福祉ゾーン構想実現に向けて


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養護学校を卒業する生徒の進路については、とても厳しい現状があります。
特に知的障害を抱えた子供にとっては「社会のお荷物」と云わんばかりの境遇しかありません。

少しでも「自立」と「生活」を望む親にとっては卒業後においても子供達が働く喜びと厳しさを与えられる環境とその地域の人々の交流を通して現状を理解していただくことが願いです。


当初は、そうした「施設」の新設という発想から始まった活動も、地域の方々も利用できる総合的な「交流」の場としての運動に発展してきました。

この事は、単に行政から障害者のために「与えられる」施設を望むことではなく、地域の活性化の一環として位置づけられるべきではないかと考えるようになりました。


私たちが子供達の現状を考えると充実した施設が欲しいことは痛切な願いであります。

また、同時に地域の方々の理解が得られなければ、本当の「社会」というものを子供達が経験できるものではありません。


これからますます高齢化が進む日本の現状を考えると、改めて「福祉」と云うことを自分の生活環境の中から考えていくことは重要なテーマだと思います。

こうした、私たちの運動が皆様のお役に立つことを心から願うとともに、より充実した地域社会の実現に向けての一歩をここに記していきたいと考えました。


福祉ゾーンと余裕教室


ここでは福祉ゾーンと余裕教室についてお知らせします

これまで私達の主な活動として、「福祉ゾーン構想」と「余裕教室の活用」があります。
このふたつについては署名活動を展開し3年前、川崎市議会に請願を提出しております。
そして、今年(1999年)3月の川崎市議会において、田島養護学校と周辺の公共施設との合築に関する請願「福祉ゾーン構想」については“趣旨採択” 余裕教室の障害者デイ・サービスへの転用を求める請願については“採択”されました。


これを“機”に私達はこのふたつの運動の実現に向けてよりいっそう活動を強化して行こうとしています。
ここに、当時請願した請願書の抜粋をお知らせしますので、みなさまのご意見やご批判、あるいはご支援をお待ちしております。


追加情報    川崎市内 障害児(者)数の状況


                                                1996年 月 日
川崎市議会議長 小島 一也殿
                          川崎市教職員組合
                             執行委員長 内田 信之
                          田島地区町内会.連合会
                               会長 小野 満章
                         川崎市立田島養護学校いなほの会
                                 代表 並木 隆

 <川崎市立田島養護学校と周辺の公共施設との合築による、(福祉ゾーン)設立に関する請願 請願理由>


 日頃より、障害のある子どもたちの教育に御尽力いただき感謝申し上げます。
 さて、現在の田島養護学校が抱える諸問題と致しまして、校庭が狭いこと、障害児教
育に欠かせないプールが未設置であること、教室数が足りないなどの施設設備の不備が
あげられます。これらの原因はすべて校地が狭あいであることに起因しています。そし
てもうひとつは卒業後の進路保障の問題です。卒業生の7割が市内外の福祉施設を利用
していますが、既存の施設は定員いっぱいの状態で、今後、卒業生の進路が確保できる
かどうか大変懸念されるところです。
 田島養護学校は、「公害研究所」「川崎保健所田島健康ブランチ」「老人いこいの家」
「こども文化センター」といった福祉衛生関連施設と隣接しております。そこでこの一
帯を ≪福祉ゾーン≫ として位置づけ、これら施設と学校との合築という方
法で市有地を有効活用することによって、グランド、プールを始め施設設備の充実が可
能になると考えます。
 また、障害者施設を併置することにより、学校と地域の交流もより活発になり、卒業
後の進路保障がより充実したものになることを確信しております。
《福祉ゾーン》の設立により次のことが期待できます。
 ◎地域住民、子ども、高齢者と養護学校生徒との交流が深まります。
 ◎体育館、プール、校庭の設備が整い、地域の人達にも活用していただけます。
 ◎障害者理解が一層深まります。
 ◎将来の「地域と障著者の生活」を考えるモデルとなりセンター機能を果たします。
《福祉ゾーン》の中に次の諸施設が組み込まれることを願っています。
☆卒業後の進路保障の充実のために
   ・進路先の一つとして障害者を対象とした「職業訓練の場」を作ってください。
   ・身体障害者のために、訓練の専門指導員を配置した「機能訓練の場」を作っ
     てください。
   ・デイ・サービスやレスパイト・サービス(緊急一時保養)が可能な「福祉の
    場」を作ってください。


      請 願 趣 旨

 「余裕教室」 の、《障害者デイ・サーピス施設への転 用》をお願いします。


 日頃より障害のある子どもたちの教育と、進路保障につきまして、ひとかたならぬご理解とご尽力をいた
だき心より感謝申し上げます。
 さて、文部省の調査によりますと、一九九四年五月時点で全国の公立小中学枚の「余裕教室=活用されて
いない空き教室」は約5万2千教室にのぽり、このうち学校施設への転用が計画されていたのは約4万2千
教室、社会教育施設などへは約900教室の転用が予定されていました。一方、将来的な計画が無い完全な
空き教室も8千余教室にのぼっています。川崎市もまた、少子化の波を受け「余裕教室」がでてきています。
 川崎市では「余裕教室」を、防災備蓄倉庫、高齢者のデイ・サービス施設(日中の活動をする場所)、学
童の放課後保育、地域コミュニティーセンター等に転用していく計画があると伺っております。 そこでぜひ、
 《障害者福祉の場》 としても「余裕教室」を活用していただけるようお願いしたいので す。

