隊長の戯言     


 
2003/4/30 (水) 

 本日、めでたく退職。小生、明日より無職。嗚呼、素晴らしき哉。
 パート社員のお嬢様方(推定年齢40〜60歳)からは手紙つきの酒を贈呈された。「体に気をつけて」ってのは分かるが、中には「死なないで下さい」と書かれたモノがあったのはどういうわけだ。さておき、こんなことならば毎月退職したいものである。

 それにしてもこの不安感と開放感が混ぜこぜになった気分のなんとよろしいことか。地位、信用、高給、何もかも文句のつけようのない状態をえいやっとばかりにスッパリ捨て去るのは実に気持ち良い。
 始まりとは、見つけることでも、拾うことでもなく、「捨てる」ことから始まる。

 
 先週、詩人のK村さんと話す機会がもて、少量の酒を飲み交わした。K村さんが発する言葉の感性というのがこれまた凄くて、なんちゅうか「この人ニンゲンかよ」と思うことが多々ある。別名、言葉の錬金術師。既成概念の破壊者。
 そのK村さんが突然、「旅って出会いじゃないんだよ。旅は別れなんだ」と言ったのは、なかなか興味深い。その洞察は驚くほど的を射ている。
 旅は別れの連続だ。人だけじゃない。燃える街衢、沈む太陽、香る風、満ちる喧騒。全ては刹那的でその瞬間だけのものとなる。そして時折それが一枚の絵となり、写真となり、心に焼き付けられることがある。もしこれらが永遠のものになれば、わしは旅をしないだろう。
 言いかえるならば、旅とは捨てることの連続。始まり以前から終わりまでは物的充足を捨てて捨てて捨てまくる。それじゃァ捨ててばかりじゃないか、何を拾うんだヨー、という質問に対しては、答えを明かしたくないので秘密ということにしておきます。こんな貴重なこと簡単に教えてたまるものかヨー。


 「結局、旅人って"別れ"が好きなんだね。タカくんもそうだろ?」
 それは最後の仕事を終えて、会社を出た途端だ。わしは、ふとK村さんの言葉を思い出したのである。

 


2003/4/29 (火) 

 本日は休日ながら、友人に頼まれ引越しを手伝う。貴重な休日が丸々一日潰れたのは痛いけれども、五千円の臨時収入はかなり嬉しい。
 今までは「この種の収入は須らく貯金」ってな具合でやってきたが、せっかく得た臨時収入だ。タマには散財しても許されるだろう。思えばここ数年、私的に五千円以上の大金を使ったことがない。
 
 さてさて、新刊本を買おうか、はたまた焼鳥でも食いに行くか、文庫本を買って映画を見るという手もあるな、いやいや映画はビデオで済ませるか、兎にも角にもパアーッと散財しちまおう。
 わしは五千円の使い道にニタニタと思案に明け暮れつつ、ホクホクと家路についていたのだが、拙宅の玄関戸を開けようとした瞬間、後から声をかけられた。振り返って見れば、そこにいたのは隣家のバァちゃん。
 「あぁ、よかった。タカさんトコは、いつも家が留守じゃろ。これでようやく捕まえることが出来ましたバイ。あぁ、良かった」
 バァちゃんはホッとした表情を見せながら言う。いったい何の用件か、と尋ねると
 「町費の徴収たい。四千二百円」
 だとよ。
 
 さぁ、800円も残った残金でパアーッと飲みますかね。パアーッと。
 


2003/4/24 (木) 

 携帯電話の誤作動をよく起こす。この間なんかは海上保安庁に掛かっていたようで、後でその事実を知った時はかなりドキドキした。
 先日も仕事中に誤作動を起こし、知らぬ間に知人に電話が掛かっていたようだ。後日、電話で詫びると次のような返事が来る。
 「ああ、そうだったの。いやァ、電話に出たのはいいんだけど無言でしょ。間違いかな、と思って切ろうとしたら何だか声が聞こえてくるわけよ。そこで耳をすませてみれば…」
 「すませてみれば?」
 「オリャア、いくぜコンチクショウメ!!この野郎っ…だってさ」

