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其の1 登別だけに生育する3種の植物とは

 館外不出の「登別町史」をインターネット上で読めないものか。そんなコチラの思惑と図書館側の懸案が結びついて、電子データ化作業に手を染めることになった。昭和42年発行のこの史書は、巻末の編集後記を含め1333ページもあり、測ってみると厚さ6.5センチと床枕にも十分使えるボリュームだ。当初、仲間を募り手分けして、と考えていたが、試しに作業に着手すると、面白くて、為になって、という訳で一人で挑戦することにした。
画像  作業手順はこうだ。見開きのページをプリンタのスキャナーで読みとり、パソコンにjpg画像として取り込む。それをインターネット上の無料変換サイトにアップロードし、テキスト・データに変換してもらい、ダウンロードする。実際には途中から文章が2段組になったり、写真やグラフ、表物が途中に掲載されているので、画像処理ソフトで文章部分を分割して再画像化しなければならない。また、ロボット対策で、6桁の変形数字を入力しなければ変換してくれない、無償利用の場合、画像の処理は10回まで、など制限はある。「もう10回超えました」のメッセージが出たら、一度、サイトを離れ、再びアクセスするなど、結構しんどいが、千里の道も一歩からだ。
 昔に比べ、変換精度はかなり高いが、やはり戻ってきたテキスト・データの中に、変換ミス=文字化けはある。例えば、ピリオドの「。」が「0」に変わるなど、数えあげればきりがないが。ここは根気強く原文と照らし合わせながら、修正、また修正の道を行くのみ。
 作業を開始したのは2017年3月29日。4月21日現在、テキスト・データ化を終えたのは150ページだから、まだ1合目を過ぎたあたり。6月中に頂上制覇! の目論見は、甘いか?
 昔の新聞綴りを開いて、目的の記事を探しているうちに、別の掲載記事に目を奪われたりして、舟はいっこうに進まないことが多々あるが、町史とて同じ。早速、36ページ目の「植物」の項で、横道逸れの助になってしまった。 「わが国に登別町だけに生育するもの三種、本州と共通種約456種~」
「えっ! 3種類も」とちょっと驚いたが、それが何という名前なのか、書かれていない。いっぱい列挙された植物の名前をなぞっていったが、そのうちのひとつは単子葉植物でイネ科の「わしべつみやまこうぼう」ではないか。しかし、あくまでも、これは推測の域。探偵心をくすぐられる。(2017年4月24日)

其の2 マチの分裂騒動、二度あることは三度ある

 幌別郡3カ村(鷲別村、幌別村、登別村)をひとつにまとめ、新たに「幌別村」と名付け、2級町村制の施行をみたのは大正8年(1919)4月1日のこと。片倉主従が入植して半世紀にして、開拓の地はひとつにまとまったが、その後の分裂騒ぎの歴史もまたトピックスとして町史に記されている。
 昭和2年2月22日、大字登別村に住む住民が大字幌別村にあった役場を「こっちに移せ」と村民大会を開いて決議、移転運動のノロシを上げた。理由の第1は産業の中心が登別村に移っていること、第2は温泉の入り口であり重要な地であること、第3は人口分布や納税比率からも登別村の割合が非常に高いことを挙げている。確かに、宮家や有名な政財界人が登別温泉に来るたびに、村長が送迎に当たった回数は年間53回、役場吏員は実に177回出掛けている。納税額も幌別・鷲別合わせ10,645円に対し登別は19,275円余と大差があった。
 304人の署名が添えられ、3月の村会に提出された移転要望の行方はというと、紆余曲折を経て棚上げされ、結局実現しなかった。
 しかし、登別村の願いはくすぶり続け昭和14年(1939)分村問題が再燃。カルルス、登別温泉、上登別、中登別、登別の5部落を幌別村から分村し、「登別温泉町」として一大観光村を創設しようというもの。議会は紛糾したが、これも結局審議未了の形で幕引きとなった。
 二度あることは三度ある。昭和21年12月9日、登別温泉出身議員から幌別村分割の意見書が提出された。内容は以前のものと大同小異。議場は賛成派、反対派に分かれ騒然となったが、結果的に時期尚早ということで保留となり、いつしか日の目を見ずに終わった。
 人口減少時代に入ったこんにち、市役所移転や登別市分割論議の火種は見当たらない。むしろ隣接自治体の合併論議が再燃するのかもしれないが、地域エゴのぶつかり合いは、いつの時代も起きるものだ。(2017年6月15日)