隊長の戯言


 
2003/9/29 (月)

 綱引きは淫猥である。
 綱引きのツナは二本のワラ縄を編んで作られるが、そもそもあれは男女の陰毛をなぞらえたものだという。さらに言えば古来の綱引きはキッチリと男女間に別れ、互いにこの擬態チン毛を握り合って押しあい圧し合いした。これはもう充分にエロい。エロすぎます。
 かくなる行為は豊作と子孫繁栄を願って行なわれた神事で、少なくとも奈良時代以前より行なわれてきたそうだ。
 つまるところ、綱引きとは陰毛の引っ張りあいであり、性交なのである。

 ブランコは淫猥である。
 ブランコの起源については、次のような説があるらしい。
 ブランコは紀元前6世紀の古代北方遊牧民が発明した遊戯で、春秋時代の中国王朝が遊牧民を征服した際に、この遊びを中原に持ちかえった…という。モンゴル万歳。
 とにかく古代中国王朝では、さかんにブランコ遊びが行なわれていたというのは確かなことで、ここから世界各地に広がっていったのは確かな事実である。
 ところで、ここでの問題はそのブランコの用途にある。あれである。後宮女官のGに使われておったらしい。このブランコのもつ開放感覚と上昇感覚は「半仙戯」と呼ばれ、つまりは天に上る仙人のような気持ちになれる遊戯とされた。つまりは無重力感覚でGなのである。えっと、畜生、言っちまえ、そうだ、自慰なのである。
 今では知らぬが、中国ではブランコは女の子が乗るものと相場が決まっていたそうだ。
 
 
 そんなわけで、運動会の綱引きに叫喚を挙げている学徒たちや、公園のブランコで遊んでいるガキんちょたちを見かけた時には、次の科白をびしっと言ってあげるべきだ。
 「まだ十年はやい」


 ※久しぶりの相互リンクがありましたので、チト紹介。
  『D/K Comp.』
  フォトギャラリー、イラストギャラリーを主要コンテンツとした、総合芸術発信サイト。かくなる高貴なサイトのリンク集にある我が変態サイト。浮きまくってますが、管理人さんも訪問者も気になされぬよう。



2003/9/28 (日)

 本日は大根一本だけで飢えをしのいだ米もねぇよ、と貧乏自慢しようと思っていたのだが、サトー副隊長が「見舞い品だ」と言ってサーモンの刺身を持って来やがったので自慢できなくなった。悔しいが嬉しい。病人への見舞い品が酒のツマミ。うーむ、万歳。

 LAN環境を構築した、と書いたらパソコン素人からの尊敬を集められるのだろうけど、実際わしはパソコンに関する知識はからっきしで、やぶれかぶれにやって出来た偶然の産物。しかし全く弄った覚えはないのにホスト名がheraheraでドメインがtakaと勝手に決まってしまったのはどういう訳か。これでは恥ずかしくてたまらない。それから接続ツールが立ちあがらないのに(表示される接続状態は"不通")、何故かインターネット出来ているという現状が不思議でならない。とはいえども、この事態によって酒の味が変わることはあり得ないので良しとしよう。

 英語圏に住む外国人に一番不評な空港をご存知でありますか。福岡空港なのである。というのは、福岡空港で荷物に付けられるタグは周知のとおり「FUK」。これが「Fuck」の略語に見えるんだそうである。福岡空港にいる客みんな荷物にクソタレクソタレの文字ぶらさげて。あっちでくたばれ、こっちで消えろ、そっちで地獄に落ちやがれば、向こうでは○×△ヤっちまえ、と。
 ぼくは福岡空港がだいすきです。

 母校の空手部にちょくちょく顔を出している。一時はにゅうじぇねれぇしょんの荒波に飲まれ、この愛すべき大日本帝国主義的旧体制組織は潰れかけたが、わしを含めたOBが必死で再興活動を続けているうちに、今では一大勢力になってしまった。今やわしが主将をやっていた頃の四倍の人数である。後はある程度の距離をおいて見守って行くだけでよいのだが、これはこれで寂しい。
 一人前に成長を遂げ親離れしていく子供を持った親の気持ちがよく理解できた。

