ようやく新紙幣を手に入れることが出来た。
月々五千円足らずで生活しているとこういう事態になる。最後に銀行に行ったのは何時だったか。はて、覚えていない。
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先日、大量のタダビールを貰ったので、清水の舞台から飛び降りたつもりでスルメを購入した。特売百円のパック肉を2日分の食料としている小生にとっては大決断であったといえる。やや悔悟の念はあったものの、スルメをレジ係に差し出す時はニヤつく笑顔を抑えるのに必死であった。
わしはスルメが好きだ。スルメと酒があるだけで、無常の幸せを覚える。自分のとっての人生が最大の目標は「毎日、スルメとビールが購入できる身分になること」である。一見、無欲な願いであるけれども、アル中患者の思う切実な願いとそう大差がないような気がする。
スルメの魅力には、それ自体に多くの味が共生していることが挙げられる。頭、胴体、足。それぞれ味も違えば食感も異なる。ついでに足は10本もあるのだ。この点、イカはタコよりえらい。自明の理である。
スルメはそのままむしり食うのも良いが、焚火で炙るとさらに香ばしくなる。焚火でなければガスコンロでもいい。さもなければ百円ライターだっていい。しかし通は生の味と火を通した味を楽しむのだ。
さらなる上は、ちょっと味付けしてみるのもいい。その可能性たるやそれこそ無限大である。塩、しょう油、砂糖しょう油と何でもいける。本来の風味を損なうのであまりお勧めはできないけれど、辛子マヨネーズもたまにはいい。
その味わいの深さを定理化したものが次の公式だ。
要は、多次元にわたり無限大の可能性を秘めた食い物はスルメだということだ。スルメの偉大さを少しでも分かって頂ければ幸いである。小生の数学オンチを明らかにした公式ではないので注意。
ところで。
先日購入したスルメには足がなかった。欠けていたのではなく、丸ごと取り除かれていたのである。それは突然、地獄へ引き摺り下ろされたような気分だった。
公式でいえば「10−a」の箇所が独断的に割愛されてしまっているのである。これをスルメ業者の欺瞞と呼ばずして何というべきか。
そんなわけで、これはここ一ヶ月間の間でもっとも腹の立った出来事でありました。こんなものはスルメじゃない。
旅に病 スルメは枯野を駆け巡る
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