隊長の戯言     


 
2003/1/30 (木) 

 どうも大変なことになった。
 今月末が〆切となっている応募原稿。それをいざ投稿する段になって重大なミスに気がついたのである。
 その応募規定は「原稿容姿300枚相当の作品」となっているのだが、わしは今の今まで「200枚相当」と勝手に勘違いしていたのだ。
 あと100枚足りない。
 半日で書き上げるとして、わしにとってはかなりツライ分量である。
 
 そこで、叔母には緊急入院してもらい、会社をサボることにした。有事の際には、その都度親戚に死んでもらったり、入院してもらってるのだけれども、この手を使うのは三度目になる。
 「タカくんのところは病弱な血筋なんだな」
 そのように上司に思ってもらえればいいけど、わし自身ゴキブリのような過剰なる生命力を持っているので、それは難しいだろう。今度の出勤からは病弱を装うことにしよう。

 
 そんなわけで、今は原稿書きの合間の息抜きにこれを書いているわけですが。カフェイン、ニコチン、アルコールを体にぶちこみまくりで、妙にハイテンション。
 どうしても間に合わない場合は、改行多くしたり、引用文を多用したりと下策を用いるつもりです。しかしそれでもダメだったら、ムチャな会話文をしこたま挿入すべし。
 
 「あのぅ…」
 「え?」
 「そのぅ…」
 「は?」
 「あのですね…」
 「ええ…」
 「きょ、今日は…」
 「なんですか?」
 「その、今日は…ですね」
 「え?」
 「今日は、なんというか」
 「なに?」
 「きょ、今日は寒いですね…」
 
 描かれる人物設定を「声が小さくて引っ込み思案で対人恐怖症」の男に急変。



2003/1/28 (火) 

 調べモノをしていて、偶然発見したアメリカンジョークが実に秀逸だった。
 ジョークというものには、著作権というものがないからありがたい。以下に紹介。
 
 

――――――――――――――


 なおちゃんがパパにたずねました。
 「ねえパパ。政治経済ってなあに? おしえて」
 「政治経済か。ひとことでは言えないな。そうだなぁ。例えばパパはお金を稼いでくるだろ。だからパパは『資本主義』だ。ママは家のことを管理しているから『政府』だ。お前はいつも、あれほしい、これしたいっていう要望を出すだろ。だからお前は『国民』だ。それから、お手伝いさんはいつも一生懸命働いてくれるから『労働者』だ。
 そうだ、忘れちゃいけない。お前の妹は赤ん坊でみんなの希望だから『将来』だな」
 「ふうん。パパが資本主義。ママが政府。僕が国民。お手伝いさんが労働者で、妹が将来か。難しいや」

 その日の夜中、なおちゃんは赤ん坊の泣き声で目が覚めました。見れば妹のおむつはうんちだらけ。ママに知らせようと寝室に行くと、ママはぐっすり眠っていました。
 なおちゃんがいくら呼びかけてもママは起きません。そこでなおちゃんはお手伝いさんの部屋へ行ったところ、なにやら中から声が聞こえてきます。そっと部屋をのぞいてみると、ベッドの中にお手伝いさんとパパが一緒に入っているのが見えました。

 翌朝。
 「パパ!ボク政治経済のこと、よーく分かったよ!」
 「ほう。そうか、えらいなぁ。どんなふうにわかったんだ?」
 「うん、あのね。労働者が資本主義にもてあそばれている間、政府は何もせず、国民の声は無視された。将来なんかくそったれ!」



2003/1/27 (月) 

 もしもナポレオンが生まれていなかったら、スーツのそで口にはボタンがなかった。
 なんでも「袖口のボタン」の発案者はかのナポレオン・ボナパルト卿だそうで、それは兵士が軍服の袖口で鼻水を拭くのを止めさせるために考え出したものだそうである。
 いや、面白いですな。街歩くサラリーマン。彼らの背広の袖口についたボタンはみんな「鼻水防止ボタン」なのだ。

 そんなわけで今から二百年前に袖口ボタンの起源が存在したというわけですが、ついでにファスナーの話しも。
 ファスナーが誕生したのは1891年で、発明者はアメリカ人。元々は靴ヒモ代わりに考案されたものらしく、特別に注目を浴びることはなかったという。ファスナーが衣服に使われ始めたのは、それから十数年後のこと。
 今でこそ普通にファスナーは使われているけど、それがスボンに使われ始めた当初は誰もが使用することに尻込みを感じたらしく、「度胸」のある男だけがファスナー仕様ズボンを履いていたそうである。ごもっとも。
 
