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隊長の戯言


2004/3/31 (水) 

 小学校の教科書検定が行なわれた。中でも興味を引かれたのは「しゃかい」の発展内容なのです。紹介記事を抜粋すると、

 環境保護のため新規のダム建設を抑制する「脱ダム」の考え方の高まりも紹介

 文科省やるじゃないか。
 内容に関して言えば、「ダム批判」ではなくて「ダム批判の紹介」ってのが良い。少しでいいから、是か否か客観的に考えさせようよ。


 ところで。
 日本人は討論(ディベート)が鼻糞並みだ、ってのは世界的に思われていることで、この手のジョークも沢山ある。正面からぶつかる分には良い、しかし側面や背後から攻撃されると手も足も出ないのだ。
 僕自身、自慢できるほどに外国人と討論したことはないのだけれども、僕が出会ったアメリカ・中国・モンゴル・インド・ネパール・タイ、何れの若者たちも(インテリだったけど)感心するぐらいに広い視点を持っていた。比して、日本人は一面的な物の見方が特徴的であるように思われる。
 アメリカの大学では徹底的なディベート訓練を行なうと聞く。僕は大学時代にディベートの授業を受けた記憶は、二、三度しかない。で、どれも外国人の教授だった。
 
 特にとある教授が行なったディベートが記憶に残っている。例えば、「隊長はアホか変態か」という議論を行なうとする。となれば、アホ主張派と変態主張派に別れる訳だが、アホ主張派を希望した人間は変態主張派側に廻され、変態主張派はアホ主張派に廻されるのである。つまり、相反する主張派をさせられるのですな。
 すると、どうなるか。絶対的に「隊長はアホだ」と思っていたのに、「隊長は変態だ」と主張できる要素を嫌でも見つけなければならない。結果、それまで一面的だった考え方を反対側から見直すことになるのでありまする。
 こういった思考法は、ヒステリックPTA「アニメ・マンガは絶対反対よッ!」派だとか、「浮浪者入居施設なんて治安が悪くなるに決まってるから作らないで!」などというアホたれどもには、ぜひやって頂きたい、と考えるのですが。

 ピラミッドは三角形じゃない。三角形でもあり、四角形でもある。


2004/3/30 (火) 

 前回の戯言でいう「辞世の句」を数日間考えつづけた。それがどうしてもぼんやりとしたものしか思いつかぬのですね。
 わしは樹木に生える枝葉を個々の作品のテーマにしてきたのだけれども、よくよく考えれば樹木の「主幹」はかなり抽象的な存在なのである。
 愕然としたわしはその「主幹」をより具体化すべく一生懸命に手探りしていたところ、何時の間にか寝てしまう。

 と、ソドムとゴモラの夢を見た。
 そうか! そういうことだったか、とわしは雷に打たれたような思いで目が覚め、感動で目頭が熱くなり早速メモする。これは凄い。そうだったのか。そうなんだよ。安心して再び寝る。
 翌朝、幸福感に包まれながら目覚める。メモを見直す。

 「ソドムとゴモラ」

 意味深げだけれども、意味不明だ。
 そしてよくよく思い出してみれば、ソドムとゴモラがケンカしている夢だったような気がする。しかも怪獣「ソドム・ゴモラ」。「ゴジラ対モスラ」みたいでいかにもな名前じゃないか。
 実をいうと、わしは「ソドムとゴモラ」なんて何も知りません。つい先程、グーグルで調べるまでは「ソドムさんとゴモラさん」と思っていたぐらいだ。
 ついでにいうと、旧約聖書に出てくるとのことでもっと驚いた。わしはキリスト教系大学の出身なのである。
 
※私信
某「妹」さん。希望の「戯言」を一旦は書いたものの、そこはかとなく艶っぽくなってしまった内容に公開する勇気に到らず。せめて「ゴリラ」から「類人猿」になれるよう努力させて頂きます。


2004/3/26 (金) 

 友人の自費出版作家と定期的に合評会を開いている。既決した共通のテーマに添った作品を書き、それぞれ批評しあうのである。
 戦後作家が組んでいた同人誌の間ではよくなされていたことで、特に谷沢永一と開高健の舌戦はその激しさにおいて有名だったようだ。
 同人誌のメンバー、向井敏は開高健が著書『あかでみあめらんこりあ』(角川文庫)の後書きでこんなことを言っている。
 
