春野町勝坂・音楽の森だより

2004年  11月

気まぐれ日記・LC通信
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2004年
11月  1日  京都から山口県小野田市まで、走行距離は長い。たっぷり休めるはずの滋賀県だったが、飲む回数が多く少々内臓が疲れ気味だ。ホテルを出て、京都南インターから高速道路に乗った。山口県は遠かった。軽く、走れると思っていたのだが、休息を何度も取ったため、今本さんの保育所「ちびっこらんど」に、やっとたどり着いたのは6時半ごろだった。

 ギターを下ろしていると、一人の男性が話し掛けてきた。掲示板にも書き込んでくれていたFOXさんだった。わざわざ北九州市から山口県まで僕のライブを見るためにやってきてくれたそうだ。その為に、仕事を早仕舞いしてくれたそうだ、ありがたいことだ。

 今本さんと娘さん、そして近所の人が数人集まってくれた。お祭りが近いので人集めができないという所を、僕のほうから無理やりお願いしたので、少人数でも、ライブを企画してくれたことに感謝している。FOXさんもやってきてくれていたので、気合の入った1時間半のライブだった。

 ライブ終了後、今本さんに誘われて食事に出かけた。居酒屋さんだった。飲むつもりはなかったのだが、今本さんが保育園に泊まっていけばいいと言ってくれたので、FOXさんと共に飲むことにした。いい気分になって、今本さんとも沢山語った。

 12時ごろ保育園まで送ってもらってFOXさんと共に眠った。
     
11月  2日  朝6時半過ぎに起きたら、FOX君は居なかった。布団を片付けて、車に戻って、煙草を一服。しばらくすると今本さんと娘さんがやってきた。泊めて貰ったお礼を言って、ちびっこらんどを出発した。

 今日の昼前にと、有住さんと約束していたので、時間も有るから、一般道を走って博多に出かける事にした。曇り空、途中で雨が降ってきたが、渋滞にあうことも無く、関門トンネルを抜けて12時前にワンナインスタジオに到着。

 コマーシャルのための音源「明日に続く道」を、ここのスタジオで録音してもらう事にした。セッティングから録音終了まで1時間ほど掛かって終了。今日のライブは、音合わせに歌った「泣いた赤鬼」とこの曲の2曲。録音をしてもらいながら有住さんに聞いてもらい。ギャラは、録音費用を分をただにしてもらって成立だ。

 その後、食事に出掛け、ご馳走になり、ホテルもとってもらって。たった2曲のライブのギャラは破格のギャラになった。
     
11月  3日  ホテルを10時に出て、鹿児島に向かう。都市高速に乗って九州自動車道へ。隼人町役場で待ち合わせ。今日から20日まで続く隼人町コスモスライブツアーの実行委員の甲斐君と大嶽君が待っていてくれた。役場の二階階段フロアーで手を振っているのは元青年団の竹下君、と実行委員長の田崎さん。

 12月22日まで続く鹿児島県ライブツアーのまとめ役の神薗清広君は、僕が最も楽しみにしているプレゼントを持って、今日のライブ会場にやってくるという電話があった。

 役場の中で、打ち合わせをして、甲斐君・大嶽君に先導されて、20日まで僕の宿舎になる、国分市のウィークリーマンションへ。マンション受付で手続きをして、そこで二人とはいったん別れ、部屋に入った。ワンルームマンションは、予想以上に広かった。冷蔵庫・電子レンジ・電熱調理器・鍋釜も用意されていて、すぐに生活できる環境だ。そして僕にとってありがたいのは、無料のインターネット環境が整っていたこと。

 今までたまっていた、いろんな作業が出来そうだ。

 5時に、役場に出かけた。大竹君の先導で今日のライブ会場「宇都山公民館」へ。今夜のライブは、約30名いる実行委員の一部と、コスモスライブに係わる人たちに聞いてもらおうという企画だ。公民館には実行委員たちが集まって、ステージ作りをしてくれていた。手作りの小道具・照明で、何も無い公民館が素敵なステージに作られていた。しばらくして、鹿屋市から清広君がプレゼントを持ってやってきてくれた。

 「CONBO−55」スピーカーとミキサーが一体になった音響システムだ。以前、山形県で藤山さんが企画してくれたライブで、藤山さんが持ってきた音響システムだった。こんなのがあったらセッティングも楽だなーと思っていたのだが、3月に鹿児島にきたときに、清広君と志布志の楽器屋さんによった時、その音響システムを見つけた。こんなのがほしいんだよなー。僕のつぶやきを聞きのがさなかった清広君が、みんなでお金を出し合ってプレゼントしますと約束していてくれたのだ。
 音響システムだけでなく、スピーカースタンドまで用意して持ってきてくれた。早速、その音響システムをセットしてリハーサル、音がいいのだ。モニターが無くてもすっきりとした跳ね返りで、歌っていて気持ちいい。最高の贈り物に、僕の心は大ハッピー。

 実行委員の人たちにこれから係わってくれる人たちだから、聞き手としては最高のお客さんが妬く30人、素敵な音響システムに、実行委員の人たちが作ってくれたステージと照明。
 いいライブになるに決まっている状態の中で気持ちよく唄いきった。

 その後、会場は交流会会場になった。博多から鹿児島まで運転してきた疲れが残っていて、活発に話せなかったけど、明日からのライブが楽しみになってきた。

 交流会が終わって、代行でマンションに帰った。今日から住み始めた部屋だが、我が家に帰ってきたような気楽さがあった。650日ほど休んでいない体を、この鹿児島でしっかり癒すぞー。
     
11月  4日  昨日までの疲れが残っていて、朝起きても、体が重かった。何をする気力も無く夕方までテレビを見ながらすごした。夕方5時過ぎに隼人町役場へ。大嵩君が田崎さんと待っていてくれた。

 その車に先導されて、真孝公民館へ。住宅街の中にある地域公民館だ。今日の司会は松下君。照明担当の古市君とスタッフが飾り付けをしてくれていた。

                              

 開演は7時。なかなかお客さんはやってこなかった。開演直前になって近所の人たちがやってきて、20人弱にはなった。疲れてはいるのだが、唄い始めるとパワー全開、そしていつものように1時間半のライブを終えた。お客さんは少なかったが、それぞれに納得して帰って行ったようだった。後片付けを全員で終え、会場を出て、マンションに帰ろうとしたら、松下君が僕の車の前で、頭を深深と下げ、集客数が少なかったのは自分のせいだといって涙を流して謝っていた。僕も回りのスタッフも、少々困ってしまって、20日まで続くんだから、これから挽回すればいいといって慰めた。素直な青年の姿を見て、少々気分のいい夜だった。

 みんなと別れてマンションについたのは10時ごろ、どっと疲れが出ていたが、気楽なマンション暮らし、お酒を飲みながら夜ふかしだ。ん〜ん、これがいけない、とわかっていても飲んでしまう高橋だ。

     
11月  5日  清広君から電話があって、太平温泉に3時ごろ来てくれといわれた。12時過ぎにマンションを出発。海沿いの道を行く手もあったが、時間にゆとりが無かったので、山道を鹿屋市に向かった。

 ちょうど3時に太平温泉に到着。フロントに出向くと清広君の奥さんの厚子さんがいつもの部屋のキーを渡してくれた。温泉に入る時間はありますよと言われたが、体がなまるので少し休みますといって部屋に入った。
 部屋で少し仮眠をしていたら電話が鳴った。フロントの厚子さんから、そろそろ出かけますという電話だった。今日の会場のバラ園では音響が整っているというので、ギターだけをもってフロントへ。厚子さんの車に乗せてもらって、バラ園まで送ってもらった。天気は上場。今日は野外なので心配していたが、暑くも無く寒くも無く強い風も無く、ちょうどいい気候だ。

 バラ園の入り口で車から降り、厚子さんはホテルへ戻り、僕は、会場内に向かった。清広君が、出迎えてくれて、いっしょにバラ園へ。簡単にリハーサルを済ませ、特設の待合室で6時10分からの出番を待った。
 女性コーラス隊の人たちが延々とリハーサルをしていた。以前に作っていた曲を手直しして隼人町の歌を、作ろうと、ギターを弾く僕にとっては、申し訳ない事だがうるさく感じてしまった。結局コーラス隊のリハーサルは本番直前まで行われ、曲作りは進まなかった。

 5時半にバラ園の照明が点灯された。今年の台風の塩害で、花が枯れてしまって、2部から3部咲きといった状態だったが、次第にあたりが暗くなってくると、照明に照らされたバラの花が浮き上がって美しかった。コーラス隊の合唱が始まった。なかなか終わらない。アマチュアの人たちの悪いところだ、時間を守らない。6時10分を過ぎてもまだ唄いつづけている。参ったなー。

