隊長の戯言


 
2003/10/30 (木)

 詩人、吉野弘がお遊びで作った詩。

 母という字は
 女の中に二つの点
 乳房を加えた形なりと
 ものの本に書いてある

 舟の中にも
 乳房がある?
 佐藤春雄は、こう歌った
 「若者は海で生れた。
 風を孕んだ帆の乳房で育つた。」

 雨の中にも
 乳房がある?
 そうです
 一雨降るたびに
 数えきれない雨の乳房
 育つものは数知れず



 違うな。  

2003/10/30 (木)


 思わず作者に同情した。
 定価 → 半額→ 70%オフ→ 50%オフ→ 60%オフ。
 んで20円。定価につく消費税の方が高い。新品同様の本なのだけどなァ。
 紙ヒコーキ、折り紙、メモ帳、焚火のたきつけ、尻拭き紙、と何にでも使えることを思えば、あまりにも安すぎるってェもんだ。

 
 なんだかんだ言いつつも、大嫌いなブックオフをかなり活用している。
 こないだは100円コーナーにジャック・ケルアックの「地下街の人々」なとどいうおよそリサイクル量販店に似つかわしくない本が棚に並んでいるのを発見し大層驚いた。単行本は既に絶版となっておるし、しかも初版本ときたもんだ。市場価格は5000円近くになるはずである。偏屈な古本屋のオヤジに持っていけば良い小遣い稼ぎになるだろう。

 古本屋ってのは特殊な技術、いわゆる目利きが必要とされる世界で、つまりは骨董屋に類するものだ。店主のセンスが問われるのである。気のきいた古本屋に行くと、垂涎モノの稀少本がズラリと綺麗に並んでいて、わしは興奮のあまりに頭がクラクラしてくる。そんな稀少本をヤスリにかけている場面を見たら、古本屋のオヤジは卒倒して屁でも漏らすに違いない。彼らにとってのそれは骨董品なのである。
 市場主義に革命を起こしたブックオフの発想は面白い。従来の古本屋の概念を覆し、本は最初から最後までただの商品だ、と見なした上で、それを流通ルートに乗せた。商品に稀少価値を見出してはこの流通が崩れるわけで、これをあっさりと切り捨てたのが凄いじゃないか。これは本のド素人にしか思いつかない発想だろう。
 そしてマニア好みの古本屋というイメージを一新させたことにより、コンビニ化された古本屋・ブックオフは幅広い客層を勝ち取ったわけだ。当時まだ珍しかったリサイクルシステムを商業形態に完全に取り入れてしまったのもこのブックオフである。

 ただこれが新しい発想だったかというと、それがチョット違う。わしは「発展途上国」と言われる貧しいアジアの国々に似たようなものが沢山あるのを知っている。
 貧乏旅行者というものは、よほどの活字嫌いでない限り本を持ち歩いているもので(金はないが時間だけはありあまっているからである)、彼ら外国人旅行者をターゲットにした古本屋というのはアジア各地にゴマンと存在する。日本語の本なんて珍しくもなんともない。ところが、その値段というのがムチャクチャ高いのだ。初めて古本屋を利用した時はこの価格に驚いてしまい、わしは思わず店主に「何でこんなに高いのか」と質問したことがある。すると店主は答えた。
 「何でだ? 高くても問題ないだろ。また買い取ってやるんだから」
 旅行者にとって一度読んだ本というのはあくまでお荷物にしか過ぎない。重くて邪魔なだけである。となれば売るしかない。んで、売れば確かに高く買い取ってくれるのである。
 アジアの古本屋店主は本を売ろうとは思っておらず、「貸してやる」と考えている。価格は主にデポジットが主体というわけだ。つまりはリサイクル商業なのである。
 
 旅人は常に移動する。購入した古本が読み切れずとも問題ない。次の街、あるいは次の国にも古本屋があるからだ。これも暗黙の加盟関係にあるフランチャイズ形式だと思えなくもない。
 そしてアジアの古本は常に世界を旅している。
 
 

2003/10/27 (月)

 とても正気じゃやってられないということを悟り、瓶ごと冷やした焼酎を傍らに置いてビートルジミヘンクリームドアーベルベットなどを聞きながらやっと完成したのでありまする、へらへら隊のファーストアルバムのジャケット。これでようやく現世に戻ることが適ったわけであり、一安心。いやァ、帰って来れてよかった。

