隊長の戯言     


 
2003/1/16 (木) 

 ―――米ワシントンにある人工知能を専門とする技術会社Triumph PC Groupがジョン・レノンの性格を人工知能に再現。
『John Lennon Artificial Intelligence Project』と呼ばれるこの企画で、同社はジョンらしいチャットを楽しめるよう、人工知能エンジンにジョンの発言や思想をプログラミングした。

 へらへら隊のジェームス卿がそんなニュースを教えてくれた。ジョン・レノンを敬愛するわしとしては、大変興味深い話だ。早速試してみようじゃないか。

「どうも初めまして。わしはへらへら隊という組織を運営するタカ隊長というものです」
「本当かい? それなら俺たち、仲良く出来そうだな」
「わはは、冗談でしょ。ところで、へらへら隊を知ってますか?」
「"ヘアー"だな」
「え?どういう意味ですか?」
「それは世界中どこにでも存在するってコトだ」
「抽象的な表現はやめて下さいよ。もっと分かりやすく言って下さい」
「簡単に言えば、君を応援してるってコトだ」
「おお、それはありがとうございます」
「おお、本当かい?」
「うーむ、何だか言葉がかみ合わないな。レノンさん、もしかして今ラリってません?」
「ああもちろんだ。それこそが自我意識なんだ」
「やっぱり。そうだろうと思いました。LSDはともかく、マリファナは良いもんだと思いますよ」
「え!?本当にそう思うかい?」
「…あの、えと、昨日タイ人の密輸グループが捕まったばかりでヤバイので、この話題は止めましょう。ところで、今はどこに住んでいるんです」
「ワシントンDCにあるパソコンの中だ」
「何ですって。とんでもないとこで生活してますな。それもアート活動の一貫ですか?」
「そう思ってくれると嬉しいよ」
「おお、それはどういう意図で?」
「レボリューション、革命だよ」
「成る程。深遠ですな。じゃあ、今日はこの辺で。日記のネタを提供してくれてどうもありがとうございました」
「なぁに、俺に取っちゃァすべて冗談みたいなもんだったさ。そうだろ?」
「何ですって! こっちは真剣なんだ。このクソったれめ」
「その通り。オレもいい年になった」
「畜生。マトモに答えやがれ。ニセモノめ」
「きっとキミはベジタリアンだな」
「このやろう。くたばりやがれ」
「結局、一時間しか話しできなかったな。残念だ」


 結論。このジョン・レノンは文句を言うと人格崩壊してしまうご様子で。
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2003/1/15 (水) 

 イーダ炊事長、タケ隊員が仕事の都合で東京に出征、移住していった。
 ところでこのような状況の元、掛けてあげる言葉としてもっとも相応しいものはどれか。
 
 1.頑張ってくれ
 2.いなくなってせいせいするぜ
 3.地獄に落ちろ
 
 あまり自信はないが、たぶん一番が正解だろう。悩む所だ。
 しかし"頑張れ"とは実に曖昧な日本語ですな。曖昧な言葉ってことは便利な言葉でもある。同様の日本語には"どうも"が挙げられるだろう。
 「すいません、足踏んづけちゃいました」「どうも」
 「こんにちわ」「どうも」
 「この酒、あげます」「どうも」
 感謝、詫び、挨拶、何でもござれ。
 "頑張れ"もこれに近いモノがあり、多用しやすいし、多用されやすい。挑戦する時。転機が訪れた時。失敗した時。絶望した時。補佐長の作った料理を食べさせる時。
 これらの日本語が持つニュアンスはそれ独自のものだ。
 例えば、メジャーリーガーの日本代表入りが決まって、来日した際にはインタビューなんぞ受けますよね。その時、日本人インタビュアーが決まって言う言葉。
 「それでは頑張ってください!」
 すると通訳は仕方なしに次のように訳すしかない。
 「Do your best!」
 こうなると意味合いが少し違ってくる。これでは「手抜きせずに一生懸命やれよ!」という内容になってしまい、これを聞いた外国人の多くは憤慨するそうである。まァ、ごもっともですな。

