99年9月
| 9月 | 30日 | 中央線の最終電車、阿佐ヶ谷発0時52分で帰ってきた。今、1時40分。 毎月恒例の織恋路館ライブ、今日はお客さんが3人だった。店は大赤字だよ、ボス(マスターと呼ぶなと言うので)に申し訳ない。それでも毎月やり続けようと言ってくれる。来月は31日(日曜)6時開演だ。みんな来てくれー!。織恋路館のライブは、半端じゃなくアットホームなのだ。 たった3人のお客さんだったが、僕にとって最強のメンバーだった。掲示板にも書き込みしてくれた、ウルトラマンさん(女性)が友達(女性)を連れて来てくれた。18年前のテレビドラマ仙八先生に出演した、僕の事を覚えていてくれて、ホームページを見つけて今日ライブを見に来てくれた。「時は流れ人は生きている」を唄ったとき、友達と二人して涙をぼろぼろ流して聞いてくれた。そして残るは、片桐君。僕のライブに必ず来てくれている。そしてもう一人、カウンターの中で唄を聞いていてくれる千香ちゃん。素直でかわいい子なんだ。なんだか今日は、とっても嬉しい。ホントに僕の唄を真剣に聞いてくれる人達の前で唄えた事が嬉しい。ボスと僕を含めて、織恋路館には6人しか居なかった。でもその6人で共有した時間は、とっても優しくてあったかな時間だった。今夜僕は、なんだかとっても幸せな気分です。おやすみ。 |
| 9月 | 29日 | 昨夜は、家に戻った安堵感で、珍しく家族全員そろった夕食の後9時には布団に潜り込んで眠った。が、やはり運転疲れで神経が興奮していたようで、何度も目が覚めた。それでも頑張って、朝は8時過ぎに起床。1日中身体のだるさと闘いながら、更新出来なかった、勝坂だよりをまとめていた。曲作りの締め切りが迫っているのだが、今日はパス。明日から頑張って曲作りに励もう。 |
| 9月 | 28日 | 昨夜は鬼首高原のペンションに連れていってもらって、ベッドに倒れ込んだとたん朝が来た。さすがに一度も起きなかった。身体と神経の疲れのバランスが一緒になったのかな。でも、身体は重い。ツアーは終わったが、この疲れ切った身体を東京まで運ぶ仕事が残っている。東京は遠いぞー。 |
| 9月 | 27日 | ![]() 鬼の蔵のライブ会場 高橋君の直筆 鳴子町の出会いの原点、大沼さん 昨夜ホテルでも又、熟睡出来なかった。疲れすぎると眠れないのか。それとも車の運転で、身体の疲れより神経が疲れていて、バランスが崩れているせいなのだろうか。とにかく、しんどい。しんどい身体にむち打って米沢を出発。奥の細道ライブツアーで歩いた道を逆走して、宮城県鳴子町へ。鳴子町のコンサートは4度目になる。最初のライブは奥の細道を歩いていた時、新聞を読んで連絡してくれた大沼さんが、青年会に話しかけて実現した。その青年会の高橋君が僕の大ファンになって、それ以降毎年コンサートを作り続けてくれている。今回のライブ会場は大沼さんの借りている鬼首(おにこうべ)にある蔵、鬼の蔵。300年の歴史のある建物だそうだ。「泣いてますか、心を濡らすほど」高橋君が筆で書いてくれた幕の前で今回のツアーのファイナルライブ、声は疲れかすれてはいたがたっぷり2時間、力一杯唄った。さわやかな疲れである。やっと終わったー。大いに飲むぞーと思ったが、身体が受け付けず、生ビールを一杯のんで日本酒に切り替えたがほとんど飲まないままもう酔っていた。 |
| 9月 | 26日 | ![]() コーヒーコインの店内 ライブ前、くつろいでいるお客さん 昨日はアートスペースにベットを設置してもらって泊まったのだが、夜中何度も目が覚めた。腰の痛みはかなり良くなってきたのだが、そうとうに疲れて居るようだ。重い身体を振り絞って朝起きだした。今日もいい天気だ。朝食を喫茶店でいただき、出発した。今日は山形県米沢市、車の運転は嫌いな方じゃないのだが、さすがに少々辛くなってきた。この8日間で、走行距離は3000kmを越えている。高速道路に乗って、福島市まで走り、そこからは一般国道に降りて、栗子峠を越えて山形県米沢市へ。ライブ会場はコーヒーコイン、主催は僕の昔からのファンで応援者でもある小倉さん。昨年に続いての2度目のライブだ。たった一人で主催してくれて、今回も50人のお客さんを集めてくれた。去年の僕のライブに刺激をうけて、仕事を止め、音楽活動を始めたと言う青柳君が前座をつとめてくれた。僕でさえ食べていくのがやっとのこの活動に、直接出はないが、僕が原因で引きずり込む形になったことに、少々罪悪感を感じてしまった。けして若くない青柳君、なんとか頑張ってほしいものだ。山形市からは2度もライブを企画してくれている、スナックひかりのママ市野さんも来てくれていた。打ち上げは、近くの飲み屋さんで、大竹さんも仕事を終えて駆けつけてくれゆっくり飲んだ。もう一軒誘われたが、その時点で疲れはピークに達していた。店に着くなり横になって眠ってしまった。あと1日、頑張らねば。 |
| 9月 | 25日 | ![]() 素敵な手書きのポスター ここがじゃむじゃむ 壁に掛かった控えめな看板 今日は栃木県小山市の佐藤さんが今年から始めたアートスペース(貸しスタジオ)じゃむじゃむでのライブ。台風も北海道に去り、晴天の中、高速道路を乗り継いで小山市に着いたのは4時。3年前のウォーキングライブツアーの時、お邪魔したときはまだアートスペースは出来ていなかった。その時、いつかスタジオを作るつもりだから、その時には必ず呼ぶからね、と言われていた事が実現した。スタジオの横には喫茶店じゃむじゃむもこの9月から、ご主人が仕事をやめて開店している。小山駅からそう遠くない住宅街でひっそりと営業しているじゃむじゃむ、佐藤さんご夫妻の暖かさがにじみ出してくるような、気取らないそれでいてセンスのいい店だ。お客さんは、奥の細道ライブツアーの時、この栃木県で多くの人を紹介してくれた伊藤さんや、益子焼きの陶芸家の大田さんや、烏山町で塾を経営している堀江さん夫婦と職員の小川さん夫婦、第一回音楽の森ライブに栃木県から駆けつけてくれた上田君、知った顔の人が沢山来てくれて、とっても嬉しいライブになった。 |
