春野町勝坂・音楽の森だより

2001年 4月

気まぐれ日記・LC通信
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2001年
 4月  1日  坂下さんと約束していた事がある。春野町内で、僕の事や、「僕のふるさと」のCDの事を知ってはいても、実際に目にした人や聞いた事のある人が少ないんじゃないか、それなら、町内のイベントにどんどん飛び入りして僕の事、「僕のふるさと」を知ってもらう為のキャンペーンを張ろう。その手始めに、今日、気田の上区地域の人達が、気田川の側で桜祭をやっているから、何とかそこでCDの2曲を唄わせてもらおうと、先日、てっちゃんの店で会った、天野さんにお願いしていた、それが今日なのだ。

 一人事故の後、首が少し痛んではいたが、昨年の事故の時のような過激なものではない、何とか唄えそうだ。昼頃起き出して、前回の事故のときにお世話になった松本モータースに、車の修理をお願いした。その後保険会社に電話して、事故の説明をして、とりあえず、これで一安心。その後、坂下さんに電話して、昨夜の事を話したら、迎えにきてくれると言う。走れない車ではないのだが、タイヤに部品が当たっているので、気田まで出掛けて帰ってくるのはつらい、ありがたい。

      
          
この程度で済んでよかった      気田の街を過ぎてトンネルを抜けて少し行った所、壁の傷が事故現場

 坂下さんの車で、事故現場を探しながら走ったが、どうも記憶が定かでない。何処まで走っても現場が見つからず、時間が迫っていたので、桜祭の会場に出かけた。地域の人達が、50人ほど集まって、まだ3部咲きぐらいの桜並木の下で、宴会が始まっていた。僕を知っている人も少しいたがほとんどの人は、何処の息子だと言うような顔をしていた。1時間ほどして、唄い始めて始めて、始めて、こいつがうわさの勝坂に住み着いている歌手かと認識してくれたようだ。押し売りっぽい状況もあったが、坂下さんの持っていた、12枚のCDが完売した。6月にこの地域で催される、ほたる祭にも唄いに来て欲しいと言う人もいて、第一回春野町キャンペーンは大成功だった。

 帰りも、坂下さんに送ってもらったのだが、帰り道でやっと事故現場を発見。僕の記憶では、役場を過ぎたあたりか、その前かと思っていたのだが、実際の事故現場は、気田の町を過ぎてトンネルを抜けたそのすぐ後だった。記憶と現場の誤差は4km近くあった。事故後、落ち着いて処理をしたつもりだったのだが、そうとうの興奮状態だったようだ。

     
 4月  2日  春野町で主催するスミレ展は4月の7〜8日。その展示場で僕が歌う、「すみれ」と「すみれの花咲く頃」(宝塚歌劇団で有名な唄)を流したいので、録音して欲しいと役場の平島さんから頼まれていた。花粉のせいで鼻が詰まりなかなか録音出来なかったのだが、やっと今日録音してCDに焼いて持っていくことが出来た。少々鼻声だが仕方ない。

 車の修理屋さんが役場近くなので、事故でぼろぼろになった車をゆっくりゆっくり運転して普段の倍以上の時間が掛かって、なんとか修理屋さんまで走らせた。ひょっとしたらエンジンもやられているかもしれないから大変な修理になりそうだと言っていた。台車は軽四輪の小さな車。なんだかふわふわした感じで運転するのが怖い。当分の間、この車が僕の足代わりになってくれるのだ。

 その後役場に寄って、勝坂に戻り、大石さんの所で久しぶりのもらい風呂。1週間風呂に入っていなかったので気持ちよかった。最近、肌が若返ったような感じがする、風呂に入らない時には顔も洗わない僕なのだ、ひょっとしたらそれが原因か、ん〜な事あるわけ無いですよね。

     
 4月  3日  いよいよニューアルバムの録音に入ります。今日は、原音をなるべく忠実に録音できるように、機材の調整に四苦八苦しています。前回までのアルバムより確実に音圧と音質が良くなりますのでお楽しみに。

 夕方、日産のセールスマンの藤本君がやってきた。どうやら車の修理代は80万円を越えそうだという。やっぱりエンジンも駄目らしい、そこまでの故障だから、なおしたとしてもいつ何時故障が起こるかわからない、そこで彼のいうには、新車にしたらどうだということだった。僕もそのつもりになったので、見積もりして明日来てもらう事にした。そのすぐ後、保険会社から電話があって、修理は100万円を超えそうだという話だった。それなら新車にするしかない。多分、車種は同じになりそうだ。

