創作 ジプシー博物館   高森 繁

 《いかなるコレクションも、衆目にさらされてこそ初めて 時代の証言者となる》
 レインボー商店街の中ほどにある元花屋さんの前で、 僕は商店会事務局長の中野政夫さんと、 家主が来るのを待っていた。閉じられたシャッターに描かれた バラの花束や店の名前も、半年間の風雨にいたぶられて、 すっかり色あせ、しおれている。
「 なにか『水ちょうだい』って哀願しているみたいですね」
 中野さんに、そんな軽口をたたいていると
 「やあ、すみません、すっかり待たしちゃって」と ツイードのジャケットを着こなした初老の男性が恐縮顔で 姿を現した。六十代前半か、ロマンスグレーの髪を軽く ウエーブさせ、鼻の下に蓄えた白い髭をアクセントに、 ちょっと資産家っぽい雰囲気を醸し出しているけれど、 言葉自体に気取りはない。
 「すぐに中、見せるね」
 さびれた金属がこすれ合う不快な音を響かせて、  シャッターが上げられると、家主は「これかな? 違う、  こっちか」と束にした鍵を取っ換え、ひっ替えして、  やっとガラス扉をあけてくれた。
 店主を失った間口二間半のさほど広くはない店舗の  蛍光灯をつけてから、「申し遅れました。私、  香山といいます」と僕に名刺を差し出した。  中野さんとは顔見知りらしい。
 (著述業 香山淳之介)
「親の財産をそのまま引き継いだもので、特段、 真面目に不動産業をやろうというわけではありません。 ところで、ええっと、お名前は?」
 「すみません。僕、宇田善行(よしゆき)といいます。  この通りの一番奥で、おやじの経営する小さな喫茶店  で働いています」
 「喫茶店というと…梁山泊?   あーあー、あすこの息子さん。へぇー、  お初にお目にかかります」
 「じつは、ご存じかもしれませんが『それ、  お宝かもプロジェクト』のB級ミュージアムを探していて」
 「えっ、あの…闇鍋博物館?」
 香山さんの顔に、小さな驚きと好奇心がにじんだ。

(1)

 コトの発端は、夏真っ盛りの三カ月ほど前にさかのぼる。 梁山泊のカウンター席に陣取ったタウン誌「ポケットすばる」 の星出さんが、にじみ出る首や額の汗をおしぼりで拭いながら、 ちょっとボヤキ気味に話しはじめた。
 「映画の評論や資料収集にかけては、この地方じゃ右に出る 者がいない下谷清治郎さん。亡くなって半年になるけど、 残された資料が大量過ぎて、引き取り手は誰もいないみたい。 遺族にとっては邪魔なようで、捨てちゃうっていう話らしい。 もったいないよな」
 元俳優志望、映画学校出の僕に、食指を伸ばせよ、といった そぶりで星出さんは話を続けた。
「すごいぜ、戦後すぐに有名なロジリオ映画祭で監督賞を とった『野獣にて候』の井上監督の台本や、今や入手は 絶望的といわれる坂上久美子の『琥珀色の青春』のポスターとか、 もう、マニア垂涎のお宝がわんさか。どうにかしたいよねー」
 カウンター越しにちょっと身を乗り出して、星出さんは誘惑する。
 「どうにかしたい、って、どういう意味ですかね」
 後ろ手を組み、はすに構えてとぼける僕に
 「だからさー、よっちゃん、とりあえず、一時保護してくれない。 海の藻屑と消えそうな哀れなペーパー・ピープルを。 ほら、君の名前、音読みでゼンコウじゃないか。 それに映画とまだ完全に縁が切れたわけじゃないし…。 ひと肌ぬいでよ」

 それから一週間後の土曜の夕方、処分寸前のところで、 僕はマチの高台にある下谷邸に、八百屋の元ちゃんが運転する 軽トラックで乗り付けた。
 「私らにとっちゃ、豚に真珠って言うの? 猫にも衣装 だったかな。まあ、好きに持ってって」
 土木会社を経営しているという長男は、六畳間に置かれた 十個ほどの段ボール箱を一瞥して、早々に部屋を出ていった。
 「まずは、全部持っていっちゃえ」と、勇んで元ちゃんと二人で 段ボール箱を軽トラに運んだが、すし詰め状態のペーパー・ ピープルの重たいこと。二人で持ち抱えるのがやっとの重量で、 梁山泊二階の僕の部屋に運び終えたのは、ピンチヒッターの おやじが店じまいを始めた午後九時すぎだった。
 「古本屋に必要なのは生半可な知識より、まずは重い本を 運ぶ腕力、体力だ、ってえのが、よおーく分かったぜ」 と元ちゃんは腰をもみながら、冷えた缶ビールをごくごく 流し込み「うめ~っ!」と目尻を下げた。

 とりあえずシネマのお宝は確保したが、さて、この後  どうすべきか。数日考えていたところへ、品のいい初老の婦人が 大学生の孫と一緒に梁山泊にやってきた。
 「あのう、お願いが…。実は四年前に亡くなった主人が集めた マッチのラベルが大量にありまして。下谷さんのお宅で映画の 資料のお話をお聞きしたものですから、できますればウチの ラベルも引き取っていただき、何かのお役に立つなら、夫もさぞ 喜んでくれるものと思いまして」
 訊けば、若いころから日本各地を営業で歩きまわった大手電機 メーカー勤めのご主人が、転勤先で集めた喫茶店や飲食店、 キャバレーなどのマッチ箱のラベルとか。箱からは大方、 はがし終えているという。
 「会社の役員もしていたので退職したのは六十四歳。これから 集めたラベルをきちんとシートに整理して、という矢先に 病気になりまして。自宅を改造してギャラリーを開くのが夢 でしたの」
 一週間後、今度は下谷邸近くのおばあちゃん宅を往復する羽目 になり、二階にある僕の八畳間は、ベッドを除いて完全に段ボール 箱に占拠された。
 「ありゃっ? 今、ミシッっていわなかった。ここ、 やばくねえ」
 築四十年、安普請の木造店舗兼住宅二階の床が軋み出し、 元ちゃんは運搬にかり出されたおばあちゃんの孫を促し、 抜き足差し足で早々に退散した。
 「なぬっ、箱入り木材、先端火薬付き、当てこすり発火装置の ラベルとな」
 梁山泊の店内に、岩井亮太の素っ頓狂な声が響き、テーブル席で 若い娘といちゃついていた茶髪の若者が、それまでのヘラヘラ顔から 一転。こちらを睨んで舌打ちした後、元の安っぽい顔を彼女に 戻した。
 「なに、それ、発火装置って」
 「読んで字のごとし。もっとも、中には箱入りじゃなくて 縄のれん引きちぎり式もあるけどな」
 八百屋の元ちゃんこと浅川元一と亮太、そして僕の三人は 三十歳目前の地元滝上高校のクラスメート。家や店がこの商店街に あることも関係なくはないが、何となく気が合い、高二の中頃から 自然と群れるようになった。元ちゃんは一年前、沖縄美人と結婚 したが、亮太と僕はいまだ乙女ちゃん現れずの独身だ。
 亮太は教育大に進み中学校の教員資格を取ったが、この地方の 公立中学にアキはなく、隣町の学校で臨時教師をしている。 家は元ちゃんの店から五軒離れた薬局だ。
 あだ名はザツガク。虚実ないまぜだが、誰かが何か疑問を 口にすると、即座に答えを出す。最初はハクシキにしようと 思ったが、元ちゃんの「あやしい答えも多いから、 敬意を込めるにしてもせいぜいザツガクだな」のひとことで ニックネームは決まった。
 その雑学知識も、ときにはマイナスに作用することがある。 教員資格はとったがセンセイ志望者の就職氷河期で、卒業すると やつは民間企業に針路を変更。どちらかというと学業成績よりも、 一芸に秀でた個性的な人材を採用することで知られる東京ビールを 受けたときのことだ。どこで仕入れたか、かなり昔にはやった 「男はだまって東京ビール!」のコマーシャルで勝負しようと、 面接試験でしばらく無言を通した。担当者が 「どうして黙ってるんですか」と問いただした。 ここだ、と例の殺し文句を言おうとした瞬間、年輩の面接担当者が 「キミもあれかい、男はだまって組かい?」と突いてきた。 うろたえて答えに窮したザツガクは、つい苦し紛れに 「とっ、とっ、とりあえず東京ビール」と、すっかり身に 染みついた居酒屋での注文フレーズを口にしてしまい、 即その場で不採用が決まった。
 「俺の何人か前に、だまって東京ビールをやったヤツがいた のが不運だった。もっとも、そいつも落選組だったらしい。 年寄りの面接官が『若いのに、よく、うちの昔のコマーシャル 知っているね。気に入った』と、その場で採用が決まると 踏んでいたんだが」と言いながらも、さほど気落ちは していなかった。
 「箱入り木材…」の長い別名は亮太が高校時代、 父親に喫煙が見つかり、こってり絞られたときに教えて もらったという。
 「それにしても、今や禁煙ブームでマッチ箱を出す喫茶店を 見つける方が難しいよな。ここだって五年くらい前から全面禁煙に して出さなくなったしな。それでシネマやマッチ箱の遺物、 どうすんの?」
 ザツガクが食いついてきた。売り上げの減少と後継者難、店舗の 老朽化などで、あと何年かすればシャッター通りの烙印を 押されかねないレインボー商店街。僕一人の力じゃ、どうしようも ないから、出来るだけ仲間を引っ張り込んで、このお宝を商店街 の活性化に役立てられないかと、おぼろげに構想を練っていた。

そんな軽い思いつきが、そこそこのプロジェクトになり、 僕ら三人組にとどまらず、いろんな人種を巻き込んで進行 するとは、思ってもいなかった。

(2)

