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明治3年片倉家主従の歩いた道・はじめに

明治3年に入植した片倉家臣団の幌別への道を歩いてみた

 明治の初め、幌別郡支配を政府から命じられた仙台藩一家の白石城主・片倉家主従の移住第1陣が、松島湾・寒風沢港から西洋式帆船「鳳凰丸」で旧モロラン(室蘭市崎守町)にたどり着いたのは明治3年(1870)7月1日(旧暦/6月29日到着説も)のこと。旧主片倉邦憲の代理で嫡男・豊四郎景範と合流した一行は、陣屋、幌萌、本輪西、港北町から八丁平を経て、登別市鷲別町に出て、幌別へ向かったといわれる。
 具体的に、家臣団一行はモロラン上陸後、どのようなルートをたどって幌別に到着したのか? 調べているうちに掘り当てたのは室蘭市天神町在住の井口利夫氏が平成24年(2012)8月に刊行した「イザベラ・バードの通った道-明治11年の室蘭を辿る-」。平取を訪れた英国女性のバードが、函館へ向かう途中の幌別-旧モロラン間の帰り道を、江戸時代の古地図道と重ね合わせ逆にたどると、片倉家家臣団跋渉ルートの可能性大との結論に達しました。
 ならば健康ウオークを兼ねて、彼らが歩いた道を実際にたどってみようと本年(2017年)5月末から数回にわたってモロラン道を踏査、要所を写真に収めました。歩いてみて甦る150年前の人々の息づかいをお伝えできれば幸いです。其の1へ

 
バードがたどった復路

 上図は井口利夫氏の「イザベラ・バードの通った道-明治11年の室蘭を辿る-」より(註・破線は道路の消滅区間)