 『「深い河」をさぐる』っていう対談本がある。その対談者の一人が俳優の本木雅弘。わしは半ばバカにしながら彼の述懐を読んでいたのだけれども、その中に突如としてキラリと光る言動が混在しており不覚にも涙した。そういえば、以前に彼が主演の「シコ踏んじゃった」という映画を見て泣いたこともあったような気がする。もっともあれは脚本に泣かされたのです。
 あと、全く関係ないがついでに激白すると『少林サッカー』を観た時もわしは泣いた。笑い泣きじゃなくて、感動して泣いたのである。

 酩酊しつつこの文章を書いている。思考が切れ切れになって四方へ飛び散り、それらはアルコールと供に明滅していく。しかしながら、一見する限りは何の脈絡性もない文章も、行間に潜ませた深遠なる社会的メッセージ性が存在するのだ。それを感じ取って頂ければ小生も冥利に尽きるのである。とはいえ、現時点において我が全作品に暗喩されている一貫したテーマを感じ取ってくれた識者はごく僅かだろう。
 これについては小生の努力不足を責めるべきではない。諸兄諸姉の読解力が足りないのである。精進せぇ。然りといえども、我が作品の根幹たるテーマを感受してくださる方がいないという現実は実に慙愧に堪えないので
「ctrl」+「A」。
 お詫びに今から泡盛イッキ飲み致しますので勘弁ぞ。


2003/9/26 (金)

 モンゴル西部の僻地より二週間ぶりに首都・ウランバートルに帰還したところ、「宿の部屋は全部うまってしまったヨー」と女主人のナサンが言った。というわけで、ネタがなくて困った時のとりあえずモンゴル話し。

 「でも、心配しなくていい。お隣が空いているから」
 と、満面の笑顔で答えるナサンの案内を受け、わしは隣の家に行ったのだけれども、そこは当然ながらやっぱり普通の民家なのである。
 「ちょ、ちょっとナサン。ここ明らかに他人の家だろ。勝手に泊まって良いのか?」
 「他人じゃない。隣人よ」
 「いや、それにしてもここ首都だろ。郊外の遊牧民ン家に泊まるのと訳が違うだろ?」
 「大丈夫よ」
 「そうか。お隣さんにはもうこの事を伝えてあるんだな?」
 「伝えてないけど、帰ってくるのは明日だから、大丈夫よ」
 「見知らぬ日本人を勝手に泊めさせて良いのか?」
 「タカは宿泊客じゃなくて、わたしの友達だから大丈夫よ」
 
 ムチャクチャな話しだ。わしは人の家に勝手に押し入って泊まりこんでいるのである。部屋を見渡せば、金庫もあるし、食料もあるし、ローボードの上には煌びやかな置物がが燦然と並んでいる。
 もう知ったことか、わしは体調を崩していた事もあって(野草の拾い食いとゲテモノ食いばかり続けていたせいだ)、そのままアッサリと眠りこんだ。


 早朝、わしは突如として嘔吐感に襲われ、カシミアジュータンの上に「うげげげゲロッ」とやってしまった直後のことである。
 何物かがドアをノックするので玄関の戸を開けると、そこには鬼子母神の形相さながらに顔を引きつらせたオババ氏が立っている。オババ氏の後には高校生ぐらいの娘。ついにこの家の主がご帰宅あそばされたのだ。
 オババ氏は無言でわしをギロリと睨むと、つかつかと室内に入り、何はさておき電話を取った。電話の相手は間違いなくナサンだろう。彼女はモンゴル語で罵倒の言葉をまくし立てる。
 「○□ε△塔オ×!!!!!!!!!!!!!」
 恐ろしや。そりゃ、家に帰ってきたら見知らぬ外国人が居ついていて、しかもジュータンにゲロ吐き散らかしているのである。怒って当然だ。
 わしはこの頃、既に大体のモンゴル語は理解出来るようになっていたから、彼女の文句も凡そは理解できた。
 「…デカい…日本人…いる……勝手…床に…ウンコ」
 