 「ちょっと待て! そのお荷物はお宝かも」
 お盆が過ぎた八月の下旬、僕ら三人組と星出さん、それと 乗りかかった船に「つい乗ってしまった」と笑う中野さんの五人は 雑居ビルの二階にある商店会の事務所に集まった。 仮称「B級お宝出ておいで」作戦のポスター作りのためだ。
 壁に画錨でとめた手書きポスターは、僕が店で描いてきたものだが、 最初の一行を見て、元ちゃんが「なんか、出だしの部分は、自殺の名所の 立て看板みたいだな」とひとくさり。ザツガクも「それに字余りだし、 キレも悪い、字もきたない」と文句たらたらだ。そしてこともなげに、 苦心してひねり出した僕の宣伝文句を却下した。
 「最初のところは、もう少し軟らかく『ちょいとお待ちを』 ってえのはどうだ」
 「なら、次にくるのは、くるま屋さんだな」
 「なんだ、それ」
 二人の掛け合いに星出さんが割って入った。
 「あのさ、もっと単純に『それ、お宝かも』にしたらどうだい」
 それぞれが虚空を見つめて思案のポーズをとる。一瞬の間をおいて
 「さすが~編集長。簡潔明瞭で、ストンとくる、異議なしだ。 プロジェクト名もそれにしよう」
 ザツガクのひと声でキャッチコピーは決まった。

 星出さんが吹聴して回っているのか、クチコミで広がったのか、 マッチ箱のラベルに続いて、梁山泊には古いレコードや戦前に出版された本、 昭和二、三十年代のおもちゃなどが磁石に吸い寄せられるように 集まってきた。
 どうせなら、レインボー通りの空き店舗をできる限り安く、 可能ならタダで借りて、全国で唯一の商店街博物館を開こう―と 僕らはプロジェクトを立ち上げた。
 ポスター作りはその第一歩だ。
 「この際、市内から集められるだけ、かき集めよう。それには、 まずポスターとチラシ、インターネットだな。地元紙にも仕掛けて、 そのあと、ウチのタウン誌で書くか。先に書いたら、プライドだけは 一人前の田舎のブンヤたちは無視するからな。もっとも、 海のものとも、山のものともつかない段階じゃ取り上げてくれないか」
 人口五万人弱のこれといった産業のないマチに、どれだけのお宝が 眠っているのか想像がつかないが、プロジェクトリーダーにまつり あげられた星出さんは、満更でもなさそうに展示品収集の進撃ラッパを 鳴らした。
 「名前も堂々と、臆することなく、それでいてA級に敬意を表して B級ミュージアムでいこう」

 ―たいせつなのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、 どれだけ心をこめたかです―
 なじみのブックカフェで買った文庫本の栞には、マザーテレサのお言葉と 顔写真が印刷されていた。清き戒めだが、僕は「大切なのは、 どれだけたくさんのガラクタを集めたかではなく、どれだけ、 みんなが喜び面白がるお宝を集めたかです」だろうか、と カルカッタの亡き聖女の名言をこねくり回した。
 淡黄色の葉が西日を照り返して「街路樹です」とさりげなくシナをつくる ガラス越しの銀杏と、単行本を手にコーヒーカップを唇にそえた女性客の シルエットが、一瞬のあやを生み出し、ぼくの空想ギャラリーの額縁に ピッタリとおさまった。
 革のハーフコートの下には、タートルネックのセーター、デニムのパンツ、 簡素に束ねたポニーテールが愛らしい。土曜日の夕方、誰かと待ち合わせして いるような、そうでもないような。小一時間、持参した単行本を読み終えると 「ごちそうさまでした」と軽く会釈をしてコーヒー代を払い、立ち去った。

 その見目麗しい女性客が再び店にやってきたのは半月後のことだった。 今度は、マッチ箱ラベルのおばあちゃんの孫、井坂翔太と一緒だった。
 翔太もあのラベル運送後、ちょくちょく店に顔をだすようになっていた。
 「あっ、紹介します。僕の大学の先輩で、このあいだまで隣のM市 郷土史博物館で学芸員をしていた手塚百合子さんです」
 「手塚です。先日はあいさつもしないで、申し訳ありません」
 「いえいえ、こちらこそ、むさい喫茶店で…」と僕は挨拶にならない 言葉をかえした。
 「実は、井坂クンから、駅前商店街のB級博物館構想を聞きまして。 面白そうなので、しばらくの間ですけど参加させてもらえないかな、と 思いまして」
 この前、二人で店に来るつもりだったが、翔太に急な用ができたとか。 しかし連絡は取れずじまいで、待ちぼうけを食った百合子さんは用件を 言い出せないまま、帰ったという。
 「でも、僕らのプロジェクトはB級だし。学芸員さんにお手伝いいただく までの話ではないような。ちょっとレベルが違いすぎませんか」
 「いいえ、どんなものも、時代を経れば、歴史資料としての価値は 生まれるものです。A級もC級も見る人によって価値は変わってきますし」
真顔を向けられると、たじろいで、つい目線をそらしそうになるほど、百合子さんの瞳はまぶしい。  「じゃあ、今週の土曜日、夜六時から商店会事務所で集まりがあるので その時。翔太も仲間に入るよな」
 「その言葉、待ってたんですよ」
 親指を立てた右手をカウンター越しに軽く差し出し、翔太は目を細めた。

 いかに多くの人々を巻き込み、手をつなぐかが決め手だー
 十年ほど前「風のひと」から「土のひと」になり、このN市を拠点にタウン誌「ポケットすばる」の発行を始めた星出さんは、二回目の会合でプロジェクトを進める上での極意を挙げた。
 星出さんは「風のひと」時代、群馬県の中核都市で仕事をしていて中心市街地の活性化に取り組んだという。
 「もちろん、商店主や住民らが立ち上げた自主組織の一員としてだけど、あのときは地元の小学生から年寄りまで集めて、いろんなイベントや仕掛けをしたよ。活気あふれる故郷を取り戻そうを合い言葉にね」
 風になって全国数カ所を渡り歩き、奥さんの実家があるこのN市で「土のひと」に戻ったという。ただ、親から引き継いだ食堂を切り盛りする奥さんの、孤軍奮闘の稼ぎがなければ、とっくに「ポケットすばる」は廃刊の憂き目に遭っているはずだ。「その意味じゃ、まだフータロウは継続中だよな。あれ? 星出さん、下の名前は太郎だったよな。こりゃピッタリだわ」とザツガクは変に納得した。
 生計の根を完全に張っていないという意味では、僕もまだ体半分、風の人か。親に頼って独り立ちしていない自分と、田舎のドン・キホーテ編集長の猫背姿を重ね合わせ、「生計」の二文字を心に押し込めた。
 たくさん巻き込む精神論はよしとして、いざプロジェクト実行となると、やることは結構多い。一番の問題はお金、つぎにお宝の収集と整理、そして博物館というウツワ。それだけではない。単に珍品を並べて、さあ、見に来てくださいといっても、一度見ておしまいでは尻つぼみになる。いわゆるリピーターを生み出さなければ、商店街活性化にはつながらない。商店会の加盟店自体、どこまで主体者になってくれるか、不安がないわけでもない。
 「まずはレインボー商店会の同意、協力の取り付けが先決だ。そっぽ向かれたんじゃカネも出ないし」
 「あのー、プロジェクトに協力してくれた人に商店会の商品割引券進呈というのは、どうでしょう。それとM市の専門学校の学生さんたちに協力を呼びかけるのも一案では」
 「どうせなら、ミュージアムだけでなく、よくほかの地域でもやってるB級ナントカ選手権とかやりたいな」
 「B級のマチで売り出すか。B級映画祭、B級おもちゃレース、B級…歌謡選手権。なんでもアリだな」
 「店もよー、きょうだけB級レストランとか、月末の土、日だけB級八百屋さんとか、徹底的にB級にこだわったらどうだ」
 議論百出とはこのことか。もっとも、十一月半ばに開かれた商店会の臨時総会では「それ、お宝かも」プロジェクトの是非をめぐって険悪な論争が巻きおこった。

(3)

 「えー、梁山泊の息子さんやタウン誌の星出さんが中心になり、レインボー通り活性化のために発案していただいた日本唯一の商店街ミュージアム構想、ご賛同いただけるものと…」
 「それ、お宝かも」プロジェクト計画をひと通り説明し終えかけた中野さんの言葉をさえぎり「ちょっと待った」と手を挙げたのは呉服屋を営む五十代の店主だ。商売柄か、きんきらの和服姿で現れたが、どこか品格は乏しい感じだ。
 「うちの商売は京都や加賀友禅の呉服の店ですよ。高級、A級クラスのあきないをしているのにB級のレッテルを張られたんじゃ、それでなくても減っている客足がますます遠のく。わしゃ、反対だな」
 その言葉をきっかけに
 「だいたい年間二百万円ほどしかない商店会予算の中から、一割の二十万円もこんなわけのわからん事業に持ち出したら、大売り出しなんかのイベントも満足にできない。ウチも反対だ」
 「そんなので消費者をこの商店街に集められるの? ほかの事業考えたら」
 「市から助成金をもらって、もっと有名なコンサルタントに頼んで、A級の企画でもやったほうがいいんじゃないか」
 といった反対意見が出て、会場には暗雲が漂い始めた。こちら側の提案者席に座る元ちゃんも、普段の威勢は萎え、長老たちの威厳を怖れてか黙りこくったままだ。
 六十軒ほどある店舗のうち、一割近くはシャッターを下ろしたままの休業状態だったり借り手なしの空き店舗状態。残りのうち、三分の一の店は後継者難からか、自分の代で商売を終わりにしたいみたいだ、と事前に内情を説明してくれた中野さんの言葉通り、もとより前向きな姿勢を期待するのは無理だったのか。下げて、また下げて、とうとう一カ月二千円にまでなった会費すら滞納する店があるくらいだから、無理からぬ話でもある。プランを聞いて最初は「そりゃ面白い。ぜひ」と乗り気だった商店会長も、腕組みをして口を閉ざしたまま渋面をつくっている。
 数分間の沈黙が続いた後、重苦しい空気を切り裂くように、やや甲高い声が会場に響いた。
 「そんな好き勝手なことばかり言ってるから、この通りはジリ貧になるんだよ。あんたら、『商店街が滅ぶ理由』読んだか! 景気が悪いとか、大型店にくわれているとか、郊外スーパーのせいだとか、言い訳ばかりして自分から動こうとしない。あの本の中にはな『商店街が崩壊したのは、恥知らずの圧力団体になったことだ』って書かれているんだ。どうして国頼み、役所頼みから抜け出せねえんだ。目を覚ませよ」
 一気にまくしたてのは、鮮魚店「魚辰」の大将だ。大将といっても、まだ三十代半ば。元ちゃんの話では、有名大学の文学部出で、卒業後は東京の出版社に勤めていたが、父親が病気になり、やむなく会社勤めをあきらめて魚屋を継いだという。学歴から推し量ると繊細な神経の青っちょろい文学青年を連想しがちだが、がっしりした体とちょっと渋めの声色がマチのおばちゃんたちに大人気だとか。
 おまけに、芸達者というか、いつも店の前を人が通ると「さあ、北海道産のシャケは今が食べ頃、旬だべさ、って跳ねてるべさ」「おいどんは薩摩のカンパチでごわす。バター焼きにしても、うまいでごわす」「舞鶴であがった甘ダイは、ほんまにおいしいどすえ」と、産地の方言を交えて呼び込むから、口元を緩めた客がつい引き込まれて、何か、かにか買っていくみたいだ。「さすがに沖縄言葉は難しくて、修行中だって。それにしても、客つかんでるよな」とザツガクも感心していた。