 ファスナーに関して、笑い話を一つ思い出した。
 学生時代の友人にN島という男がいた。N島は応援団の団長を務めていたから、普段着はジャージか学ランだったのだが、ある時スーツを着ていたことがあったのでビックリした。N島のスーツ姿と言うのは、サルがタキシードを着込んでいるような感があり、タダでさえ変態チックなのだが、よくよく目を凝らすと、股間に巨大な安全ピンが刺してある。まさしく変態である。
 「何だよ、それ。それはやりすぎだろ」
 普段から奇行を衒っているN島のことだから、わしはてっきりギャグでやっているものだと思いそう尋ねた。
 「いや違う。就職活動でスーツを着ていたんだけど、ズボンのチャックが壊れたんだ」
 「まさか、就職試験帰りじゃないよな?」
 「…面接試験だった」
 結局、N島は就職活動に失敗し、今では行方不明となっている。


 ポール・キアーズが書いたエッセイ「英国紳士はお洒落だ」(飛鳥新社)の中には、次のような話が出てくる。
 舞台はロンドンのサヴィルローにある仕立て屋。ちなみにサヴィルローは洋服屋が軒並み林立する街で、背広の語源となった場所でもある。
 で、話しは、とある仕立て職人が開発されたばかりのファスナーをズボンに付けたところ、そのズボンを履いた客から散々お叱りを受けたことから始まる。
 「親方。客がアレをファスナーで挟んじまって、もう滅茶苦茶に文句言われましたよ。五針も縫う大怪我だったそうです」
 それを聞いた親方、苦虫を噛み潰したような顔をして、
 「なんと虚栄心の強いヤツだ。五針なんぞも…」



2003/1/26 (日) 

 やっちまったァ。
 寝過ごした、寝過ごしたァ。急がねェと遅刻だ。
 畜生、朝飯は抜きか。寝癖も直しとる余裕なんかねぇなァ。歯も磨けない。タバコも吸えない。
 とにかくサッサと着替えよう。まだ今ならギリギリで間に合う。道路交通法を無視して出勤すれば、なんとか間に合う。
 嗚呼、クソっ。昨夜は寝るの遅かったもんなァ。畜生。マジで畜生。ホントに畜生。えと、コートはどこ消えた。どこ消えた。ど〜こ〜消えたっ、と。あっ、こんなところにありやがったか、こんちきしょう。
 クソクソクソ、クソが。エンジンかからねぇ。こんな時に限ってなかなかエンジンかからねぇ。もう、このバイクも五年近く乗っとるし、いい加減ボロくなったしなァ。
 …あっ! よっしゃ。エンジン始動。オッケイ。飛ばしていくぜ、飛ばして。


 ――――と、今朝はドタバタの会社出勤。ところが拙宅を出て間もなく気がついた。
 「靴下履きかえるの忘れてた」
 というのもわしは大抵靴下を履いたまま寝るのであるが、焦るあまりに靴下を履きかえるのを忘れていたのである。
 いや、そんくらい良いんじゃないの、との趣があるでしょうが、とんでもない。わしが寝る時に着用している靴下は「ルーズソックス」なのです。
 これについては何度も日記に書いたと思うけど、わしには女装癖があると誤解されるとたまらぬので一応解説しておく。
 この「ルーズソックス」はホームページ来訪者から頂いたプレゼントで、「へらへら隊の飲み会でウケ狙いにくれてやる」との志とともに受け取った品でありまして。しかしいざ履いてみると「ルーズソックス」ってものはかなり暖かいのですな。そんなわけで風呂上りにいつも夜更かしするわしにとっては、重宝してるのです(ただし、物干し竿にかかったルーズソックスを隣人に見られると非常に恥ずかしいという欠点アリ)。

 そんなわけで、だ。
 わしは「ルーズソックスを履いて会社に出勤していた」のである。ルーズソックスを履いて必死の形相でバイク出勤する肉体労働者。
 まァ、いくらなんでもこれはさすがにヤバイ、と。電光石火の勢いで拙宅に引き返し、「ノーマル」な靴下に履き代えたのですが。
 ルーズソックスを履いて会社に出勤するべきか、
 普通の靴下を履いて会社に遅刻するべきか。
 かなり難しい選択肢でしたな。
 
