春野町勝坂・音楽の森だより

2006年  1月

 

気まぐれ日記・LC通信
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  2006年
 1月  1日  あけましておめでとうございます。

 という言葉と同時に花火が打ちあがった。冬の夜空に咲く花火に、昨年より多い観客達が歓声を上げていた。

 観客達が神社に移動し、人が少なくなった頃一人旅館に歩いて帰った。今年から、打ち上げはしない事になったらしい。スタッフみんな年をとったんだな〜。

 宿について、しばらくして眠った。

 朝は9時におきだした。10時半までに黒松内の中の川集会所に到着予定。高柳君は眠っているらしいので、挨拶はせずに女将に見送られて9時半に旅館を出発した。今日もいい天気だ。

 中の川集会所に10時半に到着すると、一人準備している人が居た。富田さんは遅れてやってきた。中の川地区の新年会は11時から。その時間になると、黒松内町長や長老達が15人ほど集まった。挨拶があって、宴が続く。12時過ぎに富田さんからライブ開始のサインが出た。
 昨年もこの場所が年の初めのライブだった。軽く挨拶をして唄いだしたのだが、相当お酒が回りだした状態、長老達は、唄いだしたとたん、それまで以上に話し始めた。全員が語っている。僕の進行が悪かったのだろうが、いっこうに聞いてくれる気配はない。その事を指摘しても話は収まらないどころか、さらにトーンが高くなっていった。
 唄っていて情けなかった。途中で何度かやめようと思った。堪えて堪えて30分。誰も聞いていない状態で歌い続けた。最後に、富田さんのリクエストでビートルズナンバーをうたった。その時富田さんがおひねり箱を用意して回し始めた。

 歌の途中で語りたくなかったが、歌を中断して「聞いていない人は絶対にお金を入れないで下さい、僕は乞食ではないので、聞きもしない人達からお金を恵んでもらいたくありません。」と釘を刺して、それから唄い始めた。お金を持ってきていない人達も居て、ほとんど箱には入らなかったが、それでも4150円のおひねりがあった。その場で返そうとも思ったが、それでは富田さんに対して失礼だと思い思いとどまって、必死で笑顔を作って宴会の輪に入った。後は飲むしかない。ひたすら飲んだ。宴会はお開きになり、富田さんの家へ。

 今日のライブの事には触れず、富田さんの家に帰ってからも夕方まで飲み続けた。富田さんが牛の世話に出た頃、いったんソファーで夕寝をして、富田さんが帰ってきてからも又飲み始め11時近くまで飲み続けた。

 新年元旦は、身体が壊れるんじゃないかというぐらい飲んで飲んで飲み続けた。

 頼む、雨降って地固まってくれと祈りながら。
     
   2日  初風呂に入ろうと思っていた。10時過ぎに起きだした。今日もよく眠った。

 朝食に、お雑煮を頂いて、しばらくして、富田家を出発。用事で出ていた富田さんが帰ってくるのと同時だった。

 黒松内町の温泉施設は、正月も営業していた。雪の積もった広い駐車場には、半分ぐらいを埋めるぐらいの車が駐車されてた。正月は何もすることがないから、温泉は大繁盛だ。
 昨日のくやしいライブや昨年の疲れを総て落とすように、ゆっくりと何度も何度も湯に使って身体を癒した。すっかりリラックスして、長万部町へ。

 今夜は、5時から、村松さんのお店「髪切虫」でのライブだ。村松さんの親族が集まってのライブだと聞いていた。そこに写真屋さんの小泉さんもいて驚いていたら、親戚だという。知った人もいて、少しリラックスできた。

 5時過ぎから始まったライブは、村松さんの親族やその友人達で20人近く集まっていた。お店の中は一杯だ。当然の事だが今日はみんなが聞いてくれる。それだけで僕は天にも昇る気持ちだ。1時間半のライブを終え、気持ちよくなったところで、今夜は蘭越のなべちゃん(渡辺さん)の家に泊めてもらうことになっているので、車で向かった。

 黒松内を走っている頃から雪が深くなってくる。蘭越駅近くのなべちゃんの家には10時ごろ到着。なべちゃん達家族も、札幌から帰ってきたばかりということでラッキー。
 再会を祝って祝杯。いい気持ちで眠らせてもらった。
     
   3日  朝10時過ぎに起き出してみると、かなりの雪が積もっていた。僕の車は雪の小山のようになって、姿は見えなくなっていた。

 この蘭越あたりでも、12月中に一冬分の雪が降ったという。なべちゃんは年末まで札幌で仕事をしていたので、奥さんの美代ちゃんは、雪かきが毎日の仕事で、朝雪かきをして眠って、昼ご飯の後雪かきをして又昼寝をしてという日々が続いたという。

 北海道の雪景色は、旅人の僕にとって素敵なものだが、住んでいる人にとっては大変な季節なんだ。

 ということで、3時からのホームコンサートは、遠くの人は大雪の為に来られなく、近くの人は雪かきで疲れ果ててライブを聞く気分ではないと、ほんの数人しか来てくれなかった。それでも、なべちゃん達家族に新曲を聞いてもらうことが望みだった僕にとって問題はない。気持ちよく1時間半のライブを終えた。

 毎回の事だが、なべちゃんは、やってくるお客さんのために蕎麦をうっていた。ライブ終了後、少人数でうったばかりの蕎麦を頂いた。ん〜ん、美味い。昨年より数段腕が上がっていた。
 なべちゃん、プロの道は近いぞ…と思わせる腰があった。

 正月気分で酒を飲み続けさせてもらった今日だった。
     
   4日  今夜は、日付変更線を含む2度のライブを、ニセコ町のニセコ駅近くのラーメン屋さんの古壷(こちゅう)で開催する。

 昼近くまで眠っていて、夕方までごろごろさせてもらった。
 
 夕食を食べてから、なべちゃんの車に音響機材を乗せて、奥さんの美代ちゃんも一緒に3人で古壷に出掛けた。スキー場で有名なニセコ町、さすがに雪は深かった。店の入り口には落雪注意の立て札が。上を見上げると、屋根から高くせり出して今にも落ちそうな雪の断層が見えた。落ちてきたら、僕なんか完全に雪の中に埋まってしまうんだろうな。おーぉ、恐ろしい。大げさかもしれないけど、雪国の生活は、命がけだ。

 店に入ったら、まだお客さんが居た。そして店のオーナーのマックさんも。ラーメンを食べ終わって帰ろうとするお客さんに、奥さんが、ライブがあるからと誘ってくれたが、8時にマッサージを呼んでいると言って帰っていった。今夜も深い雪、お客さんは望めない、残念。と思って、音響機材を運び込み、セッティングをしていたら、一組のご夫婦がラーメンを食べに入ってきた。食べ終わったお客さんに、ここでも奥さんがライブのお誘いを、近くの温泉に入りに着てたまたま古壷に寄ったらしいお客さんは、札幌の方の人達だった。でも、興味を持ってくれたらしくライブに残ってくれた、そればかりか、何と12時過ぎまでの日付変更線ライブまでも残ってくれた。

 ごろうちゃんも来てくれて、お客さんの数は少なかったが、雪深いニセコの夜は熱く燃えた。1時間半のライブが終わって、日付変更線ライブに移るまで、気楽に行こうと、僕も酒を飲んでみんなと語った。

 日付変更線ライブは、ラーメンを食べに来たご夫婦も含めて、ほぼ同じメンバー。先ほどのライブとはまったく違う歌を選んでブルージーなライブが続いた。
     
   5日  午前零時を過ぎ、最後の歌を唄った。お客さんは少なかったが大満足な夜だ。

 真剣に聞いてくれる人なら、一人のお客さんでも僕は気持ちよく唄えるのだ。
 音楽事務所に居た頃、お客さんが少ないというだけで唄う気力を失って、マネージャーに文句を言っていた。あの頃の僕は、本当に唄う事が好きだったんだろうかと、自分自身を疑ってしまう。

 音響機材を片付けて、あと少しお酒を頂いて、なべちゃんの運転で蘭越に戻ったのは午前2時を回っていた。

 お昼頃起き出してみると、今日も雪がかなり降っていた。車の雪を降ろす作業は20分以上かかった。そして2時前、明日の岩手県一関市花泉町のライブのために車を出発させた。

 蘭越から黒松内にはいる頃から雪の降る量が増えた。大量の粉雪が空から落ちている。10メートル先も見えないほどだ。
 北海道では、雪のために道の両脇にポールが立っていてそのポールの上から道の端っこを示す矢印が下に向けて降りている。大雪のために、道の端っこに高く積み上げられた雪の壁はまったく確認できない。ひたすら、矢印を意識しながら壁にぶつからないように走るのだが、真っ白な世界の中で夢遊病者になってしまったような感覚が襲ってくる。
 真っ白な世界が恐ろしくて眠くはならないのだが、意識が錯乱してしまうような錯覚に襲われる。気がつくと、道のど真ん中を走っている事もたびたびで、前に突然現れる対向車のヘッドライトであわてて本来の走行車線に戻るという事を繰り返していた。。
 そして交差点を曲がろうとしたとき、ドンという軽い衝撃を感じた瞬間、フロントガラスが雪で覆われた。雪だまりにぶつかったようだ。次の瞬間、フロントガラスの雪は後ろに飛び去ったが、車のフロントで押し出した雪の上に乗り上げてしまった。
 一旦止まって、ギヤをローに入れて発進しようとするが、前輪駆動の車の前輪が空回りし始めて進まない。ギヤをセカンドに入れなおして再度発進しようとするが、雪にはまり込んでいくだけで進まない。交差点だから車がやってきたらヤバイ。あせったが、気を取り直して、こういうときはバックするしかないと、ギヤをバックに入れたら、少し後ろに動いた。が、すぐに空回りし始める、ハンドルを切ってタイヤの位置を変え、又バック、少し動く。そんな事を4度5度と繰り返していたら、グゥーンとバックしてくれた。抜けたー。すかさずギヤをセカンドに入れて前進、やったー、抜け出したー。幸いにも、その間車は一台もやってこなかった。

