タクさんからのメールの返事、待てど暮らせど帰ってこねぇや。
ここしばらくは酔いつぶれる程に飲んだことがないことにふと気がついた。さらに思えば二日酔いもご無沙汰である。アノ苦しみも遠のけば麗しく、近づけば厭わしい。今宵は久し振りに深酒するか。
わしは一人酒ばかりヤっているのだけれども、それはわしの友人連中が酒の飲めない人間ばかりだから、というのもある。これはこれで利点があって、酒は皆わしの手元に集まってくるので大変都合がよい。そもそもわしが最も嫌う酒は愚痴吐きながらの飲み会の酒でこれほどマズイ酒はなく、これぞ神酒様に対する冒涜であるからして、えと何だかんだいってもわしは一人酒が好きなのだ。
その一方で、滅多にはせぬけれども「飲み比べ」は好きだ。自分が大酒飲みであると自覚している人間は少なからず「オレが一番だ」と思っている節があり、同じ匂いを漂わせている人間を見ると思わず対抗意識が芽生えるものだ。ここに生じるサシの勝負がたまらない。
血反吐吐いても知ったことか、明日のことなんか考えてられねェよ、といった全てを投げ打ってのタイマン勝負は両者ともに何の得すら見当たらず、それどころか不利益ばかり被るのだけれども、それを覚悟の上で勝負に挑むのが酒飲みである。「明日は明日の風が吹」き、「今を生きる」のである。全てを捨て去っての一対一の勝負なのである。この殺伐としていて真剣で、それでいてバカな雰囲気がたまらないのだ。
かつてわしは自他ともに認める大酒飲みを「二人抜き」したことがあって以来は自信に満ち溢れていたのだが、モンゴルで出会った遊牧民に初めて敗北した時は実に悔しかった。しかもそれは六歳児のガキであり、やっぱり世界は広かった。
ところで酒飲み同士の勝負ってのは古今東西からあったみたいで、平安時代の古文書には「酒合戦」なる言葉が残されているそうだ。
文字通りの「酒の合戦」である。自信のある酒飲みが一堂に会し、その酒量を競うのである。時には御前試合なども行なわれたらしく、殿様の前で剣の腕を競うのではなく、酒の量を競い合うってのが何とも笑える。
徳川家光の時代には相当大規模な合戦が行なわれた。以下孫引きだが「水魚記」という文書の抜粋。
慶安元年八月の時、「地黄坊樽次」以下一六名の軍勢が川崎大師川原の「大蛇丸底深方」の元へ攻め寄せた。西軍は「大蛇丸底深方」を大将とした一五名が大陣営を敷きこれを迎え討つものの、「地黄坊樽次」ら東方軍の勝利に終わり、蜂籠の名杯を勝ち得た。(大師川原酒合戦)
バカバカしくて大変よろしい。
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