2006年 10月
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| 10月 | 1日 | ホテルを10時前に出て、軽く腹ごしらえをと、近くのスーパーでパンを買って食べていたら、車の窓をノック。荒平さんだった。今日のライブ会場のアマテラスにお土産を買ってくるからと言って、店内に消えていった。しばらくして、海の幸を買い込んだ荒平さんに先導されて、霧島市牧園に向かった。 12時前に、国道223号線沿いにあるアマテラスに到着。荒平さんがとある集会で出会ったという関西出身の女性二人で一ヶ月前に始めたと言う店だ。荒平さんとの信頼関係だけで今日のライブを決めてくれた。何者かもわからない僕のライブを、とにかくやってくれたことに感謝だ。 今日は、地域の小学校の運動会の日らしい。沢山声を掛けたが、みんな運動会で来られないらしい。どれだけ集まるかわからないと言う。人の数は気にはなるが、そんな事よりライブを開催してくれた事に感謝。 年配の女性達3人と若い男性が一人、そして荒平さんと共同経営者の関西女性が二人。そんな中で2時からライブが始まった。若い男性は急用が出来たといって途中でいなくなり荒平さんも志布志に帰り、女性達ばかりになった。必然的に、家族の話とそれに類したソフトな歌が中心になった。1時間半。ライブ終了。とっても家庭的な感じのほんわかライブになった。皆さんとっても気に入ってくれたようで、1000日目の霧島市市民会館に来てくれると約束してくれた。 その後、観光できたお客さんが家族で6人ほど入ってきた。そんな中で店長からリクエストされた。ロックっぽい歌を聞いていないと言う事だったので「着火」を唄った。その歌を聞いた観光客からもたった一曲なのにおひねりを頂いた。その上、CDまで買ってくれた。ご主人らしき人と話していたら、昭和27年生まれの同級生で、名古屋の人らしい。いつか名古屋で逢いましょうと言って店を出て行った。 その後も、カレーライスをご馳走になりながら、残った人達と話をして、又次回やってきた時にライブをやらせてもらえる約束をして、隼人に向かった。 今夜の宿は決まっていなかった。甲斐くんと明日の打ち合わせをしていたら、泊まる事が無いなら、新しく借りている事務所に泊まれますよと言われて、事務所に向かった。青年達が、10月15日に行う、講演会の会議をしていた。15人ほど集まった若者達が、10時過ぎまで当日の段取りを話し合っている。青年は熱いなー。久しぶりに青年達の真剣な姿を見たような気がする。 次の時代を担う青年たちは何時の時代にも確実に存在する。社会がその実体を見ることが出来ないだけだ。 |
| 2日 | はやと創造舞台の事務所が、昨日からの僕の宿舎だ。5日間、この事務所で過ごさせてもらう事になった。今夜のライブは、あさっての、1000日連続ライブファイナルのお披露目会の準備に集まる、実行委員会の中でやらせてもらうことになっている。 昼間は、みんな仕事なので、誰もやってこない。何時起きてもOKなのが助かる。一日のんびりさせてもらった。まだ出来てそれほど日がたっていない事務所。昼間に、コンピューターを屈指して音作りをしていると、開け放した入り口に人の気配。おまわりさんだった。この建物は、建設事務所ですかと問われたので、はやと創造舞台の事務所だということなどを知っている範囲で伝えた。おまわりさんは駅前交番の名刺をおいて帰っていった。 夜になって、ぞくぞくと1000日連続ライブの実行委員会達が集まってきた。まずは、それぞれの作業をしながら、段取りを語り合っていた。そこそこ作業が安定したところで、30分ほどの短いライブを。慣れ親しんだメンバーばかり、我が家で歌っているようなリラックス感が気持ちいい。 ライブ終了後、それぞれの作業を終らせてみんな帰っていった。甲斐君とまっちゃんが残って一緒に飲んでくれた。そして、又一人になった。 |
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| 3日 | 鹿児島は暑い。だが、ここの事務所は風通しがよく、窓を開け放っておくと田んぼを渡ってきた風が吹きすぎていって心地よい。今日も一日、コンピューターと格闘。 夜になって、今村さんが迎えに来てくれた。今村さんの車に乗せてもらって、鹿児島神宮の鳥居の下にある「田舎屋」へ。ここでのライブはもう何度目だろう。店のマスターも僕の大応援団だ。お店で集めてくれたお客さん達が集まったライブ、実行委員会のメンバーも参加してくれて、小さな店は一杯になった。少々お喋りするおじさんがいて(と言っても、僕の少し先輩)やりにくいところがあったが、切れることなく、「勝坂」を中心にしたライブで、今日も無事終了。その後、お客さんたちと一緒に飲んで、事務所に送ってもらった。 |
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| 4日 | シビックセンターホールでのお披露目会の日がやってきた。シビックセンターは手っ取り早く言えば公民館。ちょっと洒落た公民館だ。 実行委員会のみんなが、会場設定に集まった。多目的ホールは400人は入るだろう広さだった。参加者の会費を1000円に設定して、オードブルを出し酒は飲み放題。ギリギリの予算で開催した「お披露目会」予算は残っていないらしく、準備中は冷房も切っていた(冷房代がいるからだ)みんな汗だくになって会場準備をしている。そして、僕は一人で音響機材のセットを。 急な設定の「お披露目会」だったが、お客さんは100人近くやって来てくれた。県議会議員や霧島市市長の池田さんも。 実行委員長としての甲斐君の話から始まって、日本テレビの「きょうの出来事」で特集されたビデオ上映。そして、30分の僕のライブ。その後には、霧島市町の前田さんが激励の熱いメッセージを語ってくれた。