春野町勝坂・音楽の森だより

2000年 11月

気まぐれ日記・LC通信
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11月  1日  この日の日記を実は、11月13日に書いています。記憶は薄れ、どんな一日を送ったかは、ほとんど覚えていません。ただ一つ、今月7日と14日に静岡中日新聞に掲載される原稿を書いていたことだけ覚えています。中日新聞の記者、成田さんに1000文字で書いて下さいと言われ。書ききれずに朝まで頑張ったような気がします。
     
11月  2日  やっとの思いで新聞記事を書き上げ、ホットしていたのですが、成田さんから、訂正の要請が有り。この日も朝まで掛かって、記事を書いていました。
     
11月  3日  今日は、気田に新しく出来た公民館の、開館イベントで唄う。朝まで原稿を書いていたが、頑張って11時前には起きた。音響機材が無いと言われていたので、あわてて機材を積み込み、顔を洗って出掛けた。約束の12時到着。
 僕の前に、地元の大正琴グループの演奏があって、商工会のイベントの時にご一緒させてもらった地元生まれの演歌歌手、島さんの歌謡ショー、そして出番だ。小さな会場だったのであえて音響機材は使わずに生で演奏した。集まっていたのは、地域のお年寄りばかり、演歌でかなり盛り上がっていたので、僕なんかが歌い始めたらすぐに帰って行くんじゃないかと心配していたのだが、最後まで聞いてくれた人がほとんどだった。

 そしてこの日、9月にこの町で開かれたコンサートで生まれた歌「僕のふるさと」そして僕が春野町をイメージした「すみれ」の2曲が入ったシングルCDを町の人達に初めて紹介する日でもあった。タイムリーに新聞にも紹介され、お年寄りの中にも僕の存在を知っている人が沢山いた。それが救いで、うけないのを覚悟で一生懸命唄った。これが大切なんだ、一生懸命。

     
11月  4日  一夜明け、音楽の森コンサートの日がやってきた。ここの所、葉書での連絡をしていないので、お客さんの数が、若干減って来ている。果たして今日は何人の人が来てくれるだろうか。

 コンサートは、いつも通り旧勝坂小学校で行うのだが、前回同様、打ち上げは新居に移動してもらってやるつもりだ。が、ここ2ヶ月の間に部屋は大きなゴミ箱状態。あさから部屋の片づけに追われた。片づけている最中に、東京からドラムの松本さんが、女性二人を連れてやってきてくれた。片づかない一階に居てもらうことが出来ないので、最近使ってない二階に案内して、しばし片づけを続けた。この時、ひらめいた。そうだ、まだ二階の障子貼りは終わっていない、松本さん達にやってもらおう。アイロンと障子紙を持って二階に上がり、3人にやり方を教えて、後はお任せ。見事に二階の障子貼りは完了。一階もなんとか宴会が出来るような状態に出来たところで、小学校に上がってコンサートの準備。いつもの事だが忙しい一日だ。

      
   新聞記者か歌手か、成田さん登場 今回は客さんの少ないコンサートだった  でもドラムのまっちゃんが来てくれた

 本番前に耕平さんが名古屋からマーチンDー28を持ってやってきてくれた。3度目にしてやっと修理完了。今まで使ってきたギターの音とは雲泥の差、その事は弾いている本人かギターフリークしか判らないことだろうが、音のバランス、延び、深み、すべてにおいて勝ってる。そして今日は、松本さんがパーカッションを持ってやってきてくれている。楽しいライブになるのは約束されたようなものだ。
 だが残念ながら、お客さんは少なかった。30人を切ったのは、音楽の森コンサート始まって依頼の出来事だった。
 6時半、今回は弾き語りで耕平さんのライブからステージは始まった。音響担当はもちろん僕だ。今日は聞きに来たという伊藤さんだったが、やっぱり一曲唄ってくれた、そして成田さんは、新曲を持って35分のライブ、甘く優しい歌声の中に、ちくりと今の世の中を批判するその姿勢は、やっぱり新聞記者魂なのかもしれない。
 それにしても寒い。客席に敷いたビニールシートだけでは寒さをしのげない。来年からは11月、1月、3月のコンサートは座布団と膝掛けを持参してもらようにしようと思う。

 忠史のライブは8時から始まった。前半は新曲も披露しながら、天竜川を歩くのエピソードを語りながら進めた。コンサートの半ばで松本さんを呼びだし、リハーサル無しの一発勝負のライブ。さすがプロミュージシャン、まったく聞いたことのない僕の歌にも、その場で、見事に合わせてくれる。今日の日のために、素人さんも参加出来るように、沢山のパーカッション(鳴り物)持ってきてくれた松本さんの提案で、お客さんにもライブに参加してもらい、とっても楽しい時間を作ることが出来た。毎回何が起こるか判らない音楽の森コンサート。寒さの為に早めに終えたが、とっても暖かいコンサートに成りました。毎回来てくれた人達に支えられている音楽の森コンサート。次回は1月20日に行います。良かったら楽しみに来て下さい。

