春野町勝坂・音楽の森だより

2004年  6月

気まぐれ日記・LC通信
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2004年
 6月  1日  9時前に起きた。眠い。今日明日と、仕事仲間と一緒に山形県の白布温泉に出掛けるという典子さんを駅まで車で送って、いったん戻って僕は10時過ぎに宮城県古川市に向かった。

 天気がよくないと言う事だったが、関東を抜けると晴天。日差しが強くて、車の中では暑いぐらいだ。東京をギリギリにスタートしたので、古川市に着いたのは5時を回っていた。プラザホテルに到着すると板垣さんが、車で待っていてくれた。まずは荷物を持ってホテルにチェックインし、板垣さんの車で「スポーツダンスルームさちこ」に送ってもらった。ギターを置いて、打ち合わせを済ませて、僕はいったんホテルに戻った。

 ライブが7時半からなので、7時にホテルを出て「スポーツダンスルームさちこ」へ。到着すると、まだ誰も来ていなかった。しばらくして板垣さんがやってきた。ライブの準備をして、後はお客さんを待つばかりだ。前回は、初めてだったので沢山の人を集めてくれた板垣さんだったが、話をする人も居たりしたので、今回はちゃんと聞いてくれる人だけを厳選して呼んでくれたらしい。だから人数は少なくなると言う事だった。

 7時半を過ぎて、注文したものが出揃ったところで、ライブが始まった。1時間を過ぎたところで、板垣さんから言われていた演出で、今日入籍したばかりのカップルのためのミニ披露宴が始まった。僕のひとことで、花束贈呈と、手作りケーキでのケーキカット、そして僕からのプレゼントで「生まれたばかりのハーモニー」を唄った。会場が和やかになったところで、残りの二曲。最後までしっかり聞いてくれていたお客さんばかりで、気持ちよく唄えた。

 ライブ終了後、板垣さんが紹介してくれた野村さんと言う人と語り合った。僕よりも10歳先輩の野村さんは、僕がみんなの山を買うために売れるんだと言う話に凄く惚れ込んでくれて、協力を惜しみなくすると熱く約束してくれた。仲間がどんどん増えていくぞー。その後紹介してもらった男性も、山の話が良かったと、感想を語ってくれた。明日が早いので、12時前には店を出た。野村さんの奥さんが運転する車に便乗させてもらってホテルまで送ってもらった。

 今日もまた、素敵な人と出会える事が出来た。板垣さんに感謝だ。
     
 6月  2日  今日は、岩手県花泉町の「花と泉の公園」での緊急ライブだ。スケジュールが埋まらなくてどきどきしていたのだが、花泉町の佐藤(吉田電車)君が、2日と4日と10日を、この「花と泉の公園」でライブが出来るように役場の人に当たってくれて実現するのだ。

 時間は11時半からと言う事だったので、古川市を早めに出た。高速道路を使って、金成インターで降り、さすが米どころの田園地帯を走り、道路標識を頼りに花泉町へ、意外にスムーズに10時に役場に到着できた。佐藤君は10時半から時間休暇をとると言っていたので、待っていた。

 急にお腹が催してきたので、役場のトイレに入っていた時に10時半がやってきて、案の定、佐藤君からの電話、顔を真っ赤にしながら電話を取って、しばらく待ってくれるように頼んだ。
 お腹がすっきりして、さわやかにトイレを出て、佐藤君と再会。すぐに「花と泉の公園」に出掛けた。

 役場の人たちが手伝いに来てくれるということだったが、早すぎたのか、佐藤君と二人で公園入り口のステージに音響機材をセッティングした。その頃、係りの役場の人たちが沢山やってきてくれた。ステージ上に、青いシートが張られているのを気にした職員の人が、それをはがした。そうすると、ステージ上に落ちている細かなごみが目立ち、今度はそれを掃除してくれた。僕はあまり気にしなかったのだが、役場の人たちが、結構気にしてきれいにしてくれた。公園内に放送をかけるから、何時からやりましょうかと尋ねられ、じゃぁ12時から始めますかということになった。

 その時11時半。音を出していないと、お客さんも集まらないかと、リハーサルと称して、12時までギターの演奏をしたり唄ったり。ライブは12時前に終わったのだが、結局1時間半唄ってしまった。
 告知も無い中でのライブだったが、佐藤君が声を掛けてくれて集まった人たちや、公園主催の「ぼたん祭り」にやってきた人達の数名も集まってくれて、炎天下みなさんしっかり聞いてくれていた。何も知らなくてやってきた人たちもCDを買ってくれて、大成功。公園入り口で模擬店を出していた方達から佐藤君と共に「はっと」と言う「すいとん」に似た食べ物をご馳走になって、満足満足。

 佐藤君は午後からの仕事の為に、役場に帰っていき。僕は、公園の中を散策した。ちょうど花は咲き終わっていたが、満開に割いている頃にはさぞ美しいだろう事が想像された。

 今夜の泊まりは、佐藤君の手配で、盛岡市の青少年会館。4号線に出て盛岡を目指し、6時前に宿に到着。ここは、部屋で煙草が吸えない。ん〜ん、僕にとっては辛い状況だが、夕食を外に食べに出掛け。途中で買ってあったお酒を飲みながら、日記などを書いて過ごした。喫煙所があるのだが、そこまで出掛けて吸うのが面倒で、3回ほど出掛けたが、酒を飲みながらも、たばこを我慢の夜。こんな日もあっていいのだ。
     
 6月  3日  9時チェックアウト。青少年会館は厳しい、せめてホテル並みの10時チェックアウトにして欲しいと思うのだが、料金が安いのだから(といっても、お金を払うのは佐藤君なのだ。)仕方が無いか。

 目覚ましを8時20分に合わせていたのだが、いったんその時間に起きたものの起きれない。又眠ってしまった、強力に疲れている。それでも頑張って、9時10分前に起きた。部屋を片付けて9時きっかりに青少年会館を出た。

 今日のライブは、青森県野辺地町。馬門という温泉地帯の中にある、高級ホテル、の富士屋でのライブだ。主催は日本生命の野辺地地域の伊藤さん。

 一般道を走って、5時ごろに着けばと思っていた。時間はたっぷり有ったので余裕で4時半には着いてしまった。伊藤さんに電話したら、5時過ぎになるが、ホテルの人に連絡しておくから、待っていて欲しいと言う事だった。ホテルの駐車場で、ギターを出していたらホテルマンがやってきて、宴会会場に案内してくれて、その横の着付け室に通され、そこが僕の控え室になった。

 6時前に伊藤さんと倉内さんがやってきた。伊藤さんは予想以上に若い人だった。倉内さん平内地域の支部長さん。共に人柄のよさそうな人達だった。ライブ開始時間まで控え室で日記などを書いて過ごした。伊藤さん倉内さんからライブは語りも多く入れて欲しいと言う事だったので、意気込んで会場入りした。

 お客さんの数は170人ほど、みなさん呑んで食って語っていた。後は多くを語るまい。1時間のライブ時間が長く感じられた。終わってすぐに控え室に戻った。倉内さんが飛んできて、もう一度会場に戻って、後一曲歌ってほしいという。あまり気乗りはしなかったが、ギターも持たずに会場に戻った。倉内さんが会場に居た皆さんに何を話したかは分からないが、今度は全員が静粛にして僕を迎えてくれた。倉内さんの司会で、もう一度歌って欲しいと言う依頼に、「SHINO」で答えた。ギターが無いのでアカペラで、会場のマイクは使わず、客席に下りて唄った。先ほどとは打って変わって静かに聴いてくれていた。大きな拍手が鳴り響いて、会場を後にした。

 倉内さんのおかげで、いやな気持ちは吹き飛んだ。ホテルの居酒屋で、伊藤さん倉内さんそして経理の女性の4人で飲んだ。伊藤さんは、ライブ終了後、目を、真っ赤にして涙ぐんでいた。倉内さんは興奮を抑えきれないで居るようだった。11時近くまでお酒を頂いて、3人は帰っていった。ホテルのお風呂につかり、運転疲れを癒して眠った。
     
