隊長の戯言     


 
2003/2/15 (土) 

 羊のドリーが死んだという事実を知ったのは、車中で流れているラジオ放送を聞いたからだ。新年早々に今年の干支が死ぬとはとんだブラックジョークですな。
 しかしまァ、そんなニュースを知ったところでさしたる驚きもなく、せいぜい 「へぇー。ふーん。そうなんだ」ってなぐらいの感想しか持たなかったのだが、その直後に述べられたニュースコメンテイターの一言に激しく心動かされた。
 「そういえば、ドリーの名前ってドリー・ファンクから取ったらしいんですよ」

 ドリー・ファンク………、か。
 ハイブリッド・オブ・プロレス。プロレス界のサラブレッド。ファンク一門の首領。ドリー・ファンクJr、テリー・ファンクの父。
 
 そうか、そうか、そうだったのか。イギリスはストロングプロレス発祥の地だもんなァ。遺伝子工学の研究者は相当なプロレスファンだったんだろうなァ。ドリー一族がプロレス界で稲妻の如く煌いたように、羊のドリーにも願いを込めたのだろうなァ。

 途端にわしは哀しくなり、また嬉しくなった。ドリーへの哀悼と研究者への親愛の念が一度に沸いてきたのである。
 こうなると、それまで全く関心の持てなかったクローン問題も心なしか興味が芽生えてくる。
 ところが、だ。
 ドリーの名前の由来についていろいろと調べていたら、その説さまざまであり、どうも「ドリー・ファンク説」はデマであるらしい。がっかりした。興味も消えうせた。ウソつくな、糞ラジオめ。
 しかし、だ。
 一人憤慨していたところ、別の有力説、―――「ドリー・パートン説」を知ってから、また嬉しくなった。
 えと、なんといいますか、ドリー・バートンってのはただ単に乳がデカかっただけの歌手でして、巨乳だけで売れた歌手なんですね。
 つまり、ドリーは乳腺細胞から作られたクローンでありまして、それを巨乳シンガーにあやかったわけで。

 さておき。
 ドリー・ファンクだろうが、ドリー・バートンであろうが過ぎたことはどうでもいい。重要なことは次に創り出される羊のことだ。今度の名前はぜひとも「リキドーザン」か「カノウシマイ」でやって欲しい次第である。

 さァ、これをもちまして、本日の戯言はクローン羊ドリーへの哀悼の意と代えさせて頂きます。
 


2003/2/13 (木) 

 ちょっと前にアメリカで流行ったジョークを一つ紹介。

 アメリカの某空港にて、一人の日本人が真っ青な顔をしてうずくまっていた。
 そこで、  「How are you? (どうしたんだい)」
 と尋ねた所、その日本人は今にも途切れそうな弱々しい口調で答えた。
 「I'm fine, thank you. And you? (はい、私は大変元気でございます。あなたはお元気ですか?)」
 


2003/2/10 (月) 

 携帯電話にゴテゴテとストラップを付けているのは日本人だけ、だそうだ。考えてみりゃ、確かにその通りである。まァ、元々アレは日本で発祥したものらしいですけど。
 それにしても、だ。
 そもそもあの存在意義が分からない。数十個のストラップをジャラジャラ鳴らしている女を良く見かけるが、あれは理解の範疇を越えている。邪魔臭いだけであろう。携帯電話を着飾って一体何がしたいのか。下らない、下らない、意味分からない。アホちゃうか。
 と、思っていたのだが。
 先日、丸谷才一のエッセイを読んで、うむ? と思い止まった。その箇所をチト引用させてもらいますと。
 「昔の日本人は根付といふものを用ゐた。これは、印籠や煙草入れを帯にはさんで腰にさげるとき、落ちないやうに紐の端につける小さな細工物で、珊瑚、瑪瑙、象牙などで作る。人物、動物、器物を彫つた、精巧なものが多かつた。幕末から明治にかけて日本に来た西洋人は、これを非常に面白がつたようで、ちょうど浮世絵を収集するやうにして、せつせと集めるものもゐた」
 と、書かれている。 (新潮文庫『男ごころ』)
 
 面白い。
 つまるところ、根付の本質は携帯電話のストラップと一緒ではないか。
 氏によれば、根付とは典型的な日本の文化現象だという。そのことを踏まえると、ストラップも捨てたものじゃない。わしは伝統文化を尊ぶ右翼なので、この辺りを考慮に入れると何だか嬉しくなる。ストラップをジャラジャラ言わせているアホも、見方を変えれば日本古来文化の伝承者。
 ちなみに、根付が欧米に流れこんでいったのと同様、携帯電話のストラップも海外で売れ始めているという。  

 話しは変わるが、目の前で携帯電話をチョコチョコと弄るヤツが嫌いだ。理由は分からないけど、何だか無性に腹が立つ。だからタマに「そんなことは一人でこっそり家に帰ってやってろ」とか思わず言っちまう。何故「一人でこっそりやってろ」なのか分からないけど。
 しかし、この間どこぞやの心理学者がこんなことを言っていたのです。
 「携帯電話はですねぇ、心理学面から言わせると"性器"そのものであり、それを弄ってるってのは自慰の代償行為なんですねぇ」
 どこをどうしたら携帯電話が珍珍となるのか分からないが、この奇説は妙な説得力をもっていた。