 あいや、待たれィ。これはウンコじゃない、ゲロなんです。私は病人なんです。ナサンが泊まれと言ったからオレは泊まったんだ。オレぁ悪くない。ゲロの件に関しましては全面的に謝るが、ウンコと間違えられたのは大変不服なことであり、ニッポンジン床にウンコしません。
 と、弁明しようとしたけれども、オババ氏の外貌があまりにも恐ろしかったので何も言い出せない。仕方ないので、わしはオババ氏の娘に懸命に釈明したのである。
 異国の見知らぬ人のうちでウンコ弁解。あれはなかなか素晴らしい思い出だ、今となっては、今となってはな。

 
 その後、オババ氏の娘は日本語学校に通っていることが分かって、わしは彼女と仲良くなったのだけれども、
 「タカ、しばらく首都にいるのだったら、その間は家に泊まってれば」
 と言われた時は、小生さすがに閉口したのでありますよ。
 

2003/9/24 (水)

 朝っぱらから身体がダルくて、頭がズキズキと痛む。昨夜はさほど飲んだつもりはなかったのだが。畜生、年々酒に弱くなっていることには薄々自覚し始めてはいるものの、こうも弱くなると軽いショックを覚える。
 
 日が暮れてからは、さらに倦怠感と頭痛が増し、さらに状態は悪化。って、これは風邪じゃないのか。
 なんだ、ただの風邪である。風邪で良かった。安心したので百薬の長を飲んでから早々に寝ます。頑張れ、わし。

 追記
 GIGIOさん、トップページでの宣伝ありがとうございます。
   


2003/9/21 (日)

 二日酔いならぬ「三日酔い」にどうやら突入してしまったようで、往生している。朝メシに食パン二枚、昼メシ・晩メシを食わずに酒だけを鯨飲したのがどうもまずかった。
 本日、腹は減りまくっててどうしようもないが、酒と水しか腹に入れる気がせず。空腹感と嫌食感が並存し得るという事実にささやかなる感動を覚えた次第。
 はい、間違いなくわしは早死にすると思います。


2003/9/19 (金)

 サトー隊員より報告記が寄せられたので転載。

  
 箱根自然の家で、記憶にないほど強制労働の日々に壊れたオレ(サトー副隊長)とイーダ炊事長と道化師は、アスレチックのぶらさがりロープウェーに行った。ガキがぞろぞろいたので並び、「一回やらせてくれ」と頼んだ。グラサンの大人が言うからブキミだよなあ。
 かつての記憶より数倍の速度が出て、ワイヤーに激突しそうになり、オレはドロップキックの体勢でふっとび芝生を転がった。ガキ共が喜び「ダセエ」と面と向かって言ってくる4才児までいた。しかしさらなる挑戦者が現われた。
 
 イーダ炊事長のコールで道化師が立ち上がった。スタート台につく。そして遂に道化師が目深にかぶっていた帽子を脱いで地面に叩きつけた! その時の道化師を囲んでいたガキ共の顔といったら! 「目が点」「放心状態」「茫然自失」「声を失う」「息を呑む」とはまさにこのことや。よく晴れた昼間、青空と芝生の広場、箱根の山少年自然の家に、突然“妖怪”が現れた!
 
 道化師は変則的な乗り方で滑降をスタート。加速後すぐに落馬し、手だけロープウエーをつかんで地面を高速でひきずられる「西部劇」状態に。砂埃のなかで弁髪の怪人がひきずられていく異常な光景。さらに奴は勢いよくふっとび、すぐ横の芝生の崖に転落。雪駄もふきとんで、奴はきりもみ状にあまりにも激しく崖の下に転落していった。

 ガキ共は大騒ぎ! ガキ共のリーダーが「あり得ない風貌」「あり得ないテンション」に危険を感じたのか、「みんな次のところに行こう!」と叫び、まだ道化師が崖を転がっている最中なのに、ガキ共は全員去っていったのだ! 道化師が立ち上がった時には、誰もいなかった。すばらしかった。オレたちはただロープウエーをしに行っただけなのだが、本年度MVPはあの瞬間にあったことを伝えておかなくてはならない。