     
 4月  4日  昨日の夜から、妙な熱っぽさが。首が結構痛んでいた。布団に入っても、寒くて眠れない。どうも首の炎症で熱が出ているようだ。もんもんとしながらも、とにかく布団に潜っていた。誰かが呼んでいる。「高橋さーん、いるー。」ハッと目覚めて、玄関を開けに出た。いつももらい風呂に行っている得さんの奥さんの秀子さんだった。神楽茶屋で売れた「僕のふるさと」のCDのお金を届に来てくれた。外は快晴。11時だった。秀子さんに言われた。前も来たけど寝てたようだから起こさなかったけど、仕事とは言っても、たまには外に出なきゃ駄目だよ。って。まったくその通り。

 そんなことだから居眠りしたんですね。今日は1日、事故の後処理と、新車購入の為に保険屋さん修理屋さん、車のディーラー、保険屋の代理人に、電話しまくって1日が終わった。本来は、そんなことすべて保険屋がやってくれる事だろうに、僕の入っている保険屋は、対応がめちゃくちゃ遅い。なんで、僕がここまでやらなきゃいけないのというかんじです。

 みなさん、保険会社は、ちゃんと選びましょう。

     
 4月  5日  昨日、得さんの奥さんの秀子さんに起こされて、電話しまくって、興奮して夕暮れて、それでも事故処理はなんとかなりそうに成ったので。録音の試し録音を始めた。今まで知らなかったのだが、ボーカル録音のノウハウを、すでに買っていた雑誌で見つけた。それによると、コンプレッサーと言うエフェクターが、レコーディング時に活躍している事を知った。そう言えば、使い方がわからないままお蔵入りになっている安価なコンプレッサーが有った事を思い出し、段ボール箱をひっくり返して探した。10年以上前に、4チャンネルカセットレコーダーを屈指して、最悪に音質の悪い手作りアルバムカセットテープを作った時、やっぱりコンプレッサーが必要だという事を知って買ったものだ。でも、使い方がわからなくて、そのままお蔵入りになっていた。コンプレッサーは出てきたものの、ミキサーにどう繋いで使うのかまったくわからない。過去の資料をほとんど残さない僕。ミキサーのマニュアルもコンプレッサーのマニュアルも無くなっている。機材を壊すのを覚悟で、色んな繋ぎ方を試しているうち、何とか成った。試しにまずギターを録音した。ドッヘー…、こんなにクリアーに録音出来るものなのかと驚いてしまった。

 でも、音が良くなればなるほど、もっと良くしたくなる。ワンクラス上の機材を購入したくなってしまった。より良い音を、皆さんに聞いてもらいたいから。機材は静岡では調達できない。8日に浜松の満月祭のライブ終了後、東京に帰るので、新車購入の手続きと、機材を購入して帰ってからの録音開始。手作りアルバムの完成は、少し遅れますが、遅れた分だけ素敵なものにします。

 午前4時頃眠って、起きたのは午後2時。昨日の微熱気味な身体は、少し楽になっていた。4時前に、静岡市に出発、明日早朝のSBSラジオ出演の為に。今日はホテル泊まりだ。

     
 4月  6日  早朝(普通の人はそうでもないかな)のラジオ番組。酒のにおいをさせてのスタジオ入りは失礼だと思い、酒を飲まなかった。入り時間は6時半。ホテルを6時に出なくてはならない。普段、朝まで起きている僕だが、何とか11時ごろには寝ようと思った。のだが、大リーグで、昨日、野茂投手が、2度目のノーヒットノーランをやらかした、その模様をBSで録画中継されていたのだ。つい見てしまった。今年のイチロウや新庄のようにもてはやされて大リーグに入ったわけではない。日本の球界から散々文句を言われ、評論家や解説者達も批判的な意見が多かった。そんな逆風の中、我が意を押し通して見事に大リーグ入りし、1年目でノーヒットノーランを達成し新人賞までとってしまった。日本のマスコミも球界も手のひらを返したように野茂をもてはやした。世間というものはそんなものだ。その後続々と日本球界から、大リーグ入りする選手が出てきたのは、何と言っても野茂の功績なのだ。毎年大リーグの球団を渡り歩き、成績は少し落ちてきていた。当然マスコミは野茂のことを忘れたかのようにイチロウの活躍ばかりを取り上げていた。だがどっこい、第一人者は凄かった。本物の大リーガーとして名を残す記録を作ってしまった。

 てなことで、中継を見終わった後も興奮して眠れない。それでも無理やり11時半にベッドに入った。眠れない、でも寝酒は絶対しない。そんな事を思っているうちに、眠ってしまった、…がー、汗をかいて目が覚めた。起き出すと、鼻がむずがゆい、ハーックションと同時に鼻汁が飛び出した。最悪だ。微熱が出ているらしい、花粉のせいだ。立派なホテルなのに、空調はどうなってるんだ。時計を見た1時。ほんの1時間ほどしか眠っていない、もう一度と根性を入れて鼻をかみ、ベッドにもぐりこんだ、だめだー。まったく眠れない。…、30分ほど粘ったが眠れない。仕方が無い、寝ようとするから眠れないんだ、朝まで起きているつもりになったら、何時か眠くなるだろう。そう思っておきだした。甘かった。結局、出発の時間まで眠れなかった。