 結局、僕が歌い始めたのは予定を過ぎた6時20分過ぎから。終わる時間は7時と決まっていたので、30分と少ししかなかったが、集まったお客さんの前で懸命に濃縮したライブを作った。ライブ終了後、よかったといって話し掛けてくれる人たちが沢山いた。

 この後敷地内の建物で、開会式の打ち上げがあるので、歩いてその会場に向かった。その道すがら、ライブを聞いたという高校の先生をしているらしい女性が、生徒たちに聞かせたいから連絡先を教えてほしいといってきたので、シングルCDを買ってもらった。連れの女性も私は種子島だけど来てほしいと言ってくれていた。実現はしないだろうけど思ってくれることがうれしかった。

 打ち上げは、地元のバラ園に係わる人、町づくりを意識している町外の人たちも含めて40人近くの人たちが集まっていた。

 僕は、すっかり疲れきっていたのだが、隅っこに座ってビールをちびちび飲みだした。ライブを聞いた人たちが、個別に話し掛けてきてくれたので気分がよくなって、焼酎を飲み始めた。ある程度したところで、原田さんが、ちょっと歌ってもらえませんかと言うので、普段なら飲んでからは唄わないのだが、清広君からも前もって聞いていたので唄った。みんな、酒が進んでいたのだが真剣に聞いてくれていた。が、二人の人達がこそこそ話しつづけていた。本番のライブの最中だったら少し我慢するのだが、予定外の席で頼まれて唄っている、そしてその二人以外は真剣に聞こうとしている。僕は腹が立ったので、昔から知っている人だったが、地域起こしのリーダー的存在を自負しているその人に、聞こうとしている人達ばかりだという周りの状況も考えず、こそこそ話しているとはとんでもないことだ。地域起こしをしようとする人が取る態度として最低だと怒ってしまった。

 そこにいた、鹿児島大学のヘイちゃんが、あわてて立ち上がり、その状況をよくしようとして、僕にアンコールを要求した。僕もひとこと言ったら落ち着いていたので、「泣いた赤鬼」を語りを入れて唄った。この歌がまたみんなに受けたようで、それからも僕に話し掛けてくる人が何人も続いた。怒ったおかげで、いいほうに転換した。

 11時過ぎにお開きになり、清広君と帰ったが、その帰り道飲み屋によって、またまた遅くまで飲んでしまった。ホテル太平温泉に戻って僕は、ばたんキュ〜。
     
11月  6日  ホテル太平を10時に出て、バラ公園へ。清広君と会って、照明器具を受け取り、おでんをご馳走になって公園を出た。天気がいいので、今日は海沿いの道を走った。過去に大隈半島ウォーキングツアーをしたときのコースをさかのぼり桜島を見ながらのドライブ。穏やかな海と青い空、そこにそびえたつ険しい桜島に威圧感を感じた。自然の持つ威圧感だ。

 マンションに戻って、5時に甲斐君と大嵩君が迎えにきてくれた。音響機材とギターを積み込んで、浜乃市ふれあいセンターへ。
 隼人港のある浜乃市、この港から坂本竜馬は鹿児島に上陸し、おりょうさんと共に霧島神宮に出かけたという、その当時の鹿児島の玄関口だったところだ。
 ふれあいセンターは公民館と温泉が一体になった会場だった。

 ふれあいセンターに着くと、実行委員のメンバーたちが会場つくりをしていた。機材を運び込んでセットし終えて、外に足湯があったので浸かった。左足が運転で疲れていたのだが、ちょっとすっきりしたような気がした。

 ライブ時間になって、濱川さんの司会でライブが始まった。足湯で疲れた足がリラックスしたせいか、快調に唄いつづけ、口もよく回る。1時間半があっという間に過ぎていった。

 打ち上げは、田崎さんのお宅に実行委員のみんなが集まって飲んだ、親父面して甲斐君や大嵩君に生意気な事を話していたようないないような。日本酒も用意されていて、すっかり酔っ払ってしまった僕だった。
     
11月  7日  昼過ぎにおきだした。昨日の酔いがまだ残っていた。

 2時に、大嶽君が迎えにきてくれた。彼の車に、音響機材とギターを載せて、下平公民館へ、昨日は海のそば、今日は山手の住宅地だ。
 いつものように田崎さんが待っていてくれた。11月になったというのに暑い一日だった。会場に入ると、強い日差しに暖められた室内は、さらに暑かった。下平公民館始まって以来、初のプロミュージシャンのライブだという。主催は婦人会。婦人会の若松さんは何度も町内放送でライブ参加を呼びかけてくれていた。

 午後4時、若松さんの司会でライブが始まった。暑い室内で、汗をたっぷりかきながらのライブだった。地域公民館でのライブはお年寄りが多い、今日もびっくりさせないように静かな曲を主体に、でも、ハードな曲も織り交ぜてのライブ。お年寄りたちは、驚く気配も無くしっかり聞き入ってくれていた。

 ライブ終了後、若松さんが用意してくれたおでんやおにぎりで打ち上げ。僕と同じ歳の西丸さんと奥さんの会話が、打ち上げの場を盛り上げていた。僕のためだけに用意されていたビールをいただいて、暗くなった会場を後にした。
     
11月  8日  昼に起き出して、マンションの一階にあるコインランドリーで洗濯2台を使って洗濯をした。これで当分着るものは不住しない。

 今日も大嵩君が迎えにやってきてくれた。新川公民館は、住宅街の中にある地域公民館。家の建てこんだ中にあるので駐車場も無い。公民館の入り口に車を止めて機材を運び込んだ。いつものように、実行委員会のメンバーはすでに準備をしている。機材をセットして、外に出てタバコを吸い始めると雨が降り出してきた。
 雨の中、傘を差して地域の人達が沢山やってきてくれた。お年寄りが多かった。実行委員のみんながやってきてくれたお年よりたちに声をかけている。なんだかほほえましい。

 そんなあったかい気持ちで、ライブは始まった。今日の司会は、松下君。2回目の司会で、前回はメモを読んでいるだけという感じだったが、今日は少し余裕が出てきていたようだった。それでも照れながらの司会。その初々しさが地域の人達の好感を得ているようだった。

 今夜は、いつになくお年寄りが多かったような気がする。今夜も、お年寄りを驚かせないように心がけながらのライブ、暖かい夜が過ぎていった。

 実行委員会の人達と、ファミレスに出かけ、食事をして、マンションに送ってもらった。

     
11月  9日  今日も昼起き。
 静岡朝日テレビのふるさとコマーシャル大賞に応募するためのコマーシャル音楽に「あなたが好きだから」のフレーズを使いたいと、先週、春野町の坂下さんから連絡があった。今日は、その録音をすることにした。30秒なので、唄いだしのところだけを、ベースのアルペジオを録音して、その後にメロディーを2和音でギター録音。その後、ミキシングソフトでエフェクト処理をして完成。出来上がったときは夕方になっていた。

 そろそろと思っていたら、お迎えがきた。今日は隼人塚団地公民館、ライブが始まるまではいつもの通りの準備風景が続く。
 今夜は多くのお客さんが集まってくれていた。今夜は、飲み会が無い日なので、濱川さんが弁当を作ってきてくれていた。栄養のバランスも考えられていて、鹿児島料理の甘味も抑えられていて、とってもおいしい弁当だった。

 今夜の司会は青少連のころからの長い付き合いの美紀ちゃん。
 ライブは、浜川さんの作ってくれた弁当パワーで、1時間半フルパワーで唄った。お客さんの乗りもよかったような気がする。今夜はあっさりと会場の片づけを終えて、マンションまで送ってもらった。
     
11月 10日  昨日あたりから、下痢気味だ。酒の飲みすぎかなー。少し気だるさもある。CDを発送したり、銀行に出かけたり。そして、部屋に戻って、CDの焼付作業をして夕方まで過ごした。

 今夜は埒上(らちうえ)公民館。

 日記を書ける環境なのに、なぜかずーっと書かなかった。マンションでの事務作業の疲れがピークになっていたせいか、この辺りの記憶が、薄れてしまっている。

 同じライブを2度とやらない高橋忠史なので、日々違うことが起こっているはずなのだが、実行委員の人達に甘えて、身を任せすぎてしまっているのもその原因だろう。

 司会は富田君。ライブの様子はまったく覚えていない。困ったものだ、、でもシングル5枚アルバム2枚のCDが売れているので、悪くは無いライブだったのだろう。

 みんなで、ガストに食事に出かけた。店に入ると、キビキビと働いている浜川さんが居て驚いた。どこに居ても元気で明るい女性だ。アルバイトで入っていた女性が骨を折って休んでいるので、夜も店に出なければならなくなったそうだ。ということは、これからのライブには参加できないということだ、ん〜ん残念だな〜。

