隊長の戯言     


 
2003/7/31 (木) 

 キャベ丼である。いや、今日の晩飯ですね。キャベツどんぶり。卵とキャベツだけで作ることのできる優美な晩餐。一人きりでこの粗餐をもそもそと食っておると、お手軽に浅ましい気分に浸ることが可能という優れものだ。

 しかしところでなんといってもまァドンブリモノの優れていることよ。経済的であるし、何やら豪勢チックなモノを食っているようなに気分になれる。そして何よりも増して言葉の響きが良い。特に「どん」っていう響きは大変好ましくて宜しい。崇高なる言霊を有している。そこには重厚と威厳と偉勲が内在する。  カツドンに比べればカツサンドなんて実に軟弱かつ軽薄で薄倖の塊である。

 天井と天丼がケンカしたらどちらが勝つか。結果は言うまでもないが、間違いなく天丼が勝つであろう。なにせ『てんじょお』と『テンドン』だ。これではまったく勝負にすらならない。勝因は付点ひとつの差でしかないが、それは結果として「じょう」と「どん」という決定的な格差を生み出しているのだ。天丼さんは不動の山の如くドンと屹立し、天井はマヌケ面さらしてうんこでも垂らしているのである。
 
 
 人間、腹が減ると思考に異常を来たすようだ。ぼくは敬天愛人の西郷隆盛どんが好きです。


2003/7/30 (水) 

 松下大三郎という国文法学者は「助詞ハは既知観念が含まれ、助詞ガには未知観念が含まれている」と初めて発見した人物だそうでありまして。
 つまり「彼"は"ラーメンを食う」ってのは既に知られている事実だから「ハ」。一方、彼はラーメン嫌いだと信じていたのにラーメンを美味そうに食っていた場合に用いられるのが「彼"が"ラーメンを食う」。これは未知・新発見の事実の"ガ"という訳である。
 例えばグルメ本のオススメ店舗紹介などがあったりした時には、
 「ここのラーメンはウマイ」、との表記よりも
 「ここのラーメンがウマイ!!」、の表記の方がより効果的で正しいわけだ。

 しかしながら、これを意識して使い分けている人間などはいないわけで、わしらは知らず知らずの内にこれらを使い分けている訳である。ただ、先述の学者はそれを改めて学問体系に直しただけなのですね。
 とかくこんな小難しい使い分けを無意識の内にやっているというのは面白い。逆を言えば、こんなクソ面倒な理論は言語習得には不用なのである。


 ところで、わしは英語、モンゴル語、ヒンディー語、博多弁はそこそこ話せるのだけど、それはあくまでそこそこなのである。大したことじゃない。海外に出ると日本人の貧乏旅行者には数多く会うのだが、驚くべきことに六人に一人は現地語がペラペラなのである。さらにいえば外国語を話す現地民ってのは腐るほどいて、彼らは外国語を数ヶ月でマスターしてしまっている。中には「兄さん、調子はどないでっか? わてはぼちぼちやねん」と大阪弁を巧みに操るインド人などもいて思わず笑っちまう。
 ここでつくづく考えさせられるのは、日本の英語教育の中での六年間(あるいは十年間)がいかに意味が無く、それどころかマイナス要因であることかってことである。わし自身、関係代名詞だの原形不定詞だの副詞節だのを完全に払拭するまでは相当な苦労をし、それが出来るようになってからようやく英語が話せるようになったわけだ。「A bus stops at a bus stop.」という文章を「集客大型自動車が停留所に止まる」と日本語に翻訳して考えてはいけない。busはあくまでbusであり、bus stopはbus stopなのである。単語の持つイメージをそのまま頭にぶちこみ、日本語を介在させないほうが良いのだ。日本の英語教育では左脳→右脳の情報処理手段を必要とするが、これは間違いだ。イメージ処理をする右脳だけで解釈した方が良い。
 これはつまり「ノート」という単語を脳内で「帳面」に変換して認識しているやつなどいないわけで、「ノート」と言えば「ノート」なのである。

 外国語習得には頭は要らない。高度な思考処理が要求されるのであれば、夢の中で英会話できるはずがないのである。
 


2003/7/28 (月) 

 学生時代の体育会系仲間と野球観戦をする。アメフト部元主将、応援団元団長、空手部元主将等の面々が一堂に会すると、その場は場末のチンピラ国際会合といった様相を呈してしまうのはどういうわけか。

