隊長の戯言     


 
2003/3/3 (月) 

   ※昨年書いたボツ戯言
 

 仕事をサボって友人からの頼まれ仕事を手伝う。
 …って言っても引越しですが。本業サボってもやはりやっていることは一緒ですな。

 ところで、友人は六月をもって会社を辞職。今やめでたく無職になったらしいです。おめでとう。
 そこで「この先どうするのか?」と尋ねた所、日本一周してみたいと言う。そいつは実におめでとう。大変いいことだ。無職バンザイ。
 しかし、話しをする内に段々おめでたくなくなってきたのは、彼の「その為に車を買った」との科白を聞いてからだ。
 バカな。
 まず最初にそう思った。
 せっかくの機会に意味のないコトするなよ。
 次にそう考えた。

 車では旅は出来ない。これがわしの持論だ。いや、これは持論というより普遍論なのである。
 彼がパックツアー、バスハイクよろしくチンタラチンタラ"旅行"を楽しみたいと言うのなら、それはそれで全く問題がない。文句言わない。
 でも、彼がやろうとしているのは"旅"だ。それも今後の生き方に影響を与えたいとまで言っているのである。
 「車で旅をする」との言葉を聞いて愕然とした。
いや、でもこれが安易に思いつく、普通の考えなのだ。


 九州を歩いて旅している時、耳にタコが出来るほど受けた質問は「何で車やバイクを使わないの?」というものだった。
 そんなもの決まっているじゃないか。車やバイクは最低の手段だからだ。車で旅行は出来ても、車で旅は出来ない。
 九州徒歩縦断した後、何度か車やバイクでその軌跡を辿ってみたことがある。これが実にそっけなくて、つまらなくて、味気なくて、どうしようもなかった。わずか一時間ちょっとで通り過ぎ去っていく風景。ボケーっと座っている間に景色だけが流れていく。
 車で一時間かかったこの距離は、歩けば丸一日を要する。その間には、夏蜜柑の香りがあれば、雨宿りついでにご馳走になった定食屋もあるし、浮浪者との邂逅があれば、小学生に「ば〜か」となじられたこともあった。通り掛かりの歯の抜けた爺様と話しこんだこともあったし、トラックの運チャンと仲良くなって缶コーヒーを奢ってもらったこともあった。喉の乾きに絶えきれず飛び込んだ民家もあったし、警察官に不審者尋問を受けた野宿場所もあったのである。
 これが車でいけば、ただ座って流れる風景を見ているだけ。それだけになる。ホントにただ座っているだけ。

 カナダの元首相・トルドー氏はなかなか良い言葉を残しているので、最後にそれを紹介したい。
 「列車で百マイル旅行しても馬鹿はいつまでも馬鹿。しかし、カヌーで一マイルも行けば、その人は自然の子になる」


 友人には「オレが考えている旅の定義を覆してくれ。それしか望まない」とだけ言って送り出した。わしは彼が帰って来るのを心待ちにしているのである。
 


2003/2/28 (金) 

 塩サバをおかずに白メシをわしわし食っていたら、茶碗の底からハエが出てきた。よくよく見ればこの茶碗、指で拭くと指先が真っ黒になる。
 おそらく五、六年ぶりに使用されたであろうと思われるこの食器、テレビを見ながら手探りで探し当て、そのままエイヤッと御飯をついでしまったのが、どうもマズかった。
 途端に気分が悪くなったが、一旦胃の中に入ってしまったものはどうしようもない。せめて胃腸の消化作用を促そうと慌てて冷蔵庫に走り、ヨーグルトを呑みこむようにして食う。
 ところがこのヨーグルト、何故か異常に酸っぱい。怪訝に思って賞味期限を確かめたところ、
 「二月三日」
 となっている。
 これによって、わしはより一層気分が悪くなり、「あ、そうだ。自室の"本棚"兼"酒棚"にアルコール度数45度の泡盛が置いてあったな」と思い立つやいなや、泡盛の酒ビンそのままラッパ呑みしたのでございます。これで完璧に消毒できました。

 《今宵の夕餉》
 ・塩サバ
 ・埃に塗れた白ごはんハエ味風味
 ・賞味期限一ヶ月経過したヨーグルト
 ・泡盛


 
 ※仕事が繁忙期に突入し、地獄の様相を呈して参りました。今月は『隊長の戯言』が飛び飛びになると思いますので、了承してください。
 確実に言えることといえば、四月十五日以降は暇になります。同社、二度目の退職をしますので。
 
 


2003/2/23 (日) 

 「あのぅ、女性セブ○の記者のものですが………、ぜひとも貴方を取材させてください」
 との電話があったので、
 「ワタシはアンタのところみたいなゴシップ雑誌は好かんのです。さよなら」
 と断った。
 即座に拒否してしまったものの、驚きましたね。そうか、ついにわしもとうとう取材される身分になったのか。
 ただし、冒頭の「………」には次の言葉が入る。
 「貴方が氷川きよしさんの元同級生と伺いまして、ぜひとも中学生時代の彼のエピソードをお聞かせ願いたく…」
 
 事実はまァ、そんなものです。しかし、雑誌社の情報収集力はつくづく恐ろしい。どうやって調べたのだろう。
 とはいえ、仮にわしが取材を承諾して、彼との思い出話を正直に語ったとしよう。さすれば、日本全国津々浦々の氷川きよしファンから毎日カミソリの葉カミソリの刃が届けられるコト間違い無しです。
 
 誤字の指摘がありましたため、手書き風に修正致してみちゃったりしました。


2003/2/21 (金) 

