春野町勝坂・音楽の森だより

2000年 1月

気まぐれ日記・LC通信
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 1月 31日  早、1月も終わりになる。今は東京の自宅に戻っているが、音楽の森の寒さも本格的なものになるだろう。四季を感じてから、音楽の森で感じた事を歌にして行こうと思っている。1月はライブに追われ創作活動がほとんど出来ないでいる。2月からは、曲作りに励もうと思ってます。
 実は2000年になって始めて作った曲が有ります。メール仲間の、たぁこさんが、昨年送っていてくれた詩に曲をつけました。曲はまたライブで聴いてもらうことにして、詩だけでも紹介しておきます。

           「手」
                        詩 たぁこ

     あったかいね
     冷たいでしょ?
     この手のひらを ずっと 待っていた
     あったかいね
     冷たいでしょ?
     そして あなたを 待っていた

     おかしいね
     おかしいでしょ?
     あなたの 笑顔の他に 何もいらない

     あったかいね
     冷たいでしょ?
     この手のひらを ずっと 待っていた
     そして あなたを 待っていた
     あったかいね
     冷たいでしょ?
     あなたを ずっとここで 待っていた
     あったかいね
     あったかいね
     あったかいね

 1月 30日  眠ったのは2時間ほど、僕の受け持つ分科会で机の上にうつぶせになり、最後まで眠ってしまった。助言者失格である。いつもの事だが又やってしまった。人生の先輩として参加しているのにこのありさま。でも、余計な親父が眠っていたおかげで、分科会の討論は、活発だったそうだ。終わり良ければ……と言うやつか。
 東京に戻ったのは7時を過ぎていた。
 1月 29日     
  鳩山中学1年生とお母さん達          ランの花を贈られた         PTAの実行委員達と一緒に
 危なく遅刻しそうになりながらも、埼玉県鳩山町に11時半到着。今日はコンサートでもあり講演会でも有る。話もたっぷり入れながらの1時間45分。涙を流して聞いていたというお母さんが何人も居たと、実行委員の人達は喜んでいた。どの曲で泣いたかは分かっている。ニューアルバムのタイトルにもなっている「時は流れ人は生きている」。泣かせようと思って作ったわけではないが、ずるい曲だとよく言われる。お母さん達の反応はわかったが、中学1年生達にはどうだっただろう。
 今日は、これで終わりではない。コンサート終了後すぐに鳩山町を後にして栃木県宇都宮市に向かった。栃木県青年団の主催する、青年団問題研究集会に、人生の先輩として助言者で参加する為だ。昨年も呼ばれて出掛けたのだが、昨年より参加者が増えていた。青年団問題研究集会の事は過去に何度も書いてきたので、説明は省きます。唄う予定はなかったが、交流会の片隅で、聞きたいという人の為に、唄ってしまった。ほんとに僕は唄う事が好きなんだとつくづく思います。この日もまた若い人達と朝まで飲んでしまった。
 1月 28日  SBS静岡放送に生出演。今朝まで飲んでいた酒がよみがえってくる中の出演だ。12時〜、15分間、話している間に舌が乾いてきた。脱水症状だ。最後に「ほほえみ」を唄って終わったのだが、唄っている最中、口は乾ききって、ろれつが怪しくなってきた。気力で乗り切ったが、最悪だ。今日の出演は、SBS学苑の高橋さんがセッティングしてくれた。せっかくの好意を無にしてしまったような気がして申し訳無い。
 番組終了後、小山さん押切さんと昼食にそばやさんに出掛けたが、そばを食べていても、こみ上げてくるものがある。もう飲まないぞ、と思うのは酒飲みの常。夜になったらまた飲んでしまうのだ。