 考えてみれば、その時、わしは五つドアの冷蔵庫抱えて、団地の階段を昇っていたのである。
 いや、小生の仕事にゃ気合が必要なものでしてね。
 そこでわしはふと思ったんだが、それが仕事中でまだ良かったなァと。排泄中に携帯電話が誤作動起こしたら、適いませんな。どすどす、ぽちゃぽちゃん、ふぅー、と。


 日記を更新しようとしたら、この壁紙になっていたので驚いた。そういえば、昨晩は酒を飲みながらホームページを弄くって遊んでいたような気がする。
 明日は仕事が早く、今更元に戻すのも面倒なので本日はこのままで行きます。これ以上隊長ホモ疑惑が進展しても困るが、最近日記をサボりぎみなわし。これで明日は是が非でも更新しなくちゃなりません。モノは考え様で万歳。
 


2003/4/23 (水) 

 中国は秦の時代。
 始皇帝の時代も長くは続かず、二世にして国は傀儡政権と化した。実権を握っていたのは宦官の趙高という人物。
 ある時、二世のもとに鹿が献じられた際、趙高はこれを馬だと言い張った。
 「これは鹿じゃねぇのか?」二世は趙高に尋ねるが、趙高はあくまでこれが馬だと主張する。
 「ねぇ、皆さ〜ん、これは馬ですよネェ」珍珍のない趙高は周りの文官達に尋ねたところ、彼らは答える。
 「はい、趙高様の言うとおりこれは馬でございます」
 
 ―――趙高の実権はそれほどまでに強かったという中国の故事。 


 『馬鹿』という言葉はこの故事から出来たとされているのだけれども、さてここで疑問が生じる。
 中国語には『馬鹿』という言葉が存在しないのである(※)。とはいえ、中国人に『バカ』とでも言えば、烈火の如く彼らは怒るわけで(小生、北京のタクシー運ちゃんにバカと言ったら凄く怒った経験アリ)、これはどうやら向こうの戦争映画で日本兵が発する口癖だからして彼らは『馬鹿』という日本語をよく知っているのだ。
 中国人に『馬鹿』と言った際に見られる彼らの怒り様とは凄まじい物で、『馬鹿』とは最上級の罵倒語と思っている節がある。誤解しているのである。勘違いしているのである。
 何をおっしゃいますやら、話しは逸れるが、罵倒語に関しては中国語が世界で一番優れている。「臭狗糞!(クセェ犬グソ野郎め)」はまだ上品な方で、「呆頭呆脳」を初め、「脳袋少根弦」まで行くと、これはかなり使い勝手がある。「ママとヤリな」「ママのプッシーでも舐めてな」「シケたチンポ野郎め」「シケた(自主規制)女め」までくると、かなりの上級者。中国を訪れた際は、ぜひご活用下さい。

 さておき馬鹿の由来だが、これには真説があるそうだ。先日、インド本を読み漁っている時に始めてその事実を知り甚く感動した。
 サンスクリット語にはmoha(無知)という言葉があるのだけれど、日本の僧侶はこれを『慕何』ないし、『莫迦』と表記したとのこと。ここから転じて「バカ」が生れたそうなのである。
 ところで、仏教が指す「無境の悟り」。これを婆伽梵(薄伽梵)という。婆伽梵ですぞ。婆伽梵。つまりはバカボン。
 婆伽梵は「煩悩を超越した徳人」であるわけで、つまり『天才バカボン』は偉大な人だったわけだ。感動して涙が出そうです。天才婆伽梵。


 ※付記。とはいえ中国には馬鹿(maral)というアカシカの中国固有亜種がおりまして、これは中国語でマールー、もしくはバーローと読むそうで。
 
 
 


2003/4/20 (日) 

 記憶によれば、
 ・黒のパンツと黒のブーツを着用しているだけで上半身はハダカ
 ・緑色のベルトをしていた(確信あり)
 ・頭に二本のツノが生えていたよな気がする
 ・小さいだんご鼻もついていたような気がする
 ・頭はテカテカと輝いていたと思う