 そんな事は、もう一度あった。前からトラックが来たので、少しでも側道に寄ろうと思ってハンドルを左に切ったら、又、軽い衝撃の後、フロントガラスに雪が押し寄せてきた。雪だまりにぶつかってしまった。が、幸いにも、このときは、そのまま走り抜ける事が出来た。
 とにかく、真っ白で何も見えない。恐怖を感じながら黒松内を走り抜け、長万部町の町境まで来たとき、雪が舞い散る中に太陽の光を見た。やっと、視界が開けてきて、白い恐怖から抜け出す事が出来た僕は、精神的にへとへとに疲れていた。

 が、まだ走り出したばかり、花泉町まではまだまだこれからなのである。

 長万部町からはすいすい走れ、函館のフェリー埠頭には6時前に到着。ちょうど、6時10分発のフェリーがあって、ぎりぎり乗り込む事が出来た。そして青森には10時前に到着。
 青森も、雪が降っていたが、黒松内の恐怖はない。東北自動車道に乗って、盛岡の手前のパーキングエリアについた時には雪はやんでいた。
     
   6日  酒でも飲んで眠ろうかと思ったが、酒を飲む気力もないほど疲れきっていた。そのままシートを倒して眠ってしまった。

 10時ごろ目覚めた。腰から肩にかけて鈍痛が走っている。ストレッチをしてもなかなか痛みは治まりそうにない。パーキングの売店に出掛け朝食をとり、少し楽になった身体を引きずって、車を走らせた。雪は降っていない。時間もたっぷりあるので、盛岡の手前で高速道路を降りた。

 周りに雪は高く積もっているが、道路に雪はなかった。

 夕方、花泉町の元役場に到着。少しして、ライブ会場になるスナック・紫苑へ。スタッフと共に夕食をとって、紫苑の2階大広間でライブ。7時から始まったライブは、徐々に20人以上の人達が寒い中集まってくれた。年齢層が幅広かったので、「さとうきび畑」など、皆さんの知っている歌も織り交ぜてのライブは1時間半を超えた。
 そして僕は、明日、静岡県吉田町に到着できるように、その場を後にして、いよいよ冷え込んできた花泉町を出発した。

 高速道路に乗ろうとしたのだが、何処かで道を間違えてしまって、うろうろと南下、やっと高速道路に乗れたのは古川のインターからだった。高速道路に乗ったとたん疲れが襲ってきた。出来れば福島県まで走ろうと思っていたのだが仙台近くまで来て意識が朦朧としてきていた。無理することなく、そのあたりのパーキングエリヤに車を止めて、今夜も僕の車が宿になる。
     
   7日  朝8時ごろには目が覚めた。腹ごしらえをしている間に、駐車している車が多くなってきた。今日は晴天。疲れた身体に鞭打って、走り続ける一日だった。東北自動車道から、首都高速、そして東名高速道路に乗り換えて吉田町に到着したのは4時過ぎだった。

 芝さんと喫茶店で待ち合わせ、ホテルに向かった。

 今夜のライブは、ホテルの部屋。8時ごろに仲間を連れてやってくるといって、芝さんは一旦出て行った。
 その間に、風呂に入った。普段ホテルではシャワーだけで済ませてしまうのだが、すっかり疲れきっている身体をほぐす為に湯を張って、ゆっくりと身体を温めた。そして、少し仮眠。

 8時に、芝さんは2人の仲間を連れてやってきてくれた。ホテルの部屋なので、大声は出せない。声を抑えて静かな曲を選んでそれでも1時間弱のライブ。
 ライブの後食事に誘われたが、疲れていたので、眠らせてもらう事にした。
     
   8日  ニコニコ青年講座の仲間達の成人式はハートフルで催される。11時開始という事だったので、ホテルを10時にチェックアウト、すぐに会場に向かった。10時半前に着いたので、車中で朝食を食べていたら、芝さんがやってきた。控え室を用意してある事を僕に伝え、どこかに出掛けてしまった。

 会場に向かうときに音響機材を運んだ。一人で運ぶには3回掛かるところ、青年達のお母さんが手伝ってくれて2回ですんだ。音響機材をセットした頃には、成人式が始まった。

 成人式のお祝いを受けるのはたった一人。祝いに駆けつけたのはほとんどがニコニコ青年講座の仲間達とお母さん達、そしてボランティアの人達と高校生。少ない人数の成人式だが、日本中で行われるだろうどんな立派な成人式よりも、心暖かな式典だと僕は思う。

 30分ほどで式は終わり、参加者みんなそろって輪になって昼食の弁当を食べ、午後のアトラクションに備えた。

 1時から始まったアトラクションはコンサート。まずは、地元女子高校生二人のグループ、「ばななちっぷす」が、素敵な歌声でオープニングアクトを飾った。そして僕の出番。1時間半を唄って、皆さんの喝采を浴びた。
 青年達とのライブはもう何度も繰り返していたのだが、今回は、青年講座の太鼓のメンバーと「勝坂賛歌」を一緒に演奏できた事が嬉しかった。

 ライブ終了後後片付けを終えて、今年初めての勝坂に戻った。北海道の寒さとは違う、特別な寒さの中。コタツに潜り込んだまま眠ってしまった。
     
   9日  今日のライブは、高柳君の家でのホームコンサートだ。年末、長万部で出会った時に、お願いしていたホームコンサートが今日になった。

 浜松市内に出掛けてギターの弦やピックを買いに行こうと思いながら、うだうだしている間に夕方になってしまい、そのまま高柳君の家に出掛ける事になってしまった。

 6時ごろ家について、家族の人達と一緒に夕食を頂いている間に、高柳君と一緒に青年の船に乗った仲間達がやって来てくれた。高柳家でのこの時期のライブは3年目。恒例化し始めている。
 なぜか静かなライブが1時間半。ライブ終了後、みんなでお茶を飲んでいる時、この先のライブが決まっていないことを訴えて、1時間ほど過ごして勝坂に戻った。

 小石間トンネルを抜けたら、突然うっすらと積もった雪があった。今夜も寒い。空には煌々と輝く月が出ていた。
     
  10日  今日は、少し早めに勝坂を出て、浜松市内の楽器屋さんに出掛けた。ギブソンにはギブソンの弦が合うと思って買ったギブソンの弦はまだあるのだが、どうも僕には合わない。やっぱり、マーチンの弦だ、それもSPのミディアムゲージ。5セット買って、ピックもヤマハの30番の硬さのピックを5枚。これで当分もつはずだ。

 なんでモールには7時ごろ到着。さっそく弦を張り替えた。いい感じだ。でも、ギブソンは以外にテンションが柔らかく、強く弾くと弦がビビッてしまう、ひょっとしたら、僕にはミディアムゲージよりもハードゲージのほうがいいかもしれないと感じた。又今度試してみようと思う。

 新しく張り替えた弦で、ギターの響きが気持ちいい。早速、今日朝から作っていた新曲の練習を始めた。なんでモールのライブでは、毎回新曲を披露しようと頑張っている。今日は無理かもしれないと思っていたが、朝起きだしてから、頑張って作り上げる事が出来た。曲調は明るい感じのミディアムテンポで、こんな詩です。

     もっと元気に

  一人ぼっちの夜に泣いて
   泣いて泣いて泣きくずれ
   涙で心を濡らせたら
   希望の花を咲かせましょう
   ほんの少しでいいんです
   僕に勇気をくださいな
   背中を押してもらえたら
   歩き出せる気がします

 * ら〜んら〜ららんらら〜 大きく腕振って
   ら〜んら〜ららんらら〜 らら胸張って
   明日は元気に 行きましょう
   もっと元気に 生きましょう
   とにかく元気に 行きましょう
   誰より元気に 生きましょう


   くじけてしまっていいんです
   悩んでばかりでいいんです
   めそめそしたっていいんです
   そうして今日を生きたなら
   ほんの少しでいいんです
   僕に勇気をくださいな
   あなたに背中を押されたら
   歩き出せる気がします

 * (繰り返し)

   あなたに逢いに出掛けます
   朝一番に出掛けます
   雨が降っても 出掛けます
   傘を開いて出掛けます
   ら〜んら〜ららんらら〜 大きく足上げて
   ら〜んら〜ららんらら〜 らら胸張って
   ら〜んら〜ららんらら〜 ららららら〜
   ら〜んら〜ららんらら〜 ららららら〜

