隊長の戯言


 
2004/2/26 (木) 


 唐突にキンキ・キッズのファンになってしまった。心の底から応援してる。その活躍は国内だけに留まらずにぜひアメリカへと進出して欲しい。
 
  kinky 【キンキ・形容詞】
  ・ねじれた、よじれた
  ・(性的に)変態の


 良いなァ「変態の子供たち」。読み方はキンキィと伸ばさずに、あくまでキンキ。発音が全く一緒だからアメリカ人は、皆そう思う。

 
 わしはモンゴルに行くと、遊牧民たちからは特別に慕われる。
 「タカだ、タカ。日本からタカが来たんだってよ、ぶははは」
 "TAK(A)"とは魔法瓶のフタの意味らしい。かなり情けない話しだが、「変態少年たち」に比べりゃ、随分マシだと思う。




性的に変態の少年たち
 

2004/2/25 (水) 


 メーラー、糞だらけ。

ごめんなさい20032004/2/24 (マァグマル) 

 戯言の年度が間違っていることを今更ながらに知った。匿名でお知らせ下さった方、ありがとうございます。二ヶ月近くも気づいていなかった計算になるが、誠に恥ずかしい。お詫びにモンゴル語で曜日の表記をしておきました。これのどこがお詫びなのか、小生もよく分からぬが。
 しかしながら六十日間に渡る戯言の年度修正を行なうのは大層面倒なことであります故、ここはほったらかしというこで。まさかとは思うが、このホームページをカレンダー代わりにして、ああ来年はアテネオリンピックの開催だなァと周囲に吹聴して恥をかいておる御仁がいなかったことを祈りつつ。

 本日、インド旅行記を更新・発表予定。今まで経験した旅の中でも、最も恐怖を覚えて最も笑った事件。あれは九州縦断中に自分のノグソを踏んだ時よりも怖かった。


2003/2/23 (月) 

 「糞くらえ」だとか「地獄に落ちろ」等のメールをよく貰う。発信者は一切不明になっていて、始末が悪い。
 
 と、考えてみれば、いや考えなくても分かるけど、この文面は自分で書いた内容じゃないか。当ページの下方に設置されているメールフォームが発信元なのである。
 思うに、単純なクリックミスをしたか、送信ボタンを押したらどうなるのだろう、といった好奇心を抱いた訪問者が送信してしまったものだと思われる。
 いや、その気持ちはよく分かります。わしも今だから告白するけれども、Gigioさんのところでは、何度か空のメールを送信してしまったことがある。いや、送信ボタン一度押すだけであっさりとメールが届くとはおもわなかったのです。あれは半年ぐらい前のことで「二回」しかやってませんから、お許し下さいGigioさん。

 ところで、「押してみたいけど、どうなるのか分からない。でも押してみたい」と思っている訪問者は意外といるんじゃないかと思う。
 そこで本日に限り、「糞くらって地獄に落ちろ」の送信ボタンをそのままクリックすることを許可致しますので、これまで迷っていた方はこの機会をぜひご利用下さい。これは今回だけのキャンペーンですぞ。毎回、「糞くらって地獄に落ちろ」はさすがに辛い。
 ちなみにメール送信フォームがはるか彼方のどん底に設置されているのは、小生の力量不足です。


2003/2/22 (日) 

 歌舞伎をみる。とはいってもテレビで見たのであり、おまけにスーパー歌舞伎である。スーパー歌舞伎とは現代的にアレンジした歌舞伎のことだが、その命名者は一体誰なのだろうか。この上なく素晴らしいネーミングセンスの持ち主だと思う。
 
 で、十分でギブアップ。
 いい年した白塗りのおっさん同士がしっとりと見詰め合いながら、
 「愛する○○様ァ! 何故にィーあたくしォー抱いてくれぬのですかァ〜っ」
 「おおお〜許せィー、○○よォ〜!」
 などとほざいている世界はどうにも耐え難い。場所が歌舞伎だからまだいいが、公道でこれをやってたら単なる変態である。
 やたらと金銀ギラギラ派手なのもいただけない。あそこまでいくと"雅"ではなく、悪趣味だ。金さえあれば誰でも出来そうな気がする。あんなものに数万円を投じて見に行く人間の気がしれまへん。
 その点、5元(約100円)ぐらいから観られる北京の京劇は正しい。チープな演出ではあるけれども、芸に気合が入っていて面白い。中国語が分からなくとも、充分に楽しめる。本当の庶民的な娯楽であった。