 以上の特徴を元にイメージ図を書いてみたら、次のようになった。どうも本物とはかけ離れすぎているような気がしてならないが、かといってどこが間違っているのかさっぱり見当がつかないので(強いて言えばマッチョ過ぎる、口元が違うような気がするが)、これ以上の言及は避けたいと思います。さらに言えばこれは何であるか? との質問に対しては訪問者各位諸兄諸姉の聡明な判断に任せます。



 そんなわけで。
 あのマンガがリメイクされてアニメ放送されているみたいなのですね。何でも2003年はアレが生れた年だとのことだそうで。
 スタンリー・キューブリックはこのマンガを見て絶賛し、「ぜひともアナタに美術監督を務めて欲しい」と原作者に迫ったという。彼の思いは果たされなかったのだが、後に彼が完成させた映画が『2001年宇宙の旅』だった、というのは意外と有名な話し。

 しかし、原作者はアニメ化されたこの作品を見て、かなりの怒りを覚えていたとの事実もある。
 それというのは、元々あれは「正義のヒーロー」何かじゃなくて、「ダークヒーロー」なのである。アメコミ王道路線と累同するのである。『スポーン』とか『ブレイド』とか『ダークマン』と一緒なのである。
 「正義のヒーロー路線」で突き詰めると、要はアレは「核技術万歳ヒーロー」になってしまう。このことについて原作者は相当困惑していたとの由。そもそもこの作品の主題は「科学至上主義への警鐘」だったらしいのですな。

 
 ええと、オチがまとまりませんが、わしの言いたいことは「僕は大変ひねくれているので、流行りものをみるとどうしても難癖つけたくなってしまう」ということです。成る程、そうだったのか。
 
 
 


2003/4/19 (土) 

 知人からのメール。
 「以下のURLで推定寿命が計れるよ。君の生活態度を考えるとかなり心配だ」
 ちなみに彼の寿命は109歳とのコト。彼の生活を考えるとホントに109歳まで生きかねない。
 彼は業界では有名なシーカヤッカーなのだが、絵に描いたような健康人であるのが多少難点だ。
 いや、健康体を目指すのは多いに結構。せいぜい「まァ頑張っておくんなさい」とでも言うだけであるが、健康生活を押し付けてくる人種は勘弁願いたい。
 健康思想は宗教と一緒で人に押し付けるものではない。宗教の自由があるように、不健康の自由があってもいいじゃないか、と不健康生活を信条としているわしは思うのである。
 わしが健康至上人間を最も嫌う理由は、所詮それは金持ちの余興にしか過ぎないという点だ。発展途上国と呼ばれる第三国を見て回れば、それを痛感する。野菜が育たない国や、一日二食を食うのでも精一杯の国の人々一緒に生活していると「栄養素云々、ビタミン云々、カロチン云々」と自分だけならのみならず他人にまでそれを押し付ける人種には虚しさすら覚えるのである。
 加えてわしは太く短く人生を謳歌しようと思っているので、ネトネトギトギトの濃厚豚骨ラーメンや、エイヤッとばかりにたっぷり塩をまぶした豚足は大好物です。イエィ。

 話しがそれた。
 知人が教えてくれたサイトは、質問事項に答えていくとその答えによって平均寿命が増減されていくというごくごくありふれた内容。
 こんなものやらなくても結果は分かっている。この手のサイトでは20代か、30代でわしは死ぬことになるのである。
 ―――と、ふてくされつつやってみたら次のような事態になった。20代で死ぬどころの話しじゃない。
 わしはニコチン・アルコール中毒で心臓病。ノイローゼを患っていて自殺願望アリ。過労死の可能性高く、胃ガン・大腸ガンになっている…らしい
 この時点でのわしの寿命は「マイナス56歳」。
 予想以上の結果にぐったりしつつも、ついに最後の質問。
 「運も寿命のうちです。最後に下のボタンを押してください」
 そこで指定されたボタンをクリックしたのだが、途端に画面がおかしくなる。プログラムの記述ミスか、そう思いつつも次のページに飛ぶと、何とも驚いたことに寿命が100歳延びていた。
 これでは何だかわしの人生そのまんまだ。案外にこの寿命診断サイトは正確なのかもしれない。九回裏満塁逆転サヨナラホームランで56歳の大往生。愛でたし。
 