 6時半、SBS本社に到着。スタジオに直行して、軽く打ち合わせをして、7時本番。1時間も出演できるのだからいっぱい喋って、いっぱい唄えると思っていたが甘かった。丁度出勤時間の番組、ニュース、天気予報、交通情報が、10分おきぐらいに伝えられる。その隙間をぬっての放送。唄も、2分弱しか唄えない。「すみれ」と「天流」を歌ったのだが、フルコーラスどころか一番とサビしか唄えなかった。時間との戦いで、話そうとする事のしめの言葉までたどり着けづ、中途半端な話しか出来なかった。そんな中、アナウンサーの佐藤理絵さんはさすがプロ。テーブルの隅にあるデジタルの時計を見ながら、いとも簡単に、秒単位でスケジュールをこなしていく。僕が気にしなくても何とかしてくれたはずなのに、つい僕も時計を見ながら話してしまった。アマチュアはプロにすべてを任せばよかったのだ。残念な1時間だった。

 スタジオを出て車を走らせていた。番組は9時半まで続いていた。佐藤さんの歯切れのいい語り口を聞きながら高速に乗って勝坂に戻った。たった1時間しか寝ていないのに、不思議に眠くなかった。悔しさがそうさせたのだろう。

     
 4月  7日  昨日の寝不足が、今日に響いた。ボーっとして、何も手につかないまま1日が過ぎてしまった。起きたのは昼過ぎだったが、又寝てしまって、夕方6時半、得さんから風呂においでの電話で目が覚めた。

 風呂から帰ってきて、ここの所の気力の無さは、同じ環境に居すぎる事だと思い。活動の場所を、一階から2階に移すことにした。コンピューターや録音機材を夜中、2階に大移動。なんで昼にやらんのかねー。とことん夜型になってしまっている。

     
 4月  8日  浜松市のとあるお寺に、満月まつり、と言う平和を考えるイベントに出かけた。意識をもった人達が集まるから、というメールをある人からもらったからだ。もちろんノーギャラ、交通費ぐらいは出ると言う事だった。平和に名を借りたお祭だった。たった30分の時間しかもらえなくて、その中で、僕なりの平和に対するメッセージをどう展開しようかと思い悩んで唄った僕は何者だったんだろう。空しくなって、微熱が出た、唄い終わった瞬間、疲れが出て頭を伏せてしまった。戦いの無い世界を考える会ではなく、俺達平和だ、だから飲んで唄って踊って平和な今を満喫しようぜ、という、単なるお祭だった。それでいいのかもしれない、音楽は楽しむものだ、飲んで唄って踊って、楽しめばいいのだ。でも、そんな事なら、そうだと伝えて欲しかった、真剣に平和を考えて出かけた僕はなんだったんだ。

 交通費をもらう気力も無く。お祭が終わった瞬間に会場を出た。そして、東京に向った。そんな僕に主催者から連絡が有るかと期待したが、音沙汰なし。詐欺に有ったような気分だ。

     
 4月  9日  昨夜、12時前に東京に戻った。早く寝たかったのだが、なかなか寝付けず、それでも3時ごろ布団に入った。代車の軽四輪での長距離運転のせいか、腰が痛くて、眠りに落ちるのに時間が掛かった。起きたのは10時半。

 今日は、嫁さんと産まれて始めて「寄席」に行こうと約束していたのだが、12時から始まる寄席には間に合いそうも無いので断念。前から話していたのだが、結婚した当時住んでいた西麻布に出かけてみようということになった。新宿から新しく出来た地下鉄、大江戸線に乗って麻布十番へ。昔ここに地下鉄は無かった。およげたいやき君のモデルになったたいやき屋さんのある街だ。駅を上がって外に出てみた、23年ぶりに来た街は、昔の面影はほとんどなくなっていた。行ってみたかった喫茶店も姿を消していた。そこから坂道を越えて昔住んでいた広尾駅近くのアパートまで、有ったはずの武家屋敷は無くなり閑静な細い道は車がガンガン通る整備された道に変わってしまっていた。嫁さんと、迷いながらもアパートのあったところに到着、店なんて一軒も無かったのに、シャレた店が何軒か建ち並び、細かった道が広くなり、もちろんその当時でも古かったアパートは無くなっていた。大使館の多いところで昔から外国人の多いところだったが、なんだか異国に来た様に道行く外国人の数が増えていた。志乃がお腹にいた頃嫁さんが通っていた愛育病院も、木造建築から立派な建築物に変わっていた。23年だものねと、嫁さんと何度も繰返し話すばかりの、昔探訪だった。