 
 それにしてもどうせ現代風歌舞伎と銘打つからには、クソな伝統に固執せずにホンモノの女性を登場させるべきだ。これはフェミニストとしての観点から言うのではなく、単におっさん同士の愛の囁きあいを見たくないだけである。
 そもそも歌舞伎とは女性中心の演劇だった。阿国(おくに)という巫女が「かぶき踊り」をはじめたってのは歴史の教科書ですら載っていることだが、つまりこの「かぶき踊り」が「歌舞伎」の原型なんである。
 ついでにいうと、かぶきとは傾きであり、当時は体制や規範に命を賭して逆らったアウトローの異風者たちを傾きもの、と呼んでいた。また傾きものは国の圧制に苦しむ庶民の代弁者であり、また憧れの対象である。
 傾くことは真似出来ないが、せめて彼らを風して踊るぐらいならばと思った女性たちを筆頭として発展していったのが、「歌舞伎」なのだそうだ。
 しかし、こんなものケシカランと幕府が思うのは当然のことで、権力をもってそれを根絶する。演目もどんどん規正されて行く。やがて庶民は、女が踊ってダメならばオカマがやりゃぁいいじゃねぇか、との結論に行きつき、男だけの「歌舞伎」が出来あがる。そんなわけで江戸末期には、女役者はついに一人残らず消えたというわけだ。

 上記のことを鑑みるに、正しい現代歌舞伎とは。
 イヨォーッとの声がかかったあとに、キレイな女優が大声で
 「小泉ィは〜 脳ミソ空っぽかァ!!」
 と見栄を切り、刀を抜くや否や、純一郎をはじめに腹黒・亀井静香や売国奴・平沢勝栄などをばったばったと殺陣で切り殺して行くのが本来の現代風歌舞伎だと思います。


2003/2/21 (土) 

 先日、唐突に小学校時代の同級生からメールを貰った。どうも偶然にこのホームページを発見したらしい。あの頃に比べちゃわしは随分と変わり果てたはずだが、よくも本人だと判明できたものだ。
 しかし「小学生の頃はかわいかったのに…」との哀調憐憫絶望の念が混ぜこぜになったような一文はなんじゃい。
 
 ところで次の設問にお答えになってください。
 
 問い。当ホームページの管理人に抱いているイメージを以下のものより選べ
 a) シャンパングラスを揺らしつつ 五つ星ホテルの最上階から街の夜景を眺めている貴公子
 b) 図書館の日陰机でひっそりと 本を読んでいる耽美派の美青年
 c) 一升瓶を側に 草むらで豪快にノグソしている身形の汚いただの馬鹿


 悔しいところだが、10人中9人は一切躊躇することなく「c」を即選してくれるはずだ。しかしながら、幼少時代のわしを知っている人間は「b」、あるいはもしかすると「a」を選ぶと思う。いや、絶対そうなのである。
 ガキの時分はコンプレックスを感ずるほどに華奢な身体をしていたし、おまけに足は「気持ち悪い」と言われるほどに長く、7年間はくりくりの丸坊主頭で過した。つまり言うなれば"可愛い坊ちゃん風"だったのである。

 メールの件もあいまって卒業アルバムなどを引っ張り出していたら、昔の写真が出て来た。成るほど、こう言うことか。

【過去】


【現在】

 何とも納得せざるを得ない。ちなみに当隊員の道化師はもっと凄い。むしろここまで負けていると、悔しくもあり、爽快でもある。

【過去】






【現在】


 この道より我を生かす道なし。


2003/2/20 (金) 

 インドで『デヴダス』という映画を観た時、あぁこりゃ適わんなァと思った。色彩感覚が、である。とことん色に拘ったという邦画に北野武の『ドールズ』があるけれども、それすら随分とちゃちなものに感じた。
 
 アジア人が色彩感覚に富んでいるというのは生理学的にも証明されていて、これはつまり黒瞳の方が色の感受性が強いからなんだそうである。じゃあ日本人もそうなのかというと、それは何だか素直にうなずけない。ドシロウトがエラそうに言うが、映画・絵画問わずに作品から発される色彩のパワーは、圧倒的に乏しい気がしてならない。

 アジアの街々には色が溢れている。どれもドハデな原色系の色を使ったばかりなのだけれど、剥き出しの自然と見事に調和した原色には時々ハッとさせられることがある。Pink Cityと呼ばれる街並すべてピンク一色の街があったり、中国が赤色の使いこなしは実に見事だ。インド絵画は一見すると不気味な配色しているけれど、不調和が生み出す調和、というものがある。また、モンゴル人に馬の毛色を尋ねると、軽く100色は答えてくれる。色の二次名詞は異常に多いのだ。見渡す限りコンクリート色に染まった日本はこの点やや寂しい。色が失われた国である。

 遥か昔の日本の話しをしてみよう。
 江戸期の木版画の配色は独特だ。今でも信じられないような値段で取引され、世界の美術品マニアの間を回っていると聞く。某有名画家は西洋人だったが、色覚異常であるが故に有名な作品を描くことが出来たのだろう。
 日本料理の真髄は「色を食べる」ことだそうだ。和菓子職人の作品はもっともたるものだし、今でも身近に食っているのはチラシ寿司か。チラシ寿司の配色は芸術的である。パスタがなんだ。ハンバーガーくたばれ。
 着物は季節に合わせて微妙に色を変える事が、"粋"とされたらしい。日本ほど四季の移り変わりがはっきりとした国はない。よって色彩豊かな着物はその文化を充分に発揮できるというわけだ。瓶覗、杜若、淡紅梅。これらは全て死語となった色の二次名詞である。何でも二百五十以上の呼び方があったと聞く。コバルトグリーン、ハワイアンブルーは死に腐れ。
 それら全ての文化が終焉を遂げた時期を一般的にはなんと呼ぶか。「文明開化」である。わはは、面白い話しじゃないか。

