。

ちょっといい話 その3
日本では、2輪車はトラックドライバーにとってうっとうしい存在だと思う。この国では、すれ違うトラックの運転手の多くは窓から手を出して振ってくれる。とても友好的。道路工事している人も仕事を中断し手を振ってくれる。

ちょっといい話 その4
幹線道路を外れてダートを探検していた時のこと。木陰で休んでいると、どこからともなく老人が現れた。そして僕を彼の家へ案内してくれ、少しの間涼ませてくれた。それから「俺の牛を見せてやろう。」と言ったかどうかわからないが、牛小屋に案内された。
どこでも、必ず誰かが声をかけてくれる。「メキシコ万歳!」
                   ガソリンについて
この旅で一番不安だったのがガソリンの補給だった。緊急用にポリタンクを購入し、350kmは無補給で走れるようにしていた。アメリカでは、「このあと100マイル給油所なし」等の看板があるので、安心して走ることができた。しかしここでは、町(地図に地名が載っているところ)に必ずガソリンスタンドがあるというわけではない。またロスでガソリンスタンドがある場所が明記された地図を入手していたが、100%信頼できるものではなく、実際には廃業になっているところもあった。

ある日、Catavinaという町まで来た。集落は見当たらず、食堂とガソリンスタンド、ホテルが1軒あるだけなので、町という表現は不適切だ。サボテンの森が広がっているところで、今回の旅でもっとも楽しみにしていたところのひとつだった。そして、ガソリンの残量はあと120kmぐらいだった。地図によると次の給油所までは約100km。ここは無難に給油をすべきだと思いスタンドへ。しかしそこには誰もいなかった。向かいにある食堂の人に聞くと、ホテルへ行って頼むように言われたので、ホテルのフロントへ行った。そして、そこで信じられない答えが返ってきた。

「ガソリンは売り切れだ。」

僕は聞き間違いだと思い、もう一度確かめた。しかし、答えは同じだった。動揺しながらも、僕は努めて冷静に考えた。次の町まで何とかガソリンはもつだろう。しかし、ここが売り切れてないなら、次の町でも売り切れということも考えられる。するとどう考えてもガス欠は免れない。ここは砂漠なので、忌々しき問題である。そこで、いつになったらガソリンが補給されるのかと聞いたら、「明日の朝は大丈夫。」という答えが返ってきた。単純な僕はそれを聞いて大いに喜び、思わず「ラッキー!」と叫んでしまった。そして迷うことなく、ホテルに泊まって給油を待つことにした。そのホテルは、なぜ砂漠の中にこんなホテルがあるのだと思うほどきれいなホテルで、どう考えても埃まみれの僕には場違いだった。

次の朝、給油に行くと車の長い行列ができていた。そしてそれらは全てこのホテルの宿泊客だった。そこで僕はやっと気がついた(遅すぎるというかお人好し過ぎる)。よく考えれば、売り切れのガソリンが、こんなにもいいタイミングで補給されるはずは無い。これはホテルの営業方針だったのだ。午後3時過ぎからは給油しない。すると、そのホテルに泊まるしかない。やられた・・・・。まあ、サボテンの写真をたくさん撮れたし、「サボテンと夕日」という日本では絶対に目にすることができない景色を見ることができたのだから、これは天の与えた恵みであると無理やり納得することにした。

待つこと10分・・・。しかし、1台も給油されずの状態である。列の中へバイクを置いたまま、様子を見に行った。すると・・・。何と給油機が壊れていて、修理中だった。修理するのを見ていたが、段取りが悪く、いつになったら直るやら・・・という状態だった。これがメキシコなのだ。これがここの人たちのペースなのだ。苛立つアメリカ人の横で僕は何故か楽しい気分になってきた。これも旅のスパイスなのだ。そして約1時間ほどして給油は終了した。

ちなみに、次の町のガソリンスタンドは廃業になっており、次にガソリンを補給できたところはCatavinaから200km程先の町だった。

ひたすら走る

当初の目的は、バハ・カリフォルニア半島の先にあるラ・パスであった。しかし、中間地点を過ぎたあたりで、引き返すことにした。舗装した道を走り続けることに飽きてしまったのだ。何かもっとおもしろいことはないか?と思いついたのは、僻地にぽつんとある小さな村を訪れる旅であった。

幹線道路を外れて一番困ったのは、標識がないということだった。道がいくつにも分岐していたが、行き先を示すものが何もない。そんな時は、轍を確かめ、車の往来の多い方を選ぶ。スリル満点だった。途中で牛を見ると無性にうれしくなる。家畜なので、最悪の場合、牛と一緒にいればそのうち人と会えるはず。


そして、僕は本物のカウボーイを見た。次の写真は観光客相手のショーではない。サボテンの木陰で涼んで、水を飲んでいた時に偶然出くわしたものだ。残念だが、あまりに突然だったので、カメラのシャッター速度を変えるのを忘れてていた。だからブレまくりである。

まず、目の前に牛が現れた。そして、まるで助けを乞うような目つきで僕を見つめていた。(勝手な思い込みです)。しばらくしてサボテンの森の中から突然、馬に乗った兄ちゃんが現れた。そして、10回ほど投げ輪を放ち、うまく逃げ惑う牛の角に引っ掛けた。思わず拍手をしてしまった。その兄ちゃんは照れくさそう笑い、足早に牛を引き連れ去っていった。あまりに突然の出来事に、僕はしばらく呆然と立ちつくしていた。

砂丘

パリ・ダカールラリーのように走ってみたかった。しかし、僕ごときが砂丘を走れるわけがない。砂地獄から脱出するのに40分もかかった。



キャンプ場

キャンプ場といっても、何もない。水場もなかったが、夜になるとあたりは真っ暗になるので、とても星がきれいだった。ちなみにこのキャンプ場は有料だった。

タコス

アメリカで食べたタコスは、ギトギトしていたが、さすが本場のタコスは素朴でうまい。しかも安い。海辺の町ではフィッシュタコスがうまい。


そしてパンク

アメリカへ再入国してからのことだった。面白そうな脇道があったので入ってみる。するとすぐ行き止まりだった。引き返してルートに戻ったが、やがて後輪が左右に振り出した。パンクだ。この時すぐにバイクを止めて修理していたら事なきを得たのだが、何しろ砂漠の中なので、暑さを避けるために、木陰をさがしたのがいけなかった。結局木陰などあるはずがなく、あきらめてバイクを止める。そして荷物を全ておろし、パンク修理に取りかかる。チューブを取り出して唖然とした。チューブは裂けていた。修理不能。自力での脱出も不能・・・。そして、力なく車が通るのを待った。10分ほどして車がやってきた。大体こんなところでバイクを横たえていると、だれでもどうかしたのかと止まってくれるものだ。その人はすぐに警察を呼んでやるといって去っていった。40分ほど待った。その頃僕はあまりの暑さとのどの渇きに苦しんでいた。軽い熱射病&脱水症状だったかもしれない。メキシコにいるときは、必ず2リットルの水と予備のガソリンを持っていたが、アメリカへ入ってもう大丈夫と油断していたのだ。やがてパトカーが来た。警官はバイクを積んでくれるトラックを手配してくれた。我慢していたが、気分が少し悪くなってきたので警官に水をもらい、しばらくパトカーの中で涼ませてもらった。「水も持たずにこんなところを走る馬鹿はいないぞ。」と注意された。

地図等のデータは後日アップの予定

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カメラ・・・MINOLTA X700  レンズ・・・タムロン28-200mm F/3.8-5.6 Aspherical