先月、彼の家でホームコンサートをしたので、僕の思いや歌を熟知してくれていたから、お尻がこそばゆくなるほど僕を褒め称えてくれていた。実行委員の出し物があったりして楽しい雰囲気で「お披露目会」は進んだ。そして最後に、この場でチケットを預かってくれる人達を募ったら、なんと400枚近くをそれぞれの人達が受け取って帰ってくれた。若い実行委員のみんなは、又新しい協力者をこの「お披露目会」で作った。 そして、後片付けが又大変だ。みんな汗だくになって後片付けを済ませ、会場を後にした。 そして、それで終わりではない。みんな事務所に戻って、今日の反省会、と、1000日連続ライブの本格的な準備に入るのだ。 反省会を済ませてから、打ち上げ、そして、今夜、日付変更線ライブのために又人が集まってくれるのだ。 12時近くなって、日付変更線のためにやって来てくれた人達も現れた。そして日付が変わった。 |
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| 5日 | 12時を過ぎて、10人以上の仲間達が残ってくれたり、集まってきてくれたりした。深夜なので、なるべく静かな曲を選んで、それでも1時間弱のライブになった。 平日だと言うのに、明日はみんな朝早くに起きて仕事に出かけなくてはならないと言うのに、本当に素敵な奴らだ。 午後1時を過ぎて、みんなは帰って行った。僕一人、残って、楽しい一日を振り返って眠った。 10時ごろ起き出して、事務所に鍵をかけて、事務所を出発した。 経費節約の為、とことん国道を使って走った。福岡県に入った頃はもうあたりは暗くなっていた。根性で北九州市の八幡まで国道を走り続けた。そこから高速道路に乗って、岡山を目指した。広島県あたりで気力は尽き、パーキングエリヤで眠る事にした。 |
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| 6日 | 岡山禁酒会館の近くのホテルは、12時からチェックイン出来ると聞いていた。パーキングエリアを9時過ぎに出発して、岡山を目指す。岡山のインターを降りてホテルには12時過ぎに到着できた。もう、バテバテだ。シャワーを浴びて、すぐにベッドに潜り込んだ。 普通、ビジネスホテルは4時チェックインがほとんどで、ライブ前に仮眠出来る事なんて無い。でも、ここは12時チェックイン、そしてチェックアウトも12時、全国のホテルがこのシステムだとどれだけ助かるか、とにかく今日は鹿児島からの長距離走行で疲れていたので助かった。 4時過ぎに起き出して、5時に禁酒会館へ。毎月一回マンスリーライブを何年も続けている尾崎さんが2階のホールで音響機材をセットして待っていてくれた。尾崎さんとの付き合いは長い、まだ岡山に労音があった頃からの付き合いだ、その後も、いろんな場面でライブを作り続けてくれている。これからも長い付き合いをしてもらえる僕にとって力強い協力者だ。 リハーサルを終えた頃、今日のオープニングアクトを担当してくれるアコーディオン奏者の清水君がやってきた。彼は今、フランスで活動しているのだが、たまたま岡山に帰ってきたと言うことで、僕の前に演奏してくれる事になったそうだ。リハーサルで、アコーディオンの音が響いた時、そこはもうフランス・パリの街角だった。僕の勝手なイメージだが、アコーディオンはフランスなのだ。 7時、お客さんが集まってきた。20人ほどのお客になったところで、清水君の演奏が始まった。禁酒会館は、元の教会。洋風の窓の外には街路樹が見え、今日は風が強く、夕闇に変わってゆくその時間帯にアコーディオンの演奏に木の枝を揺らせていた。夕暮れのまどろんだ光の中で聞くアコーディオンの音、おー、ここはまさしくパリだ。 彼の素敵な演奏に刺激されて、僕も乗った1時間半を超える演奏にアンコールがかかり、大満足のライブだった。小さな会場だが、尾崎さんが作ったマンスリーライブの常連さんたちは聞き上手でもあるので、ホールで歌っているような満足感があるのだ。 岡山禁酒会館は、4年前、365日連続ライブを続行中の頃やらせていただいて、それ以来の久しぶりのライブだ。4年前のその時に印象に残っているのは、静岡第一テレビから取材したいと初めて電話があったことだ。それから、一年間、静岡第一テレビの取材が始まり、ドキュメント番組まで出来上がった、そのきっかけの日が、この岡山禁酒会館のライブからだった。 会場を片付けた後、会場のすぐそばの居酒屋で打ち上げ。今夜は満月らしく、すぐ近くにある岡山城では、観月会が催されているとか。人が沢山出ていた。居酒屋で打ち上げを始めた頃、清水君の携帯に電話が入った。仲間達が観月会からの帰り打ち上げに参加するというのだ。清水君はまだ若い。若者達と飲むのも楽しみだとワクワクしていたら、しばらくしてやってきた。自己紹介が始まったら、なんと、ここ岡山での友達ではなく、フランスでのつながりの友達だと言う。女性が3人男性が一人。ミュージシャン仲間だった。愉快な若者達で、打ち上げは、思わぬゲストで大いに盛り上がった。楽しい時の時間はあっという間に過ぎてゆく。12時が迫ってきた。明日のライブは決まっていない。 そこで、みんなにお願いした。全員残ってくれて、日付変更線ライブを始める事にした。 |
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| 7日 | 12時を過ぎて、居酒屋の人に、歌わせていただくことの了解を得て、若いミュージシャン達の中で日付変更線ライブを始めた。彼らのいてくれたおかげで、日付変更線ライブとはいえ、熱っぽいライブになった。涙を流して聞いてくれた人もいて、大満足の深夜のライブだった。1時過ぎ、ホテルに戻って眠った。 長距離運転の疲れは、眠る事でしか取れない。ホテルに泊めてもらってよかった。尾崎さんに感謝だ。 朝ゆっくり11時まで眠った。そして、ホテルを12時前に出て、あさっての茨城県栄町に向けてひたすらの長距離運転が始まる。お金を節約する為に、国道、バイパスを使って兵庫県の明石の辺りまで。そこから中国自動車道に乗って関東を目指した。高速道路に乗ったのは、すでに辺りが暗くなり始める頃だった。 休み休み走って、早朝、海老名のサービスエリアについた頃に、車の中で眠る事にした。 |