 
 先日、『英雄』という香港映画を観た。武侠映画は映画界における最高のエンターテイメント作品と個人的に思っているから、この手の気合の入った作品が出てくるのは凄くうれしい。
 やはり色使いは見事なもので、畜生やるなァ、と歯ぎしりしつつ観ていたのだけれども、何とこの映画の配色効果を考えたのは日本人であるということを知り、何だか嬉しくなる。まだまだ捨てたもんじゃねぇよ、日本の色彩感覚。
 日本人の名前はワダ・エミ。どうにも信じがたいが、和田勉の奥さんだそうだ。


2003/2/18 (水) 

 「もうこれ以上の核兵器は持たせない」
 先日、星条旗国の大統領がそんな発言をしたらしい。核拡散防止策の一貫だそうだ。最高に面白いジョークである、これがマジメな発言でないことを仮定した上では。

*


 某組織でプレゼンをしなければならないハメになった。組織、会議、発表、等々の言葉とはおよそ無縁な生活を進んで送っているが為に、当日が恐ろしい。
 そもそもわしは口下手で無口なのである。嬉々として面前で一説ぶっているヤツを時々見るけれども、あれはどういう神経構造しているのかとすら思う。
 大学時代には滅茶苦茶なプレゼンをしたことがある。プレゼンというか正確にはゼミの研究発表なのだが、これはヤケクソになって発表したら「今世紀最高の発表」と賞賛された、学友たちだけから。
 
 研究発表とはつまり論文研究の経過報告でもあるのだが、どいつもこいつも気合入った発表しやがるのである。二年間の研究の末に一大論文を書き上げるわけだから、それは当然のことなのだけれども、わしは何もやっていやしなかった。最終的に卒業論文は三日で書いた即席論文なんだから、仕方がない。
 丸一日要して行なわれるこの発表会ではわしは一番最後に発表することになっていて、はやく日が暮れ夜が来てわしだけお流れとなってくれ、と願うばかりであったが、やっぱりギリギリでわしの順番まで回ってきた。持ち時間一時間も使えるわけがない。致し方ない。言うしかないな。
 「えっと、私の研究は言うまでもない内容です。だから言いません。いいかげん皆さんも腹減ってると思いますので、さっさとメシ食って酒飲みましょう。おわり」
 皆一時間近く発表するのに、わしの発表は十秒で終了である。おかげで倦怠状態にあった発表の場は一気に盛りあがり、満場一致の拍手に迎えられたが、わしは恐ろしくて教授の顔が見られなかった。
 今でも疑問に思うのが、なぜわしが競争率トップのゼミに入れたのか(選定は教授が行なう)ということと、なぜこれで単位を貰えたのか、ということである。卒業以来、ずっと考えているけれどもこればかりは今だに謎だ。


2003/2/16 (月) 

 これはあくまでも民間伝承であり、真偽の程は定かではないのだけれども、秀吉公の朝鮮出兵に関する面白い文章を目にした。具体的には、豊臣秀吉が朝鮮に出兵する際に採用した案の話しである。
 当時の貿易情勢は南蛮貿易の真っ盛りというわけで、朝鮮という国の存在はあまり重要視されていなかったようだ。博多商人に限っては私的な交易を行なっていたとは言え、その頃の日本の輸出品目のひとつは朝鮮人のドレイであった。そんな意味では、李氏朝鮮国との公な交流はなかったに等しいわけだ。
 朝鮮出兵にあたり、この事実に目をつけ名作戦を思いついた何某という武将がいた。そして何某は、秀吉に進言する。
 「なにせ相手は未開の蛮国であります。こちらの国の事情はおろか、日本人を知らない兵士が大多数のはずです。そこで私が思いまするに、日本人は恐るべき怪物だ、とのイメージを敵方に抱かせれば、敵方は当国の武士に会った途端、一合も切り結ばず逃げ出す次第でありましょう。
 つまりは、こうです。
 兵士各々に極太の竹筒を携帯させます。そして排泄の際には、必ずその竹筒の中にウンコを詰めるようにさせるのです。さて、竹筒に収められたウンコをどうするかと言いますと、トコロテンの要領で竹筒のウンコをぐっと押し出すのでありますね。すると、わぁすげぇ、あたり一面には巨大なウンコが散らばり、実に壮観優美な様でありましょう。これを見た朝鮮人は、恐れ驚くこと間違いなし。わが国は向かうところ、敵ナシなのであります」
 「素晴らしいっ! 採用した。最高!」
 と秀吉が言ったかどうかは分からないが、とかく一説としてはこのウンコ作戦が朝鮮出兵の際に用いられたそうである。

 朝鮮出兵の当初、秀吉軍が連勝に連勝を重ねていたのはこのおかげかもしれない。また、竹筒に入ったウンコを押し出す日本兵の姿を朝鮮兵が発見した以降はその快進撃が止まってしまった、のかもしれない。


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