 「ちょっと待て。この面子はフツーに清く正しく野球観戦をしちゃイカンだろ。ダイエーの投手が三振を取る度にイッキ飲み。打者が一点取る度にイッキ飲み。これでいこうや」
 テニス部主将が勤め先から天文学的数量のビール缶を盗んできていたので、わしは冗談混じりに提言したのだが、満場一致で可決されてしまった。冗談通じないヤツらはこれだから怖い。

 「お客様、球場へのビールの持ち込みは御遠慮…」
 「あ? 何だって!?」
 アメフトがわざとらしく聞き返す。
 「ビールの持ちこみは…」
 「え? もっと大きな声で叫んでくれねぇと分からんよ」
 空手がいう。
 「これ、全部空缶ね。アキカン。ゴミ掃除しながら球場に来たんだよ。オニイサン文句ありますか」
 「ありません」
 全くヒドい連中だ。脅し担当は空手とアメフトの領分である。学生時代に物好きな連中が『学内ケンカナンバーワン』のアンケートを取ったことがあるが、この二人にしか票が入らなかったらしい。ゆえあってわしら…じゃなかった彼ら二人はいがみ合っていたのだが、今では暗黙のコンビネーションプレイが出来るほどに仲良しなのである。
 
 さて、試合経過は良好で特に先発陣の活躍は凄まじい。ビール缶はどんどん減っていき、わしらの回りだけ燃えないゴミの夢の島状態である。
 コネを使って応援席のど真ん中に座ったのはよいが、ダイエー選手のこれ以上の活躍に段々と危惧を覚えてきた。勝ちすぎなのである。「かっとばせー。まーつなかぁ」の大声援の中、わしらだけは「かっとばすなー。まーつなかッ」「こーけーろ。じーょじまッ!」の大合唱を行ない、ダイエー応援団からは大変暖かい視線を頂いた。
 そんなわけでおかげさまで三回裏ぐらいからボールを目で追えなくなり、五回表には続々と人が倒れて行き、七回にもなると行方不明者が出てきた。隣に併設されている高級ホテルに氷を盗みに行ったきり帰ってこないのだ。

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 ダイエー新32安打!記録ラッシュ

 ダイエーが27日、オリックス戦(福岡ドーム)で1試合32安打のプロ野球新記録をマークした。(中略)
 またダイエーは1回、村松が右前打し、犠打と2四球を挟み第2打席の左翼線二塁打まで、10連続長短打を放ち、プロ野球タイ記録となるイニング最多連続安打10をマークした。
(中略)
 ダイエーの1試合チーム打率5割8分2厘はプロ野球新、24打点と55打数はパ・リーグ新、52塁打はパ・リーグタイで、両チーム計93打数もパ・リーグタイ。城島と柴原の1試合7打数はプロ野球タイ、城島の1試合6安打はパ・リーグタイ。
 ダイエーは先発全員が安打、打点、得点を記録し、26−7で大勝した。

 ※引用 西部日刊スポーツ新聞社


2003/7/27 (日) 

 しばらくの間、更新をサボっとりまして実に申し訳ない。
 精神的タフネスさにはかなりの自信は持っていたものの、身辺の色々なゴタつきから完全に打ちのめされとりました。拒食症、不眠症、倦怠症、鬱病。完全に無縁の存在と思われていたものに一挙に襲いかかられ、スリーカウントが入る寸前でした。
 本日の戯言を持ちまして「復活宣言」とさせていただきます故、明日よりぼちぼちと更新していこうと思います。
 それから心配や応援のメールを下さった方々には深い感謝の念を捧げます。どうもありがとうです。


2003/7/2 (水) 

 五時起床。やはり早起きは気持ち良い。あまり気持ちが良いものだからウイスキーの蓋が開いてしまった。ストレート直球勝負で飲むのはさすがに気がひけるので、コーヒーの中に溢して飲む。これはわしの慎みと遠慮深さの現われだ。


 ところで。
 気がつけばホームページの容量がヘビー級に増えていた。このままではプロバイダに超過料金を取られちまうので、慌ててあちこちを削除する。
 日記だけでも2MBか。こんなくだらぬ文章が2MBの容量分であるのである。バカの積み重ねも山と化したようでやや気恥ずかしい。
 他サーバーに置くことも考えたが、手続き・更新・その他もろもろのことを考えると、これもどうも面倒くさくてイマイチ気が進まない。
 と、一つ名案が思いついた。絶対落ちることのないサーバーで、しかも利用は無料で、何の知識も要らず、タグの手打ちも不要。データ転送の手間は要らず、書いた直後に一秒で公開できるページ。こちらのプロバイダには何の負担もかけずにすむ。
 これだ!!
 と思っていざ実践したのは良いが、その代わりアドレスが異常に長くなった。日記本文より長くなるのである。これでは普通にかいた方がまだ容量は抑えられるってぇ話しなのである。