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| 8日 | 目覚めて、すぐには走り出せない。ほんの二時間ほど眠って、起きてぼーっとしていると、すでに9時を過ぎていた。10時前に出発。東名から首都高速道路を抜けて、常磐道へ、そして柏のインターを下りて、栄町へ。道がよくわからない。感覚だけで走っていたら、同じところをぐるぐる回っていた。そして、祭りで道が封鎖されていたりして、迷いながらも、何とかリハーサル前に、ドラムの里に到着できた。 今日は、ここドラムの里のお祭りのイベント。アマチュアの人達の演奏の中でのゲスト出演だ。新橋「集」の浜田さんの紹介でやってきた。浜田さんも本番前にやって来てくれた。そして、夢工房の浜田さんも友達を連れて、それだけではなく遠藤君もやって来てくれていた。まったくの知らない土地、助っ人達の存在が僕を楽にしてくれていた。 運転疲れと、寝不足で、さすがに声が出なかった。アマチュア音楽家達の間に挟まって僕の演奏時間がやってきた。緑の中での演奏は気持ちよかったが、声の不調で試行錯誤のライブだった。意識もどこか朦朧としていて何がなんだかわからないまま30分ほどの演奏時間が過ぎていった。 疲れと眠気がピークに達していたので、僕は、演奏が終ってすぐに、東京の自宅に帰らせてもらった。3時間以上かかってやっと自宅に戻った。疲れすぎた時は何時もそうだが、なかなか眠れないのだ。興奮状態が深夜まで続き、志乃と語り合っていた。 |
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| 9日 | 関東ライブの第二段は茨城県龍ヶ崎市。「チャレンジ工房どらすて」だ。昨日ファックスでどらすての岡村さんに、地図を送ってもらったので安心して出発したが、道が混んでいた。家を1時過ぎに出たのだが、たどり着いたのは6時に近かった。 商店街の活性化の為に、空き店舗を使って始めたと言う「チャレンジ工房どらすて」レンタルボックスや、レンタルキッチン(毎日、違う人がやってきて料理を作って店を開店すると言う)、そして、展示場、広い店舗の奥は、貸しホールになっていて、今日のライブはそこで行われる。 浜田さんが今日も仲間と一緒に来てくれていた。岡村さんの声賭けで集まってくれたのは20名ほど。年齢層は比較的高かった。木作りのホールだったが、ちょっと低音域がハウリング気味。それでも、雰囲気はいい感じの会場で、1時間半を楽しむことが出来た。CDも沢山買ってもらえて大満足のライブだった。その後皆さんと話していると、明日のライブが決まっていないことを気にしてくれた浜田さんが、工房で日付変更線ライブを使用と言ってくれた。お言葉に甘えて、そうさせてもらう事にした。 |
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| 10日 | 千葉県白井市の浜田さんの工房に先導されて出かけたのは、10時過ぎだった。工房について、近くにある沖縄料理の飲み屋さんに歩いて出掛け、12時過ぎまで二人で話しながら飲んだ。珍しい沖縄の食べ物を頂きながら、初めて二人っきりでゆっくり話した。仕事をやめて、新しい事業に着手するというはまださんの顔はなんだか輝いて見えた。 午前零時を過ぎて、工房に戻り。飲みながら語りながら、浜田さんのリクエストに答えながら3時ごろまで飲みながら時折歌って、日付変更線ライブは終わり、ぐでんぐでんになっていたので、そのまま泊めてもらった。 昼前に起き出して、16号線に出て、東京の自宅に戻った。今夜はゆいがお願い事があってやってくるという。 家に戻ってからはのんびり身体休めの一日だった。 |
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| 11日 | 起き出しても身体が痛かった。激しい労働をした覚えは無いのだが筋肉痛のような痛みだ。 昼に志乃と買い物に出かけた。志乃がおでんを作ると言う。滅多に台所仕事をしないから、作り方がわからないらしい。でも、何とかなるだろう。おでんを作り終えて、友達に会いに出かけてしまった。ゆいが夕食をみんなで食べる為に戻ってきたが、残念ながら3人で食べる事になってしまった。初めて作った志乃のおでんは美味しかった。 食事が終った後志乃は帰ってきた。ゆいは、彼のアパートに帰るらしく、家族ライブをその前に終らせた。今日は、昔作ったラブソングを唄った。志乃もゆいも初めての曲ばかり。いい曲作ってるだろうと言うと、親子でほめあったって仕方ないという言葉を残してゆいは出て行った。 |
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| 12日 | 午前零時過ぎ、長女の志乃を迎えにウッシーがやってきた。もう一日東京でゆっくりしたかったので、ウッシーを相手に日付変更線ライブをやることにした。 やってきたウッシーも快く引き受けてくれた。深夜なので大声で歌えないから、ブルース系統の歌を3曲ほど歌って日付変更線ライブを終えた。おかげで今日も一日家にいられる。身体の痛みは随分と軽くなっていたので、今日一日ゆっくりすれば、体調も良くなるだろう。 昼過ぎに起きだした。今日は典子さんが休みなので、午前中に猫のセイを病院に連れて行くことにしていたのだが、午後4時前に出かける事になった。 ゆっくり出来たので、今日はもう身体の痛みは消えていた。背中から脇腹の辺りの痛みが続いたのだが、原因は良くわからない、家に戻ってほっとして、身体が休めサインを出していたのだろう。 セイを病院に連れて行った。足が折れているかもしれないと思っていたが、前足の肉球の裂き傷だけだとわかってほっとした。その後買い物などをして、夜は、帰ってきたゆいと3人で食事。なかなか4人そろっての食事は出来ないものだ。 |