 
 


2003/4/12 (土) 

 凄愴凄惨極貧厳酷無情底辺生活がようやく先月で終了した。四年越しに計画していた旅の資金が貯まったのである。
 この三年間は。
 あまりにも長かった。

 まず初めに。
 酒を買うことを止めた。映画を見ることを止めた。ビデオを借りることを止めた。本を買うことを止めた。CDを買うことを止めた。ムダな交際費を削るために曖昧な友達関係は全て絶ちきった。
 一週間に使う食費は三桁。食材はスーパーの見切り処分品が主体。しいたけ30円。バナナ50円。キャベツ30円。アスパラガス40円。この異常な安さには随分と助けられた。朝飯は御飯にみそ汁、時に奮発してナットウ付き。職場で食う昼飯は69円の買いだめカップラーメンとふりかけ御飯。晩飯は薄力粉から手製のナンを作る。チーズが安く手にはいった週はチーズナンに格上げとなる。これだと費用は数円しか掛からない。メシは一粒残さず、汁は一滴も残さず食すのは基本中の基本。
 コンビニ、電気屋、本屋、レコード屋に近寄ることも避け続けた。どうせ何も買えやしないのだ。湧き出でる物欲に悶々と苦しむのが嫌なのである。

 そんなこんなで。
 最近になって、「ちょっとは贅沢が許されるかな」と思うようになり、一週間の食費の上限を1500円に増やした。これで幾分か食いたいものを食うことが可能になったのである。大変嬉しいのである。
 一ヶ月に二十万貯金していた時期はさすがに栄養失調になりかけたが、金を貯めるってのは案外簡単なことで、キツイのは最初のだけだ。上記のような生活をすること半年が経過する頃になればモノを買うという行為に対して次第に「罪悪感」が芽生え始める。こうなったらシメたもの、金はずんずん貯まっていく。

 ところが、だ。
 困ったことに金の貯まった今でもこの「罪悪感」を払拭することが出来ない。
 喉が乾いた。水道水…いや、ジュースでも飲もう。
 自販機に硬貨を投入し、ジュースを一口飲んだ途端、わしは急速に罪悪感に苛まれ始める。
 「あぁ、なんでオレはこんな恐れおおいもの(120円)を買ってしまったのか。なんという贅沢(120円)をしてしまったのか。これぐらい我慢できたんじゃないのか」
 120円ぐらいの娯楽費は自由に使っていい、という事実は認識しているのだけれども、どうしてもそれを素直に受け取ることが出来ない。思わず新刊の文庫本なんか買っちゃった日には一日中「オレはなんというムダ使いしてしまったんだ」と悩みつづけ、2000円のドイツワインを買えば「あぁ、俺はなんて最悪の人間なんだ。なんて弱いやつなんだ」と自分を叱責し続ける。
 
 金を貯めることは簡単だ。しかし金を使うことは難しい。
 
 
 


2003/4/8 (火) 

 「タカさんって今までどんな仕事してきたんですか?」
 と、アルバイトのKに尋ねられた。仕事で現場に向かっている最中のことだ。
 そこでわしは聞かれたとおりに今まで経験したアルバイト等を答えていったところ、それを遮るようにKが突然声を上げた。
 「その店って、もしや○○○じゃないでしょうね!?」
 「おお、よう分かったなァ。そこだよ、そこ」
 わしが嬉しそうに言うと、Kは「やはり…」と言ったっきり途端に黙り込む。そして、しばし沈黙した後にポツリと呟き、
 「…あの、ここの顔の傷、見て下さい」
 と目の横の古傷を指差した。
 訳の分からぬこと言いやがるなァコイツ、と思っていたら、唐突にとある記憶がわしの頭に蘇った。
 「K、オマエもしかしてF大の剣道部出身か?」
 「ハイ」
 わしがそう尋ねると、Kは弱々しく答えた。
 そうだったか。思い出した。
 
