隊長の戯言     


 
2003/8/13 (水) たのしいへら遠

 諸種のトラブルが巻き起こった挙句の末に、今年の夏は「旅」が出来ないという状況になり全くのダウナー状態だ。
 向かいの家に住む親父はやや鬱病傾向にあり普段は滅多に話しかけてこないのだけれども、たまの躁状態に突入した時に会うと、のべつまくなしに話しかけてくる。
 「いやぁ、仕事を定年退職してからは気の抜けた風船のようになってねェ、何したら良いか分からんのですよ、とりあえず毎日定刻に起きて朝飯食ってそこからはただひたすらボォーとしてるだけで一日が過ぎていくんですなぁ、しかし、あぁみんな会社で働いているんだろうなァと思うと何だか羨ましくてねェ、ああまいったまいったまいったなァ」
 よく分かる。わしと同じだ。ただし、わしの場合は「仕事」が「旅」と入れ替わる。毎年どこぞやに出かけとるのだから、今年ぐらいは我慢しようと自分に言い聞かせているのだが、やはり耐えられない。すべては太陽が悪いのだ。
 入道雲に浮かぶ太陽を見ると、思わず異郷の土地に降り注ぐ日光を想起させ居ても立っても居られなくなる。それは苦痛としか表現できない。この焦燥を解消する術を知るはずもなく、それはただひたすら苦痛の及ぼす重圧でしかない。そして次第にわしはトチ狂い、殺人を犯す。犯行理由は「太陽のせい」だ。その場合、裁判の傍聴人にはアルバート・カミュの孫、セイン・カミュにぜひ来てもらいたい。

 さて。
 ニ時間後にわしは毎度おなじみのへらへら遠征に出発することになっていて行き先は熊本天草。へらへら遠征ごときは「楽しい飲み会」に参加する程度に捉えていたが、今回の扱いは別格で楽しみで眠れない現在午前五時。ああまいったまいったまいったなァ。


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 ※最近、数ヶ所のホームページがリンクして頂いたので、この場をもって各サイトをチト紹介。
 『アジア一人旅微熱日記』
 インド、ネパール、チベットを一人旅した女性のホームページ。文章のみならず写真もすごく良い感じです。

 『2003年夏、徒歩旅行記』
 旅をしながらリアルタイムで更新されているホームページ。出発にあたっては「九州徒歩縦断 一万円の旅」を参考にして頂いたのが実に申し訳ない。

 『Channel P』
 出来たて。オーボエと芋焼酎を愛してやまない漢気溢れる薩摩おごじょであります。

 『まおうーろん日記』
 無断一方的リンクですが、学生時代の後輩のホームページ。中国の留学経験もあってそれに関連した雑学には到底かなわない。しかしさすがわしの後輩、わしに似たオオバカ野郎です。


2003/8/11 (月) インドに行った先輩

 日本のマリファナ事情について調べるため、Google検索を試みた。そこで手当たり次第にホームページを閲覧していたところ、「インドに行った先輩の話し」という項を発見する。有名レンタル日記のサイトである。内容以下。
 
 スラムの少年とマリファナを吸った先輩はその少年に連れられ河畔に行ったところ、少年とグルになったヤクザチンピラどもに囲まれ「金だしやがれ」と脅迫されたそうだ。そこで先輩は (〜略〜) したそうである。

 まったくバカな野郎もいたもんだが、実を言うとインドではわしも似たような体験をしていたので、途端にこの「先輩」に対する親近感を覚え始めた。
 最近の日記にもこの「先輩」は登場している。内容は、福岡ドームに野球観戦に行き、どうしようもなく飲んだくれて愚行を重ねたT先輩の話し。
 そんなわけでこの奇人「先輩」は福岡在住でイニシャルはTだということが判明。

 
 待ちやがれ。 
 それはどう考えてもオレだろう。ここまでわしとの共通項を見出せるのはあり得ない。適当に検索したサイトにわしが登場していたのも驚きだが、もっと驚いたのはわしの後輩がサイトを持っていたという事実。野郎、開設以来一年近くもひた隠しにしていやがったか。