 もっともルーズソックスを履いて仕事をするサラリーマンが部下にいたとしたら、わしは即刻クビにするとも思います。



2003/1/24 (金) 

 何はさておきとりあえず『宮本武蔵』が注目をあびている。
 何故、今宮本武蔵が注目されているのかというと、「一途に仕官することを目指したが、結局その目的が果たせず"能力はあったものの実績がなかった"悲劇の武将だから」とか「武蔵のストイックな生き方に憧れの念を抱くから」とかある。
 思うに前者はサラリーマン、後者は若者の意見でしょうな。
 とにかく宮本武蔵がブームになりつつあるようだ。

 しかしながら民衆に支持され、講話士によって語り継がれる英雄とは、まず間違いなく真実の姿が伝えられないもので、それは『源義経』や『清水次郎長』、『大石内蔵助』などの伝承を読めば明らかである。
 
 ところで司馬遼太郎氏の『真説宮本武蔵』(講談社文庫)は面白い。キチンとした資料を元に氏が調べ上げた武蔵像は次のようなものになる。
 ・武蔵は強い剣士とは決して手合わせしなかった臆病者
 ・大の風呂嫌いで、"一生沐浴することなし"の不潔人間
 ・当時、武蔵という名の人物は沢山いて、彼らの作り上げた評判を宮本武蔵が吸収した
 ・二刀流というのは、単に剣の訓練のためにおこなっていたもので、実際は一刀流だった
 
 と、思わず悪いことばかりを羅列してしまったが、実のところわしは一時期宮本武蔵にハマったことがあって、『五輪の書』を通読したり、吉川英治著『宮本武蔵』の好きな一文を抜き出し、壁に貼ったりしていたのはココだけの話しである。その内容は今までもソラで言えるが、恥ずかしいから書かない。

 そんなわけでわしが宮本武蔵を崇拝していた当時、アメリカ人の女の子に『宮本武蔵』の魅力を力説したことがある。
 「恋慕の情を一切捨て去り、剣の道に生きた男がいたんだが、これこそ日本の男が持っているブシドー精神というものなのである!!」
 すると、彼女は次のように答えやがった。
 「そういえば、ヒカルゲンジっていうスケベガイもいたわよね。彼は日本人じゃなかったの?」
 
 来日する外国人は生半可に日本の歴史を勉強するな、とわしは言いたい。
 しかし、『源氏物語』の英訳本ってのも凄いな。それではただのスケコマシロリコン小説だろう。『宮本武蔵』の代わりに『光源氏』が大河ドラマになったら、すごく面白そうですケド。



2003/1/23 (木) 

 〜へらへらニュウス〜

 【明日、川辺川訴訟の結審】
 明日24日、福岡高裁にて川辺川訴訟の結審が裁決される。
 国土交通省が進めるクソったれダム建設事業計画だが、昨年「ダム反対派」の八代市新市長が就任したことにより、その流れは大きく変わりつつある。
 「国家政策に対する市民の行使力」という側面から見れば、日本はアメリカより20年遅れている…と思っていたのだけれど、近年になってようやく日本の状況が変わってきた。
 この結審の結果次第で、その格差は今だ20年開いたままなのか、もしくは10年に縮まるか、ということになる。原告住民側の勝訴を祈る。
 この件について、本誌は『今から五年前にこの川の支流で立小便をしていたところ、タカ隊長にその姿を隠し撮りされたナリタ隊員』にインタビューを求めたが、残念ながら本人の消息は掴めなかった。


 【ビートルズのアルバムジャケット変造!?】
 横断歩道を歩く四人のビートルズがジャケット写真となっているビートルズのアルバム『アビーロード』。ポール・マッカートニーが右手にタバコを持って歩行していることに、米国嫌煙団体が圧力をかけ、変造されることとなった。
 これによって再販されるアルバムのジャケット写真も修正される可能性もあるという(参照)。
 「馬鹿馬鹿しすぎて発言する気にもなりません」とは、ポール・マッカートニー信奉者のジェームス隊員のコメントより。



