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隊長の戯言


2004/10/27 (水)

 この上なく最低ですね。くたばれ、おれ。
 コップ一杯分だけちまちまと残っている酒ビンを一気に始末し、部屋を埋め尽くしておる酒ビンを減らしてしまおう、と思ってしまったのでありますよ。そもそもは。
 改めて見るのもいやなのでめいいっぱい改行しておこう。幸いにも昨日の日記を見ておられぬ方はそれで結構なのです。スクロールにかける労力が勿体無いですよ。スクロールバーを利用するという卑怯な手はナシで。

*

 某食品メーカーのキャッチコピーセンスには大変ときめかされたのであった。そいつは即席みそ汁なのでありますけれども、真紅の包装パッケージが上部にはかくなる文字がめっちりと描かれておるのですね。
 「具がすごい!!」
 単刀直入でいいねぇ。応用してみよう。
 
 ・第132回直木賞受賞作 「文章がすごい!!」
 ・水冷フラット8気筒バイクが開発 「エンジンがすごい!!」
 ・伝説のボーカリストがついにソロデビュー 「歌がすごい!!」
 ・世界最軽量のデジカメが誕生 「軽さがすごい!!」
 ・カポエラを修行した逆輸入ファイター、プライド参戦 「けりがすごい!!」
 
 小学生の作文かよ。この説得力の無さはすごい。
 ところで最近わしがヤラレてしまったコピーはCDアルバム『男宇宙』なのです。
 「当CDは内容のとてつもない大きさにほんのわずかでも近づけますよう二枚組のパッケージを採用しておりますが、中身のCDは一枚です」


















































































































































































































































































































































































































2004/10/26 (火)

 22:03
 飲むか。
 
 22:40
 手元にある酒をまとめて見る。こんなにあったのかよ。
 近所のセブンイレブンで大枚をはたいてスルメを購入。スルメはいいなァ。チャップリンも良いことを言っている。人生に必要なものは酒とほんの少しのスルメだ。さあ、いよいよ飲もう。

23:01
 実を言うと本日のメインイベントは『麹屋伝兵衛』なのであった。大分県の麦焼酎。こんな大層な酒を小生が買える筈もなく、本日知人より頂いたのである。
 さて。
 何から行くべきか迷うところであるけれども、とりあえずは『二階堂』→『麹屋伝兵衛』といくことにした。おれは旨いものから先に手をつける性格だ。一般的な麦焼酎『二階堂』を試してから、一気にランクを格上げ、『麹屋伝兵衛』に移ってその落差を楽しむという算段である。『二階堂』癖がなくて旨いが、つまらん味だ。
 
 23:24
 『二階堂』は学生時代によく飲んだ酒だ。角打ち、と云って酒屋の軒下や道端、大学構内で乱痴気騒ぎをした。常習的にこんなことをやっていたのはわしら空手部だけであった。他のサークルや部が「コンパ」といって明るく爽やかに飲んでいるのを尻目に、男だけで猥談をしつつじめじめと飲み、挙句の果てに警官を呼ばれる。そんなわけで「コンパ」と聞くと未だに虫唾が走る。つまりは羨ましかったわけだ。 『麹屋伝兵衛』は相当な辛口。けれどもとげとげしい辛さは皆無ですね。ラベルを見たところアルコール度数は41度。ウイスキー並みだけれども、度数の高さは感じさせない。大変に俺好み。良い酒を貰った。ぼちぼち次の酒に移ろう。
 
 23:39
 『オールバーレル』。38度。熊本の焼酎だ。コーン焼酎、つまりはとうもろこし焼酎である。しかもシェリー樽で熟成された変り種なのですね。大変に飲み易いがあまり好きな味じゃない。奇をてらいすぎて滑ったパンクバンド、といった感がある。インパクトはあるのだけれども、味わう酒ではないのだ。麦焼酎『兼八』の方が余程いい。さぁ、ぼちぼち酔って参りました。現在のBGMは「俺の詩」、ボーカルは江夏豊。

 23:47
  実をいうと張りきってリアルタイムで更新しているのだけれども、このような閑古鳥サイトでは意味をなさぬような気がしてきた。カウンターがまったく動いていないじゃないか。しかもメンドクセェ。『青一髪』はおれの好きな長崎の焼酎であり、BGMは高倉健の『各駅停車』。
 
