軒先を掃除していたところ、薄汚いゾーキンを発見する。またか。
近頃は、拙宅を車で通りすがる際にゴミを放り投げていく阿呆がいるのである。小生は心静かに立腹し、そのゾーキンを摘み上げて憎々しげに見つめた所、
自分のシャツだった。
わしは服装に無頓着である故に服は殆ど所持しておらぬのであるが、このシャツになると一五年以上も着続けている。初めはホコロビを繕っていたものの、最近ではあまりのクタビレ具合に補修不可能となりあちこち穴だらけ。生地は透ける程に薄くなっており、赤子をなでるかのようにそっと優しく着ないと破れてしまう。
元々からボロ服だったとは記憶しているものの、ここまで着続けている理由は何かというと"便利"だからだ。いくら汚れようが、ウンコ付こうが、破れようが、一切気にかける必要がないし、透けるほどに薄くなった生地は大変涼しく、速乾性に富む。わしは貧乏旅行が好きなのだけれども、これを着ているだけで「私は貧乏な日本人です」という看板を持っているのと同じ効果が望めて、客引きが寄ってこない(ような気がする)。
そんなわけで、気がつけば旅先にこのシャツは必ず持っていっている。モンゴルもインドも九州縦断も、また火を吹いた際にもこのシャツを着ていた。
ここまでくると、困った事体になってくる。当初はどうでもいい服として着ていたところ、近頃では妙な愛着が湧いてきたのである。思わず洗い放し干し放しの野ざらし状態にしていたものの、丁重に扱わねばならぬシャツのような気すらしてきた。何ゆえどうでもいい服に畏怖と敬意の情を持たねばならぬのか、因果なことである。
意外とキラピカのカッコイイ服は飽き易いもので、薄汚くカッコ悪くて欠点だらけの方が愛着が持てるようだ。
まァ人間も似たようなものか。へらへら隊の隊員などは、良い所はまるでなく欠点だらけで廃棄処分寸前の糞香漂うボロシャツでございます。
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