 夕方、娘達と待ち合わせて、新宿でご飯を食べる事にしていたのだが、時間が有ったので、新宿駅南口にある、紀伊国屋書店に出かけた。音楽関係の本が見たかったので嫁さんと別れて、そのコーナーに出かけ、録音関係の本を探していたら、同じコーナーで立ち読みしている人の後姿が妙に気になった。知っている人の後姿だ、でも、後姿だけで声を掛けて違ってたら大変だ。何気なく近寄り、横顔を確認…、やっぱりそうだった。「こんにちは。」と声を掛けた。相手は驚いたように顔を僕に向けた。目が大きく見開かれ、僕をみて「ただしさん。」。都留君だった。人口1千万を越える街の本屋で、偶然の出逢いだ。いつもスタジオでしか会わない、それも1年に1度か2度だ、そんな人と街の中で出会うなんて、運命的なものを感じてしまった。昔からそうだが、僕にとってとっても大切な人間なのかもしれない。嫁さんの居るコーナーに出掛けて、3人で嫁さんの職場の高島屋デパートの喫茶店でしばらくお茶をして別れた。昔の街は、僕達を寄せ付けてくれなかったが、今生きている人との素敵な出逢いが新宿にあった。なんだか嬉しい日だ。

 その後、娘達と待ち合わせて、嫁さんの知っている高級中華料理店へ。ビルの19階にある、見晴らしの良いレストランだった。新宿の夜景を楽しみながら、出てくるご馳走に舌鼓。かなり高いものに付いたが、たまにはこんな贅沢もいいだろう。僕の財布はカラッポになったが、素敵な素敵な1日でした。

     
 4月 10日  事故で駄目になった車を、新車に替える為の、書類をそろえる為に、市役所や不動産屋に出かけ、後はこれを、車屋さんに渡すだけ。今日はそんなところかな。
     
 4月 11日  明日、春野町に戻る予定にしている。なんだか身体がだるかったが、久しぶりに才谷音楽出版(前いた僕の音楽事務所)に出かけることにした。10日ほど前、、昔の資料がたくさん有るから、車でとりに来てほしいと社長から電話があった。先日の都留君との出逢いが、僕をその気にさせた。いつでも逢えると思っていたら何時になるかわからない、逢えるときに会いに行こう。電話をしたら、5時ごろなら時間が空くと言う事だったので、3時過ぎに出発した。その前に、嫁さんと夕食は餃子にしようと約束していたので、その材料を近くのスーパーマーケットに買出しに行って、それを家に置いてから出かけた。

 東京都内は半端じゃない車の量だ、車では絶対に着たくないところだが荷物が有るので仕方が無い。事務所の近くには30分前に着いたのだが、駐車するところが見つからない、一方通行だらけの街路をうろうろしながらやっと駐車場に車を止めて、事務所に着いたのが、約束の時間を10分も超えていた。やっぱり都内に車で来るのは嫌だ。事務所は随分閑散としていた。事務の人も居なくなったようだ。僕の荷物を引き取れと言う事は、止めるのかな、そう思って、社長に聞いた。大変なことがあったらしい。ここには書けないが、社長の顔も幾分やつれて見えるほどだった。僕に出来る事が逢ったらと思うのだが、こんな貧乏ミュージシャンに手助けできる問題ではなさそうだ。でも転んでもただ起きない人だから、時間が掛かっても何とかクリアーするだろう、いや、クリアーしてもらいたい。僕にとって大切な人だから。

 社長は、コロンビア時代とトーラスのアルバムの原版権を取り戻してくれたようで、そのままの音で、もう一度、CDに出来そうだ。その話は、又今度。

     
 4月 12日  朝早く7時半におきて、春野町に戻る為に車を走らせた。その前に、天竜市にある県総合庁舎の3階に出かけた。北遠夢行動会の寄り合いがあったからだ。今年何をするかの会議だった。それぞれに活動している人達の話は刺激になった。お互いの活動をもっと知り合って助け合って、この北遠を活発な所にして行こうと言う事で話が終わり、食料をたっぷり買いこんで勝坂に戻ったのは夜だった。

 ここは、寒いぜ。

     
 4月 13日  東京では平気だった花粉症が戻ってきた。静岡、いや、この辺りは、気温も低く、まだ花粉が活発に飛んでいるようだ。レコーディングに入る予定だが、鼻が…、くやしいー。そのためにたくさんの食料を仕入れてきたのに。