 そして8時がやってきた。お客さんはその時点で3人だったが最終的には4人と少なかった。が、僕にとって新しい歌を唄うという目的があるので関係ないのだ。
 一曲目は、前回のライブで作りかけのまま発表した「愛」からのスタート。「愛」の詩はこんな風になりました。

    愛

 貴方のそばで 貴方を見つめ
 貴方と共に 生きてきた
 夢見るように 恋するように
 重ねた日々を 綴れ織る
  涙に霞んだ 思い出も
  しあわせ 紡ぐ 糸にして
 夢見るように 恋するように
 貴方と共に 生きてきた


 貴方のそばで 貴方を見つめ
 貴方と共に 生きてゆく
  たとえ命は 枯れ果てて
  時が二人を 別つとも
 夢見るように 恋するように
 重ねた日々を 忘れない

「愛」をテーマにした曲つなぎでたっぷり唄った1時間半でした。
     
  11日  今夜は気楽な「輩」でのライブ。昨夜帰り際に寄ったら、寿司屋の次郎さん達が飲んでいて、山を大切にしなきゃと真剣に話し込んだ。そして、今日のことも伝えておいた。

 8時過ぎに輩の暖簾をくぐると、いつものようにてっちゃんが一人でテレビを見ていた。何気ない会話をしているうちに9時が過ぎ、坂下さんがやってきた。その後もお客さんはきそうになかったので、てっちゃんの言い出しで、ライブを開始。語り口調の曲ばかりを選んで渋く渋く唄っていたら、次郎さん達が3人でやってきた。一人は話したくて仕方がない様子で、喋りっぱなしだ。
 此処からは、渋くやっても仕方がないと、適当に飲みながら休みながら、その場その場の雰囲気で英語の曲を唄ったり元気な歌を唄ったり。勝坂賛歌は僕が最初に歌い、しばらくしててっちゃんが唄いだした。この、てっちゃんの勝坂賛歌は必聴ものだ。めっちゃくちゃ良くなっている。僕の雰囲気とはまったく違い、二ールヤング風の、ゆったりしたテンポで始まる、どちらかというとブルースだ。てっちゃんが僕のギターで歌っていたので、僕はてっちゃんのギターを取り出して、オブリガードでリードギターを弾いた。もちろんブルース風に。僕のギターを聞いたてっちゃんは間奏やエンディングを長めにとって、僕のリードギターを引き出してくれている。酔って弾く僕のリードギターは昔から定評がある、残念な事にしらふだといいフレーズが弾けないのだ。
 今夜は、この一曲だけでも価値あるライブだった。

 11時ごろまで、適とうライブは続いて、次郎さん夫婦はおひねりを置いて帰っていった。

 このままやっちゃうかと、引き続き、日付変更線に突入する事になった。
     
  12日  酔っ払いライブだ、飲んでは休み又唄いだす。そんな風に12時を過ぎ、二人の話し続けているお客を無視しててっちゃんと坂下さんと音楽談義をしながら唄い続けた。
 店を出たのは1時半を回っていた。外は寒かったが心のホットな夜だった。

 昼頃目覚めたら、久しぶりの二日酔いだった。何にも出来ないまま、日記を書いたりしてゴロゴロの一日を過ごした。
     
  13日  たまっていた日記を書くのにここ数日そして今日のライブに出掛けるまで掛かってしまった。でもこれで、やっと新しいCDのレコーディングに入れる。スケジュールを埋めるのも大変なのだが、ホームページとブログの更新も大変だ。そして、常に次の曲を考え続けている。こんなに頑張っても、稼ぎは同年代の人並み以下だ。大好きな事だけやり続けて飯を食っていこうとしているのだから、愚痴ってもしゃーない事だ。ん。

今日のライブは。
 静岡県に戻り、勝坂から、静岡県の人達にメールでライブのお願いを出した中で、3人の人達が協力のメールを返してくれた。その中の一人、磐田の丸真電子の社長の相曽さんが、自分の所属している磐田さぎさか工業団地協同組合の新年会に掛け合ってくれてギャラ設定のライブを企画してくれて実現した。

 場所は、磐田市の湯川荘という料理旅館。組合の大杉さんと連絡を取り合って現地に5時30分過ぎに到着。事前に、泊まりはどうするかととも聞かれたが、やらなければ成らない事が山済みしているので、出来れば唄うだけで帰りたいというわがままを受け入れてもらった。

 さぎさか工業団地の社長さんたちばかりが17人集まる新年会。僕は、ロビーで出番を待った。6時半から新年会が始まるから、それまで待った。6時半前に、フロントに派手な薄着のお姉ちゃん達が4人やってきた、新年会にやってきたコンパニオン達だった。うっ…ヤバイ。これは覚悟しなきゃ。コンパニオンがはしゃぐ中でのライブだ、割りきりが必要なのは最初から思っていたがコンパニオンが入るとは思っていなかったので、ちょっとビビッタ。
 でも、今夜のライブは、おひねりライブではない、ギャラをもらうのだから、営業なんだと割り切ってやれる。

 6時半になり、会場の外に出かけ待った。40分に大杉さんが僕の簡単な紹介をして呼び込んでくれた。時間は30分。会場はコンパニオンの元気な声が響き渡っていた。彼女達も営業、僕も営業。仕方がない。
それでも気を抜かず全力で30分のライブを突っ走った。「ランナー」がヤマハジュビロの応援歌になろうとしていると話したら、ライブ終了後、買いたいという人が出てきた。大杉さんが理事長に話して、組合で人数分を買ってくれることになった。17人分のCDが売れた。思わぬ収入だ。その後にも、友達にあげたいからと別個に5枚買ってくれたアポロ電気の社長の大田さんがいた。

 どんな場所でも、力を抜いたらいけないのだ。

 気持ちよく勝坂に車を走らせていたら、春野町に差し掛かる前に雨が降り出した。やったー。雪道を走ってきて、凍結防止用の塩が車全体に白くこびりついていたのだが、これで塩はきれいに落ちる。

 だが、今夜から始めようと思っていたレコーディングは見送りだ、雨音の入ったCDでは売り物にはならない。もう一日ゆっくりしろという事かな。
     
  14日  目覚めたら、雨音が激しい。何時に起きたかは覚えていない。今日もコタツで眠っている。また眠った。

 電話が鳴った。目を覚ますと同時に受話器を取った。大阪でライブハウスをやっている静岡出身の西尾君からだった。3月の後半にライブをという話だった。OKした。一箇所だけだと大変だろうからと他にも声をかけてくれるという。あり難い。12時を過ぎていた。

 雨音は激しく、録音は無理な状態が夜まで続いた。

 夕方、大石さんから電話。何時に来るのかの確認だった。6時過ぎに行きますといって電話を切った
。しばらくして、勝坂砦から、ギターを車に積み込んで橋向こうの伊出野バンガローへ。

 今夜のライブは、大石さんの退院祝いライブだ。なんで入院していたかというと、山仕事(きこり)で、昨年11月に、木の下敷きになって足の骨を折ってしまったのだ。僕が北海道に発つ頃に退院して来たらしいが、僕は知らなかった。足の骨を折って入院している事は、近所の得さんから聞いていた。

 昨日、磐田に向かうとき、伊出野バンガローの前を通り過ぎようとしたとき、大石さんの姿を見つけ、驚いて車を止めて話した。
 今日のスケジュールが決まっていなかったので、退院祝いに唄いに来ますと伝えていた。高橋忠史は、人の不幸を獲物にするハイエナのような奴だ。

 雨の中、大石さんの家に到着。すぐに風呂に入れてもらって、大石さん得意の料理をいただきながら酒を頂く。今夜は、弟さんと妹さん夫婦がやってくるということで、それを待って唄う事にして、風呂に入っている間にやって来た、弟さんのやすさんが作る料理を頂き続けた。

 酔ってきて、妹さんが来る前に唄い始めてしまった。「勝坂賛歌」からだ、飲みながら喋りながら、ポツリポツリと唄う。その歌を、大石さんは評論する。それだけ、真剣に聞いていてくれるのだ。
 妹さん夫婦もやってきて、何気なく唄う僕。その頃やすさんはもう眠っていた。そして僕も結構酔っ払って、9時前にギターを仕舞って勝坂砦に帰った。雨はやんでいた。夜空に雲はなく。月がまぶしいほど明るく輝いていた。
     
  15日  元相良町、今は牧之原市の三浦さんからライブ依頼あったのは、書家たちの新年会だった。でも、飲みながら食べながらの雰囲気という事で、なんとか歌うときだけでも集中してもらえるようにお願いした。
 新年会では、それは不可能かもしれないという事で、急遽、違う場所でライブを作ってくれることになった。それが、今夜唄う「晩酌倶楽部」。
 三浦さんは、泊まりのことまで心配してくれて、「むぎわらぼうし」に話してくれて、泊りまで確保してくれた。
 まずは、「むぎわらぼうし」に。ちかさんから、今夜泊まる部屋の鍵を預かって、「晩酌倶楽部」にでかけた。相良のメイン通りにあると聞いていたので、メイン通りを行ったり来たりしながら「晩酌倶楽部」の看板を探すが、見つからない。酒屋さんの前に車を止めて、三浦さんに電話したら、なんと、その酒屋さんから三浦さんが出てきた。