 ライブ終了後、新居に移動。みんなで交流会。新居の一階はお客さんで埋まった。明日のある僕は、早めに眠ったが。それぞれに遅くまで語り合っていたようだ。

     
11月  5日  目覚めると、松本さんだけが起きていた。泊まったのは松本さんチームの3人と、鈴木君、芝さんのいつものメンバー。
 今日は、浜北市にある酒造メーカーの花の舞いのある、宮口地域の町おこしイベントに出演する。8時半出発の予定だったので、7時過ぎに起き出した。庚申寺の門前で通りがかる人達を対象に唄うそうだ。簡単に言えばストリートライブ。ギャラは保証されているのだが、果たしてどれほどの人が集まってくれるのか、ちょっと不安である。PA(音響機材)は無いというので、僕のセットを車に積み込んで10時頃到着した。庚申寺の門前通りは、昔からの街道の面影を残した落ち着いた通りだった。花の舞の新酒がただで飲めると言うことで沢山の人が出て居た。素早く音響のセッティングを済ませ、10時半、道行く人に向かって歌い出した。数人の人が道の端に座り込んで聞いていてくれたが、通り過ぎていく人がほとんどだ。お酒が目的の人達なんだから、それも仕方のないことだろう。少数のお客さんを相手に、優しい歌(朝だから声が出ない)を選んで30分の演奏を終えた。それでも、終わった後5人ほどの人が、「僕のふるさと」のCDを買っていってくれた。青空の下、さわやかな風、聞いてくれる人が少なくても、気分は良かった。

 次の出番は1時半の予定だったが、太鼓の演奏に黒山の人だかり。実行委員の人の配慮で、人が集まっている中で唄った方がいいだろうと、太鼓演奏が終了してすぐに僕のライブを始めることになった。朝はまばらな人だったが、半数以上の人は散っていったといえ、かなりの人が立ち止まって聞いてくれた、太鼓の人達も参加して手拍子をそっせんしてやってくれたお陰でとっても盛り上がった。最後に客席から「上を向いてあるこう」をもう一度唄って欲しいとアンコールが掛かり、僕が歌い出すと、みんなが大きな声で一緒に唄ってくれた。道ばたでのライブ、時間をこなせばいいと安易に考えていたのだが、とってもいいライブになった。後かたづけが終わった後の実行委員会の打ち上げに参加させてもらい、あまりに素敵な人達で、つい僕もこの会の会員にしてくれますかと言ってしまった。でも、みんな快くこたえてくれ、1000円の会費をその場で支払い。僕もこの宮口の町おこしの会の会員にさせてもらった。なんだか気持ちのいい一日だった。

     
11月  6日  
     
11月  7日  
     
11月  8日  
     
11月  9日  
     
11月 10日  
     
11月 11日                      
                       秋田県平鹿町のホテルにて、忠史今日の顔
     
11月 12日                
                雪渡りの収穫祭打ち上げ      打ち上げの2次会ではブルースで盛り上がった
     
11月 13日  
     
11月 14日  
     
11月 15日  家族旅行の日。みんなで朝6時に起きて、7時に出発するぞと、昨夜話していたのだが、起きたのは7時半。出発は8時半。なんじゃい。
 平日なので、スムーズに中央高速の国立インターに到着。中央高速道路をひた走り、松本を過ぎて豊科のインターから国道に出て穂高町(安曇野)へ。嫁さんの希望でまずは碌山美術館へ、蔦の絡まる美術館を写真で何度も見ていたのだが、今は秋。残念ながら蔦の葉は落ちていて、おまけに雨も降ってきたので、しょぼいイメージだけが残った美術館だった。近くにあったジャンセンを展示している美術館では、シンプルで奥行きのあるジャンセンの数々な作品に家族全員、暖かい感動をもらった。目の感動の後は、舌と腹を満たす感動を求める。信州と言えば蕎麦。近くのそば屋を見つけて入った。ちょっと値が張る店だった。もりそばが1200円。1時を過ぎて入ったので、店は貸し切りだった。滅茶苦茶旨い、旨い、旨い、蕎麦だった。家族全員大満足。お店の名前は「石松庵」安曇野に行った時には立ち寄ってみてください。旨い。
 腹がいっぱいになったら、信州と言えば温泉しかない。穂高にも温泉は有るのだが、腰にいいそして我が家の女性達にとって大切な美肌を約束してくれる温泉をめざした。目的の宿は白馬村にあったのだが、いったん戻って、豊科温泉へ、あれっ名前は忘れた。ぬるっとした肌触りで、いかにも美肌効果バツグンと言った湯だった。僕は腰をしっかり暖め、女性陣は美肌効果を感じて、ゆったりと温泉に浸かった。その後の予定は有ったのだが、白馬の宿に向かい、6時に到着。夕食食べ放題、朝食バイキングで一泊4000円の格安ホテル。格安だけの事はあった。食事は餌。腹一杯に成ってるのに、口が満足できない状態。仕方がないので、口寂しさを満たすために、雨の中車を飛ばして、遠くのコンビニに出掛け食料を仕入れてきた。安物買いの銭失いとはこのことだ。寂しい気分で、就寝。
     