 確かこの日は、二田君にマンションまでおくってもらったような気がする。
     
11月 11日  おきたのが昼過ぎだったということは覚えている。

 誰に迎えに来てもらったかは覚えていない。今夜は原公民館。

 照明を、古市君と高校生の2人の女子が考えてくれた。(日にちを間違えて居たらごめん、まだ記憶が定かではないのだ)沢山のスタッフがいて、なかなか名前を覚えられないのが申し訳ない。 彼女たちはもうすぐ修学旅行だという。行く先は京都・奈良らしい。ちょうど紅葉がきれいになってくるころだ。コスモスライブツアーの最終日までには帰ってくるらしい。いつも参加してくれている彼女たちが居なくなると、ちょっと寂しいかな。

 今夜のライブ状況も記憶の引き出しにしまったまま、引出しが見つからない。司会は松下君だったことは、後日、甲斐君大嵩君に教えてもらった。CDアルバムが3枚売れている。内容は悪くなかったようだ。

 ライブにはこれないが、浜川さんが作ってくれたお弁当をいただいてマンションに送ってもらった。

 お弁当を酒の肴に、テレビを見ながらゆっくり過ごした夜だった。
     
11月 12日  下痢が続いている。胃も痛んできている。今日もやっぱり昼近くに起きだした。なんとだらしない生活だ。体は充分に休めているはずなのに、どうも体調がよくない。

 今夜のライブは、中福良公民館。いつものように大嵩君が5時50分にお迎えに着てくれた。機材を移し、公民館へ。あ〜、だめだ、この日のライブの状況もしっかり思い出せない。アルバムが3枚売れていた。

 毎日ほとんど同じスタッフでライブを続けている。公民館でのライブは、何処も同じ印象になってしまって、思い出せないのだ。でも、ライブは日々向上していることだけは確かだ。
 
 中日(なかび)の打ち上げ、役場近くにある甲斐君の実家の食堂で実行委員の多くが集まった。僕の為に日本酒も用意してくれていたので、ついついいい調子になって飲みすぎてしまった。僕もしきりに語っていたような気がするがあまり覚えていない。
 田崎さんや地蔵原さんも、やたら盛り上がっていた。

                         
                   全員の写真をとったつもりだったのにこれしか残ってなかった、やっぱり酔っ払ってたんだ

 ひとつ思い出した。今日のライブで、宮城県鳴子町の高橋よしひろ君の酒作りの話をしたのだが、それを聞いた二田君が友達が結婚するので、お祝いに「友酔」を。みんなで飲みたいから送ってもらえるかと相談を受けた。そんな話を聞いていた大嵩君も飲んでみたいというので、その場で、よしひろ君に電話して、在庫を確認。送ってもらえるということだったので、明日住所を教えるから、二田君の分と、僕の分を大嵩君の家に送ってもらえるように頼んだ。
 コスモスライブツアーの最終日(20日)は、焼酎どころ鹿児島で、日本酒の「友酔」をみんなに飲んでもらうのだ。楽しみだなー。

 帰りは福添さんに送ってもらったような気がする。のだが?。

     
11月 13日  今日は、農村環境改善センターで行われる、人権セミナーの講師としてライブを行う。1時半から始まるので、甲斐・大嵩コンビが10時45分に迎えに来てくれた。そのまま車に乗せられて会場入り。

 昨日も飲みすぎた、田崎さんも地蔵原さんもどうやって帰ったかわからないと言っていた。僕は何とか覚えていたが、まだ酒は残っていた。今日は役場が主催、いつも照明を担当してくれている古市君が担当で会場内を忙しく動き回っていた。
 ホールの奥の控え室は畳敷きだった。少し寒かったが、リハーサルを終えて、出番まで時間があったので、ジャケットを羽織って1時間ほど仮眠した。頭が痛かったのはおさまったのだが、胃が痛み出した。酒で荒れているようだ。

 1時半になって、人権セミナーが始まった。最初に挨拶や説明があって、僕の出番は2時近くになった。今日はライブというよりトークが中心。差別する心は無知から始まるという事を、いろんな例をあげて語りそして唄った。ライブ中、胃の痛みは激しくなってきたが、何とか最後まで頑張りつづけた。語りたいことが沢山あったので、歌はいつものライブの半分ぐらいだったが、約120人ほど集まってくれた人達はかなり満足してくれたようだった。

 CDはアルバムが9枚も売れた。

 大嵩君に送ってもらって、今日は明るいうちにマンションに着いた。なぜか、帰りの車の中で、胃の痛みが消えた。

 緊張することの無い高橋忠史だと思っていたが、今日のテーマが重すぎたこともあって、かなりプレッシャーが掛かっていたのかもしれない。
     
11月 14日  今日は昼からのコンサート。迎えは、10時45分。10時半におきたが、眠い。夜型生活が定着してしまっている。

 宇都山公民館には11時過ぎに着いた。この公民館では今年3回目のライブ。今日は宇都山公民館の公民館祭り。初めての試みだそうだ。第一回目の公民館祭りに招かれたのは光栄だ。地域の人たちが、豚汁を作って昼食を振舞っていた。迎えに来てくれた甲斐君と大嵩君と、セッティングを終えたらラーメンを食べに行くことになっていたので早くやってきたのだが、ラーメンはあきらめることにした。コスモスツアー実行委員会のメンバーたちもやってきていて、12時前にはライブのセッティングを終了。みんなで、豚汁とおにぎりの昼食をいただいた。
 鹿児島の味付けは甘い。豚汁もかなり甘かった。

 ライブは1時半からの予定だったのだが、昼食が終わってから間があきすぎるということで、1時15分から始めることになった。その前の待ち時間に、リハーサルと称してビートルズの曲を4曲ほど披露して、ライブを待っている人達に楽しんでもらった。
 集まってくれた人達の年齢層は今日も高い。ハードに責めたいところだが、ぐっとこらえて今日もやさしい歌を選んで1時間半のライブ。どこもそうなのだが、地域公民館に集まるのはお年寄りが多いのだ。

 ライブ終了後、公民館祭りのメインイベントの時間無制限の飲ん方(飲み会)が始まった。地域の人達の踊りやカラオケが続く中、おじさんたちと飲みつづけた。飲ん方が終わったのは6時、その後も続いたのかもしれないが、僕は実行委員会の仲間たちと帰った。
 帰りの車の中、甲斐君と大嵩君が、地域に住む批判的な親父につかまったことを怒っていた。僕も語ったが、どうやら自分自身の考えが正しいと考えてほかの意見を受け入れられない寂しい大人だった。トイレにたったとき出会ったのだが、それだけ言うなら何か企画してくださいと言ったらへらへらと笑っていた。批判はするが何もしない、そういう人が多いのだ。これも人を知る勉強だ。

 かなり飲んでいたので、マンションに着いて少しして眠ってしまった。夜9時ごろ起きたのだが、その後眠れなくなってしまった。
     
11月 15日  午前2時過ぎに、ベッドに入ったのだが、悶々として眠れない。宇都山公民館で訳の分からない事を語っていた男性のことや、それに巻き込まれて、腹を立てていた甲斐君や大嵩君の事など、頭にぐるぐる回って、いつまでたっても眠れない。

 4時ごろ起きだして、タバコを一服。また、ベッドにもぐりこんだが目が冴えてまったく眠れない。仕方が無いので起きだして、本を読んで眠気を誘おうとしたがだめ。
 また起きだして、早朝のテレビニュースを見ているとすでに外は明るく、7時を回った。もう一度ベッドにもぐりこんだが、だめだ。
 ひょっとして、ベッドとの相性が悪いのかもしれないと、床に敷かれた絨毯に掛け布団を下ろして横になった。睡魔が襲ってきた。

 どうやら、今日まで体調が悪かったのは、このベッドとの相性が悪かったからみたいだ。そう言えば、このウイークリーマンションに泊まった日から、夜中に何度も目がさめていたのだ。
 気づくのが遅かった。

 ということで、今日は、午後2時前に起床。床で眠ったせいか、なんだか体調がよくなっているような気がした。

 夕方、大嵩君が迎えに来てくれた。今日のライブは、隼人教育会館。さまざまな職場の労働組合の人達が集まってくれるらしい。教育会館の二階の集会場でのライブだ。実行委員の人達はすでにやってきていた。いつものように、みんなで舞台づくりを。後は、お客さんが集まるのを待つだけだ。

 沢山の人達がやってきてくれていた。ライブが始まってからも来てくれる人達がいて、会場は目いっぱいになった。労働組合で動員をかけたのかと、始まる前に主催者に聞いたが、そうではなく自主的に来てくれているのだと言う。50人以上、もっと集まってくれていたかも知れない。
 労働組合なんて久しぶりだ、過去に、全国の労音(労働者音楽協議会)でライブをしてくれていたときには、労働組合の主催が多かった。国鉄がJRになる頃は、頻繁に職場でのライブをしたものだ。この世に労働組合なんて名前だけで無くなってしまったのかと思っていたのだが、あった。