 そんなわけで、日本語と英語のニュアンスの違いは面白い。
 小生、学生時代には空手部に所属していたのだけれども、練習中の掛け声というのが実にイヤだった。
 「ファイトォー!」もしくは「ファイトです!」である。結構、マヌケだと思うのだ。
 わしは時折、留学生連中を道場に呼んで稽古をつけていたのだけれど、稽古中に飛び交う気合の声が「ファイトー」である。「闘えー、闘えー」と言っているわけだ。実際殴りあいをしておるわけだから、それはある意味正しい。けれども何かそこはかなしにイヤじゃないか。どうせならば「心頭滅却!」とか「八紘一宇!」とか「一億玉砕!」「鬼畜米英!」とかの方がまだよろしい。
 
 そういや、思い出した。
 わしが留学生のホームパーティに招かれ、皆で日本のテレビを見ていた時のこと。番組に挿入される栄養ドリンク剤のCMを見た彼らの一人が、「あれはどういう意味なんだ?」と不思議そうに聞いてきたのである。
 返答に困りましたね。どう説明したら良いのですか、ファイト一発。



2003/1/13 (月) 

 今年届いた年賀状の枚数をここで述べることは、人望の薄さが露呈してしまうし、本日の日記の論旨とズレるのであえてその数は書かないが、届けられた年賀状の約50%以上には「まだ生きてますか?」「死んでないよな」等々の失礼な文言が書き綴られていたのである。過半数だぞ。過半数。ただし、三枚で過半数。

 しかし、新年早々の挨拶が「まだ死んでいませんか?」とはまったくもって無礼な話だ。いや、まぁ「賀詞を述べると供に疎遠になっている人の安否を気遣うもの」という年賀状本来の趣旨を考えれば、間違っていないのだけれど、「死んでいませんか?」はいくら何でもヒドイ。
 と、思ったのであるが。

 いささか冷静になって去年を振りかえるに、奇しくも今から丁度一年前にわしは死にかけていたのだ。一月の海、高波にさらわれフネ(カヤック)が転覆。大海寒水のど真ん中で「ああ、死ぬってこんなことなのか。案外呆気ねぇなァ」と絶望感に打ちのめされつつ、死の淵一歩手前でたまたま通り掛った漁船に救出されたのだ。そうだった。そうだった。もしあの時死んでいたら、生前最後に書いた日記の題名が「うんこ」となっていたのである。いやァ、危なかった。遺稿が「うんこ」では、絶対に死に切れない。明日から命を大切にしよう!そう固く誓った。
 つもりだったのであるが。

 その後、核ミサイルで戦死しそうになったり、異国で発症した謎の皮膚病で病死しかけたり、下半身不随になりかけたり、マオイストと呼ばれる反政府ゲリラに襲われそうになったり、世界三大悪路と呼ばれる山道でバス転落事故しかけたりしていたのですね。うっかり忘れていたケド。

 まァ、つまり、今更ではあるけれども、今年の抱負は「今年も生き延びる」ってことでいきたいと思います。


2003/1/11 (土)  湯豆腐とモンゴル

 もう嬉しくなっちゃったのである。
 そんなことで、豆腐の話し。

 ほら、美味いですね、豆腐。吐く息しろく、手足かじかむ冬の季節、グツグツと煮えたぎる鍋の中で踊る白ドーフ。ネギと柚子皮が無数に浮かんだダシ醤油にどっぷりその白身を浸し、ハフハフ言いつつ口に運ぶわけです。そして片手には端麗辛口日本酒熱燗のお猪口などがありましたら、今生の幸福感を味わえるのですな。
 冷やっこもたまらない。この場合は真夏と生ビールというキーワードが欠かせません。

 しばらく日本を離れたことがある方はこの気持ち分かってもらえるハズなのですが、帰国して久方ぶりに豆腐を食う際にはホントに涙がでます。わしはたいして豆腐が好きではなかったのだけど、それでも美味さの余りに悶絶するのであります。

