「あ、桜だ」

練習の帰り、日の暮れた大学の構内を出て家路を急ぐ中、三井が呟いた。

大学と駅をつなぐ線から少し外れた川沿いの道に、大きなソメイヨシノの古木が並木になっていて、今が盛りと咲き誇っている。

ライトアップされていないが、薄暗い町並みの中にぼんやりと浮き上がっていた。

「あぁ、丁度今が満開のようだな。夜桜もなかなか風流だ」

隣にいる牧が、相槌を打った。

「何か、久しぶりだ。桜の花見るのって…」

三井が帰路を少しそれて、桜並木に近づく。

桜の下に立ち止まり、見上げて話した。

「そういえば、この時期は、いつも体育館で新体制のバスケ部でバタバタする頃だな」

牧も、しみじみと桜の古木を見上げた。

三井は、ここ数年の自分の境遇を思いやり、桜の花どころではなかった春を何度越してきたのかとちょっとブルーになった。

今年は、大学に入って、時間と心に少し余裕が出来たから、こんな感じでふらふらできるのだが、昨年と一昨年はグレていて、てんで花を愛でる気持ちにならなかったのだ。

高校一年の春はまだやる気満々で、おれが湘北を全国に連れていくんだと意気込んでいた。

その後すぐ、膝を壊して入院して、バスケから逃げてしまった。

それから、荒れて荒れてどうしようもない暮らしをしていた。

去年の今ごろは、特に荒れていた。

毎日が楽しくなくて、絶えず焦燥感に煽られていた。

笑っていても、どこかが痛かった。

何が悪いのかわからなくて、何もかも壊したくなってしまった。

昔好きだったバスケも、膝を壊してからは出来なくて悲しくて悲しくて、手に入らないのなら目の前から消してしまいたかった。

宮城とバスケ部をぶっ潰してやろうと、アレコレ暗い企みを巡らせた。

それから、体育館に殴りこんで、失敗した。

安西先生とバスケ部の皆に許しを貰いバスケ部に復帰した。

恐々再開したバスケだったが、二年のブランクを取り戻すのに必死だった。

チームメンバーにも恵まれて、県予選を勝ち進みインターハイに行き、国体に出て冬の選抜大会に出ることが出来た。

その結果、推薦で大学受けて進学が決まり、いろいろあった高校を卒業した。

その前の二年間、グレてだらだら暮らしていたから、去年は目まぐるしい一年だった。

こんなに凝縮した一年を過ごしたのは初めてだ。

自分は、その一年でかなり変わった様な気がする。

なにより、横にいるこの牧と一緒に暮らし始めたのだ。

世間向きには同郷のよしみで、ルームシェアをしているということにしているが、実は同棲中なのだ。

暮らしも変わったが、一番変わったのは自分なのではないだろうか。

まさか、男を恋人にしてしかも同棲するなんて、人を信じることの出来なかった去年までの自分なら信じられないことだ。

バスケを再開して、ワンマンチームだった中学時代とは異なり、湘北のチームメンバーを信じるということに気がついてからはとても楽になった。

自分ひとりで孤独だった時から比べたら、毎日がとても楽しくなった。

牧と付き合い始めてから、牧と一緒にいることが増え、一人で突っ張らなくてよくなったこともとても気が楽だ。

牧といれば安心で、自分を見る脂下がった牧をみているとなんとなく幸せな気分になるのだから、自分でも妙だと思うのだが、もう開き直ってしまった。

なんだか、結構怖いものがなくなった気がする。

これは、湘北の二年下の赤毛の後輩の影響が強いのかなと、三井は思い、くすっと笑った。

「どうした?思い出し笑い?」

牧が三井を見る。

「ん?べつに…」

「なんだ、気になるな」

牧が笑いながら三井にふざけてヘッドロックをかける。

「わー、かんべんしろよ。何でもねぇって。ちょっと去年の桜の時期から何かいろいろあったなーって思い出してただけだって」

三井がギブアップと両手を上げる。

牧は、あっさり三井を解放してやる。