11月 16日  朝7時半起床。誰も朝食を食べに行こうと言わない。もちろん僕も同じ気分。ホテルの朝食をパスして、8時半出発。白馬駅前にあったファーストフードの店を目指した。が、開店は10時。馬鹿野郎、なんでハンバーガー屋が10時開店なんだようー。駅前だから何か店が有るだろうと、そこに車を停めて歩いてみたが、めぼしい店は無い。コンビニを見つけたのだが、食品棚のほとんどが商品は無く、まるで食料規制されている国の店のよう。仕方なく、目的地の戸隠に向かった。戸隠と言えば蕎麦。今回の旅の目的は、旨い蕎麦を食べること。白馬から山道を走り戸隠に向かった。空きっ腹だったが、晩秋の信州の枯れた山々の美しさを堪能しながらドライブした。昨日コンビニで見つけた雑誌で「おやき」の話で盛り上がった。その「おやき」の看板を、鬼無里村で見つけた。ものは試しで入った。山里に有るそのお店の雰囲気は、なかなかシャレた感じだった。この村におやきの店は一軒しかない、興味のある方は行ってみて下さい。試しで食べたおやきが無茶苦茶旨かった。今まで何度も食べているが、この店のおやきは本物だ。旨い物を食うことが何者にも勝る幸せだと言うことを、改めて教えてもらった気がした。我が家の全員がおやきを食べた瞬間から優しい顔に成っていたことがその証だろう。

 そして、目的地の、戸隠へ。さすが蕎麦の里。戸隠神社の参道にはそば屋さんが立ち並んでいた。車を無料駐車場に置いて、歩いた。まずは神社にお参り。くー…、寒い。1分もすると耳が痛くなってきた。それほど寒い。美味しそうな店を求めて歩いたが、何処がいいか判らなくて、神社の前の有名なそば屋に入った。腰のある歯ごたえのある蕎麦だった。でも味にうるさい高橋一家の意見としては、まずくは無いが、出汁が、もう一つ。旨いのだが、出汁が我が家の味覚にはもう一息だったようだ。でも、満足して白い息を吐きながら目的の温泉に向かうべく、車に乗り込んだ。目指すは戸倉温泉。肌に良いとされる湯。山道をくねくね走り、長野市から戸倉へ、温泉街の中の銭湯(650円)でしっかりくつろいで、晩ご飯の打ち合わせ。蕎麦を食いまくる予定だったが、もう蕎麦はいいという話になった。軽井沢は近い。昨年、偶然はいった軽井沢のフランス料理の店に行こうと話がまとまった。店の名は「りんでんばぁーぐ」料理も美味しいのだが、パンが滅茶苦茶我が家好みなのだ。はしたないのだが、我が家は、全員違う料理を頼んで、みんなで分け合って食べるのだ。4品の定食を頼んで、みんなで分け合って食べた。昨年と同じ感動。腹は満たされ、旨い物を食べた感動で全員幸せを感じて東京の自宅に戻った。

 腹一杯の、素敵な旅でした。

     
11月 17日  19日、鹿児島に出発するのだが、飛行機のチケットが家族旅行中に届いていたらしい。郵便局に受け取りに行くついでに、大型電気店に立ち寄って、焼き付け用のCDーRと、ウインドウズのニューバージョン、Meを買った。ついでにもう一軒の電気屋に寄った。音楽の森の暖房器具を買うためだ。北海道仕様の今あるストーブは、大きすぎて、学校では重宝したが、今の家では燃料費の無駄。色々物色していたら、なんと亭か2万円以上の物が5900円で売られていた。さっそくそれを購入。これで新しい家での冬対策は万全だ。郵便局でチケットを受け取って家に戻り。2時過ぎに春野町に向かった。

 高速道路は事故が多い。清水インターの手前で事故が起きたらしい渋滞は15km。沼津で一般道路に降り、1号線を走り、清水インターから再び高速に乗り掛川まで春野町に着いたのは9時頃だった。坂下さんから蛍光灯が2個見つかったと連絡をもらっていたので、明日の春野町さんぎょう蔡の準備をしている商工会に出掛けた。青年部の連中が、焼き鳥の下ごしらえをしていた。忙しそうだったので、蛍光灯は今度帰ってきた時にもらうことにして、音楽の森に帰った。

 磐田の江間さんに、今日中に12月1日に発表する曲を作り上げると約束していた。帰って早速、曲作りに入った。

     
11月 18日  曲の構想は固まっていたのだが、詩が出てこない。曲想はほぼ出来上がったが、言葉が出ない。眠れないまま朝が来た。さんぎょう祭りの出演時間は昼の1時と3時。12時半に現地の役場に着けばいい。それまでにはと、結局一睡もしないで頑張った。駄目だった。ギリギリまで頑張って少し言葉が見え始めたところで時間が来てしまった。あわてて車に飛び乗って会場入り。