 晩酌倶楽部は、酒屋さんの奥にある呑みどころだった。三浦さんと店に入ると、柔らかな顔で迎えてくれたのはオーナーのデキさん(鈴木英樹さん)。店の中には、ギターや楽器類が飾られていて、ライブハウスではないかと思わせる雰囲気だった。音楽好きな人が集まる場所らしい。
 飲み屋さんだと思っていたので、少し不安な気持ちでやってきたのだが、これなら大丈夫だと思った。

 音響機材をセットして、お客さんの来るのを待った。ライブ時間になると続々とお客さんが集まって来てくれた。それぞれに、音楽好きな人達ばかり。坂口良子さんや水野祥子さんもやって来てくれた。白鳥さん夫婦もやって来てくれたのだが、ライブが終わったあとだった。

 こんな事を書いては失礼だが、いい意味で、うらぶれた感じの昔のライブハウスを思わせる雰囲気。お客さんの年齢層も、僕と近い人達ばかりだったので、20人ほど集まってくれた中で、気持ちよく唄えた。

 ライブの最中に、お客さんとデキさんに、明日のスケジュールが決まっていないので、12時過ぎまで付き合ってもらって日付変更線ライブをやりたいと訴えたら、デキさんはニコニコしながら僕を見てくれている。三浦さんたちの仲間たちも、明日は仕事があるだろうに、付き合ってくれる雰囲気だった。よっしゃー。これで、明日がつながった。そう思うと、唄う気持ちもバリバリ盛り上がった。今夜のライブの締めくくりは「ほたら ぼちぼち いこか」で、お客さんと思いっきり掛け合いで楽しんで終わった。

 ライブ終了後、すぐに音響機材を片付けて、飲み会に備えた。日付変更線ライブに残れる人は少ないだろうから、12時過ぎまでのライブは、生でやることにした。
 飲み続けているうちに、それぞれに帰る人が居て人は少なくなっていったが、それでも10人弱の人が飲み続けて日付変更線ライブに付き合ってくれたのは嬉しかった。

 11時過ぎに、ギターを取り出して、酔っ払いライブの始まりだ。リラックスした僕は、ブルージーな歌を中心に、好き勝手に唄い続けた。それが許されるような素敵な仲間達が残ってくれていたのだ。
     
  16日  12時を過ぎて、1時間と少し唄い続けた酔っ払いライブを終了した。デキさんもすっかり喜んでくれていた。いい仲間達と、いい時間を過ごさせてもらった。

 しばらく飲んでから、「むぎわらぼうし」に戻った。2時近かった。鍵はもらっていたので、そのまま部屋に入って、ベッドに潜り込んだ。

 11時過ぎに目を覚ました。僕が遅くなるのをわかっていてくれて、こんな時間までほうっておいてくれる「むぎわらぼうし」がありがたい。離れに泊めてもらっていたので、本館のロビーに出かけたが、西谷さんもちかさんも居ないらしく、息子さんが出てきた。息子さんにお礼を言って出かけようとすると、お昼ご飯にと、サンドイッチとコーヒーを袋に入れて差し出してくれた。民宿なのに無料で泊めていただいて、おまけに弁当まで、貧乏な歌手としては本当にありがたい。このお返しは、きっと何時か…と、心で手を合わせて「むぎわらぼうし」を出た。

 この先のスケジュールがほとんど決まっていない。このまま勝坂に帰っても、スケジュールを埋める事は出来ない、道を走りながら考えた。そうだ、まずは「ぷらっとほーむ」に出かけて、中野さんに助けてもらおう。電話をかけたら、つながらなかった。それならば、エンボスにと思いながら浜松に向かって車を走らせた。菊川のあたりを走っていたら中野さんから電話があった。今日は「ぷらっとほーむ」に居るとの事だ。
 12時半ごろ、プラットホームに到着。ここで、アクションシニアタンクの富田さんが店を出したという情報を得た。まずはたずねて見たらと言われ。そうする事にした。しばらく話して、富田さんの店「てまえみそ」に出かけた。国道152号線から少し入った住宅街に。とっても素敵な雰囲気の建物、それが「てまえみそ」だ。ドアを開けると、富田さんが、年配の女性と話していた。このお店は、みんなが持ち寄ったものを展示販売して、その空間で飲んだり食べたりして、人と人のコミュニケーションをはかりたいという目的で作ったそうだ。
 年配の女性が手にしていたのは、ゲンチャンが作った「つなぎちゃん」。僕も、ポシェットにつけている。以前、ライブに困って、中野さんのIMI事務所で緊急ライブをしたとき、富田さんからおひねりとして頂いたものだ。
 初めてであったその女性に、僕も持ってますよと声をかけてしまった。それが始まりで、お話している間に、明日のランチタイムにお客さんが集まるから、と、空いていた明日のライブが決定した。せっかくだからと、年配の女性に2曲ほど唄ったら、明日来てくれるということになった。まさしく「つなぎちゃん」がつないでくれた。おまけに、その女性はおひねりだといって僕に珈琲をご馳走してくれた。明日のスケジュールが決まってほっとした。

 そして、エンボスに出かけた。事務所に入ったら、入り口に「えんぼす亭」という暖簾が掛かっていた。エンボスと押切さんの会社・西部広告の間の畳スペースが出来たのだが、その名を「えんぼす亭」と言うのだそうだ。その「えんぼす亭」に小山さんが居た。誰かと打ち合わせをしていたので、待とうとしたら、いい所に来た、紹介するよと言って。「えんぼす亭」に招き入れてくれた。打ち合わせをしていたのは、愛知県東栄町の学校の廃校を拠点にして活動している「志多ら」という名の邦楽集団の田吾作さん(本名は長谷川さん)という人だった。お互いの紹介をしていると田吾作さんは僕の事をテレビで見たことがあると言い出した。なんだかいい雰囲気になってきて、いつの間にか、「志多ら」のメンバーを前にライブをする事が決まっていた。思わぬ所でライブが出来るようになってびっくりだ。そして海外遠征までしている太鼓集団との出会いは楽しみだ。そのついでといったら小山さんに失礼だが、27日に、この「えんぼす亭」でライブをさせてもらうことを決めて、エンボスを出た。

 なんでもーるの花村さんが、さだまさしさんのコンサートに出かけるのが今日だったとは知らずに「なんでもーる」に出かけた。ギタリストの石川鷹彦さんに僕の事を話すといっていたので、石川さんのアレンジでメジャーレーベルから出した「東京」のコピーを届けると約束していたのだ。
 当然の事だが、店は休みだった。電話をし、今日がその日だと始めて知った。コンサートに行く前に店によると言うので、ポストにコピーのCDを入れて…途方にくれた。

 夜に、IMIが主催している「英語村」に来たらと、中野さんに誘われていたのだ。まだ3時過ぎ。8時までにはかなり時間がある。レコーディングの為に、長時間装着の楽なヘッドホーンが欲しいと思っていたので、大型電気店に出かけた。イヤーホーン式の優れものが出ていることは知っていたので、それを買って、駐車場で、メールを書いたり日記を書いたりして過ごした。

 そして、肴町にある店に出かけた。そこで「英語村」が主催されている。3階にある会場に着くと、須部さんが受付をしていた。ここで2回ほどライブをさせてもらったことがある、が、今日はきんちゃんと会うためにやってきた。ライブをお願いする為だった。残念ながら、きんちゃんはもう少し早く言ってくれたら機会があったのにという事でライブを作ってもらう事が出来なかったのだが、以前ライブをしてくれた、「アクトボックス」の佐野公任子ちゃんがやってきた。いやー、いい所でであったと、すかさず、ライブのお願いをしたら、やってくれるという、夜まで浜松市内で粘ったかいがあった。

 長い永い一日だった。勝坂に戻ったときにはくたくたに疲れていた。
     
  17日  お昼までに「てまえみそ」に着かなくてはならない。なのに昨夜は、疲れと興奮で眠れなかった。結局眠ったのは朝の5時過ぎだった。10時に起き出してすぐに出発。

 「てまえみそ」には、12時過ぎに到着。でも、幸いにお客さんはまだ来ていなかった。ランチタイムは、カレーのやさかの、いなみさんがやってきて、やさかのカレーが振舞われていた。中野さんと磐田の古山さんがやってきてくれていた。そして昨日の年配の女性が友達を連れて。

 富田さんのご主人の仕事仲間達が来るというので、その人達が来て食事が終わるまで待った。その間に、僕も店からのおひねりのカレーを頂いた。やさかさんのカレーは美味いのだ。ん〜ん、僕のお腹は大満足。

 そうそう、忘れていたが、此処のところ高橋忠史は腹が減るのだ。お腹がすいたという感覚は、たまにしかなかった僕だが、昨年の12月頃から、空腹を感じるようになってきた。だからといって規則正しい食生活は送っていないのだが、しっかり食べるようになったおかげで、高校生の頃からまったく変わらなく52kgだった体重が、今は54kgになった。
 皆さんには報告していないが、禁煙したのは15日間だけでした。でもその禁煙の後から、なんとなく食べる事に無関心だった僕が、食べたいと思い始めて体調が良くなってきたようだ。
 その後、滋賀県で、再び禁煙宣言をしたのだが、又吸ってしまっている。御免なさい。