 アドレスは以下。http://www.google.com/search?hl=ja&inlang=ja&ie=EUC-JP&oe=euc-jp&c2coff=1&q=%A4%A2%A4%EB%A4%B3%A1%BC%A4%EB%A4%CF%B8%B5%B5%A4%A4%CE%A4%E2%A4%C8%A4%E2%A4%C8%A5%D3%A1%BC%A5%EB%A4%CF%CC%F4%A4%C8%B8%AB%A4%CA%A4%B5%A4%EC%A4%C6%A4%A4%A4%C6%A1%A2%A4%BD%A4%EC%A4%CF%CC%F4%B6%C9%A4%C7%C7%E4%A4%E9%A4%EC%A4%C6%A4%A4%A4%BF%A4%CE%A5%C0%A5%A4%A5%CA%A5%DE%A5%F3%C2%E2%B0%F7%A4%CF%A5%C0%A5%A4%A5%CA%A5%DE%A5%A4%A5%C8%B5%E9%A5%E1%A5%AC%A5%C8%A5%F3%A5%DC%A5%C7%A5%A3%A4%C7%BC%F2%A4%CB%B6%AF%A4%A4%A4%AD%C5%E7%B1%F3%C0%AC%A4%CB%B9%D4%A4%C3%A4%BF%C0%DE%A4%CB%BB%FD%A4%C3%A4%C6%A4%AD%A4%BF%B7%E3%B4%C5%A5%EA%A5%AD%A5%E5%A1%BC%A5%EB%A4%F2%A4%AB%A4%C3%A4%DD%A4%AB%A4%C3%A4%DD%B0%FB%A4%F3%A4%C7%A4%A4%A4%BF%A4%CE%A4%CF%CA%C4%B8%FD%A4%B7%A4%BF%A4%CA%A4%F3%A4%C8%A4%A4%A4%A6%A4%AB%A4%EF%A4%B7%A4%CF%B4%C5%A4%A4%A5%AB%A5%AF%A5%C6%A5%EB%A4%E4%A5%C1%A5%E5%A1%BC%A5%CF%A5%A4%A4%CF%C0%E4%C2%D0%C5%AA%A4%CB%BC%F5%A4%B1%A4%C4%A4%B1%A4%CA%BA%A3%A4%DE%A4%C7%B0%EC%C8%D6%BB%DD%A4%AB%A4%C3%A4%BF%BC%F2%A4%C8%A4%A4%A4%A8%A4%D0%C9%E2%CF%B2%BC%D4%A4%C8%BC%F2%C0%B9%A4%EA%A4%B7%A4%C6%B0%FB%A4%F3%A4%C0%BC%F2%A4%C0%A4%AC%A4%B3%A4%B3%A4%DE%A4%C7%BD%F1%A4%A4%A4%C6%A4%D5%A4%C8%BB%D7%A4%C3%A4%BF%A4%AC&btnG=Google+%B8%A1%BA%F7&lr=lang_ja  


2003/6/28 (土) 

 カーペンターズの歌詞を求めあちこちのサイトをさ迷っていたのだが。

 サッチャ フィーリングズ カーミ ノーバミー。ザリズ ワンダリン モスト エビースイング アイシー。  だとよ。全てカタカナで書かれているのである。題名は
 「ターポザ ワール」。
 ちょっと面白い。このような場合にも著作権問題は生ずるのだろうか。

 
 ところでそれにしてもさておき町田康の詩集『供花』(新潮文庫)が良い感じだ。
 

 『けんちくかのあほどもえ』

 確かなものを握りしめて
 はばたく道のりを思え
 
 つなぎ止める箱の中で
 窓の外を眺めて狂え

 そして
 おまえのキス無しで猿とスキップ 




 まったく雨続きで鬱々とする。懇意にしてもらっているバーのオヤジが新しい店を開いたらしい。今からタダ酒飲みに行ってきます。 


2003/6/27 (金) 