 6月  4日  朝8時半ごろ出発の予定だったが。昨日、一昨日の運転疲れが出てきていて、起きられない。やっと8時半に起き出し出発は9時になってしまった。

 花泉には11時半につかなければならない。昨日、距離計算をしていなかった。地図を調べると、かなりやばい。八戸方面に走って高速に乗った。久し振りに、超いけないスピードで走り続けたが、一関のインターを降りたのが12時だった。道はすいていたのだが、のんびり走る車の後ろについてしまい。「花と泉の公園」に着いたのは1時前だった。慌てて機材をおろし、準備が出来たのは1時過ぎ。12時から始める予定のライブは1時15分からになってしまった。佐藤君は1時間の時間休暇をとってやってきてくれていた。お客さんはまばら。唄っていくうちに立ち去ってゆく。今日担当の役場の女性が連れてきてくれていた男性だけになってライブは終了した。おひねりを置いていかないでほとんどの人は立ち去ってしまった。でも、会場で模擬店をしている女性がおひねりを入れてくれた。とにもかくにも、大遅刻のライブは、それでも終了した。

 今日は、東京に戻るつもりだったのだが、すっかり疲れてしまっていた。模擬店のおじさん、おばさんたちに、もちなどをご馳走になって話し込んでいるうちに、4時近くなってしまった。みなさんに、又10日に来ますと言い残して会場を発った。

 いけるところまで走ろう。収入がほとんど無かったので、高速は使わず一般道の4号線をひたすら走った。そして福島県福島市を過ぎたあたりの道の駅に泊まることにした。長距離運転はきつい。
     
 6月  5日  朝8時ごろに目が覚めた。6時間ほどは眠れただろうか。車内泊なので、体中が固まっていて、あちこちが痛い。今夜は、栃木県壬生町でのライブだ。いわせさんが企画をしてくれている。2時ごろ来て欲しいと言われていたので、もう少し眠っていたかったが、頑張って出発した。いけるところまで一般道を走って経費節約だ。

 眠気との戦いは今日も続く。それでも眠らずに走り続ける。「われ〜、なめてんのか…、いてこましたろかー!ぼけぇ〜。」と、わけの分からない事を叫びながら眠気と戦ってハンドルを握り締める。やっとの事で西那須野インターに入って、高速道路を走って鹿沼のインターを降り、待ち合わせ場所の獨協医大の入り口に着いた。いわせさんが待っていてくれた。いわせさんに先導されて今日のライブ会場の「おるどいや」に到着。

 今日のライブは、ここ「おるどいや」で、いわせさんが始めた歌声喫茶の10回目の記念ライブ。そこに僕がゲストで呼ばれたのだ。ライブは夜からなのに、2時の待ち合わせとは早いなと思っていたが、会場についてしばらくしてやってきた仲間達と音響機材をセットして、今日みんなで唄うかもしれない曲の練習を始めた。ドラムとピアノとそしていわせさんの3人だ。唄うのはいわせさん、甘い声で、なかなかのものだ。僕のリハーサルは簡単に終わって、彼らの演奏を聞いていたのだが、睡眠不足。眠気が襲ってきていた。

 夜になってお客さんが集まってきた。40人を超える人が集まり、「おるどいや」はお客さんで一杯になった。まずは、いわせさん達の歌声喫茶が始まった。1時間ほど、リクエストを取りながらみんなで歌う。僕は、眠くて眠くて、でも眠らなかったのだが、目を閉じてばかりいた。

 歌声が終わって、少々の休憩の後、僕の出番だ。皆さん音楽が好きな人達ばかりだったので、とっても歌いやすかった。1時間半のつもりが、少々時間が延びてしまったのは、気持ちが良かったからだ。毎日、こうやって聞いてくれる人達ばかりの中で唄えたらどんなに楽だろう。1000日連続ライブ、そんなに甘くは無い。明日からも気を引き締めて頑張るぞー。

 後片付けを終えて、鹿沼市にあるいわせさんのお宅に向かい、今夜は泊めていただく事になっている。家に着いたのが遅かったのだが、お風呂に入らせてもらってから、奥さんと3人で祝宴。飲めないといいながらも僕に付き合ってくれたいわせさん。祝宴が終わったのは3時をとっくに過ぎていた。
     
 6月  6日  10時過ぎ?に起床。今日は、小山市の酒蔵・若駒酒造でのライブ。東京でのライブで出会った佐野さんが、「NPO法人・とちぎ教育ネットワーク」の仲間達と企画してくれた。

 2時からのライブなので、いわせさんのお宅を早めに出て、おもいがわ駅北1kmにある若駒酒造に向かった。12時過ぎに到着すると、佐野さんが奥さんと共にやってきていた。早速、会場になる酒蔵を見せてもらった。江戸時代からある酒蔵は、渋いと言いたい所だが古いと言った方があっている。でも、その古さが趣だ。さっそく機材をセットした。そして唄ってみた。心地よい、いい響きだ。

 「とちぎ教育ネットワーク」のメンバーや、佐野さんのお友達達が沢山集まってくれて2時からライブは始まった。ネットワークの理事長の斉山さんの挨拶から始まって、すぐに唄い始めた。教育にかかわっている人達(フリースクールや塾)が多かったので、生きるとは何ぞやというようなテーマを持って唄った。1時間半はあっという間に過ぎていった。響きもよいのだが、聞いてくれている人達の反応がものすごく良かった。手拍子が出るわけでもなく一緒に歌うでもないが、いい反応だった。僕は、じっと静かに聞き続けてくれるお客さんが好きなのだ。手拍子や一緒に歌うというようなことは意外にどうでもよく思っている歌手なのだ。でも、自然発生的に生まれてくる手拍子や歌声はやはりうれしいのだが。

 ライブ終了後、そのまま宴会に入った。ネットワークの人達ともしっかり話せた。夕方、佐野さんに先導されて、今日泊めていただくホテルでチェックイン、そのまま、すぐ近所の飲み屋さんに直行。佐野さん家族と、仕事仲間と、11時ごろまで飲み続けた。今夜の僕は妙にテンションが高く。なんだか一生懸命語っていた。ホテルに戻ったが、そのまま何も出来ずにベッドにもぐりこんでいた。
     
 6月  7日  今夜は小山市の「じゃむじゃむ」でのライブだ。今日から3日間スケジュールが空いていたのを心配して、あちこち声を掛けてくれて、空きを埋めてくれた。

 泊まっていたホテルとは駅を隔てた反対側にあって、近すぎるぐらい近い。得意の電気屋さんめぐりをして、必要なものを買い込んだ。3時ごろジャムジャムに出掛けると、佐藤さんが店の奥で椅子を並べて眠っていた。毎日移動して唄い続けている僕だけじゃなく、みんなどこかで疲れているんだ。

 隣のフリースペースで今夜は泊めていただく事になっているので、荷物を運び込んで、ライブ前まで休ませてもらった。「じゃむじゃむ」のヘルシーな夕食を頂いてしばらくするとお客さんたちが集まってきた。今夜は佐藤さんの子供の頃からの知り合いたちが集まってくれた。新聞を見たと言って来てくれた80代のおじいさんもいた。果たして僕の歌がどれだけ通じるか心配だったが、話にもうなずきながら聞き続けてくれていた。お店一杯の約20人のお客さんと楽しんだライブだった。

 ライブ終了後は、そのままほとんどの人が残って打ち上げ。今夜も音楽の話や、山の話で盛り上がった。おじいさんは帰り際に「先生によろしくお伝えください。」といって満足そうに帰って行ったそうだ。
     
 6月  8日  お昼前まで眠らせてもらった。睡眠時間は12時間。昨日までの睡眠不足は解消できたかも知れない。珈琲を頂いてから、小山遊園地にある温泉に出掛けた。

 ゆったりお風呂に浸かって、身体をリフレッシュ。昼食を食べて、「じゃむじゃむ」に帰ると、今夜の食事は、冷やし中華でいいと聞かれた。さっき、温泉で食べたのは冷やし中華、あちゃー!。すいません…(心の声)。
 隣のフリースペースで、日記を書きながら時間を過ごしている間に佐藤さんの声。夕食の時間ですよー。慌ててコンピューターの電源を落として「じゃむじゃむ」へ。今夜もヘルシーな菜食メニュー。僕の身体がきれいになっていくような気がする。