 寒いだけでなく、昨夜から風が強い。今日も1日、強風が吹き荒れていた。春よこい、早く来い、勝坂に来い。

     
 4月 14日  身体が重い。花粉症の状態が最悪。微熱が出ているような気がする。風も強く、家が何度も揺れた。なかなか録音を始められない状態にいらいらしながら今日も寒い勝坂に震えていた。
     
 4月 15日  今日も鼻汁とくしゃみと格闘し続けた。ティッシュの箱があっという間に無くなってしまう。おまけに今日も寒い。

 夕方、音響をしている大石君から電話があった。今から、マイクプリアンプを持って行きます。ということだった。東京で購入するつもりだったが、結局買わずに戻ってしまった。今ある機材で工夫してやればいいと思っていたのだが、思わぬ朗報。以前から、大石君は使ってくださいと言っていたのだが、高価な機材、こちらから頼むわけにはいかないと思っていたのだが、彼のほうから言ってくれた。ありがたい、彼のもってきたマイクプリアンプは、僕が購入しようとしていたものよりも4段階ぐらいグレードの高い機材。早く録音したいのだが、花粉よー、この勝坂の山からすべて飛び去ってくれー。

     
 4月 16日  河島英五君が死んだ。大阪にいた頃、同じ京都にある音楽事務所に席を置いていた。大阪や、東京で一緒にコンサートもした事が有る。歳も同じ。ある意味で僕にとってのライバルだった。ウォーキングライブツアーを始めたのも、彼の影響だ。僕が自転車で四国を回っていた時、彼は歩いていた。その時、逢う事は無かったが、負けたと思った。東北を自転車で回った時には、偶然にも宮城県の松島のお寺で、バイクで旅をしていた英五君と出会ったことが有る。何を話したかは覚えていないが、夕暮れまで語り合った事を思い出す。彼はその日のライブに遅刻したそうだとは、後から知った。

 同じ歳で、青春時代の一時期を共に過ごした人が死んだ。不思議な気持ちだ。こんなに死を身近に感じたのは初めてだ。

 今日も微熱が続き、英五君の事も有って一日中ふさぎ込んでいた。

     
 4月 17日  微熱も無くなったようで、昨日までひび割れていた上唇も正常に戻りつつある。鼻の状態は悪いままだが、レコーディングを開始する事にした。英五君の突然の死、僕にも何時来るかわからない、明日明日と延ばしている間に、せっかく作った歌を残せなかったら、悔いても悔い切れない。多少の鼻声でも、これが今の僕なのだから、レコードは記録、今のそのままの僕を記録すればいいんだ。

 ぼーっと過ごしていて、出さなきゃいけない郵便物もあったので、久しぶりに気田の郵便局に出かけ、食料も少し仕入れて戻った。気分を一新する為に、機材の配置を変え、まずは、基本になる弾き語りを録音。今回は、ギターと唄は別チャンネルに録音するので、仮の歌を入れるのだ。頑張るぞー。

     
 4月 18日  ここ数日、早起きを(と言っても、8時半とか9時)している。気力を充実させる為だ。かなり気合は入ってきたが、花粉の野郎が邪魔をする。とにかく音の調整に全精力を費やしているのだが、難しい。新しい機材がうまく使えないのだ、くやしい。めちゃくちゃ悔しい。

 音作りに奮闘している間に夜になった。「僕のふるさと向上委員会」の定例会の時間だ。機材の電源を切って、気田の商工会館に出かけた。今夜は6人のメンバーで、7月のイベントの事や、行政から補助金がもらえるかも知れない。という話で、盛り上がった。「僕のふるさと向上委員会」は町の中でも認識され始めているようだ。

 会合が終わって、勝坂に戻り、再度、音の調整。納得がいかなくて4時過ぎまで、頑張ってしまった。

     
 4月 19日  8時半起床。早起きが習慣になりつつあるようだ。が、だるい。

 繰返し繰返し音を探っているのだが、まだ納得できない。ヤバイ世界に入り込んでしまったようだ。アバウトな忠史に戻れない。なんでこんなに神経質に成ってるんだ。

 今日も、音の調整だけで日が暮れた。こだわる事は無いのに、でもこだわってしまっている。ちくしょう。

     
 4月 20日  今日も体調が悪い。明日朝ってのライブに備えて、何もしない日にした。
     
 4月 21日  尾上さんの「すみれ道ゆき展」のライブ&パーティーの日。あいにく天気は良くない。気温もここ数日に比べ肌寒い。雨天中止になりかけたが、小島さんを頭にする東京のスミレンジャーの皆さんの頑張りで、雨天でもやる事が決まった。5時前に到着。ライブは、工場でやる事になっていた。尾上さんの旦那さんをはじめ、スタッフの人達が、工場の入り口に素敵な舞台を作っていてくれた。

                 
              