 数年前。わしが某店で働いていた時のことだ。
 ある日、F大剣道部と名乗る連中が店に客として来た際、彼らがあまりにも横柄な態度を取ったために表に連れ出し、ぶん殴っちゃったことがある。いや、殴ったのはわしではなく、店の店長だ。四人の学生を引きずりまわし、メタメタにしたのである。
 「その殴った人って、小指の無い茶髪の兄ちゃんだった?」
 わしが恐る恐る尋ねると、Kはコクリと頷く。
 「で、その時助けてあげたのは、背が高くてバンダナ巻いた不精ヒゲのヤツだった?」
 Kは再び頷く。
 「間違いない。そいつはオレだよ」
 そうなんである。わしは学生を殴り続ける店長を抑えつけ、学生たちを逃がしてやったのだ。わしが感慨深げに感心していると、
 「やはり、あれはタカさんでしたか。いや、あの時はホントに助けられました」
Kは感謝の念を込めて、わしに言った。
 いやはや、世間は狭い。
 以降、Kはわしを畏敬の眼差しで見つめるようになったのは良しとしたい。ところが、あの事件の一時間前、わしが店長に「効果的な人の殴り方」を教えていたのは、ここだけの秘密にしておこう。
 
 
 


2003/4/6 (日) 

 桜の花が散り終える頃には、仕事が落ちつく。
 さてさて九州の引越し業界ではそんな通説がありまして、本日から仕事の量が段々と減ってきました。

 それにしても、わしのような花と鳥と風と月と酒を愛でる人間にとっちゃァこの現実は中々辛い。
 世間が花見云々、場所取りが云々言っている間に、こちとら死ぬような思いをし、ふと気がついたら
 「桜の花は完全無欠に文句のつけようもなく散っていた」
 というのはかなりの憔悴感を覚えるわけです。くそったれ。ちくしょう。


 ところで。
 ガイジンに十五夜や月見の風習を教えると、彼らは凄く大げさに驚いてくれまする。「OH! クール」とか「ビバ!」とか「あいやぁ」とか「サイハンッ!」等々。文学史上を鑑みればよく分かるのだけれども、この辺のワビサビの情緒は中国、日本独特のモノですな。月や花を見て酒を呑む、なんていうオモムキを彼らはむやみやたらと感心してくれる。
 梅は中国でもてはやされ、しばしば詩題に使われてきたけれども、とりわけ桜は日本古来伝統発祥起源…のものでありますから、花見に関しては日本独自の風習といって良い訳です。
 聞けば花見とは「豊作を願って山神様にお供えものを上げよう。しかし、いくらお供え物を捧げた所では、神様にはその気持ちしか伝わらないし、酒が勿体無い。よって自分たちで飲み食いしちまおう」というものがそもそもの始まりとのこと。こんな発想は大好きであります。
 
 そういうわけで、まァ。
 せめて散った桜でも見てやろうと、本日仕事が早々と終わったので思い立ったわけですよ、先生。
 幸い、拙宅裏の公園には桜が何百本と生えている。夕暮れ時とはいえ、今時分に花見客はいないだろうと、わしゃ一升瓶ぶらさげて公園に行きました。ここの公園には、読書をしたり、酒呑んだり、空手のトレーニングをしたりする、わしお気に入りの場所があるのです。
 と、いざ出向いたところ。
 カップルが抱き合って接吻していやがった。
 わしは狼狽しつつ、慌てて引き帰しましたが、これではなんだか腑に落ちない。むしろ、それどころか腹が立ってきた。そこでわしはくるりと踵を返し、カップルのほぼ真横に座り、ヤツらの存在をまったく無視して一升瓶をラッパ呑みすることに決めこみました。
 すると、何故かカップルさん方はすぐに解散しまして。この出来事が彼らにとっての良い思い出話しになってくれたらいいなァ、とやさしい僕は思うのでありました。了。
 
 








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