 一分遅刻した。朝グソを割愛すれば良かったのだ。おかげで減給である。
 げんなりしつつもタイムカードを押そうとしたら、わしのタイムカードが見つからない。
 こいつはシメた。
 幸い上司は会議のために不在で、帰ってくるのは夕方過ぎである。上司が帰ってきたら、こう言えばよい。
 「いやぁ、ギリギリ出勤時刻に間に合ったんですが、私のタイムカードが見つからず、一生懸命探している内に出勤時刻を過ぎてしまいました。そんなわけで私は遅刻しとりません」

 素晴らしい名案じゃないか。安心してその場を去ろうと思った瞬間、足元に何かが落ちているのをふと見つける。
 ……………。
 さりげなく足で蹴っ飛ばし、机の下に潜りこませておきました。
 


2003/2/19 (水) 

 正直に言わせていただくと、指揮者の存在理由が分からなかった。いてもいなくても変わらないんじゃねぇの、と思っていた。 
 さて。
 文春文庫から出た新刊『指揮のおけいこ』が面白い。作者はNHK交響楽団指揮者の岩城宏之氏。万年金欠病だから新刊は買えない。立ち読みで読破した。速読もタマには役に立つもんだ。
 わしはオーケストラの世界には全くの門外漢だし、オーケストラの対極に位置する(と思われる)ロックに傾倒している人間だから彼のことは全く知らない。指揮者としての能力も知らない。ただ彼の書いた文章は面白い。

 冒頭の疑問だが、この『指揮のおけいこ』を読んで、ナルホドと思わせるものがあった。
 ベートーヴェンの『エロイカ』を複数の指揮者に指揮を取らせてみる。演奏者も楽譜も全く同じという状況下に関わらず、指揮者各々によって微妙に違う演奏となったのだそうだ。まァ、指揮者の能力とはそれほど大事なんですね。こんなことすらわしは知らなかったので、ただ単純に感心しました。
 また、岩城氏によると、指揮とは「手の振りだけで行なうものではなく、目ないし、顔の表情、しいては全身から出す雰囲気で指揮を行なうもの」らしい。そこで、氏は顔を石膏どりしてデスマスクを作り、それを着用して指揮に臨んだ所(こんなバカをする人には好感持てますな)、演奏は滅茶苦茶になったという。もっともわしが演奏者だとしたら、抱腹絶倒してロクに演奏できないと思うけど。

 何はさておき、指揮者とはシビアな職業であることがとりあえず分かった。四分音符一拍を0.5秒とする曲調の場合、三十二分音符の一拍の時間的長さは約0.0625秒。指揮者はこの微小なズレを感知し、指摘する能力がある。これが「オーボエさん、ちょっと早いッスよ」ってな具合になるのだろう。
 かくして、「指揮者とは時間に厳しい人間」なのだそうだが、当隊のイーダ炊事長(最近まで某市市民吹奏楽団の指揮者)なんかは平気で一時間の遅刻をする。
 とあるコメディアン風に言えば、なんでだろう、なんでだろう、なんでだ、なんでだろう、という感じだ。コード進行はAm、Dm、E7、Am。
 


2003/2/18 (火) 

 なんでもそれは、日本人の十人に一人の割合だそうだ。
 花粉症の話しですがね。
 スギ花粉となればもっと凄い。東京都人の30%以上はスギ花粉症だという。スギの木は日本特有の植物だとしても、この数字には驚かされる。
 確かにわしの周りには花粉症持ちがたくさんいる。わし自身も一時花粉症に悩まされていた。

 ところで、疑問が二つ。

 ・スギの木は昔からあったのに、なぜ最近になって急激に花粉症患者が急増したのか。
 ・スギは都会よりも田舎の方が圧倒的に多く生えている。それなのに花粉症患者は都会の方が多いのは何故か。

 これらの理由は長年の謎とされてきたのだが、最近になってボチボチ解明され始めたらしい。
 花粉症の元凶は「抗体の過剰生産」が原因とされていた。つまりウイルスをオリャオリャっとやっつけてしまう抗体が異常に増えてしまったことにより、体の免疫システムが崩壊。アレルギー反応が過敏になっちまうのである。
 と、ここまでが通説。なぜ「抗体の過剰生産」が起こるのかは謎とされていた。
 で、今からが新説。
 とある学者によれば、「抗体の過剰生産」は衛生的になりすぎた日本の環境せいだ、という。そういや、現今は「砂遊びをした後は、バイキンをキレイキレイしましょーね」とかいうバカママさんのCMやら、抗菌便座、抗菌ボールペン、抗菌電卓だの意味不明のモノが蔓延している。
 これらの潔癖主義によって日本人の免疫システムに異常が出てきた、のかも知れない。これだと、前術の疑問の答えがなんとなく理解できる。

 ところで、わしが花粉症に悩まされていたのは中、高校生の頃だった。ちなみに当時のわしはスゴク華奢で足が長くてスマート体型で、「プリンス君」とか「おぼっちゃん」とか呼ばれていた。初対面の人に名前を名乗ると「おお、それでは貴方が○○家の御曹司なんですね!!」と言われたりして実に困った、という経験は全くないが、とにかくまァプリンス風だったのである。
 それがどこでどう間違ったのか、成長期に筋肉がムキムキ付き始め、肌は浅黒くなり、体は座高だけがグングン伸びていって現在のわしになってしまった。まァこれはこれでワイルド路線でいくからイイさと思っていたのだが、十数年来の友人に会うと決まってこう言われる。
 「なんだか、変わったな。そうだなァ、なんというか…」
 「なに、逞しくなった?」
 「いや、汚くなった!!」

 なるほど、どうやらわしは「汚くなった」から花粉症が治ったものだと思われる。昔の日本人の八割は体内に寄生虫がいて、そのためにアレルギー症状が出なかったそうだ。絶えずスギ花粉さらされているニホンザルも寄生虫がいるからこそ花粉症にかからないらしい。
 わしはニホンザル化したのである。
 








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