 …論戦はいつ果てることもなく続けられ、ついには屍山血河の惨を呈することになるのだが、この修羅場で血刀ひっさげ、最もはなばなしく立ちまわっていたのが開高健と谷沢永一。開高健が辛辣な警句を連発して相手を沈黙させれば、谷沢永一は狙撃兵の呼吸でたった一発で相手の眉間を打ち抜く。一方が燕返しの秘剣なら、他方は居合抜きの剛健といった具合で…。

 「誉めない。徹底的な粗探し、けなしあい」というコンセプトは共通する所だけれども、わしらの場合は二人だけで、どうも寂しい。傍から見ればただの口ゲンカだろう。
 
 ちなみにわしが与えられた次回のテーマは次のようなものだ。
 「あなたが思想家として活動していた所、一大過激派新興宗教団体に拉致され、明日には処刑される身となった。しかし教祖は言う。"考え方は違えども、お前の思想には敬意を表する。そこで死ぬ前に、四百字以内のレポートを書け。書くべき内容はお前が最もこの世の中に訴えたいことだ。"
 宗教団体は莫大な権力を持っており、レポートの内容はテレビ・ラジオの電波ジャックによって全世界に放映してくれるという。いわば、全世界に届く辞世の句、ともなるこのレポート。
 あなたならどう書くか」

 よくこんな恐ろしいテーマが思いつくよなァ。
 


2004/3/24 (水) 

「戯言」は手抜きさせてもらって、Zさんから頂いたメールの返事を。

 隊長であります。いやいや、礼を言うのはこちらのほうでして、このような駄文に時間を割いて感想を書いて貰えるなど大変に嬉しい事です。旅記つくりの活力剤にもなります故。

 (モンゴル旅記の)ナサンは確かに切れ物でした。その後、ガイドを辞めてフリーとなったオチコはいつも「あのやり手ババァが…」と言ってましたし(笑)。 
 面白かったのは、自分から言い出さぬ限りは金を請求しないんですね、彼女。いや、たまには来るけど、その時に必ず付け加えるのが「Sorry…」。謝りながら金を請求するゲストハウスオーナーなんてはじめて見ました(笑)。

 夏のモンゴルは草原も素晴らしいですけど、星空が凄い。星が多すぎて気持ち悪いんです(笑)。3秒ごとに流れ星。天の川はホントに星の川なんです。
 モンゴルは死ぬほど好きな国なんですが、遊牧社会の"無償の奉仕精神"は時々苦痛になりました。お返しを好む日本人としては、どうしてもそのようになる。
 そこで、夏のモンゴルではみっちり乗馬を練習して、行く先々で羊追いの仕事をしてました。乗馬の師匠は、八歳の少年です(笑)。
 終いには「タカ、よろしく」と遊牧民に言われ、早朝から一人で羊追いして帰ってきたらオヤジは酒を飲んでたりしたりして(笑)。


 Zさんのおっしゃられる通り、インドは「面白い」国ですよね。あれほど「面白い」という形容詞がピタリ当てはまる国は他にないような気がします。
 自身の経験ですけど、インドは物差しを破壊してくれた国で愛すべき国です。物差しとは絶対的価値観を計る物差しですね。それが粉微塵に破壊された。日本で修復するのに時間がかかりましたけど(笑)。
 宗教観の違いは面白くもあり、ひどく痛み入りました。もっとも僕がインド生まれのインド育ちだったら、日本人を騙しまくるでしょうね。
 もし自分が日本でコンビニを経営していて、金持星からやってきた成金星人のリッチーさんが観光にやってきたとする。リッチーさんが缶コーヒーを持ってきたのを、冗談で「コーヒーは一千万円になります」と言う。すると、リッチーさんは何の疑問も持たずに、ポンと札束を投げる。僕は成金星人からボリまくりますよ(笑)。"分け隔てなく与える"ってのは、偉大な宗教の教えですし。
 「あいつらバカだろ?」
 ブッダガヤの商人が日本のパックツアー客軍団をさして、そう言ってました(笑)。
 
 それにしてもツアー旅行者や僕らのようなバックパッカーのもたらした弊害について考えたことがあります。今やインドの到る所には、旅行者向けの商店、ネットカフェ、食堂が建ち並び、リキシャマンは解雇され、ハリジャン(不可触民)は粛清され…、莫大な経済利益をもたらす代わりに自分らは文化の破壊を助長しているんじゃないかと。
 で、仲良くなった非観光業者のインド人に上記のような質問をした所、一笑されました。曰く、
 「あんた、ここはインドだぜ。そんな影響は屁の程も受けないよ。ノープロブレムだ」と。
 ひどく納得しましたよ(笑)。

 それでは、Zさんの楽しき旅路を祈念致します。
 


2004/3/23 (火) 