 明日は埼玉県。その為に今日は東京に戻る。

 1月 27日     
     アクトチャリティー新年会         この後、立食パーティー

 5年前神戸で起こった震災に寄付金をと、アクトシティーのホテルに有志が集まってのチャリティー新年会。実行委員の一人でもある中野さんの誘いで唄いに出掛けた。立食パーティーの中でのほんの10分ほどのライブ。こういう席では、いつもの事ながらほとんど聞いてはもらえない。でも真剣に唄うのだ、誰かがきっと聞いてくれている。そう信じて唄わないとあまりにも空しい。「ほほえみ」そして、2000年になって始めて作った「手」(詩は、メール仲間のたぁこさん)そして最後に「青春」。少数の人達だったが手拍子を打って一緒に唄ってくれた。でもやっぱり空しい。
 少し、気は重かったが、パーティーが終わり、ギターを片付けていると。ホール内のサービス係の女性が近づいてきて、そっとメールアドレスを手渡し、とっても良かったですと言って、去って行った。思わぬ人が聞いていてくれた。やっぱりどんな場所でも真剣にやらなきゃ。重い気持ちが一気に晴れたような気がした。が、残念なことに、その手渡されたメールアドレスが見つからない。捨てるわけが無い、きっと音楽の森のどこかにころがっているのだろう。
 実行委員の打ち上げに参加させてもらって、その後、押切さんの駐車場に車を運び、ちょうど来ていた押切さんの車で小山さんの待つ馴染みの店「一作」へ。店に入ると榎本さんも居た。新曲が出来たよと、ギターを出して「手」を唄ったら止まらなくなってしまって、唄い続けてしまった、榎本さんが次から次にリクエスト、それに答えていると今度は小山さんも、喉が枯れそうになるまで唄ってしまった。日付はとっくに変わっていた。榎本さんは帰って行ったのだが、小山さんはもう一軒行こうと言い出した。お店の音ちゃんと3人で、オカマのひろみさんの店に出掛け、5時近くまで飲んで唄った。小山さんはかなり酔っていた、もちろん僕も。いやー今夜は唄った唄った。
    
   ひろみさんと小山さん         何処かぎこちない忠史    お守役の音ちゃんが居ればどんなに酔っても大丈夫

 1月 26日  今日は1日、CDの焼付けに費やした。町工場の親父の気分だ。あー、どうして、何にもしない日を作れないんだろう。東京に居る頃は、なんで今日は何も出来なかったのだろうと悔やむ日を過ごせたのに。のんびり暮らせる勝坂音楽の森で僕は何をあせっているのだろう。
 1月 25日  昼頃起きだし。毎度の事です。CDの焼きつけ作業と、住所録の整理をしていたら、小山さんから電話が有り。今夜来てくれるとの事だった。
 仕事を終えた小山さんが、浜松からやってきてくれたのは7時過ぎ。差し入れに寿司を持ってきてくれた。ここ(音楽の森)に来てからの、僕の状況や、これからの事が、東京に居た頃と違って、とんでもない発展的な方向に向かっていることを確認しあって9時過ぎ、星降る勝坂を去って行った。
 そうそう、もう一つ。月刊ハピネスのエッセイは違う形であっても、いつか復活させると約束してくれた事も付け加えておきます。ひょっとして、今夜はその事を語りたくて来てくれたのかも知れない。
 1月 24日  榎本さんの家を昼頃出て、1万km以上交換していなかったオイルを入れ替える為に、大型車用品店のイエローハットを探しに出掛けた。なかなか見つからず、浜松を東に西に走って、高丘町あたりでやっと見つけた。長距離運転が多いので、いつもは、こまめにオイル交換しているのだが、去年から今年に掛けてかなり忙しく動き回っていたので、なかなか交換できなかった。これでしばらくの間は安心して運転できる。
 夜は、高橋さん(SBS学苑)の友人の楠さんの会社の新年会で唄った。SBS学苑は、カルチャーセンターと言えば分かりやすいだろうか。高橋さんとは昨年の荒川さんのコンサートで出会い、講座を持ってもらいたいと依頼を受けていた。いろいろ考えた末、今の僕は自分の事で精一杯で、人に何かを教えるような余裕も実績も無いとお断りしていた。そんな中でも、僕のことを沢山の人に紹介したいと、急きょ今夜の会に呼んでくれた。連日の新年会。いろんな人が、僕を仲間に紹介する為に唄う場を作ってくれている。静岡の西部地域に音楽の森を作ったのは、大正解だった。これほどまでに沢山の人の協力をもらえるとは思ってもいなかった。有りがたいことです。
 1月 23日  静岡県青年の船が無くなるかもしれない。県からの補助金がカットされると言うのだ。今日、船を守る「30万人署名運動・決起集会」が有るというメールが岡崎信一君からまわって来た。過去4回(27・28・29・30回)講師として船に乗り、26回の事後研修の講師も含めると、32回の歴史の中で5回も船に関わってきた僕としては、出掛けないわけには行かない。あいにくの雨、でも雨降って地固まるのことわざも有る。静岡県青年会館に100人以上の若者が集まった。青年が青年の為に、青年の力だけで運営して行く青年の船。全国で唯一最後まで残っている青年の船。毎年400人の団員を乗せ研修を行ってきた。だがここ数年、団員数が減ってきているらしい。社会状況の変化と共に、長期休暇を取り辛くなった青年達が増え、とくに今年はY2K問題で、船に乗りたくても乗れない青年がいたのは事実だ。次世代を担っていくのは今の青年達だ、その青年達の中から新しいリーダーを育成して行く事も青年の船の大きな目標でもある。実際に成果の出ている船を無くして、県はどんな方法で若者を育成していこうと言うんだろう。実態を見る事も無く、数字だけでしか物の良し悪しを判断する事が出来ない無知な幼児のようにダダをこねているだけの県の人間達に、今、青年達は30万人署名という数字を叩きつけようと運動を始めた。相手の事を理解しようとしない人間達に、彼等に分かりやすい手段で回答を迫ろうとしている。どちらが大人か分からない。でも、そのおかげで青年達が燃えた。闘いの中で勝ち取った船は、今の青年達の本当の意味での青年の船になるだろう。僕も、出来る限りの応援をおしまない。33回の青年の船を出してもらいたい。