| 9月 | 24日 | ![]() 台風の影響が出始めている 三重と愛知の県境にて やっと浜松ハートランドに到着 泊めていただいた琵琶湖湖畔のホテルを10時前に出発。身体はかなり重い。台風が迫っているらしく雲行きが怪しい中、国道1号線で愛知県に向かった。今日の夜のライブは、浜松市のハートランド。浜松のFM局を離れて新しく出来る愛知県の放送局に入社する、伊藤浩治さんのお別れイベントの中で唄うためだ。鈴鹿峠あたりに近づくと空は重い雲が張り出し、ちらほらと雨が降り出してきた。ラジオでは三重県に大雨洪水警報が出ていると放送されている。案の定、峠を越えた後、すごい量の雨が降り出した。車のフロントガラスに叩きつける雨と、前を行くトラックのしぶきがかさなって、ワイパーを最速で動かしても前がよく見えない状態がしばらく続いた。愛知県に近づいてやっと小降りになったが、今度は、ラジオで豊橋市で竜巻が起こり沢山のけが人が出ていると報道されていた。時間もたっぷり有るからと、高速道路に乗らず一般国道を走っているのだが、いやいやとんでもないことに成ってきた。愛知県に入って高速道路に乗る予定にしていたら岡崎市の先で事故のために10kmほど渋滞しているという情報がはいってきた。都合の悪いことは続けて起こる物だ。仕方なく、岡崎の次のインターまで走りやっと高速に乗ることが出来たのは3時を過ぎていた。約束の5時にぎりぎりセーフでハートランドに到着。イベントは伊藤氏のファンや仲間や同僚が集まり、ホットな送別会になった。FMラジオの人気パーソナリティーとしての彼との出会いは今日が初めて、出会ってすぐにお別れとは残念だ。
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| 9月 | 23日 | 午前3時函館発のフェリーで青森へ。台風の影響か、強い雨が降り出していた。船は揺れていたが、ひたすら眠ることに没頭した。途中何度か目が覚めたがかまわず眠った。船内アナウンスが流れ青森に6時半到着。 さて、ここから1200kmの旅が始まる。こんや7時までに滋賀県守山市に到着しなければならない。守山市会議員2期目に挑戦する藤木氏の決起集会で唄うことを約束してしまったのだ。彼との出会いは、第一回のウォーキングツアーの時。その当時滋賀県青年団の事務局長をしていた彼に出会い、滋賀県青年の船に乗ることになったり、琵琶湖一周の平和行進に参加させてもらって一緒に歩いたり。この8年間、藤木氏には沢山の刺激をもらっている。そんな彼の為だ、時速100kmで走ってやっとたどり着く距離、どう考えても不可能だが、チャレンジするしかない。 フェリー埠頭から国道に出たところで燃料を満杯にし、近くのコンビニでサンドイッチを買って車に飛び乗り、それをほおばりながら青森インターチェンジを目指した。急いでいるときに限ってへまをするものだ。もうとっくにインターチェンジに着いていい時間なのに高速道路の標示が無くなってしまった。どうやら、まだ頭が起きていなかったらしく、インターチェンジを通りすぎてしまったようだ。引き返すのも悔しいので、そのまま走り続けて次のインターチェンジに。高速道路に乗れたときは7時半を回っていた。ますます危ない。ここだけの話、法定速度を守っていては、約束の時間にはとうてい着けるはずがない。秋の交通安全週間、警察の監視が高まっている中、それをうまくすり抜けて、走った走った、東京の首都高速に入るまで700km、トイレ休憩一回だけ。それでも時間は午後1時を回っていた。首都高速がすいていたら、滋賀県までは楽勝で行けると思っていたのだが、予想は悪い方に展開し、首都高速を抜けて東名高速道路に乗れたのは3時近くだった。残る距離は500km、時間は4時間しかない、途中のパーキングでトイレに行って、助六弁当を買って、それをほおばりながら、おまわりさんに捕まるのを覚悟ですっ飛ばした。成せば成る、7時ちょうど彼の選挙事務所前に車を着けることが出来た。思いが有れば、不可能に近いことも可能になる。きっと彼も、これからの選挙戦を戦って、二期目の議員生活を勝ち取る事だろう。唄った歌は「しあわせ」だ。 |
| 9月 | 22日 | 酒井君の家は猫屋敷。夜中騒々しく猫が走り回っていた。睡眠を邪魔されながらも疲れのおかげで、ぐっすり眠った。 ![]() 札幌から中山峠へ向かう 長万部は近い 民宿シャマンの里で猫と一緒に一寝入り ぐっすり眠ったが、まだまだ睡眠不足だ。昼過ぎに長万部に着いて、シャマンの里で一寝入りして夜のライブに備えた。ライブ終了後に滋賀県に向かって旅立たなければならないのだから、ここで休息をとらないとたどり着けるわけがない。しっかり3時間眠った。よっしゃオーケーと言いたいところだが、まだ疲れはとれていない。夜のライブは、13年のつき合いの長万部の顔なじみばかり、僕のことをすべて知っている奴らばかりだ。知りすぎている人達を相手のライブは、けっこうやりにくい。それでも、気心の知れた仲間達、がんがん唄って、あっという間の2時間。普段のライブはしゃべりが多いのだが、ここのメンバーにはしゃべりは通用しない、下手にしゃべるとつっこみが入ってくるので、唄い疲れた2時間だった。函館まで、岡部君と児島君が送ってくれる事になっていたので、打ち上げではビールをしこたま飲んだ。11時過ぎ、お開き(普段は朝までだ、今夜は明日の僕の移動を考えてくれて、あっさりと終わった。)になり、岡部君が運転してくれている車の中で函館まで爆睡。ここから地獄の旅が始まる。 ![]() 一番手前は長万部町長 中兼さんと後ろ向きの山内さん 長万部の旧友達 |