 元ちゃんも舌を巻くほどの啖呵に力を得てか、「そうですよ、あれだけ大型店が出てきた時代に出店反対、阻止を叫んでおいて、老朽化で撤退するとなると行かないでと引き留める。情けないというか、あきんどの根性はどこに行ったんだい」
 しわがれ気味の声をあげたのは、ご主人に先立たれ、細腕ひとつで乾物屋を営んでいる駿河屋のおばあちゃんだ。商店街の歴史を知る生き字引とウワサされている。反対の口火を切った呉服屋のおやじは、腕組みしながら仏頂面を天井に向けている。ほかの反対グループも、乾物屋のばあさんに言われたんじゃしょうがない、というように押し黙ってしまった。
 賛成の声に押し戻されてか、商店会長も「まあ、いろいろご意見もあろうかと存じますが、まずは若い人たちの行動力に期待して、前に進めましょう。予算の方は、こうした取り組みに合った支援事業がないか探すのも一計かと思います」と、幕引きをはかった。
 結局、険悪ムードを引きずりそうな採決方法はとらず、「ご異議ございませんね」の商店会長の問い掛けに「異議なーし」の唱和で可決とした。もっとも、臨時総会に顔を出したのは加盟店の半分の三十軒ほど。そのうち賛同の声をあげたのは四割程度だから、順風満帆は望むべくもなく、プロジェクトは消極的賛成の微風を背に受けての船出となった。

 関東地方に木枯らし一号が吹いた十一月初め、香山さんが所有する元花屋さんを下見していると「うーん、まずまずの広さだな」と元ちゃんが入ってきた。星出さん、百合子さんも示し合わせたようにやってきた。
 レインボー通り商店街に一割もの空き店舗があるのに、物色してみると、予算も含めてミュージアムに適当な物件は少なかった。一緒に回ってくれた中野さんに「ちょっと哀れなジプシー気分ですね」とぼやきながら歩き回り、ようやく、元花屋さんを見つけた。
 半年間、人の出入りがないと、湿気で壁の一部ははげ落ち、蛍光灯の何本かはチラチラ点滅している。
 がらんとした空間は、これから念願のミュージアムに生まれ変わる。だが、まだまだ人を引き付ける魅力がほしい。「だよなー、展示だけじゃ一度見に来ておしまいじゃないか」。元ちゃんや星出さんに話しかけていると、手塚さんが「ブレイン・ストーミングをやりませんか」と聞き慣れない言葉を口にした。
 「何それ、飛行機とキャンプファイアをつなげたような横文字」
 元ちゃんはエアプレーンと学校祭のファイアストームを頭の中で結びつけたようだ。
 直訳すると「脳の嵐」。何人かグループに分かれ、一つのテーマについて思いついたアイデアをどんどん出して紙に書き、全員答えに困ったら終了という課題解決法とか。大事なのは「他人のアイデアを批判しない」「質より量重視」「自由闊達な発言大歓迎」とか。でも百合子さんは「誰かのアイデアに、ちょっと付け加えさせてもらえればーと、発想を結合発展させていくことが大事なんですよ」とほんわか口調でアドバイスしてくれた。
 ザツガクがすかさず「早速、付け加えさせてもらえるなら」と持ち出したのは、人材かき集め作戦。
 「俺達だけじゃ、アイデアも限られてくるんじゃないか? どうせなら、マチの知恵者を集めよう」ということで、商店街の目ぼしい人や、興味のある一般市民にも参加してもらうことにした。当然ながら魚辰の大将や、今年七十五歳ながら臨時総会でハッパをかけた駿河屋のおばあちゃんにも白羽の矢がたった。

(4)

 十二月に入って最初の日曜日の午後、レインボー商店会の事務所兼会議室には呼びかけに応えて僕らプロジェクトメンバーも含め二十人ほどが集まった。内心驚かされたのは、臨時総会で計画反対派だった呉服屋のオヤジさんが顔を出したことだ。まさか、ここにまできて反対の声をぶちあげるわけでは…と半信半疑だったが、「いやぁー、あの後、駿河屋のばあさんにこんこんと説教されちまって。まあ、これを機にお仲間に入れてください」と整髪料ギトギトの頭をかいた。
 「脳の嵐」会議の仕切り役を務めたのは、聡明な百合子さん。僕と中野さんは出されたアイデアを文庫本サイズの紙片に書き込んでボードに張り付ける裏方に徹した。
 「もっと参加者が多かったら四っつぐらいのテーマ別にグループ分けしたいのですが、このぐらいの人数ですからグループは二つにして、それぞれハード、ソフト面でB級ミュージアムをどうしていくのか、アイデアを出し合ってください。どこに、どんな課題や解決すべき問題があるのかも含めての集団思考です」
 さすが、そう簡単にはなれない学芸員だ。スタート時点の助言も理路整然としている。

 ミュージアムの開館日は金曜日から日曜日までの週三日間、開館時間は午前十時から午後五時までとした。
 「で、だれが店番やるの」
 それが難題だ。一、二カ月程度なら輪番でスタッフを務められるが、一年を通してとなると「そんなヒマ人、どこにいる」となる。

 「こんなのどう? ほんの少しスペースを工夫して、若い人対象のチャレンジショップを併設したら。たな賃はロハの代わりに館員もやってもらうの」
 妙案をひねり出したのは魚辰の大将だった。
 なるほど、東京の新進気鋭の経済学者が最近出版した「商店街が滅ぶ理由」のなかでも、今後商店街が活気を取り戻す秘策のひとつに、地域に貢献できる若い事業者を引きずりこむことが大事だと書かれていた。
 それにしても、魚辰さんの一喝が効いたのか、この通りの店主たちは、首っ引きであの本を読んだみたいだ。臨時総会には出なかったブックカフェの店長が「どういうわけか、この二、三週間の間に『商店街が滅ぶ理由』の取り寄せ注文が二十件もあってね。こんなの初めて。なんかあったの?」と、いぶかっていたのを思い出した。
 
 一方のソフト・グループではシネマのお宝活用策をあれこれ出し合ったが、いまひとつパンチに欠けるものばかり。と、くたびれムードが流れはじめたところに
 「映画会をやるには、ちょっと狭いですね。どうでしょう、スクリーンのないミニ映画館というのは」と持ち出したのは、レインボー商店街では異色の文化人で古本屋「甲骨堂」の城山武夫さんだ。
 「十年ほど前に亡くなったパントマイム芸人のマルセ太郎という人が、映画の名場面をまったくの語りで再現し話題になりました。ここにもせっかく映画に関する資料があるのですから、定期的にやったらどうですか」
 知っている。「スクリーンのない映画館」はあのあごの長い有名な作詞家が感銘して、テレビでも紹介したのを見たことがある。
 それを思い出していると、ザツガクが工事現場の監督目線でぼくを見ながら、あごをしゃくった。「映画ならおめえだろう」と。
 
 「ラベルには上のへりにだけ、ボンドを薄塗りして張ってください。下も糊付けしたら台紙をうまく丸められません。よろしくお願いします」
 隣のM市にあるグラフィック専門学校の講堂で、学生達の手を借りたマッチ箱ラベルの台紙への張り付け作業が始まった。これもブレイン・ストーミングで「いかに短期間で、お金をかけず、お宝を整理して展示スタイルまでもっていくか」を集団思考した末のアイデアで、目をつけたのは学生パワー。今の時代なら学生力と言い換えるべきか。
 百合子さんが顔なじみの講師に話を持ちかけると「デザインの勉強にもなるので協力しましょう」と、出席単位付与と弁当付きをエサに冬休み中の学生達を呼び集めてくれた。ミュージアムがオープンしたら、「ラベルデザイン講座」も無償で開いてくれることになった。
 