 食事が終わって雨の中、佐藤清子さんと一緒に、今夜のライブ会場「OMOIGAWA CAFE」まで歩いて出掛けた。「OMOIGAWA CAFE」までは、「じゃむじゃむ」から5分。
 学祭のノリのCAFEだった。栃木大学の学生が、市から委託されて経営しているという、けっこうアバウトなお店だ。佐藤さんが声を掛けてくれて実現したのだが、経営者の学生君もバイトで入っている学生君も、何がなんだか分からなく引き受けてしまったという感じ。それでも、照明を考えてくれたり、歌う場所をセットしてくれたりと、精一杯がんばってくれていたが、お客さんが入ってくると、もう手一杯の感じ。

 ライブ時間がやってきたのだが、ゴーサインは出ない。お客さんも何をどうしていいか分からない状況の中で、飲みに来たお客さんや、ゼミの生徒を連れてやってきた若い先生、しっかり聞こうとしてきてくれていた事務系の人達、外国からの訪問者、わけもわからずやって来た先生、それぞれのお客が戸惑ったり、ライブとは関係なく話していたり。なかなか、大変な状況のなかで、自分からライブの開始を宣言して唄い始めた。

 1時間とちょっと唄って、ライブ終了。多くは書くまい。…と言う事で、分かる人には理解してもらえるだろう。事務系の女性達と一緒に聞いていてくれた先生が、気に入ってくれたらしく、ライブ終了後ビールを一杯おごってくれた。今夜の救いだった。

 ビールを飲み終えて、「じゃむじゃむ」に帰った。フリースペースに戻って、携帯電話を忘れて来たことに気づいて慌てて、笠をさしてCAFEに戻り、携帯電話をとって又「じゃむじゃむ」へ。
 まー、しゃーないかの一日だったが、話をつけてくれた佐藤さんと、必死になって頑張ってくれた学生達に感謝の日だ。 
     
 6月  9日  今日は、朝から、フリースペースを使う人達が居るということで、9時前に起きだして、隣の「じゃむじゃむ」へ。珈琲をいただき、10時前に買い物に出掛けた。もちろん、大型電気店だ。ここ数日、小山市を車で走り回っているうちに、めぼしい店を確認していたのだ。

 ここ数ヶ月、デジカメで写真を撮っていない。パソコンが変わってから、どうも、写真を撮る気力がなくなってしまったのだ。そして、今まで使っていたデジカメは、志乃に渡してしまって、今はカメラもないのだ。
 パソコンはソニーのバイオなので、ソニーのデジカメを買う事に決めて電気店へ。出来るだけ小さなカメラがいい、画素数も多く無くていい、そして選んだのが旧式のサイバーショット。たまたま、店に残っていた。そいつを購入。ついでに、パソコン用のテレビチューナーも購入、これは衝動買いだ。旅先で暇な時テレビも見たいと言う理由からだ。

 じっくり品定めをしていたので、適当な時間になった。「じゃむじゃむ」に戻って。フリースペースで、カメラの設定や、テレビの設定をしているうちに、夕方になった。今夜もヘルシーな食事を頂いて、清子さんと一緒に、今夜のライブ会場、大橋宅に向かった。
 大橋さんは無農薬農場を営んでいる。清子さんとの関係で、スケジュールの空いていた今日を埋めてくれた。今夜のライブのテーマは前向きに生きると言う事。大橋さん家族と近所のお友達が10人ほど集まってくれた。僕の思いが、何処まで伝わったか分からないが、僕は精一杯のライブをしたつもりだ。11時ごろまでお茶を頂いて話していた、と言うよりも、一方的に話す女性の話の聞き役になっていた。ちょっときつかった。
 でも、家を出る前の話で、ご主人は僕の思いを分かってくれた事を伝えてくれたので、今夜は今夜で、納得のライブだ。

 そして僕は、岩手県花泉町を目指して旅立った。とことん走って、花泉の近くまで走り続けるつもりだ。明日のライブは、12時スタート。ハードな深夜走行になるだろう。
     
 6月 10日  花泉町に一番近いインター、金成インターの手前の、紫波姫パーキングエリヤ(後で吉田電車さんに聞いたのだが、このパーキングで殺人事件があったそうだ、…おー怖。でも僕は殺されなかったよ。)に着いたのは朝の5時前だった。限界だ。そこでシートを倒して眠った。6時。そして、熱くて起きたのが8時。二時間しか眠れなかった。起きれた事で良かったとしよう。

 昨日まで天気が悪かったので、今日の花と泉の公園での野外ライブを心配していたのだが、高橋忠史は晴れ男だ。今日も晴天。くそがつくほど熱い。10時に会場に着いた。焼け付くような太陽光線の下で、一人機材をセットした。
 3度目の花と泉の公園、勝手知ったる我がライブ会場だ。スタッフが誰も居なくても、一人で何とかしてしまう僕なのだ。模擬店の人達と再会の挨拶をして、後は12時のライブ時間を待つだけだ。

 パラパラとお客さんがやってくる。模擬店のおじさん達が、時間を守るより、お客さんのいる時にやればいいじゃんとアドバイスしてくれたので、12時前から唄い出した。暑さしのぎに、パラソルの下にやってきたお客さん(人生の大先輩達)が少しだけ聞いて、おひねりを入れて立ち去っていく。模擬店のおじさんが、僕の事を(1000日連続ライブの説明を)お客さんたちに語りかけ、CDまで売ってくれてた。いい人達だ。

 12時になって、佐藤さん(吉田電車さんではない)が友達を連れてやってきてくれた。本当のお客さんは2人だけだった。後は流れのお客さんと、忙しいなか、駆けつけてくれた吉田電車さん。1時でライブ終了、誰も居なくなった会場で、一人で後片づけをしていると。模擬店の人達が昼ごはんを食べて行けと声を掛けてくれた。
 人の出が悪く、店の売り上げも無いのに、僕に今日もご飯を食べさせてくれる素敵な人達。それだけで、僕の心は晴れやかだった。3日間の「花と泉の公園」をライブを支えられたのは、もちろん吉田電車さんの力だが、この模擬店のおやじさん、おかあさんたちの無償の協力があってこそ。感謝をしながら、公園を去った。模擬店のおじさんおばさんに見送られながら。

 そして、今夜の宿(吉田電車さんのお世話で泊まることになっている)駅前の旅館に着いた。部屋で休んでいると、6時に佐藤君(吉田電車さん)が、夕食を誘いにやってきてくれた。近くの居酒屋に向かい、祝杯を上げた。ライブに来てくれた佐藤さんもやってきた。今度16日にお世話になる森林組合の人達もやってきて、おおいに山のことを語り合って飲んだ。素敵な夜が過ぎていった。

 吉田電車さんの力で、岩手県がどんどん広がってゆく。
     
 6月 11日  昨夜すっかり酔っ払って、花泉駅そばの佐藤旅館に着いたのは、意外や意外、9時だった。何も出来ないまま布団にもぐりこんで、寝た寝たー、起きたのは9時半。ここのところの寝不足を解消する、12時間睡眠だ。
 寝不足を解消したはずなのだが、なんでだろう、だるい。12時間眠ったところで、疲れが癒されるわけも無い。気だるい身体で旅館を10時に出た。

 今夜のライブは、吉田電車さんの呼びかけに答えてくれた、宮城県栗駒町の栗駒駅そばの「みちのく風土館」。岩手県花泉町から宮城県栗駒町は近い。何処で時間をつぶそうかと悩みながらも、車を進めるしかなかった。東北自動車道の金成インターに向かって走った。金成インターそばに、ホームセンターなどが集合している郊外型集合ショッピング街があった。パソコンで見る、カード型チューナーを購入したものの、アンテナが無かったので、それを探すためにホームセンターに寄った。

 車載アンテナを手に入れて、駐車場で設定をしてみたが、強電波地域でしかうまく映らないことだけが分かった。ひょっとしたら、テレビチューナーは無駄な買い物だったかもしれない。ライブでいつも無駄をなくそうと訴えているのに、その張本人が無駄をしてしまっている。なんて情けない奴だ。でも、これを教訓として、やっぱり僕は、無駄をなくす事を訴えてゆくのだ。たとえ説得力が無くても!。