| 9月 | 21日 | デジタルカメラの調子もおかしくなって、昨日一匹長屋で撮った映像が消えてしまった。悔しいー。今日は札幌。朝早くに起き出して、コンピュータの調整をした。何とかうまく動いてくれた。がホテルのチェックアウト。仕方がないので、札幌市に向かった。今日のライブは、過去何度か一匹長屋で僕のライブを見に来てくれていた酒井君が、今回はどうしても札幌で聞きたいと電話をかけてきてくれて、普段彼がよく出入りしているラグタイムと言うライブハウスに話しかけてくれて実現したライブだ。かなり早めに着いたので、酒井君に喫茶店に連れていってもらい、ハピネスの原稿を仕上げ、ラグタイムに向かった。町の中心街からちょっとはずれた場所に有るせいか、札幌でライブをするとき良く来てくれていた人達は来なく、酒井君以外は初めてのお客さん達だった。集まったお客さんは11人と少なかったが、フォークソングの好きな人ばかり、しっとりとしたライブになった。店長は30代半ばで若いのだが、不思議と昔のライブハウスの雰囲気を醸し出していた。酒井君のおかげで、又継続して唄える店が一軒増えた。1時頃まで飲んで、今夜は酒井君の家に泊めてもらう。 |
| 9月 | 20日 | ![]() 富田さん家の番牛? 小樽に向かう道 昨夜は何だかんだと話している内に午前3時になってしまっていた。富田さんは仕事疲れで1時過ぎにソファーで寝ていた。10時過ぎ、朝目覚めるとみんな仕事に出ていた。お礼も言えないまま富田さん家を後にして、小樽に向かった。 日本海側の海岸線を走り国道5号線に出て小樽まで、今日のライブは17年前からつき合いのある、ライブハウス一匹長屋。マスターの下村さんとは同い年だ。早めに着いた、1泊3500円のグリーンホテルで、ハピネスの原稿を書こうとしたのだが、コンピューターの調子がおかしい。あれこれといじってみたがうまく動かない。結局原稿を書けないまま、一匹長屋に向かった。どうしたことか、今回お客さんは少なかった。でも馴染みの人達が来てくれていて、なんだか気分良く唄えた。終わった後、酒を飲みながらの昔話で、僕が初めてこの一匹長屋に来たのは17年前の5月31日。ちょうど30才の誕生日だったらしい。と言うことを下村さんが話してくれた。沢山のミュージシャンが来ているけれど、始めてきた日にちを覚えているのは高橋さんだけだとも言ってくれた。お世辞で無いことはわかっているがお世辞だとしても嬉しい。僕は音楽一筋、下村さんも大学を出てすぐにこの一匹長屋を始め、ライブハウス一筋に25年。互いに「継続は力なり」を信条として頑張り続けている。下村さんも僕も、止めるときは死ぬときだろう。 |
| 9月 | 19日 | ![]() ここは何処だ これが今日のステージだ じゃがいも倉庫の中がライブ会場 今日は、黒松内町の富田さんが9年ぶりに企画してくれたライブ。場所は、富田さん家の、じゃがいも倉庫。じゃがいもは今が旬、収穫に大忙しの中、「忙しいからなんて言ってたら、何にも出来ないよ。」と言って、仕事を中断して今日の日を作ってくれた。大地の香りに包まれて、じゃがいもの山をバックに唄った。こういった倉庫は残響音が多くて(音が響きすぎて)やりずらいのだが、じゃがいもが適度に音を吸い込んで、心地よい響きで、僕のがさつな声も優しくお客さんの耳に届いたようだ。近所で通夜があったらしく、お客さんは少なかったがとってもリラックスしたいい時間が過ごせた。これも大地の恵み、じゃがいもの生気のおかげかも知れない。 |
| 9月 | 18日 | 青森まで、休まずに走るつもりだったが、眠気に勝てなくなって、途中のパーキングエリアで1時間ほど眠ってしまった。気を取り直して、走り続け青森のフェリー埠頭にたどり着いたのは3時を過ぎていた。青森〜函館のフェリーは深夜も2時間おきぐらいに出ているはずだと思いこみ、時間も調べずにたどり着いたのだが、グワァ〜ン…次の出航は朝の7時半。頑張って走ってきたのに、ここまでの努力はなんだったんだ。何もないフェリー埠頭で、4時間も待ちぼうけを食わされた。こんな事なら途中のパーキングでしっかり眠れば良かった、と思っても後の祭りだ。思いこみはいけない、旅に出るときは、事前に調査をきちっとして出発しなければ、と、いつもは思っているのに大失敗だ。 ![]() 函館港 北海道上陸だ こんな真っ直ぐなを、ゆっくりは走れない 連続運転の緊張からか、フェリー埠頭では目がさえて、全く眠れなかった。船に乗り込み、大部屋の2等室で横になった瞬間眠っていた。目覚めると10時半、函館到着は11時だ。起き出してたばこを吸っていると船内アナウンスが流れ、下船準備の為に、車に戻った。久しぶりの北海道に上陸だ。青森まではずーっと雨が降っていたのだが、函館は晴天だった。肌寒い北海道を予想していたのだが、クーラーをかけてしまったほど暑かった。