感想ヲクレ
お名前 
メール 
感想他 
    
隊長の戯言


5/30 (日)

 自身も言い間違えたことのあるクーリングオフ。堂々と間違えているサイトも多いようだ。
 http://www.google.com/search?hl=ja&inlang=ja&ie=EUC-JP&oe=EUC-JP&c2coff=1&q=%A5%AF%A5%EA%A1%BC%A5%CB%A5%F3%A5%B0%A5%AA%A5%D5&lr=lang_ja
 それにしても、大阪消費生活センターはわざとやっているのだろうか。


 表意と表音の複合体系である日本語は言葉遊びをするには優れている。落語や狂歌はこうした日本語の特徴を生かした文化だ。
 例えば濁点を取って意味を変えるという言葉遊びは、狂歌ではよく使われる。
 「世の中はすむと濁るの違ひにて、ハケに毛がありハゲに毛がなし」
 英語で言えば、「tool」「dool」ということになる。表音主義とは対極にある英語では表音そのものが変わってしまうので何の面白みもない。

 小生が好きなのは、武田信玄と上杉謙信の書簡のやり取りだ。一説では後世の人が作りあげたエピソードとも言われているものの、この書簡の内容が大変イカしている。
 そもそも戦国時代には、戦争前に敵方に歌を送る、という習慣があった。武田は上杉討伐を前にして次のような歌を送ったという。

  杉枯れて竹たぐひなきあしたかな
 
 上杉は滅し、類なき武(竹)田が将来あるだろう、との意である。これを読んだ上杉は即座に次のような歌を返信した。

  杉枯れで竹だくびなきあしたかな

 上杉は滅さず、武田の首はなくなるだろう、との意。濁点を変えただけの歌である。少々出来過ぎのような気がするが、イカしたやり取りだ。
 ちなみにプロレスラーの長州と橋本の場合はこうだ。橋本のマスコミ会見に乱入した長州は次の様に言った。
 「おい、橋本。てめえコラ」
 橋本も即座に返す。
 「何がコラじゃ、コラ。おっさんなめるなよ、オラ」
「うるせぇコラ。デブがコラ。あぁコラ」
 「なんだとオラ、文句あっかオラ」
 こちらは本当の話しである。小学生のケンカか。これはこれで面白い。


2004/5/29 (土)

 死んだら英雄かよ。凶弾に倒れた、ジャーナリストが天職、イラクの子供たちを救った。
 前回の人質事件の方向性で報道するならば、見出しはこうするべきだ。
 「邦人射殺か 身勝手な日本人、死んで当たり前」
 人質三人へのバッシングは、外国のマスコミには本気で不思議に思われておるらしい。これで益々不思議の国“ニッポン”になるだろう。

 
 本屋に行く。駐輪場にバイクを止めて入店しようとしたところ、ガラガチャバチャンと自転車が倒れる音。振り返れば9歳程の少年が自転車のドミノ倒しを敢行してしまったようだ。仕方なく少年の自転車整理を手伝う。少年は終始無言で、結局何も言わずに去っていった。ありがとうぐらい言え、クソガキが。「礼を言おうとしたが、わしの顔を見て逃げた」との有力な見方もありますが。

 わしは旅先で受ける親切が嬉しくて旅をしている、と言っても良いかもしれない。一人旅で味わう「無償の親切」とは心のヒダまで深く染み入るのだ。しかし、すみませんとは決して言わない。ありがとう、だ。心底からの精一杯のありがとうである。
 時折、何でここまで親切にしてくれるのだろう、と「無償の親切」が心苦しくなる。感情を込めた「ありがとう」を言うのは、その心苦しさを払拭させるための言葉でもある。
 
 旅番組を見ていると卑屈に「すみません、すみません」と連発しているレポーターがよくいるが、あの姿勢は旅人として間違っている。ある種の主従関係が出来てしまっているからだ。持て成す側と旅人はあくまで対等な関係であり、すみません、と謝った時点で「旅人」はただの「恵んでもらった人」となる。旅人は「ありがとう」との言葉とともに持て成し人を楽しませるのが正解だ。話し相手になる、、政治風刺が好きならその話をする、エロ話が好きならその話しをする、旅の思い出話しを語る。
 旅をしている最中は自分が物語の主人公だ。第三者に物語の刺激に触れさせるのも、旅人の一役割である。