 ちょうど去年の今頃にわしはインドに行った訳である。インドには未だ未練たらたらだから、それを思うと何となく切ない。
 ところで「海外に出て何が一番変わりました?」との質問をホンのたまに受けるのですが、彼らの多くは「自分を深く見つめ直せるようになった」だとか「自分はなんて矮小な存在なんだ、と気づかされた」「旅とは人生である」等の答えを思い深げな顔をして、ポツリと答えることを期待しているのである。
 とんでもない。
 「海外に出て何が変わるか?」との質問の答えは「性格が悪くなる」である。
 これは何といいますか、要は自己主張が激しくなるのですね。
 例えば、列車のチケットを買おうとして行列に並ぶ。すると横から割りこまれる。と、ここで「てめぇ、割りこむんじゃねぇよ、すっこんでろぃ」と言えるか言えないかで、この先の旅の進路が決まってくるのである。
 航空券を買おうとしますよね。あれこれと条件をつけて注文した所、返事はなっしんぐ。ここで「ちゃんと探しやがれべらんめぇ」の一言があるとないとでは、その結果が全然違ってくる。あ、江戸弁は関係ないです、念の為。
 
 わしの大嫌いな石原慎太郎は『NOと言えない日本』という評論を残したが(いや、まだ死んでませんでしたね)、なるほどその通り。日本じゃストレートな表現を避け、おくゆかしさを基調とし、無関心を装うことが美徳とされている。で。言いたいことは心の底に、感情を押し殺し、我慢に我慢を重ね、挙句のハテには胃潰瘍。
 ところが海外ではこれをやっていると何も出来ない。特に個人旅行では本当に何も出来ない。しかしながら思ったことを口にし、生の感情をぶつけ合うってのは実に気持ちがいいことで、これぞいわゆるニンゲンらしさってヤツを実感できるのである。ホットあんどストレート。
 
 国外から帰って来た時にいつも思わせてくれるのが、この国の居心地の悪さだ。わしはついつい道行く見知らぬ人に「悪いけどタバコ一本くんない?」と声をかければ変な目つきで見られ、空港からの帰路に電車の切符を買おうとした所、オバチャンに割り込まれて憤慨したわしは「おい、そこのババァ。割り込むなよ」と思いもよらず口をついて出てしまい、それにビビったオバチャンに改めて頭を下げるといった状況になるのである。
 
 知に働けば角が立つ。情に竿させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくにニッポンの世は住みにくい。草枕改。
 

 ※更新情報
 インド旅記を更新しております故、御拝謁下さい。


2003/6/23 (月) 

 本を読むのは就寝前に限られていることが多く、それはガキの時分からの習慣だ。およそ習慣というものは押し並べて嫌いなのだけれども、この行為は食事や呼吸、飲酒と同じく生命活動を営む上では欠かせないものとなっている、いわば生理的行動だ。止めると死ぬ。
 
 学生や勤め人生活を送っていた頃に何が一番嫌だったかというと、起床時間を気にしながら本を読まなくちゃならなかったということだ。試験も仕事も知るものか、というばかりに読了を勤めようとすするのだけれども、心の片隅の何処かでは「畜生、このままじゃ明日がキツイな」という考えがもたげ、読書に没頭できない。あまつさえ飛ばし読みなんかやっちまうものだから、腹が立ってたまらない。

 無職になってからの読書生活と言うものは実に素晴らしいもので、睡魔が襲ってくる限界まで本を読み続け、力尽きては少し眠り、起きてはまた読書を再開する。すると「寝ながら読書」ならぬ「眠りながらの読書」をしていることも多く、これはつまり夢の中でも本の続きを読んでいるのである。その場合は、夢うつつにも物語が展開していくのだから、なかなかに気持ちが良い。

 近所の古本屋が50円セールを始めたおかげで、ベッドの上には大量の本が散らばっているのだが、気がつけば十四冊併読しているという状況になった。贅沢な話しだ。『海洋博物誌』。丸さんの『樹影譚』、池さん『マリコ/マリキータ』『明るい旅情』、康さん『影武者騒動』『実験小説名作選』。鱒さん『山椒魚』、勝さん『北海道探検記』。遼さん『故郷忘れ難く候』『アメリカ素描』、周さん『よく学び、よく遊べ』、モーさん『コスモポリタンズ』、レイさん『さらば愛しき人よ』、誠さん『からいはうまい』。