国道を法定速度+?ですっ飛ばす。法定速度で走っているとどんどん後ろから追い抜きをかけられてしまう北海道では、流れに乗るためには+?以上で走らないと危ないのだ。長万部を過ぎ室蘭、苫小牧を走り抜けて早来町の光専寺に着いたのは夕方の5時近かった。今日のライブは光専寺の住職、古卿(ふるきみ)さんの紹介で8月にオープンした手作りパンやさんで行われる事になっている。 ![]() ライブ会場のジュンコーズベーカリー 集まってくれた近所の方々 この人がオーナーのじゅんこさん 光専寺で風呂に入って、一寝入りさせてもらって、身体の疲れをとり、夕ご飯をご馳走になり、ライブ会場のジュンコーズベーカリーに着いたのは、ライブ開始直前の7時前だった。心の準備も無いままライブスタート。8月に開店したお店の開店祝いも兼ねてのライブ、ご近所の方々が多く、年齢的には高い人が多かった。2年前、光専寺でこの町で初めてのライブをした時来てくれていた人も居て、最初から和やかな雰囲気だった。何曲か唄っていると、見慣れた顔の女性が入ってきた。隣町(と言っても北海道は広いのだ)の平取町(びらとりちょう)二部谷から、わざわざ貝沢さんの奥さんが来てくれた。貝沢さんは畑仕事が忙しいからと、一人で来てくれたそうだ。嬉しい。昨年まで、滋賀県青年の船でお互いに講師として毎年出会ってきた。そして毎年、研修の一環として貝沢さんの住む二部谷で、アイヌの文化や歴史を学んだ。その時にはいつも奥さんとも出会っていた。「レラ」と言うタイトルの僕の歌は、奥さんから教えてもらった「風」と言う意味のアイヌ語だ。貝沢さんには会えなかったが奥さんが訪ねてきてくれた事で、すっごく気分が良くなって。ライブのボルテージはすごく上がった。早来町でライブが出来て良かった。 この町の、古卿さんと出会えたのは、千歳市に住む南さんの紹介だ。その南さんと出会ったのは、長万部町に住む、長〜いつき合いの中兼さんからの紹介だ。人のつながりで僕は唄う場所をいただいている。有り難い事です。ライブ終了後、お客さんの一人、菊池さんが、来年は俺がやると言ってくれた。なにかいい物を感じてもらえたのだろう。前回に続き2度目の今回も腰を痛めてやって来た早来町、来年は、万全な状態で来るぞー。 |
| 9月 | 17日 | 小平市の自宅を、午後1時過ぎに出発。前回の関西地方のツアーの時ほどの金欠状態では無かったが、高速代を節約するために、福島県の二本松まで一般国道を走った。「腰が痛いんだから、楽すればいいじゃん。」と、心の声が聞こえるのだが、なにせ行き先は1000km以上離れた、北海道早来町。途中で何が起こるかわからない。節約出来る所は節約しなきゃ。しかし腰が痛い。さらしをきつく巻き締めて居たのだが、長距離の運転で足がしびれ始めた。運転しながら、さらしになんか頼っているからだめなんだと思い、ズボンのベルトをはずし、巻いていたさらしを解いた。姿勢を正し、肛門に力を込め、下腹の腹筋をぎゅっと締めると、痛みは消える。だが、そんな状態を長く続けることは出来ない。力が抜けては、また力を込め、自力の筋肉コルセット状態を作り続け頑張った。腰を締め付ける物がなくなったせいか、足のしびれが消えた。そして夜になり、二本松のインターに入ったのは、9時を過ぎていた。青森まで460km。そこまで走れば、函館行きのフェリーに乗れる。横になって寝れるのだ、頑張るぞー。 |
| 9月 | 16日 | 伊藤氏のおかげで久しぶりの家族旅行が出来た。旅館を出て、軽井沢駅前に数年前出来たと言う話題の大型集合アウトレット店に出かけた。ブランド物が安く買えると言う事だったが、確かに安いがブランドの2流品ばかり、とりあえず話題の場所を見た、それで良し。帰りに素敵なレストランを見つけて食事した。安くて美味くて、店員の対応が良い、ここは、大満足。皆さんも軽井沢に出かけることがあったら行ってみて下さい。店の名前は「りんでんば〜む」、軽井沢バイパスを走っているとかわいい店が見つかります。そこがそうです。食べ物に関しては、けっこううるさい我が家の女達が満足していたから間違いは有りません。 昨日、今日と、雨の降り続いた軽井沢でしたが。心あったかな2日間でした。 |
| 9月 | 15日 | ![]() 旧友、伊藤氏の希望でピンぼけです 軽井沢の教会は演出がすごい 幸せの舞台に立った二人 家族全員の旧友、伊藤氏の結婚式に出席するために軽井沢に出かけた。伊藤氏との出会いは次女はまだ生まれていなく長女の志乃がまだ赤ちゃんの頃だった。東京のジャンジャンでライブをしたとき、前に唄った、白木ちかこさんを見に来ていた彼がいた。彼女のライブを見て帰るつもりだったらしいのだが、次の出演者も一曲ぐらい聴いていこうと思って客席に残っていたら、僕が出てきて、いきなりハーモニカを吹いてブルースを歌い出したらしい。彼にとって全く知らない歌手だったが気になって、座り続けしまったと言うことだ。その当時僕は、新宿でお巡りさんと闘いながらストリートライブを続けていた。このまま続けると、道路交通法違反で捕まりそうな状態まで観客も増え、盛り上がっていた。でも、犯罪者にされてしまってはたまらない。自転車に乗って各町をめぐりながらストリートライブを続ける事をその当時のマネージャーの天本氏の考えで実現に向けて、準備を進めていた所だった。その練習のために自転車で小平市の借家から、その当時の事務所のあった場所、六本木まで何度か出かけていた。その話をライブの中でしていたのだが、客席に向かって「まさか今小平市に住んでる人って居ないよね。」と話しかけたら、オー、と言って手を上げたのが彼だった。その後は、他のお客さんを無視して二人の会話になった。最終的に僕は、いつかステージを降りて彼の座る椅子の前まで進み、ライブ中に膝をつき合わせて話し始めた。いろいろ話している内に、僕の住んでいるところと、彼のアパートが、歩いて2〜3分の所に有ることがわかった。とにかく近所なんだから遊びにおいでよと言うところまで話して、ステージに戻りライブを続けた。そして彼はやって来た。当時一歳の長女は、彼になじまず、来るたびにビービー泣いて泣き疲れて眠ってしまう状態だった、普通、遠慮して来なくなる所を、彼は来続けた。しまいに長女も慣れてしまい、彼は我が家の一員になってしまっていた。 |
