壁が在る。一つの壁が在ったと仮定する。
これをどのように対処するかは、壁次第、人それぞれである。
壁を乗り越えて行くためには、余計な荷物を捨て去り、エイヤッと登っていかなくてはならない。危険や失敗は多いにありうるだろう。それら全てを覚悟した上で登っていく者もいる。
人によっては、荷物を捨てることをいやがり迂回する手段も取られるだろう。
壁次第、人それぞれである。リスクを負わずに登られる壁は存在しないのだ。
今、俺の前に、大きな壁が出現した。
「仕方ない。オレがやらなくちゃならないんだ」
複雑怪奇。もちろん初めての経験だ。どうすべきか全く分からない。メールや掲示板を通じて沢山の御意見を頂いたが、未だ実行には移していなかった。正直言って怖かったのだ。しかし。
決心した。
上下セパレート。まずはスカート部の中に頭を突っ込まなくてはならぬのだが、これが一番の関門となる。スカートを広げ、それを被ろうとする瞬間に果てしない途惑いが生じる。
「変態だ! 変態」
「映画のためだ! 映画」
異なる二つの思考が頭の中を順々と巡り、そして思い直したかようにセーラー服を手放す。制服に装着された「佐藤花子(仮名)」との持ち主の名札。それを見るとさらに気が萎え、頭を抱えたくなった。
この逡巡を何度繰り返したことだろう。ふと、制服にホックがあることに気がつく。なんだ、ホックを外すせば足から着る事が出来るのである。ワンピースのように着なくてはならないと思っていたのは、オレの勘違いだったのだ。少しだけ気が楽になった。
五分経過。気合を入れるために『ケミカル・ブラザーズ』を大音量で流す。空手の現役選手時代、トレーニングする最中によく聞いていた曲だ。オレはクラブ・ミュージックは嫌いなのだけれども、このCDだけは不思議と何度も聞いたものだ。傍若無人に暴れまわっていたあの頃の、ナイフのように鋭い神経が沸沸と蘇ってくるのが分かる。
目を瞑り、精神集中を行なう。ビートの一音一音が響く度に気合が充填されて行く。オレはどんどん昇華していく。
「だあいやぁぅ○×△□ッ!!」
気合を入れ、足を通した。キチンと気合を入れたつもりだったが、気合は意味不明の言語になり、言葉になってない。一瞬、自分を失いそうになったのだ。
…大丈夫だ。まだいける。
生まれて初めて履くスカート。肩まで挙げた途端、オノレのスネゲが剥き出しとなり、再び気が遠くなった。いや、ここで負けてたまるか。
「く、くくくく」
泣きそうになりながらも、気合で肩ホックを留める。左腕が吊りそうになる。腰のホックを止める。腰のジッパーを引き上げる。ベルトを締める。それにしても何と気合の必要な服なのだろうか。少しでも気が緩めば、自我がぶっ飛んで行きそうだ。俺は日本中の女子校生を無条件に尊敬する。
続いて上着を被る。これにスカーフを巻きリボンをつければ、オレは勝利するのだ。と、いきなり
「ピンポン、ピンポン、ピンポ〜ん」
玄関のチャイムが鳴った。冗談じゃない、こんな格好では出て行けやしない。慌ててステレオの電源を切り、息を殺す。訪問者には悪いが居留守を使わせてもらおう。例え訪問者が「一五年間音信不通の小学校時代の親友、井口くん」であろうとも、オレは居留守を使う。
「ピンポン、ピンポン、ピンポ〜ん」
黙れ。こっちは命かけているんだ。邪魔するんじゃねぇ。
一秒という時間の経過が果てしなく長い。やがてチャイム音は途絶えた。
チンタラやっていては、大変なことになる。俺は慌ててスカーフを巻いた。結び目を小さくするのが「可愛く」みせるポイントらしい。おお、オレは以外と冷静じゃないか。
オレはついに壁を征服した。
187cm、褐色、ヒゲ面、サングラスの女子校生は第四次元世界の生物をひっそりと想起させてくれた。
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