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| 13日 | 昨日の電話で自己破産宣言をしたということを聞いた坂下さんの電気屋さんに向かって車を走らせた。8時過ぎに到着。 自己破産した事で、借金の返却などの苦しみから解放されて、今はすっきりしたと言う坂下さん。夜勤の仕事を探していると言う。0からの出発。それを祝って、普段滅多に唄わない、自己破産をテーマにした歌「脱出」を、力いっぱい歌ってお祝いライブを終了した。 自己破産お祝いライブなんて失礼なネーミングだが、昨年から、悩み続けて買うらい顔をしていた坂下さんが、晴れ晴れとした表情になっていた。これからが大変だとは思ったが、お祝いライブとさせてもらった。 輩でライブをと思って帰ってきたのだが、自己破産を祝うのは、坂下さんと二人だけのほうがいいと思って、店で唄った。その後、輩に寄った。てっちゃんのお店もお客さんが激減して大変らしい。坂下さんから、昼間働いているらしいと聞いていた。 その通りだった。月曜から金曜まで9時から3時の間、豊岡にあるYAMAHAで仕事をしていると言う。だから、当分は10時で店じまいするらしい。 みんな厳しい状態になってしまった。市町村合併って、いったい何なんだろう。弱いものいじめか。 |
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| 14日 | 今は袋井市、元の浅羽町にある、どんどこあさば「あぐりレストラン陽だまり」に出かけた。店長の一木さんが随分前から連絡をくれていて、今日実現した。前回は「どんどこあさば」の市場の方でライブをしたのだが、今回はレストラン。チラシも作って張っていてくれた。 機材をセットしていると、磐田の古山さん家族がやってきた。古山さん夫婦の結婚25周年の日だとか。結婚記念日を家族で過ごせるなんて今の僕にとってはうらやましい限りだ。 ライブは、7時から30分、8時から30分と変則だ。 一木さんがお客さんにライブ中は、話し声も控えめにと注意をしてくれてライブが始まったが。食事を終えたらみんな帰ってゆく。僕の歌に魅力が無いせいなのだろうか。話し声もそれほど静かにはならない。 一回目のライブを終えたら、ほとんどお客さんはいなくなってしまった。グッデイカフェ・ライブに必ず来てくれている石田さんもやってきてくれていて。8時過ぎからのライブは、古山家族と石田さんと少し残ったお客さんたちだけ。聞いてくれる人達ばかりになったから、逆にやりやすかった。 古山夫婦の結婚25周年を祝う為に「愛」を唄った。ピッタリの唄だった。 今日は、機材をそのままにして、勝坂に戻った。 |
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| 15日 | 昨日に引き続き、どんどこあさばの「あぐりレストラン陽だまり」での投げ銭ライブだ。日曜だと言うのに今夜はお客さんは少なかった。おまけに、目の前に座ったおば様達10人ほどが、ライブ中、大きな声で話し笑っていた。あきらめの境地で、その人達には注意もしなかった。 とにもかくにも、他の人達に集中して1時間弱のライブを終えた。昨日に引き続き、石田さんが聞きに来てくれていた。それが救いだった。一木さんと、次回からは、チケットを出して、ディナーコンサートのような形をとるようにしようと話して勝坂に戻った。 |
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| 16日 | 昼に、かぐら茶屋まであるいて食事に出かけた。今年から、新しい人が入って、うどんとカレーを始めた。ちょうど得さんと出合ったので、今夜、もらい風呂をお願いした。 かぐら茶屋でざるうどんを食べて戻った。 夜、もらい風呂ライブ。こんやは、得さんが今まで飼ってきたものについての話をたっぷり聞かせてもらった。いつものように勝坂賛歌を唄い終わって帰ろうとした時、電話がかかってきた。 大変な事になってしまった。日記は書き終えたのですが、その事は、総てが決着した時に、ここに掲載したいと思います。 |
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| 17日 | 今日も、ライブスケジュールは無い。とにかく毎日唄い続ける為に、今日は昼間に得さんの作業小屋にギターを持って出かけた。秋晴れのいい天気だ、温かい日差しの中で、得さんを前に数曲唄った。たまには、こんなにのんびりしたライブもいいものだ。 電話での大変な状況は、今日も続いている。その事は、後日に。 霧島市のコンサートの実行委員の森実紀ちゃんから、メールが届いた。今日の10時17分から17時間は、地球を取り巻く惑星や引き合う力が最高の状態になるので、人間に与えるエネルギー値が普段の何倍にもなると言う事を伝えるメールだった。 |