| 9月 | 14日 | 東京の自宅に戻ったのは夜11時。もっと早く帰って、腰の痛みを和らげたかったのだが。ピアノ屋さんヴォイテックのTVコマーシャルソングの仕上げのやり直しをしたくて、朝からパソコンと格闘していたのだが、突然の停電。復旧するまで待つしかない、いつまでたっても電気がつかない、午後4時やっと復旧。作業を開始して、満足のいく音に仕上げ、荷物を車に積み込み、出発したのは7時に近かった。出ようとすると、昨日来てくれなかったみっちゃんがやって来た。実は昨日の朝来てくれたらしい、呼んだが返事が無かったので、起こすのも悪いと思って、会社に出かけたと言う。起こしてくれれば良かったのに、とは言ったが、その時間に起きていなかった自分に反省。 |
| 9月 | 13日 | 車の12ヶ月点検を山道さんにお願いする日だ。昨夜は目覚ましを7時半にセットして寝た。起きたのだがまた眠ってしまった。目が覚めたのは8時半。みっちゃんは来ない。寝坊したかと、待ったが来ない。忘れてしまったかな。まー仕方ないか、でもちょっとがっかり。夜は浜松で小山さん達と、24日のフォーク喫茶ライブの打ち合わせがある、それまで東北・北海道のツアーの為のCD作りにせいを出した。 夜になって、浜松へ。待ち合わせ場所の一作(なじみの飲み屋)7時半到着。押切さんと僕が持っていった、楽譜集で、懐かしのフォークソングを30曲ほどリストアップした。それぞれの曲にみんな青春時代の思いがあり、曲をリストアップするたびに誰かが、唄い出していた。ほぼ、上がった所で、ギターを出して、ミニコンサートの始まり。楽しい夜だった。 |
| 9月 | 12日 | ![]() 昨日から音楽の森に泊まっていた 磐田のボランティアグループ 後ろ姿しか写ってないー。じゃ前から 打ち上げを、町会議員でもあり「一本の木から展」を7年前に始めた張本人でもある松井さんの経営する…本物の無農薬食品を食べさせるこだわり民宿「まつぼっくり」で少人数ですませ、僕は1時前にそこを出発して春野町に向かった。磐田のボランティアサークルを中心にした仲間達が自己研修のため小学校に泊まっているからだ。宿泊の相談に来たのは、青年の船で何度も顔を合わしている鈴木のトシ君。みんなが泊まるなら、なんとしても帰って、起き抜けコンサートをすると約束してしまったのだ。もちろんこっちが言い出したのだから、お金なんか取らない。好きな奴等(特に青年達)の為ならどこにでも駆けつけるのだ。それが高橋忠史だ。まだ暗い4時半に小学校に到着。いつもは真っ暗な校舎に明々と明かりが灯っていた。起きているのかな、と思ったが、車のエンジンを切っても話し声は聞こえない。彼らが起きるまでひとりぽっちの打ち上げ、もらってきたお酒を飲んでいるうちに眠ってしまった。みんなにご飯ですよと8じに起こされた。待っているつもりだったのに逆に起こされてしまうとは悔しいが仕方ない。朝食をいっしょにいただいて、すこししてコンサート。しかし、腰の痛みが、絶好調になってきている。昨日、松井さんにプレゼントしてもらったさらしをもう一度ぎゅっと締め直して唄った。やっぱりあさはつらい、思うように声は出なかった。彼らはどう思っただろう。僕は唄えたことに満足。 |
| 9月 | 11日 | ![]() 美浜町役場 このホームページからヒントを得てタイトルが決まった 役場のロビーとは思えない 朝食をゆっくりいただき、10時過ぎに荒川さんの隠れ家を出発。三ヶ日インターから高速に乗って福井県美浜町へ向かった。今年で7回目になる「一本の木から展」杉の間伐材を使っての、町民主体の彫刻展だ。今年はそれに、一本の木をテーマにはがき絵展も始まった。彫刻は5人、ちょっと出展者数が少なかったが、はがき絵の方は120点以上集まったそうだ。コンサートも他市町村からの参加もありスタッフが飾り付けてくれた役場ロビーいっぱいの人で始まった。地元コーラスグループ・アザレアの唄から始まるのは、第一回からずっと同じスタイルだ。同じスタイルのコンサートが7年も続くなんて画期的なことだ。実行委員のみなさんの熱意が感じられる。だが、こんな素晴らしいイベントなのに、町から降りる予算が削られたらしい。作品の質が上がっているのに、出展数が少なくなったからだと言う理由と、なぜ展覧会にコンサートが必要なのかと言う理由でコンサートに掛かる費用が出なかったらしい。でも実行委員の人達は、第一回からコンサートも含めての「一本の木から展」なんだからと、僕と日高を呼んでくれた。音響の費用ももちろん出してくれないので、僕の音響機材を無償で提供した。出展作品に対する賞を発表するときに、町長が僕の機材を使ったと言うことを、役場のお偉いさん達はなんと考えて居るんだろう。もちろん現場の役場スタッフは丁重に挨拶してくれたが、お歴々からは一言も無かった。春野町の収入役の松本さんを見習え、馬鹿役人どもが。そんな中で、素敵なコンサートを作り上げてくれた実行委員の方たちとアザレアのメンバーの方たちに感謝します。 |