 金成インターのある、宮城県金成町は、過去に日本青年団協議会の会長をした事もある加藤君の住む町。今は青年団を終え、金成町役場の教育委員会にいるらしいことを吉田電車さん(彼も元青年団)に教わっていたので、役場によってみた。役場についてビックリ。来年にも、近隣の町と合併すると言う役場にしては、はっきり言って超贅沢な建物だった。人口がどれほどあるのか知らないが、20万近い人が住む都市、東京の小平市役所より立派な建物だ。この建物は、町の収益(税金)だけで建てられたものだろうか、?だよな。一般企業に働く人達は、厳しい状況を甘んじて受け入れて、それでも必死になって働いていると言うのに、このきらびやかな建物で働いている人達はどういう思いで、この建物に安住しているのだろう。たぶん、その無駄さかげんには、なんの疑問も持たないで働いているのだろう。悲しい現実を見たような気がした。

 教育委員会をたずねたが、加藤君は研修で居ないと言う事だった。

 栗駒町に向かった。

 たどり着いた。

 時間が予定より早かった。ホームセンターで買ったDVDを、「みちのく風土館」近くの公園の駐車場で見た。スタンリー・キューブリックの作品で、フルメタルジャケット。以前映画館で見たと思っていたのだが、始めてみる作品だった。難解だ。スタンリー・キューブリックの作品は総てが難解だ。浜松でのコンサートで、「2001年宇宙の旅」に影響された構成を作った時から、彼の作品を全部見たくなった。難解なのだが、なぜか引き付けられる。時間が来たので、最後まで見られなかったが、ベトナム戦争を、哲学的な視点で描いている作品のフルメタルジャケット、気になる。

 そして4時半、「みちのく風土館」に入った。スタッフの人達が、館内の中庭に椅子やテーブルをセットして待っていてくれた。責任者は土井さんという女性。音響もセットされていたのだが、不十分だと思い、すぐさま車から機材を出して僕の音響でやる事にした。土井さんは、話したかったらしいが、開場が5時半だったので、挨拶もそこそこ機材をセットして、リハーサル。テントの中にステージがあったので、返りの音が最悪。なんとか、いい状態に保つために、時間が掛かった。夕食も用意されていて、早く食べて欲しいというような催促をされたが、飯を食う事より、音を完成させる事のほうが大切な僕は、無視して作業を続けた。やっと、納得(妥協の納得だが)して、食事を頂、しばらくしてライブが始まった。今日の主催は「みちのく風土館」、ギャラはもらえる。大してお客さんは集まらないだろうとたかをくくっていたが、中庭に設置された椅子の半分はお客様で埋まった。20名ぐらいだろうか。年齢の幅は大きかった。栗駒駅との連動で、ライブ終了時間は7時20分と決まっていたのだが、その時間に一応のお開きにして、その後2曲唄って、結局6時から始まって7時40分まで、結構長いライブになった。

 いい感じのライブが終わって、片づけをしている時に、今日もやってきてくれた吉田電車さんが、泊まるところの確保されて無い状況を何とかするために、活躍してくれて、ライブに来てくれていた大関君の家で泊まれる段取りをつけてくれた。総ての片づけが終わって、今日のスタッフ、商工会の人達とお別れの挨拶をして、吉田電車さんの車に乗り込んだ大関君に先導されて、彼の家に到着。

 お父さんは、栗駒町の町長さんだった。そのお父さんも含めて、吉田電車さんと9時過ぎまで、今日うたった会場の、栗原田園鉄道の廃止(昨日の新聞に載っていた)について語り合った。大関さんは、最後まで廃止に反対だったらしいが、外の町長達の多数決に押されて、廃止せざる終えなかったと残念そうに語っていた。

 今日一日、色んなことを考えさせられた。合併でもうすぐ無くなるのに立てられていた立派な役所。数町村の足と文化を大正時代からつないできた鉄道の廃止。その鉄道を守りたいと頑張ったが頑張りきれなかった町長の無念さ。
 あえて、僕のコメントは書かない。

 吉田電車さんが帰った後も、息子さんの大関さんと夢を(もちろん、山の話)語り合って、11時ごろ布団に入った。
     
 6月 12日  ちゃぐちゃぐ馬っ子。そのお祭りの事は、大阪出身の僕でも昔から聞いていた。今日はそのお祭りの後にライブをすることになっている。場所は、盛岡市肴町商店街アーケード。吉田電車さんの紹介で昨年末にもお世話になった豊岡さんが、商店街組合と連動して企画してくれた。

 大関君に9時ごろ金成インターまで先導してもらって、そこで分かれて盛岡に向かった。12時ごろに肴町に到着。商店街入り口で待っていてくれた豊岡さんに駐車場に案内してもらって車を停めて商店街組合の事務所へ。

 しばらくすると、この商店街の一角を「ちゃぐちゃぐ馬っこ」の行列が通るらしい。名前だけは昔から聞いていたが、今日始めて見れる。楽しみだ。

 馬の行列が通り過ぎてすぐにライブ開始時間がやってくるので。準備を済ませて、行列を待った。1時40分ごろ、行列がやってきた。アーケードのステージのすぐ近くを通っていくので、僕はステージ上から見ていた。静かな行列だった。一年の労働をねぎらって馬にきらびやかな着物を着せて15kmの道程を行列するというお祭り。馬につけられた鈴が「ちゃぐちゃぐ」と鳴るので「ちゃぐちゃぐ馬っこ」という名がついたようだ。馬上には、著名人や子供達が、晴れ着を着て乗っていた。道沿いの観客に手を振って、「ちゃぐちゃぐ」と音を立てながらゆっくりと進んでゆく。途中までは、100頭ほどの馬が居たらしいのだが、肴町辺りまで来たときには30頭ほどに減っていた。ただ行進するだけの祭りなので、その時間はあっという間に過ぎてしまった。

 10分ほどして、僕のライブ時間がやってきた。アーケード街のステージ前に並べられた椅子には、お年寄りや子供達の姿が目立っていた。さて、何を歌うか、悩んだが、唄った曲の半分は人の曲で挑んだ。なるべく楽しく明るくをもっとうに1時間。意外に皆さんきちっと座り続けてくれていた。ほっとした1時間だった。おひねりはそれほど集まらなかったが今日もライブ成立だ。

 今夜の泊まりは、豊岡さんの家族が持っているリゾートマンション。今夜から4日間、そこを利用させてもらう事になっている。商店街の催しも終わり片付けも済んで、豊岡さんに先導してもらって、盛岡市の郊外のつなぎ温泉に建っているマンションへ。7階の部屋の窓いっぱいに岩手山が見えている、その下には人口湖が広がってすばらしい景色が見渡せる。ここで4日間ゆっくりさせてもらおう。

 夕食は近所の焼肉屋さんで焼肉をいただいて、最後に盛岡名物の「冷麺」でしめて、大満足のお腹でマンションに帰りついた。
     
 6月 13日  8時に起床。9時20分に盛岡駅で吉田電車さんと待ち合わせ。30分前にマンションを出て、きっちり8時20分に盛岡駅に到着。予定どうり、新幹線でやってきた吉田電車さんの運転で、岩泉町の三陸鉄道・小本駅に向かった。

 盛岡駅から106号線を宮古市に向かった。この道は25年前、東北自転車ツアーの時に通った道だ。懐かしかったが、道はよくなり、峠辺りの風景はまるで違っていた。浦島太郎になった気分だ。宮古市からは三陸海岸沿いの道を走ったが、この道もまた、整備されトンネルも沢山出来ていて、当時を思い出させる風景はほとんど無かった。4分の1世紀が過ぎた事を実感させられた。

 岩泉町小本駅は、僕が自転車で走った後に出来た駅だという。何も無いところにぽつんと建つ小本駅の2階ホールがライブ会場。元食堂だった所らしい。開業していたのは駅が出来た1年ほどで、その後は何年も使われないままだという。地域の人達に熱望されて出来た三陸鉄道らしいのだが、同時に整備された道のせいで、地域の人達は列車を利用しないで車を選んだ。急激な開発の無駄がこんなところにも顔を見せていた。

 機材をセッティングして、三陸鉄道の人と、岩泉町役場の電車大好き青年と4人で駅のそばのラーメン屋さんで食事をしてライブは1時50分から。列車の時間に合わせてやったのだが、訪れた人は少なかった。取材に来た新聞記者と、テレビ岩手の取材スタッフ。そして、今日のライブスタッフ3名と。お客さんが2名。一名は、花輪さんという、昔からの僕のファン。そしてもう一人は、宮古市でライブもやるお店のオーナーの伊藤さん。伊藤さんは、いつでも来てくださいという言葉を残して帰っていった。
 お客さんが少なかった分、気が楽で、お客さんに合わせてやるストレスも無く、最高に気持ちよく唄えたライブだった。そして、次のライブにもつながった。収穫の多いライブだった。