 後輩にビビらされたのは非常にシャクなので、後輩は本日の文章を読んでわしと同様にビビるように。バツとしてリンクもしておいたので宜しく。不服あらば腕力で訴え出ること。あ、でもなかなか面白い。この調子で頑張ってくれや。
  


2003/8/10 (土)  芝刈り

 今期へらへら遠征の企画書を作っていたところ、だんだんと面倒くさくなり途中で放棄。そんなわけで遠征五日前にして参加者不明、行き先不明、予算不明、何もかも不明状態です。何とかなるだろう。なります、なれ。喝。

 さておいて。
 
 芝を刈る。わしの頭ですら四ヶ月間刈られてないというのに、コイツはなんという果報者か。拙宅の芝はわしに礼を言うように。
 芝刈りは好きだ。芝刈りは夏に限る。それも真昼間がよい。酷暑のなかで上半身裸となり、汗水鼻水その他を垂らしつつ意識朦朧としながら作業をする。その最中に飲む冷たいビールの味が堪らない。正確に言えばわしは酒を美味く飲めるから芝刈りが好きなのだろう。
 そういや体育会に所属していた学生時代、「キミは学校に勉強をしに来ているのか、空手をしに来ているのか」と同級生からよく聞かれた。そんなもの答えるまでもない。わしは空手をする為に学校に通っていたのであり、空手は酒を美味く飲むために行なうのである。とりわけ練習をキツクすればするほど酒は美味くなる。
 学生時代は部への配当金の賃上げ交渉を学校側と行い、その金を使って後輩たちとよく酒を飲んだ。本来わしはこんな不当行為は許せないのだが、生活苦で飲みたい酒も飲めないという後輩たちの為に書類偽造や領収書偽造を行なって酒を飲ませてあげてたのである、わけがない。殆どわしが飲んだ。

 
 で、芝刈りだ。ビールは(高価なため)相変わらず切らしているため、頂きモノの日本酒を飲みつつ芝を刈ることにする。一升瓶ごと冷やしておいたので良い感じだ。ところが意気揚揚と芝刈り機を作動させた所、全く動かない。先日の大雨で機械がショートしたのだと思われる。
 仕方ない。思案の末にチェーンソーで芝を刈ることにした。4tトラックを使って封筒一枚運んでいるような違和感もあるが、これもある種の贅沢だと思えば良い。

 さて、作業を終え満腔の充足感に浸りつつ、わしは煙草を吹かしてふと考えたのである。
 灼熱の太陽の下、裸で一升瓶ラッパ呑みしつつチェーンソーを振りまわしとる男。彼が住む家。
 拙宅は盆地にあり、隣接された周囲の住宅やマンションからは丸見えだ。
      


2003/8/8 (金)  甚兵衛ノ羽織

 甚平を買った。ベタつかず、動きやすく、機能的で涼しい。風土と環境より生み出された服は素晴らしいもんだ。
 以前、晩冬のモンゴルを訪れた際は気合を入れて極地探検仕様のアウトドアジャケットを持っていったのであるが、遊牧民がデール(民族衣装)を貸してくれるようになってからはバックパックの奥底に放り込み放しだった。
 デールは袖が長いため手袋が要らない。騎乗の際にはムチ代わりにもなる。
 またモンゴル式住居(ゲル)は、構造上焚火を灯すとスゴク暖かくなる。Tシャツ一枚でも過ごせるぐらいだ。こんな時デールは数ヶ所のボタンを外すだけで音頭調節が出来る。
 デールを広げるとちょうどいい按配の毛布サイズになる。羊毛が覆われたデールを被って寝ると、それはもうぐっすり寝られるのである。
 こうなると最先端技術のアウトドアジャケットは形無しであった。