 雪松さんの司会で始まったライブ。語ってしまった。でも、心の汗をいっぱいかいたライブだった。

 打ち上げは、会場の別の間。ちょっと胃が痛んでいたのだが、音楽談義が出来る人が居たので、ついついあーまた飲んでしまった。

 マンションまで、誰に送ってもらったのだろう?。
     
11月 16日  飲んだら食べない高橋忠史。鹿児島の飲ん方は、必ず、鶏の刺身が出てくる。昨夜も、それを2〜3切れつまんだだけだ。大丈夫かよ〜、ん、大丈夫だ、足らない栄養は体が欲しがるはず。

 昼夜逆転の暮らしは直らない。今日も昼過ぎに起床。

 今夜も公民館のライブ。新七公民館だ。3月に泊まりを面倒見てくれた今村さんの家の近くだった。
 荒木よしこちゃんの司会で始まった。お客さんは少なかったが、外の寒さとは裏腹に、今夜も汗をたっぷりかいたライブだった。


 打ち上げは、今村宅で、実行委員たち数人が集まって飲んだ。
     
11月 17日  昨夜も床で寝た。おかげでぐっすり眠れたが、起きたのはいつも通りの昼。

 日記を書こうとするのだが、記憶がかなり薄れている。部分部分下書きをして、司会者の名前などを今夜、実行委員たちに聞こうと思う。

 夕方、大嵩君の迎えで鹿児島神宮の鳥居の所にある居酒屋「田舎家」へ。座敷に入ると、かなり狭いスペースだった。今日は音響を使わないことにした。お客さんが座れるスペースを作るために、照明もいつもより少なめ。

 6時半には、お店のお客さんも含めて座敷はいっぱいになった。実紀ちゃんの司会で始まったライブ。今日は、1時間でと言われていたので、トークは極力少なめにして、ブルースやロック系の曲をぶっ続けに歌って、汗だくになるライブ。長く付き合っている竹下君も知らない曲が多かったというほど今日の隼人町ライブはいつもと違った雰囲気を作った。
 たった1時間だったが、全身汗まみれになるほどハードで楽しいライブらしいライブだった。

 ライブ終了後、一気に撤去。そして、飲み会に移った。お店のお客さんも、ここまでお酒を我慢してもらっていたのだ。美紀ちゃんやよしこちゃんといろいろ語った。最後の閉めをお願いされたので、実行委員のみんなと語り合いたいから、12月にもう一度会いたいとお願いしたら、甲斐君が、それに答えてくれた。後3日で隼人町ライブは終わるが、また12月に会える楽しみが残った。

 日一日隼人町がわが町になっていく。
     
11月 18日  昨日は、かえってすぐに眠ってしまった。おかげで今日は、あさの8時起き。やっと人並みの朝を迎えた。

 坂下さんからの電話で、コマーシャル用の音楽を録音しなおしてほしいといわれていたので、今日は朝から録音開始。昼過ぎまでかかってやっと編集作業まで出来上がった。そこでまた眠くなったので、昼寝をして、2時過ぎにおきだして、日記を書き始めた。記憶がかなり薄れていて、なかなか大変な作業が続いたが11日まで書き上げて、大嵩君の迎えを待った。

 今日のライブ会場は、建設会社の野本さんの私設ミュージアム「南風(はやと)生活文化館」。雨が降っていた。会場についてびっくり。素敵な木造の空間だった。音響はいらないかもしれない感じだったが、昨夜の久々のノーマイクライブで、声が疲れていたので、音響機材をセットした。

                  

 雨の中、沢山の人達がやってきてくれていた。今夜の司会は、よしこちゃん。7時過ぎからライブは始まった。スペースの雰囲気がとっても落ち着いていたのと、女性客が多かったこともあって。今夜のライブの前半は、ラブソングが多かった。時間が経つにつれハードな歌に変更して、最後はガンガンに唄いつづけた。ランナーを唄って、もう一曲と思っていたのだが。実行委員のみんなが座席最後部に並んで立ち上がって、体を揺すりながら「♪ら〜ららららら〜♪」と歌いだした。

 これを待っていた。その声はどんどん大きくなっていった。曲の終わりのエンディングで僕はギターだけになるのだが、その時も実行委員たちの「♪ら〜ららららら〜♪」と唄う声が高まってきた。そのまま終わるのはもったいなく、彼らの声にあわせて「負けるんじゃない・負けるんじゃない」を連発して、最後いっしょに「♪ら〜ららららら〜♪」と歌って会場一体になってライブは終わった。まるで大きな会場でのコンサートのエンディングのようだった。

 今日は飲み会の無い日。濱川さんがお弁当を作ってきてくれた。その弁当を持って、よしこちゃんの車でマンションへ。

 部屋に戻って、早速開けた弁当、今日も栄養のバランス抜群のお弁当、これをいただいてから日記を書きまくるぞー。

                           

     
11月 19日  昨夜は、ご飯を食べながら焼酎を飲んで、お風呂に入った後眠ってしまった。夜中の12時過ぎに起きだして、朝までかかって日記を書きつづけた。眠ったのは朝8時前だった。

 昼過ぎに起きだして、ついに昨日までの日記を書き上げた。かなり記憶は薄れていて簡単な日記になってしまったが、ほっとした時にはもう4時だった。

 5時半に甲斐君が迎えにきてくれた。今日のライブは「スナックふいりんぐ」カラオケスナックだ。お店に着くと実紀ちゃんが待ってくれていた。古市君の車のキーが見つからなくて、照明セットの届くのが遅れたが、何とか間に合って今夜は、羽生君が照明担当。音響のセットが出来上がった頃からお客さんが集まりだした。

 今夜は役場職員の人達が多かったようだ。1時間のライブという設定らしかったが、ついつい調子に乗って、結局1時間半近く唄ってしまった。その間、お客さんはお酒も飲まずに聞き入ってくれていた。今回の隼人町コスモスライブツアーでは、飲み屋でやるときも、飲食はライブが終わってからという設定をしてくれている。本当にうれしいことだ。
 今夜も「ランナー」で、実行委員たちの「♪ら〜ららららら〜♪」コーラスがはいり、盛り上がって終わった。

 撤収作業の後、お客さんたちとは別の席で、実行委員会のみんなと一緒に飲んだ。その席で、後からやってきた福添さんが唄って欲しいといっていた「ウイスキー」を一曲プレゼントして、そのまま飲みつづけ11時ごろお開きになった。

      
    よしこちゃん  まきちゃん    大嵩君          福添さん  がみちゃん  実紀ちゃん          直美ちゃん   羽生君     今村さん

                            
                                          忠史     甲斐君

 今日も、よしこちゃんにマンションまで送ってもらった。

 コスモスライブツアーは後一日、みんなと分かれると思うと、なんだか寂しいなー。

     
11月 20日  過去のライブツアーの中で、この隼人町限定17日間(鹿屋市が一日入って居るので18日間)連続ライブは、表現できないぐらい素敵な毎日の連続だった。

 その思いを僕の心に増幅させてくれたのは、コスモスライブツアーを作ってくれた実行委員会の仲間たちだった。

 源点は実行委員一人一人の力。

 それぞれの小さくても大切な思いが集まって、大きなうねりを産んだ。

 思いは、それぞれに違っていたはず、でも、17日間、高橋忠史のライブを通じて、バラバラだった思いが、自分自身の思いだけではなく、相手の思いも認め合おうとする関係になっていった。

 2日前の、南風人館(はやとかん)でのライブで、やっと実行委員の思いがひとつになったような気がした。僕にとって、その日が、隼人町コスモスライブツアーの始まりだったような気がした。ライブを終えたとき、実行委員の一人に、今日からコスモスライブツアーが始まるような気がするとつぶやいた僕が居た。でも現実は、残り3日間。寂しさがこみ上げるばかりの一日一日だった。素敵な仲間たち、僕に至極の3日間を与えてくれてありがとう。


 今日は、11時前に浜松のガチャピンから電話が入って起きた。浜松でライブが出来るところを見つけたという連絡だった。そして、彼は、春野町勝坂に住みたいという希望をもっているという事も訴えてきた。でも、山深い地域の人は、新参者をなかなか受け入れてくれないという事も話して、でも、彼の希望を受け入れる人も居るということを伝えて電話を切った。世間では、田舎暮らしを夢見ている人達が沢山居るが、甘いものではない。山間部には廃屋が有り余るほど存在している。でも、その廃屋を、人に貸そうとか売ろうとか思っている人はほとんど居ない。それは、廃屋の持ち主だけの問題だけではなく、その地に住んでいる人達の問題だ。
 果たして、新しく入ってくる人が、その地域の、しきたりや慣習に馴染めるか否か、それをみんな気にしてる。だから僕が、勝坂で家を借りれるまでに、1年もの歳月が掛かったのだ。たった一年、でも、その一年間に地域の人と打ち解けるまでの努力は半端じゃなかった。そう、田舎暮らしは、努力なくして勝ち取れないのだ。…でも、ガチャピンだったら出来そうな気がしたので、素敵な人を紹介するつもりだ。


