※昨年書いたボツ戯言
仕事をサボって友人からの頼まれ仕事を手伝う。
…って言っても引越しですが。本業サボってもやはりやっていることは一緒ですな。
ところで、友人は六月をもって会社を辞職。今やめでたく無職になったらしいです。おめでとう。
そこで「この先どうするのか?」と尋ねた所、日本一周してみたいと言う。そいつは実におめでとう。大変いいことだ。無職バンザイ。
しかし、話しをする内に段々おめでたくなくなってきたのは、彼の「その為に車を買った」との科白を聞いてからだ。
バカな。
まず最初にそう思った。
せっかくの機会に意味のないコトするなよ。
次にそう考えた。
車では旅は出来ない。これがわしの持論だ。いや、これは持論というより普遍論なのである。
彼がパックツアー、バスハイクよろしくチンタラチンタラ"旅行"を楽しみたいと言うのなら、それはそれで全く問題がない。文句言わない。
でも、彼がやろうとしているのは"旅"だ。それも今後の生き方に影響を与えたいとまで言っているのである。
「車で旅をする」との言葉を聞いて愕然とした。
いや、でもこれが安易に思いつく、普通の考えなのだ。
九州を歩いて旅している時、耳にタコが出来るほど受けた質問は「何で車やバイクを使わないの?」というものだった。
そんなもの決まっているじゃないか。車やバイクは最低の手段だからだ。車で旅行は出来ても、車で旅は出来ない。
九州徒歩縦断した後、何度か車やバイクでその軌跡を辿ってみたことがある。これが実にそっけなくて、つまらなくて、味気なくて、どうしようもなかった。わずか一時間ちょっとで通り過ぎ去っていく風景。ボケーっと座っている間に景色だけが流れていく。
車で一時間かかったこの距離は、歩けば丸一日を要する。その間には、夏蜜柑の香りがあれば、雨宿りついでにご馳走になった定食屋もあるし、浮浪者との邂逅があれば、小学生に「ば〜か」となじられたこともあった。通り掛かりの歯の抜けた爺様と話しこんだこともあったし、トラックの運チャンと仲良くなって缶コーヒーを奢ってもらったこともあった。喉の乾きに絶えきれず飛び込んだ民家もあったし、警察官に不審者尋問を受けた野宿場所もあったのである。
これが車でいけば、ただ座って流れる風景を見ているだけ。それだけになる。ホントにただ座っているだけ。
カナダの元首相・トルドー氏はなかなか良い言葉を残しているので、最後にそれを紹介したい。
「列車で百マイル旅行しても馬鹿はいつまでも馬鹿。しかし、カヌーで一マイルも行けば、その人は自然の子になる」
友人には「オレが考えている旅の定義を覆してくれ。それしか望まない」とだけ言って送り出した。わしは彼が帰って来るのを心待ちにしているのである。
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