 カレーを食べ終わって、珈琲を持って中野さんと古山さんと3人で外に出て(店内は禁煙なのだ)久しぶりに暖かい浜松の風を感じて吸う煙草は美味かった。

 ご主人の仕事仲間は、すぐに仕事に戻らなければならないという事で、食べ終わったのを見計らって、ライブ開始。一曲終わったところでご主人達は職場に帰っていった。残った人達と後片付けをする、いなみさん達に聞いてもらって、1時間と少しのライブを終えた。

 なんだか、ものすごく眠かった。

 北海道から勝坂にかえって以来、コタツの中ばかりで眠っているせいもあるのだろう。途中でスーパーによって数日分の食材を買って勝坂に一目散で帰った。

 明日のスケジュールは決まっていない。
     
  18日  コタツで目を覚ましたのは12時。布団で寝よう寝ようと思いながら、毎日いつの間にかコタツで眠ってしまっている。コタツで迎える朝は、喉がカラカラに渇いて、身体も重いのだ。

 朝飯を食べて、今日こそレコーディングを始めようと思ったのだが、その前にやらなくてはいけないことがある。今日のライブスケジュールが決まっていないのだ。

 1時過ぎに、散歩に出かけた。得さんの家まで。

 ここ数日暖かかったのだが、今日は寒い。でも、お日様が出ていたので、いい散歩日和だ。散歩といってもほんの200mほどしかない距離なのだ。久しぶりに、杉の木が茶色くなっている(おー、花粉が)勝坂の山々を眺めながら得さんの家に着いたら、ドラム缶に火を起こして外で作業している得さんが居た。

 北海道から帰ってきて顔も出さずにいたことをわびて、今夜風呂に入れてもらう約束をして砦に戻った。

 録音機材をセットして、サー始めようとしたら、録音ソフトが機能しない。何じゃこりゃ。あれこれやっているうちに、録音機材とコンピューターをつなぐ為のソフトを、インターネットからダウンロードしなければ成らない事が判明。その作業を終えたら眠くなった。コタツの中で昼寝。夜になった。

 得さんの家に出かけ、もらい風呂。今夜は、奥さんの秀子さんが浜松の娘さんの家に出かけていて一人だという。風呂上りに酒を飲んでいろんな話をして8時ごろ、唄いだした。勝坂賛歌は得さんのお気に入りだ。僕が唄うと、さびの部分で一緒に歌いだす。今夜は、二人きりだから、何度も何度も勝坂参加を一緒に唄って過ごした。

 9時には、砦に戻ったが、眠くて又眠ってしまった。12時前に目が覚めたが、レコーディングをするような気分ではない。書いていなかった日記を書き始めた。
     
  19日  久しぶりにコタツではなく、布団に潜り込んで眠った。朝の6時に。

 電話が鳴った。起きた。この先のガラ空きのスケジュールを心配して、知り合いに掛け合ってくれて23日のスケジュールが何とかなりそうだと言う、相良の白鳥さんからだった。

 10時半だった。その後も、この日、何度も電話をくれた白鳥さん。なんと、24日のスケジュールも決めてくれた。

 人任せの、だらしない高橋忠史は、白鳥さんからの電話を待つ一日。精神的にも肉体的にも少々ダウン気味の僕は、夕方まで、それなりに色々考えながら、白鳥さんが決めてくれたその先のスケジュールのことを考えながら、録音の準備を続けていた。
 マイクのベストポジションを探ったり、録音したギターのエフェクトをどう使えばいいかと試行錯誤しているうちに、今夜のライブの出発時間がやってきた。

 袋井市の西公民館、先日、高柳君の家でホームコンサートをしたときに来てくれていた奈美ちゃんが、合唱の仲間達を集めてくれるということだ。8時前に公民館に着くと、高柳君が待っていてくれた。荷物を持って公民館に入ると、奈美ちゃんの仲間もやってきていた。奈美ちゃんがやってきて、8時前に、2階の会議室が空いたということでみんなで会場に入り、それぞれに会場作りをしていると、続々と仲間達が集まってきた。青年団の懐かしいメンバーの顔もたくさん見えた。20人ほど集まったところでライブ開始。

 知っている人達がたくさんいたので、どんどん生まれている新曲を中心に1時間と少しのライブを終了。奈美ちゃんが作ってきたという具だくさんの汁をみんないただきながら10時の閉館時間までそれぞれに交流した。

 ホームページを見て来てくれていた人が居た。何処かで見た顔なのだが思い出せない。天竜のバイク仲間が集まる喫茶店ウイッシュのライブで会ったと言われて思い出した。ギター談義をした石田さんという人だった。明日のスケジュールが決まっていないんだとライブで話していたのを気にしてくれて。この近所に、素敵なお店があって、そこではライブもやったりするから行ってみませんかと、誘われた。もちろん、大喜びで同行させてもらう事にした。
 石田さんに先導してもらって店に着いた。始めてきた店なのに、店の看板やたたずまいを見て、始めてきた感じがしない。思い出した、浜松のハンブルグでチラシをもらった店に違いない。と、思いながらも、半信半疑。石田さん達と共に店に入った。オーダーを取りに来た店長に石田さんは、僕を紹介した。店長とはハンブルグで会っているはずだが、イメージが同調しない。僕の名前を聞いたその時、店長の顔が急にほころんだ、そして「な〜んだ、高橋さんじゃないですか」と満面の笑顔で喜んでくれていた。やっぱりそうだった。早速、ライブをさせてもらうことをお願いしたら、僕の都合のいいときで言いといってくれた。2月の1日にお願いする事にして、しばらくして店を出た。

 石田さんに大感謝。思わぬ人に出会わせてくれた今夜。素敵な気持ちで車を走らせた。
10時半、春野町には11時半には着ける。明日のライブが決まってないので、「輩」に電話した。てっちゃんに日付変更線ライブをと言ったら、おいでおいでと気軽に引き受けてくれた。困ったときの「輩」だ。

 店に入ると、天野さん達が飲んでいた。坂下さんもやってきてくれて12時が過ぎた。出張から帰ってきたという青年が12時前に飲みに来た。
     
  20日  唄い始めたら、近くのお店の女性達が2人やって来てくれた。てっちゃん一人でいいやと思っていたのだが、6人の飲み客が、僕が唄い終わるまで帰らないで聞いてくれた。

 1時半に店を出て、勝坂に戻った。

 今夜も寒い。コタツで寝ると疲れが取れないので、冷え切った布団に潜り込んだ。


 昼前に目覚めたが、布団の中に居ても寒い。身体が冷え切っていた。起き出してすぐにストーブをつけて暖を取った。部屋が暖まったところで、食事をして、ギターを取り出した。録音を開始しようと思ってギターを弾きだしたのだが、「愛」のイントロが気に食わない。あれやこれやと試行錯誤しながら、イントロを考えているうちに、いいフレーズが出来た。そうなると、ギターを弾いている事が楽しくなって、「もっと元気に」のイントロ部分も出来ていなかったので、考え始めた。

 第一テレビの池田さんから、僕がそろそろ録音に入るという情報をホームページで確認したという電話が入った。前回の撮影に加えて、録音している状態と、ライブの雰囲気を撮影するには何時がいいかと相談した。ある程度の事が決まって、電話を切った。

 一日中、フレーズを考える事で日が暮れた。どころか、頭が冴え渡って、あさの6時までギターを弾き続けていた。
     
  21日  昼と夜の生活が逆になってきている。いかんいかんと思いつつ、修正できないまま午後1時過ぎまで眠っていた。

 ニューアルバムは10曲にしようと決めたので、その選曲を夕方まで考えていた。なかなか決められないままあたりは暗くなり、今夜のライブに向けて出発。

 今夜のライブは、僕が静岡県の人に送った「助けて欲しい」のメールを受け、磐田市の鈴木さんが企画してくれた。鈴木さんはいぜんにもライブを企画してくれた事のある「上下(かみしも)屋」という酒屋さんだ。今日誕生日の人が居るから、その人に僕の歌をプレゼントするという内容だ。
 場所は、見付けの「英(はなぶさ)」という料理屋さん。約束の7時に着いた。誕生日の大石さんという女性や鈴木さんの友達、お店の常連達、そして僕のホームページを見て鈴木さんに連絡して来てくれたという人も居た。

 誕生祝という事で、愛の歌を中心に30分、短い時間だったが心を込めて充実したライブが出来たと思っている。僕にもおいしい料理が並べられた。皆さんはお酒を飲んでいい気分になっている。目の前の美味しそうな料理を前にして、飲酒運転で帰るわけにも行かず、お茶を飲みながら皆さんと歓談した。