 静岡市での決起集会で応援の歌を唄って、雨の中、急いで浜松に向かった。荒川さんの新年会で出会った、鈴木さんの会社、ウエストの新年会で唄う為だ。会場は「鳥善」と言う高級料亭。ご馳走が次々と出てくる。だが、どうも体調が良くない。おまけに胃がきりきり痛む。ご馳走を前にしながら箸が進まない。なんでこんな時に。いよいよ貧乏性に出来ている。会食が進む中、僕の唄う番がまわって来た。こう言う席では、聞いてもらえないのが定石、とあきらめて唄い出したのだが、最初から手拍子がきたりいて、ほんの30分だったが、聞いてくれる人が沢山いたのは嬉しかった。会が終わった後、鈴木さんとグランドホテルに向かった。東映の支配人の榎本さんと逢う約束をしていたからだ。グランドホテルの12階のラウンジでしこたま飲んで、今夜は榎本さんの家に泊めてもらった。

 実は、10日前荒川さんの隠れ家で風呂に入ってからずっと入っていなかった。榎本さんの家で10日ぶりに入浴、むちゃむちゃ気持ち良かった。

 1月 22日        
                 春野町川上の弁天島ビレッジキャンプ場に集まった音楽大好き人間達
 春野町川上に訪れたのは、これで3回目。始めて出掛けたのは、役場の平島さんに進藤さんと言う人に会いに行こうと連れられて。その時話が盛り上がって、秋に進藤さんの経営する「森のスケッチ」ライブをやろうという事になって2度目に出掛け、そして今日は、進藤さんが、町の広報に連載している対談コーナーに出てもらいたいと言う事で、同じ町内でありながら、遠い川上にむかった。
 対談は音楽大好き人間が集まって花が咲き、四時間にも及んだ。同じ趣味を持った人間同士の集まり、話は尽きる事が無い。途中で、歌が始まったりして、とっても楽しい時間だった。進藤さん、この状況の対談ならぬ雑談をどうまとめて記事にするのだろう。広報の出来あがるのが楽しみだ。

                           

 1月 21日  今日は大寒。一番寒い日にふさわしく、北海道や日本海の地域では大雪が降っているらしい。ここ音楽の森でも、山の上の雲から白いものがちらちらと落ちている。たまに落ちてくる程度だから積もるほどではない。朝のうち風が強くストーブは炊けなかったが、夕方からストーブをつけている。が、昨日の事件があったので、窓ガラスが風に叩かれるたびに、びくっとしてストーブの燃焼確認窓に目を配っている。ドキドキものだ。