 それはともあれ、昨日の日記も書き終えた。今日の隼人町最終ライブは「北京飯店」3時半スタートだ。
 その前に、甲斐君大嵩君と約束していた、鹿児島ラーメンを食べにい約束をしていた。1時前に、甲斐君が迎えに来てくれた。音響機材を彼の車に積み込んで、そしてもうひとつ大切なアイテム。宮城県鳴子町から送ってもらって、冷蔵庫に保管していた「友酔」1ダース(12本)を積み込んでマンションを出発。

 こってりとんこつ鹿児島ラーメンの有名な店に1時過ぎに着いたのだが、駐車場はいっぱい。甲斐君は、近くの病院の駐車場に車をとめて、そこから歩いた、けっこう遠かった。その車の中で、神薗清広君に電話した。
 もう一度、隼人町のライブにくると言っていたのに、連絡がこなかったし、明日からのライブ日程がまったく見えないから(でも、不安感はまったく無い、すべてを任せきれる人だと信じているから)聞いてみたかった。甲斐君と車の中で話していたところ、どうやら、数日前から清弘君は入院しているという情報を得た。入院したからといって、僕を見捨てるような奴じゃないことはわかっていたので電話したら、留守電だった。…生きてますか…。といって電話を切った。数分後電話が掛かってきた、清広君だった。明日からのスケジュールは、霧島町の有馬さんから連絡が入るはずです、安心してくださいと言う連絡だった。胃潰瘍で入院しているけど、今日の夕方退院しますと言っていた。そして、今、点滴をしている最中だとも。

 こってりとんこつラーメンは半端じゃないこってりだった。…美味い…。でも、明日食べたいかといわれたら、一ヵ月後ならというぐらい、個性豊かな味だった。そして、チャーシューの味は、絶品というか、今まで食べたことが無いぐらいまたまた個性的な、醤油だけで煮込んだかと思わせるぐらい塩味バリバリのしょっぱいチャーシューだった。これがこってり(半端じゃないドロドロスープ)によく合うのだ。…が、スープを飲む量の、倍の量の水が飲みたくなるのは、ドロドロスープと極上のしょっぱいチャーシューのせいかもしれない。

 直美ちゃん・二田君・大嵩君・甲斐君そして、偶然やってきた、がみちゃんと竹下君(別の席で食べていた)それぞれに満足して、ライブ会場の北京飯店へ。

 直美ちゃんの車に乗せてもらって北京飯店に着いたら、富田君が自転車でいち早く着てくれていた。ライブ会場は、北京飯店の二階大広間。続々と実行委員のメンバーがやってきて、会場作りが始まる。実行委員のすべてが集まれるわけではない。それぞれにそれぞれの仕事や家庭事情があってこの17日間、実行委員の30名が総て集まれる日は無かった。…それでいいのだ…。

 昨日修学旅行(京都・奈良)から帰ってきた高校生の女子2人が照明を羽生君と一緒に組み立ててくれていた。最終日だからといって、誰もが気負っている様子は無い、17日間毎日繰り返してきた役割を、誰が指示することも無く、それぞれに責任感を持って持ち場の役割を果たしている。高校生から50代の親父までが参加するコスモスライブツアー実行委員達、その役割に上下関係は無い。それぞれが、それぞれの役割を、誰が指示することも無くもくもくとこなしている。

 そして、ライブが始まった。司会者は実紀ちゃん。最終ライブにふさわしく、事務局長の甲斐君と福実行委員長の直美ちゃんのユニット、「なおへい」のオープニングアクトから始まった。2曲を歌って、僕にバトンタッチ。

                         
                                       「なおへい」の演奏

 1時間の予定が、もう関係ない。今日のライブは、実行委員達からのリクエストで構成することにした。そして、隼人町コスモスライブツアーのスタッフのために作った歌のタイトルを実行委員達に決めてもらうことになっている。タイトルは決まった、二田君の考えた「隼・咲く・歌」に決定。ライブが始まって、僕の譜面台には、実行委員達のリクエストメニューが。

                           

 トークより唄。17日間で今夜ほど唄いつづけたライブは無かった。甲斐君が、最後の唄「ランナー」を歌った時、今日は最後じゃなくて、途中で唄うんだと思っていたら、そこでライブが終って、時計を見たら、すでに1時間45分経っていたんです。と言った。それほど今日のライブは充実していた。

                       
                             甲斐君と僕のギターは、マーチンD−28

              
                             最終日に参加した(全員ではない)実行委員と青年団


 会場のライブ設定を撤収して、そのまま飲ん方。

                         
                               隼人町青年団のオリジナルTシャツをプレゼントされた


 実行委員と、青年団が残って、徹底的に飲みつづけた。3テーブルに別れて20人、どのテーブルも前向きな話ばかり。
 終わる頃に、お兄さんの結納の為にライブに参加できなかったよしこちゃんがやってきてくれた。9時に北京飯店の打ち上げを終了し、2次会に昨夜ライブをした「ふいりんぐ」に出かけた。
ほとんど全員が参加。12時過ぎまでデロデロ(親父たちだけかな?)になりながら飲みつづけた。

 今夜マンションまで送ってくれたのは、実紀ちゃん。

 隼人町コスモスライブツアーが実現したのは、今年3月に宇都山公民館でのライブの時に、隼人町で一ヶ月やれるじゃないと言い出してくれた美紀ちゃんのおかげなのだ。
 その美紀ちゃんの思いを竹下君や実行委員長の田崎さんが、酒の勢いで受け入れてくれたことで今回の素敵な17日間が始まった。
 そして、その思いを、受け継いでくれた隼人コスモスライブツアーの実行委員会の一人一人が、会場設定に駆け回り、そしてお客さんを集めるために。その地域地域で戸別訪問までして訴えてくれたことで多くの人達に僕の唄を聞いてもらえることが出来た。

 1000日連続ライブの240日が終わった。残り760日だが、今夜僕は折り返し点を通過したような満足感があった。2年後の12月20日が1000日目、この隼人町で終えたいという思いが、今夜、確実なものになった。

                         (今日の写真提供は実紀ちゃんでした)

     
11月 21日  昨夜はデロデロに酔っていたのだが、すぐには眠れなかった。眠るのがもったいないほど素敵な一日だった。上り調子だった体調も昨夜は少し下降気味だったのだが、実行委員達の勢いに押されて素敵なライブが出来た。

 そして、9時に起きた。昨夜は6時から12時まで飲みつづけていたので、しっかり酒が残っていた。ウイークリーマンションとも今日でお別れ、例のごとくとり散らかった部屋を片付け、荷物を3度に分けて車に運び込み、10時のチェックアウト時間にマンションを出た。もうここに戻ることは無いのだと思うとなんだか寂しかった。

 霧島に向かった。有馬君の家に出かけて、今日からの日程の打ち合わせをすることになっている。途中で燃料を入れ11時前に有馬君の家に到着した。すぐに峰下君(マインさん)もやってくるからと、コーヒーをいただきながら待っていた。その間におおよその日程を聞いたがまだ決まっていないところが多いらしい。でも、そこは有馬君、何とかしますと言い切ってくれた。
 その日程説明を受けている間に、昨夜の酒が戻ってきた。完全なる二日酔いだ。有馬君も、酒くさいですねと言っていた。

 峰下君が、息子さんを連れてやってきた時には、今酒を飲んだかのごとく酔っ払ってきた。たぶん、緊張感が抜けてしまったからだろう。3月に来たときライブをしてくれた「つるこ窯」のつるこさんが、都城市辺りのライブを声かけしてくれていると言うことで、打ち合わせに行こうと誘われたのだが、自分のことなのに、立ち上がる気力も無く、峰下君と有馬君にお任せして、少し眠らせてもらうことにした。

 1時間も眠っただろうか、二人が帰ってきた。それでもまだ起き上がれなかった。せっかく時間を割いて来てくれた峰下君と話すことも出来ないままだ。そのうち峰下君は帰っていった。ごめんなさいの気持ちが一杯なのだが、体が動かなかった。

 しばらくしてやっと起き上がった僕に、昼食でも食べに行きましょうと有馬君が誘ってくれた。有馬君の車でうどんを食べにいくことにした。今日は日曜日、霧島は有名な観光地。1時を過ぎていたのだが、何処に出かけてもお客さんで一杯。4軒目の店でやっと座ることが出来た。まだおなかは食べ物を要求していなかったが、ざるうどんを頼んで一息ついた。少し酔いが収まってきたような気がする。有馬君のうちには温泉が引かれている。家に戻って温泉にゆっくり疲らせてもらって、再度、日程の確認をして、今夜のライブ地、松山町のおなじみの河床バンガローに向かった。走り始めてすぐに、激がつくほどの胃の痛みが始まった。きっと酒の飲みすぎで軽い胃潰瘍状態になっているのだろうと思ったが、違っていることは後でわかった。