 帰りも、吉田電車さんの運転で盛岡まで、そして盛岡駅で分かれて、7時ごろマンションに戻った。
     
 6月 14日  肴町アーケード街に4時半ごろ到着した。すでに豊岡さんがステージを作って待っていてくれた。譜面台を出し、準備をしていると。一人の年配者が話しかけてきた。

 川柳を作っているとかで、東京の山谷で個展を開きたいのだが、その為には、山谷に泊まって生活をともにしてやらなければならないだろうが、その勇気が無いというような事を突然話しかけてきた。困ったなと思ったが、それなりの返事を返していたら、僕の事が気に入ってくれたらしく、お茶をご馳走したいという。開演まで30分ほどあったので、しかたなくお茶をご馳走になるために喫茶店に出掛けた。自分の生い立ちや、川柳のこと、一人で喋っていて、僕はただ相槌を打つだけだった。名刺を頂いた「池田」と記されていた。僕より一回り年齢の高い男性だった。時間が来たので、僕は、ステージ前に戻って、ギターを取り出し唄い始めた。

 人は流れているのだが立ち止まる人は居ない。一曲唄ったところで、立ち止まってくれている人が数人居たので、せっかくだから椅子に座ってください、つまらなかったら立ち去ってくれて結構ですからと何度か同じ事を繰り返して、やっと数人の人が椅子に腰掛けてくれた。約1時間、池田さんもやってきて、並べられた椅子に座る人は少人数だったが、立ち止まったまま遠巻きで聞いている人が何人も居た。

 ライブ終了後、CDを買ってくれる人が何人か居た。シングルではなくアルバムをほしいという人達ばかりだった。肴町商店街組合の人達も参加してくれていて、難しい状況の中でのライブだったが、なんかいい気分で終われた。明日も5時から、ここでのライブだ、今日がよかったからといって、なめたらあかん。明日も気合を入れて頑張ろう。

 明日もあるので、今日はそのまま豊岡さんのリゾートマンションに帰った。
     
 6月 15日  昨日に引き続き、肴町アーケードでのライブだ。昼間、豊岡さんのリゾートマンションでぐだぐだ過ごした。こんな日も無いと1000日連続ライブは続けられないよな〜。

 4時に肴町アーケードのステージへ。誰も居なかったが、準備はなされていた。豊岡さんがやってくれたんだよね。今日は、誰も僕を意識して来る人はいないと思っていた。CDとおひねり箱と譜面台をセットして、ステージ横でギターを引いていたら、買い物袋をさげた年配の女性が、まだライブが始まっていないのに、おひねり箱に、硬貨を入れて立ち去った。まだ僕は唄っていないのだが、おひねりは成立。後は一曲でも歌えば、ライブも成立だ。

 気持ちが軽くなった。豊岡さんがやってきて、その事を伝えた。おひねりをもらう為のライブは必要でなくなった事で、今日のストリートライブは、お客さんのことを気にしないで(でも、気にしていたのだが)自由に唄える。

 昨日に比べ、椅子に座ってくれる人は少なかった。でも、買い物途中で立ち止まってくれた人の数は変わりない位居た。でも、みなさんこの後のスケジュールが(家事)あるのだろう、1〜2曲聴いて立ち去ってゆく。昨日と違っていたのは、立ち去る前に、CDを買ってから立ち去る人が多かった事だ。

 昨日と同じ場所に、じっと立ちすくんで聞いてくれている女性が居た。ステージ前の椅子に座る事はなく、それでもじっと聞き続けている。うれしかった、昨日も、そして今日も同じような女性が居る事に、ストリートライブでしか出会えない人が居る事。だからこそ、ストリートライブは、思いもよらない支持者を広げる力があることを改めて知った。最後の一曲を歌う前に、彼女に言った。立って聞いているのは大変だろうし、残り一曲だけど、椅子に座って聴いてください。彼女は素直に椅子に座ってくれた。流れる人の中で唄い続けた時間、1時間15分。気持ちが良かった。

 ライブを終了して、後片付けをしていたら。彼女がCDを買いに来てくれた。そして、僕に宛名のない手紙を差し出した。そして、彼女は言った。昨日偶然聞いて、どうしてももう一度聞きたくて来ましたと。昨日と違うファッションだったので、違う人だと思い込んでいたのだが、同じ人だった。昨日と今日、じっと聞き続けてくれた彼女のおかげで、素敵なものになった。
 肴町アーケードライブは、昨日の池田さんそして2日間来てくれた彼女のおかげで素敵な思い出を作る事が出来た。

 でも、もっと素敵な人は、この場を作ってくれた豊岡さん、そして商店街組合の人達だ。

 豊岡さんと別れ、豊岡さんのリゾートマンションに向かった。豊岡さんとは、ここでお別れだ。「ちゃぐちゃぐ馬っこ」も含めた、肴町ライブの3日間。本当に楽しかった。
     
 6月 16日  数日前から、夜中に空咳が出る。決して体調は悪くないのだが?。

 昼前に、豊岡さんのリゾートマンションを出た。目的地は、一関市の山深い温泉地にある、真湯山荘。吉田電車さんが設定してくれた、一関森林組合青年部の会合の中でのライブだ。

 4時ごろ、一関市の奥深い山間の地、真湯山荘に到着した。まだ誰もやってきてない様子。約束は5時だったので、車の中で、今日のライブを受け入れてくれた、武田さんを待った。

 やってきた森林組合の人と山荘に入ると、すでに武田さんは来ていた。一関森林組合の総会が始まって、宴会場件ライブ会場で待っていると、吉田電車さんがやってきてくれた。総会は長引いているようで、6時半ライブ開始が7時開始になってしまった。食事の時間が7時半からとなっていたので、ほんの30分のライブで時間は終わってしまった。言いたい事もいえないままのライブだったが、その後の食事件宴会で、大いに山のことを語った。森林組合の人たちに生意気な発言を沢山したと思うのだが、皆さん快く話を聞いてくれていたので僕は絶好調。

 大声を張り上げながら、普段の高橋忠史からは信じられないような雄弁ぶりで12時近くまで語り続けた。

 吉田電車さんは、岩手県最後のライブを確認して帰っていった。数人の人が泊まりだった。寝る前に温泉に入って、布団に転がり込んだ。
     
 6月 17日  朝、宿の人にご飯だと起こされた。吉田電車さんは朝食は頼んでいないと言っていたのだが、起きたついでに食堂に向かった。森林組合青年部の人達と武田さんが朝食を食べていた。あまり食欲はなかったのだが、頑張って少し食べた。
 昨夜飲み過ぎたらしい、気分がすぐれないのだ。話をする余裕もなく、皆さんにお先と言い残して部屋に戻った。風呂に入って酔いを飛ばす事にした。チェックアウトは9時なので、風呂を出てすぐに宿を出た。

 眠いようなだるいような、それでも車を走らせた。今日は宮城県鳴子町だ。そんなに遠い距離ではない、一般道を走ることにした。4号線に出る前に道の駅があったので、少し休憩する事にした。車を出てトイレに行って、車に戻って少し眠ろうと思ったのだが、凄く気持ち悪くなってきた。休憩室に畳があったのを思い出してそちらに移動しようとして車を降りたのだが、ムカムカ気分が強烈に襲ってきて、頭もクラクラして歩けない。しばし車の側に座り込んでいたのだが、気を取り直して歩き出した。喉が急激に渇いてきたので、自動販売機まで行って栄養ドリンクを飲んでお茶を買った。そこで又、頭がクラクラしてきて歩けなくなった。軽い貧血状態だ。頭を下げてしばらく休んで、やっとの思いで休憩室までたどり着いた。お茶を飲んで横になったのだが、気持ち悪さは増すばかり。しばらく我慢していたのだが、吐き気を催し始めた。トイレはすぐ近くだ。今にも吐きそうになるのを我慢して、中腰でやっとトイレにかがみこんだ。そのとたん、朝食べたものを全部吐いていた。まったく消化していなかったようだ。飲んだものも胃の中に溜まっていたみたいで、2度3度と吐いた。そして、4度目…去年の北海道以来赤いものが口からほとばしり出た。そして5度目鮮血だけが便器に飛び出した。しばらく、便器にうずくまってやすんだ。出すものを全部出したので、幾分か気分が良くなった。