 帰り際、鈴木さんから「英」の鯖寿司と地元のお酒「遠州おおいばり」を頂いて勝坂に向かった。今夜も冷えている。星空の勝坂が僕の帰りを待っていてくれた。おーっ…さぶ。
     
  22日  昨夜は4時過ぎに寝た。何をするでもなく4時まで起きていた。だらしない男だ。

 目が覚めたのは、3回、朝早くにトイレに、12時ごろ、なんとなく、それでも起きられなくて1時過ぎにやっと布団から抜け出した。寒さに震えながらコタツに入る。昨日頂いた、鯖寿司は冷たくなったらうまみが消えるといわれ、コタツをつけっ放しにして眠ったので、潜り込んだとたん暖かい。ん〜ん、幸せ。鯖寿司は腐っているかもしれない、でも昨夜「英」の大将に、月曜日が食べごろで、それまでは20度以上の場所で管理してくれと言われていたからだ。
 勝坂砦の室温は、ストーブをつけていても、最高気温になる午後2時になっても10度を越えない。夜は、ストーブを消すと、5度以下になる。
 20度以上に保つにはコタツしかない。でも、コタツの中の温度は測った事がない。ひょっとしたら30度を超えているかもしれない。その時鯖寿司が、熟れているのか腐っているかは、明日食べてみないとわからない。

 てな事で、今日も凄く寒い。勝坂の寒さは北海道の寒さある意味で超える。じゃー、そのある意味を教えろよといわれても、勝坂に来いというしか答えられない。そして、夕暮れ。

 鳥居さんが、設定してくれた今夜のライブ。高橋一良さんを囲む新年会。5時半過ぎに勝坂砦を出た。雪が舞い落ちていた。すでにあたりは暗くなっていた。ヘッドライトを上向きにする。降り始めた雪の量が瞬時に大量になってきた。天候の変わりやすい山ならではだ。フロントガラスに雪が大量にぶつかってくる。ワイパーを起動させると、フロントガラスに付いた雪をかき集め、フロントガラス右側面に少しだが雪だまりを作っていた。
 今夜の帰りは、雪化粧かなと思いつつ走り続ける。雪が雨に変わったのは天竜に差し掛かった頃からだ。

 雨は途中で消えて、7時前に、磐田市街にある青木さんの家に到着。鳥居さんが車の音を聞いたのか、迎えに出てくれた。新年会の会場で、すでに皆さんは飲んで盛り上がっていた。前回の集まりにも参加させていただいたので知った人が沢山居て、気持ちも楽だった。しばらく、お茶を飲みながら、手作りのおでんや稲荷寿司などを頂きながら、まだ来ていなかった高橋一良さんを待った。

 一良さんが奥さんと登場してしばらくしてライブタイム。鳥居さんがしっかり聞くようにと釘を刺してくれた。相当にいい気分になっている人達が静かに聴くのは大変だっただろうが、皆さん耳を傾けてくれた。今日のライブは、事前に鳥居さんから数曲リクエストされていたので、その曲を中心に進めた。リクエストプラスアルファーの曲を織り交ぜながら、長くなってはいけないと短めに切り上げようとしたら、皆さんからもう終わるのかと、アンコールを催促されたぐらい皆さん集中してくれて、僕はいい気持ちで唄う事が出来た。

 ライブ終了後、さまざまな意見で激しく語り合う中、僕はただ聞いているだけだった。後からやってきた人が聞きたいというので、帰る前に、3曲ほど又唄った。10時半、冷たい風が吹く中、鳥居さんに見送られながら勝坂に向かった。

 積もっていると思っていた雪はもうやんでいた。道路に雪は無かったが、勝坂の赤い橋の上は、うっすらと白く雪が残っていた。
     
  23日  今日のライブは、空いているスケジュールを何とか埋めようと相良の白鳥さんが、島田市の友達の雨宮さんという女性に声をかけてくれて実現した。
 当然、急な話だったので、雨宮さんも会場探しに苦心し、仲間に声をかけてくれたらしいが、忙しい雨宮さんにとって昼の2時半から4時までしか時間が空いていなかったらしく、どれだけ人が着てくれるかわからないということだった。

 そんな事も知らずに、僕は勝坂砦で眠っていた。11時過ぎに白鳥さんから電話がかかって目が覚めた。夜のライブだと僕は思い込んでいたのだ。そーしたら2時半からのライブで、白鳥さんは2時には会場についているからということだった。勝坂から島田市までは80kmほどある。ヤバイ。

 あわてて飛び起きて、服を着替えて出発の準備。髪の毛が寝癖でぐちゃぐちゃだ。でも今から洗っているわけにも行かず、必死に櫛を梳かしてそれなりに(でも、ぐちゃぐちゃ)おさえて、車に飛び込んで発車。

 掛川から1号線バイパスを使って島田市へ、意外と早くにつけた。ライブ会場は、障害者の人達の支援をしているNPO法人の事務所と憩いの場所になっている「フリースペース・うえるびー」。インターネットで調べていたので、その近くまで来て、まだ2時前だったので、道端で待っていた。

 しばらくして、白鳥さんがやってきて一緒に「フリースペース・うえるびー」の前に車を止めた。しばらく待っていると、NPO法人の長をしている木谷さんという人が笑顔でやってきてドアを開けてくれた。フリースペースの中には木谷さんが椅子を並べてライブの準備を済ませてくれていた。

 そして、雨宮さんもやってきてくれた。なかなか他の人がやってこなかったので、2時半過ぎてからのライブ、4時までということだったので、4時をめどに終わればいいと、6人ほどのお客さんの前で歌い始めた。

 今日は、大反省のライブだった。とにかく最初から最後まで歌に集中する事がまったく出来なかった。だから、話しも、ちぐはぐで流れを掴めないまま、パニック状態だった。どんな事があっても、動じないようにと頑張ったのだが、心は動揺したままだった。流れが掴め無い事がプレッシャーになって、2曲も、途中で唄う事が出来なくなって止めてしまった。
 もっとひどいのは、後20分というところに来て、この場ではどうしても集中する事が出来ないと思い、思わずお客さんに「ここではどうしても集中できません、外に出てやりましょう。」と言って立ち上がってしまったことだ。

 歌は途中で唄えなくなる、話している事は支離滅裂、おまけに、外に出て唄いますというようなとんでもない事を発言してしまう。今日の僕は、どうかしている。せっかく、忙しい中、ライブを作ってくれた白鳥さん、雨宮さん、木谷さんに、どうしようもない迷惑を掛けてしまった。

 そうなった原因はあるが、それは、その状況をうまく回避できなかった僕が一番だらしない。こんなに長く、そして沢山の場所で歌い続けてきた経験があるのに、情けなかった。

 きっと、自分本位なライブを作ろうと奢った考えが、頭に住み着いているからだろう。

 ライブ終了後、お茶を飲みながら、皆さんと語ったのだが、誰も今日の最低なライブを非難する人は居なかった。それどころか、木谷さんは、困ったときはなるべく早く言ってくれれば何とかするとも言ってくれた。今日のライブは、自分の至らなさを思いっきり感じ、そして考えさせられたものだった。

 今日は、終わった。また、何処かで、奢った自分が出て、反省しなきゃいけないときが来るだろうが、とにかく明日からは、今日の反省を踏まえて、自分本位のライブじゃなく、楽しんでもらえるライブを目指したいと思う。

 勝坂に帰って、反省する事ばかりの夜だった。

追伸

 「英」で頂いた鯖寿司をコタツから出して食べた。めっちゃくちゃ美味い。なんだこれは、バッテラ好きの僕が、絶賛する味だ。
     
  24日  今日のライブはあるが、明日あさっては決まっていない。北海道から帰ってきて、ずっとこの調子だ。助けてくれる人達のおかげで、何とか670日目の今日までつながっている。

 不安で、気分はうつ状態だ。明日の事は、明日になって考えるとして、今は、今日のライブを、昨日の反省に立って、素敵なものにしなくてはならないという思いに重点を置かなければならないのだ。

 もうひとつやらなければ成らない事がある、レコーディングの準備は整った。後は、コンピューターのミキシングソフトの録音ボタンを押して、ギターを弾き始めれば始まるのだが、なかなか、その瞬間が来ない。ギターを手に取ると、こんなフレーズでいいんだろうかという思いが増殖し始め、何度も何度もリハーサルを繰り返している。数日前から、ずーっと、リハーサル状態から前に進まない。
 「ベストVol.1」を録音したときは、ライブで完璧に唄い続けている歌ばっかりだったので、3日ほどで15曲を録音した。
 でも、今回は、全部新曲。この勝坂に住み始めて、総て新曲で録音した「BALANCE」は多重録音という事もあったが何ヶ月も掛かった。今回は、弾き語りのアルバムにする予定だが、弾き語りゆえに、完璧とは言わずとも、納得の行くイントロ、間奏、エンディングを望んでしまう。毎日毎日、ライブから帰って来てはギターを弾き、眠って起きてはギターを弾くのだが、まだ一曲もこれでいいという状態に至っていない。そして、ギターを弾いていないときは、録音する事の決まった10曲の詩を眺め、これでいいのかと、言葉をつづる作業に没頭する。

 今僕は、乗り越えようとして乗り越えられない、大きな壁の前に立っているような状態だ。スケジュール作りも、CDアルバム作成も。総てがうまく行かなくて、夜にどんなに眠くても、どうしようもない不安が押し寄せてきて、朝まで眠れない状態が続いている。