 ところで、困ったのはモンゴルだ。モンゴルには「ありがとう」と言う言葉は事実上使われないのである。遊牧民においては、旅人を助けるのは当たり前、という考え方があるからだ。これはこれで苦労する。
 そうか!分った。自転車を倒した少年はモンゴル人だったのだ。


2004/5/28 (金)

 「隊長のくせして近代文明機器(携帯電話)を使っているのか!」
 というお叱りのメールを頂いた。すいません、糸電話は回線が切れやすいんですよ。


 「サオダケ屋」のトラックがたまに来る。「たけーやぁ、さおだけーぇ」と拡声機を使って喚きたて、竿を売る商売だ。わしはつい最近まで「竿竹屋」ではなく、「竿だけ(竿only)屋」と思っていた。
 ところで、物干し竿だけ売って商売が成立するのか、世界規模にまたがるネットワーク網は何なのか(ニューヨークでも売っているらしい)、いったい本社はどこにあるのかという疑問がある。
 インターネットで調べてみると、公安による覆面捜査説、秘密結社説、FBI・CIA説なども浮上し、より一層謎が深まる。
 
 実際、竿竹屋は制服の下に黒スーツなどを着込んでおり、有事の際には服を脱ぎ捨て変身。颯爽と悪の組織に立ち向かう。トラックの運転席には緊急モードボタンが仕込んであり、それを押せばトラックの外装はたちまち剥落し、ジェットエンジンを搭載したスポーツカー"に変わるのだ。竿竹屋のポケットには盗聴機やボールペン型ピストル等の七つ道具が入っており、ここだけの話し竿竹屋のかけているメガネは赤外線暗視レンズが使われている。
 竿竹屋は地球を守っているのである。と、したらカッコイイ話しだ。
 
 ちなみに口上文句の一つ、「二本で千円。二〇年前のお値段です」の正体は「二本で千円(は)二〇年前のお値段です」だそうだ。本当はもっと高い値段で売りつけているらしい。もっとも20年前仕様の“使えない”物干し竿もキチンと用意しているそうで。
 いずれにせよ竿竹屋はすごい。色んな意味で。


2004/5/26 (水)

 携帯電話を紛失してしまった。どこでなくしたのか全く見当がつかない。願わくば、良心的な人が拾い、何らかの手段で届けてはくれぬものか。携帯の中身を見て間接的に連絡をとってくれても良い。
 
 携帯には執筆のネタ等をかなり書き込んでいた。それについてはあまり惜しくないのだけれども、小生のセーラー服姿(自主映画を撮影時に着たのである)画像が入っているのが、なんとも自刎ものである。
 以前、携帯電話を拾ったことがある。持ち主にどうやって届けるべきか迷った挙句に、携帯のデーターを見て連絡した。発進履歴に「自宅」の電話番号が書かれていたのだ。紆余曲折を経て、持ち主の手に渡ったのだけれども、持ち主は素直に喜んでくれた。
 ただ小生の場合は、「"セーラー服を着た変態"の携帯を拾った」と思われる可能性がある。やっぱりこのまま見つからなくて良い。


 と、四日たっても見つからぬので、結局携帯を買い換えました。最近の携帯はデジカメ機能が高性能で、大変驚く。さりとて撮るものがないので拙宅の便所を撮影。画像の精密さに驚嘆の声をあげ、また鮮麗さに感動したあまり待ちうけ画面に使用しとります。


2004/5/19 (水)

 制約つきの「桃太郎」を書く機会があった。

 
 小さな男は言った。
 「あっしは桃太郎。鬼(キ)倒すと誓おう」
 年取った男と年取った母はあいやァと言いつつ歓喜した。
 行く行く食え、とエサ作った母。桃太郎はエサ抱えて遅発した。そして桃太郎、イヌとハトとエテ公と会い、エサやって手下とした。
 ここは鬼島(キシマ)。到着した一行は鬼見つけた。イヌは追い、エテ公はひっかき、ハトはつっつき、桃太郎は斬って斬って斬った。たくさん斬った。鬼は「いやん。うそ。最低っ」と言いつつ伏して逝く。桃太郎一行は死体あさって財布とった。
 帰宅した桃太郎は年とった男と母に言った。
 「鬼倒した。財布与え…」
 言い終えぬ内、男と母は財布ひったくった。
 「金、多い。幸福感たくさん。イェイ」
 そして山村は安泰となった。

 
 キーボード左部分(かな打ち)だけで書いた「桃太郎」。我ながらひどい話しだと思う。





  隊長の戯言