 
 そんなわけで古来伝統民族衣装ってのはやはり偉大だ。甚平に限っていえば、道衣を着ているような感もあり大変落ちつく。学生時代は私服を着るよりも、空手道衣を着ていることが多かったせいもあるだろう。
 清々しい気持ちで近所を歩いていると、旧友に会った。そこで声を掛けようとしたところ、目そらされる。「なんだ、この野郎」と思いつつ近づいて行けば、彼はくるりと踵を返し逃げようとする。わしは慌てて追いかけ、彼を捕まえた。
 で、彼の弁明。
 「ゴメン。ヤクザが因縁つけてきたと思った」

 「ああ、涼しいなァー」と一人嬉々として歩いている姿も他人から見れば下っ端のヤクザに見えるいう事実に少なからず驚く。
 わしは悪くない。甚平が悪いのである。 
 


2003/8/6 (水)  駄洒落

 闇に包まれた都会の夜を降りしきる雨が包みはじめる。国道21号線の真上にそびえる歩道橋。傘をさすことを忘れた女がぼんやりと立ち尽くしている。
 ふと女が振りかえると、後に男が立っている。
 「ごめん」
 率直過ぎる男の言葉に女は黙りこむ。男は次の言葉が出なくなったのか、突然女を胸に抱く。
 「あン
 女は思わず吐息を漏らし、男は静かにコクりと頷く。見詰め合う二人の男女。そして男はポケットから何かを取り出す。
 ブドウだった。

 という内容のギャグマンガを古本屋で購入し、おもわず笑いのツボに入った。題名は「暗黒舞踏」。
 
 オヤジギャグと一方的に蔑まされているダジャレも古来瑞祥の文化の一つだ。わしは未熟者だから到底ダジャレは使いこなせないけれども、好きなのである。
 和歌の掛詞や序詞とは要はダジャレの一貫であり、折句なんかはかなりの高等テクニックが用いられている。
 狂歌の類はあまり知らぬのだけれども、知っているヤツを一例。
 
 こしぢより来るとは言はじかり高に鳴くなる声はふとぶととして
 
 通常の解釈では
「あの雁(かり)は越後(こしぢ)からではなくもっと北から来たのだろう。あれほど高い声で鳴くのだから」
 という解釈になる。
 しかし実際は
 「女が房中にあってあれほど大きな声を挙げるのだから、こしぢ(こ指似→小指似→短小)ではないだろう。きっとかり高(雁高→巨根)の逸物じゃい」
 という訳である。
 酔っぱらっておるので、こんな下ネタ平気で書けるが、それにしても秀作である。


 わしがもっとも好きなダジャレは、SF作家の横田順彌の作品に出てくる。内容はうろ覚えなのだが、息子を交通事故で亡くした科学者が主人公だったような気がする。んで、主人公は息子を救うためにタイムマシンを開発し、事故直前の瞬間に舞い戻るのだ。科学者はあの手この手で息子の事故死を未然に食い止め、安心して現世に戻るのだが、結局息子は事故死で死ぬるのである。何度試しても、現世に戻った直後に息子は車に轢かれて死んでいるのだ。いくら息子の命を救っても、息子は必ず事故死するのである。
 科学者は苦悩し、頭を掻き毟るが、やがて一つの真実に突き当たる。そうか、
 「轢死(れきし)は繰り返す」。
   


 
2003/8/6 (水)  ちょっと釣りへ

 ちょっと釣りにでも、の「ちょっと」感覚がなくなったと東海林さだお氏は嘆く。
 浴衣とサンダル姿でちょろっと郊外に出て、その辺の雑貨屋で釣り道具を買い、小川の淵にどっこいしょと腰を下ろす。その感覚が衰退していったと言うのである。
 現今、釣具屋に行き「ちょっと魚でも釣りたいんですが…」と店員に問えば、「あなたは海で釣りたいのか川で釣りたいのか湖で釣りたいのか磯で釣るのか船で釣るのかどんな魚を釣るのかフナかヒラメかハゼかウナギか」と詰問されるのは必定という状況。
 氏曰く、釣りは気軽な娯楽ではなくなった、との由。(文春文庫「ショージ君のニッポン拝見」)