 真夜中。薄暗い自室。酒臭い自室。煙草の煙がこもった自室。
 わしはパソコンの電源をつけ、机に鎮座する。ジャケット対象の写真を高解像で取りこむと、500キロバイトも超えるそれはモニターに収まりきれるはずもなく、オンボロパソコンのドライブは悲鳴をあげる。ギリギリガリガリ。
 モニターが大層汚れているのにふと気づき、布で汚れを拭き取る。しかし落ちない。そこでわしはモニターに「はあーっ」と息吹し、慎重に何度も拭う。やっぱり取れない。さらにハァハァしつつゴシゴシ。
 と、ここで我に帰ったのだが、何の因果でわしは真夜中一人きりでこんなことをやっておるのか、と。わしはモニターに映った巨大な「男のケツ」にそっと暖かい息を吹きかけ、そして極めて丁寧至って真摯にそれを磨いていたのである。
 
 以降はアルコールの力を借り、理性を捨て去る。






2003/10/26 (日)

 ちょっとちょっとダンナこれ見てくださいよ。新聞に載っていた「一人暮し学生の月平均収支」なのだけどね。

 T.Nさん(男・大学一年)の場合
【収入】
 仕送り 100,000円
【支出】
 光熱費 12,000円
 食費  60,000円
 新聞代  4,000円
 雑費 20,000円
 支出計 96,000円
 △4,000円
 家賃 115,000円
 (保護者が支払い)


 テメェ畜生。食費に六万円も費やしておるのか。と、ここでわしは思わず新聞を握りつぶしたのだけれども、まぁこれは金持ちの坊ちゃんであり特例なのである、とわしは心落ち着かせたわけですよ。
 ところがである。

 R.Kさん(女・大学一年)の場合
【収入】
 仕送り 200,000円
【支出】
 家賃 80,000円
 光熱費 10,000円
 食費 30,000円
 通信費 10,000円
 書籍代 10,000円
 交際費 20,000円
 洋服代 20,000円
 支出計 180,000円
 △ 20,000円


 糞が! 親から貰った金の4分の1を遊びに使っておるのか。わしはついにくしゃくしゃになった新聞をガスコンロにかけて焼却したのですけど、実際新聞はまだ半分しか読んでおらぬからこんなことはできぬのであり想起する世界の中でひっそりと実施したわけですが、兎に角、これらは特例というわけでもなく、他の実例も似たり寄ったりなのですよ、ダンナ。こんなことは当たり前であり、常識なんですかい。
 しかし中にはこんな奴もいた。
 
 匿名希望さん(男・ボヘミアン)の場合
【収入】
 ナシ
【支出】
 家賃 ナシ(自宅の一人住まい)
 光熱費 ナシ(死んだ爺さんの遺金から引き落とされているらしい)
 交際費 ナシ(知人・友人からタカる)
 食費 4,000円(週千円)
 ガソリン代 5,000円
 洋服代 ナシ
 雑費 ナシ
 ▲ 9,000円


 大体わしは…じゃなかった匿名希望さんは銀行から下ろした一万円のみで一ヶ月を生き抜いておられる御仁である。
 改めてみると、バイクが食うガソリン代よりもわしが食う食費の方が安いことがわかり、さらに憤慨。


2003/10/24 (金)

 左右対称のオスはモテるらしいのですね。
 身体いうモノは本来ならばきっちりと左右対称に成長するものであり、左右対称ってことは遺伝子が傷ついていない、つまりは丈夫な遺伝子を保持しておるというわけでメスにモテる。
 
 ホントか、ウソ臭ェぞ。下等な動物は兎も角、人間は違うだろう。と、思うのであるが、こんな実験がアメリカで行なわれたそうだ。
 42人の被験者男性にTシャツを三日間着てもらい、それを回収。そして、そのTシャツを同数の(排卵期にある)女性被験者に嗅がせ、どの体臭をもっとも好みとするかを尋ねてみたところ、選出されたTシャツの持ち主というのが、0.01ミリ単位でしか差異がない左右対称の男性ばかりだったという。