 工場の入り口とは思えない素敵なステージ

 セットが組みあがった頃、夕暮れが近づいてきた。コンサートの始まる時間は決まっていない。夕暮れ時というだけ。商工会婦人部の人達や、「僕のふるさと工場委員会」の面々が少し遅れてくるというので、6時半頃からライブは始まった。東京からやってきたスミレンジャーは15人、地元や県内各地、他府県から集まった人を合わせて、50人近い人数になった。昨年は、寒風吹きすさぶ野外での、ライブだったが、今年は屋根の下。昨年はノーマイクでやったが、今年は僕のPAを持ってきて音響有りのライブ。少し肌寒かったが、昨年の比ではない、心地よく唄わせてもらった。ライブ終了後は、スタッフの作った季節の料理、これがめちゃんこ美味い。たった2000円の会費で、ライブとご馳走とお酒。これは安いぞ。感想で、5000円出しても安いと言っていたが、僕もそう思った。来年はぜひ皆さんもご参加ください。みなさんと、遅くまで語り合いたかったが、明日は、名古屋に早く出かけなくてはならないので10時前には、尾上さん宅を失礼した。

     
 4月 22日  朝寝坊だ。携帯の目覚ましを掛けていたのに、バイブレーションの設定のままだった。6時半に起きて、7時に出発するはずが、なんと、目覚めたのは7時40分。飛び起きて、着替えを済ませ、歯も磨かないで飛び出した。今日は、コピーライターの大野さんと浜松西インターで待ち合わせて名古屋まで出かけることになっている。待ち合わせ時間は9時、間に合うわけが無い。それでも何とか日曜日で車が空いていたのと、とにかくすぐに飛び出したおかげで9時10分に到着。10分遅れで済んだ助かった。西インターで大野さんを乗せて、名古屋の鶴舞公園へ。今日は、そこで、ビルマの新年を祝う「みずかけ祭り」が行われる。ビルマは太陽暦で、丁度今の時期が新年に当たるそうだ。

 愛知県を走るのは苦手だ、前回豊田市でライブが有った時に、道路標識がわかりにくくて何度も町の中を回って、やっとたどり着けたと言う経験がある。今日も迷ってしまった。11時前にはつける予定だったのだが、迷いに迷って到着したのは、12時を回っていた。会場には、東京からバス3台でやってきたというビルマの人達や、地元に住むビルマの人達が大勢集まっていた。今回で、ビルマ関連のライブは3度目。東京からやってきていた人達の何人かは顔見知りになっている。不思議だな、ここまでビルマの人達と付き合う事になるとは思っても見なかったが、ビルマが、民主開放されるまで付き合っていきたいと思う。

      
  
ステージにはスーチーさんの写真が   ビルマの青年達のバンド演奏      森の向こうで水のかけあいが

 公園に着いた。凄い強風が吹き荒れていた。駐車場がわからなかったので、今回のイベントに声を掛けてくれた、ゾーゴエさんに電話したら、誰かに向いに行かせると言う事だった。が、案内の人はなかなか現れない、でももう慣れた、彼らはゆっくりしているのだ。10分以上待ってやっと来てくれたが、駐車場に向う道を知らないと言って、誰かに聞きに出かけた、すぐ側に会場はあるのだが、又待たせられる、でも大丈夫。案の定、又10分ほどしてやってきたが、よくわからないらしい。これが日本人だったらイライラするかも知れないが、じゃぁ仕方ない、自分達でなんとか探しますと言って彼と別れた。その間20数分の無駄な時間が過ぎた、おっと、それは日本人的考えだ、公園の入り口で行き交う人達の姿を20分以上もゆっくり見る事が出来たのだと考えなくては成らないのだろう。公園の駐車場はいっぱいで、公園の近くに見つけた100円パーキングに駐車して会場入り。MARUHOさんが、修理をお願いしていたギブソンのギターを届ける為に、早くから来ていてくれたそうだ。これでマーチンについで2本のギターを使えるようになった。修理代を支払って、ライブの時間を待つ。12時45分からだそうだ。その時間は迫っていたがスケジュールは随分遅れているようだった。

 そんなところに、羽佐田さんがやってきてくれた。レコードを出していた頃、名古屋でキャンペーンやライブを組んでくれた、イベンター屋さんだ。久しぶりに僕のライブを見に来てくれた。嬉しいね、金儲けにはならないアーティストなのに、休みの日をわざわざ僕の為に裂いてくれた。有難うと心で言った。

 出番は45分遅れの1時半、30分の予定時間だったので、スーチーさんの応援歌「ほほえみ」を最後に唄って終わろうとした。客席から、もう一曲とアンコールの声が掛かった。なんと「時は流れ人は生きている」を唄って欲しいと言う。すでに30分を過ぎているのに、ここから15分もある歌は唄えないと思ったが、主催者に曲の長さも伝え、いちおう聞いてみた。OKだった。東京でCDを買ってくれていたビルマの人だった。結局30分の予定ライブ時間は1時間になってしまった。それでもビルマの人達は何も文句を言わないどころか楽しんでる。同じ日本に住んでいても、彼らにはおおらかな時間が流れているのだ。