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| 18日 | 地獄から天国へ。今日はそんな一日だった。大問題は、夜遅くに良い方向で解決した。 みなさん、心配かけました。とんでもない事になりそうでったのですが、その事を、この日記上に書くと、又誤解が生じるかもしれないので、この事の真相はライブ開場に来て聞いてください。 眠れない夜を過ごして、10時半に一度目を覚ましたが、まだ眠い。11時に目覚ましをセットして、又30分眠った。起きだしたが身体は重い、今日は東京・新橋・の集でのライブ。東名高速が集中工事で渋滞しているのはわかっていたので、すぐにも出発…。だが、身体が動かない。30分ほどボーっと過ごした。やっと11時半過ぎに動き出せた。渋滞をかいくぐり、東京の我が家の駐車場には何とか5時過ぎに到着。区我が家には立ち寄れず、そのまま車からギターを出して、駅に向かって歩き出した。 睡眠時間が短かったのに、まったく眠くならなかった。が、大問題をどうすればいいのか頭の中で、そのことばかり考え続け、ほとんど無意識状態で東京まで走っていた。最悪の覚悟を決め、途中のパーキングから相手先に連絡した。もうこの先、僕には何も出来ない。相手からの連絡を待つだけだ。それでも、心は揺れ動いたままだった。 新橋の「集」に7時ちょうどに着いた。気がついたら朝から何も食べていなかった。途中コンビニで簡単な弁当を買って食べようとしたが、まだ気持ちが深く沈んだままでほとんど喉を通らない状態だった。そんな時に、意外な人が会場にやってきた。伊豆の河津の鈴木君だった。東京で研修があったらしく、その帰りに寄ってくれたということだ。誰もお客さんがやってこないと心配していたのでが、鈴木君のおかげで、少し気分も楽になった。 浜田さんは、名古屋から帰ってくるということで、やってきたのは7時半だった。お客さんたちも随時集まると言う事で、その時間からライブ開始。3日前からの地獄のような日々をお客さんたちに語りながら、それでも思いっきり楽しむライブが出来るようになったのはここまでライブを続けてきた成果なのかもしれない。 ライブ終了後、集まったお客さんたちと一杯やりながら語り合った。それぞれにしっかりした考えを持った人達で、素敵な話で時間が過ぎていった。そんな時、電話が鳴った。 地獄から天国。電話を切った後、小躍りしてしまった。それほど嬉しかったのだ。総ての人の信頼を裏切る事でしか、対処できないと覚悟していた問題だったから、自分自身の中では、もう唄う事も出来なくなってしまうかもしれないとも思っていたから。 その後、日付が変わって、唄いだすまで。僕の顔は緩みっぱなしだった。 |
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| 19日 | 浜田さんと行木(なみき)君が残ってくれて、日付変更線ライブまで、語り合ったが、ハイになった高橋忠史はひたすら饒舌だった。気がついたらもう1時を過ぎていた。そこから日付変更線ライブは始まったが、おおいにリラックスしたライブは語り合いながら、たまに唄うと言う感じで1時間と少し、ブルースナンバーを多く唄った。 ライブ終了後、行木君に、地獄に落ちていた時に唄った歌を、天国に舞い上がった今聞きたかったと言われた。同じ曲が、心の持ちようでどう変わるかを知りたかったらしい。僕も、それは面白いと思ったのだが、すでに時間は2時を過ぎていて、唄える状態ではなかったので、断念した。 3時半を過ぎて、3人で、そのまま、「集」のサロンの床に寝転がって仮眠した。始発で帰るつもりだったが、起き出せたのは7時過ぎ。少々寒かったので、なんとなく身体がだるかったが、そのまま、通勤客と逆方向に新橋駅へ、そして我が家に戻った。 今日一日は、ぐったりの休養日。ここ数日のストレスで、眠りたくても眠れない状態のまま、深夜一時、毎日欠かさず呑み続けている酒も飲めないまま、布団に入った。 |
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| 20日 | 今日は典子さんも休み。ゆいだけが仕事なので、志乃と3人で食事に出かけようと約束していた。酒を飲まなかったおかげか、10時に目を覚ました。典子さんは、居間で居眠りしていた。志乃が起きてきたのは12時を過ぎていた。 1時過ぎ、車の中を片付けて3人で国立にあるイタリアンレストランへ出かけた。明るい店内の落ち着いたお店だった。久しぶりに、家族全員ではないが、家族で食事。家で食べるのとは雰囲気が変わって、会話が弾む。話の中心は、いつもの事だが志乃だ。次から次にと会話が途切れる事が無い。味にはうるさい我が家の事。店の評価は、そこそこ良いと言う事で、お茶を飲みに、次に向かった。 その途中で、小平市役所に立ち寄って、印鑑証明の訂正を申請した。今まで持っていた印鑑証明登録証から、磁気カードの小平市民カードに変わった。このカードがあれば、市役所内の、自動証明書発行機で、住民票も印鑑登録証明書も簡単に発行してもらえると言う。さっそく、そのカードで、印鑑登録証明書を取り出した。手数料も窓口での料金より50円安い。世の中、どんどん便利になってゆくのだが、窓口での会話がそれだけ減ると言う事だ。カードが発達すればするほど、人との会話が少なくなってゆく、果たしてこれはいいことなのだろうか?。 車の中で、相談した結果、ケーキの美味しい、武蔵小金井の店に出かける事になった。小金井街道沿いにあるケーキ屋さんの片隅にある喫茶コーナーで美味しいケーキを食べながら、ここでも会話は弾みに弾んだ。 お茶をした後家の近所のスーパーで、たこ焼きの食材を買い込んで、最後に、超安売り雑貨スーパーで買い物を済ませ家に戻った時にはもうあたりは暗くなっていた。 夜8時ごろから、たこ焼きパーティー。久々にたべる我が家のたこ焼きは、大満足の味だった。箸休めは、ブロッコリーとアンチョビのサラダ、これも美味かった。食事が終って、志乃が出かけると言うことになっていたので、食卓が片付いてから、我が家ライブ。静かな歌より明るいのがすきと言う志乃のリクエストに、古い歌だが「シーサイド・サンセット・ホテル」などポップな歌を4曲ほど歌ってライブを終了。12時過ぎに、又3人で車に乗り込んで、志乃の彼氏のウッシィーの家まで送って、家に戻った。 今日は、一日中ご近所ドライブ。楽しい一日だった。心身共にリラックスして、疲れは完全に取れたような気がした。 |