 そうだったのか畜生、と左右非対称のわしは歯ぎしりするわけですが、チョット待て。左右対称のオスがモテるとしても、メスはどうなるのだ。モナリザも、ミロのヴィーナスも、後は知らぬけど左右非対称の女性像は沢山あるではないか。
 ところが、調べてみたところ美術解剖学では次のような解釈がなされているそうで。
 
 シンメトリー(対称)があらわすもの  =落ちつき・安心・求心力・硬直
 アシメントリー(非対称)があらわすもの=動き・不規則・生命・柔軟


 こりゃ面白い。そのものが異性に感ずる魅力ではないですか。男は頼り甲斐があるべきだし、守ってあげたくなる女性ってのは確かにモテる、男性の硬直ってのは意味深だけど硬いのは良いことだ。

 ここでふと積年の謎が解けた。わしのような変態も一時期の一瞬のわずかな期間、すごくモテた頃があったのだ。それまでわしは女にモテないものだと、一種の悟りの境地に至っておったのだが、この奇跡の時期は「オレってもしかしてすっごくモテる?」との誤解まで抱かせたのである。
 あれほど奇怪なる期間はなく、例えるならば、芳しい海辺の香に包まれた絶美この上ない浜辺に惹かれて思わず野宿し一夜を過ごしたところ、翌朝目覚めたら、海は強烈なる引き潮によって百万光年彼方に後退しており、わしはヘドロの中に埋没していた浦島太郎ということになる。
 そのまま悠久の時は流れて今現在、わしはようやく理解できた。
 わしは当時空手部に所属していたので、毎日殴りあいしておったのである。それは「オレ今まで2本の歯を折ってやったぜ」「けっバカか、オレなんか鼻と鎖骨と肋骨折ってやったことあるもんね」などという美談をする世界だったから、当然大半の部員は自然と顔の形が変わっていくのである。わしも網膜に傷が入り、鼻が曲がり、唇は変形したのである。
 そうだったか。
 わしのアシンメトリーだった顔は殴られたことにより、一時的にシンメトリーとなり、また再び殴られてアシンメトリーに戻ったのである。
 
 バカが頭ぶつけて一瞬頭良くなった。
 それと同じ理屈だ。

 ※私信
 納豆ご飯さん、メール面白すぎます。


2003/10/23 (木)

 こんな柔らかな笑いもタマには良い。
 知人の子供はどうしても自分でお菓子の包みが開けきれず、それを母親に頼んだ。母親は子供の自立心を促すためこう言った。
 「ダメよ。自分の頭を使って開けてみなさい」
 すると子供はお菓子に頭突きした。
 
 独特の言いまわしや同音異義語の多い日本語は、このようなギャグは豊富だろう。
 わしは外国に行くと必ず現地の人間を語学講師にして、その国の母国語を教えてもらっている。幸い、日本語を学びたくてたまらない、という奴はアジアにゴマンといるもので、そういった人間を講師にすればお互いの利害が一致してちょうどよい。わしは彼に日本語を教え、彼からは現地語を習うのだ。
 その際にわしが必ず実施しているのが「ハシ」の発音の仕方である。
 「ハシはブリッジだな。で、ハシはチョップスティクだ。そして、ハシがエッジだよ」
 「え? 橋がチョップスティック?」
 「違う! ハシは橋だ。もう一度言ってみな」
 「ハ、ハシ」
 「違う。橋!」
 「ハシ?」
 「それは箸だ。俺が言っているのは橋だよ、橋」
 「ハ、ハシ?」

 すると相手はどんどん混乱してくる。わしは楽しくてたまらない。
 ただ、「日本人の女の子の口説き方を教えてくれ」と言われる時も多々あってすごく困る。教える相手はひげもじゃのむつくけきオッサンだ。
 「アナタはステキだ。好きです。愛してます」
 「アナタステキ。スキテス。アイステマス」 
 「違う違う。愛してます」
 「アイシテマス」
 「ステキ。好き。愛してます」
 「ステキ、好キ、愛シテマス」
 「OK、OK。愛してます」
 「へへへ、愛してます」
 「Good! 愛してます」
 「ウヒヒ、愛してます」
 
 そしてわしは吐き気を催す。


2003/10/22 (水)