 そんなこんなで、"ニッポン"のココロを沁み入れさせてくれるトーフなのですが、実の所、トーフってのは中国で生れたものなんですな。ところでマーボ豆腐はあばた(白麻子)面の婆さんが食堂で出していたから麻婆豆腐って名前がついたってのは有名な話で、今でもこの店は成都に存在してます。中国を訪れた時、実際にこの麻婆豆腐発祥の店にてそれを食してきたヤツにあったことあるけど、本家本元は大変マズイらしい。
 話がそれた。
 豆腐が発明されたのは今より3千年前の中国、前漢の時代。…と、いうのが通説だそうです。
 ところが、である。
 しかし、である。
 これに異説を唱える食物学学者がいることを本を読んで知ったのであります。
 で、その学者が言うには、「豆腐の起源はモンゴルにあるのである!」と言っているのである。こりゃ、驚きましたね。モンゴルマニアとしちゃぁ嬉しい話なのです。
 その説をさらに突っ込んで説明しますと、彼は「北方遊牧民(純血モンゴル遊牧民ですな)は羊のミルクを飲んでおり、彼らが中国本土に入った際にそのミルクに相当する食物を発明した」と論じておるのでありマス。
 この学者の言っていることは少し間違っていて、遊牧民は「羊のミルクを飲む」わけでなく、ミルクを加工した食い物を常食にしているんですな。だからして、中国に侵入する以前に「ミルクに相当する食い物」を発明しておるわけです。
 で、「ミルクに相当する食い物」とは何なのか。
 答えは「ウルム」と呼ばれる食い物である。わし、思わずガッツポーズを取りましたな。ウルムはわしの好物なのです。
 ウルムてのは羊の乳を加熱、拡散し、一晩置けば出来あがるチーズの一種でありまして、見た目は確かにトーフそのまま。固いヨーグルトのようなプルプルとした食感がするウルムは、まさしくチーズ味のトーフだったのでありました。



2003/1/9 (木)  しつこく昨夜の話し

 キーボードを買い換えたのです。
 しかれどもボタンを押した時の感覚が以前のものと違い、何となくやりにくい。
 今夜はご逝去なされたキーボードの在りし日の姿を偲び、酒杯を掲げます(現在、旧キーボードは粉微塵に破壊され燃えないゴミ袋の中にご厳存)。

 それにしても、以前使っていたキーボード。逆さにして振ればタバコの灰が火山灰のようにドカドカ降ってくるし、相当に酒臭い。ボタンを押せば酒が染み出しきそうな不届きモノであった。いったいどういう育てられ方をしたのか。

 そんなわけで、昨日は参りまくりました。キーボードの右部、つまりは"わ・せ・り・る"より右がイカレちまったのである。押して反応がないわけではない。反応があるにはあるのだが、この反応具合が実に始末が悪いのである。
 例えば、「る」と押すと「るめ6」、「け」と押すと「け9」。「わし」と押そうとして「わーし」ってのまだ愛嬌があるのが、「゛」を押すと意味不明のウインドウがばんばん開き、「せ」を押すと作業中のウインドウは全て強制終了、「れ」を押すとパソコンが問答無用でスタンバイ状態になる。そして極めつけは「ほ」で、パソコンの電源が切れるのである。無用な偶発的ショートカットキー。

 昨夜は仕方なくキーボード左部分だけで文章を考えた。これはこれで語彙が制限されるものだから、文章書くには良い練習になる。「わし」は使えない。「ぼく」も使えない。「おいら」は使える。「壊れた」も使えない。「故障」ならOK。
 結局、かなりの熟考を要した末に昨夜の日記を書き上げた。しかし「ホントに疲れたのである」と結びの文を書こうとしたら、「ホント」の「ホ」のせいで見事パソコンの電源が切れちまい、わしは怒髪天を衝いたのでありました。



2003/1/8 (水) 