道化師、NTTの宣伝という訳ではないので注意
 

2003/9/18 (木)

 チャック・ベリーの『ジョニー・B・グッド』の替え歌、
 「イチモツふざけたニューオーリンズ、腹這い野郎が毎日、砕けた土鍋で鍋物、八百屋のねぇちゃん不細工、白菜ばかりが能じゃねェ、死ぬまで河豚を食いまくる、ゴーゴー、ゴージョニー、ゴゴーゴー」
 などという歌を歌っておるバンドのベーシスト「清十郎」はギタリストの「アング」と一緒に、ドラマーの「片山」が持ってきたLSDをヤリまくっていたところ、実はそのLSDは片山がヤクザから盗んできたLSDだったということが発覚し、ヤクザに目を付けられたアングは気功術師の婆ぁのところへ逃げ、清十郎は婆ぁの温泉に逃げ、バンドは崩壊したんだとさ。町田康の小説「夫婦茶碗」で新潮文庫刊。

 ちょっと待て。わしはこれとそっくりの話しを知っとりますぞ。

 OASISの『シャンペン・スーパーノヴァ』を元にベーシストの「D」が作った『誕生日にはシャンぺン』は発表ライブの直前になってボーカルとギタリストが突如として謎の失踪を遂げ、Dは仕方なくベースを弾きながらボーカルを務めるハメとなりドラマーと二人きりのライブを敢行することとなる。
 ベース兼ボーカルってぇ組み合わせは通常絶対ありえない事態なのだけれども、Dは然るべき処置もなく余儀なく仕方なく対応できるわけがなく泣く泣くこれを熱演熱唱。ところがDの奇怪な姿態、恐るべき風体には『誕生日にはシャンぺン』などという美しき文言を誰一人として聞き出だせるはずもなく、観客の誰もが『誕生日にはションベン』と歌い狂っているんだな、と信じて疑わない。
 その後しばらくして、Dは「T」や「T.B」等々の凶悪な面子とバンドを再結成したものの、その半月後にDはカナダに逃亡するわ、T.Bは台湾に失踪するわで、結果彼らは数ヶ月のあいだ消息を絶つこととなりやっぱりバンドは崩壊した。
 しかししかし、およそ一年後にバンドはしつこく再々結成され、稀代の迷曲『夕空晴れて』を作り上げる。が、これは結局ボーカル担当の「H」を騙すドッキリネタにしか使われず、して、その内容はというと『夕空晴れて』に目をつけた雑誌記者がHに取材を申し込み、Hは取材費代わりに覚醒剤を無理やり渡されるというモノ。
 そして覚醒剤を持ったHは警官に拘束されるというオチがつくのであるが、そこでようやく真実を知ったHは怒りと悔しさのあまりに胃液は沸騰し臓腑は煮え繰り返り人間不信に陥れば、へらへら隊は崩壊の危機を迎えた。めでたしめでたし「D」とは道化師。

 
 町田康には悪いが、ネタとしては後者の方が格段に面白いと思う。なんたってこちとら全て実話であり、「事実は小説より奇なり」也。
   


2003/9/17 (水)

 ※酩酊中につき、乱文お許し下さい

 と、予め書いておけば、本日の『戯言』は凄く楽に書けますな。

 久しぶりに空手部時代の後輩に電話。近況を聞いたところ、弁護士になるため目下勉強中だという。聞けば4ヶ月近くも机に齧りついているそうなので、酒でも飲ませてやることにした。
 これについては「日々勉強漬けとは可哀想に。タマには気分転換させてやろう」などという思いやりたっぷりの優しい気持ちが突如芽生えるはずもなく、「今のうちに恩を売っておけば将来助けてくれるだろう」との現実的算段を計算してのことである。
 殺人・放火・強盗は犯さないまでも、脱税罪(先日、払ったけど)、恐喝罪(顔面が)、脅迫罪(顔面が)、詐欺罪(わしは優しい性格だとこのホームページで散々嘘を重ねた)、公然猥褻物陳列罪(旅先での立ち小便は無限数、右上のアイコンはS隊員のケツがベース)など数々の罪を犯し続けて来たものだから、この際いい機会である。