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| 21日 | 今日のライブは決まっていない。決まっていないまま、昼過ぎに我が家を出発した。春野町に戻れば何とかなるだろうと言う、いつものアバウトさで走り出したのだが、よーく考えたら今日は気田のお祭りの日だった。これはいかん。あわてて、通り道にある相模原の高坂君に電話した。幸いに、夕方6時過ぎなら、居ると言う。無理やりお願いしたら、引き受けてくれる事になった。 時間が早かったので、高坂君の家の近くで時間をつぶし、6時に家に到着。清美さんと二人で聞いてもらって、今日のライブのタイトルは「高坂宅立ち寄りライブ」。少しだけ語り合って、次のライブ企画をお願いして、勝坂に向かった。 収入が少ない日々が続いているので、今日は高速を使わないでと思っていたのだが、何となく身体が重い。昨日、疲れは完全に取れたと思っていたのだが、それは、家族と過ごした素敵な時間の中での錯覚だったようだ。 厚木のインターチェンジから高速に乗り込んだのだが、時間と共に、身体が重くなってゆく。たまらなくて、愛鷹のパーキングエリアに入って、ストレッチ。それでも身体が強烈に重くだるい。シートに座ってもエンジンを掛ける気力がわかない。これは変だと、体温計で熱を測ってみたら、37度3分あった。940日、いや、1390日、一日も休まず唄い続けた疲れは、そう簡単に癒せるものではないのだ。 1時間ほど仮眠して、走り出した。次のサービスエリアに入って、栄養ドリンクを買って飲んだ。そしてすぐに走り出し、深夜1時過ぎに勝坂に到着した。 明日は、浜北で、昼からのライブ。午前中に出かけることは不可能なので、名倉さんに電話して、僕の出番を聞いた。2時過ぎからと言う事だったので、リハーサルはいらないので1時までに着くと連絡しておいた。 |
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| 22日 | 朝、11時に起床。少し楽になっているような気がする。昨夜、コンビニで買っておいた栄養ドリンクを飲んで、11時半勝坂をスタート。 今日のライブは。遠州鉄道の浜北駅すぐにある、「なゆた浜北」の3階、多目的ホールでのコンサート。永井さんが主催する「FOLK&ROCKコンサート」のゲストとしての出演だ。 何となく身体はだるかったが、久しぶりのホールでのコンサートに気持ちはハイになり、疲れを忘れワクワクしていった。2時過ぎに僕の出番。お客さんは多くは無かったが、ステージでの演奏は気持ちがいい。40分ほどの短い時間だったが、会場から跳ね返ってくるリバーブ感が気持ちよく、のりのいい曲ばかりで締めくくった。やっぱりホールのコンサートは最高だ。 出番前に、時折1000日連続ライブを助けてくれている渡邊さんがやって来てくれた。おなじこの「なゆた」で11月に公演する芝居の練習のためにやってきているのだが、練習時間と僕のライブが重なっていて、聞きにこれないと、わざわざ陣中見舞いにやって来てくれたのだ。僕が、疲れているだろうからと、栄養ドリンクを一箱差し入れしてくれて。あー、ありがたい。こうやって、沢山の人達の助けで僕の1000日連続ライブ、そして1450日連続唄い続けることの夢が、実現されてゆくのだ。 ライブ終了後、皆さん、後片付けをしている中、申し訳なかったが、やっぱり身体がだるいので、一足先に帰らせてもらった。 残り、後59日。疲れはきっと消えないだろう。だるいからだと付き合いながら、皆さんの応援と、最後までやりきると言う思いを強く持ってうたい続けます。 |
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| 23日 | 昼近くまで、ぐっすり眠った。でも、何処と無く身体は重い。今日のライブは、大石さんの家で祭りの打ち合わせをしながらやることになっているので安心してのんびりと過ごしていた。 でも、明日もこの先も、スケジュールはガランガランに空いている。何とかしなきゃと思いつつ、アバウト男の高橋忠史は、そう言えばと、磐田の高橋一良さんから曲作りを頼まれていたことを思い出した。 メールが送られてきたのは、随分前の事だった。早速、コンピューターを開いて、そのメールに添付されていた一良さんの詩を開いた。 ん〜ん。なかなか難しい。今まで経験した事の無い文体だった。それでも何とか歌にしたいと、ギターを取り出して悪戦苦闘。 出来る限り、原作のままで曲作りをしようと頑張るが、時間が勝手に過ぎてゆくだけ。3時間ほど詩と向かい合って、何度も何度も読み返し、自分なりのイメージを膨らませていった。そして、ふっと思いついた。曲調は「勝坂賛歌」の雰囲気で行こうと。それが決まると早かった。詩の意味合いを崩さないように、少し削って、少し加えて。 それから1時間もしない間に曲が出来上がった。なかなかドラマティックな曲に仕上がった。 そんな頃、大石さんがやってきた。今夜は、祭りの準備があるので打ち合わせは出来ないと言いに来てくれたのだ。それなら、僕も祭りの準備を手伝いに行きますという事で、一件落着。 その後、早速、一良さんに電話して、曲が出来上がった事を伝え、一度本番までに、会って相談をすることにした。相談の日は後日伝えてくれると言う事だったが、スケジュールの埋まらない僕は、その日を相談ライブにしてもらえるようにお願いをした。これで、一日のスケジュールが埋まる。残り59日、スケジュールを埋めるのが大変だ。 では、まだ、完成とは言えないが、ほぼ出来上がった歌の詩を見てください。