素晴らしい文章を見かけた。某企業が書いたものなのだが、無断転載を許されよ。
『自由宣言』
私の周りには社会があり、そして私には多くの選択肢があります。私にはそれら社会とどのように関わるか、関わらないかを自由に選択することが出来ます。例えば・・・
私は平日ある会社に行って仕事をします。
私は私自身の価値観により「その会社に行くこととそれによる様々な効果・影響」、「その会社に行かないこととそれによる様々な効果・影響」より価値が有ると考え、前者を選択しています。
「会社に行き仕事をすることで家族が養える」
「会社に行かず家族が養えなくなり借金で首が回らなくなる」
私は、前者の方がずっと価値が有ることであると判断し、前者を選択するというだけです。これは私の選択であって他の誰かの選択に従っている訳ではありません。
私は次のような考えを持ちません。
「本当は○○したいのだが、○○できないのが現実だ」
「本当は○○したくないのだが、仕方なく○○している」
私は私の本当の意志で自由に選択肢を選び、私の在り方や社会との関わり方を決めていっています。そういう意味において、私は常に自由です。
素晴らしいですな。最低に素晴らしい。ここまでくると、憐れみを覚える。現在、タダ働きをしている小生ならばこう書くね。
『自由人狂詩』
肉親からは見放され、親戚からは罵られ、近所を歩けば指差され、
諭され、詰られ、厭われて、
友達にメシ誘われても「金がない」
映画に誘われても「金がない」
女と遊ぶにも「金がない」
靴下に穴が空いても「金がない」
あるゆる誘いを立ちきれば、次第に付き合い減っていく。
音楽聴かず、本買わず、映画見らず、使う食費は週千円。履く靴下は穴だらけ。
働けば時間を浪費し
身体を使えば腹が減る
次第に身体はやせ衰え
精神をすり減らしすり減らし、時折発狂が交錯し、またすり減らし
自由とは冷たく寂しい
束縛はあたたかいけれどもクソ溜めの匂いがする
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