 台紙はというとカレンダーの裏面。「あまりにも貧弱じゃねえか」という声もあったが、「節約とB級相応に」の解釈で、ちょうど商店会事務所の奥の段ボール箱に放り込まれ、ほこりをかぶっていた数年間分のカレンダーを蘇生させることにした。
 一枚のカレンダーに張る数はおよそ二十枚。ラベルは全部で約三千枚だから、台紙の数は百五十枚にもなる。三人一組のぺったんこチームは、商店街組を入れて六組出来上がったが、予定の二日間で作業が終わる保証はどこにもなかった。
 おまけに授業の一環とはいえ「おーっ、このデザイン、奇抜だ」「これ、色づかいが派手だな」と、助っ人たちは作業の手を休めては奇声をあげ、呉服屋のおやじさんも「やあー、懐かしいね、キャバレーワンAのマッチ箱だ。若い頃、通ったよな。あれ、喫茶ロリアンのもあるぞ」と、すっかり青春時代にタイムスリップして感激する始末だ。
 「一年一作 小津安二郎監督 東京物語 23日封切 帝国館・松竹座」
 「グレゴリイ.ペック オードリイ.ヘップバーン主演 ローマの休日 待望!5月1日封切 ニュー東宝」
 「3時~7時 コーヒー¥50 ビール¥180 ノーチップ制 サロン太陽」
 なるほど、五十年ほど前とおぼしきマッチ箱のラベルは、一気に戦後復興期の繁華街や路地裏の世界へいざなってくれる。
 糊付け作戦を開始する前「いいかい、作業を始めたらラベルそのものに目が行って、手をとめる人が必ず出てくるから、その時は注意してハッパをかけてね」と、星出さんから監督官の心得を伝授された僕や中野さんは、「みなさーん、作品鑑賞は後回しでお願いしまーす」と何度も尻たたきの役に回る羽目になった。
 それでも、かつての持ち主が地域別、業種別に仕分けしておいてくれたおかげで、百合子さんも「何とか、博物館の展示スタイルになりそうですね」と満足顔だった。

(5)

 「そして、窓辺から離れたカルヴェロが、ベッドの上のテリーにあの有名なセリフをささやきます。『人生は怖れなければ、素晴らしいものなんだよ。人生に必要なもの。それは勇気と想像力と少しのお金だよ』と」
 城跡公園に向かう花見客で通りがにぎわい始めた四月初旬、レインボー・ミュージアムがやっとオープンした。こけら落としは僕が口演するスクリーンのないミニ映画館。「お前、やれ」の大合唱にむち打たれ、ついみこしに乗ってしまった。選んだ名作はチャップリンの「ライムライト」。とりあえずレンタルビデオ屋からDVDを借りてきたが、上演時間百三十七分の名画を十分程度に縮めて「上映」するのは難しい。
 「一人語りで客を引きつけておけるのは、プロの役者でもせいぜい三十分。素人とは言わないが、お前なら十分程度がいいところだろう。落語をみれば分かるだろう」
 ザツガクの講釈は胡散臭かったが、確かになまの舞台から遠ざかっていた僕にとっては、妥当な長さかもしれない。助っ人に頼んだ星出さんと二人で、落とせないシーンのセリフを抜き出して台本を作り、必死に練習した。
 いざ、本番。レインボー博物館のにわか仕立ての客席を埋めた、なじみの顔を見回す余裕はなかった。なにしろ、地元のFMデューが三十分の生放送枠をとってB級ミュージアム開館記念イベントの模様を電波にのせているからだ。本番一時間前になって、「デューが、スクないミニ映画館、生で流すそうです」と中野さんから告げられたときは、記憶の整理棚に置いてあった台本がバラバラにほどけて、頭の中はホワイト・スクリーン状態に反転した。
 (想定外に弱い。臨機応変てんでダメ。だから一人前の役者になれず、リタイアしてしまった。どうする、どうする)
 開演前、逡巡する僕の心を見透かしたのか、最初から予定していたのか、学生時代に演劇をかじった星出さんが「俺、プロンプターやるよ」と救いの手を差し伸べてくれた。真っ白だった心のスクリーンにカウントダウンの丸数字がセットされた。
 「舞台の袖のソファで息を引き取るカルヴェロ。それを知らずに華麗にステップを踏むヒロイン。物語はあの哀愁漂う『テリーのテーマ』が流れる中、フィナーレを迎えます」
 この日のために運び込まれた星出さんの年代物のスピーカーから、テリーのテーマ曲が流れる。観客は手にした昭和二十八年の「フオーレン・ピクチュアー・ニュース」のコピーを読み返したり、目を閉じて神妙に聴き入ったり。終幕近くになって、ぼくはやっとにわか客席の様子を観察する余裕が出ていた。
 
 配ったコピーは、下谷さんが残してくれた資料のひとつで、表紙にチャップリンのイラストとLimeLightの文字、中にスタッフやキャスト、物語と解説、バレリーナ役のクレア・ブルームなどが紹介されている。裏表紙の「武田の総合ビタミン剤 パンビタン」の一頁広告を合わせ全八頁。「コピー代がばかにならないぞ」の声もあったが、出だしが肝心だ。押し問答の末、モノクロ・コピーの全ページ印刷で手を打ち、五十部作った。商店会の年寄り組は、解説などの本文よりも下の広告に見入っては「皇帝円舞曲、ビング・クロスビー。へぇー、デッカ・レコードなんて今でもあるんだろうか。懐かしいね」と、互いに相づちを打っていた。
 ミュージアムには大正時代の古さが漂う「小田原提灯型穴沢山あちら押さえこちら押さえ式手風琴」や「薄板張り瓢箪型顎はさみ式こすり器」「金属製曲がり尺八」などの珍釈和名楽器も並んだ。コントラバスなどは「妖怪的四弦」と、どこからそんなイメージが浮かぶのか首をひねってしまう名前がついているが、戦時中、敵性語禁止でむりやり和名に置き換えて言わされていた老人たちがしきりに懐かしがっている姿に、造語の達人のザツガクは「回顧激情の極みだわ」と、しきりにデジカメに収めていた。
 
 オープンにこぎ着けるまで、一波乱も二波乱もあった。商店会すべての店が、仲がいいわけではない。「いるんですよねー、業態が違っても、ほかの店の足を引っ張る人が。やっかみでしょうかね」と中野さんは、どこの店とは言わなかったが、仲間内の不協和音を示唆した。
 「若造どもが、好き勝手に歴史ある商店街でお遊びしている、あんなもん、一カ月もたてば誰も来なくなる、って、豆腐屋のおやじが年寄り連中の店を回り煽っているってよ。とんでもねえやつだ、あのサバ缶野郎」。開館一週間前の会議で、うわさを口にした元ちゃんがいきり立って「許せねえ」を連発した。
 なるほど、元ちゃんの言う通り、あの豆腐屋、やけに顔が丸まったお盆のような缶詰のような…。商売柄、最近はやりの「丸豆腐」でもよかったが、ゲジゲジの眉毛やとりとめのない目鼻立ちから僕ら三人は、サバの缶詰を連想するあだ名をつけた。
 
 開館三日前には、呼びもしないのに消防署が事前査察とかでやってきて、「不特定多数の人々が出入りする施設ですから、非常口は確保されているか、誘導灯は取り付けられているか、チェックさせてもらいます」と、キツネ目の予防係長とやらが部下を連れて強引にミュージアムに入ってきた。いくら、店舗のようなもので、正式な博物館ではない、と言っても、聞く耳持たずで、一方的に改善項目とやらのチェックを付けた紙切れを置いていった。
 彼らが帰った後、話を聞いた商店会長が市長にねじ込んで消防がチェックマークを付けた「○○○で、あれば望ましい」改善注文を政治力で取り下げさせた。しかし、ディスプレーに使った布だけは「防炎処理したものでなければダメです」とキツネ目は頑として譲らず、やむなく布から和紙に替えざるを得なかった。呉服屋のおやじさんが「問屋からただで持ってこさせた。遠慮なく使って」と胸を張って運び込んでくれたあのカラフルな絹の布を、僕はすっかり気に入っていたのに。
 「聞いたか、あの予防係長とサバ缶、親戚らしいぞ。市民からの指摘もあって、ってキツネ野郎は言ってたけど、本当は豆腐屋がけしかけたんだってよ」
 元ちゃんのウワサの真相情報に、僕もつい「許せねえ」を口にして鼻息を荒くした。
 
 そうこう半年余りの道のりを思い返していると
 「よっちゃん、良かったよ」
 「次が楽しみだな、スクないミニシアター」
 の声で我に返った。
 激賛、激賞とはいかないまでも、僕の口演はまずまずの出来だったらしい。FMデューにも、放送中や放送後、「どこでやってるのか」「誰がしゃべっているのか」と何件かの問い合わせがあったという。

(6)

 レインボーミュージアムのささやかな開館祝賀会が商店会事務所で開かれた後、僕ら実行部隊はなじみの居酒屋に打ち上げ会場を移して祝杯を挙げた。
 ザツガクが付けた略称「スクないミニシアター」の初演作を酒の肴にしていると魚辰の大将がぼやくように口を開いた。
 「しかし、今の日本人には、何日か先でもいいから、未来を仮定した夢のある会話が出てこないよな。小説を読んでも、映画を観てもないような気がする」
 突然の問わず語りにみんな話をやめ、大将の言葉を反すうしながら、言わんとするところを推しはかったり、かみしめたりして、しばらくの沈黙が続いた。
 かしこまってしまった場の空気に気づいてか
 「いや、次にお願いしている『海の上のピアニスト』の一場面を思い出してさ。一度は船を下りようと決意したピアニストに、友人のトランペット吹きが『陸(おか)に上がったら、お前はいい女と結婚して子供をもうける。俺が訪ねて行ったら奥さんを紹介してくれ。そして、日曜のディナーに呼んでくれ。俺はデザートとワインを持っていって、お前は遠慮しながら受け取る』と、俺にとっては忘れられない未来を思いうかべる場面があるんだ。今の日本人の会話で、そんな希望をこめた言葉を交わすシーンなんかないよね。いや、現実の会話だけでなく、日本の小説や映画なんかでも出くわしたこと、ないような気がするんだ」
 
 しんみり顔の問いかけが、宴の空気をますます重たくする。それを察知してかザツガクが「まあ、リーマンショック後、日本人はすっかり自信をなくしたのか、過去の栄光か今現在のことを話すしか余裕がなくなったのかもな。しゃーないよな」と、悟りきった表情で枝豆を二、三個絞り出しては口に放り込んだ。
 