 江角マキコは年金を納めてなかった、との事実が発覚したそうで、大笑いした。
 「ねぇ、年金払っても貰えないって一体誰が言ったの!? 年金はね、払えば貰えるのよッ!!」
 3億8000万円もの費用(広告費)を投じて作ったギャグは最高ですな。歴史的価値があるよ、これは。

 
 五百万円の資金で作る冊子の作成に協力している。
 上は七十歳から下は十九まで、彼らが寄せた数百の資料から原稿起こしをせねばならぬのだけど、素人の文章ってのは(わしも素人だが)妙な技巧もなく、ストレートな思いがひしひしと伝わってきて、それを読むのは大変楽しい。

 と、思ったのは最初だけでした。
 何や老子の引用があるかと思えば、尺八やゴルフ、釣りの聞いたことのない専門用語が頻繁に使われ、しかもそんな字に限って読めないものが多い。わしはその度、辞書・本・釣り雑誌・インターネットを駆使して調べるハメになる。
 とある老人に至っては「尺八が琴古の分派・錦風流」などと草書体で書いている始末で、当方としてはたまったもんじゃない。「尺八は縦笛流で吹いてます」ぐらいにすませていただきたいものだ。
 下部のような文書が山のようにあると、古文書の解読に当たっている気分になってくる。特に2番を解読できた方は、その答えをメールで下さると嬉しいです。 
 

1.

2.
 

2004/3/22 (月) 

 学生時代の友人から電話を貰う。
 「あ〜もしもし、久しぶり。応援団のYやけど」
 「おお、どうしたと?」
 「いや、五月の頭に結婚することにしたんだけどさ」
 「へぇ、そうなのか」
 「案内を送る住所を探すのが面倒でさ、直接電話で聞こうと思ってね…出れる?」
 「そんな先のことは分からん」
 「やっぱり。そんな先の行く末、分からんもんね」
 「じゃあ、また」
 「じぁあね」
 電話で結婚式の案内をするYも凄いが、「二ヶ月も先のことは分からない」の一言であっさりと相手を納得させてしまうわしの生活も相当おかしいと思う。

*


 親戚のババァ氏が家にやって来た。わしは親戚中から「ロクデナシのごく潰し」扱いされているのだけれども、その筆頭に立って批判しているのは他でもない彼女だ。わが身を心配しての説教は我慢できるが、「いいかげん目を覚ませ」「マジメに生きろ」等の無意味で執拗な忠告はうんざりする。目を覚ましてマジメに生きようとした結果がこうなってしまったのだから、仕方ないじゃないか。

 さて、珍しいこともあるもんだと思って用件を問えば、「この度、息子が高校に進学するから、余っている制服よこせ」とのこと。なるほど、そういう訳か、と納得。
 本来ならば、「どの面下げて拙宅を訪れやがるか、死に腐れ。ところで進学おめでとうございます」と温かい祝辞を捧げつつ塩を撒くところだが、ババァ氏の息子は母親に似ず聡明な子だ。ババァ氏のためではなく、息子の為に制服一式を進呈することにする。
 
 と、その日の夜、別の親戚から電話がかかってきた。「見直した!」「えらい!」とやたらと小生を褒め称える内容で理解に苦しんだが、話を聞けばわしがババァ氏に対して「茶を出して見送りした」ことを賛辞しているのである。どうやらおしゃべりのババァ氏が本日の出来事を親戚中に言いふらしているようだ。
 そうか、ババァ氏も良い所あるじゃねぇか。陰口しか言えない彼女も、わしの善行を言いふらすこともあるのだ。
 
 と、ちょいと待ちやがれ。「茶を出して見送りする」ってそれほどに賞賛される行為か。つまりこれは「連続強盗殺人犯で強姦魔放火魔の男が、落し物の財布を交番に届けた」のと同程度の意味合いがあると思われる。
 余程、わしは「ロクデナシ」扱い受けていることを実感した今宵は新春のみぎりを感じます。合掌。
 


2004/3/18 (木) 

 小田実氏の英語失敗談が面白い。
 小腹を満たそうとして街角の食堂に入った氏は、店員に卵を注文する。すると店員から次のように聞かれたそうだ。
 「Which kind of egg? (どんな種類の卵が良いの?)」
 彼は少し考えた後、自身満々に答えた。
 「ヘンズ・エッグ! (メン鳥の卵)」
 途端、店内は爆笑の渦にまき込まれ、店員は笑いを堪えつつ、再び尋ねたのである。
 「オムレット? ボイルド? スクランブル?」