 夜、お客さんがやってきた。昨年末、宇野さんと一緒に訪れてくれて以来、まだ一ヶ月しかたってないのに、浜松で3回音楽の森では今夜も含めて3回、計6回も逢っている。最初出会った時から、気が合ったのは確かだが、一月の間にこんなに頻繁に出会って語る人は、今までの人生の中で始めてだ。今夜も、中野さんとその仲間達と一緒に始める、天竜川(支流を含む)をとうして遊びながら、自然を考え人と人の出会いを作って行こうと言う、まだ名称は決まってないが○○学校の開設に夢が膨らんだ。開校式は3月19日、音楽の森コンサートの日に決まった。トイレにたったら、外は満月、校庭は月の光に満ちていた。思わず部屋の電気を消して、中野さんを誘い出し、まぶしい月を見上げて(月がまぶしいなんてなかなか感じられないぞ)こんな風情を多くの人達に感じてもらいたいとまたまた夢が膨らんで行く。その後も、語り続け、日付変更線を越えた1時過ぎ、中野さんは帰っていった。
 外はとっても寒かったが、月の光に満ちた音楽の森は、二人の中年青年の熱い思いに燃えていた。

    
  
今日のお客様、浜松から中野さん   満月、月の光を浴びながら帰っていった

 1月 20日  朝、9時過ぎに寒くて目が覚めた。ベットの布団がずれてるのかと、寝ぼけ眼で探ってみるが、そんな様子は無い。まだまだ寝たり無いので、布団をまさぐって、身体に巻きつけ又眠った。
 再び目が覚めたのは、強烈な風の音でだ。前にも書いたように勝坂の風はとっても強い。窓にビニールを張ったので隙間風は少なくなったが、窓をたたく風の音に変わりは無い。充分に眠ったので、仕方なく起き出した。部屋は凍りついたように冷たい。窓の外を覗くと、なんと雪が舞っているではないか。急いでストーブに火を着けたのだが、しばらくして、ストーブが、ボンという音を発して爆発した。煙突から逆流してきた風がストーブの炎を消してしまっていたのだ。年賀状の整理をしていた僕は、そんな事に気づかず作業を続けていた。電子制御されているストーブが火の消えた事を感知して種火をつけたのだろう。そのとたんストーブに充満していたガスが一気に発火して小さな爆発を起こしたようだ。上蓋が飛び上がり、湯をいっぱいにためていたケトルがずれた。再び発火したら又爆発だ、給油口を閉め、電源を落としたが。ガス化した灯油が、部屋に充満する。何かの拍子に火がついたら今度は、部屋中から火が上がる。慌ててガラス戸を空けて空気を入れ替えた。火事になるより寒さを我慢したほうがいい。外はまだ雪がちらついていた。

 電話が鳴った。遠州文化連盟の小山さんからだった。声が暗い。どうしたんだろう。何時ものような歯切れの良い話し方ではない。ハピネスの件だった。突然だが、雑誌の形態が変わるらしく。そこに僕のエッセイは掲載できないと言う事だった。う〜ん、残念。だが、無理やり掲載させてもらっていたのだから仕方が無い。その分このページで、頑張って日記を書きつづけ、文章力をつけていこうと思っています。それも重要な出来事だが、今の僕にとって、寒さをなんとか克服しなくてはならない。

 昨日買ってこようと思っていた電気コタツを、早速買いに出掛けた。浜北市の大型電気店で6千円で売っていたものを購入。コタツ掛け布団を天竜市の大型スーパーで3千円で購入。音楽の森に持ちかえり早速、使ってみる。いやー暖かい。部屋がどんなに寒くても、足元が温かいと、こんなにもからだが暖かくなるものなんだ。妙に感心しながらこの日記を書いています。
 風はまだ強く。爆発事件があったので、ストーブは消したまま。吐く息は白く。キーを打つ手は冷たさに固まってきているが、コタツのおかげで身体は温かい。北海道から6万円も出して調達したストーブがこんな寒い日に役に立たないとはどういうことだ。きっと外に出た煙突に風の逆流防止の器具があるはずだ、明日、長万部に問い合わせてみよう。