この詩がどんな歌になったかは、ライブ会場で聞いてください。 「遠江国分寺の歌」 七重の甍(ななえのいらか) 詩 高橋一良 遠い昔よりそよぎ来る風 今かたわらに人々は生きている 古代人(こだいびと)の祈り 悲しみを包みこみ 大の浦 この海へ 流せよ 未来永劫に惜しみない愛 今この星で戦人(いくさびと)達 血を流す 遠江(とおとうみ)の願い 慈(いくつ)しみ拡がり 国分寺 この大地に根付けよ 幻の七重の甍 磐田の夢 高く高く聳え立つ 悠か(はるか)彼方から降りそそぐ雨 今そこかしこ草花は咲いている 櫻井王(さくらいおう)の思い 気高き人の答え 万葉の歌 その歌を 永遠(とわ)に伝えよ まほろばに七重の甍 いつの日にか 高く高く 蘇る まほろばに七重の甍 磐田の夢 高く高く 高く高く 聳え立つ 8時まで、繰り返し繰り返しこの歌を唄って、身体に染み付けた。 そして、小学校に向かった。勝坂の住人達が、花笠の笠張りをしていた。僕も早速お手伝い。ほんの一時間ほどで今日の作業は終った。そして、「勝坂賛歌」をうなって、皆さんと一緒に小学校を後にした。 |
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| 24日 | 昨日と言うよりも、今朝まで起きていた。今夜は、まだ連絡していないが「輩」に出かけようと思ってる。新曲のアドバイスをもらう為に。だから徹底的に眠くなるまで起きていて、新曲になじむ為に、繰り返し繰り返し唄った。 起きだしたのは、12時半、朝まで起きていたので、たっぷり眠ったとはいえない。起きてから、また詩を何度も読み直し、若干言葉を付け加えた。曲としてはいい感じのものが出来たような気がするが、唄っていて、この歌の意味合いを上手く伝えられない感じが消えない。 この思いを一人で解決しようとしても、新しい発想は生まれない。 頭をしらふにして、溜まっている日記を書き始めた。夕方までかかって、今日までの10月分を書き終えた。そして「輩」に電話した。週末の祭り、そして昼間YAMAHAに勤めに行っているてっちゃん、ひょっとして休んでいるかもと不安な気持ちで電話したが、すぐにてっちゃんの声が聞こえた。 今すぐ行くからと受話器を置いて、「輩」に。6時に着いた。誰もお客はいないだろうと思って出かけたのだが、常連さんが一人居た。それにもかまわず、アドバイスが欲しい僕は、ギターを取り出して唄った。 てっちゃんの反応は、…。「一回聞いただけじゃ良くわからない。」だった。予感は的中した。もう一度唄った。やっぱりわからないと言う。詩を見てもらった。難しいと言う答えだった。きてよかった。もう一度、一良さんと詩を練り直さなくては、一般の人には伝わらない。今日のライブ「アドバイスライブ」を終え、7時過ぎに店を出て、勝坂に戻った。 ここ二日、降り続いていた雨は、上がっていた。心の霧が晴れたように。 |
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| 25日 | 起き出してから、一良さんの詩を眺めて、何かしっくり来ない部分を訂正する為に考え続けた。もっと、柔らかい表現に変えてもらおうとも思ったのだが。一良さんから電話があって、11月1日に、遠江国分寺祭りの練習会場で発表するという内容だった。変更は時間的にも無理だと考えた。今のままで、少しでも詩の意味が理解しやすくする為に、今日も一日、少し足して、少し足しての作業を繰り返し、浜松でのホームグラウンド「なんでモール」に出かけた。 お客さんは、5人。ここで「七重の甍」を唄ってみたが、お客さんからの反応は無かった。でも、もうこのままで行くしかないだろう。前奏と間奏とエンディングが決まったら、もう少しいい反応をもらえるようになると確信している。 ホームグラウンドでのライブはいつものようにリラックスしながらだったが、1時間ほどたった頃、近所のおばさんが唄っている途中に怒鳴り込んできた。驚いてしまったが、マスターの花村さんいわく、何度もやってきているらしく、一度その家にも行って聞いてみたらしいのだがほとんど聞こえない状態だったらしい。警察にも何度も通報しているおばさんらしく、警察が来たが、彼らも別に問題はないと帰って言ったそうだ。ちょっとしたおばさん騒動でライブは、一息ついた感じだったが、それもライブのいい刺激になって、いい感じで終ることが出来た。 次回は、11月29日に決定。1000日連続ライブの「なんでモール」最終ライブになる。2時間ぐらいたっぷり唄ってみるか。 |
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| 26日 | 昼過ぎに勝坂を出て大阪へ。今日のライブに予定は無かったので、実家に帰って妹とおふくろに唄って終らせる事にした。暗くはなったが、9時前に到着。 どうにも身体がだるい。途中でお酒を買えなかったのだが、妹が料理用に使ったと言う180mlのパック酒の残りを少し飲んでそのまま眠ってしまった。 |