 1時からのライブでは、まず、「僕のふるさと」のCD発表会から始まった。商工会青年部部長の柳沢さんが、CDが出来上がるまでの過程をを話、坂下さんがCD作りにいたるエピソードを語り。最後に東京から帰ってきていた、作詞者の高須くんからのコメントをもらって、お客さんに配られた歌詞カードを見てもらいながら、「僕のふるさと」を唄った。30分の短いライブでは何もできないが、町のイメージソングが出来たと言うことで、観客は多かった。
 次の出番は3時、それまで会場内を歩いてみた。昨年も同じ会場で唄ったのだが、声を掛けられることはほとんど無かったのだが、1年たって、知り合いが増え、会場のあちらこちらで声を掛けられ、そこここで話している間に3時になってしまった。すっかり春野町の住民に成りきっている自分を感じた。3時からのライブはお客さんが少なかった。でも、すこし暇になったスタッフの人達が集まって笑顔で聞いていてくれた。日は落ちて急激に寒くなった会場だったが、暖かい気持ちでライブを終えた。

 そして今夜は、浜松アクトシティーのホテルオークラで、相曽さんの経営する丸真電子のパーティーで唄うことになっている。明日鹿児島に飛行機で向かわなくては成らないので、車を役場に置いて、平島さんに送ってもらった。普段1時間半で行ける所を2時間も掛かってしまった。平島さんにはいつもお世話になって、申し訳ない。それでも何とか唄う時間に間に合って到着。ホテルオークラにチェックインして、33階の浜松が見渡せる素敵な部屋に荷物を置いて、ギターを持って会場に入った。宴会場には100人ほどの社員さん達が会食を始めていた。相曽さんに今日招いてくれた事と素敵な部屋に泊めていただけることにお礼を言い、明日は鹿児島に向かうため、早くに出なければならないと話していると。飛行機に間に合う時間の新幹線は無いと教えられた。えー…。

 ライブを終え、すこし歓談して、今日中に東京に帰るために、浜松駅に向かった。33階のリッチなホテルに泊まるのは夢と消えた。それ以上にせっかく立派な部屋を取ってくれていた相曽さんに申し訳ない思いがした。9時前の新幹線に飛び乗って東京へ、席に座ったとたん眠りに入っていた。よく考えたら、昨日東京を出発して、一睡もしていないのだ。普段ならへとへとに疲れているところなのだが、ハードなウォーキングライブツアーで体力が強化されたのか、この時まで眠気も起きなかった。東京までぐっすり眠り。家に着いたのは12時。風呂に入って一段落しているともう2時。布団に潜り込んだ。

     
11月 19日  5時半起床、東京の朝は寒かった。6時に家を出た。冷たい風が吹いていた。震えながら鷹の台駅に着くとすぐに電車が来た。車内も冷え切っている。ジャケットのチャックを一番上まで上げ、両手を組んで小さくなりながら国分寺へ、中央線に乗り込んだがお客は少なく、駅に着くたびに冷たい風が車内に入り込んでくる。時間経過と共に、人も増え、東京近ずく頃には少し寒さも和らいできていた。秋葉原から山手線に乗り換え、浜松町へ、今度はモノレールに乗り換え羽田空港に8時前に到着。飛行機の出発時間は8時40分、少し時間が有ったので軽く朝食を済ませ飛行機に乗り込んだ。座席に着いたとたん爆睡。気がついたら鹿児島空港に着いていた。飛行機は速くて便利だが、距離感がおかしくなる。いつも思うことだが、旅はゆっくりがいい。

 空港には、森尾さんが迎えに来ていてくれた。森尾さんの車に乗って、ユースフェスタの会場、加世田市の臨海公園に向かった。12時到着。青少年連絡協議会の顔なじみの連中がスタッフとして走り回っていた。この休日、ぼけーと目的もなく一日を過ごしている若者達がいると思えば、こうしてボランティアとして会場にやってくるお客さんの接待に汗を流している若者達もいる。どっちの人生が有意義なのだろうか。どちらにしても世間の大人達が考えている若者像とはひと味違う若者達がここにはいる。僕は彼等が好きだ。

 朝から子供達のために熱気球を体験させ、昼からは消防の梯子車(なんと一台1億2千万もするらしい)の体験を用意し、ステージではライブが続く。高校生達の女子だけで作ったグループの演奏は上手くは無いが初々しくさわやかだった。観客席に人は少なかったので僕もお客になるべくステージ前のビニールシートに座って聞いた。次に唄ったのが、ギター一本弾き語りのおやじさん、どうもつまらない、知らないうちにシートの上で横になり眠ってしまった。睡眠不足はまだ続いているようだった。

 2時、3人編成のブルースバンドの演奏が始まった。なかなかのテクニックで聞かせてくれた。若いのにブルースとは素敵だなと思って、彼等の演奏が終わり、ステージに上がろうとすると、メンバーの一人が声を掛けてきた。久しぶりですと言う。残念なことに僕は覚えていなかった。何処で会ったか問いただすと、4年前の、ユースフェスタのステージで僕と一緒に「青春」をバックで演奏してくれた彼等だった。その時演奏した「青春」は今でも忘れないと言う。当時高校生だった彼等、今は社会人になりそれでも演奏活動を続け、さわやかな笑顔の青年に成っていた。嬉しいことだ。ちょっとやんちゃに生きていたようだが、音楽とユースフェスタの出逢いで、素敵な道を歩き始めているようだ。さわやかな4年ぶりに出逢いに気をよくした僕のライブが悪いはずがない。怪しい雲がたれ込めていた空も、そんな気持ちを組み入れてくれたのか、雨粒を落とすことなく1時間のライブを済ませることが出来た。ステージを降りた僕に、また彼等がやってきて、良かったと言ってくれた。一人に名刺を渡し、今度鹿児島に来るときは一緒に演奏しようと約束した。ホントに嬉しそうな顔で、了承してくれた。次に鹿児島に来る楽しみが一つ増えた。だが残念なことに、4回続いたユースフェスタも、来年の補助金は無くなり、今回で終わりと言うことらしい。素晴らしい成果が有るにもかかわらず、残念なことだ。