 三十年前に刊行された本にも関わらず、甚くナットクである。この十年の間ですら、釣具はよりいっそう専門化細分化され、高価になった。全くの初心者が独力で道具を揃えるのは不可能だろう。
 とはいえかくいう状況も、天然魚は激減していく一方で釣り師の数は減らないことを鑑みると、致し方ない。
 「ちょっと釣り」はもはや郷愁の域にまで達した。

 
 モンゴルに釣りという文化が流入したのはホンのつい最近のことで、モンゴル人は魚を食わない民族だった。そんな具合ゆえに、モンゴルの魚は全然スレていない。誇張なしのワンキャストワンフィッシュ状態である。
 もっともあれをキャストと呼んで良いのかどうか。やはりモンゴルの釣り道具はお粗末なもので、しかもわしは竿すら用いなかった。エサのついた糸を投げ縄の如くぶん回して、川に投入するのである。これでは「一本の棒を対称に、片方にはエサ、片方にはバカが立っている」という釣りの最低の定義すら適用されない。いうならば原始人猟法である。
 
 マスは入れ食い状態だった。後にも先にも釣れすぎて困った釣り体験はあの時だけである。一般的にマス釣りとは以下のようなやり方になるらしい。
 (基本的にコマセとイクラの竿を2本1セットとし、コマセの竿2本を持ってコマセを撒き、アタリの様子を見て、即食い上げの場合は急いで巻き上げ、そうでない場合は、まず25mにセットしてあるイクラの竿を15mまで急いで巻き上げて、その後アタリのある竿を巻き上げ、この間に群れが大きければ25mから巻き上げた竿にもアタリがあるはず。この時釣れたのが1匹の場合、15mと25mのセットは変えずにそのままのタナで続けたほうが良く、また餌交換もこまめにすること。早朝のタナと昼間のタナが変化する事が多い事も承知してくように。結構あるケースで回りでは釣れているのに自分だけ釣れない場合、ほとんどがタナボケ。この場合釣れている人にタナを聞くのが一番。釣れている人のリールの巻き数でもタナを判断すること。)

 わしの場合は簡単だ。
 糸にエサつけて振りまわせ。
 


2003/8/5 (火)  不遇物を愛す

 1.熱湯に浸す
 2.頭をとって塩水に十分ほどつける
 3.熱したフライパンに塩水ごと入れて焼く
 4.出来あがり

 

 ※参考 http://www.bekkoame.ne.jp/~s-uchi/musikui/musikui.html







 以上、『ゴキブリの塩焼き』の作り方、だそうだ。
 わしも早速やってみたが、案外にも小エビに似た味がした。やや臭みがあるのと、舌触りが悪いのがちょっと難点だ。…と書くと、恐らく10人中9人は「ついにここまでやってしまったか!」と信じるのでしょうな。いくらわしでもゴキブリはちょっと勘弁願いたい。

 しかしゴキブリも不遇なもので、なぜこんなに気持ち悪がられるのか。ただの昆虫である。何でも分類上はシロアリの近縁となるらしい。
 また栄養学の観点から観た場合、ゴキブリにはタンパク質が多分に含まれており、栄養補給としては申し分がないという。そのような「栄養素」が世界人口を遥かに上回る数をもって存在しているのである。実に立派なもんだ。
 
 そもそも常識やら良識などと言うものには真理など存在しないもので、全ては環境因子の生み出したものに過ぎない。
 例えばベトナムでのゴキブリの扱いは「幸運を呼ぶ虫」とされている。ゴキブリが体に触れると、幸運が舞い込むのである。そんなわけでこれは本当の話しなのだが、ベトナムにはゴキブリひしめく「幸福屋」なるものがあり、客は金を払って小屋に突入して至福の時を味わうという商売もある。これは嘘ですが。
 とかくわしが言いたいのは「もっとゴキブリを愛しましょうよ」ということなのだが、実際は増殖しすぎた拙宅のゴキブリにどうにも対処しきれなくなり、敵としてはあまりにも強大な勢力を持ち始めたため、親愛の情を少しでも抱ければという逆転の発想を用いようとしただけである。

 ウイスキー飲みながらこんな文章書いたら、余計に気持ちが悪くなった。何故かゴキブリは気持ち悪い。








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