 このような状況下での『眠りながらの読書』は、夢の中で進んで行くストーリーも各々の内容が交錯しあって面白い。昨夜は『山椒魚』を読みつつ力尽きたのであるが、元々の内容、ダム工事の為に水没させられてしまう家を巡っての人間ドラマ(朽介のいる谷間)という本来のストーリーから激しく逸脱していき、主人公はダム計画を推し進める役人たちを愛刀片手に斬っては捨て、斬っては捨て、桃源郷目指して辿りついたのはグアムのトロピカル島。そこでナイトクラブの女歌手と出会う、という素晴らしいストーリー展開となった。
 井伏鱒二と司馬遼太郎と池澤夏樹とレイモンド・チャンドラーの合作なんてそうそう見られるものではない。惜しむらくは、十四冊の上に何某の官能小説を加えていれば、さらに凄いものになっただろう。残念である。
      


2003/6/22 (日) 

 金髪白塗り女子校生という女優業がようやくお役御免となったので、髪を金から黒へと戻した。一週間は長かった。ついでに本日の戯言も長くて御免なさい。

 話しは変わるが。
 昨年に開催されたFIFAワールドカップが一番盛り上がっていた時期、わしはインドのバラナシという街におりましてですね、そしてワールドカップはインドでも最高に盛り上がっていたのだが、その時出会った日本人の若者と意気投合したことがある。日本人は言った。
 「情けないっスよね。見ました? 日本人選手の頭。黒髪が殆どいないじゃないですか。あれどう考えても違和感を感じるんスよ」
 「おっ。良いこと言うねぇ。同感だねぇ」
 「あれって舶来式崇拝、アジア人卑下の一種と思うんスよね。日本人としてのアイデンティティ喪失です。欧米人への無意識的劣等感です」
 「そうだそうだ。うちてしやまん!進め一億火の玉だ!!」
 「オレ東南アジアからぐるっと回ってきたんですけど、出会う欧米人旅行者や他のアジア人からは散々、あの髪は滑稽だ、と言われましたよ」
 「おお、その通り。キミとは気があいそうだなァ、名前なんて言うの?」
 「アンディっす!!」
 「は?」
 「俺の名前はアンドウ→アンドー→アンデー。…だからアンディと呼んで下さい!!」
 
 アホはさておき。
 下品で中途半端な金髪、茶髪は嫌いなのである。この思いは数年前の夏、モンゴルに行った際にさらに強くなりまして、何の流行か知らぬが当時モンゴル人はみんな真ッキンキンの金髪に染めていたのですね。ところでキンキンは愛川欽也ですね。あれは何だかそこはかとなく可笑しくて妙に哀しかった。
 もっともアメリカでも金髪崇拝はあって、大部分は偽りブロンドヘアーだそうだ。また日本の明治維新においてチョンマゲが淘汰された時も、「進め一億火の玉だ」の声は相当あがったと思うのである。
 
 えと、何が言いたいかと言いますと、わしは将来チョンマゲ頭にすることを真剣に検討しているということ、どうせ染めるならば気合入れて赤青黄のドギツイ原色に染めやがれ、そして何よりわしの学生時代はどういう奇跡が起こったのか欧米人の女の子にモテモテで「黒髪と黒目がオリエンタルエキゾチック神秘的でとってもステキ」と言われた経験が無きにしもアラズだからである。
 というわけで、要はわしはスケベだということですか? そうですか。そのようです。


 チトマジメな話し、この種の考えを押しつけるのは非常に馬鹿げていて、例えば「最近の日本語は乱れている」って考えは漢字がどっと輸入されてしまった奈良時代からあったそうなのです。これも元は舶来崇拝。当時は噴飯ものの怪しい日本語が氾濫していたとのこと。ちなみにその頃の右翼のスローガンは「鬼畜米英」ならぬ「鬼畜中華」だったというのは有名な話し。というのは嘘ですが。       


2003/6/20 (金) 

 自宅で一人暮しをするという奇妙な状態がずっと続いている。拙宅は築六十年のあばら屋。一人で生活するにはあまりにも広すぎて難儀する。
 とは言え、同居人は数多い。クモ、ゴキブリ、イタチ、ナメクジ、ネコ、ヤモリ、ムカデと大層賑やかだ。古今亭志ん生の『なめくじ艦隊』にもひけはとらないと自負している。彼らが住みつきだした時期と一人暮しを始めた時期はピタリ一致する。

 
 近頃は古典落語ばかりを読んでいるせいか、唐突にそばが食いたくなった。そこで近所のスーパーでそば粉を購入し、二八そばを作成することを決意する。わしはどういうわけか一ヶ月に一度ぐらいの頻度で、本格的に食いものを作りたくなるのだ。
 粉塗れになりながら麺を完成。わしは貧乏人であるから、小麦粉類の扱い方にかけちゃァ自信がある。パン、うどん作りならば、かなりの技術を発揮できる。小麦粉は貧乏人の心強い味方だ。
 