 バンガローには3時に着いた。車のシートを倒してしばらく眠った。今日は眠ってばかりだ。

 5時半ごろ西田君がやってきた。今から都城市のお兄さんを連れてくるから、6時半ごろまで待っていてくださいと言うことだった。6時半にお兄さんのあきちゃんを乗せて帰ってきた。そして一緒にバンガローに入った。お兄さんはまだご飯を食べていないと言うことだったので、いったん実家に戻っていった。その後に、黒木君とのりちゃんがやってきてくれた。今日と明日は、本来は霧島周辺でやることになっていたのだが、設定が難しかったので、西田さんが2日間引き受けてくれたようだ。二人がやってきてすぐに西田兄弟もやってきた。今夜のお客さんはこの4人だ。

 7時半ごろから唄いだした。どうしてもチューニングが合わない。声の調子が、久しぶりにおかしい。ギターと声のバランスが合わないのだ。これはどうやら、風邪を引き始めているようだ。だから、車の中であんなに胃が痛んだんだ。それでも何とか、1時間半のライブを続け、今日のライブを完成させた。
 ライブ終了後、黒木君とのりちゃんから素敵な報告を受けたのだが、それは書かない事にしよう。疲れ気味の僕を気遣って、今夜はみなさん、ライブ終了後帰宅についた。都城にお兄さんを送っていった西田さんは1時間ほどで帰ってきた。今後のスケジュールを打ち合わせるためと、今夜は飲まないほうが良いと言っていたにもかかわらず、寝酒のビールを買ってきてくれていた。12月の3日までのスケジュールを教えてくれて。今年から専業農家になった話などをしてくれた。台風が多かった今年に専業農家になった彼にとって、試練の年だったようだ。

 西田さんが帰った後、鼻水が出始めた。風邪の症状だ。コマーシャル撮影したときに、栄養ドリンクの「万力」を10本もらっていた。九州に入ってからもやばいときに飲んでいた。もう残りは2本しかない。滋賀県からの移動、そして鹿児島に着いてからの体調不良をここまで乗り切ってこれたのは、「万力」のおかげかもしれない。今夜も「万力」を飲んで、そして「葛根湯」も飲んで眠るぞー。
     
11月 22日  西田君の声が聞こえた。寝袋から抜け出してドアを開けた。8時過ぎだった。昨夜眠ったのは午前4時、意識がうつろだった。朝ご飯を運んできてくれたのだが、僕はまた寝袋に入った。西田君は出て行った。そして僕は眠った。

 11時前に起き出した。しばらくして西田君がやってきた。風呂にでも行こうと思って起き出したのが、西田君としゃべっている間に、体のだるさが戻ってきた。鼻も乾いて痛かった。
 朝にもってきた朝食をいただいて、しばらく話して、夕食を4時過ぎにどこかで食べることを約束して西田君は出て行った。

 風呂は止めた。どうやら熱が出ているようだ。葛根湯を飲んで、午後12時半、再び寝袋にもぐりこんだ。すぐに眠った。

 4時に起きた。鼻水が出るが、少し楽になったような気がする。11時間以上眠った。体調が悪い時は、眠ることに最大級の重点をおく。4時半過ぎに西田さんと夕食に出かけラーメンを食べた。大隈にあるラーメン屋は熊本ラーメンの雰囲気の味。美味かった。が、微熱があるのだろう、歯がかなり痛んでいてうまくかめないのが残念だった。

 7時からのライブ客は、昨夜と同じ、のりちゃんと黒木君、そして、のりちゃんの勤め先の若い同僚の女性二人で、5人。「レラ」を唄いだした。最悪の声だ。
 だましだまし、野の花をテーマにした歌を中心に若い女性たちに何が大切なものなのかと言うことを語りながら声を整えていった。40分ほど過ぎた頃、やっと声が戻ってきたような気がしたので「しあわせ」を唄い、でも、無理をしないように最後は「時は流れ人は生きている」で閉めた。のりちゃんに12月3日有明でのライブをお願いして黒木君の運転でみんな帰っていった。少し頭が痛くなっていた。この風邪、いつごろ治るんだろう。

 微熱は続いている、が、気力は充実している。何とかなるさ。
     
11月 23日  10時に起きて西田君の持ってきてくれた朝食を食べた。身体がだるくて重い。葛根湯を飲む。しばらく休養して、荷物を車に積み込んでバンガローを出ようとしたら、いったん戻っていた西田君がやってきてくれた。

 また来月会う約束をして、鹿屋に向かった。運転している間に身体の調子が良くなってきたような気がした。鹿屋市内に入って、大型電気店に寄った。CDジャケットが無くなったのだ、コンパクトなプリンターを買うことにした。CanonのPIXUS 80iという機種がモバイルプリンターとして最適な小ささだった。値段は3万円ほどでちょっと高かったが、これからも何かと必要なので思い切って買った。

 そして、ホテル太平温泉へ。駐車場についたら清広君が待っていてくれた。まずは昼食と、彼の車に乗って蕎麦屋さんへ。その後、郊外の素敵な喫茶店でコーヒーを飲んでホテルに帰り、機材を宴会場に運んで、さっそくプリンターの設定をした。清広君も同じ機種を持っていると言うことだったので、設定方法を教わって完了。これでいつでも何処でもプリンターが使えるのだ。

 後は今夜のライブまで、休養。
 
 5時半ごろ大広間に行くと清広君が舞台つくりをしていた。客席の後ろに屏風を立て、その前に金色のクリスマスツリー。そうか、後一ヶ月でクリスマスなんだ。早いなー。僕は、音響機材のセッティング。そうしてステージが出来上がった。後はお客さんを待つのみだ。
 本来は霧島でのライブ予定だったので、急遽の呼びかけで、お客さんはどれだけになるかわからないと言いつつも、20人ほど集まってくれていた。
 椅子が高かったので、足がしっかり地に付かなくて、背中が丸まってしまう。そうすると声の出が悪くなるので、踏み台を用意してもらった。おかげで、唄いやすい唄いやすい、声の出も抜群だ。あまりの唄いやすさに、調子に乗ってガンガンのライブを1時間45分ほどやってしまった。絶好調のライブだ。
 
 ライブ終了後、機材を片付け、一階で飲み方。原田さん夫婦、神薗夫婦、大ちゃん、東倉くん、そして柳田さん。12月4日から16日までの鹿屋でのライブのスケジュールを話し合った。ほかに話題は転々としたが、僕はどんどん辛くなっていた。身体が重いのだ、12時前に限界が来て、申し訳なかったが、眠らせてもらうことにした。

 今日、体調が戻ったと思ったのは、どうやら錯覚だったようだ。そのまま部屋に戻り、何もしないで布団にもぐりこんだ。
     
11月 24日  12時前に起きた。身体が鉛のように重い。

 12時間眠ったのだが、体調はかなり悪い。昼ご飯を誘いに来てくれた清広君とラーメン屋さんに出かけた。鹿屋で一番あっさりしているラーメンと言うことだった。ちょっと塩味がきつかったが和風だしの雰囲気であっさりとしたおいしいラーメンだった。

 昼食を終えて、太平温泉に戻って、霧島に出発した。6時に有馬君の家と言うことなので、のんびりと走って、国分市によってホームセンターで車の中を整理するために、3段式の塩化ビニールの衣装ケースを買って、車の中に転がっている衣類を整理していれた。その後に、スーパードラッグに寄ってサプリメントを買った。買い物をしている最中、頭がクラクラ…フワフワしてきた。多分、身体の熱が上がっているのだろう。少し車の中で休息して、有馬君の家に向かった。

 6時前に、有馬亭邸に着いた。有馬君が家から出てきた。僕の車の前にバスが居た。有馬君はバスに乗り込んだ。僕は、有馬邸の駐車場に車をとめた。有馬君の出て行った家に入ろうとしたら、電話が掛かってきた。今バスに乗っている有馬君からだった。すれ違ったね…と会話していると、駐車場に車が入ってきた。話しているうちに車から降りてきたのは、奥さんと二人の娘さん達。電話をしていたので挨拶も出来ない。奥さんが最後に降りてきたときに電話が切れて、奥さんとのすれ違いは回避されて、挨拶が出来た。

 家に入って、しばらくして、峰下君がやってきた。今日のライブの担当は峰下君。一休みさせてもらってから、今日のライブ会場の、「霧島峠茶屋」に向かった。不思議なことだが、身体の調子が良くなるはずが無いのに、ライブに対する思いが高まってきたこの時間。クラクラ…フワフワは感じなくなっている。テンションが高まってきているのだ。

