創作 鉱山線を止めた男 高森 繁
プロローグ
「戸長! あんたら何バカなことやってるんだ」
大正六年二月中旬、幌別村戸長役場に山仕事姿の中年男が憤怒の形相で怒鳴り込んできた。雪焼けした浅黒く、いかつい顔のへの字眉毛が一層尖(とが)っている。
それまで役所の奥にでんと据えられた机を前に、悠然と吏員の仕事ぶりを眺めていた戸長は、玄関戸を力任せに開け一目散に向かってきた男の勢いにたじろぎ、思わず腰を浮かした。
「ゲ、ゲンゾさん、な、なんだね、いきなり」
(失礼じゃないか)と、言いかけた口を封じて男は、
「なんだじゃねぇ。煙害と学校の改築ばなしを一緒くたにして。煙の問題には目つぶるから、小学校の改築資金出してくれって、鉱山に頼みこんだのか」
「待ってくれ、ゲンゾさん、そうじゃねえ、そうじゃねえが」
昼下がりの役場内で突如起きた、ゲンゾなる男と戸長のいさかいに、たまたま居合わせた村人や仕事をしていた吏員たちは呆然として、成り行きを見守った。
見た目四十歳ほどのゲンゾと呼ばれた男は、この幌別村で造材と砂利採取業を営む岩田源三だ。丸刈りの坊主頭をのせた体は、中肉中背の背丈百七十センチほど。山仕事で鍛えた体はキリリと締まり、怒らせるとカッと見開いた眼(まなこ)は獲物を狙うタカのごとく鋭く、身のすくむ思いをした男たちも少なくない。しかし根はやさしく、まわりの面倒見もいいことから「ゲンゾさん」の愛称で、人々から慕われている。
両手で机の両端をがっちりつかんだ源三が睨む相手は、人口六千人足らずの村の行政をつかさどる戸長の松崎三郎。有能なる為政者というより、地域の経済人の顔色を始終窺いながら一介の役場吏員からトップの座に昇ってきた。
源三が口にした鉱山とは、戸長役場のある村の中心地から十キロ余り北西の山奥に入った幌別鉱山を指す。操業を開始したのは明治三十九年二月。三井系財閥の重役が鉱山主となり、個人事業として金、銀、銅や硫黄などを目当てに採掘を始めた。そして開鉱から約十年、源三が役場に怒鳴り込んだこの年の鉱山地区の世帯数は四百五十戸、従業員家族を含めた住民の数は千数百人を数え、幌別村全人口の二、三割を占めるまでに発展した。
そのありがたい鉱山に対して、ゲンゾさんは何ケチつけてんだべか、と周りの人々は耳をそばだてた。
「そりゃ、役場にとって鉱山は大事な金づるだ。しかしな、戸長! 煙問題と寄付願いを一緒に持ち出すとは、何事だ」
「いや、ゲンゾさん、落ち着いてくれ。奥で話すべ、な、な」
一点に集まる周囲の視線から逃れようと戸長は、奥の応接室に突発劇の舞台を移そうとしたが、
「いいや、ここでも話はつく。鉱山は学校改築の寄付は決めたという。煙害は目をつぶるからと言ったのか。さあ、わけを聞かせてもらおう」
と、源三は地下足袋を包んだつまご草履から根をはやしたように、ガンとして動かなかった。