 以前の日記にも書いたことだが、わしが中洲で働いていた時の同僚にショウ君という中国人がいた。 中国語はそこそこに出来たから(大半は筆談だったけど)、仕事の合間に日本語なども教えているとショウ君は見る見るうちに日本語が上達していった。元々、頭の良い奴だった、というのもあって最終的には博多弁ペラペラになる域まで達したのである。
 働いていた所は暴力沙汰が多い店ではあったが、商売自体は大層繁盛していて、掻き入れ時になると材料を切らすことも多々あった。そして、その時は博多名物"明太子"が切れたのである。
 早速、店長はショウ君を呼びつけた。
 「ショウ! メンタイコが切れた。このままじゃヤバイからすぐに買ってきちゃらんや」
 「ナンデスカ?」
 「メンタイって言いよろうが、キサン。 はよ行ってこいや」
 数分後、息をきらしたショウ君が嬉しそうに"焼ソバの麺"を持ってきた。
 忙しい時は特に気が立つものだ。店長は怒声混じりでショウ君を問い詰める。
 「なんや、これは…」
 すると、ショウ君嬉しそうに、
 「麺タイ!」


 わしの学生時代にも痛い経験がある。当時は特に欧米系留学生の友達が多くて、ある時、わしは彼らのホームパーティに招かれた。
 ホームパーティが日本のそれと一番異なる点は、会場をフルに使用することだ。一部屋に固まらず、ある者はリビング、ある者は玄関、ある者はバルコニーと、てんでバラバラに会食するのである。もっともその時の会場は、留学生御用達のボロアパートだったけれども。
 で、その時わしは、レノーアというアメリカ人の女の子と狭い四畳半に二人きりだった。期せずして何時の間にかそんなドキドキ状況にさせられたのである。レノーアは笑うと、ジョディ・フォスターに似ていた。
 レノーアはほんのりと酔っていて、「Girlfriendは、いるの?」と唐突に聞いてくる。ガールフレンドとはただ単純に女友達、という意味ではない。親密な女友達・恋人という意味になるのだが、そんなこと当時は知る由もなく、そしてそもそも女友達すらいなかったわしは素直に「いない」と答えるしかなかった。
 しばらく無言の時が続いた。
 気まずかったせいもある。酒によっていたせいもある。そしてわしは思わず口走ってしまったのである。
 「We..well...You have lovers? (こ、恋人はいるのかい?)」
 緊張のあまりにlovers(恋人たち)と複数系で質問してしまったのは、この際大した問題ではない。哀しきかな、日本人は"L"と"R"、"V"と"B"の使い分けが絶望的に下手なのが、最大にして最悪の問題だった。わしは混乱して、両者と取り違えた発音をしたのである。
 つまり彼女にはこのように聞こえた。

 「We..Well...You have rubbers? (コ、コンドーム持ってる?)」
 この後は知らない。



2004/3/17 (水) 

 偶々にして出会った浮浪者と旅している時、旅の秘訣として彼は言ったのである。
 「上を向いて歩かずに、下を向いて歩きんしゃい。ははは」
 要は"モノが拾える"ということなのだが、今考えれば、あの時わしは「旅人」として見られていたのではなく、「同業者」として見られていた気がする。でなければ、上手な生活保護の受け方、だとか、労せずして食い物を見つける法、だとかを教授しないはすだ。
 彼は収穫物の全てをわしにくれた。食い物、タバコ数十本、帽子…、拾ったおもちゃをくれたのは、理解に苦しんだが。

 そんな彼の言葉を思い出していたわけではないが、道端に落ちていた紙片を拾った。輪ゴムでひとくくりにされていたそれを不思議に思ってつい拾ってしまったわけで、その紙片――レシートの塊には次の様な文句が書かれていた。

 「当たり 商品引換券 ※上記商品を3月22日までにお引き換えできます

 うわっ、コンビニエンスストアのタダ券じゃないか。食料の引換券、その枚数となると二十枚以上ある。
 わしのような食生活を送っている者にとっては、天の恵みである。当選番号の書かれた宝くじ級である。喜びのあまりに一瞬、精神が錯乱状態へと陥り、「こんな高価なものは警察に届けるべきだ」との善人ぶった考えが頭をよぎったが、何のことはない、コイツはただのオニギリ引換券なのである。しかも有効期限はあと五日間。
 そっと懐にしまった。

 一気に全部商品に替えてしまっては怪しまれそうなので、三店の店舗を周り、無事に商品の引き換えが終了した。
 久しぶりの満腹感は心地よい。ただ結果的に言えば、これは拾い食いしているのと、何ら変わらないわけであり、寂寥たる思いと罪悪感もひっそりと同居している。
 タダで食える上に、満足感、劣等感、罪悪感が一度に味わえるなんて、なんという贅沢な食い物なのだろうか。