 精神的に追い詰められているのだが、不思議に、体調は絶好調だ。

 体調が悪いときには精神力が異常なほどに高揚し。体調が良くなると、精神的な弱さが顔を出してくる。両方が絶好調というときはない、それがバランスなのかもしれない。


 さて、今夜のライブは、昨夜同様、白鳥さんが、島田市金谷の友達に連絡してくれて実現するライブだ。「シルクロード」というお店とだけはわかっているが、行って見なければどんなお店かはわからない。7時に、その店で白鳥さんと待ち合わせた。一足先に着いた僕。店に入ったら、誰も居なかった。そこはカラオケスナックだった。車に戻って、白鳥さんを待った。しばらくしてやってきた白鳥さんと、再度店に入った。友達のその又友達の紹介だから、どんなお客さんが集まるかわからないと、実は今日白鳥さんは用事があって来れないはずだったのだが、心配してくれて、大切な用事をキャンセルして僕のマネージャーとしてやって来てくれたのだ。カラオケスナックとは知らなかったが、飲み客があいてだったら騒がしくなるかもしれないと心配していたのだが、白鳥さんが、前もってお店に歌が終わるまで飲み食いは無しということを伝えてくれていたようだが、お店の人は、通常営業の中でやるつもりだったらしい。その事を聞いて、白鳥さんは、一般のお客さんが来ても、ライブが終わるまで、飲み食いは無しでお願いしますと、強引にママを口説いた。
 白鳥さんは、素晴らしいマネージャーだ。

 お客さんは、少ないかもしれないということだったが。ライブが始まるまでに、女性ばかり15人ほど集まってくれていた。その後も、店の常連さんたちもやってきて、お店がほぼ一杯の、21人になった。白鳥さんのおかげで、飲みに来たお客さんも、ライブ終了まで飲み物も出されず、聞くことに集中してくれた


 店の営業の邪魔をしてはいけないと、1時間で終わるつもりだったのだが、1時間20分も唄ってしまった。昨日のライブの反省もあって、今日は、お客さんに楽しんでもらえる事に重点を置いて唄い続けた。
 ライブが終わって、CDが売れた。なんと、ライブを聞きに来た白鳥さんの友人の人の友達たちよりも、ライブがあることを知らないでやってきた常連さん達のほうが沢山買ってくれた。

 よっしゃ。昨日の反省点は、克服できた。奢らず、自分を出さず、楽しんでもらえるライブを目指して頑張るぞー。…でも。明日のライブは未定である。
     
  25日  2時に目を覚ました。
 昨夜も遅くまで起きていた、ストーブを焚いているのに室温は5度以上にならない。いったい此処は何処なんだ。部屋の中で、防寒着を着て過ごしている。指先が冷たくなるので、コタツに手を突っ込んで暖める。酒をいくら飲んでも寒すぎて酔わないのだ。
 冷え切った布団に入るときも、パジャマじゃない。パンツは、フリースのパジャマだが、上着は、Tシャツの上にフリースのシャツを着てその上にフリースのジャケットを着込まないと冷たさに負けてしまうのだ。

 そして今日も、こうしてコンピューターのキーボードのキーを打つたびに、わずかな指の動きが冷気に触れ、指先が凍りそうになって痛みが走る。そして、コタツの中に手を突っ込んで暖め、又キーボードに向かう。

 さて、今夜のライブスケジュールは決まっていない。そして明日もだ。でも、気持ちは焦ってはいない。夜になったら「輩」に出かけ、日付変更線ライブもやってしまえば、何とかあさってにつながると。
 第一テレビの池田さんから電話があった。CDの録音に煮詰まっている事を心配しながらも喜んで(煮詰まるという事は、より良いものを目指しているという証だから)。でも、取材の日程を決めるのに、この先のライブが決まっていないので、難航した。結局、CD録音が始まった時点で、勝坂砦での録音風景と、その夜のライブを取材してもらって、2月中に放送してもらう事になった。録音は、もう間なく始まるのだが、ガラガラに空いている2月のスケジュールはどうなる事やら。

 なんて、のんきに構えながらも、7時まで、ためし録音を繰り返していた。7時を過ぎたので、確認のために「輩」に電話した。呼び出し音ばかりで、受話器は取られない。今夜はのんびりやるのかなと思い、8時に又電話した。呼び出し音が鳴り続けるだけ。な〜んか嫌な予感。

 9時過ぎに電話した。やっぱり呼び出し音が続くだけ。今から突然、得さんの家に行くのも失礼。前もって坂下さんには電話していたので、再度坂下さんに電話して。坂下さんの店でミニミニライブをしてもらう事を了承してもらって、すぐに、出かけた。あ〜、何とかつなげる事が出来た。

 今夜は、高校生のときにバイトして買った、ガットギターを持って出かけた。店に着くと、あきちゃんと奥さんと坂下さんの3人が居た。あきちゃんは、もう10時だったので、1曲だけ聞いて、眠そうな目をこすって部屋に戻っていった。ガットギターに合う、静かな曲ばかりを選んで6曲ばかり唄ってミニミニライブは終わった。春野町で坂下さんと出会っていなかったら、とっくの昔に1000日連続ライブは終わっていただろう。いや、365日連続ライブも成立しなかったかも知れない。

 さて、今日は何とかなったが、明日は…
     
  26日  数日前から、車の調子がおかしい。右にハンドルを切ると、「ちぃーーー。」と金属のすれるような音がするようになった。日に日にその音量が上がっていたので、少々怖い。そして右のスモールランプも切れているのだ。

 今日のスケジュールはまだ決まっていないが、とりあえずギターを積み込んで、修理をしてもらいに、元の役場近くの松本モータースに出かけた。
 あわよくば、押しかけライブも出来るかと期待して。

 4時過ぎに松本モータースへ、修理の事とライブのお願いをしたら快く引き受けてくれた。修理をしてもらっている間に、松本さんと事務の人に、仕事をしながらおしゃべりしながら5曲ほど聞いてもらった。金属音は、ブレーキパッドが残りわずかというぐらい擦り切れていて、危険を知らせる音だった。ブレーキパッドの部品は取り寄せになるので、明日、もう一度立ち寄って、修理してもらう事になった。
 20万km以上乗っている車だ、支障が出てきてもおかしくはない。でも、1000日連続ライブが終わるまで、この車と付き合うつもりだ。

 ライブの最中に、坂下さんから、今日のスケジュールを心配して電話をくれた。ライブ中だというと安心してくれた。

 簡単ライブを終えて、おひねりを頂いて坂下さんを訪ね、昨日行くつもりだった「輩」に出かけた。昨夜は、面倒くさくなって、店を開けなかったらしい。でもとりあえず、昨日今日とライブは無理やり成立させる事が出来たので、困った時、「輩」を頼りやすくなった。坂下さんもやってきて、9時過ぎまで語って勝坂に戻った。
     
  27日  今夜はエンボス亭でのライブ。
 前の事務所の時には、奥に座敷があってそこが僕のライブ場所になっていたのだが、事務所を引越ししてからは、座敷もなくなりもうライブは出来ないと思い込んでいた。
 ところが、この間、遊びに出かけたとき、エンボスと押切さんの西部広告の事務所の間に、ロッカーで仕切られたスペースが作られ、そこには畳が引かれていた。奥座敷ではなく中座敷が出来上がっていたのだ。そのスペースの名は「エンボス亭」。

 7時前に、エンボス亭に到着した。前の奥座敷は広かったので音響機材を使っていたが、エンボス亭は6畳程度の細い空間。機材はいらないと思ったので、時間ぎりぎりに着いた。今夜のライブは、昔からのなじみの人達が集まっての新年会の中でミニミニだ。テーブルの上には、押切さんの作った料理がすでに並んでいて、お客さんを待つのみ。
 7時になって、なじみのメンバーが次々とやってきた。小山さんが会社を作る前の「遠文連」に居た頃のメンバーだ。少ない人数だったが、ほとんどみんな顔見知りだ、お酒を飲みながらわいわいがやがやと会話を楽しんでいる中で、ライブを短めに済ませ、その後も、押切さんが作った料理をつつきながら、夜中の2時近くまでみんなで楽しんだ新年会だった。

 すっかり酔っ払った僕は、中座敷で、小山さんと泊めて頂くことになった。
     
  28日  目覚めたのは、12時近く。エンボスと西部広告の事務所は営業している。その真ん中で、小山さんと僕は眠り続けていたのだ。仕事をしている押切さんやワンワンには申し訳ないが、最高の寝心地だった。

 起き出して、二人で、近くに出来たという風呂屋に出かけた。その風呂屋は152号線沿いからすこしはいったところにあった。1年前からあるという。知らなかった。この道を僕は常に走っていて、このあたりで風呂には入れれば助かるのにと思っていたのだ、が、見つけることが出来なかった。露天風呂もある、いい感じの風呂屋だった。身体をきれいにして、エンボスに戻ると、沼津から渡辺さんという人がやってきていた。
 押し切りさんが昼ご飯を作ってくれていた。それを頂いて、3時近くまでエンボスで過ごし、今夜のライブ会場の、ムーさんの別荘に向かった。

 この後のライブスケジュールは2月もがら空きだ、毎回のライブで、皆さんにライブ企画をお願いしているのだがなかなか難しい。今夜のライブも、次の企画をしてくれる人を探すライブだ。

