「♪宵越し銭をお持ちの方はァ〜 かけつけ三杯いきやしょう」(※)
という歌が一昔前に大流行したことがあったけれども、当時は魚屋のとっつぁんも八百屋の母ちゃんも、登下校中の鼻タレ小学生から野良犬のポチまで皆々が鼻歌を口ずさんでいた。あの歌はボーカルの変態的な歌声に大変シビれさせられたナ。
ところで「宵越し銭」を恥とする気風は江戸時代の職人から来たそうで、彼らは一概に畳裏の壷にちまちまと小銭を溜め込み、夜な夜な壷をさすってニンマリとする行為を心底から軽蔑していたという。その日に稼いだ日銭は、全て酒と博打に費やしてしまうことが江戸っ子の男伊達だったというわけだ。
もっともこの気風は職人の親方たちが作り出したとの説もある。つまり、当時の賭博は親方が胴元となって開いているケースが多く、これで職人の給料を吸い上げていたらしい。
ヤヤえげつない話しに聞こえるけれども、実際のところは当時の職人たちは幾日分の食っていける金を手に入れてしまうと、その金が尽きるまで働こうとしない気質だったので、これはこれでなかなかウマいシステムになっていたのである。
金が手に入ったから働かない。この刹那主義的な考え方は日本以外のアジア各地で顕著に見られるのも面白い。植民地時代に西欧人たちをもっとも困らせた問題でもある。
作家の村上龍は著作のエッセイの中で
「私は蓄えがある限り仕事をしない。例えば月に五十万かかるとして手元に三百万あれば半年間仕事をしない怠け者だ」
と嘘ぱっちをほざいておるが、それを聞いた某狩猟家が次のように答えている。
「それは怠け者とは言わない。狩猟民族の気質だ。ハンターは取った獲物を食べ尽くしてから、次の獲物を採りに行く。ハンターは獲物を必要以上に採ろうとしない。自身がダメになるからだ。冬に備えて干し肉を作ることはあっても、次の冬に備えたりしない。農耕民族的発想が世界をダメにし、階級・差別・政治的社会的マゾヒズムを生み出した」
この強引な論理展開には村上龍節の超絶炸裂ぶりが見られるけれども、言っていることは面白い。
ところで、現在わしは求職中なのだが、今年は「旅」を行わなかったせいで金が異常に余ってしまった。語弊を恐れずに言えば、仕事をしている人間の9割以上の目的は一次的、二次的にせよ金であって、「金なんていらねぇからタダ働きしてぇよォ」という人間はごく稀だと思われる。
諸事情によって「旅」に出られない今、わしの中では、こんな状況で働くのは大変バカらしい、という大変危険な思想が芽生えつつあるのでまったく困ったちゃんだ。
仕方ないので、今必死に金を使おうとしているのだが、元々、車や服や食い物などには全く興味のない性格である故に物理的な欲望はほぼ満たされてしまっている。おかげでなかなか金が減らない。村上龍に倣えば、わしは生粋の江戸っ子でありハンターであり遊牧民なのだろう。うへぇ。
※『あっしが切り札 タカ隊長』の一節。へらへら隊のオリジナル演歌。ゴメンナサイ。
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