 歌い終わって、すぐに森尾さんの家に向かい、近くの温泉でゆっくり痛んだ腰を暖め、休ませてもらった。夜は、青少年連絡協議会の会長の西田さんも来てくれて、ユースフェスタ成功の乾杯をして、早めに寝かせてもらった。

     
11月 20日  9時半起床。僕以外誰もいなかった。晴れていると桜島が見える、とっても素敵な場所に有る家なのだが、あいにく今日は雨。鹿児島とはいえ寒い日だった。日記を書いている間に西田さんと森尾さんが帰ってきた。25年前に埋めたタイムカプセルを掘り起こすイベントに出掛けていたそうだ。昔そんなイベントが日本中ではやっていたような記憶がある。どうだったと聞いたが、二人とも感動した様子もなかった。埋めていた場所の写真を見せてもらったが、かなり立派な施設だった。中に入っていた、作文や資料はその当時のままの状態で残っていたそうだ。25年ぐらいの物ならなにも立派なシェルターを作らずとも残せると思うのだが、なんだかばかばかしいことのように思えた。
 昼ご飯を食べたらまた眠くなってしまって。昼寝をしてしまった。起きたのは3時半、たっぷり2時間は眠ったか。森尾さんは仕事に出掛けており、一緒に寝ていた西田さんは帰っていき、また一人になった。

 夜は、森尾さんとやっちゃんとPYONちゃんと4人で、あっこちゃんのおばさんが経営している餃子屋さんで食事をするために、川内市に出掛けた。「北満」と名付けられた店は、町中の目立たない路地にあった。創業30年になる店は今でもお客さんが絶えない。焼き餃子と水餃子を頂いた。本場中国で覚えてきたというその味は、なかなかの物だった。皮がふわっと柔らかく、中がジューシー。口の中でとろけていくようだった。旨かった。鹿児島のいい思い出をもらって森尾さんの家に帰った。

     
11月 21日  2時10分の飛行機で東京へ。久しぶりにお茶の水駅で降りて楽器屋で新しい弦を購入。せっかく楽器屋さん街に来たのだから、店を回ろうと思ったのだが、荷物が重くてその気力は失せてしまった。今夜は阿佐ヶ谷のオレンジ館のライブの日、そのまま阿佐ヶ谷に向かった。
 今夜は、8時になっても、お客さんは若山君が一人だけだった。マスターもテーブル席に座ってお客に成ってくれた。1部が終わり、9時を過ぎて、いつもの塩野君が来てくれた。携帯に電話が入った。都留君からだった。
 マスターが店に来るとき、駅で偶然ピアニストの中村由利子ちゃんに会ったらしい。その時、今日僕がライブをする事を伝えてくれていたのだ。都留君の電話の内容は、遅くなるかも知れないがオレンジ館に来てくれると言うことだった。10時過ぎ、由利子ちゃんと都留君がやってきてくれた。なんだか無茶苦茶嬉しくて、そして新曲の数々を二人に聞いてもらいたくて若山、塩野君には申し訳なかったが彼等をほぼ無視して歌い続けた。終わった後、都留君がギターが上手くなったと誉めてくれた。曲そのものも良いと言ってくれた。ほっとした。プロ仲間から誉められることが一番嬉しい。それにしても、ギターを誉められるとは思っていなかったので嬉しかった。

 マスターのお願いで、由利子ちゃんがピアノを弾いてくれることになった。都留君が、忠史さんと一緒に出来る曲をと言う意見で「男が女を愛するとき」を、ピアノ伴奏だけで唄うことになった。超一流のピアニストをバックに着けて唄うなんて、むちゃんこ気持ちいい。若山君と塩野君も目を丸くして感動していた。たった二人のお客さんの為のライブとしては半端じゃない凄い一曲だった。オレンジ館ライブ、これからも何が起こるか判らないぞ。次回は12月16日だ。

     
11月 22日  今日は東京の自宅で休養日。何もしないでごろごろするっていいなー。
     
11月 23日  春野町の徹っちゃんが、焼鳥屋を気田で始める。坂下さんの掲示板の書き込みで知った。今日が開店日だ、これはなんとしても行かなければ成らない。東京を昼前に出発して、春野町の坂下さんの店に3時半頃到着。開店前の徹っちゃんの店に顔を出してみた。いつもの仏頂面で、鳥を焼いていた。一度坂下さんの店に戻り、開店時間が来るのを待った。