| 9月 | 10日 | ここ勝坂に越してきてちょうど3ヶ月が過ぎた。のんびり出来ると思っていたら、やたら忙しい。やることが山積みになっている。今日は荒川さんの隠れ家でコンサート。ゆっくり寝て、出かけようと思っていたのだが早起きしてしまった。昨夜、風呂から帰ってきて、ギターを弾いていたら、随分前に頼まれていた、ピアノ屋さんのTVコマーシャルソングの別パターンが出来てしまった。前に作ってある曲と昨夜出来た曲を、レコーディングしたくなって、早起きしてコンピューターに向かった。 初めてのデジタル録音だ。でも時間は無い。来年から、SBS学苑のカルチャー講座を持たないかと言われて居たので、その打ち合わせに浜松に行かなきゃならない。制限時間は午後一時まで。録音の技術的なことはすぐにマスター出来たのだが、TVコマーシャルは時間に制限がある、13秒以内に録音しなくてはならない。どうしても13秒を越えてしまう。13秒以内に収まるようにテンポを上げると、軽い曲に聞こえてしまう。歌い方を変えなくてはならない。ああだこうだと、繰り返し録音している間に、1時前、あわててCD−Rに焼き付けたとき、1時15分。SBS学苑の待ち合わせ時間には遅れてしまった。良い方向で考えて行きましょうと話が終わった時点で3時半。 荒川さんとの待ち合わせ時間にも遅れてしまった。それでも今日の主催「至宝の会」のメンバーは、6時に集まると言うことで、お風呂に入れてもらって、その時を待った。荒川さんの仲間だから、僕と同年代の人達が集まるのかと思ったら、来る人来る人、かなりの年輩者だ。ホームコンサート的に気楽に考えていたのだが、一瞬何を唄えばいいのか迷ってしまった。迷ったところで何が出来る訳じゃない、人生の大先輩達の懐を借りるつもりで、普段どうりの高橋忠史で唄った。高いのは年齢だけじゃなく、理想も夢も高く大きく持ち続けて居る人達、そんじょそこいらの若者より青春まっただ中の人達だ。なんの違和感もなく僕の唄を受け入れてくれた。と言うより受け止めてくれたのかな。みなさん忙しい方が多く、ライブ終了後帰って行かれたが、歳をとっても、理想に燃えている人達は若い。残った大橋さんと城所さん僕と荒川夫婦5人で荒川さんのワイン談義を聞きながら、12時過ぎまで語り合った。 |
| 9月 | 9日 | 夜、川向こうのみっちゃんこと山道さんから久しぶりの電話で、風呂沸かしたから入りにおいでと誘いの電話があった。ここ数日入って無かったので飛び上がるほど嬉しくて、荒川さんにいただいたホタテの焼き物とビールを持って、すっ飛んでいった。身体は濡れたおるでいつもふいては居るのだが、やっぱり風呂は気持ちいい。風呂上がりにビールを飲みながら世間話。また、この意味のない時間が心地よいのだ。いやいや今日はとっても有益な話が吹き出した。みっちゃんは車のベテラン修理工で、僕の車が12ヶ月点検だという話を聞いて、友達のよしみで格安で点検してくれる事になった。「はたらけど はたらけど 我が暮らし 楽にならず」だっけ?、石川啄木の心境の僕にとって、有りがたい話になった。無駄話もいいもんだ。そしてみっちゃんのけたたましい笑い声が勝坂にこだました。 |
| 9月 | 8日 | 朝起きてから、夜中までコンピューターを2台使ってCD作りとダイレクトメールのはがき印刷で一日が終わりました。座り疲れた。夜中の12時過ぎに車の音がした。だれだろうと窓の外を見ると高そうなスポーツカー、校庭をぐるっと回って降りていった。いやな感じだ。こんな山奥に何しに来たのだろう。今夜から、しっかりと鍵をかけてから寝ることにしよう。 |
| 9月 | 7日 | 久しぶりに、たっぷりな睡眠をとって、9時半に目覚めた。今日はひたすらCD作りに明け暮れようと、作業を始めると電話が掛かってきた。先日、文部大臣奨励賞をもらった、陶芸家の荒川さんからだった。一度この勝坂に行きたかったので今日2時ぐらいに行くと言うことだった。又、お客さんだ。ここ音楽の森にはいろんな人が訪れてくれる。嬉しいことだ。 ![]() 荒川さんご夫婦 この作品が文部大臣奨励賞の岩流 荒川さんにいただいた2万5千円のぐい飲み、ピック入れとは失礼かな? CDを作り続けていた午後3時、少し道を間違えたと言って、荒川さんご夫婦がやってきてくれた。ステーキや鰹のたたきやウナギや高そうなワインやお菓子や食料を沢山買い込んできてくれた。山の生活でさぞひもじい思いをしているだろうとの思いからだろう。実はそのとおりなのだ。有りがたい。10日に荒川さんの隠れ家で、仲間の人達の集まりの中で唄わせてもらうことになっている。荒川さんとしても、みんなに僕のことを紹介するためにも、音楽の森を見ておきたかったらしい。仕事の合間をぬって来てくれたので時間はあまり無かったが、ものを作っていく人間の思いを語り合えることが出来て充実した時間が過ごせた。10日に再会するのが楽しみだ。 |