 「世界がもし100人の村だったら」を痛烈に批判するつもりだったのだけれども、唐突に書く気が失せたので止めた。読後感は遥かにこちらの方が良いのだろうが、わしはこんなメールが世界を駆け巡り、そして多くの感動をよんだという事実に末恐ろしさを感じる。こんなものは小・中学生に配るだけに押し留めるべきレベルの内容だろう。
 原文「世界がもし1000人の村だったら」の方が余程優れておる、とわしは思うのでありますが。

*

 母校空手部OB会より忘年会の通知を貰った。もう忘年会の時期なのか、早ぇなァ。
 へらへら隊でも毎年拙宅にて忘年会が行なわれており、年末恒例の紅白裏番組「猪木祭」を見ながら年を越すことがもはや慣例と成りつつある。昨年は「人生ゲーム・アントニオ猪木版」のプレイがこれに加わって、益々の発展と健勝を遂げいよいよ変態化した。
 人通りも閑散とした年の暮れの白昼、どこぞから沸いてきたのかという異様な風体をした男たちが続々と集まり、アバラ屋に消えていく。閑静佇む住宅街の空気はこの時より一変し、途端ドス黒い空気が街中を漂い、包み始める。
 そして、奇妙珍妙な叫喚がアバラ屋と飛び出し、住宅街をこだまするのだ。
 「バカヤロー!!」「元気ですかァー!!」「ダァッー!!」

 すごろくってのは本気でやればやるほど面白い。
 これはわしが小学六年生の時の話しに遡るのだが、隣のクラスに日々すごろくに興じている連中がいた。奴らは毎日の昼休みをそのすごろくプレイに費やし、他の子供たちは運動場で仲良くドッジボールをしておるというのに、薄暗い廊下の片隅でからころとサイコロを振っているのである。不健康で実に暗い。
 と、思ったのだが。
 その手作りすごろくの内容。止まったマスメには次のような言葉が書かれている。
 「三分以内に校庭一周しろ、ダッシュで」
 「女子の交換日記を盗んでこい」
 「担任の女教師に罵声をあびせろ」
 「今すぐ山田君を探しだして、有無を言わさず引っ張って来い」
 マトモなマスメなど一つもない。バカかコイツら、と嬉しくなったわしはその日からそのすごろくに参加した。スタートが遅れても、何のハンディにもならない。上記のような理不尽極まる行為を次々と実行し、いくら着実にコマを進めていっても「残念!振り出しに戻る」が異常に多いのである。
 わしが行なった屈辱的な行為は、今でもはっきり覚えておる。
 「便所に行ってクソをしてこい。排泄後は皆に確認させること。クソが出るまでは復帰不可」
 小学校での大便とは、小学生にとっては最大のタブーである。これはキツかった。
 結局、このすごろくは卒業式の直前まで続けられたが、誰一人として"上がり"はなかった。一年かけてもだれも上がれないすごろくってのはおかしいんじゃないか。

 この点、「人生ゲーム・アントニオ猪木版」は大変常識的でマトモである。アントニオ猪木を常識的と書くのは実に非常識的だが事実なのだから仕方がない。しかしこれじゃあ面白くないので、年末までには何とかしてマスメを書き換えたいと思う。「腕立て100回」はベタで詰まらないか。「参加者全員からビンタをくらう」ってのは良いな。「コンビニ行って生理用品を購入、裸で持ちかえる」っても恥ずかしい。一人では思いつかぬので、どなたか案を提供してくださると助かります。
 
 ところで、あのすごろくをやっていた級友たちは今、どうしているのだろう。出世しているとは到底思えないが、風の噂によればへろへろ隊とかなんとかいう団体を立ち上げ、案の定立派になるどころか 見事に退行しているという話しを聞いたことがある。


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 世界がもし1000人の村だったら
 584人のアジア人
 123人のアフリカ人
 95人のヨーロッパ人
 84人のラテンアメリカ人
 55人のソビエト人
 52人の北アメリカ人
 6人のオーストラリアおよびニュージーランド人が住んでいるだろう。
 
 そして
 165人が中国語
 86人が英語
 83人がヒンズー語かウルドゥ語
 64人がスペイン語
 58人がロシア語
 37人がアラビア語を話し、残りの半分の人たちは (数の多い順に)
 ベンガル語、ポルトガル語、インドネシア語、日本語、ドイツ語、フランス語等の言語を話すだろう。