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| 27日 | せっかく大阪に帰ってきたのだ、買い物はないかとたずねたら。台所に置くキャスター付きの台が欲しいと言う。 昼前に隣町の家具店も併設している大形スーパーに出かけた。足が弱ったお袋のペースに合わせてゆっくりと物色。ちょうどいい組み立て家具が見つかったのでそれを買って、同じ店内にユニクロがあったので、これから向かう寒い季節にあわせる服を物色して4点ほど買った。 食事は、家の近くにある最近出来たうどん屋さんで腹いっぱい食べて家に戻った、 家についてすぐに、組み立て家具を組み立て、少し休んで、大阪市内に電車で出かけた。 ライブスポットfgに7時に到着。胃がギリギリと痛む。例の大問題があってからというもの、胃の痛みが消えないのだ。あまりに大きなストレスだったので、胃に負担が来たままなかなか戻らないのだろう。胃薬は飲んだ、そして胃にいいだろうと、途中のコンビニでアロエヨーグルトを買って店で食べた。なんとなく胃の具合が良くなった。 リハーサルを始めると、お客さんがやってきた、そして先日、取材依頼してきた朝日新聞の矢代さんがやってきた。今日のライブは、この取材のために、ライブスポットfgの美馬君に無理やりお願いして実現させたものだ。リハーサルを終え本番までに少し時間があったので、ライブ終了後取材と言う予定だったが、挨拶からそのまま取材に入った。 ふだん新聞の取材は、始まる前に少し話してライブ写真を撮って帰ってゆく、あるいは、ライブ中にやって来て、ライブ終了後少し話して帰ってゆくと言うものだったが、今日の取材は力が入っていた。カメラマンまでやってきた。 取材中に時間が来て、8時過ぎにライブを開始。カウンターがお客さんで埋まった、常連さん達が美馬君の連絡で急遽集まってくれたのだ。10時まで唄ってライブ終了。美馬君の出してくれたお酒を飲みながら、本格的に取材は続いた。最終電車がなくなってしまうかもしれない、その時は朝まで飲んで始発で帰ろうなんて言っていたら、矢代さんが、取材のために遅くなってしまった時は、タクシーチケットを出しますから安心してくださいと言う。さすが朝日新聞大阪本社の記者だ。これで安心して飲める。 取材は延々と続いた。12時前に美馬君が歌いだした。その間取材は中止。ここで美馬君にお願いした。明日のスケジュールも決まっていない。勝坂に帰れば何とかなるが、日付変更線ライブをやらせてもらうことにした。 |
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| 28日 | 美馬君のライブが終っても取材は続く。12時を過ぎ、日付変更線ライブを30分ほどやって、又取材。結局、取材は午前3時まで続いた。 美馬君にもう一度ぐらいお願いするかもしれないとお礼を言って店を出た。矢代さんは僕と一緒に店を出て、タクシーを捕まえて、チケットを渡した。大阪市内から貝塚市までタクシー代はいくらかかるのか、興味しんしん。湾岸高速を使って帰ったものだから、一時間も掛からず家に到着。メーターの料金は14000円を示していた。 眠っていた妹が起き出してくれてやっと我が実家に到着。お茶を飲んですぐに眠った。 昼過ぎまで眠って、すぐに勝坂に向かった。明日は勝坂のかぐらの祭り。みんなが準備を終え、前夜祭で学校に集まっている。 8時にやっと到着。カラオケの音が鳴り響いていた。この祭りでしかあえない元勝坂の住人がやってきていた。飲み会に賛歌して、ここで、「勝坂賛歌」を唄う。やんやの喝采だった。明日があるので、10時前に終了。 家に戻って、少しして眠った。 |
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| 29日 | 勝坂かぐらの本番だ。10時半にギターを持って歩いて学校に向かった。すでにみんな集まっていた。早速、化粧をしてもらい、着物に着替えて、祭りの始まりのライブに備えた。 ライブ終了後、すぐに道中舞が始まるので、僕は女装のままで唄う羽目になってしまった。ここ勝坂の祭りならではのライブだ。女装をした高橋忠史が見れるのは、この祭りの時だけだ。 祭りに集まったお客さん達の前で、11時半過ぎに唄った。10分ほどと言われていたので、「勝坂賛歌」を2度唄ってライブ終了。少し終了してお祭りの始まりだ。祭りの様子は写真で感じてください。 |
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| 30日 | 打ち上げで眠ってしまったのがいけなかったのか、明け方4時頃におきてしまった。その後目がさえて眠れない。祭りの後片付けは9時集合。そのままおきていようかとも思ったが、7時ごろ眠気が襲ってきた。 目覚ましを8時半に合わせて眠った。…ぐっすり…。 ハッと気がついて目を覚ました。9時半だった。もう後片付けが始まっている。大慌てで、学校に向かった。片付けは始まったばかりのようだ、ホッ…。花笠の花を取り外したり。つり橋や道中に張られた提灯を取り外し、着物を干しと作業は続く。そして昼、勝坂自治会のおばさん達が作ってくれたご飯を頂きながら成功に終った祭りを語り合う。そして僕はここでランチタイムライブ。「すみれ」「勝坂賛歌」を唄う。 昨日の酒がまだ残っているのだが、ここでも酒が振舞われる。この3日間は身体が酒漬けでボロボロになりそうだ。 食事会が終って、最後の片付け。清水神社と八幡神社に掲げられたのぼりの旗を降ろす。両神社ののぼりを降ろして片付け、学校に帰って、干してあった着物類をたたみ、やっと片づけが終ったのは3時だった。 あー…疲れた。 |
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| 31日 | 10時ごろに電話で起きてしまった。3日間酒漬けになった身体は鈍く重い。今日のライブが終れば後残すところ50日になる。その、今日のスケジュールは決めていない。得さんところに行こうか、輩に行こうか。とボーっと過ごしていた。 「七重の甍」のイントロ間奏エンディングを考え続け、なかなかいい感じになってきた。誰かに聞いてもらいたい。3時。坂下さんに電話して出かけた。 「七重の甍」、ん、いい感じだといってくれた。これで一安心。坂下さんからおひねりを頂いて、山に戻り、昼寝というか夕寝。起き出してからは、深夜までCDの焼付作業をして終った。 あと、50日頑張らないで、頑張るぞー。 |
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