 ライブ終了後、リクエストしてくれた女性がやってきた。浜松と東京で出あった人だった。彼女は、スーチーさんとも親しいそうで、僕がスーチーさんに送って欲しいと渡した、手作りアルバム「時は流れ人は生きている」を彼女の関係で送ってくれたそうだ。だから、アルバムはスーチーさんの手元に届いていると言う。驚きのニュースを聞かされた。まだ僕の唄った「ほほえみ」は彼女に届いていないと思い込んでいた僕にとって、本当に嬉しい情報だった。気に入ってくれたかどうかはわからないが、日本語のわかるスーチーさん、僕の思いは伝わったのだ。それを聞いただけでも、今日名古屋まで出かけてきて良かったと思った。

     
 4月 23日  春だ、春。新緑萌ゆる春だ。何を興奮してんだぁー。…。一階に居ると、妙な虫がひょこひょこ出てくるので、今月初めから二階に活動場所を移したのだが、今夜、僕の天敵、ムカデが2階の部屋に出没した。やたらにデカイ。10cm以上は有っただろうか。2階押入れから這い出してきて、窓際にゆっくりと進んで行く。ここで慌てて逃がして成るものか、押入れにあった殺虫剤を取り出した時点で、ムカデは窓の下まで進んでいた。震える指で(妙に怖いのだ)ノズルを力いっぱい押した。壁がべたべたに成るまで殺虫剤を、吹きかけ続けた。ムカデはもだえ苦しんで身体をくねらせ始めた。が、それでも壁に張り付いている。すごい生命力だ。これ以上殺虫剤を掛けても仕方ないと。ライタ^を取り出して、焼き殺してやろうと火を近づけたとたん、壁にべったり着いた殺虫剤に引火して大きな炎が上がった。ヤバーイ、火事になる。近くにあったタオルを取って炎を叩いた。幸いにも火は消えた。驚いたムカデは畳に落ちた。まだくねりながらも生きている。またライターに火をつけて、何度も何度もムカデの身体をこがしたが死なない。なんて野郎だ、何かで踏み潰してやりたかったが、そんな状態のムカデでも怖いのだ。ほとんど死に掛けているムカデの上からお椀を伏せて、やっと一安心。

 町に出たら、協力殺虫剤を買ってきて、家の回りすべてに振り掛けなきゃ。

 春、これから、夏秋と、虫との戦いの日々が続くのだ。

     
 4月 24日  IMIの中野さんから電話だ。久しぶりだった。まずは、謝った。今回、アルバムは2種類出る事になっている。一つは、僕の手作りアルバム。もう一つは、IMIで昨年の天竜川ウォーキングの日記や写真入りの4曲入りCD−Rを出してくれる事に成っている。CDーR用の曲は3月中に録音する予定だった。それがまだ出来ていない。28日の「ぷらっとほーむ浜松」ウィークエンドマーケットで歌うときに持っていくことを約束した。が、中野さんの用事は別だった。僕がせっかく春野町から出かけるんだから、そろそろ新茶の季節でもあるし、春野町のお茶を持って来れないものだろうかという事だった。さすが、経営コンサルタント。美味しい春野町のお茶を宣伝できる絶好のチャンス。了解してすぐに、商工会会員でもある坂下さんに電話した。

 丁度、勝坂に届け物があった坂下さんは、6時過ぎにやってきてくれて、何とかしようと言う話になった。静岡県の中でも春野町は山間部なので、新茶を摘む時期が遅いそうだ。ひょっとしたら新茶は無理かもしれないが、とにかく春野町のお茶を持っていくことは出来る。時間を作って、坂下さんも来てくれるかもしれない。これもまた「僕のふるさと向上委員会」の活動の一環だ。

     
 4月 25日  新車がやってきた。自爆事故で、大破した車と色も形も一緒だが、排気量が1500から1300に下がり、オートマチックからマニュアル車に変わった。理由は簡単な事だ、保険会社からいただけるお金で変えるのはグレードダウンの車でしかなかったのだ。

 姿形は同じだが、新車である。ちょっと走らせて見たい気分では有ったが、今は、車にうつつをぬかしている時ではない、本職の音楽に集中する時なのだ。何度繰り返しても、納得のいく音で録音できない状況が続いている。車屋さんが帰った後も、2階に移した、ボロ家レコーディングスタジオにこもって、音の調整が続いた。