 4時には早かったが、これから帰って曲作りをしなくては成らないので、早めに店に入った。一番乗りだ。と言っても、客が並んでいるわけでもない。何となくの一番乗りだ。坂下さんの次男のあきちゃんと二人でカウンターに座り、初の注文をした。あきちゃんの希望でとりかわ、おいおいまだ小学校にも行っていないのにとりかわとは末恐ろしい。てなわけで、ほんの一時間ほど、その間にお客さんが訪れてカウンターはいっぱい、それを期に店を出て、勝坂に戻った。

 12月1日の磐田法人会の席で唄う歌は、1週間前には作ると約束していたのだが、思いはつのっているのだが言葉に成らない。ここ数日、言葉が頭を駆けめぐり、胃が痛くなるほど悩んでいる。今夜も完成には届かないようだ。

     
11月 24日  ほとんど徹夜で、詩作りに頑張ったが、駄目だった。それでも10時に起きだして、コンピューターの前で思いつくままに言葉を書き出していった。まとまらない。

 今日は岡部町の教育委員会から頼まれていた、町民講座に講師として出掛ける日。直前まで詩を書いていたがまとまらない。少し早いが2時過ぎに出発。バイパスが工事で、かなり時間のロスをしたが、早めに出ていたお陰で、6時前には到着。今日の仕事の依頼主の藪崎さんは、体調不良で、教育委員会を辞められたらしい。毎年のように来ている、岡部町の教育委員会だが、ずいぶんとメンバーが替わっていて、僕の歌を聞いたことのある人がいなくなっていた。主催者の教育委員会の人達も、お客さんとして聞かせてもらいますと言うことだった。7時から始まったライブには、青年団の人達や、受講生以外の人達も来ていた、僕を知ってる人と言って手を上げてもらったが、町外から来た人も含め約3割の人達が僕の歌を聞いたことのある人だった。最終的に40人弱の観客に成った。歌声を聞いて入ってきたと言うお母さんがライブ終了後、中学生になる子供が音楽の道に進もうとしているのだが、と相談してきた。その赤い目には涙を拭いた後がしっかり認められた。ライブ中、すすり泣きが聞こえていたのはこの人だったのだ。どうなるかは別にして、目標を持つことは素晴らしいことだとだけ伝えた。僕は小学校の4年生の頃から音楽にあこがれていたんだから。

 ライブ終了後、すぐに勝坂に戻るために車を走らせた。曲作りのためだ。

 11時勝坂に到着。頭を絞っても絞っても、言葉が出てこない。それでも何とか、曲だけは前進して、素敵なコード進行が生まれた。

     
11月 25日  昨夜も、眠たいのに眠れない時間が続き、明るくなってやっとあきらめて眠った。目覚めたのは午後2時。起きあがってすぐ、コンピューターの電源を入れて、お茶も飲まないで、昨日考えていたアイデアを言葉にうつしていった。

 ここでタイトルだけ記しておこう。「奇跡」。テーマは出逢い。

 ご飯を食べるのも忘れて、頭を絞った。どれだけ強く絞っても、イメージした言葉が生まれてこない。これは、発想の転換が必要だ。ふと、ベッドのそばにいつか読もうと置き去りにされていた、浄土真宗の本願寺を不動の物にした、蓮如さんの事を書いた、五木寛之さんの「蓮如物語」に目がいった。少年少女の為に書かれた、優しい文章だった。1時間も掛からないうちに読破した。何度も目頭が熱くなり、不覚にも涙もこぼしてしまった。

 感動新たに、またコンピューターに向かった。が、言葉が出ない。コンピューターの電源を切って、白紙を取り出し、ボールペンを持って、文字を形にしていった。何となく、ほろりほろりと言葉がボールペンの先からこぼれだした。書き進むうちに、考えがまとまり始め、日が暮れる頃、ほぼ一番が出来上がった。あとは、一番を膨らまして2番を作るだけだ。

 東京にいる頃から風呂の誘いの電話をくれた大石さんが、今夜も誘ってくれた。その後に、得さんも風呂の誘いがあったが、大石さんの所に行くからと断った。勝坂の人は暖かい。この暖かさを、詩の中に織り込みたい。風呂から帰って、サビの部分が完成した。後もう少しだ。

 曲作りは、苦悩の連続だ。朝から晩まで、眠っているときでさえ、考え続けている。胃は痛くなり、座り続けて考えているので、腰の痛みも増してくる。でも、出来上がったときの感動は何にもたとえられない素晴らしい開放感と共にやってくる。唄うのも好きなのだが、この曲作りの苦しくも充実した時間が、僕の人生を作り出しているんだ。まだ曲は出来ていないが、12月は、曲作り強化月間だ、来年早々に、また新しいCDを作るために。