 0:22
 ゴールデンバット吸いつつ残りの酒ビンを数えたところ、あと10本。いや、もちろんボトルは空けておりませぬよ。各ビン、ロックで一杯ずつ。
 現在どれ程に酔っているかというと、ここであっさりと本名を明かしてしまうぐらいの心意気が芽生え、羞恥心と虚栄心が半減しているぐらい。たかはしひろしでおめこ電球。ところで岩井志麻子の言語感覚及び四次元的視点には感心しましたね。
 「そのまんまの電気点けたら明るすぎようが。電気の玉の横っちょについとる螺子、あれをパチンとさせてみぃ。橙色ちゅうか、薄暗ぇ色の電気になろうが。これが『おめこ電球』じゃ」
 泡盛に移行。『りゅうたん』に『咲元』。りゅうたんは極めてお上品、咲元まったり。りゅうたんは勿体無いのでチビチビと飲んでいる。いずれも水割りで飲む酒ではない。

 0:53
 メールをチェックしたところ、こんなメールが届いていた。
 「隊長の恋愛相談コーナーを希望します」
 いやぁ、やりたいですよォ…需要があれば。ただ小生に相談するぐらいの勇気があるならば、告白でも離婚でも無理心中でも何でも出来ると思います。万が一相談があっても、このような内容になるかと。

 Q. 私は学校の先生が好きです。
 先生は私が高1の時に来た英語の先生で若い先生です。最近好きになった事に気が付いて、積極的に出会った時に話したりするようになりました。今ではメールの交換もしています。
思わせぶりな態度もある感じで、でも、それは私の勘違いかもしれないですけど…本気で先生が好きなんです。今とっても悩んでいます。アドバイス、お願いします!
 
 A. そいつ、いっぺん殴らせろ。


 振りかかるもの、全て受けきります。ご相談は何時でも。いや、ホントに。
 
 1:22
 机下にあったジンを発見。ノルマがひとつ増えた。机で思い出したけれども、仲代達矢演ずるところの机竜之助は最高ですよ。映画「大菩薩峠」、市川雷蔵の方じゃなくて。今まで散々アクション・シーンは見たけれども、ラストシーンでの仲代達矢の殺陣は圧巻である。今まで見た映画ごめんなさい、間違いなくナンバーワンの迫力。鳥肌たちまっせ。表の黒澤、裏の岡本。近頃はめっきり岡本喜八に魅せられている。
 しばらくぶりにテキーラをやろう。

 2:00
 テキーラ二杯目。  実はテキーラを飲むのはラブレターを書いた以来だ。これには説明が要る。当時、おれは高校生で男子校だったのだけれども、好いておった女の子がおったのである。相手は中学校時代の同級生だ。と、これで隊長ホモ説の嫌疑がはれますね。
 中学といえば、青っぽい性意識を抱く頃である。この時期級友はあれこれと気を惹くべく話しかけたりするわけだが、おれはこの時の表情に吐き気を催した。つまりは、鼻の下を伸ばしただらしない顔ですね。これがどうにも耐えられない。そんなわけで、おれは女の子と話した記憶が全くないのである。  それでも好きな子は出来るわけだ。ところがそういった状況下だから、卒業後は何の接点もない。共学に進むつもりが見事落第して、金玉地獄の男子校に進学。とりわけ想いがつのってきたのでありますよ。
 そこでラブレターなるものを書いた。書いたのはいいけれども、元来の奥手だからそれを出す勇気もない。そこで思い付いたのが「酒の力を借りる」ということで、こずかいで買ったテキーラをがぶ飲みしたのである。酔った勢いでそれを投函しようと思ったわけである。ボトル半分をラッパ飲みしたのである。
 で、結局それでもラブレターを出すには至らず、家に持ち帰り燃やしてしまった。なんとも意気地なしである。手紙を燃やした炎でタバコを吸って、ため息をついたことを覚えている。テキーラはそれ以来飲んでいない。
 そんなわけで今飲んでいるのはその時に買ったテキーラだ。甘酸っぱい味がする、なんてことを書くヤツには未だに吐き気を催すわけで、実の感想は。まずいね。
 2:14
  えーと、あと7本か。次はカンパリ。うわっ、甘ったるいなコレ。こんなものロックで飲むヤツがいるんだろうか。仕方ない。レモンを入れて飲もう。
 カンパリは友人の引越しを手伝った時に貰った酒であり、ついでに言うと今日飲んでいる酒は全て“貰い酒”だったりする。わはは。
 ところで、今この戯言を見ておられる方がもしおられましたら、空メールでいいので左上のメールフォームから反応を頂けませぬか?