 「いや、いや、俺なんか、しょっちゅう未来を夢見て女房に語っているぜ」と胸を張り直したのは、今にも酔いの深みにはまりそうな元ちゃんだ。「年末、雀の涙を振り絞って買った宝くじを神棚に上げて、これが当たったらさっさと八百屋稼業やめて沖縄に豪邸を建て、遊んで暮らそうね、ってな。立派な未来語りだろう」
 「なんか落語の『芝浜』を連想させる話だね」と星出さんが、夢のチョロ火に水を差した。
 「それに、ちょっと貧しい感じですね」
 まずい。酔った翔太がためらいもなく、元ちゃんの胸にぐさっと刺さる軽蔑の二の矢を突き刺した。
 「て、てめぇ、ガキの分際で!」
 今にも翔太の胸ぐらをつかむ勢いで身を乗り出した元ちゃんを「まあ、まあ」と僕たちはなだめすかし落ち着かせたが、翔太も何の気なしに発したひとことが、これほど怒りを買おうとは思ってもいなかったらしく「ごめんなさい」と消え入りそうな声で謝り、ことなきを得た。
 
 「でもね、日本人同士が未来を語り合う場面はありましたよ。戦後間もない窮乏時代ですかね。誰もがどん底から這いあがるのに必死だったけど、その先に何かしらの希望もあって、必ずいい時代がくると暗黙の確信を抱いていましたよ」
 商店街の古参連中の誘いをやんわり断り、「ご相伴させてください」と僕らの二次会に参加した甲骨堂の城山さんが、半世紀前の荒涼とした戦争の焼け跡風景を回想していた。
 「言われてみると、きょうやったライムライトでも似たようなシーンがあったな。ほら、『人生はー』の名ゼリフの前にカルベェロがテリーに若い作曲家とのデートシーンを想像するように語るんだ。『時は夏。君はピンクのモスリン。君の香りが彼を包む。街の景色は夢のように美しい。たそがれは哀愁に満ち、ロウソクの炎が君の瞳で踊る。想いをうち明ける彼。永遠の愛を誓う君』」
 「よっ、名調子、日本一、三本足!」
 かなり酩酊状態の元ちゃんが下ネタ付きの合いの手を入れると、斜め向かいに座る百合子さんが上目遣いにくすっと笑った。三本足の意味が分かっての笑いだったのか。
 
 「映画の名シーンを拝借するなら、この商店街も過去のよき時代を思い出して傷口をなめ合うんじゃなく、一から仕切り直しする覚悟が必要だ。プラス志向の未来を語り、カタチにする覚悟が」
 「そうだ。例えば百年後、もちろん俺たちはこの世とおさらばしているが、レインボー・ミュージアムは連日大盛況だ。なぜなら、その時代にはマッチなる生活用品は完全に消滅しており、マッチ箱なるものが過去にあったことに来館者は驚嘆する」
 元ちゃんとザツガクの掛け合い漫才は続く。
 「お母さま、この紙切れに描かれた絵はなあに?」
 「それは、百年前に火をつけるために使っていたマッチという、小さな木の棒を入れていた箱の絵よ」
 「まぁー、燐寸とか箱入り木材先端火薬付きなんて、ずいぶん原始的な呼び名ね」
 「今の時代に比べたら、文化レベルがかなり劣っていたからよ、なんていう会話が聞かれると思うとゾクゾクするな」
 「なにしろよー、今は当たり前に思っている品物が、百年後にはかなり消えたり、姿を変えていて、お宝は奇異な目で見られるんだから。未来を想像するって面白いじゃんか。っていうか、今現在の生活に汲々としているテメエが情けなくなるよな」
 新たに誰かが言い出した「未来を語れ計画」の意気軒昂度は八〇パーセントぐらいにとどまり、二次会はお開きとなった。

(7)

 店番を兼ねてのチャレンジショップを引き受けたのは、パソコン刺繍店独立を目指す山形新三郎という役者みたいな名前の青年だ。歳は二十五歳。工学系の大学在学中、五十社ほど入社試験を受けたが就職出来ずじまい。今うわさのブラック企業に身も心もボロボロにされるよりは、と会社勤めはあきらめ、プログラムの知識を生かして、パソコン刺繍店を選んだという。母親は日舞の師匠で、あの呉服店に出入りしている関係から、募集の話を知った。
 営業日はミュージアム開館日の金、土、日曜日と、自分で店を開けたい日。たな賃はゼロで、どうしても開館日に休む場合はプロジェクトチームの誰かが、穴を埋めることにした。
 
 「えー、こちらレインボー商店街サテライトスタジオ虹からお届けします。本日、紹介するのは…」
 ミュージアムの入り口通路を挟んでチャレンジショップとサテライトスタジオのブースが組み立てられた。FMは毎週土曜日午前十時からの三十分、「語れ、未来の虹」の番組名で放送する。パーソナリティーは星出さん。僕と井坂翔太がサブ・キャストを務めることにした。この時間帯だけ、FMデューから技術者が来て機器類を調整する。
 「一度始めたら、少なくても半年、番組から降りられないぞ」
 「毎週、番組を埋めるだけのネタはないぞ」
 そんな脅し文句に怯まなかった。その代わり「虹の一店逸品物語」のタイトルで、十分間程度の加盟店売り込みタイムを設け、一回につき五千円のスポンサー料を取ることにした。三千円はFMデユーへの広告費、残る二千円はミュージアムの運営費に充てる。
 
 「これから商店街が生き残るには、専門性を多様に生かさなければいけない。そして、若い商店主を取り込まなくてはいけない」
 「商店街が滅ぶ理由」の最終章に「メルクマール」のタイトルで書かれていた商店街再生の道筋。魚辰の大将が口にした横文字はドイツ語で「指標」とか言うらしいが、「その専門性を、こねくり、丸め、磨いて、たたいて、もう、ぐちゃぐちゃになるくらい深化させて、この商店街を蘇生させようぜ」と魚辰さんは、バイブル片手に計画の練り込みに真剣だ。
 
 番組の打ち合わせをしている時、星出さんが「生放送って、結構怖いんだよね」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。そして「人手の少ないローカル放送局なんて、特にきつい」と付け加えた。
 そう、そう。にわか仕込みなのか、以前、ひとこと言うたびに語尾に「ね」をつけて引っ張る若いアナウンサーというのか、パーソナリティーだかがいた。「それでですね~」「それからですね~」「あのですね~」。もう「ね」のオンパレードだ。聴いている市民が不快に感じていることを知らないのか、芝居でいうプロンプター的なやつが注意しないのか。
 ただし、沖縄の「ね」付き言葉は許せる。何年か前、初めて沖縄に行って、レンターカーを借りたとき、担当の小太りのおばちゃんが「それでは、説明しましょうネー」「運転席のシートは余裕をもって調節しましょうネー」と、まるで幼稚園児を諭すかのような口調で、しっかりと忘れずに「ね」付き言葉を繰り出した。ハンドルを握った元ちゃんは車を出してすぐに「こちとらガキじゃねいやい。ひとをバカにしてるのか」と息巻いた。しかし、行く先々で「しましょうネー」を聴くたびにすっかり感化されたのか、数日で気にならなくなった。おまけに元ちゃんは、あの旅行がきっかけになり嫁さんまで手に入れた。あの「ね」は許せる。方言だもの。でも、アナウンサーの大安売りはお断りだ。
 
 ひょんなことから、B級ミュージアムへの来館者がじわじわ増え始めた。目立つのは若いカップルだが、中には競馬新聞を無造作にズボンの後ろポケットに押し込んだ、博物館には不釣り合いなおじさんもいる。お目当ては、館内の一番奥に展示してある木製の馬頭観音だ。
 ミュージアム開館から半月後、山形クンが休館日にチャレンジショップだけ開いていると、ちょっと腰の曲がったおじいちゃんが、大きめの段ボール箱を運んできて、半ば強引に置いていったという。開けてみると、長い間風雨にさらされてきたらしい祠が入っていて、さらにその中に馬頭観音が鎮座していた。「関係者がいないから困ります」と何度言っても聞かず、じいちゃんは「ここに飾ったほうが観音さまも喜ぶ」と言うばかり。山形クンを振り切るようにして、ミュージアムの前にたたずむ中年のサングラスをかけた男と一緒に立ち去った。
 「まあ、裏の名前が闇鍋博物館だから来るモノ拒まずだけど、ここに観音様と祠ねー」
 緊急招集されたプロジェクトメンバーは、腕組みしたり首を傾げたりしながら、予想もしていなかった珍客を鑑定した。
 「だけどよ、祠といえば神さまを祀る場所だろう。そこに観音さまというのは、ちぐはぐじゃねえか」
 元ちゃんの疑問に、百合子さんは「神仏習合または神仏混淆といって、明治時代以前は神社のご神体に仏像が据えられたこともあったんですよ」と答えた。
 彼女がひもとく郷土史によると、江戸時代からさらに以前、霧笛川から向こう側の丘陵地帯は野生馬が出没していて、いつのまにか「合馬(あいば)」という地名になった。野生馬同士が自然と集まるようになったからか、あるいは馬と人が出っくわしたからか、由来は定かではない。その後、野生馬の出没で作物の食害に泣いていた農民が役所と一緒になって、捕獲作戦を始め家畜用に飼い慣らしていった。中には暴れて命を落とした馬もあったと言い伝えられていて、その供養のためあちらこちらに馬頭観音を祀ったり、手作りの祠に納めたりしてお参りしたとか。
 かなり長い歴史の垢を落とし、百合子さんの手ほどきでお色直しされた祠と観音様は早速、「~のようです」の解説文を添えて、ミュージアムの一番奥に展示した。
 その馬頭観音が、なぜ若いカップルを呼び込むお宝になったのか。最初は単なる物珍しさで来るだけと思っていたが、日が経つにつれ祠の前に並び柏手を打つ男女まで現れた。
 「ねえ、ねえ、君たち、どうして祠に柏手を打ったの? 何か、御利益でもあるの?」
 ザツガクが訊いてみると、面白い答えがかえってきた。
 「恋人同士がここでお願いすると、結婚できるっていうウワサが広がっているんです。お互い馬が合うように神さまが導いてくれるとか」
 しばらくするうちに、今度はコスプレの男女や競馬好きのオヤジまで現れるようになった。この模様をFMデューのサテライトスタジオ虹から放送すると、新聞までが記事にして波紋は広がる一方に。
 こうなると商魂まったく逞しくなかった商店街の年寄り連中も気付き始めた。洋装品店のおやじはおかみさんにハッパをかけられ「さっぱり分からん」と言いながら、コスプレの洋服類を仕入れて、昭和レトロ調のくすんで冴えなかった店の入り口を派手に装飾し直した。もっと図々しいのはコンビニの店長で、競馬新聞を並べたスタンドを持ってきて「一部売れたらテンパー、ねっ、ねっ。お願い」と強引にミュージアムの入り口に置いていく有様だ。ご丁寧に「ここで新聞買って参拝したら、大願成就」の張り紙まで付けて。もっとも大願成就が何を意味するのかまでは、書いていない。
 「これ便乗商法? 俺も野菜並べるかな。馬にはニンジンが欠かせまヒヒーン、ってか。まあ、プロジェクトメンバーとして、えげつないからやめとくけどよ」
 ぼやく元ちゃんを横目に「でも、予想以上に当たりましたね」と中野事務局長も、最近、商店街の連中から一目置かれるようになったせいか、えびす顔だ。まあB級博物館の狙いは商店街のにぎわい取り戻せ作戦でもあるのだから、船出は微風鈍足だったけれど、今や、順風満帆といったところだ。と、浮かれ気分に浸っていたのは梅雨入りして一、二週間までの間だった。