一.「卒業後の進路保障の充実のために

      ・学枚教育修了後の進路が居住地域において保障されます。
      ・卒業後の文化活動、スポーツ活動の拠点となります。
      ・作業訓練、機能回復訓練が保障されます。


二.障害児学校に通う児童生徒が、地域の子どもたちと交流できるために
    障害のある子どもにとって早期からの専門教育は非常に重要です。市内聾学校、養護学校に通う
   児童生徒は558人を数えます。障害児学校の子どもたちは、専門教育を受ける代償として、地域
    の子どもたちと交流する場を失っています
      ・放課後、自分の地域の学校内で活動ができます。
      ・夏休み、冬休みの生活リズムを確立する事ができます。
      ・同じ地域、同じ世代の仲間との交流か期待されます。


三.学校教育、地域社会教育をより充実させるために
    町には大人もいます、子どももいます。そしてお年寄りもいて、障害のある人もいます。いろい
    ろな人が集まって町ができています。「余裕教室」を地域コミュニティーセンターや、高齢者や障
   害者のデイ・サービス施設として活用することにより、その利用者はもちろん、児童生徒への教育
   的効果は計り知れないものがあると考えますe
      ・思いやり教育、ふれあい教育の実践の場となります。
      ・福祉に対する関心、認識が深まります。
      ・地域ボランティア活動を支援し、活動を保障する場となります。


 障害のある人がより人間的に豊かな生活、人生を送られる社会を作っていくことの重要性が叫ばれてい
ます。学校教育を終えた障害者がその後の長い人生を自分の町、自分の地域で豊かに生きていくことがで
きるよう、地域の学校の 「余裕教室」 を障害者福祉の場と
して転用していただけるよう切にお願い致します。



《田島福祉ゾーン構想


                           <現況>



                   <提案>


《完成想像図》・・・(案)


想像図

これまでの取り組み

活動の発端

1995年、当時の高等部1年の保護者が卒業後の知的障害者施設不足の不安から今後の卒業生の進路保障のための準備会を作り、具体的な可能性について検討を始めた。

行政側は1997年以降、川崎区内の法内施設はライブラリー渡田を最後に設置を終了したとして新設の計画は無く、幸区は通所更生施設1ヶ所があるのみで、同じく新設の計画は無し。

1995年9月30日 準備会→保護者14名(OB含む)教職員6名参加

内容


ゾーン構想までの経過

準備会としてはその後もいなほの会や、進路指導教員、分会等と懇談を持ち以下の活動の方向を決めた。

@ 大きな展望に立ち、田島養護の地での進路保障と施設設備の改善と校地拡張のための活動を展開する。

A 差し迫った進路先の確保のため作業所づくりの可能性を探る。

Aについては各校に出来つつある余裕教室の進路先への転用という案になった。

@についての検討の中で大きな柱となったのは「地域」であった。近隣に本校児童生徒を含めた子供、老人のデイケアや、様々な地域福祉活動に取り組む福祉施設が点在していることもあり、学校が地域に働きかけ開放していくというのではなく、地域が本校を資源として体育館やグランドの利用、小規模なコンサートや各種イベントの会場となり地域の方から自然に混じり合っていた。

また、本校には福祉衛生関連施設(こども文化センター、老人いこいの家、川崎保健所田島ブランチ公害研究所)が隣接していて、これらも地域の公共の財産となっていた。

この地で学校の建て替え、本校卒業生の進路保障を考えるとき、保護者の間からも「地域で共有できるもの」という声は自然にあがっていた。

そこで、@の案としては、これら近隣施設の合築をして一帯を「福祉ゾーン」とする方向に進んだ。

活動としては本校高等部設立を請願、実現させ各会派、各政党議員、OB、他の福祉団体とも数多くのパイプを持っている「いなほの会」の内部組織となった。

実現のためのスタートは署名請願とし、請願は「福祉ゾーンの設立に関する請願」「余裕教室の転用に関する請願」2本とした。

「福祉ゾーンの設立に関する請願」については本校児童生徒、卒業生、保護者からの要求、学校としての要求として請願者を「いなほの会」代表・「田島地区町内会連合会」会長・「川教組」執行委員長の3者とした。

田島地区町内会連合会を始めとする町内会の方々は、いなほの会の請願活動に対し会合を開き、全会一致で協力体制を約束してくれた。

川教祖も田島養護の現状、また、共生の町づくり等、「方向は同じ」として共に活動してくれることとなった。

進路保障対策部会は本校分会と連携し、個別に関連議員や各町内会、他団体と話し合いを持ち請願の時期、署名用紙の作成、資料の作成を経て、主に地域に向けての懇談会を請願活動のスタートとすることにした。

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