 2:48
 反応なし。一人きりで更新しておるわけね。当たり前だけど。再起をはかるべくブランデーを選出。アルマニャックにコニャック。前者はA氏、後者はS氏に貰った。どういうわけか酒の恩義はしっかりと覚えておる小生。

 3:02
 ちびちびと食っていたスルメが尽き、冷凍庫の氷がなくなった。残る酒は、ジン、ウォッカ、ウイスキー、日本酒がそれぞれ一本ずつ。ウォッカは厳しいけれども、それ以外は生で飲むのが一番旨いと思っている。我ながらベストな進行だ。常飲しておるウイスキーに滑らかに移ろう。
 3:46
  だんだん酒の味か分からなくなってきましたね、わはは。Tウイスキー最高。S社大好き。
 以前、雑誌作りをしておった時、資料収集のために新聞社や一般企業を東奔西走して、その内のS社にかけあった事がありますのよ。雑誌においては昭和初期を想起させる写真がどうしても欲しかった。そこで小生は50年代の象徴とも言えるTウイスキーバーの資料がどうしても必要だったわけである。
 そこでS社のお偉いさんは答えた。
 「公序に反する内容(具体的には未成年の飲酒ですね)を表向きに認める事は出来ぬけれども、我が社の精神としてはそんなものは糞くらえであり、貴方の主張を信じる上では全面的に支持させて頂きたい。そこで支援は出来ぬが、そちらで入手した資料はいくらでも使って構いません。全て暗黙の内に了承致します。使用許可の申請はまったくしなくてよろしい」
 痺れたね。以来、造酒メーカーでS社は特別ひいきにしておるのです。何の業績も無い無名の雑誌社相手に真剣に論じてくれた会社はS社だけでありましたのでした。
 4:11
 『ストリチナヤ』。王道ウォッカ。冷凍庫にぶちこんだ上で飲みたかった。至極残念。昔、引越屋の仕事をしていた時にお客さんから貰った酒だ。うわっ、うめぇなァ。
 けれども生で飲むウォッカが大層美味いと知ったのは、モンゴル遊牧民との酒宴で分かった事実であり、あれも最高の酒だった。李白酒である。
 遊牧民の酒宴に必要なものはウォッカと盃のみ。車座になってたった一つの杯を回し合う。順番が回れば即興の歌を歌い、ウォッカが並々と注がれた杯を空にしてから隣の人間に回す。あけすけの享楽の中で生ずるのは独特の一体感であり、なるほどこれは遊牧民ならではの飲み方だなァと感心した。これは他人を思いやらねば、飲み干さなければ杯が続かぬわけで、一期一会の人間も妙な結束力が固まってしまうのだ。ジンギス・カーンはこの杯が断れず(毒入りの酒と知りつつ)、飲みほし、そして死んだ。
 4:33
 ジン。僕はジンベースのカクテルが好きで、これぞと思ったバーではジン・トニックから始めてマティーニで終らせる。松の香りが好きなのだ。仲良くしていたゲイの友人、ファラオもジンが好きで、よくボンベイ・サファイヤからジン・トニックを僕に作ってくれた。デビッド・ボウイとアンディ・ウォーホールを崇拝する芸術家肌の男だった。彼は今、何をしているのだろう。
 けれどもジンは生に限る。中でもタンカレーはお気に入りだ。ゆらめく蝋燭の灯を肴に、お気に入りのスキップ・ジェイムスを聞くとより味が深くなる。泣けるね。
 などというヤツがいたら殴ってやりたいと思います。