2004/3/16 (火) 

 数年来の友人、Hさんが「フロに入れなくなったので、フィギアを預かってほしい」と言う。つまりはフィギアが増えすぎたあまりに家中が埋め尽くされ、果てはフロ場までも占拠されて、日常生活を営むことすら困難になっているとの由。
 Hさんはいわゆるオタクの人で、月に三十万をフィギアに注ぎこんでいる。抱えている借金は一千万。四十代。独身。
 わしは収入の殆どを旅費に充てるが、Hさんの場合は120%をフィギアに充てる。実に気合の入った道楽ぶりである。

 その申し出を快諾した翌日、Hさんが早速フィギアを持ってきた。いきなり美少女系は抵抗あるだろうから、との暖かい配慮をしてくれ、まずは「あしたのジョー」「ゲゲゲの鬼太郎」「ベルセルク」シリーズの計百体をどっちゃりと持参。わしのツボをよく心得ている。
 わしにとってフィギアと言われて思いつくのは、ガキの頃に集めていた「100円キン消し」ぐらいだ。この度、初めて本格的なフィギアを見て衝撃を覚えた。
 いや、コイツは素晴らしい。作品それぞれに職人魂が秘められている。大人のおもちゃ…と書くと、いかがわしいものを想起するが、間違いなくこれは大人のおもちゃである。段ペイのおっちゃんの出来映えに至っては、芸術品並だ。

 と、Hさんにマズいものを発見されてしまった。本棚に鎮座なさっているセーラームーンのフィギアである(2003/10/20の戯言参照誤解されては適わぬので閲覧者各位皆様はお願いですから見てくだされ)。
 「へぇ。すごい意外だなァ」
 違うのだ。これは、嫌がらせの貰い物なのである。と釈明しようとしたところ、その言葉を遮るかのように
 「抵抗あるだろうと思って、この手のものは持ってくるのを避けるつもりだったけど、次回は遠慮なくどっさり持って来るね」
 とのHさんのお言葉。
 


2004/3/16 (火) 

 酒飲みながら、フィギアで遊んでしまった。いい年こいてわしは、何をやっているのか。
 というわけで、本日は酔った勢いで二夜連続のマニアックな話しでいきます。あしたのジョーを知らない方はゴメンナサイ。

 
 矢吹丈と力石徹のフィギアが、笑ってしまうぐらいにリアルだ。バンダム級に階級落ちした力石徹のげっそりとした肉質の再現はお見事だけれども、黄金のライバル、矢吹丈と力石を対比させるとさらに感心する。
 力石は元フェザー級であって、リーチの長さも矢吹丈より一回り長い。そしてフィギアも同様に力石がやや大きめに作られており、互いを対面させると両者がストレートを放ち会う瞬間! という状態になる。
 特筆すべきはリーチの短い矢吹が、ピタリと力石の人中を捕らえていることだ。矢吹のクロスカウンターは実に忠実に再現されている。腰の溜めまで表現されており、見事としか言い様がない。
 漫画ではある程度、造型のゴマカシが効く。滅茶苦茶な遠近法を使ったり、表現の一貫として長めに腕を書いたりするのである。ところがこれが立体造型となると、そんなゴマカシは使えないわけで話しが変わってくる。
 わし自身、暇さえあれば絵を書いて理論的な空手の研究をしていたし、クロスカウンターも(空手では後〈ゴ〉の先〈セン〉と呼ぶ)得意技としていたからよく分かるのだけれども、格闘技の技を立体的に再現するのは凄く難しい。造型センスはもちろんのことだが、格闘技センスも持ち合わせてないと絶望的に不可能なことだ。
 矢吹と力石のフィギアは格闘技経験者が作ったとしか思えない。そうでなければ、オタクという人種がいかに凄いものかを思い知らされる。

 わしは時々、学生連中に空手を教えているのだけれども、このフィギアが最高の教科書になることは間違いない。次回はぜひともフィギアを持参した上で空手指導にあたりたい所だ。
 コーチ役が口を開いた瞬間、練習生は練習を止めてコーチが元に集合するのは母校空手部の絶対のルールである。
 そこで、わしは道衣の懐から颯爽とフィギアを取り出し、叫ぶのだ。
 「バカヤロウ、そうじゃない。これを見ろ!」
 と、汗だらけになったフィギアを握りしめて、高々と手に掲げる。あっけにとられて、フィギアを見つめる若者たち―――。
 
 変態間違いナシなので、却下。





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