うわッ。これはムチャクチャ欲しい。喉から手が出るほど欲しい垂涎グッズ。
「帽子」は大変忠実に再現されているし、「灰皿」なんかは実用的で良い。「香水」などはぜひともステキな女の子にプレゼントしたいところだ。
肉食・魚食・野菜食の三バージョンが用意されているのにも心底から敬服と畏敬の念を持たされる。この企業の研究開発部、営業部ならばぜひとも働いてみたいものです。
http://www.partyzakka.com/bn/ak/uc50/
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武蔵盗作訴訟でモメておりますな。
製作者側には同情する。賛同はしないが、同情する。
わし自身、映画の脚本を書いてみて騒然としたことがある。思いつく限りの着想が既成の作品の枠を脱しきれず、どこか見たこと聞いたことのある筋・流れ・オチから脱却出来ないのである。
ところで現在1年間に出版される本の総タイトル数は約7万冊にも上るそうだ。うち、完全なオリジナル作品はどれだけあるのだろうか。99%の作品は数種の「箱」に分類され、またその箱の中にも「小さな箱」がある。例えるならばエロ小説が一つの大きな「箱」であり、純愛もの、緊縛もの、教師もの、痴漢ものがそれぞれ小さな「箱」となる。「箱」に収まらない作品を描くのは大変困難だ。意識せずとも既存のテーマや情景を準えてしまうことも多々ある。「武蔵」が意思的にやったのか、無意識的にやったのかはわからないけれども。
よって音楽家の言う「全てのメロディーは出し尽くされた」って言動は分からないでもない。独創とはそれだけ難しいのだ。
また、俳句という世界がある。これはさらに切実だ。十七文字だけで構成される世界。しかもその十七文字はイロハ四十七文字という世界に制限される。
俳句に限界を感じた人は既に江戸時代にいた。ところがこの俳諧人はそこまでで終わらなかった。その限界性を実際に探ったのだ。具体的に言えば、四十七文字の十七乗の計算を行なったのである。一瞬で回答が得られる計算機のある現今では簡単な話しだけれども、今より二百年もの昔でしかも西洋数学が普及する以前のことだから、こいつはなかなか凄い。
んで、はじき出された結果というのが、
2穣664杼9365垓0695京2193兆4963億2219万2687 通り、
だとさ。
この“兆”を超える天文学的数値を一見したところではピンとこないのだけれども、さらに突っ込んで検証すれば次の様になる。
百万人が一昼夜に一万句の俳句を作りつづけるとして、それを書き終えるには七二九兆八○七三億九四〇万三ニ六九年一一月一六日かかると言われる。これは日本の全人口が一日につき一万句づつ書いたとしても七十三兆年かかる訳だ。意味のない十七文字の羅列を含めて、の話しだけれども、それにしても限界の二文字には相当縁遠い。
たかが四十七文字、されど四十七文字。四十七文字×一七通りの俳句も数学的見地からすれば無限大の可能性を秘めている。音楽も文学もさらにそれ以上の可能性があるということか。
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