 5:09
 そしてフィナーレ。松竹梅の熱燗。その一杯、血となり肉となり。
 Sさん、バーボンありがたく頂戴しました。  Sさん、地ビールの味は忘れませんぞ。  Sさん、鮭トバと地酒はハマりました。スルメは到底適いませぬ。  Dさん、あたたかな気持ちに感謝致します。冬場は助かっとります。  Pさん、今後もよろしく。焼鳥屋。  Hさん、いやァ目覚めさせられました。  Hさん、しばしば原動力になっとりますよ。感謝しとります。  Nさん、添えられたつまみがつくづく嬉しかったのであります。  Mさん、頂いたグラスは未だに愛用しとります。  Mさん、勉強になったよ。  Mさん、貴方の思いやりには泣けまっせ。いつの日か飲み交わしましょう。  Mさん、素晴らしく旨かった。また飲みましょう。


2004/10/24 (日)

 正岡子規の外叔父であった加藤恒忠という人は随分とステキな人であったようだ。
 晩年、加藤は食道ガンを患って療養生活を余儀なくされている。食道ガンの治療においては当然絶食を強制される訳であるけれども、彼の見舞い品にワインを贈ってきたバカがいたそうだ。
 さて、加藤はワインをどうしたか。
 “下”で飲んだ。
 せっかく頂戴したワイン、上から飲めぬならば浣腸を用いて吸収しよう。と考えた訳である。贈り主への謝電にはこのように打った。
 「お見舞いのぶどう酒ありがたう尻から飲みました」
 
 加藤には奇癖があり、それはのべつまくなしに放屁することだった。周囲には、これは晴雨計代わりになるのだ! と誤魔化した。音の高い屁は晴れで、低い屁は雨といった具合である。
 加藤の死後、知人によって献じられた詩にはこうある。
 
 おならして 明日は晴れだと うそぶきし 拓川居士は ねむれりここに
 
 
 仕方ない。自分も身を削ろう。
 わしは幼い頃「スイミング・スクール」なるものに通っていた。毎週火曜日の五時すぎに迎えの専用バスに乗ってプールへと向う。第五火曜日は休みだった。
 なぜこれほど明確に覚えているかというと、ちょうどその時間帯は『太陽戦隊サンバルカン』が再放送されていたのである。『太陽戦隊サンバルカン』の最終話だけはなにがあっても見たかったので家人にこれを要求したのであるが、やはり許可は下りなかった。
 陰鬱な面持ちで、ふてくされた格好でバスを待っていたあの日。わしは「人生なんてどうでもいいやあ」とばかりに放屁したところ、勢いあまって余計なものまで出てしまった。この時ばかりは『太陽戦隊サンバルカン最終回』は虚空の彼方に飛んでいき、どう始末をつけるべきか途方にくれた。じきにバスはやってくる。近くにトイレはない。自宅は遠い。
 幸いにもティッシュを持っていた。わしは妙案を思いつき、それを実行した。バス亭そばにあるゴミ箱にそっと近寄り尻を向ける。さりげなくパンツの中に手を入れ、尻を拭う。ティッシュをしれっとゴミ箱に捨てる。それを幾度となく繰り返した。完璧だった。
 しかしながら待てども待てどもバスは来ない。その日は第五火曜日であった。
 自宅に戻り頬を濡らした。サンバルカンは既に終っていた。


2004/10/21 (木)

 7歳になってまもない頃、(中略)山中鹿之助に深い感銘を受けた僕は月に向って祈った。
 「我に七難八苦を与え給え」

 となると、いかにも早熟の天才肌少年的エピソードぽくて大変カッコいい。
 ちなみに(中略)にはこう入る。
 「漫画“ドラエもん”を読んで」
 となると、途端にマヌケになる。ドラえもんの説教にかの武将のエピソードが使われていたのだ。事実はそんなもんである。
 今考えても何でそのような気持ちになったのかは分からない。しかしながら、その効果は覿面で本当に翌日から七難八苦が襲ってきて7歳の僕は再び月に向ってお祈りした。
 「ごめんなさい。とりけします」

 どんな七難八苦が襲って来たのかはもはや記憶にない。恐らくは「先生に怒られた」「友達とケンカした」「道端で転んだ」程度の他愛のないものだろう。たが、その時は真剣に後悔して“取り消した”。風呂場の窓から見える月に対して願をかけたのがマズかったのかもしれない。フルチン願、恐るべし。
 