 今月頭に作った曲の事はまだ紹介していなかった。ここで詩だけ紹介します。曲は今までの僕にはない感覚の物です。天竜川を歩いたからこそ出来た「天流」です。


      天 流

泳いでいるのはメダカだろうか
それともいつか海を渡る強者(つわもの)か
君はどっちだ

流されるままに生きてゆくのか
それとも竜蛇に跨り空を駆けるか
君はどっちだ

息が切れるほど 走り続け
喉が千切れても 叫び続け
届かず叶わぬ 夢に向かい
それでも自分を信じて生きてゆく

馬鹿者達よ 立ち上がれ
尻の青い夢を忘れたか
馬鹿な奴だと笑う奴らには
後でほえ面かかせてやれ


泳いでいるのはメダカだろうか
それともいつか海を渡る強者(つわもの)か
君はどっちだ

留まる者には耐える力
旅する者には進む勇気
時には涙を流しながら
それぞれ同じ時代を生きている

馬鹿者達よ 立ち上がれ
尻の青い夢を忘れたか
馬鹿な奴だと笑う奴らには
後でほえ面かかせてやれ

馬鹿者達よ 突き破れ
昨日までの自分を脱ぎ捨てて
それぞれみんな自分の生き方で
泳ぎ続けてゆけばいい
それぞれみんな自分の生き方で
泳ぎ続けてゆけばいい

流されるままに生きてゆくのか
それとも竜蛇に跨り空を駆けるか
君はどっちだ

     
11月 26日  12月16日午前10時半から1時間、信州テレビで放映の決まった天竜川ウォーキングライブツアーの編集作業につき合うために、長野県飯田市のTV4に出掛けた。夕方の6時に約束していたので、勝坂を出たのは3時過ぎ。県道389号線を北に向かった。勝坂から少し走ると、すぐに紅葉のメッカ明神峡。静岡県で一番素晴らしい紅葉が見られる所とは昨年春に勝坂に来たときから聞いてはいた。でも、残念なことに昨年はそれを見る機会を作れなかった。静岡県の秋は遅い。ちょうど今が紅葉の見所とは知っていた。だから、飯田に向かうのが楽しみだった。勝坂を出発してほんの数分で明神峡にさしかかった。

 天気が良かったせいもあって、自然の作り出した、とんでもない美しい芸術を見てしまった。今まで何度と無く沢山の紅葉のメッカに出掛けたが、何とも表現の仕様のない、今までに出会ったことのない美しさに、思わず車のスピードを落として走った。日曜と言うこともあって、狭い渓谷の道のあちらこちらに、人の乗っていない空の車が止まっていた。その近辺には、カメラを構えた人や、ナップザックを背負ったハイカーが必ずいた。みんな、えもいわれぬ美しさをゆっくり体験しようとする人達だった。こんな身近にこんな素晴らしい自然があるなんて…、用事がなかったら僕も車を停めて歩いてみたかった。紅葉の美しさは、隣町の水窪町にはいっても続いた。10日前家族で出掛けた信州の紅葉なんて比べ物にならないぐらい美しい。日本を駆け回っている高橋が、これだけ美しいを連発しているのだから、僕の感動の度合いが分かってもらえるだろう。今年は無理にしても来年はみなさんも来て下さい。僕の住んでる勝坂は四季を通じて、半端じゃなく美しい所です。デジタルカメラでその模様を撮影しようと思ったら、電池が切れていました。映像をお届けできないのが残念です。

 約束通り、6時にTV4に到着。プロデューサーの後藤さん、ディレクターの森田さん、そしてこのTV4の経営者でもありカメラマンの米山さん、旅が終わって、1ヶ月と10日ぶりに、ウォーキングライブツアースタッフと出会った。みんなの顔を見ると、又明日から歩き出さなければならないような気分に成ってくる。でも、旅はもう終わったのだ。ほぼ編集の終わった映像に、僕のナレーションが入る。その為に来たのだ。ナレーションを入れるにしても全体の雰囲気をつかむ必要が有るだろうと、米山さんが、1時間に編集された映像を見せてくれた。歩いている高橋は、滅茶苦茶カッコ良かった。その後ナレーションを録音して、湯〜眠(ゆうみん)という宿泊温泉施設に出掛け、旅の打ち上げをした。旅の中で、僕が思いきわまって、今日のスタッフに思いの丈の怒りをぶつけたように、今日は森田さんが涙を流しながら、自分の思いが映像に反映されていないことを訴えた。1時間のテレビ番組を作るその陰には、スタッフ達の壮絶な葛藤が有ること、今夜はそのプロの仕事の素敵さを感じた。

 きっと、素敵な番組に成るだろう。

     
11月 27日  編集作業は、次の日も続いた。僕は今日帰るつもりだったのだが、なぜか又一日つき合ってしまった。カメラマンの米山さんの一言でそれは昨日決まった。

 この飯田市に「ふぉの」と言う名のライブハウスがある。旅の途中で、そのマスターの小島さんから電話が掛かって、飲みに行く約束をしていたのだが、旅の途中で約束を果たせなかった。その「ふぉの」に米山さんが、撮影の為に出掛けたという。僕のレコード(デビューアルバム)をプレーヤーで回しているシーンをとるために。そこで、マスターの小島さんから、実は高橋忠史の強烈なファンだったと言うことを聞いて、今夜何が何でも「ふぉの」に言って、マスターを驚かせようと言う話になったからだ。編集作業は思いの外時間が掛かって、「ふぉの」には11時頃到着。もちろんマスターには僕の存在を知らせていない。申し訳ないが、マスターが僕のことを知ってどんな反応をするか、それを楽しみに出掛けた。まさか…、の世界だ。マスターは僕を見ないで一緒に出掛けた後藤さんと米山さんと話している。妙に僕によそよそしいのは、何か意識していることを予感させた。約10分が過ぎ、マスターが僕をまじまじと見つめ「…た・か・は・し…さん?」。やっと僕のことが判ったようだ。