(8)

 観音様と祠が盗まれた。
 レインボー商店街の週末の人出が、ミュージアム開設前に比べて四、五割増えた六月下旬、事件は起きた。その日は休館日の水曜日だったが、山形クンがパソコン刺繍店を開いていた。盗難に遭ったのは、コンビニに弁当を買いに出た十分ほどの間。衆人環視とはいえないまでも、それなりに人通りがあるので、よもや、盗みに入るヤカラはいないだろうと鍵をかけずに出かけたところを狙われた。ただ、刺繍店の商品や、値の張りそうな館内の展示物にはまったく手が付けられていないところをみると、最初から観音像と祠を目当てに侵入したみたいだ。
 「そういえば、店を出るとき、向かいの甲骨堂さんの前にサングラスにマスクをした小太りの男が立っていました。なんか、あの人があやしい感じですね。でも、いつも何ともないから鍵をかけないで出てしまった僕がいけないんです。すみません、すみません」
 骨川筋男のニックネームがぴったりの、華奢で細身の山形クンはうっすらと涙を浮かべ、弱々しい声でその時の様子を話した。
 
 「まあ、祠も観音さんも当初計画になかった展示物だし、集客効果もはなから意図した訳ではなかったよね。それこそ神さま仏様頼みのようなもので、無くなったからといって、それほど落ち込む話じゃないと思うよ」と、肩を落とす山形クンを慰めるように、助け船を出したのは星出さんだ。そして甲骨堂の城山さんも「例えがいいか分からないけど、商人道の心得のひとつに『浮利に走らず』という諺があります。バブル経済がはじけたとき、よく引き合いに出されたけれど、祠も観音様も一種バブルだと思えば、諦めもつきますよ。まあ、ここはひとつ、すっぱりと諦観の境地で…」と難しい言葉で僕らに何やら悟りをうながした。
 
 盗難事件から半月後、マチの郊外にある複合商業施設の地主で大型店も経営している安田臨三郎がミュージアムにひょっこり現れ、さんざん悪態をついて帰っていったという。
 年寄り連中から「土地成金のヤス」「ニセ文化人」と陰口をたたかれている人物で、歳は五十代後半あたりか。財力にものをいわせ、骨董品を買いあさっては、改造した自宅のギャラリーで酒をチビチビやりながら、お宝の掛け軸や焼き物鑑賞を楽しんでいるのだとか。「買ったときの値段ばかり強調して、なんか品がないんだよね」と話してくれたのは、一度呼ばれて、さんざん自慢話を聞かされた星出さんだ。「ポケットすばる」に掲載してくれたら、かなりの広告を出すと持ちかけられたが「どうも、後を引く予感がして断ったよ。のどから手が出かかっていたけどね。まあ、武士の一分ってとこかな」とさらり言ってのけた。
 その日、ミュージアムにいたのは山形クン一人だった。成ヤスは館内をそそくさ一回りして「まあ、うちのお宝に比べれば、ほとんどガラクタだわな」と聞こえよがしにこき下ろしたあと、「ここも維持するのに大変だろうに。あそこにある木の仏像、一万円なら買ってやってもいいぞ」と、ぞんざいな口調で交渉してきた。いや、交渉というより強引な買いたたきといった雰囲気で、勢いに押された山形クンは「う、う、売りものじゃ、ないんで」と言葉を詰まらせながら、言い返すのがやっとだったらしい。ちょうど、そのとき、タイミングがいいというのか、悪いというのか、魚辰の大将が通りかかり、なにやら困っている山形クンと横柄な成ヤスを見てミュージアムに入ってきた。
 何度も売り物じゃないと答える山形クンに「そうかい。ふん、こんな闇鍋博物館、あと一カ月も持ちこたえれば万々歳だわ」と吐き捨てた途端、魚辰の大将が「成ヤス! お前みたいエセ文化人に、ものの価値が分かるのか」と啖呵を切った。
 その後は売り言葉に買い言葉。開けっ放しのミュージアムから、怒鳴り合う声が聞こえて城山さんもとんできた。
 「いやあー、魚辰さんのセリフにすかっとしましたよ。『コレクションってえのは、みんなに見られて初めて価値を生むんだ。てめぇみたいに、いくら成功して金を貯めても、一緒に喜んでくれる人間がいない奴に、お宝の価値が分かってたまるか』ってね」
 城山さんの目はますます細くなり、翁眉毛の両端が一層垂れ下がった。
 
 成ヤスがゴニョゴニョ捨てぜりふらしき言葉を吐き立ち去って半月後、しっぺ返しのつぶてが飛んできた。その日、地元紙朝刊の文化面に「お宝拝見」特集とやらが組まれていて、成ヤスの貧相な顔が載っていたが、「私設博物館に盗品?」の見出しを目にした途端、血の気が引いた。
 「おい、読んだか、きょうの新聞」
 元ちゃんが、ザツガクが、星出さんが、いつもより一時間早くシャッターを開けた梁山泊に駆けつけた。
 記事のあらましはこうだ。成ヤスが談話としてコレクションの自慢話を披瀝した後、「最近オープンした闇鍋博物館に、どうもこのマチの寺から盗まれた円空作の仏像が飾られているようだ」と、断定調ではないものの思わせぶりな話を記者に語っていた。ご丁寧に記事の最後に、八年前に起きた妙徳寺からの仏像盗難事件のあらましが数行書かれていた。妙徳寺はこのマチで一番歴史が古く、盗難に遭った仏像も円空作の値の張る立像だったという。ただ、事件はマチの噂にはなったようだが、新聞沙汰にはなっていない。
 確かに、年代物の木彫りの如来像はある。あの祠と馬頭観音が持ち込まれた翌朝、山形クンが普段鍵をかけていないシャッターを上げると、扉の前に粗末な布に包まれた状態で置かれていた。祠と同様に、誰もが、あの老人がついでに持ってきた善意のお宝だと、出どころを疑うことなく、祠の隣に並べたが、それが盗品?
 「鑑定団長の手塚さんも、特に価値のある彫刻とは言ってなかったよな。出どころが怪しかったら、きっと言うはずだし。やっぱり二束三文の仏像じゃねえの」
 元ちゃんの推定無罪判決を確実にしたいが、肝心の手塚さんは、北海道旅行中でいない。
 そうこう話しているうちに山形クンから「刑事がミュージアムに来ました。誰もいなので、早く来てください」と今にも泣きそうな声で連絡してきた。
 
 こういう態度を慇懃無礼というのだろうか。ゴリラ顔のM署の刑事は「ここの責任者はどなたですか」と言葉は丁寧だが、僕らを睨め回すように取り調べ口調で問いただす。
 星出さんが名乗り出ると「ご存じの通り、新聞に仏像の記事が載ったものですから、一応、調べにきたわけです。で、その仏像はどれですか」と、ズカズカ奥に入っていき、追いかける星出さんが指さすと「とりあえず、署で預からせてもらいます。何か、くるむ布はありませんか」と半ば命令口調で指図した。
 「ちょっと待った!」と居直ったのは星出さんだ。
 「あんたね、何の権限があって、この仏像持っていくの。新聞の記事に載っていたからって、警察の腰はそんなに軽いの。押収するなら、それなりの書類持ってきてよ」と普段の物腰からは想像がつかないキッパリした言葉で反撃に出た。
 「いやいや、押収だなんて。ただ、このままだと、ここも変な目で見られるでしょう。一応、調べてみて、盗品でなかったら問題ないわけだし」と言い張るゴリラ顔に、「いや、こちらで再鑑定しますから結構です。最初から盗品だと分かっていたら警察に届けていたわけだし」と、若いころ大手紙の社会部でサツ回りをやっていたと時々自慢する星出さんは一歩も引く構えを見せない。
 押し問答の末、刑事は「ところで、あんたらの中に古物商の免許もっている人いるのかい? 金のやりとりはないにしても、目利きだけはしっかりしておいた方がいいよ」と言葉遣いも一転させて、ぞんざいな能書きを残して引き揚げた。
 