 主催者はアマチュアランナーの萩田さん。ランナーの仲間や、いろんな勉強会で出会った仲間達を集めて、泊り込みの語り合い。その中でのライブは9時から。
 6時から食事だからというメールを頂いていたので、その時間に到着。競輪選手の稲鶴さんも来ていて、音響機材を運んでもらって、セッティングを済ませてから皆さんと一緒に食事会に参加。
 自己紹介が始まって、まだ来ていない人は除いて30人の人達が語り終わるまで1時間以上掛かった。それぞれにそれぞれの経験を持った人達で、聞いていても飽きなかったが、人の話も聞かないで、チラッと聞こえた話に野次を飛ばし、聞いていないくせに話が長い、と、その隣に座っていた同類の女性とぶつぶつ言っているのが、僕の隣に座っていた。頭を張り倒したくなったが、場を壊してはいけないので黙って堪えた。

 9時になって、ライブタイム。ライブは1時間半を超え、手拍子鳴り響き、大きな声で僕の歌をサポートするコーラスがあったり。ものすごく楽しく過ぎていったのだが、途中僕を苛立たせる野次を飛ばす女が居た。
 先ほどの食事会で隣に座った男とふてくされて喋り続けていた女だ。ライブの途中も、別室ではあったが、その男と大きな声で話し続けていた。その事ですでに頭に来ていたのだが、そのうちに、僕のライブにあぁーだこーだと注文をつけてきた。完全に頭にきた。が、抑えて抑えて、声を荒げずに、このライブは「おひねり」を頂くライブだから、聞いていないどころか、他の人への迷惑をも考えず大きな声で話し続けているような人からはお金をもらう気もないし、その人の意見は、聞く気もないときっぱり言い切って、ライブを続けた。
 その時だけ、めちゃくちゃ不愉快になったが、他の人達が僕を盛り上げてくれていたので、その事をすぐに頭から捨て去って、その後は、皆さんと思いっきり盛り上がって終わったライブだった。

 ライブ終了後は、皆さんの飲み会に参加。僕の歌をはじめて聞くアマチュアランナーの人達は「ランナー」が特に気に入ってくれたようで、さまざまな人と語り合った。星を見ることが好きな人が、大きな望遠鏡を庭に設置していた。その望遠鏡で初めて昴を見た。夜空に浮かぶ星雲「昴」その光は、僕が生まれる何万年も前の光だと思うと、この地上の些細なことで苛立っている自分は小さいなと感じた。

 日付が変わって4時ごろ、勝坂に帰ることにした。車に荷物を積み込んで、出発しようとすると、エンジンが掛からない。車の上には霜が白く張り付くほど寒い中、他の車のエンジンと直結させてやっと動き出した。バッテリーがもう駄目になりかけているのだ。早く、交換しなくては思いつつ、勝坂に。
     
  29日  ライブをしていると、何処ででも、新曲の入ったCDが欲しいといわれる。早く録音しなければならないのだが、今日も起きだしたのは昼を過ぎていた。

 そして、今日のライブは、浜松のアクトボックスで3時スタート。起き出してすぐに車に飛び乗って浜松市内へ。アクトボックスには、3時少し前にかろうじて着く事が出来た。公任子ちゃんが遅い弁当を食べていた。
 展示室では、不思議な革製品の魚たちが展示されていた。その中でのライブだ。歌う場所を決めて、しばらくして3時になった。お客さんは、公任子ちゃんと一緒に働いているおばさんを除けば、店に立ち寄って少しだけ聞いてくれた人もいたが最終的には2人だけだった。

 年配の女性と若い女性、それぞれに感じるところがあったらしく、ライブ終了後、楽しく語って、又3月ごろライブをやらせてもらうことを約束して、寝不足だったので、すぐに勝坂に戻った。
     
  30日  此処数ヶ月、経済的状況が良くない。
 昨日、典子さんから、12月の諸経費の銀行引き落としがされていないとの連絡があった。早急に、銀行にお金を振り込んで欲しいとも。

 生活費の事もある、僕の財布には、今日明日を、何とか埋め合わす事が出来るだけのお金が入っている。早く起きて、銀行に出かけようと思っていたのだが、起きだしたのは、午後の2時だった。たまっている洗濯をコインランドリーに行ってやろうとも思っていた。ギターや洗濯物を車に積み込んで出発したのは2時半。天竜にある銀行に着いたのは3時を過ぎていた。この銀行から振り込んでも、僕の取引している銀行に届くの明日らしい。今月も、諸経費の引き落としが出来なくなるかもしれない。まー仕方ない。

 それより、この先のスケジュールもほとんど決まっていないし、我が暮らしどうなる事やら。日雇い暮らしは厳しいなー。

 於呂という処にコインランドリーがあることは知っていたので、そこに出かけ洗濯を開始した。今夜のライブ会場がどこかは知らない。知らないが、稲鶴さんと6時に上島で待ち合わせしている。あとは、稲鶴さんに任せばいい。今日のライブは、2日前に、稲鶴さんにお願いして実現したものだ。

 5時に、洗濯、終了。少し早いが出発しようとしてエンジンキーを回した。何も言わない。エェー!。もう一度、キーを回した。…沈黙…。ヤバッ!。もう一度回した。
 心配していたバッテリーが上がってしまった。あわてて、稲鶴さんに連絡した。「遅れるかもしれないが、近くにガソリンスタンドがあるので、何とかして行きますから待っていてください。」と。

 すぐそばにあるガソリンスタンドに出かけたら、1050円ですと、エンジンを掛けるだけの手数料を取られた。そして、車に乗って(歩いても1分も掛からないのだが)コインランドリーへ、エンジンを直結させて、あっという間にエンジン始動完了。ガソリンスタンドの車に乗ってエンジン始動までわずか3分足らず。ものすごい損をしたような気分だった。

 とりあえず、車が動いたので、上島のボウリング場の駐車場に、6時10分前に着くと、稲鶴さんがすでにやってきてくれていた。稲鶴さんの意見で、近くにあるという車用品販売店に出かけた。もちろんバッテリー交換ともうひとつ、此処のところ交換していないオイルも。沢山の整備場の付いた大きな車洋品店だった。今日、銀行に振り込んだので、僕の財布の中には、9千円しか入っていなかった。果たして、バッテリーとオイルの交換が出来るだろうかとドキドキした。その店の会員になると工賃がただになると聞いて、すぐに会費無しの会員になった。バッテリーは5千円と少し、オイルは2千円弱。両方で7500円ほどですんだ、ギリギリセーフ。財布の中は、千円札が一枚と小銭が残った。

 整備場が沢山あるので、取り付けとオイル交換は20分ほどで終了。これで車は完璧かというと、まだおかしなところはある。それは日産の整備工場でないとわからないということで、後日行く事に。でも、お金が〜…。

 今日の、ライブ会場は、美容室アミユ。僕の歌を聞いてくれた事のある人で、ムーさんから連絡してもらって決まったとの事だった。近くのお店で食事をご馳走になって、アミユへ。
 ライブは、7時半から。ムードを出そうという稲鶴さんの提案で、照明器具だけ出して、セットした。お客さんは10人ほどやって来てくれた。店の電気を消し、僕の簡単な照明器具だけで照らし出すと、美容室が、素敵なライブ会場に変身。ムーさんもやってきてくれて、ライブ開始。1時間半、大人たちのいいムードで1時間半のライブを終えた。

 激動の一日だった。

 そして、明日のライブのスケジュールは決まっていない。
     
  31日  外は雨。とことん眠った。疲れているという感覚はまるでなかったのだが、起きだしたのは、午後3時前。寝汗をかいていた。知らないうちに疲れがたまっていたのだろう。

 此処4日間の日記を書いている間に夜になってしまった。

 9時過ぎに「輩」へ。
 3日の節分の日に正久厚成君主催で、気田商店街で「あお鬼あか鬼会」と称して、豆まきをやろうというので、その打ち合わせを兼ねてライブをやってしまおうと企んで。
 10時ごろ、坂下さんがやってきたが、厚成君とは連絡が取れなかったようだ。そのうちに、「寿味八」というお店をやっている、ケー坊とその奥さんの秀子さんがやってきた。話しているうちに、けー坊が僕をテレビで見たことがある人だと思い出し、話が盛り上がり、テレビを見たときの長万部の歌が良かったというので、ギターを取り出して、極自然にライブが始まった。僕が「しゃまんの里」を唄い出すと、ケー坊は感極まって涙を落としながら聞き入ってくれた。
 お互いの年齢の話になって、ケー坊と僕は、同じ年(1952年)の同じ月(5月)、そしてケー坊は30日に生まれ、僕は31日に生まれたという事がわかって、益々気持ちが盛り上がった。

 僕が唄って、てっちゃんが「勝坂賛歌」を唄い、そして又僕が唄い続け、しばらくして、てっちゃんが「輩」を唄う。唄い、そして語り合い、唄う。そんな風に時は過ぎて、12時を過ぎ、最後に僕の唄う「勝坂賛歌」でライブというか、4人のお楽しみ会は終わった。
 1日違いで同じ時代を生きた同士との出会いは、僕の心を高揚させ、いつも以上に一曲一曲に力の入ったライブだった。ケー坊の店「寿味八」でもライブをしようと約束をして、みんなでてっちゃんの店を出た。
     
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