 どう言う訳か人に好まれる話題として「あなたはサドですか、マゾですか?」というものがある。この場合は「ムチでしばかれるのが好きですか?」というSMプレイの嗜好を尋ねておるわけではなく、性的快楽を伴わないもっとソフトな類の質問なのですね。
 と、予め断った上で、わしはサドである。そう思っていた。
 そもそも肉体を苛めることは好きで、筋トレは好きだし、重い荷物を担ぐのは楽しい。故障した250キロのバイクを手押しして10キロ歩いた時は何気に喜びを感じ、福岡・鹿児島間を歩いた時は脳内エンドルフィンが出まくりだった。
 と、ふと思ったのでありますが、これは「肉体を苛めて」喜んでいるのではなく、「苛められる肉体」を喜んでいるのではないかと。
 そんな矢先、ふと冒頭のエピソードを思い出し、謎が解けた。
 わしは根性ナシのマゾだ。いよいよ性質が悪い。


2004/10/18 (月)

 クリス・ロックとクリス・タッカーは同じ人だと思っていた。どちらか隠し子じゃないのか。


ロック タッカー 
 

 ブッダが悟りを開いた村にある日本寺で10日間ほど修行をしたことがある。とは言え、修行の内容は一時間程の座禅を組む程度のもので、半ば興味本意でやっていたものだ。それでも本場でやるからにはキチンとやろうと、昼はアレコレいけないことをしつつも、朝夕二回の読経にはしっかりと参加した。
 ある時、正しい座禅の作法を坊さんに尋ねてみた。今考えれば随分アホな行為であったと思うが、30代前半程の若い坊さんは変に落ちついた口調で言ったものだ。
 「実際、決まりごとは多数あるんですけどね。無理して無心状態を作る必要もないし、結跏趺坐(けっかふざ・両方の足裏を天に向ける坐り方)をする必要もない。カタチは何だって良いんですよ。極論、横に寝転がってても良いんです」
 真面目な風貌とは裏腹に過激なことを言うステキな坊さんだった。
 日本寺は複数の宗派が協力して建立したもので、また住職は各宗派から希望者を募った上で派遣される。いわゆる『猪木道場』である。反目する格闘団体間に所属しながらも、真の強さを求めて「所属団体」を抜けるのだ。ヌルい馴れ合いをキッパリ捨て去るのである。

 ところで、複数の宗派に別れる以前の元締め宗派が禅宗である。いわゆる『剛柔流空手』である。ここから大山倍達の『極真空手』が生まれ、またK-1の元祖『正道会館』が出来た。
 禅宗は相当にイカレていて面白い。以下は中国の皇帝と禅宗開祖・達磨の対話。

 「私は沢山の寺を造り、教典を写させ、沢山の僧侶を育成し、仏教に多大な貢献をした。ここまでした私にはどんな功徳があるのか?」
 「全くない」
 「ならば、仏教における真理とはなんだというのか?」
 「空っぽである。真理もない」
 「それならば、私の目の前にいるお前は何なのだ?」
 「知らん」

 代表的な禅問答、
 「悟りとはなんでしょう?」
 「太鼓を叩けばどんどんどん」
 「…仏門における至上のものは?」
 「太鼓を叩けばどんどんどん」
 「もう少し分かり易く教えてください」
 「太鼓を叩けばどんどんどん」
 「馬鹿にしないでください! ああ、ここに大師がおられたらどんな答え頂けたことか」
 「太鼓を叩けばどんどんどん」

 「仏とは何か?」
 「糞カキベラ」

 前衛的で大変よろしい。
 禅宗では、これまでに身につけた知識や考え方を仮のものとして、そしてそれがいかに無駄なものであるかを悟らせる。簡単に言えば、人生をリセットさせるわけだ。こんな問答で人生をリセット出来るのは余程の偉人かキチガイである。そんなことせずにインドに行ってこい、と思えば禅宗はインドが発祥であった。
 
 屁なりとてあだなるものと思うなよ ぶっという字は仏なりけり


2004/10/17 (日)