     
 4月 26日  2階に移り住んでから、早起きになったことは前に書いたが、今日も8時起き。雨戸を開け、深い緑の山を眺めながら、ゆっくりお茶を飲んで、朝食を作って食べる。気力も少しずつ充実し始めている。やっと、本格的に録音が始まった。まずは、弾き語りパターンを録音して、オブリガードのギターを録音、まだパターンは決まっていないが、そこそこの雰囲気が出来た所で、ベースギターのフレーズを探した。なかなか難しいが、少しづつ、フレーズが決まっていくその作業が楽しい。時間を忘れてベースギターを弾き続けていたら、電話が鳴った。

 兵庫県の小野市の中学校講演のときに出会った、松本さんだった。今、勝坂の赤い橋の所まで来ていると言う。うわー、ビックリ。伺ってもいいかという事だった、いいも悪いもすぐ側に居るのだから断れるわけが無い。録音を中止して、とり散らかった部屋に上がってもらった。これから沼津に向うらしい。その途中で寄ってくれたそうだが、途中にしては、どえらい遠回りの寄り道だ。

 人が訪れてくれる事はめちゃめちゃ嬉しい。こんな山奥に、ついでに来る人は居ない。当然わざわざ来てくれたのだ。とりとめも無い話をしながら、先月から今月に掛けてしぼんでいた心に、ほのかな火が灯ったような気がした。ほんの少しの時間だったが、心が暖まった。11月に姫路でライブを企画すると約束して、沼津に向った彼の車を最後まで見送った。

     
 4月 27日  保険屋さんから、振り込まれたお金を、車屋さんに振り込む為に浜松に出かけた。初めて新車に乗る。マニュアル車だが、クラッチはスムーズに移行するし、走りは滑らかだ。排気量は少なくなったが走りは、オートマチック車より快適だった。

 ついでに、あちこちで買い物(当然、ムカデ退治の薬を買った)をして夕方帰ってきた。

 録音を開始したが、又、音質で悩んでしまった。深夜、昨日録音した曲をミックスダウンしてみた。予想外にいい感じ。こうなったら、より良いモノを作る為にじっくり時間をかけようと思った。5月半ばまでにはとは思っていましたが、レコーディングが終わるのは何時になるかわからなくなってきました。

                    
                   本当はぐちゃぐちゃな部屋ですが、撮影の為に整理整頓しました

     
 4月 28日  8時20分起床。今日は忙しい1日に成るのだ。予定では、今夜東京に帰っているはずだ。と言うことを書いている時点で東京に戻っている。今日はムカデの恐怖に脅かされること無く安心して眠れる。

 先日、ビルマのみずかけ祭りの行き帰りに、コピーライターの大野さんから、アクトシティーの8階で6月からビジネススクールが開催され、そのスクールのイメージソングとして「時は流れ人は生きている」のアルバムの中の曲「風をつかまえて」を推薦した。という話を聞いていたのだが、それが正式に採用される事に成って、今日、ビジネススクールの理事長の鈴木さんと契約を交わすことになった。11時にアクトの8階事務所、約束の時間に少し遅れて到着。鈴木さんは女性で、過去に自分で起こした英語塾に2000人の受講生を確保したと言うツワモノだ。でもおごった感じも無く、とっても謙虚で普通の女性だった。大きな事を成す人間ってみんな謙虚です。それは、成し遂げた自信が有るからなんでしょうね。たった1時間弱しか話せなかったけど、人の話の腰は絶対折らないし、僕の話す小生意気な意見も、心底感服したように聞いてくれていた。当然彼女はわかっている話のはずなのに、わかったそぶりを見せない。風呂敷の大きな女性だった。ビジネススクールはこれから展開していく、その課程で、ラジオCMなどで「風をつかまえて」が流れるように成る。僕にとっては大きなメリットだ。それだけでなく、1年契約で過去に作った曲に、ギャラが発生したのだ。真剣にいい曲を作り続けた結果だ。努力は報われるのだ。継続し続ける限り。

 12時近くになって、事務所から失礼した。この後、ライブが控えていたからだ。先日も書いた、「ぷらっとほーむ」の、第一回ウイークエンドマーケットでのおひねりライブだ。

 連休初日と言う事も有っただろうか、中野さんいわく、あまり宣伝しなかったからと言う事で、お客さんはほとんどスタッフだけだった。せっかく春野町から来てくれた坂下さんに、ちょっと気の毒な気がしてしまった。次回のウィークエンドマーケットは、北海道ツアーの為、成田さんに唄ってもらおうかと思っているが、6月のライブには、お客さんを集めたいものだ。

 ライブ終了後、東京に向った。連休初日で渋滞が心配されたが、以外に混雑も無くスムーズに走れて、皆が起きている時間に東京に到着。

     
 4月   29〜30日、日記も連休させてください。

 

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