 昨夜、かなりの量を飲んだようだ。完全に酔っ払っていたので、異常に雄弁だったのだ。注がれ酒だったのでどれだけ飲んだのか自分でも分からなかった。気持ち悪さが取れたので、しばらく車の中で眠った。

 10時半ごろ、道の駅を出発して、金成町役場に向かった。元、全国青年団協議会の会長を務めていたこともある加藤君に会う為だ。吉田電車さんが連絡をとってくれていて、11時45分に待ち合わせていた。やっとの事でたどり着いたのだが、まだ頭がふらふらしていた。昼食を誘われたのだが、食べる気力はまったくなかった。
 少し話をして、又いつか体調を整えてやってくることを約束して、加藤君の昼食用のおにぎりを二個頂いて失礼した。

 古川市に着いてまだ時間があったので、ショッピングモールにあったコインランドリーで洗濯をした。もう、着るものがなくなっていた。2時間かけて洗濯を終え、鳴子町に向かった。4時に川渡(かわたび)の高橋酒店に到着した。
 今夜のライブは、近所の細谷クリーニング店の休憩室。ちょうど一年前の今日にライブをさせてもらったらしい。偶然の一致だ。6時過ぎにお邪魔して。セッティングを終え、お客さんを待ったが、7時になっても人は少数しか集まらなかった。主催をしてくれた高橋酒店の佳弘君が必死になって電話を掛け捲った。おかげで、お客さんは20人ほど集まってくれて7時の予定が30分遅れて7時半開始。
 何度も僕の唄を聞いてくれている人達が多いので、みなさんリラックスして聞いてくれていた。体調は良くないに決まっていた。熱くもないのに、妙な汗がじわじわと噴出していた。それでも1時間半、頑張って唄いきった。妙な汗でも、汗をかいた分だけ、少しは気分が良くなった。

 鳴子町に入る前に、加藤君のおにぎりを食べただけだった。夕食はと佳弘君に聞かれ、うどんを食べたいとお願いした。 鳴子温泉街の「さかみち」と言うスナックに連れて行ってもらった。特別にうどんを作ってもらい食べたのだが、半分も食べられなかった。残りを佳弘君に食べてもらった。7月5日のスケジュールが空いていたので、佳弘君がマスターにお願いしてくれた。即決ではなかったが、感触はよかった。
 さすがに今日は酒は飲めない。ビールを飲んだ佳弘君を乗せて高橋酒屋まで僕が運転した。そして、11時に布団にもぐりこんだ。
     
 6月 18日  朝10時に起きた。11時間眠った。それでも完璧な体調ではなかった。

 今日のライブは、鬼首のスキー場。大沼幸男さんが、丸太の木挽き(のこぎりで板を作ってゆく)やまき割り体験を企画していた。その中で唄わせてもらえる事になっていた。会場には12時ごろ着けばいいということで、佳弘君の運転で出掛けた。

 会場に着くと、鬼首の人達が大きな木を切ったり、まき割りをしていたり、一本の木から板を作ったりしていた。スタッフだけで、お客さんはやってこなかったようだ。それでも楽しそうに大人たちは遊んでいた。昼食に、鯨の皮の入ったジャガイモスープとサメの焼き物、そして、釜で炊いたご飯を頂いた。鯨のスープは、脂くささが強く、ちょっと堪えた。サメの焼き物も独特の香りがして、ん〜ん、という味だった。

 とにもかくにも、普段食べられないものを食べさせてもらって、1時ごろから、スキー場をバックに野外ライブを始めた。ノンビリゆっくり、山のきれいな空気を吸ってスローライフコンサート。木挽きの音が唄のリズムに合っていて心地よかった。山に響く蝉の鳴き声もノイズにはならず、自然を満喫しながらの1時間。スタッフの人達だけのコンサートだったが、何度も出会った事のある人達が多かったので気楽だった。

 ライブ終了後、高橋酒店に戻って休んだ。

 夜に、酒匂さんと佳弘君と3人で古川市の「凡」に、食事に出掛けた。美味しい料理を頂いて、佳弘君の用意してくれ「忠史」という名のお酒を、酒匂さんとマスターと飲み続けた。

                       

 いやー、一日空けたので酒のうまい事うまい事。高橋家に帰り着いたのは夜中の2時を回っていた。

     
 6月 19日  11時ごろまで眠っていた。佳弘君に近所の蕎麦屋さんに連れて行ったもらいお昼をご馳走になって、酒匂さんのお寺で降ろしてもらった。

 しばし、奥さんと二人で会話して、高橋酒店に歩いて戻った。お供をしてくれたのは酒匂家の長男、本慈(もとしげ)君。バイクを押して着いてきてくれた。
 高橋酒店に戻ると、佳弘君が店先に布を広げて思案中だった。僕のライブの為に、横断幕を作る作業をしていた。書道家でもある彼は、細谷クリーニング店でもらってきた布に「ランナー」の一節を太筆で描こうとしていた。布をにらんで思案中の彼に声を掛けられなかった、それほど集中していた。が…、そこに小学生達が集まってきた。やいのやいのわけの分からぬ野次が飛ぶ。そんな子供達に、さりげなく笑顔を返しながら、筆を執った。一気に書き始めたその言葉は、…負けるんじゃない走り続けろ…だった。

                      

 書画は余白をどう生かすかが勝負だという。
 見事に書きあがった。布のたるみで、うまくかけない所を計算して、見事な横断幕が出来上がった。野次を飛ばしていた子供達も、書きあがるまでの瞬間は言葉がなかった。

 作品が出来たが、乾くまで時間が掛かる。僕は、部屋に戻って昼寝をさせてもらった。夕方になって、ライブ会場に向かう時間がやってきた。
 今日のライブ会場は、東鳴子温泉の大沼旅館の山荘。昨年雪の中でライブをさせてもらった。新緑の大沼旅館山荘は、冬景色とは違った、穏やかな風情を感じさせていた。

 今日は、佳弘君の弟の邦弘君も助っ人でやってきてくれて、3人で会場つくりをした。圧巻は佳弘君の書。「負けるんじゃない 走り続けろ」の横断幕がすばらしい。

                      

 今夜来てくれるお客さんには申し訳ないが、今夜は背中の横断幕に唄おうと思った。

 時間が来て、集まってくれたお客さんは少なかった。大沼旅館の大沼さんは、同級会があって、ライブに参加できない予定だったのだが、急遽、同級会のメンバーを連れてきてくれる事になった。女将の挨拶からライブは始まった。背中の書を意識しながら、1時間半。お客さんは少なかったが、納得のいくライブになった。総ては、佳弘君の書いてくれた横断幕のおかげだと思う。

 明日のスケジュールが空いていた。佳弘君にお願いして、急遽、日付変更線ライブを企画してもらう事になった。そして、佳弘君は彼女を迎えに古川市に走った。
 彼女と二人で聴くコンサートだ。ラブソングを頭に浮かべた。

 夕食は、佳弘君のお父さんが焼肉を用意して待っていてくれた。佳弘君が出掛けてから、邦弘君とお父さんと3人で遅い夕食を食べた。

 そして、佳弘君が彼女を連れてやってきた。後は、日付が変わるのを待つだけだ。

     
 6月 20日  日付が変わった。午前0時ライブはスタートした。お客さんは、佳弘君とその彼女。深夜なので、大声で歌うと近所迷惑になる。声を殺して、ラブソングオンリーのライブを30分。不思議に素敵な時間が流れていた。

 バックには、佳弘君の書いてくれた書画の横断幕「負けるんじゃない 走り続けろ」が貼り付けられていた。ライブ終了後、彼女を送って行く佳弘君とその彼女にお別れをして部屋に戻って、布団にもぐりこんだ。

 10時ごろに目覚めた。そして、すぐに出発。今日は、東京に帰るのだ。

 最悪だった体調も、鳴子町4日間のライブ滞在のおかげですっかり良くなった。さわやかに高速道路を走り、東京の我が家に着いたのは5時ごろだった。志乃もゆいも居てくれた。そして、我が家の新しい家族の一員、セイ(雄猫)が大きくなっていたのには驚きだった。後は典子さんが帰ってくるのを待つのみだ。