「そうだな。去年の春には、まさか自分がココでこうやって三井と桜を見上げるなんて、思っても見なかったな」

「そうだろ?俺も、まさか牧とこうしてるなんて想像すらしなかったぜ。なんせ、牧とまともに話してから、まだ一年経ってねーんだしさ」

「本当だな…。三井とまともに話したのは、去年のインターハイ前からか」

「そうそう。中学んときは遠巻きにしてて喋んなかったろ?」

「あぁ、三井と藤真に話し掛けるのは、親衛隊を通して出ないと駄目だったからな」

「はぁ?」

「ほんとだぞ。本当は話し掛けたかったんだが、武石の奴等のガードが固くてな」

「うー。そりゃ気がつかなかったぜ」

「あの頃の三井は、俺には手が届かない高嶺の花だったな。あれから、俺も必死で山に登ってようやく三井に近づいたって感じかな」

「ばーか。俺がそんな稀少品種なわけねーだろ。みんなが変な色眼鏡で見てんだよ」

「そうか?」

「そーだよ。そーでなきゃここでこうしてお前と桜なんか見てねーって」

「それもそうか。去年、三井と知り合ってから、アタックかけてよかったと思うよ」

「なんだよそれ」

「結構必死だったんだぞ。ライバルは多いし、お前は無防備で、さっぱり気がついていないし」

「え?そ、そう?」

「お前、仙道や、流川や桜木に本気で迫られてたのに気がつかなかったろ?」

「う、うー。まぁ、からかわれてるって思ってたから…」

「俺が迫ってもさっぱり気がつかなかったくせに」

「って、お前、友達になろうって言ってたくせに…」

「最初は友達からでいいっていったんだ」

「うー」

「俺が本気で告白したのに、取り合ってもくれなかったな」

「え?だって、それって冗談だって思ってたし…。」

「俺が、冗談で男を口説いてキスするとでも?」

「わ、悪かったって。今ちゃんと付き合ってるからいいじゃんか」

「まぁ、そうだな。紆余曲折は恋愛につき物だ。今こうやって、三井を抱きしめることが出来て幸せだよ」

牧が、三井の肩を抱いた。

「人が見るって」

「この時期だから酔っ払いだと思うさ」

そう言いながらも、牧は名残惜しそうにだが、三井を離した。

「人前じゃ、あんまりべたべたすんなよ」

「わかってるって。内緒なんだろ」

「そう、内緒だ」

桜を見上げていた三井が、一つくしゃみをした。

「冷えてきたな。帰るか?」

牧が、羽織ったジャケットを三井に着せ掛ける。

「うん。何か、もう少しこうやって見ていたい気もするけど…」

「まだ数日は咲いているよ。当分雨が降らないようだから、また明日も見れるよ」

「そうだなー。今度はあいつら連れてくるか」

「あいつ等というと…。土屋達か。なんだか宴会になりそうだな」

「あ、それもいいな。レジャーシート敷いてライト持ってきて、本格的に夜桜見物しようぜ」

「それはそれで楽しい花見だな。まぁ、俺は三井と二人でこうやってゆっくり見てるほうが幸せだが」

「ばーか」

「馬鹿はひどいな、三井。まぁ、確かに俺は、三井馬鹿らしいが」

「なんだよそれ?」

「土屋が、俺のことをそう言っていた」

「ひっでー」

三井が笑い転げる。

さあっと冷たい風が吹いた。

桜の時期は、まだ肌寒い時期でもある。

三井が風邪を引いては大変だと、牧は帰路を急ぐことにした。

「風が出てきたな。そろそろ帰ろう。もし、もう少し桜見物したいなら、一度家に帰って厚着してからだ」

「そうだな。もう帰るか」

三井も、風邪をひいては仕方がないと、同意する。

明日にでも陽気な仲間たちと咲き誇る花の下で宴会をしよう。

幸せな思い出を一杯作ろう。

三井は、横にいる牧を見て、微笑んだ。

小さな楽しみが少しずつ積み上がっていくことが、幸せだって気がついたから。

 

2003.4.22

 


 

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Revised: 2003/04/22 .