 霧島峠茶屋に着いたときには、絶好調(のはずが無いのはわかっているのだが)だ。
 今日のライブを受け入れてくれたのは、橋元君。この店の息子さんだ。お父さんや家族の人達が暖かく迎え入れてくれた。腹ごしらえにうどんを注文して食べている頃、峰下君がやってきてくれた。うどんを食べ終えてライブのセッティングを始めた。峰下君と橋元君が横断幕を張ったり客席の準備を。僕は音響のセッティングを。総てが終わった頃、お父さんが、店の照明のアイデアを出してくれた。お父さんなりに、ライブイメージを良くしようと考えてくれていた。リハーサルを始めた頃、お客さんたちが集まり始めた。8時を少し過ぎて、峰下君の司会でライブが始まった。途中からも人が続々と集まり、お店は一杯になった。

 熱っぽい身体だったが、ガンガン唄って、結構ガンガン行政批判をするようなライブだった。お客さん達が、それは言わないほうがいいというようなそぶりを見せていたので、そんな関係者が来ているのだと知ったが、だからこそ言わなければならないんだと、堂々と話していた。後で知ったことだが、霧島町長が奥の席に来てくれていたらしい。今日も悪い体調の中、1時間45分を超えるライブになってしまった。ライブ終了後、片づけをしているときに、身体のけだるさが襲ってきた。でも、皆さんが手伝ってくれているので、辛さを隠して片付けを頑張った。青少連で出会った西さんがお客さんとしてきてくれていたのに、CD販売をしてくれていた。あさってのライブを担当してくれている元県青年団長の大久保君も片付けを手伝ってくれていた。

 その後、霧島峠茶屋の好意で席を作ってくれた懇親会に参加。またいつでもライブをしてくれるとお父さんが言っていた。12時近くまで続いた懇親会、風邪の辛さは消えていた。

 僕の車は、峰下君と大久保君が有馬邸に運んでくれていたので有馬君のお姉さんの明美さんの車で有馬邸まで送ってもらい、有馬君と2時ごろまで語って眠った。
     
11月 25日  11時に起きた。9時間以上寝たが、咳が出る。鼻汁が出る。状態は良くない。

 誰も居ない、有馬邸で用意された昼食をいただき。夕方4時半まで、横になったり縦になったりしながら37度の微熱を癒す為に休息・休息・休息。
 休息出来たか出来ないかわからないまま、出発の時間になった。

 今日のライブは、財部町。有馬邸を4時45分に出発。カギをかけないで出たので、奥さんの居る有馬商店に寄った。カギをかけないで家を出た報告をして、そのまま財部町に向かった。

 財部町で受け入れてくれたのは荒武君、7年前に、大隈半島ウォーキングの時にライブを企画してくれた人だ。役場職員の?荒武君、役場に約束の時間前に着いて、携帯電話で呼び出して、7年ぶりの再開を握手で確認しあった。

 うどんをご馳走になってから、一旦車を荒武邸まで運び、ギターとCDセットを持って、荒武さんの車で公民館へ。8時からのライブは、公民館のロビーで。ふるさとキャラバンの公演のための実行委員会の集まりで唄うことになっている。会議のつもりでやってきた人達も居るようだった。なにはともあれ実行委員が20人ほど集まった所でライブを始めた。荒武さんからも言われていたのだが、芝居を成功させるための実行委員会が、今ひとつ危機感をもてていないので、元気の出るライブをと。過去にミュージカルに参加したこともある僕。そんな時のことを話しに交えながら、1時間と少し唄いつづけた。涙ぐんで聞いてくれている人達もいた。皆さんに元気になってもらえたかどうかは分からないが、いいライブにはなったようだ。その後、近くの飲み屋さんに出かけ、10人ほどで飲んだ。風邪を引いているのでほどほどにと思いながらもついつい…。

 安楽さんとあいちゃんに荒武君の家まで送ってもらって。そこから荒武君と寝酒と称して焼酎を飲みながら奥さんと話した。すぐ眠るつもりだったのに、7年前の出会いから話が始まって、2時過ぎまで語り合ってしまった。奥さんと話していて気が付いたら荒武君は椅子に座ったまま眠っていた。それを見て、そろそろ寝ましょうの世界に入って、布団に入った。
     
11月 26日  朝10時過ぎに起きだしたが誰も居なかった。朝食の用意をしていてくれたので、味噌汁だけいただいて、誰も居ない荒武さんの家を出た。鹿児島で見つからなかった必要なものを買出しに、宮崎県の都城市に出かけることにした。都城市は財部町の隣町なのだ。

 鹿児島で見つけら無かったのは、手作りCDアルバムの包装紙(塩化ビニール)。国分市のホームセンターを回っても、その他の町のホームセンターを回っても見つけられなかった。
 それを見つけるために都城市に出かけたのだが、最初に見つけたのは楽器屋さん、音響機材の延長コードが無かったので10メートルのコードを購入、そして、隼人町ライブ最後の日に甲斐君に音叉をプレゼントしてしまったので、購入。思わぬ買い物をして満足して、ホームセンターを2軒回って、二軒目で探していたものを見つけた。

 CD梱包パッケージ、やっと見つけた、100パック入りの品が、8個あった。総てを購入した。さすが都城市、ありがとう。これで手作りCDアルバムが800枚作ることが出来る。当分安心だ。

 銀行で仕送りをして、風呂にでも入ろうと霧島町に向かった。でも、やっぱり体調が良くない。ここ数日(有馬温泉以来)風呂に入っていない。着替えもしていない、汚い奴だ。いいんだ、どれだけ身体が垢だらけになっても死ぬことは無い。でも、汚いよね…。

 途中でご飯を食べようと思ったのだが食欲が湧かない。コンビニで肉まんと納豆まきを買って生命維持を果たした。その食料を胃に入れながら、都城市で買ったDVDの500円映画をパーキングで見た。グレゴリーペック主演の「群集」と言う白黒映像の映画だ。感動した。感動を共感したい人は見てみてください。

 6時に霧島町役場駐車場で、峰下君と待ち合わせをしていた。約束の時間の少し前に着いた。峰下君の職場は目の前の郵便局。6時前に峰下君がやってきた。やっと仕事を終えて、一旦自宅に戻ってからくるので、6時を過ぎてしまいますと言うことだった。なんでもOKの僕は、OK。6時過ぎにやってきた峰下君の先導で、溝辺町の竹子(たかぜ)青年の家に向かった。

 7時前に到着。青年の家では、昨年まで県の青年団長をしていた大久保君と敷根知美ちゃんが待っていてくれた。竹子青年の家の畳の間は広かったけど響きが良かったので、音響機材を使わないことにした。
 それぞれに声かけはしてくれたらしいが、それぞれに忙しく人は集まらなかった。ライブ開始時間が来て、お客さんは4人だった。唄っている間に、子供連れの加来夫婦がやってきてくれて人が増えた。

 ライブは、なにも話さず始まった。今夜のライブは、一言だけ言って、後は曲つなぎで行こうと思っていた。1時間半のライブ、最後の一曲の前まで語らなかった。そして、最後の曲「ランナー」の前にはじめて語った。「高橋忠史です、最後の曲です。ランナー」。と語って、ライブは終わった。

 そして打ち上げ。ライブ終了後にやってきた、横川長青年団団長の月野木和行君も加わって、風邪を引いている僕に何とかパワーをつけてもらいたいと、豚肉の入った鍋を作ってくれた。その思いにうれしくなって、飲むわ、飲むわ、気がついたら朝の5時だった。起きていたのは僕だけ、最後まで付き合ってくれたのは大久保君だが、彼も途中で眠っていた。恐るべし、52歳、高橋忠史。そして、僕は別室に用意されていた布団に入って眠った。

       

     
11月 27日  11時近くまで眠っていた。竹子青年の家には僕一人だ。布団をたたんで、霧島町に向かった。夕方まで何処で時間を過ごそうかと考えた。家で休んでくださいと言う、有馬君からの電話があった。とりあえず手足を伸ばして風呂に入りたかったので、昼過ぎにラーメン屋さんでチャーシュウ麺を食べて(めったにチャーシュウ麺は食べないのだが、疲労回復の為に食べた)、有馬君の前の職場の温泉に入った。昨日も飲みすぎで、風呂に入ってやっと酒が抜けたと言う感じだった。

 ゆっくり湯に浸かって、風呂から上がって誰も居ない有馬君の家に上がりこんで休ませてもらった。その間に1時間ほど昼寝もさせてもらった。

 車の整理をしようとしてタバコを吸いながら車にいたら、有馬君が帰って来た。しばらくしてから、先日ライブをさせてもらった峠茶屋に食事に出かけた。今日は、団体さんの予約が入っていて休業中だったのに、僕たち二人を入れてくれて食事をさせてくれた。

 ライブ会場は駅前公民館、今夜もすごく冷え込んでいた。霧島中学校の親父の会主催のライブだったが、今日が土曜日と言うこともあって、それぞれに行事が多く、それでも打ち上げがないと聞いていたからこの日を有馬君が設定してくれたらしいが、急遽打ち上げをすることになったり風邪を引いたと言う人がいたりで、参加者は少なかった。中学校の校長と教頭先生は早くからやってきていた。