 ゆいは、彼のアパートに帰る予定だったのだが、僕が帰ってきたので夕食を一緒に食べてくれる事になった。典子さんが帰ってきて、久し振りの手料理を頂いた。何よりも家族みんなで食べる食事がうまいのだ。小食な僕なのだが、家に帰るとお変わりをしてしまうほど食べられる。幸せな、夕食を終えて、彼の元に返るゆいを駅まで送った。

 そして、今夜はゆっくり眠るのだ。
     
 6月 21日  今日典子さんは、休みを取っていた。ライブから帰ってきたら一緒に買い物に出掛ける約束をして、10時半すぎに新大久保にある東京労音に向かった。

 3日ほど前に埋まっていないスケジュールを埋めるために、東京労音の事務局長をしている植田君に電話した。昼休みにライブをして欲しいと無理やりお願いしたら、一つ返事でOKしてくれたのだ。
 今日は、台風が迫っている。東京には来ないのだが、かなり巨大な勢力を持つ台風で、関東地方にも影響が出ると言う事だった。笠を持って出掛けたが、家を出てしばらくは大丈夫だったが、駅の近くまで来て急に雨が猛烈な勢いで降り始めた。若干は濡れたが、駅に走りこんでずぶ濡れは免れた。
 新大久保の駅を降りても、雨は降らず、東京労音まで笠もささずに到着する事が出来た。ライブは、東京労音ロビーで、事務局の人達だけの昼下がりライブ。今日も、佳弘君の横断幕をバックに、昼休みの1時間聞いてもらった。

 植田君とは僕が26歳の時、自転車ツアーで、加古川労音の事務局長をやっていた彼とであって以来、26年の付き合いだ。全国労音の事務局長になった今も、お互いに歳をとったが無理を聞いてくれる人に変わりはない。沢山の人達に支えられて1000日連続ライブは続くのだ。

 ライブ終了後、すぐに家に帰った。家にたどり着いてすぐに、雨足が強くなりだした。待っていてくれた典子さんと、買いものに出掛けた。
 前回帰ったときに忘れていた、縁台をまず買いに出掛けた。この借家に住み始めた頃に買った縁台はもうガタがきていて、典子さんが乗った時に縁台の足が弱くなっていて、そのまま縁台ごと身体を地面にたたきつけたらしい。そして猫グッズを買って車に帰ろうとしたら、かなり又雨足が強くなってきた。典子さんの要望で、体内脂肪を計る計測器を買いに大型電気店へ。ついでにやっぱり典子さんの希望で、録再MD(何に使うのかな?)を買って、スーパーで夕食の食材を買って、小腹が空いたのでモスバーガーに寄って、大雨の景色を見ながらブレイクタイム。台風の影響の大雨が二人の時間を演出してくれていた。

 家に戻って、志乃が帰ってくるのを待って一緒に夕食。

 心と身体の休息日だった。
     
 6月 22日  起きたら、誰も居ない(猫二匹は居た)。昨日かって来た、縁台を、汗をかきかき組み立てて居るうちに、出発の時間になった。昼過ぎに静岡県磐田市に向かった。今夜のライブは「串の坊」だ。

 鳴子町の高橋酒店で「友酔」を一ダースかって「串の坊」に送った。今日来てくれる人達に「友酔」を飲んでもらうためだ。串の坊ライブは、前回に引き続き、特典着きのライブになるのだ。

 6時ごろ串の坊に到着。時間指定で送った「友酔」も届いていた。

 いつもは、7時スタートのライブになるのだが、日が長くなったせいか、7時にやってくる人が多かった。それから皆さん食い物を注文して、大将は必死になって焼き物を焼きまくっていた。煙がもうもうとしている中でのライブは喉を痛めるので、待って待って待って、8時スタートのライブ。お客さんは今夜も満杯だ。
 東京から運転してきた疲れもあって、なかなか乗り切れなかったが、後半にはペースを取り戻して楽しいライブが出来た。

 「友酔」を振舞って、ライブはお開き。その後、各テーブルを回って飲ませてもらい12時過ぎに大将の家へ。お風呂に入れてもらって、お茶を飲んでいつものように僕の部屋(大将の家には、高橋忠史の部屋が出来ているのだ)の全身マッサージ器に身をゆだねて、後は布団にもぐりこんだ。
     
 6月 23日  昼ごろ、久し振りに勝坂に戻った。部屋にはいると、なにやら腐ったにおいがした。カビのにおいも充満している。最悪だ。くさい臭いは、卵が割れて腐っている臭いだった。強烈だ。早速、卵を捨てて、そのあたりを洗った。卵の腐敗臭は消えた。が、かび臭さは消えない。

 もろもろの作業をしているうちに夜が近づいた。今夜のライブは、浜松のハンブルグだ。8時半にハンブルグ到着。久し振りに、吉村君が来てくれた。今日練習した、新しいビートルズナンバー「ロングアンドワインディングロード」からライブは始まった。うまく唄えなかったのは愛嬌か?。次回までにはうまく唄えるようになるからと言い訳しながら始まった。

 いつもながらお客さんは少なかったが、ここでしか聞けないビートルズ特集。来ない人は高橋忠史の一面を見損なう事になるのだ。

 1時間半のライブが終了後、滋賀県出身の吉村君と話していたら、彼に電話が掛かった。滋賀県の藤木君からだった。藤木君は10月に10日間ライブを企画する約束をしてくれている。吉村君の青年団の先輩でもある彼は、なぜか不思議な事に、僕が吉村君といる時に電話を掛けてくる。不思議な波長がそうさせるのか、それとも偶然なのか。分からないのだが、不思議な運命の糸を感じさせられる。

 チャレンジビートルズの店のライブを終えて、次回のスケジュールを決めて、明日は早い時間のライブなので、早々に失礼させてもらった。
     
 6月 24日  磐田市にある東海文化専門学校でのライブは1時半から。12時半に着くために11時に勝坂を出発した。

 磐田駅近くの東海文化専門学校に着くと、ちょうど電話をくれていた川瀬さんが出てきた。車を玄関に停めて、会場に向かった。生徒達が会場つくりをしてくれていた。天井の高いいいホールだった。会場の音響を使おうとしたがうまくいかないので、僕の音響を使う事にした。音響機材を運び込んで、セッティングを終えたところで、いったん待合室に。お昼ごはんを心配してくれた川瀬さんがお弁当を取ってくれた。そんな頃、江間さんがやってきてくれて、北海道から磐田までの往復チケットを持ってきてくれた。これで、北海道から磐田往復が完璧だ。

 今日のライブを紹介してくれた、春野町出身のデザイナー・村上さんも来てくれていた。時間がやってきた。1時半、生徒達はそれぞれに静粛に聴いてくれていた。ファッションには縁の無い高橋忠史だが、創作をするという意味ではデザイナーを目指す彼らと同じものがあるはず。娘達より若い彼らに、僕の生き方がどう伝わったか分からないが、懸命に歌い続けた。

 ライブ終了後、一息入れて、山登りが趣味で、勝坂小学校から梵天山にのぼった事があると言う川瀬さんに見送られて勝坂に戻った。

 今日から当分の間、勝坂には戻れない。遣り残した事を全部片付けて明日大阪に出発するつもりだ。
     
 6月 25日  今日のライブは、東大阪市にある公民館。昔からのファンである高橋渡志(ただし)さんに無理やりお願いして作ってもらった。ライブは7時から。起きてからも遣り残した事があってなかなか出発できずに、ギリギリの12時頃に出発。

 順調に走り続けたのだが、奈良県の天理市の手前で突然の事故渋滞、まったく車が動かなくなってしまった。イライラしてもしょうがない、高橋さんに電話して送れそうだと伝えた。1時間後やっと動き出した。ときすでに6時。6時に待ち合わせの予定だったのだ。やっと会場近くに着いたのは7時を回っていた。

 7時半に会場に着いて、すぐに演奏を始めた。お客さんは3人。ライブなど企画した事の無い高橋さん、精一杯の仲間を集めてくれたのだ、感謝だ。公民館は9時に出なくてはならない、9時のチャイムがなるまえに最後の曲をと語ったところでチャイム。尻切れトンボのライブになってしまった。

 慌てて公民館を出て食事をして、今年初めて、大阪の実家に戻った。お袋は起きていた。連絡もしていなかったので、どういう状況だろうと心配していたのだが、意外と元気そうなのでほっとした。
     