 1月 19日  昨夜夜遅く帰ってきたので、今日は疲れている。が16日痛みが走った腰の状態は改善されている。昨夜いい話が出来たからかな。疲れは有るが、身体のけだるさは無くなっている。前向きに生きなきゃ。そうすればおのずと身体の調子も前向きになるってもんだ。
 1月 18日  先日の久野さんの会社。ポーラ化粧品販売のセールスレディーの成績発表をかねた新年会。浜松グランドホテルの鳳の間には、300人ものセールスレディーが集まっていた。女性のパワーと匂いがむんむんとする会場だった。もともと女性が苦手な僕だが、この数はすごい。圧倒されてしまった。少し会食の時間があり、僕のライブが始まったのだが。話し声が絶えないどころか、どんどんボルテージが上がってくる。聞いてくれている人が居ないわけではないのだが、30分。針の筵に座らされ、膝の上に重い石を抱かされているような状況だ。最後まで騒々しさは収まらなかった。静かに聞いてもらえるコンサートが出来ない事が悔しくて。終了後、会場の聞いていてくれて人達に謝った。すると久野さんが出てきて、高橋さんが謝る事は無いと言って、セールスレディー達に、僕をどんな気持ちで呼んだのか訴えてくれたのだが、その間もしゃべり続けている人達が沢山居た。なんだか、悲しくなってしまった。

 終わった後、お金に少し余裕が出来たので、FAXを買いに街中に出た。3万円弱で手に入れることが出来た。音楽の森にFAXがつく。子機が着いているので、これまで、トイレに行く時も留守電にしていたのだが、その必要も無く。又一つ、快適な暮らしになるのだ。

 買い物を終え。中野さんの事務所に向かった。これから、いろんな形で協力し合ってイベントを作っていこうと約束をしている。せっかく浜松に来るんだったら食事しましょうと誘われた。天竜川をテーマに楽しみながら自然と暮らしを考えようというのが大まかな思いだ。話しているうちに、それなら今年の、ウォーキングライブツアーは天竜川の源流、諏訪湖から、海にたどり着く地点、浜松まで歩くぞー。と決めてしまった。時期は9月〜10月にしようと言う事まで、僕の中では決まった。後から参加してくれた遠文連の小山さんにもその話をして、もう逃げられない状況を作ってしまった。後は中野さんや小山さんや多くの人達の協力をいただくだけだ。今年のウォーキングライブツアー、なんだか面白くなりそうだ。

 1月 17日  昼頃起き出すと、布団がきれいにたたまれていて昨夜泊まっていった、定年まで後10日の芝さんの姿は無かった。芝さんは3月に、吉田町でコンサートをしてくれる。この地域のほんとに多くの人に支えられている忠史です。
 1月 16日  朝だ(と言っても10時過ぎ)。飛び起きて、ごみだらけの部屋の片付け。紙袋に入ったごみを片付けようとして右手で持ち上げようとした瞬間、左側の腰にツーっと痛みが走った。本能で手を離した。持ち上げたら、激痛の世界だと、僕の身体は学習しているのだ(そんな事自慢して、どうするねん)。悲惨な状況には至らなかったが、痛みは収まらない。困った。この痛み、増幅し続けるのか、それとも平行線をたどるのか、もしかして消えてくれるのか。それは分からない。でもどんな状態になっても、今夜、この音楽の森でコンサートが開かれ、唄うのは僕だと言うことからは逃れられないのだ。
      