 その日の午後、僕は店番をおやじに頼んで、仏像を持って星出さんと江戸時代から続く妙徳寺を訪ねた。
 「この仏像ですが、八年前、ここから盗まれたものでしょうか」
 境内で出迎えた住職にイの一番に訊くと、当時の事情を知っているのは去年の暮れに大往生した先代で、よく分からないという。地元紙の盗難うんぬん記事は、朝読んで知っていた。
 「しかしですな」と、ツルツル頭にポヤポヤのあご髭がちょっと不釣り合いな住職は「仮に、うちの寺から盗まれたものであっても、縁あって、そちらに移られたわけですから、これもホトケさまの御心と思えばいいじゃないですか。どうぞ、このまま博物館で置いてあげてください。盗難届けを出していたのなら、取り下げておきますよ。もっとも、もう時効でしょうがね。ほっ、ほっ、ほっ」と、奥ゆかしい笑い声を境内に響かせた。
 でも、疑いが晴れたわけじゃないし、僕にとっては、すっきり割り切れない。星出さんも同じとみえて「何とか、当時の写真なんか出てきませんかね」と食い下がった。眉を寄せて腕組みする姿に住職も同情したのか「ちょっと待ってもらいますか」と言い残し、庫裏に入っていった。
 「樹齢三百年」と立て札が堂々と胸を張る大欅の木陰で待っていると、庫裏の入り口から奥さんらしき人が手招きした。「外の風が心地いいですから」と断り、欅の根元に腰を下ろしていると、冷たい麦茶が運ばれてきた。最近は檀家さんも高齢化が進み、境内の手入れもおろそかになりがちで、と奥さんが僕たちにお愛想していると「ありました、ありました」と住職が、四隅がしおれた手札サイズのカラー写真を持ってきた。
 「この日付だと十年前に写した本堂の祭壇のようですが、ほら、ここにありますよ。同じ立像ですが、どうも微妙に違いますね」
 江戸時代の前期に十万体は彫られたという円空の仏像は、自身が行脚僧だっただけに全国各地で見つかっている。さぞかし似たようなものが沢山あるのだろう、と三人で仔細に見比べていると「あっ、やっぱり、顔のカタチが違いますね。ほら、写真の方は丸いけど、こっちは角張っていますよ!」と星出さんは叫んだ。
 写真と虫眼鏡を持つ手がかすかに震えている。写真をのぞき込んだ僕も無意識のうちに「よかった、よかった」と小躍りすると、コップとお盆を取りにきた奥さんが「まあ、子供みたいですね」と笑った。
 
 「仏像は別物」の見出しで地元紙に数行の訂正文らしき記事が載った。さあ、これで胸を張ってミュージアムを再開できると喜んだ矢先、今度は家主の香山さんが「いやぁー、申し訳ない」と、館の明け渡しを求めてきた。
 「実は、イギリスから近く帰国する娘が輸入雑貨の店をやる予定なんですが。どうしても適当な物件が見つからなくて。せっかくここも軌道に乗り始めたのに、申し訳ない」としきりに頭をさげた。
 香山さんとミュージアム運営委員会が交わした賃貸契約書は、それほど小難しいものではなかった。家賃が月一万円と破格の代わりに、家主側に何か事情があった場合、通告から一カ月以内に退去するなどの簡単なものだった。どうせ、すぐに新しい借り手は現れないだろうと高を括っていたのがいけなかった。香山さんと僕たちは互いに「そこを何とか」の応酬合戦を繰り広げたが、最後には香山さんの奥さんまで乗り出してきて「あなたが、そんな軟弱だから埒が明かないのよ。これ以上、分かってもらえないなら警察に訴えますよ!」と、鬼の形相で立ち退きを迫った。錦の御旗の契約書がある限り、退去命令はひっくり返らず、肩をすぼめる香山さんを横目にどなる、あの奥さんの威圧感にすっかり押され、僕らは次の安住の地を探す羽目になった。

(9)

 「おーい、この雨漏り、何とかなんねえか。貴重な…でもないか、準貴重、モトイ! B級に貴重なお宝がぐしゃぐしゃになるぞ」
 元ちゃんが、高校時代の国語担任の口癖を真似ながら、誰に言うともなく叫んでいる。足下には、きのう降った雨が屋根裏を伝って落ちたのか、水たまりが出来ている。それも数カ所。中野さんが見つけてきた、レインボー商店街から一本裏通りにある疎開先の木造倉庫はかなり老朽化している。
 「ジプシー生活が始まったな。なんか惨め」とぼやく僕に「ジプシーをばかにしちゃいけないよ」とザツガクは諭す。
 「まあ、こいつらも人間同様、ある時代は風の民となり、別な時代にはご主人さまを得て土の民となった。命ある限り、さまよい、時にとどまるのは世の習いだ。いまに見ていろ。立派な御殿を用意して飾ってやっからな」
 ザツガクの独り言を聞いていると「ニュースです、ニュース。でも、腹の立つやつです」と、城山さんがボロ御殿に入ってきた。
 「どうも、ミュージアム追い出しを工作したのは、あの成ヤスのようなんです。香山さんが、行きつけのスナックで酔って、ついママに洩らし、それが私の耳に…」
 城山情報はこうだ。香山さんの奥さんが経営しているブティックが成ヤスの大型店にテナントとして入っている。しかし売り上げは最近、芳しくない。二人いた若い店員の姿も最近見かけなくなったのだから、推して知るべしだ。そこへB級ミュージアムの家主がご主人であることを知っていた成ヤスが、奥さんにミュージアム追い出し工作を持ちかけた。ちょうど成ヤスのドラ息子が飲食店をやりたがっているが、大型店に空きスペースはなく、あの元花屋を貸してくれるなら家賃は毎月十万円払うという条件を出したとか。
 「香山さん本人は、我々との信義もあるから、と一度は断ったみたいですが、カミさんが十倍の家賃収入は赤字の穴埋めに欠かせない、って言い張って。香山さんも渋々折れたようです」
 「それにしても、客の内緒話、スナックのママがほかの客に言いますかね。誰かが面白半分で創作した、これなんじゃ、ないんですか」と星出さんが、右手の人差し指を唇でさすって眉に当てた。
 「実を言うと、そのママさん、私が主宰する文学サークルのかつての仲間でしてね。B級ミュージアムの隠れ応援団でもあるんですよ。それに香山さんの一人娘、イギリスにいることはいるけど、帰ってくる気配はさらさらない、と香山さん本人が言ってたそうです。良妻賢母の真逆をいくカミさんへの恨み節で本音を洩らしたのかも」
 「それが本当なら、あの成ヤス、いや香山も絶対に許せねえ。もう、天誅だ」と元ちゃんは息巻いたが、「まあ、意趣返しは後のお楽しみにして、今は新天地探しが先決です」と星出さんが諫めた。手にはお盆くらいの大きさの銅鑼とバチを下げている。中華料理屋さんが「中国四千年ノ名器アルヨ。ゼヒ、ナラベテ」と冗談まじりに持ってきた鳴り物だ。
 「みなさん、くじけず、希望を持って前進~」
 星出さんは仕切り直しの口上とともに、ボヨヨ~ンと厳かに銅鑼を打ちならした。
 
 レインボー・ミュージアムのホームページに「本物はただいま、休館中」の見出しを入れて一カ月近くになろうとしたころ、一通のメールが舞い込んだ。レインボー商店街の城跡公園寄りにあるカレー専門店「田島ハル」が所有する石蔵が使われていないらしく、交渉してはどうかというアドバイスだ。ユーザー名がcurry_loveで始まるメールアドレスからすると、よほどのカレー好きとみえる。常連客なんだろう。「頑張れ、やみなべ」の応援メッセージも嬉しい。と同時に、あの石蔵か、と子供のころを思い出した。
 
 かつて米の倉庫として使われていた石蔵は、「田島ハル」の裏手にある。この界隈は子供時代の格好の遊び場だった。鬼ごっこで逃げ役になるとこの石蔵まで来て、ゴツゴツした大谷石の壁に身を寄せ、建物の端っこから顔を出しては引っ込めて、ドキドキ・ハラハラのスリルを味わった。炎天下の鬼ごっご。裏小路を覆う楓の大きな葉陰と、当てた頬にひやっとくる石壁の冷涼感が、城跡公園の蝉時雨とともに小学校時代の思い出として今も残っている。
 
 先代まで米屋だった田島家は江戸時代から続く老舗だ。夫亡き後も米穀店を営み、女手ひとつで二男一女を育てた田島ハルさんは十年前、店を長男の秋夫さんに譲った。しかしスーパーなどで安売りの米が出回るようでは商売の先細りは見えている、と転業を決意。秋夫さんの息子が調理師の免許を持っていたことから、親子でカレー専門店を始めた。当のハルばあちゃんは二年前に八十歳で亡くなった。
 「最初は、それらしい洋風、いやインド風の屋号にしようと考えたんだけんど、息子がね、ちょうど、ばあちゃんの名前がハルだから、タジ・マハールに引っかけて、この名前にすんべえーってね。こういうの、パクリっていうの?」
 秋夫さんの土地訛りと、和名の屋号が微妙に絡み合った特製カレーを食べながら、星出さんと僕は石蔵を借りたいと切り出した。
 「まあ、いずれ取り壊すにしても金がかかるし。月一万円の家賃でも解体費用の足しにはなるべな。いいよ。ただし、火の用心だけは絶対守ってよ」
 表扉の壁の上に記された「水」という文字を見上げながら、ターバンもどきのコック帽を頭にのせた秋夫さんが「火事だけはダメだ。代々の家訓だから絶対守らなきゃダメだ」と念を押した。
 