 6月 26日  今日は明石労音の例会でのライブだ。姫路の松本さんが音響をしてくれる。会場は明石駅側の商工会の建物にある。貝塚の家からだと、湾岸高速を使えば1時間半でいけるだろうとたかをくくっていた。ノンビリ家で過ごして、出発したのは3時前だった。湾岸高速に乗り、阪神高速に乗り換えようとした時、車線を間違えて一般道に下りてしまった。神戸市内はよくわからない、それでも、たいした距離じゃないので何とかなると思っていたら、明石までもう少しの須磨あたりで大渋滞につかまってしまった。

 車は、ちょろちょろとしか動かない。松本さんに電話して、リハーサルはできないかもしれないことを伝えた。ちょろちょろ運転の間に、ふっと詩が浮かんだ。

 いい子になりたくて、いい子のふりをして、いい子になれなくて、悪い子になっちゃった。

 その後も、ちょろちょろ運転の間に詩が浮かんで、鳴子町の大沼さんに頼まれていた「泣いた赤鬼」のイメージが具体的になった。

 そんなことをしながら、やっと会場に着いたのは6時前。もうすぐ総会が始まる、でも、少しだけ音あわせをさせてもらった。その時、先ほど作った詩に曲をつけてみた。一発で曲が出来上がった。詩のほうはまだ構成の余地があるのだが、今日のライブで発表する事にした。

 総会が終わり、ライブが始まった。お客さんは80人ほどだったか、会場は古いゆえに、響きが良すぎるぐらい良く、唄っていて気持ちが良かった。1時間半、クーラーをつけると音がでかいと言う事で、暑い中でのライブだったが、お客さんたちは満足そうに帰っていた。

 今夜は、久し振りに、今日のライブを企画してくれた古田さんの家に泊めて貰う事になった。もう何年ぶりだろう。彼との出逢いは、自転車で走ったとき。26年の付き合いだ。26年の間に、それぞれの人生はそれぞれの変化を見せている。それでも、26年たってこうして逢えている事がうれしい。
 夜は、いっぱいお酒を飲んでしまった。寝る頃外は明るかった。26年前と何も変わらない夜だった。
     
 6月 27日  起きたのは1時半過ぎだった。しっかり8時間半寝たのだが、5時まで飲んでいた身体は、腑抜けだった。

 朝食(?、昼を過ぎてるぞー)に、古田君の勤めているCOOP自然派の無農薬丁寧作りの台湾バナナが出た。その栽培方法を聞いたからかもしれないが、口の中に広がる甘さは、いやみがなくとっても美味しかった。

 がー…。右奥歯の親知らずが起きた時から痛み始めていた。奥歯と言うより右の顎が痛い。口の開け閉めが困難なほどだ。これは又困った事になってしまった。
 しばらく話をして、姫路に向かった。

 今日は、和歌山県田辺市でのライブが決まっていた。が、急遽、その主催者(美容用品を売る会社の女性社長)から韓国に出掛けるので出来ないと言ってこられた。完璧になめた話だ。高橋忠史は大したことの無い奴だと値踏みされたと言う事だろう。腹が立つが仕方が無い。
 そこで急遽お願いしたのが、姫路の松本さんだ、彼は快く受け入れてくれて、「居酒屋のんたくんた」でのライブを企画してくれた。

 5時前に姫路駅近くのパーキングに駐車して、駅の反対側にある商店街の入り口に差し掛かったところで、車でやってきた松本さんと遭遇した。すぐその後しのぶちゃんもやってきてくれた。3人で食事に出掛けうどんを食べた。顎がうまく動かなくて難儀して全部食べられなかった。
 そして、のんたくんたへ。松本さんの音響機材をしのぶちゃんが手伝って運び込み、ライブが始まった。急遽な話だったのでお客さんは少なかったがライブを繋いでくれた松本さんに感謝だ。

 今日は、大阪の実家に帰る事にしていた。ライブ終了後、すぐに車に戻って、阪神高速から湾岸高速に乗り移って2時間ほどで到着した。
     
 6月 28日  今夜のライブは、西尾君の店・サウンドバー吟遊詩人だ。夜までは時間がある。

 月曜日は、妹が病院に品物を納品する日だ。お袋が墓参りに行きたいというので、3人で病院に出掛ける事になった。久し振りの出来事だ。人に合いたくないと言っていたお袋が、外に出ると言うだけで嬉しかった。3人で出掛けるのは、昨年4月ごろお袋が倒れて入院して以来の事だ。病院に品物を納め、買い物をして墓参りに出掛けた。帰り際に、飯でも食べに行こうかと誘ったら、お袋がうなずいてくれた。誰にも合いたくなかった人が、3人で食事に出かける事をOKしてくれた。それだけで僕の心は弾んでいた。出掛けた店はケーキ屋さんで、食事と言うよりケーキを食べお茶を飲んだだけだが、3人で外でティータイムを楽しめた事が、大阪に帰ってきての大収穫だった。

 家に帰って、しばらくして、又くる事を伝えて大阪市内に向かった。湾岸高速を使って走ると、西尾君の店まで1時間と掛からなかった。
 場所的に、難しいところでライブハウスを根性でやり続けている。昼と夜ほかのバイトをしながらも店を開け続けていたことも有ったらしい。今でも経営は大変なようだがそれでもやり続けている彼には感服する。

 前回は、テレビに出た後だったのでお客さんは多かったが、今回はそれほどでもなかった。でも、しっかり聞き入ってくれている人達が居て、僕的にはとっても嬉しかった。お袋の事があったからさらに嬉しくなったのかもしれない。

 帰るつもりは無かったのだが、数日前春野町役場の平島さんに電話して、24時間ライブの会場を「ふれあい公園」でやらせて欲しい事を訴えた。その打ち合わせを明日しようということになったので、急遽春野町に帰ることにしたのだ。
     
 6月 29日  午前3時20分に勝坂に到着した。帰ってきたついでに、ベストアルバムのジャケット印刷をしながら、一週間ほど溜まっていた日記を書いた。

 そして、4時ごろ役場に到着。平島さんと小島さんと3人で「ふれあい公園」に出掛けた。近くに民家は無いのだが、24時間ライブだから、深夜、音が響いて苦情が出るかもしれないからだ。深夜になったら音響はきって、名まで歌う事にした。実際に、ステージで唄ってみて二人に聞いてもらった。音響が無くても、芝生の客席にはちゃんと音が届くし、生音であれば、回りに迷惑も掛からないだろうと言う結論が出た。あと、警察や消防署には平島さんが連絡してくれる事になり、8月21日22日の24時間ライブの会場が決定した。

 二人と別れ、今夜のライブ、なんでもーるに向かった。

 なんでもーるの花村さんに24時間ライブの会場が決定した事をお知らせしたら、あまり無理せずにやりましょうと言ってくれた。僕達アマチュアも一緒に参加できるようなものにしたらと提案してくれた。一人でやる事にこだわっていたが、そんなに肩肘張らずにやる事にした。指が痛くなったらみんなに弾いて貰い。喉が辛くなったらやっぱりみんなに手伝ってもらって唄ってもらい、トイレに行きたくなったら、みんなの誰かに唄って貰い、食事の時にもみんなに助けてもらうと言うやり方で行く事にした。来てくれたみんなで作り上げる24時間ライブを目指す事にした。

 ライブ終了後、栃木県に向かって出発した。今夜も深夜走行だ。
     
 6月 30日  12時ごろ宇都宮市にある堀江スクールに到着。学習塾なのだが、不登校の子供達のフリースクールとしても解放している。6月6日に佐野さんが企画してくれたライブで堀江さんと出逢い、その後すぐに電話いただいて今日の日が決まった。

 1時半からのライブ、不登校の子供達と数人の大人。最初は戸惑った表情の子供達だったが、時間が経つにつれ表情がほぐれて来たのは、初めて聞く人達となんら変わりが無い。いつものように、でも、少し、生き方という事を意識して語りそして唄った。堀江さんの彼らに対する柔らかな情熱が、このフリースクールにいる時の精神状態を安定させているのだろう。とってもいい聞き手だった。

 昨夜の深夜走行で少々疲れていたのだが、堀江さんが取っていてくれたホテルに案内されて今夜はぐっすり眠る事が出来るのだ。
     
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