 麺を茹で始めたのは午前零時過ぎ。茹で時間は一分程度が最適のはず、ということはうどん作りの経験上分かっている。もう少しで出来あがりだ。ワクワクする。涎が出てくる。体は打ち震え、心は高揚感に包まれ始める。
 ちなみに完成までにはいろいろなセッティングをしておいた。わしは案外に凝り性だ。
 ここはやはり日本酒を用意すべきだろうし、いつものように湯飲み茶碗で飲んではいけない。洒落た冷酒用のグラスをしみじみと使うべきだろう。食卓テーブルの上にある日本文化センターの通販カタログや、「ダイエット!! 20kg減量確実!!」のチラシは丸めて纏めて廃棄した。テーブルも拭いた。卵も割った。キザミ海苔も作った。

 と、満腔の期待を持ってそばの完成を待ち望んでいた所に、2匹のゴキブリが劇的に出現した。苦労して作り上げた荘厳静粛な雰囲気は丸つぶれじゃないか。ここはイッパツ彼らには死んで頂かなくては、至福の時間が撃滅してしまう。
 わしは『フマキラーAジェットスプレー』を颯爽と取りだし、逃げ惑う彼らを必死の形相で追い、噴射し、彼らもしつこく逃げ惑い、フマキラーがなかなかHITしてくれない状況にわしは次第に逆上し、キッチン台に逃げた彼らめがけて大量のフマキラー噴射攻撃を行ない、何時の間にかグツグツと煮えているそばの上に大量の殺虫剤がまかれていたことに気がつき ―――――――。
 


 ※そばを食ったか食ってないかは訪問者の各々の判断にお任せしますが、皆様が独断的に下したその判断でたぶん間違っていないんじゃないかと思われます。    


2003/6/19 (木) 

 本日の晩飯。
 昨年の忘年会であまった焼鳥。ビニール袋に入ったまま庭に放置され、三日間炎天下及び雨にさらされたナス。三日前の麦茶。白飯。
 「捨てるのは勿体無いから味を確かめてからにしよう」
 そのつもりだったのだが、焼鳥に大量の唐辛子をかけ、焼きナスをポン酢で食ったら、すっぱいやら辛いやらで腐っているのかそうのでないのかまったく判断できなかった。
 このような日々のたゆまぬ努力から、わしは強靭な胃腸を創り出すまでに至ったのであります。


 「進化するコンビニ」と題されたニュースが夕方の特番でやっていた。取材にあたった女性レポーターのコメントが実に素晴らしい。
 鮭お握りをかっぱりと二つに割り、
 「わぁー、シャケすごくはいってるって感じですぅ」
 それを口にして、
 「わぁー、シャケすごくたべてるって感じですぅ」、
 「わぁー、お握りすごくたくさんあるって感じですぅ」。  
 感嘆詞+名詞+すごく+動詞って感じですぅ。彼女にとってはこれが至高の配列であり、黄金のマトリックスなのだろう。いいことだ。
   


2003/6/18 (水) 

 「いいね、いいねー。可愛いよー」
 「おっ、凄いねェ。ゾクゾクくるよー」
 「カワイイ、カワイイ」

 と、言われ続けていると妙な気分になってくる日曜日の夜。まさかこんな展開になるとは思わなかった。
 映画の原案に女子校生を登場させたのはわしだけれども、自分は絶対にセーフだなと考えていたのである。どうせ女優は見つからないだろうから「女装」でいこうとは当初からの案だったが、主役と絡めていくに187cm、褐色ヒゲ面の女子校生はまずあり得ない。わしにこの役目は無いだろう。絶対にセーフだ ――――――と思っていた。
 
 アウトだった。
 撮影日の前々日の夜、サトー副隊長もといサトー監督より電話。なんでも製作総指揮を委任してあるKさん55歳詩人が突如として、
「女優はタカ隊長でいくことしかあり得ない。彼が一番の適任者だ。初めからそう考えていた」
 と言い出したという。Kさん55歳詩人の感性には信頼を置いているし、製作総指揮の言葉は絶対である。
 
 そんなわけで、撮影当日。
 アタシは二ヶ月間伸ばしつづけてきたヒゲをそり落とし、三日を要して手入れをしたお肌に五時間かけてメイクを行ない、二時間かけて髪を金髪にして、セーラー服を着たのよ、じゃなかった、着たのである。
 新たな自分が発見できたわ。
   








  隊長の戯言