 15分ほど遅らせてライブは始まった。リハーサルと称してビートルズナンバーを唄っていたら、教頭先生がリズムを取ったり一緒に唄って居たりした、音楽好きな教頭先生らしい。そして約20人ほど集まった公民館会場でライブが始まった。子供たちも居たが、親父の会と言うことだったので、親父たちに合わせたライブを1時間と少し。そして一気に撤収して、僕の車を有馬宅に運び、有馬君の車で打ち上げ会場の焼肉屋さんへ。

 校長、教頭、も含め10人と少し集まって飲ん方が始まった。話はあちらこちらに飛んだが、僕の中で印象に残ったのは、校長に親父たちが意見をしていたことだ。なかなか、みんな郷土愛の強い人達で、他所からやってきた校長はたじたじだった。そんな中、僕は教頭先生と話し込んでいた。すると、突然、2月のスケジュールを聞かれた。前半はまだあいていると伝えると、2月の4日に霧島中学校で講演してくれないかという。スケジュールはあいていたのでOKの返事をすると、すぐに校長に承諾を取って、日程はこれから決まるそうだが、また霧島に2月にやってくることが決まった。事前に有馬君から2月のスケジュールはどうなってますかと聞かれていたのだが、そういう事だったのかと納得。

 12時近くに有馬宅に戻って、2時過ぎまでまた語り、眠らせてもらった。

                    

     
11月 28日  今日のライブは1時から。宮崎県都城市にある、フードギャラリー星の空で、オーナーの紫村さんと12時に待ち合わせていた。ホームコンサートだとは聞いていたが、何処の誰なのかは、紫村さんに連れて行ってもらうまでは分からない。

 有馬家を出ようとしたが、志保ちゃんしか居なかった。車を出そうとしたら奥さんの車が後ろについていた。また、家に戻り志保ちゃんにお母さんはとたずねたら眠っているらしく、お母さんを起こしに2階に上がっていった。眠っていた奥さんを起こしてしまうことに、申し訳なさを感じながらも、車を動かしてもらって、有馬家を出発した。

 霧島町から隣の県の都城市までは以外に近かい。30分と少しで着いてしまった。12時前についたので、しばらく紫村さんがやってくるのを待った。12時過ぎにやってきた紫村さんと、フードギャラリーの庭でしばらく話した。
 今日、ホームコンサートをしてくれるのは大薗さんというお宅で、お店のお客さんらしい。娘さんがソプラノ歌手で、そのスタジオがライブ会場になると言う。
 1時前に都城西駅で落ち合う約束をして、僕は駅に向かった。

 駅で落ち合い、紫村さんの車に先導され、いっしょにやってきた珈琲館のスタッフと共に、今日のライブ会場になる大薗さんのお宅へ。素敵な庭のある立派なお宅だった。
 テラスにはライブ終了後の懇親会の準備がされていた。娘さんに案内されて、庭の奥にあるスタジオに入った。高い天井、さすがソプラノ歌手のスタジオ、声の響きが心地よかった。音響を使う必要はまったく無い。

 ピアノの横に椅子を用意してもらい、譜面台とギタースタンドを用意し、少し唄ってみた。ギターの音も声もいい感じに部屋を駆け巡る。お客さんが少しずつ集まってきていた。急な話だったので多くの人に声をかけられなかったと大薗さんから聞かされていたが、それでも20人弱の人が集まってくれてライブ開始。ゆったりとした上品な空間に、僕の選曲も穏やかなものが多かった。1時間半はあっという間に過ぎていった。「ないた赤鬼」では、涙を流して聞いてくれている人もいた。

 ライブ終了後、庭に出て、お客さん達がそれぞれに持ってきてくれたという料理の数々をいただきながら元気印いっぱいの女性たちと時間を過ごした。それはもう元気な人達で、僕はただ無口になって皆さんの話を聞いているだけだった。

 そんな頃に、鹿屋市の柳田さんから電話があった。猿まわしの村崎修二さんと一緒に近くまでやってきているのだが、場所がわからないという。電話を娘さんに渡して道順を教えてもらった。しばらくしてやってきた。柳田さんの車の後にワンボックスの大きなバン。運転しているのはもちろん村崎修二さんだ。運転席から顔を出したしゅうじさんはずいぶんと太っていた。15年ぶりの再開だ。昨日熊本県の天草で演じてきて、わざわざ僕に会いに熊本からやってきてくれた。山口県に帰る途中の寄り道だと言う。寄り道にしては、遠回りしすぎるぐらいの距離だ。それがうれしかった。

 大薗さんの家に集まった人達も猿回しの人がやってくると言うので大賑わい。庭に向かうと、皆さん大歓迎してくれた。珍客と僕の為に、娘さんが歌ってくれることになった。みんな大喜びだ、透き通るような彼女の歌声にしばし聞き入った後、修二さんがそれに答えて、お猿さんを疲労してくれる事になった。思わぬ展開に、やってきていたお客さんたちはまたまた大喜び。車の中でほうっておかれた猿のアトム君は興奮しているようだった。庭にどかっと座ったしゅうじさんにしきりに噛み付いている。しゅうじさんの腕には無数の歯形が生々しくついている。

 修二さんの調教方は、テレビで見る反省猿の猿まわしの人達のように人間が猿に噛み付いたり脅したり叩いたりはしない。愛情を持って、共に暮らし、猿に噛ませて調教していくのだ。このスタイルを作ったのは修二さんだ。多くの文化人に支持されている、すばらしい人なのだ。

 興奮したアトム君は庭を出るまで修二さんを噛み続けていた。それにひるむことなく、僕たちにお猿さんの事を教えてくれていた。山口に帰らなければならないのでと、修二さんはアトム君と庭を出て行った。庭を出るなり安心したのか、アトム君はしゅうじさんと手をつなぎ親子のようにして車のほうに歩いていった。車を見送った時、僕の元気そうな顔を見れてうれしかったと言ってくれた。15年ぶりの再開は、二人で語る時間もほとんど無く、あっという間に過ぎていった。

 しばらくして、柳田さんや紫村さんたちと共に大薗さんのお宅を失礼して、今日から3日間、都城で過ごす宿を見つけに駅に向かった。今年3月に泊まったことのあるホテルに着いて、3日間の部屋料金を払って部屋に入った。
     
11月 29日  今夜のライブは、高城町の「カフェ&ギャラリーらんぶる」。夕方までホテルで過ごし、暗くなってから出かけた。

 7時前に、らんぶるに到着した。急にお願いしたと言う事で、お客さんがどれだけ集まるか分からないと、小森さんは心配していた。

 おなかがすいていたので、お店のメニューから、卵料理を頼んで腹ごしらえ。

 8時からのライブにやってきてくれてたのは一家族だけだった。4人のお客さんたちは食事をしながら聞いてくれていた。1時間半、歌い終わった僕に、ギターに興味のある息子さんがエリッククラプトンの曲、そして大工さんだと言う僕と同年代のお父さんは「いちご白書をもういちど」をリクエストしてきた。本来ならそういうリクエストは受け付けないのだが、本日唯一のお客さん達だ、リクエストに答えた。ライブ終了後、食事代を払ってホテルに帰った。
     
11月 30日  今日のライブは昼の1時から。都城市内にある、「相田みつをギャラリー・道」、3月に星の空でのライブの時にいつでも来ていいよと言っていてくれたご夫婦のお店だ。

 駐車場から、店に入るまでの庭には、相田みつをさんの言葉があちこちにちらばめられていた。店に入っても、相田みつをさんの言葉があちこちにちらばめられていた。喫茶室の奥にギャラリーがあった。ライブはそのギャラリーで行われる。
 相田みつをさんの年表があった。彼が世間に認められたのは60歳の時だと知って、なんだか勇気が湧いてきた。こつこつと、自分の世界を築き上げてゆけば、いつか世間に認められる時が来る。僕も、焦らず高望みをしないで、しっかりと自分の道を歩きつづけていこうと思った。

 やっぱりここでも急な話だったのと、今夜マンドリンの教室があるので、昼にしかライブ設定できなかったので僕の大ファンになってくれていた奥さんは、お客さんを呼べない事を残念がっていた。それでも、10人ほどの人に集まってもらって、相田みつをさんの言葉に囲まれたギャラリーの中で、彼の一言一言を感じながら曲を選んで唄った。ゆったりとした時間があっという間に過ぎていった。お客さんは少なかったが、とってもいいライブが出来た。相田みつをさんに力を貸してもらったような気がする。

                       

 少なかったお客さんだったが、僕のことを知ってる人がほとんどだったので、今日のより深いライブに満足してくれていた。今日のことを3日前に聞いたと言う奥さんもご主人も、次は、せめて一ヶ月前には連絡して欲しい、そして、困った時はいつでも連絡してくれたらいいとも言ってくれた。あったかい気持ちになって、「相田みつをギャラリー・道」を後にした。

     
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