 この村に住んでいるのは
 300人のキリスト教徒
 175人のイスラム教徒
 128人のヒンズー教徒
 55人の仏教徒
 47人の多神教徒
 210人のその他の宗教の信者、あるいは無神論者だろう。

 この村では1人当たり土地を7300坪持ち、
 村の総面積730万坪のうち、
 90万坪は耕地
 170万坪は牧場
 230万坪は森で、
 240万坪は砂漠やツンドラ、覆われた土地、そしてその他の荒れ地だろう。
 森は急速に減少し荒れ地が増加し、その他の土地はあまり変化してないだろう。
 
 村では、肥料の83%が農地の40%にまかれるであろう。
 そしてその農地を所有しているのは最も豊かで物を与えられた270人であり。この土地から出る余った肥料は湖と井戸を汚染するだろう。
 肥料の17%は農地の残り60%にまかれ、穀物の28%を生産し、人々の73%を扶養するだろう。

 村人のうち330人は子供たちで、その半分にだけ麻疹やポリオのような予防可能な感染症に対して免疫が与えられるだろう。
 1000人の村民のうちの60人は65歳以上であり、
 既婚の女性のうちで半分を下回る女性だけが現代的な避妊方法を使うことができるだろう。
 毎年28人の赤ん坊が生まれ、毎年10人が死ぬだろう。うち3人は飢餓によって、1人は癌によって死ぬだろう。
 そして死ぬ人のうちの2人はその年の内に生まれた赤ん坊であろう。
 村人の1人はHIVウィルスに汚染されているだろう。
 28人生まれ10人死に、翌年の村の人口は1018人になるだろう。

 この村では、200人が収入全体の4分の3を受け取り
 別の200人は収入全体のたった2%しか受け取れないだろう。
 70人だけが自動車を所有し
 3分の1は清潔で安全な飲み水を飲めず
 村の大人の半分は読み書きができないだろう。

 村には、5人の兵士、7人の教師、1人の医者がいるだろう。
 村の1年当たりの支出の合計は4億円を超え、
 1800万円が保健と医療のために
 2400万円が教育のために
 2100万円が武器と戦争のために支出されるだろう。

 村は、村自身を何度も粉々に吹き飛ばす爆発力を秘めた核兵器を持っており、これらの武器は人々のうちのたった100人に管理されているだろう。
 残りの900人は、その100人が不注意か技術的なミスによってそれらの武器を爆発させるかもしれないということについて、また彼らがいつかそれらの武器を取り壊すと決めたとしても、彼らが一体村のどこでその危険な放射性物質の処理をするのかと、深く心配しているだろう。

 
 1990年にDonella Meadowsが書いた文章を改訳


2003/10/20 (月)

 本日は一応、誕生日なのである。わし、おめでとう。この記念すべき歴史的祝日における祝辞のメールは天文学的数量の値が届き、現在はその対応に追われて四苦八苦しておりまして誠に嬉しい悲鳴を挙げつついちいち煩悶しておるわけですが、と言いたいところでありますが実際のところはたった二通のメールの処理ゆえ哀しいほどにこれは実際至極簡単な処理業務であり兎も角有り難うございますですはい。

 そんなわけでサトー副隊長より「飲もうや食おうや」との連絡を貰い、博多駅傍で落ち合う。待ち合わせの場所の某電気量産雑貨店につき、いざ逝かん、てな訳で悪趣味極まる我が改造バイクをずんどこすっ飛ばして行くと、
 「本日は日本国民総勢で大慶すべき貴日であるので、小生これを奉祝してとある腹案を提唱致す」
 と言いやがるので、早速その提案を拝聴したところ、力闘を行なった末に勝者が望む商品を隊長にブレゼントを献上しようただし千円以内で、とヤツは立案なさったのである。くそたれめ、手前はぼけか畜生か仮にわたくしが敗北したら何ゆえに貴様にプレゼントを献上せねばならぬのだ、という反駁はこれっぽっちもなく、よし面白ェじゃねぇかやったるぜ、とわしは嬉々としてその提案を承服したのである。