 【84さんのホームページ、リンク集に追加】
 23日深夜未明、へらへら隊ホームページは『84さん』のサイトと相互リンクを組んだ。
 これに際して84さんは、自分がへらへら隊補佐長『はっしー』氏の実兄であることを激白したが、本誌の調査によると兄弟仲はあまりよくないらしい。
 「はっしーが幼かった頃、彼が突然バットを持って殴りかかってきたので、それに向かって"えいっ"っとドロップキックを放った所、はっしー少年は弾け飛んで行きました」
 今回の相互リンクに関し、84さんはほろ苦くちょっと切なくも大変イイ話しをしてくれた。



2003/1/22 (水) 

 もう10年以上も前の話し。
 群馬県では教育委員会の指導によって、小学校低学年から性教育を教えることになっている。
 しかし、だ。
 男性器は「おちんちん」との名称で良い。しかし、女性器はどう呼んだらよいものか。教育委員会はこの問題について、深い審議を行なった。
 その結果に出た珍案。
 男性器が「ちんぽこ」なら、女性器は「ちんぺこ」にしたらどうか。つまりは「ちんぽこ」の凸(ぽこ)に対して、「ちんぺこ」の凹(ぺこ)。
 これは当然のことながら、ボツとなった。

 
 こんな内容を某所掲示板に書きこんだところ、即座に次のような書き込みが返信された。
 「"チンペコ"、"チンポコ"ってミルキーはそれが由来なのか?」
 なるほどッ!!素晴らしき視点。思わず、わしは感動しましたね。
 もし狙ってやっているんだとすれば、わしは心の底から不二家を応援します。

 


「凸ちゃん」と「凹ちゃん」



2003/1/21 (火) 

 今年五月より全ての公共施設に喫煙場が置かれることになる。そのように法律で定められたのである。
 それはそれで大いに結構。良い事だ。しかし、法律名が舐めとらせんか厚生省。
 「健康増進法」。たしか審議されていた頃は「健康推進法」となっていたはずだ。表現緩和を狙ったんだろうが、あまり変わりやせんぞ。
 それにしても何故に健康体を法律で強制されねばならぬのか。
 「国民は健康でなくちゃいけない」
 この法名ではそう言っているようなものだ。健康体は「善」で、不健康体は「悪」。そういうことかネ。
 タバコ、酒はもちろんのこと、野菜、果物、あるゆる食い物を食うことを禁止され、唯一許されるのは流動食とビタミン剤 ―――古典的SF(サイエンス・フィクション)で描かれる未来は、もはやフィクションで済まされなくなってきている。
 もしこれが現実になったら、わしはアル・カポネになりまっせ。


 ……行数余ったので、普段わしが食っている晩飯の一つを紹介します。
 【必要なもの】カレー粉(ごくごく少量)、レモン。以上。
 【手順】 熱してあるフライパンに御飯とカレー粉をぶちこみ加熱し、レモン汁をかける。
 【解説】 インド料理の一つ。本来のものに比べてやや材料は異なるが、味はほぼ忠実に再現できる。料理名は「レモンライス」。カレーとレモンという異質の組み合わせに、思わず二、三歩退くが、インドでは大抵の食堂にこれが置いてある。
 【補足】 インドで初めて「レモンライス」を食って以来、おもわずその味にハマってしまい、一時期は毎日のように食っていた。そのうち「こんな美味いものは他の旅行者にも教えてあげよう」と親切心が沸いてきて、国籍問わずあらゆる旅行者に試食を勧めた。
 【わしにレモンライスを食わされた旅行者の感想】
 「オマエ、こんなマズイものをよく食えるな」



2003/1/20 (月) 

 すばらしいスパムメールが届けられた。
 内容はごくごくありふれたアダルト関連のメールなのだけれども、末尾に記載されている文句が凄い。

 

 ☆―――☆―――☆―――☆―――☆―――☆―――☆
このメールを受け取られた方、1通につき100円差し上げます。
5000円分貯まりましたら換金致しますのでご請求下さい。

  ★ バナーをはって下さる方募集します! ★
売り上げの10%を進呈します。
最低保障として月額10万円、月に50万円は確実です。

 ☆―――☆―――☆―――☆―――☆―――☆―――☆

 
 これらの条件をまとめると。
 五千円貰うには、メールを五十通届けてもらわなくちゃならない。
 月に最低10万円獲得し、さらに月に確実50万円獲得できる。
 十人以上がバナーを貼れば、この会社は全ての売上金を失うこととなる。