 嫌煙者は飽き飽きしておられるでしょうが、しつこくタバコの話題。

 結局のところ、安いからという理由でマイルドセブンを吸いつづけてきたものの、そろそろ鞍替えしようかと思う。「スカイブルー」を基調とする爽やかデザインに変更されてからはどうにも見かけが下品になり、途端に味もクソ化したかのように思えてきた。

 日本では、マルボロより30円も安いマイルドセブンであるが、これが中央アジアに進出すると立場は逆転する。場所によってはマルボロの2倍の価格がつく。これは日本のイカレた舶来崇拝と似たようなもので、日本の製品はおしなべて高級かつ優れていると思っているからだ。いや、事実それで正しい相対価格にはなっている。
 外国に行く時は必ずマイルドセブンを2カートン持ちこんでいた。理由は二つある。一つは旅先でのプレゼントとして何より役立つから。もう一つはアジアのタバコが恐ろしく不味いから、である。
 ただマイルドセブンが切れる頃が一番楽しい。大体10日目ぐらいである。こうなると、賄賂(タバコ)を渡して取り入るという安易な手段が取れなくなる一方で、ぼちぼち国の雰囲気にもなれてくる頃だ。タバコが一つ減るたびに日本的平和ボケ感覚によって構築された殻が剥けていく感があり、次第に“旅モード”に入っていく。これが気持ち良いのである。
 そして、そこで初めて異国のタバコを吸うわけだ。たまに美味いものにも出くわすが、大抵のものは果てしなく不味くいがらっぽく、ただ煙を吸いこんでいるだけ、という代物になる。こうなるとマイルドセブンの柔らかい煙と、精妙な香りが思い出される。

 が。日本に帰ると、急にマイルドセブンは不味くなるのだ。恐らくは感覚的なもので、下向きの視点が上向きに変わるからなのだと思う。嫁失踪・娘非行・息子逮捕・会社倒産・借金地獄のおっさんが不幸か、というとそれは間違っていて、例えば彼がインドのスラム街に行けばこう思うはずだ。「俺はなんて幸せなんだ」。
 うまいはまずい、まずいはうまい。マクベス風に。


2004/10/16 (土)14日目

 主婦向けの情報番組をたまたま目にしたところ、こんなクイズをやっていた。「さて、これは何の道具でしょう」。司会者は高さ20cmほどの奇怪な金属器具を紹介した上でヒントを出す。
 
   1.台所用品です
   2.何かの殻を割るものです
   3.商品名はシェルブレイカーと言います
 
 咄嗟に思いつくものは「ゆで卵の殻を割る器具」なのであるが、そんなありきたりの答えであるはずもなく、小生は思わずその場で考えこんでしまったのでありますよ。で、司会者の答えが出た。
 「正解はなんと、ゆで卵の殻を割る器具でしたー!」
 なめんな、くそたれが。
 ニコチンを断っているとひねくれた思考はなりを潜め、どうにも“清い人”になってしまう。恐らくこの状態で『タイタニック』なんぞを見れば、「スリルとロマンスのあふれ切った大巨編」に涙し、悲劇のロマンスに胸を打たれてしまうのだろう。ディカプリオの名演技に笑ったり、240億円を注ぎこんだ製作者サイドの呻吟を察して楽しんだりはしないはずである。

 そんなわけで、本日めでたくタバコを吸っております。友人から高級タバコ『アメリカン・スピリット』を頂いたのである。
 とりあえず、禁煙は初めの3日間乗りきれば残りは何とかなる、ということが分かった。目標設定の15日間までもう少しと言うところで、これを破ってしまうのは大変に気持ちがいい。苦労して作り上げた曼荼羅を破壊してしまう気分と同じだ、と言ったらラマ教の修行僧には失礼かもしれないが、これも一重に清く正しい喫煙者の言い分として了承頂ければ幸いです。
 旅行とは目的地への到着をテーマとし、旅はその過程を楽しむものである。要は観想的なのだ。ゴール地点には脱力感しか待っていない。と、村上流張りに論理を飛躍させてみる。
 
 ところで、「旅」「人生」「愛」ほど胡散臭い言葉はないですね。「人生は旅である」とか「愛の旅路」とか「愛のない人生はジャイアント馬場のいない全日本プロレスのようだ」とか。とにかくタバコは旨い。





  隊長の戯言