 仮にもわしが敗れるようなことがあらば、ロクでもない商品が捧呈されるのは火を見るよりも明らかで、わしは精神統一して静思しつつジャン拳的死闘に望んだのであるが、果たしてわしが勝った。わはは、これこそ天命なのである。
 そして決戦の場は、玩具売り場で行なわれたのであるが、これがどうにもマズかった。ホントはCD-R十枚組なんぞを受託したかったけれども、わしはムラムラと「あり得ない」商品を受け取りたくなったのである。その魂胆としては「その場で舌噛みきって自刎する程に恥ずかしい」という恥辱の思いを、サトー副隊長に味あわせるというのが一番の狙いで、知的でクールという間違った幻想を抱かれているサトー副隊長二十六歳をとことん蔑んでみたかったからである。
 「これしかないだろう」
 わしは迷わず玩具売り場の一コーナーに突進し、"それ"を指してサトー副隊長に所望した。けけけ、たまらねェや。サトー副隊長は赤面しつつ、"それ"をレジの女店員にそっと差し出す。わしは影で"それ"を買う様子を密やかに見守る。
 女店員は"それ"を見て一瞬硬直し、改めてサトー副隊長を見つめると、突然に目をそらす。その様は明らかに動揺しておるのがはっきりと見て取れ、そしてあっさりとレジを打ち間違える。そしてその打ち間違えは余程「あり得ない」打ち間違えなのだろう、若き女性店員は一所懸命にその復旧に努めさらに混乱する。そしてしばらくの格闘の末、彼女は他の店員を呼び、ちょっとした大騒ぎになる。カウンターにポツリとある"それ"を目前に一人レジに立ち尽くすサトー副隊長。もう最高。
 
 帰り際、逸早くこの場を立ち去ろうとしたサトー副隊長は昇りのエスカレーターで降りようとして、周囲の失笑を買う。
 今、我が家の本棚に燦然と飾られているのは「セーラームーンコレクション セーラーウラヌス」のフィギィアだ。備品にはルーズソックスも備えられている逸品である。大事にしよう。




 

2003/10/18 (土)

 ケツの穴が痛い。ちりちりとした疼痛が終日にわたって続いておるのでどうにも参る。唐辛子の食いすぎか。

 現在、拙宅には唐辛子、オクラ、ネギが生えており、とくに唐辛子に限っては何重にも塗り重ねたかの如くの真っ赤な実がたわわに実っている。
 もはや記憶にないぐらいのずっと以前にタネをばら撒いた記憶はあるのだが、よほど条件が合致したのかとうてい一人では食いきれぬ量の唐辛子が次々と誕生しつつある。
 当然ながら水や肥料をこまめにやって、頻繁に仕立てを行なう、などという甲斐性ある行為をわしがするはずもなく、コイツはまったくの野ざらし雨ざらしほったらかしの放任主義で育ててきたものだ。若年の時分に過ちを犯して作った子供をやむにやまれず捨ててしまったものの、気がつけばたくましく成人して再び帰来した、といった感があり、こうなるとしみじみと可愛い。これぞ本当の自然野菜であり、自然児なのである。

 環境が良かったというせいもある。そもそもこの唐辛子が生えている土は、相当に肥沃な土地の筈だ。この土の中には、知っている限りでも犬、猫、ニワトリ、カラス、スズメ、インコ、ヘビ、イタチが埋葬されておるので、かなりの栄養土に違いない。
 と、こう書くと、「隊長は犬、ネコを食うのですか」というメールが必ず届くので一応断っておくが、それらの大半は往来でのたれ死んだ動物たちで、心優しきわしはヤツらを埋めてやってきたのである。ニワトリとスズメは食ったけど。
 そして恐らく安らかに成仏したであろうそれらの動物たちはその感謝の恩恵として、わしに美味い野菜を提供してくれているのであり、つまり犬の恩返しであり、ネコの恩返しなのである。ネコと一緒に埋められたニワトリにとっては至極迷惑な話で、ヘビとインコがあの世で仲良くしているとは到底思えぬけれども、それは本人たちの努力次第でなんとかなると思うので、これは良しとする。

 そんなわけで最近は唐辛子ばかり食っており、糞をするたびにケツが燃える。
 はたして肛門にも味覚は存在した。





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