| 9月 | 6日 | 窓を開け放して寝ていたら、凄く寒かった。みんな風邪を引かなかっただろうか。鹿児島に帰るために、4時半起床、7時に掛川駅から新幹線に乗って東京へ向かう。朝ご飯も食べれないまま5時に鈴木君の運転で出発していった。嵐のような3日間が過ぎた。その割に疲れた感じが無いのは(腰の痛みは別だが)充実していたせいかもしれない。 早朝だからか鈴木君は掛川駅まで送って、なんと7時過ぎに帰ってきた。ん〜ん、どう考えても早すぎる、片道1時間半は掛かるはずなのに、どうやって2時間で帰ってきたのだろう。どこでもドアーでも持っているのか。二人とも安心したせいか眠気におそわれうたた寝してしまった。10時過ぎに鈴木君は11月の第3回音楽の森コンサートに来る約束をして帰っていった。彼は音楽の森コンサートのスタッフに成りつつあるぞ。素敵なことだ。 一休みして、浜松に出かけようとしていると、電話が掛かってきた。浜松のようようちゃんだ、今年のウォーキングツアーでこの春野町まで一緒に歩いてくれた彼女だ。今日休みだから付き合ってくれと言う。ちょうど浜松に出かける事にしていたので、コンピューター屋さんの前で逢う約束をして(女の子と逢うというのに色気のない待ち合わせ場所だ)出かけた。早く着くつもりが道が混んでいて、コンピューター屋について玄関に向かって歩いていると、向こうから同じようにようようちゃんも歩いてきた。用事を済ませてからと思っていたのだが、仕方がない。銀行とCDーRの仕入れに付き合わせ。レストランに行って、食事をした。船(青年の船)の話なんかしながら、お互いに時間つぶしを楽しんで、ほんの1時間ほどのデートは終わり、勝坂に帰ってきた。たまに若い女の子としゃべるのもいいもんだ。そんなことで今日が過ぎていきました。 |
| 9月 | 5日 | ![]() 講堂のステージから見た、お客さん達、この後も来てくれた人が何人かいた 今日は、第二回音楽の森コンサートの日。日曜の昼3時開演と言うこともあって、各地行事があっていけないと言う連絡を沢山もらっていたので、人数は少ないだろうと思っていたし、予想通りのお客さんだったが、以外にも新鮮な人達が来てくれた。昨年のウォーキングライブの実行委員であり長い距離を一緒に歩いてくれた鹿児島の仲間達が4人も来てくれた。鹿児島から飛行機で東京、羽田空港へ(名古屋空港往復より安いチケットが有るそうだ)、そこからモノレールと山手線を乗り継いで東京駅、新幹線で浜松、遠州鉄道に乗り換え、天竜市へ、そこからバスに乗って春野町車庫まで、でも勝坂はそこから15km以上はある。バスを乗り継げばこれないことは無いのだが、便数がほとんどない。タクシーに乗ったら1万円近くかかってしまう。そんな思いまでして来てくれた人達を、勝手に来いなどと言えるわけがない。春野車庫1時40分着だと連絡が入った。出番前の時間だが彼らの思いに答えるために、僕が車で迎えに行った。僕が着くのと同時に、バスが着いた。鹿児島を歩いたのは昨年の10月、まだ一年も経ってないのだが、みんなの顔が懐かしい。僕の生活環境が今年になって随分変わったから、時間の尺度が、人の何倍にも成っているのだろう。森尾くん、ぴょんちゃん、あっこちゃん、田中くん(年齢順)、みんな頬ずりしたいぐらいかわいい奴等だ。照れ屋な僕だから実行は出来ないのが悔しかったけど、思いはあった。みんなを車に乗せていると、一人のおばさんが、次のバスが来るまで1時間以上待たなきゃいけないと言って、同乗させてくれないかと頼んできた。みんなも賛同してくれた。僕がなにも言わないのに森尾君が率先して荷台に乗りこみ、おばさんの為のスペースを作ってくれた。そんな奴等なんだ。自分たちの方が長旅で疲れているのに。 2時過ぎに音楽の森に到着。伊豆の河津町から早めに来てくれていた鈴木君が出迎えてくれた。鈴木君を含めたこの5人が今日は泊まっていってくれる。 そして、もう一組は、月刊ハピネスのエッセイを読んで、場所を役場に確認して来てくれたカップル。そしてもう一組は、この夏休み中に、宿泊研修施設に成っている、ここ勝坂小学校にボーイスカウトを引率して来ていた磐田の女性が2人。うれしいねー。人の輪が、広まっていくよ、この場所で。 メールでの告知で、コンサートが3時からだから、音楽の森のすぐ側の神楽茶屋で、村のおばちゃん達が作っている手打ち蕎麦が食べれるよと、お知らせしたら、来る人来る人食べに行ったそうで、お店はてんてこ舞い、30分待ち40分待ちでやっと食べることが出来たと言って音楽の森に上がってきた。鹿児島の4人も、お昼ご飯は食べてきたが、それならと、出かけていったきりなかなか帰って来ない。おかげでコンサートは、彼らが帰ってきた(最後の客だったようだ)後、30分遅れの3時半から始まった。前回は夜だったので景色は見えなかったが、今回は昼、少し暑いので窓は全部開けはなってのコンサート、遠くでなく蝉の声、秋を少し感じさせる虫の声がほのかに、聞こえている。窓の外は全面の緑の山、ときおり講堂を吹き抜ける風がさわやかだ。この環境がコンサートを作ってくれている。穏やかにそして時に激しく2時間があっという間に過ぎていった。 |