 その後、僕のレコードと出会ったときのことを、一生懸命話し出した。僕のレコード「東京」と出会ったのは、小島さんが、音楽に興味を失い始めた頃だという。そんな頃、「東京」に出逢い。又音楽を聞くようになり、サラリーマン生活を止めて、10年以上前に、ここでライブハウスを始めたという。小島さんの人生を変えたレコードだったらしい。彼は気に入ったレコード(CD)は2枚買うらしい。聞く為の物と、保存するための物。そして当然「東京」も2枚買ったらしい。話は尽きなかったが、出掛けた時間も遅かったのでそうそうに店を出た。もちろん今度この店でライブをやる約束をして。
 帰り道、米山さんいわく、マスター緊張していたね。前に来たときは、僕の話を息もつかせぬほど語り続けていたという。又、僕の歌で人生を変えた人と出会ってしまった。フォークシンガー高橋忠史、やっぱり死ぬ直前まで唄うしか無い人生なんだなー。

     
11月 28日  飯田市からの帰りは楽しみだった。あの芸術的な明神峡の紅葉を、角度を変えて見れるというその想いで。

 やっぱり美しかった。どんな角度からも、美しい物は美しいんだ。

 勝坂に戻ったとたん、現実の世界が待っていた。12月1日の磐田法人会青年部20周年で唄う歌の完成はまだ出来ていない。昨日までの余韻を捨てて、作詞作りに夜が明けるまで頑張った。くそー。出来ない。

     
11月 29日  起き出して、コーヒーを飲む間ももったいなくてコンピューターの電源を入れて、詩の確認。タバコがあっという間に灰皿一杯になってしまう。何とか完成、すぐに江間さんにメールで送った。一安心していると、夕方突然の訪問者。いつも音楽の森で唄ってくれている伊藤さんだった。大石さんを訪ねてきたらしいがいなかったので、贈り物を預かって欲しいと言うことだった。少し上がってもらって話をして6時過ぎに帰っていったと思ったら、ほんの10分ほどして又やってきた。車のタイヤを溝に落としてしまって、動けなくなったそうだ。一緒に家のすぐ近くで石垣に前輪を落とした車を発見。一人ではどうしようもなく、大石さんの助っ人を頼んだ。二人で、木の棒と鉄の棒をそれぞれに使って、テコの応用で何とか車を持ち上げ、前輪を道路に押し上げることが出来た。おー、ちょっと腰に響いてるぞ。

 無事、終了して、大石さんのお宅に出掛け、夕食を頂いて、伊藤さんも帰って一段落したところに電話が掛かってきた。

 江間さんからだ、詩のイメージがちょっと引っかかって、没にしたいと言う内容だった。その事について話したいから、9時頃やってくるという。あわてて家に戻った。よし、成せばなるだ、今から1時間で曲を作ってやると決めた。とにかく思い浮かぶ言葉を羅列して、同時進行で曲も作っていった。詩の完成は難しかったが、1番とサビが完成。そして、江間さんがやってきた。まず聞いてもらった。納得している様子だ。明日までに完成させて、CDに吹き込んで磐田市に持っていくことを約束した。江間さんが帰った後、2番の詩作りに没頭。明け方まで掛かってやっと完成。録音は明日だ。あー眠い。

     
11月 30日  目覚めたのはやっぱり昼過ぎ。今日も何をする、ん、コンピュータの電源を入れることから昼を過ぎても僕の目覚めの朝が始まる。何とか完成させた詩では有ったが、起きて確認してみると、どうにも納得がいかない。再度詩を練り直しとりあえずの世界までこぎ着けて、録音に入った。完全パッケージはのちのち行うとして、とりあえずの完成品をもって磐田市へ。

 明日の法人会の会場磐田グランドホテルに6時半到着。だれもいなかった。嘘だろうー。6時半と聞いてやってきたのに、誰もいない。なんだか寂しくなってしまった。7時前になってやっとメンバーが到着。録音したCDを江間さんに渡したら、ギターは持ってきてないかと言われた。当然持ってきている。 CDを手渡したら帰るつもりだったが、明日のリハーサルにつき合う羽目になってしまった。リハーサル開始1時間後、法人会テーマソングの発表の場面がやってきた。明日この場に僕は居ない。CDが流れるだけなのだが、今日は僕がいるので、リハーサルに来た面々に生で聞いてもらった。リハーサルの途中だったので、反応は判らなかったが、文句が出なかったと言うことで安心した。

 最後までつき合っているのも辛いので、唄った後、勝坂に帰らせてもらった。明日が楽しみだ。お休み。

 

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