 二階建ての石蔵は一、二階とも幅五間奥行き十間の広さで申し分ない。二階も含めると初代ミュージアムの元花屋に比べ四倍の広さで、田島家の物置部分を除いても、展示品をすべて並べて尚余りある。
 山形クンは、ミュージアムの臨時休館を機に「それほど儲からない商売でした」とパソコン刺繍店をあきらめ、伝手のあった不動産屋に就職した。さて、新たな店番探しだ、とため息をついていると、会議に遅れてきた中野さんが「田島さんの娘さん、といっても三十代の独身ですが、趣味でお菓子作りをしているんですよ。素人とバカにはできない絶品だと、もっぱらのうわさです。空いてるスペースに喫茶ルームをつくり、営業してもらってはどうでしょう。お父さんも乗り気のようですし」と吉報をもたらした。
 僕同様、親に文房具店を任せて動き回る中野さんには頭が下がる。家人からは「とにかく、一日も早く嫁もらえ」と催促されている三十六歳。ザツガク情報では、そのアラサー・パティシエに気があるみたいだ。

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 三年契約。甲骨堂の城山翁が助言する「同じ轍を踏まない」ために、石蔵の賃貸契約は内容を十分に確かめて家主と結んだ。展示スペースは二階と一階の一部。玄関を入ると、受け付けカウンターがあり、入ってすぐが喫茶ルームだ。山形クンの後任の店主兼館員は田島夢乃さん。メニューは「田島ハル」のカレー各種と、夢乃さんが作るスイーツとコーヒー、紅茶、ジュース。ミュージアムの開館日は週末三日間の予定だったが、喫茶「夢乃扉」の営業日に合わせ月曜定休にした。
 「トイレやシンクの取り付け、給・排水工事にカネがかかるわ」とザツガクは心配していたが、将来構想があったのか水道管も下水道管も石蔵の中に引かれていて、接続すればいいだけの状態だったから、改造費用はかなり抑えられた。
 と、ここまでは順調だったが、やはり落とし穴はどこかにあるものだ。あのキツネ目の消防男が再オープン予定日の前日にやって来て、排煙窓の取り付けや喫茶ルームの改造など、それだけで二、三百万の費用がかかる改善項目を突きつけた。
 「どうも、建物が石蔵ということもあり、これだけは政治力でうっちゃる訳にはいきそうもありません」
 実際に隣のM市で、やはり石の蔵を改造して若い客を引きつけているレストランに、星出さんが開業前の準備話を訊きにいったところ、消防法のからみで、かなりの改装費用がかかった、という。
 
 「ジプシー生活延長か」と諦めかけたところに、弁財天が降臨した。翔太のおばあちゃんがポンと三百万円出してくれた。翔太が事情を話すと、亡くなったご主人のためにも放ってはおけないと、貯金を切り崩したとか。お宅に伺い、亡きご主人に線香をあげた後、「本当に、頂いていいんですか」と何度も念押しする僕たちに、「みんなで無欲に夢をかたちにするって、素晴らしいことじゃありませんか」と言いながら、ふくよかで上品な笑顔をご主人の遺影に向け合掌した。
 
 「これだけの費用をかけるとなると、我々も任意団体というわけにはいかねえよな。NPO団体にした方が何かと都合がいいぜ」
 元ちゃんにしては珍しい智恵というか、閃きから、慣れない書類づくりや役所通いの末、天下公認の団体に衣替えすることができた。
 
 結局、四カ月のブランクを乗り越え、NPO法人「虹の風」が運営するレインボー・石蔵B級ミュージアムはオープンした。そして、盗難に遭ったあの祠と馬頭観音もめでたく戻ってきた。最初に持ち込んだおじいちゃんが再び現れ「すまねぇ、うちのバカ息子が勝手に持っていって。すまねぇ、すまねぇ」と知らせを受けて駆けつけた僕や元ちゃんに何度も頭を下げた。どうやら、あのサングラスをかけた小太り男が息子だったらしい。
 「競馬狂いで、おまけに口下手な息子がよー、元々、うちにあったもんだから、博物館から持ってきても罪にゃなんねえ、って言って。断りもしねえで、おらんちにまた運んできたんだ。でもよー、なんぼ拝んでも馬券が当たらねえもんだから、裏の畑に放っぽらかしてしまった。おらが見つけねば、バチが当たるとこだった。本当にすまねぇ」
 かつて馬喰をしていたあかしが、浅黒くしなびた両手に刻まれている。その両手をひざにあて、曲がった腰をさらに折り曲げて詫びるおじいちゃんは、自分の死後、おそらく朽ちて消えてしまう祠と観音様を何とか守ってほしい一心から、この博物館に託したのだと、動機を語ってくれた。そして、馬券的中の祈願信心ではなく、神様仏様への信心のひとかけらでも息子にあればと、こぼすばかりだった。
 
 一階の一部と二階のミュージアムを見て回った後、大半の来館者は「夢乃扉」でお茶にする。あえて照度を落とし、暗くした喫茶ルーム。「丸テーブルの真ん中に据えられたランプのほのかな明かりが、その先に続くミュージアムとマッチして心安らぐ静謐ムードを醸し出している」とは、星出さんがホームページやタウン誌に載せた紹介記事の一文だ。
 観音様と祠のお隠れ騒ぎや仏像の盗品疑惑、そして休館の憂き目に遭ったからか、来館者数もピーク時よりは二、三割減った。レインボー・ミュージアムの新たな魅力づくりを、と再オープン後に開いた会議で百合子さんがユニークな企画を提案した。
 「ここにある何か一点、例えばこのバイオリンの物語を書いてもらうコンクールを年一回開くというのはどうでしょう」
 「書いてもらうって、作文とか随筆とか小説とか?」
 「そう。もちろん入賞作品を選んで、それなりの賞金を贈呈するわけですが。地元の新聞社とタイアップする方法もあります」
 「日本一短い手紙文コンテストとか、あのたぐいですね」
 「なるほど。ホームページなどでそのバイオリンの写真を載せても、近場の人で応募しようとする人は直接見ようと、やって来ますよね。こりゃ入館者数アップにつながるわ」
 金銭面の協力で渋る市役所観光課や地元紙の文化部を説得して、何とか共催・支援団体に引っ張り込み、第一回「お宝物語」コンテストを開くことになった。
 反響は予想通り。地元紙ばかりか、マスコミ各社が取り上げてくれたおかげで、原稿用紙三枚以内の制限を設けた応募作品は二百点余り集まった。
 一回目のテーマは、勿論いわくつきのあの馬頭観音と祠。募集要項や実物写真などを載せたホームページの、一日のアクセスはしばらく百件前後のペースで続き、関心の高さを裏付けた。来館者も若い浮かれカップルより、文芸仲間とおぼしき年輩者や文学青年が目立った。
 「今度はあなたが、このお宝物語のつむぎ手になってください」
 僕が考えたポスターの誘い文句も、応募者のハートをがっちりつかんだようだ。もっともこれは、本の栞にあったカルカッタの聖女のもう一つのお言葉―「こんどはあなたが愛の運び手になってください」を借用したものだが。
 
 ほかに誰もいないミュージアムの喫茶ルーム。丸テーブルを挟んで百合子さんと僕が見つめ合っている。室内にはショパンの夜想曲がゆったりと流れ、愛の告白にはぴったりのステージを用意してくれた。
 ためらいながらも勇気を出して、僕は百合子さんの潤んだ瞳をじっと見つめてこう囁く。「きっと幸せにします。結婚してください。子供は二人、いや、四人つくりましょう。休日には色とりどりの草花が咲き乱れる庭園に、揺り椅子とアンティークなテーブルを置き、一家団欒のひとときを過ごしましょう」
 そう、未来を語るのだ。熱く、激しく、バラ色に輝く二人の未来を。そして百合子さんは、恥じらうようにかすかな笑みを浮かべ、こっくりと頷き、僕のプロポーズを受け入れる。
 
 「なーんちゃって! なんちゃって!」
 百合子さんとの甘美な世界を夢想し、元ちゃんの口癖を真似てはしゃいでいると、「何やってんだ? お前」とザツガクが顔を出した。翔太も一緒だ。
 やばい、愛の告白劇場のリハーサルを悟られそうだ。とっさに僕は「いや、次のスクないミニ映画館の練習をしていたんだ」ととぼけた。
 「何か、事件でもあったか」
 話をそらそうとすると
 「いやー、急に送別会を開くことになったよ」
 (送別会、だれの?)
 メンバーの顔を思い浮かべていると
 「実は手塚先輩なんですけどね、延び延びになっていた結婚式の日取りも決まって、近くご主人の転勤先の北海道に行っちゃうんですよ」
 翔太の緊急報告で、ぼくの主演作品は真っ白けになった。
 「け、け、結婚って、百合子さん、結婚するの!」
 思わずどもって困惑の兆候を露呈した僕を見て翔太は、ピンときたのか、「あれっ、宇田さん、知らなかったんですか、M大学の若手教授と結婚を前提にお付き合いしてるって言いませんでした~」
 意地悪顔で語尾を伸ばした翔太の隣で、ザツガクもニヤニヤしている。
 そうか、最初に挨拶したとき「しばらくの間だけど」と入れた断りは、そういうことだったのか。
 
 妙徳寺の梵鐘がゴーンと打ち鳴らされ、ねぐらに帰るカラスが「アホー」と一声残して飛んでいく。映画なら、インターミッションから一気に第2部カットの「END」か「Fin」。あれれ、続きは? って、いぶかっているうちに、館内の照明がパッとついたような…。
 口を半開きにして、わずかに放心状態に陥ったのを察してか、翔太を促すようにしてザツガクは、「片想いバレバレ」と背中で嗤い、そそくさと出ていった。
 そりゃあ、父親が経営する喫茶店勤めのB級独身男と、職業A級の若手大学教授を両手に載せて「どっちにします」と訊かれれば、大概の独身女性はA級を選ぶよな。
 そう自分に言い聞かせながら、ミュージアムの展示コーナーを何ともなしにうろついていると、如来像が穏やかに問いかけてきた。
 「旅に出なさるか?」と。
 (了)

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