      ライブ始まる前に撮った写真、この後も人が訪れ。総勢は30人を越えた。寒い部屋が熱く燃えた。

 いつもは、沢山来てほしいと思っている音楽の森コンサートだが。今回に限っては、なるべく来ないようにしてくれと願っていた。僕の寝起きしている部屋でのコンサート。とり散らかった部屋を何とか片付け、30人程度なら収容出来そうなスペースは出来た。今回の案内は出さずにおこうとと思っていたのだが、CDの案内をはがきで出した時(メールアドレスの確認できている人には送ってませんごめんなさい)に、ついでに今日の事知らせてしまったので不安でも有る。今回一番乗りのお客さんは荒川さんのライブで僕を知ったという、ポーラ化粧品販売の代表取締りをしている、音楽大好きな久野さん。早々と四時半には到着した。久野さんは18日に自分の会社の成績発表会のイベントとして僕を呼んでくれている。その打ち合わせも兼ねて今日来てくれた。その後、少しずつ人が集まり、約30名。ちょうど良い数になった。
 今日は嬉しい事が有る。僕の愛するギター、マーチンD−28が、修理を終えて帰ってくる。ひょっとしたら5年近くまともな状態になかったギターだ。お金が無くて、ずーとほっておいた。前回のコンサートの時、ギターショップを始めた耕平さんが名古屋からやってきて、マーチンを見るなり、もったいないから修理に出しましょうと言ってくれた。お金の事を話すと、そんなものは後でもいいから。修理しなきゃ駄目だよと言って持ってかえってくれたものが、今夜帰ってきた。耕平さんから受け取って、すぐにギターケースを開き、きれいによみがえったマーチンを取り出す。膝に乗せて、ジャランとかき鳴らす、ぽろりぽろりと爪弾いてみる。とろけるような音色だ。扱いが悪く傷だらけのギターだが、音色は、スタジオ録音のレコーディングでおおくのギタリストをうならせたギターだ。頬が緩んでしまらない顔になっている自分がわかる。わかっても頬は緩んだまま戻らない。幸せだ。

 そのマーチンとのコンビ復活。ギターは唄い、僕は語る。コンサートは、若尾さんが前座を勤めてくれ、あっという間に2時間が過ぎていった。気持ちが良いんです。今まで使っていたギターが良くないわけではなく、マーチンが素晴らしいのです。昇り竜の今年、再びよみがえった、このギターと共に全国を掛けまわり、そして素敵な曲をこの音楽の森で作りつづけます。

      
      客席を撮影する忠史             職員室ライブだ        いつも来てくれる、川上の西野さん家族

 1月 15日  さーて、今日は熱海だ。温泉に入りに行くわけではない(ざんねん、だが僕の旅に観光と言う文字は無いのだ)、熱海銀座商店街のイベントの中で唄う仕事が待っているのだ。
 熱海との出会いは、音楽の森に関係している。この勝坂を紹介してくれたのは役場の平島さんだが、その平島さんに話を通してくれたのは、磐田の元JCの鳥居さん、その鳥居さんから連絡を受けて、春野町に連れてきてくれたのが、元磐田JCの森上さんだ。その森上さんが、紹介してくれたのが熱海で釜鶴と言うお店を経営している二見さん。その二見さんが、東京から春野町まで歩いた時に、熱海での路上ライブをセッティングしてくれたのだ。その時、何時かちゃんとした形で呼んでくれると約束してくれていた、それが今回実現したと言うわけだ。読んでいる人には、ややこしくて分からないかもしれませんがごめんなさい。これは、僕自身の記録でも有る日記なので、忘れないように書きとめておきました。