 補足
 二月八日付けの日記に、漢詩の適当な訳をつけました。元々の訳、
 「酒を飲んだら腹壊して屁が出てウンコが出た」
 よりも
 「酒を飲んだら腹壊してすかしっ屁をした。幸い屁は気づかれなかったがウンコ漏らしていた」  の方が正しい訳に近い気がします。
   


2003/2/8 (土) 

 最近とみに「目」についての嘆きの文章をよく見かける。曰く、「ドライアイだ」「視力低下した」「目が疲れてたまらんぜ」等々。
 視力低下に関しては、いろいろな医療技術が開発されていて、最近は角膜矯正コンタクトレンズなるものもあるらしい。何でもこれはコンタクトレンズで角膜のカタチを矯正するものだという。
 またレーザーメスを使って角膜に傷を入れ、光の屈折率を向上させるという治療法もある。
 いずれにせよ、この種の治療法は手間、ヒマ、金がかかるものだ。しかし、わしは無料で、しかも簡単に視力を向上させる方法を二つも知っているのである。
 
 まず一つ。
 わずか一ヶ月で視力が格段に向上した例。必要なものはパスポートと某国の入国査証。
 モンゴルの草原にいると普段の目線は数十キロ先になる。わしは遊牧民としばらく供に生活をしたのだけれども、たった一ヶ月いただけで目が良くなった。近眼の原因とされる毛様体筋の衰えが、再び復活したのである。
 ちなみに遊牧民の平均視力は3.0以上で、それ以上は測定不能だそうだ。

 もう一つ。これは凄い。金もかからず、わずか数秒で視力が上がった例。必要なものは何もない。
 空手の練習中に、思いっきり左目を殴られたことがある。その瞬間に左目の視界がボケて、何も見えなくなった。
 「ああ、こりゃ、ヤバイなぁ」
 そう思いつつ、慌てて左目のコンタクトレンズを外したのだが、何かおかしい。コンタクトを外した途端、妙に回りのモノが見えるのである。角膜に傷が入ったおかげで視力が上がったのだ。いわばレーザー治療のアナログ的原型。


 そんなわけで。
 往年の視力を取り戻したい方は、日本国籍を捨ててモンゴルに移住し、モンゴルの大草原で暮らしつつ、時折遊牧民に「私を殴ってください」と頼めば良い。
 これで金もかからず、簡単に視力が向上する。



2003/2/8 (土) 

 こんな文章を見かけた。
 「日本の政治家がジョークの一つも言えないことを否定するのはおかしい。そもそも日本にはユーモアを育む土壌がなかったからだ」
 何を言ってやがる、べらんめェ!!
 日本ほどユーモア文化が栄えた国はないのである。歴史的に見てユーモアが文明を担った国など例がない。
 江戸時代の話しである。
 狂歌、川柳、滑稽本。ウィット、エスプリ、ナンセンス、ブラックジョーク。そこにはあらゆる笑いがあった。
 
 この頃に作られた漢詩というのが滅茶苦茶で良い。わしは漢詩が好きで(西洋詩は小奇麗すぎる)、特に李白や夏目漱石の漢詩を好んで読むが、よもや江戸時代にかのような名作がイッパイあったとは知らなんだ。
 いくつか紹介したい。孫引きだけれど、引用元は『五山文学集 江戸漢詩集』より。

 「屁は臭いぜ」
 一夕 燗曝(かんざまし)を 飲みてより
 便(すなわ)ち 腹張りの 客と為れり
 透屁(すかしべ)の音を 知らざりしが
 但し 遣矢(うんこ)の跡 有り
 「酒を飲んだら腹壊して屁が出てウンコが出た」蜀山人の作。


 「野雪隠に至りて」
 低(た)れんと欲して 雪隠に 臨みたれば
 雪隠の中に 人 有りけり
 咳払いすれども 尚(なお) 未だ 出でざれば
 幾度か 吾は身振いしたる
 「ウンコ垂れたくなって雪影でノグソしようとしたが大変困った」詠み人の作品。

 
 「かあちゃんの述懐」
 夜は蚤と蚊に責められ 昼は子に責められ
 半時も 楽々と 気は持ち難し
 浴衣の洗濯も 糊付物も
 水汲も 飯炊も 皆 是れ 私
 「マンネリ結婚生活の不満が込められた」江戸時代主婦の作品


 なんだか、「日本人として生れて良かった」と、不思議にそう思う。
 


2003/2/6 (木) 