 JAROへの通報まっしぐら。



2003/1/20 (月) 

 オレの撮った写真は芸術なんだ、など公言する人物写真家がいるけど、わしは基本的に人物写真は嫌いなのである。あまつさえ「これは芸術作品なんだ」と断言されてしまうと、そりゃぁ単なる職業写真なんだよ、とツッコミを入れたくなる。立木義浩や藤原新也の人物写真、及びヌードグラビアは好きですがね。

 わしの定義する芸術とは、『究極のコミニュケーション手段』だ。とある媒体を通し、未来永劫不変にわたってヒトの感性に訴えかけるモノ、であればなんでもよろしい。絵、本、音楽、映画はもちろんのこと、エロ本、机の上に転がっている鉛筆、道端に落ちているイヌのウンコにだってその可能性は秘められている。つまるところ、媒体は何だって構わない。
 極端な話し、次のようなエロ写真、――― 過去未来世界人類老若男女、幼児も老人もゲイもレズも性的障害者も性的不能者も、ジャングル奥地に住む未知の裸族も、新人類もネアンデルタール人も「コイツはエロくてたまらんぜ」という共有意識(イデア)を抱くエロ写真であれば、それは「芸術」である、と思うのである。まぁ、芸術と猥褻は紙一重の関係にあるってのは、その辺によるところがあるんでしょうな。

 ところで、カメラが発明されてから170年近くが経ったが、その間に芸術作品に相当する写真は生まれているかというと、答えはゼロ。皆無である。不思議である。面白いのである。
 写真家であり、画家であるシュールレアリスト、マン・レイが「写真は芸術にならない」と言っているのは興味深い。
 これは持論だけれども、もしヴィーナスを、モナリザを、落ち葉を拾う少女を、そのマンマの構図で写真に収め、その写真が作品であったとしたら、それは後世に語り継がれる芸術作品と成り得たかというと、答えは「絶対無理」だろう。
 元々の作品がただ単純に「美しい女性」を題材としたもの、ではないからだ。美を追求した人物写真となれば尚のことである。
 人間の持つ美的観念とはかなりいい加減なものだ。美意識とはあらゆる環境因子が作り出すモノであり、いわば作り出された環境に囚われた中で、対象物を「美しい」と思っただけである。普遍的な美的観念なんぞはこの世に存在しない。
 「平安時代はおたふくオカメが美人だったんだぜ!」と我々は笑うが、金髪、碧眼、長身、痩躯(と、イメージされている)西洋人の模倣をしている人間にそれを笑う資格はないのである。
 日本で初めて洋行した「咸臨丸」に乗った青年たちは、西洋人の女性を見て大変驚いたらしいのだが、彼らは感嘆のため息をつくとともに何と言ったか。
 「こんな醜いオナゴたちがこの世に存在したとはビックラこいた」
 …そうである。
 かくして人間の美意識に訴える人物写真のような作品は、芸術作品には成り難いと思うのだ。芸術作品が至上作品として素晴らしいかどうかはさておき。
 
 
 と、今夜は日記のネタがどうしても思い浮かばず、酒を飲んだらこんなヘンテコな文章が出来あがった。
 ということで。
 わしが太鼓判を押して認める芸術作品は「酒」である。これぞ究極のコミュニケーション手段。



2003/1/19 (日) 

 こんなことはわしに限ったことだけかもしれないけど、新聞が正確に読めないのである。ちょっと複雑なレイアウトになると、段組みを読み間違えるのだ。


 ―――――――――――――――――――――
 十八日午前七時二十分頃、○○市○○区に住む会
社員山田一郎さん(40)方の子供の健一君(3)が、こ
たまたま通りがかった鈴木太郎さん(56)に刃渡り20
センチの包丁を付きつけ、鈴木さんをロープで縛り
つけた上で、現金六万円相当の入った財布を奪い用
意してあった車に乗って○○市方面へと逃走した。
 現在、福岡県警捜査一課はこれを悪質極まる強盗
事件と断定し、犯人の行方を追っている。
 ―――――――――――――――――――――


 しかしながら、タマにこんな読み間違いをすると楽しくてたまらない。









  隊長の戯言