 「先輩は近頃どんな文章を書かれておるのですか?」
 焼鳥屋で豚足をガリガリむしり食ろうていると、そんなことを聞かれた。
 「えーと、色々だな」
 「あ、やっぱり北朝鮮問題など深刻に書かれておるのでしょう?」
 こいつは困った。この後輩は、タカ先輩はマジメでクールな先輩、と一方的に勘違いしていてお堅いマジメ文しか書かないだろうと信じきっているのである。学生時代、わしはずっとマジメなフリをして偽の仮面を被りつづけていたのだから、致し方ない。ここはそろそろわしの正体を知ってもらうべきだと、
 「とんでもねェや、こないだは馬のウンコがメインテーマだったんだぜ。へへー」
 そのように言おうと思ったのだが、期せずして深層心理下に過剰な自意識が働いてしまい
 「うむ。その通りである。つまり現代民主政治の根幹は譲許表第三十八表の訂正で、国際連合憲章の目的達成のための諸外国のショーペン・ハウアーが創造的恣意たる所以は情念の一記号たるにすぎないのだから皮とズリ追加、つまり、タレじゃなくて塩で。これは倫理学の根本的問題だとしても、イモ下さい、ロックで」
 とムチャクチャなことを口走り、
 「はーっ。自分は頭悪いから全然分かりませんです」
 と後輩は至極感心した。当たり前だ。わしも自分で言っていることが全然分からない。

 これは詐欺・偽証罪に問われるなと思考しながらも酒を空け、そのうち後輩が
 「あっ、終電まで十分しかないッ!!」
 とほざき出すものだから、わしは慌ててヤツを連れて店を飛び出し、ニケツバイクで飲酒運転・速度超過・道路標識無視で駅まっしぐら、通常バイクで十分かかる道程を五分で送り届けることとなった、ポリ公に捕まったらてめぇが弁護しろよくそたれがと思いつつ。
     


2003/9/16 (火)

 「宵越し銭はもたねェ」と先日の日記ではエラそうに書いたものの、貯金の全てを使い果たす根性があるはずもなく、とりあえず"計画的に"貯金の一部を浪費することにした。
 そこで、我が計算によれば、二十万円ほど浪費すると、来年旅をする際頃にはちょうど良い懐具合になることが分かった。
 計画的浪費。結局やっていることはセコいのである。

 それにしても、
 「ニンゲンってこんな生活続けていても生きていけるのだなァ」
 と自分で感心するぐらいの貧乏生活を長年続けていたものだから、金を使うことに対して罪の意識を覚えて仕方がない。しかし、その罪悪感を振り払って貯金を減らさねば働く気が起こらないので、ここは必死に浪費しなくちゃならぬのである。
 貧乏生活が常習化すると、金を使わないことよりも使うことの方がよほど難しくなるようだ。畜生、やったるド、夢の贅沢生活。

 
 さて、贅沢生活の手初めである。熟考の末、ひとまず以下のものに金を費やす。
 「インターネット歴三年目にして初めて購入するウイルス対策ソフト」
 「差し押さえ勧告がもうじき来そうな未納所得税の納入」
 「一昨年の台風でふっとんだ屋根の修理代」
 「電池切れのまま放置していた各種リモコンの電池」
 「去年抜け落ちたまま放置していた銀歯の接合代」
 「五年以上ずっと履き続け穴が開いてしまった靴に変わる新しい靴」
 「穴だらけになりもはや手持ちが少なくなった靴下の補充」
 「一年半、切れっぱなしで我慢していた読書用ライトスタンドの電球」
 

 おかげでねらい通りにかなりの金を使うことに成功したが、これっぽっちも贅沢な気持ちになれないのは気のせいだろうか。何だか悔しくてたまらない。





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