 それがよくある笑い話だとしても、いざわが身に振りかかってみると中々にツラいものだ。

 氷雨降るふる冬の朝。俺は仕事で団地に出向き、エレベーターで上がるは十一階。
 やがて仕事は無事終えて 疲労のため息つきながら、1階行きのゴンドラを待つ。
 ガラスの向こうでケーブルが ツツツと上がって扉が開く。
 同時に「チーン」と音が鳴り、いざ乗りこもうとしたところ、一人のおっちゃん其処にいた。
 おっちゃん俺をじぃっと見つめ、下向きかげんの姿勢のママで 足早に俺と入れ違う。
 「さてはあのオッサンは 俺に見とれたホモなのか?」
 訝しげに思いつつ、俺は開いた扉の中に 首を傾げたカタチで入る。
 その瞬間に理解した。怒涛の如く理解した。そして同時に涙が出てきた。
 もはやこれはガス地獄。
 臭気悪臭異臭汚臭。世紀末的 屁の地獄。はたまたサリンか毒ガスか。人類死滅の化学兵器か。
 鼻は潰され、脳はイカれる屁の芳香。カオスと悪魔のランデヴー。
 末梢神経、隅まで痺れ、震える手先を抑えつつ、階下ボタンを必死に押した。
 10階、9階、8階、7階。エデンの扉は悠久の旅路、次第に意識は遠ざかる。
 6階、5階、3階、4階。あともう少しだと、鼓舞しつつ。
 3階でエレベーターは突然止まり、「チーン」との音で戸が開く。
 おお神よ仏よ、何てことだ。
 二人のオバサン談笑しつつ、エレベーターに乗りこんできた。
 おお神よ仏よ、何てことだ。
 オバサン突然黙り込む。瞬時に世界は沈黙する。
 違う。違う。これは俺じゃない。
 オバサン互いに顔を向け、眉をひそめて黙り込む。
 違うんだ、違うんだ。勘弁してくれ。助けてくれ。止めてくれ。
 違う。違う。これは俺じゃない、俺じゃない ―――。 




2003/2/3 (月) 

 その電話は唐突に
 「○×△□!!アサショーリュー! チャンピオーン!」
 と言ったのである。
 イタズラ電話かと思ったら、モンゴルの友人からの電話だった。
 あまり長くは話せなかったが、あちらモンゴルではやはり朝青龍フィーバーで湧きに湧いているようだ。街中には朝青龍の巨大な氷像すら建設されているという。
 
 金と女と体制と因習に捕らわれた相撲界は大嫌いなのだけれども、朝青龍の活躍はやはり嬉しい。  遠く離れた同郷の人間が大成功を収めた、モンゴルを故郷と思っているわしにとってはそんな感がある。
 もっともモンゴル人力士は「優勝するのが遅すぎた」とすら思うけど。


 朴訥寡黙なモンゴル人(遊牧民)はあまりベラベラと喋る事はないが、どの遊牧民も決まって口にする言葉は「馬に乗ろうや」 「相撲しようぜ」である。彼らは「こんにちは」と同じぐらいの感覚で、この言葉を吐く。それだけモンゴルと相撲の関わりは深い。
 遊牧民とコミュニケーションを取るには言葉は無粋。「相撲」か「酒」が最良の手段だ。
 それにしても遊牧民は胆力が違う。見た目は痩せぎすのヒョロそうな青年も、いざ組み合うととんでもないパワーを秘めている。物心ついた頃から、馬に乗っているからだ。モンゴルの乗馬法は『立ち乗り』といって、相当な筋力がないと満足に馬を操れない。
 
 わしがモンゴル西部の片田舎に行った時もやはり相撲攻めの歓待にあったのだが、その時は村中のモンゴル人を全員投げ飛ばしてしまい、村公認の「チャンピオン」になってしまったことがある。
 空手家でもあるわしは調子に乗って「日本の空手家は世界一ストロングなんだ」と叫んでいたのだが、そんなある日一人のモンゴル人に呼び出された。
 「タカに会わせたい男がいる」
 そのモンゴル人と馬に乗って駆けることしばらく、草原の彼方にやたらとデカい男が立っているのが見えてきた。
 「アイツだ。ぜひアイツにあってもらいたい」
 「ちょっと待て。何者だよ、あの男。妙にゴツすぎないか」
 遠目から見た限りでも、それははっきりと分かる。わしは190cm近くあるものの、それよりはるかにデカい。二メートルはありそうだ。おまけにプロレスラー以上の体格を持っている。
 すると、案内役は嬉しそうに言った。
 「あぁ、アイツはモンゴル相撲のチャンピオンなんだ。しかし、あまりにも強すぎるので相手がいなくて困っているらしい。大丈夫。オマエならヤれる」
 「スミマセン。帰らせて下さい」
 と言いたくなりましたね。絶対殺されるな、と思いましたね。
 で、結末は。
 「えむねれけくとぅふるげうぐのなどぅべれんおーふふえ!!!!」
 と、そのチャンピオンはわしを見るなり、満腔の笑みを浮かべて飛びかかってきて、わしは服の袖を引きちぎられ、何度となく草原の彼方に吹っ飛ばされて行ったのである。

 

―――――――――――――――


 現在、わしの部屋のタンスには袖のない服と、服の袖の部分だけが大事にしまわれている。
 実はわしもチャンピオンの袖を引きちぎっていたので、ちぎりあった袖を互いに交換し合ったのだ。










  隊長の戯言