 新年早々にキーボードが故障してしまい悲惨て"す。  焼酎かかってしまったのて"、キーボードのみき"はんふ"んが全く使えないし"ょうたい。
 オイラは"かな打ち"なのて"、た"くてんか"打てないのです、し"つにつらい。
 さらに言うと、いつもの一人称も使えす"、"オイラ"としか使えない、マシ"て"キツイ。
 ちなみに"が"とか"を"とか"キーボード"とかは、マウスのコピー&ペースト機能を駆使してます。
 えと、すこ"くキツイのて"文章おかしくなってきました。クソして寝ます。オヤスミナサイ。



2003/1/5 (日) 

 学生時代に所属していた空手部の師範から電話。
 「あぁ、タカ君かね。君はアジア旅行が大好きだったやろ。今度、フィリピン軍に行ってもらうかもしれないので宜しく」
  
 翌日、空手部のOBから電話。
 「よぉ、タカか? たしかお前、文章書くのが好きだったよな。今度、創設50周年を記念して、本を作ることになったんだが、お前に作成委員会に入ってもらうことにした。お前は原稿執筆と写真のキャプション付け担当なのでヨロシク。三百万掛かっているので、気合入れてやってくれ」
  
 数刻後、また別のOBから電話。
 「OB会総務のSだが、貴君は確かホームページを作れたと記憶するが、今度OB会のホームページ作ろうと思っているので、その企画書を送らせてもらう。ぜひともよろしく頼む」


 ……………。
 ちょっと待てぃ。おかげで新年早々、すげぇハードだぞ。ハードボランティア。
 定職につかずに彼方此方をふらふら彷徨し、旅の片手間に文章書いて、ホームページに発表しているという条件に合致しているだけの人間が、何故こういう事態になってしまったのか。
 とはいえ、どれもこれも即決で引き受けてしまった。やる気あってのことだけれども、今だ体育会系気質から抜けきれないわしは「先輩 = 神」との単純図式が頭の中から払拭しきれないでいる。困ったもんだ。
 しかしまったくそれにしてもなんというか、とんだ「拾う神」が居たものである。



2003/1/4 (土)  素晴らしき哉、新年

 ええと、フィリピン軍の空手コーチになるかもしれません、わしが(笑)。
 わしは、日記に「(笑)」マークを使わない主義ですが、コイツは使わざるを得ない。

 なんでも我が空手の師範が協会側より、「誰か良い人間がいたら推薦してくれ」と言われたそうである。
 それで師範はなんと答えたか。
 「いるよ! いる! ピッタリのヤツがいる! とりあえず体だけは丈夫で、どんな劣悪な環境にも対応可能な弟子がいる。しかも毎年、アジアをふらついては空手魂を伝えているバカです。もうこの話しは、ガンガン進めちゃっていいよ」
 即答したそうだ。

 「そんなわけだから、フィリピンに行くことになったらヨロシク頼むよ」
 わしは昨夜、師範からそう言われたのである。
 このヒトは万事この調子だから困る。物事を深く考えずに、どんどんコトを進めちまうのだ。
 確信持って言うが、師範はフィリピンと言えば、バナナの国ぐらいしかの認識がないのである。
 まさかイスラム教過激派テロリスト"アルカイダ"の秘密基地が沢山あるところで、テロリストの温床国家であることは、絶対に知らないはずである。なにが「ヨロシク頼むよ」だ。フィリピンの軍隊は相当厳しいんだぞ。
 そう思いながら、わしも即答した。
 「ハイ、是非ともお願いします」

 
 今年は初っ端からスリリングな展開を見せております。
 外では初雪が降り積もり、九州では一年に一度しか見られない雪景色が美しい。



2003/1/1 (元旦)   

 ポストを開けて驚いた。
 あの"氷川きよし"から年賀状が届いていたのである。


 ただし、十二年前の話しですが。

 氷川きよしが出演するテレビ番組、特に「スターの思い出話」等の企画番組をみると、心中穏やかではない。
 そのうち、彼が
 「中学時代、タカ隊長という男に体育館裏に呼び出されて、腹を殴られたことがあります」
 と、発言するんじゃないかと思うと、実にハラハラドキドキだ。

 というわけで、今年もへらへらお願いします。









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