| 9月 | 4日 | 昨夜川上の森のスケッチから帰ったのは12時頃だった。そのまますぐに寝れば良かったのだがCDが残り少ない、表紙になる黒の厚紙が5枚ほど余っていたので、その分だけでも作っていこうと、作業している間に1時を回ってしまった。腰の痛みをこらえながら。 起きたのは4時半、睡眠時間は3時間弱、あわてて支度をして、まだ暗い勝坂を出発した。10時に兵庫県神戸市にある、兵庫県民会館に着くという約束をしていた。本来なら362号線をひた走って、三ヶ日インターから東名高速に乗るのが早いはずだが、道を完全には把握出来ていない。間違ったら大事になる。少し遠回りだが(急がば回れなのだ)浜松インターから東名高速に乗った。順調に行って10時着だ、途中何が起こるかわからない、申し訳ないが、少しぶっ飛ばさせてもらった。あまりの眠さに滋賀県あたりで40分ほど眠った。妙におなかの調子が悪く、その後2度もパーキングに寄らねばならなかった。渋滞は無かったが、早寝しなかった罰が下って飛ばしに飛ばしたが、予定より1時間遅れて到着。車から降りるのも大変なぐらい腰は固まりきっていた。 今日の主催者は「げんき・神戸会」の人達だ。ミキプルーンと言う栄養補助食品を売る人達の作っている会で、商品説明をかねたコンサートだ。以前、兵庫県三木市の労音主催のコンサートで僕のことを知った、げんき・神戸会の岡田さんが僕のことを推薦してくれて今日にいたった。1時間遅れで心配をかけてしまったが、開場は12時なので、簡単なリハーサルを済ませる事は出来た。 開場してすぐ親父とおふくろが、近所の岡さんをつれて、3人でやってきた。70を過ぎた両親、大阪の貝塚市からここ神戸までは近いとはいうものの、電車を乗り継いで隣の県まで来るのは大変だ。いつまでも親とは有りがたいものだ。が、親の前で演奏するのは、気恥ずかしさもあって、ちょっとばかりやりにくい。 コンサートの前に、ホルム麻植佳子さんの講演があった。これからの高齢時代にどう生きるか、ということを、それはおもしろおかしく、話された。どこかで仕入れてきた知識じゃなく、日本のみならず、北欧やその他の海外で看護の仕事を実践してきた人だし、医学生を相手に学術的な抗議もされている人だけに、どんなに笑わせる話の中にも、どきっとする真実が隠れていて、久しぶりにいい話をきいた。 その後のコンサートだから大変だ、半端な気持ちでは唄えない(それはいつも一緒だが今日は特に)、掲示板に合田さんからのメッセージがのせられているので、雰囲気はわかってもらえると思いますが、会場にはやく200人の人が来ていましたが高齢者の多いコンサートでした。でも、ホルムさんの爆笑トークのおかげでみなさんリラックスしていて、手拍子はくるは、大合唱になるはで、とってもいいコンサートに成りました。CDが30枚も売れたと言うことは、それだけ楽しんでくれたという証拠でしょう。 明日、音楽の森でコンサートが有るので、コンサート終了後、すぐ県民会館を出発。外に出ると大雨が降っていた。ちょっぴり親孝行、両親達を車に乗せて三宮駅まで送った。この年になっても仕送りも出来ない、なさけない長男の出来る、ささやかな親孝行。後何年出来るかな、長生きしてもらいたい。 またまたすっ飛ばして、勝坂には12時に帰ってきました。こんなハードな一日だったにも関わらず、腰の痛みが楽になっている。ちょっぴりの親孝行がきいたかな?。 |
| 9月 | 3日 | 腰の痛みは増すばかりでいっこうに良くならない。今日は町内の川上地域のべんてんじまビレッジと言うキャンプ場に有る、森のスケッチというお店で夜ライブが有る。それまでゆっくり出来れば良かったのだが、CDが残りわずかになってしまったのでその制作に追われ、座りっぱなしの作業が一日続いた。腰にいいわけ無いよね。 明日の神戸、明後日の音楽の森、そして今日売る分を作り終えたのは夕方5時を過ぎていた。同じ町内とは言うものの、勝坂から川上までは20km以上離れている。幸いにして、信号機は1台も無いので時間はそれほど掛からないが遠い。6時に着くと電話をしたのだが、腰の痛みもあって荷物の積み込みに時間が掛かり。どこが国道(362号線)じゃと言いたくなるほど、狭いくねくね道。杉川沿いの、余裕が有れば美しいだろう…渓谷の中を、カーブで何度もスリップしながら6時半に到着。春野町は広い。 ライブは8時からと思っていたが、その旨、ホームページにも、はがき(すいません、東海地方のメールアドレスを持たない人にだけ送りました)にもそう書いたのだが、地元の人は7時に集まってきた。待たせるのも失礼なので7時半からライブを始めた。元気小僧がいて、唄っている目の前で踊るは飛ぶは転ぶは、大人達は酒が入っているので唄の途中で話し始めるはで、どうなることかと思ったが(昔の僕だったら、怒鳴っていたか、曲の途中で唄うのを止めて注意をうながしたのだが、歳なのかな、丸くなったのかな)すべてを無視して、唄うことに専念した。8時を過ぎて磐田から、JCの桜井さん夫婦も駆けつけてくれた。益々唄に没頭して唄い続けた。結局、途中から小僧ははしゃぎ疲れおとなしくなり、みんなも聞く体制に入ってくれて、終わり良ければ、と言うことになりました。ライブは良かったのですが、腰はもう最悪。勝坂へ帰る道は遠かった。 ![]() ![]() |
| 9月 | 2日 | 今日も何これと忙しく動いていましたが、その一つ一つを書く気力が有りません。夜には山道さんがビールを持ってやって来ました。いつものようにちょっとと言って2時間以上一人でしゃべりまくって帰っていきました。はっきり言って今日は辛かった。腰の痛みが無ければ、何時まででも付き合えるのだが、今日は、辛かった。これから神戸を挟んで3日間のライブが続く。腰よ、がんばれ。おやすみ。 |
| 9月 | 1日 | 腰を痛めたせいと中村由利子さんのおかげで、久しぶりに我が家で、2泊する事が出来ました。朝のうちに出発して勝坂に戻るつもりでいましたが、暦は秋だと言うのに、東京は日差しが強く暑かった。出るに出られず、結局出発は夜8時。さらしをしっかり巻いたせいか、腰の痛みはそれほどでもなく、夜中2時前に勝坂に到着した。疲れた、寝る。 |