 というわけで、熱海に出掛けた。明日は音楽の森コンサート。いつもの講堂は寒すぎるので、今寝泊りしている部屋(旧職員室)で唄う事にしている。片付けはまだ終わってないが、今日帰って来てからでも間に合うだろうと、散らかったまま出かけた。同じ静岡県内、でも熱海は遠い。妬く時間掛かってやっと到着。釜鶴のお店に二見さんを訪ねた。まずは6時ごろからウォーキングツアーの時に路上ライブした、井上さんのお店のそばでやって欲しいと言われた。詳しい打ち合わせを、二見さんのお店の2階で、と言う事で、2階に上がって、待っていたのだが、運転疲れと体調の悪さで、ソファーに横になったとたん眠っていた。二見さんの奥さんが布団を掛けてくれたのは一瞬分かったのだが、お礼をいったまま、また眠ってしまった。気がついたら5時半、2時間近く眠っていた。ライブが有るので、気が張っていて分からないのだが、かなり疲れているようだ。なんとなく熱っぽい。とりあえず起き出して、携帯で二見さんと連絡をとり。井上さんの中央商店街のマイク無し路上ライブをこなした。客は一人も立ち止まらなかった。ショック。大道芸としての僕の実力は無能と言う事だ。情けない。
 その後、銀座商店街に出掛けた。現金を自分の背の高さでもらえると言うイベントをやっていた。すごい行列だ。その合間に僕のライブが有る。明日音楽の森にこれないと言う河津の鈴木君が来てくれていた。ほっとする。知らない人達ばかりの前で歌うのは、慣れていても慣れきれない。一人でも僕を知っていてくれる人がいると言うだけで心強い。現ナマ(お金)イベントが一段落して、僕の出番だ。金の亡者の中で何が出来るか。おまけにPA(音響)は商店街の街頭スピーカー。マイクは2本用意されていたのだが、一本が使えない。それだけでは無い、マイクスタンドが無いのだ。二見さんが工夫して、傘立てに、イベントの旗を立てる支柱をさし込んで、ガムテープでぐるぐる巻きにしたものをマイクスタンドとして利用した。笑えるよね。2本有るマイクの一本が駄目になったので。身体を折り曲げ一本のマイクにギターと口を近づけ、演奏する。一曲終わる前に身体中がきしみ始める。そんな状態だから、聞いてもらうというより、時間をこなすだけで精一杯。もちろん金の亡者達は関心を示さない。唯一、商店街の人達野中に耳を傾けてくれていた人が居たのがわずかな救いだった。

 2度目のライブはイベントが終わった後。金の亡者はさっさと帰ってしまった。後片づけを待つばかりの人の消えた商店街で、唄った。今度は立ち止まって聞いてくれる人が少数だが何人か居た。歩行者天国が解除され、車が通る道端で唄う僕。それでも立ち去らない人。嬉しかった。すべてが終わった時、ずっと聞いていてくれた家族が握手を求めてきた。それだけで充分だ。そしてもう一人、商店街の実行委員の一人かな?、折り鶴の入った小さなビンをくれた人が居た。だれも聞いてくれなかったわけじゃない。少数でも、僕の唄に何かを感じてくれた人が居た事を喜ぼう。CDを売る事はなかった。そんな気分では無かった。商売下手な奴だ。
 すべてが終わり、春野町に向かった。たどり着いたのは日付変更線を越えた1時過ぎだった。走行距離450km、ライブ3回。疲れた。
 部屋の片付けなんぞ出来る余裕は無い。お休み。

 1月 14日  今日も一日CDの焼き着け作業と部屋の片付けが続いた。東京に居る時は、何もしないでも平気で過ごせたのだが、音楽の森で活動を始めてから、何もしない日がほとんど無い。と言うより、朝(昼の場合が多い)目覚めてお茶も飲まないうちから作業が始まる。事務仕事であったり、ギターを弾き始めたり、印刷やCDの焼きつけ。それでも、やり切れていないことが山ほど有る。ゆっくり音楽作りをする為にやってきたはずなのに、曲作りは、追いまくられる作業の合間に、暇つぶしのようにしか出来ない。すべての作業を早くかたずけて、ゆっくりとした時間の中で創作の作業に入りたいものだが、何時になる事やら。
 1月 13日  お昼近くまで、観山寺の荒川さんの隠れ家に居させてもらった。ゆっくりさせてもらったのだが、今ひとつ体調は良くない。音楽の森に帰って、今日は休養する。つもりだったのだが、CDが無くなってきている、焼き着け作業をしている間に、夜がふけた。そして音楽の森コンサートの為にとり散らかった部屋をほんのちょっと片付けて。
 1月 12日  日付変更線を越えて、音楽の森にたどり着いた。ばたんきゅう。
 今日は、僕の強烈な支持者。陶芸家の荒川明さんの新年会で、メインライブをやる事になっている。荒川さんの別宅、観山寺に四時に到着。荒川さんの運転で奥さん達と一緒に今日会場、浜松市内のハートランドに5時到着。ヤマハに勤めている弟さんがPAを担当してくれて、リハーサルも無事終え。後は、新年会の始まりを待つばかり。今日も体調は今一つ。
 開始じかんの7時前、荒川さんを支持する、浜松を中心とした、各市町村に住む著名人が続々と集まってきた。そこには榎ちゃんや花島さんも来ている。100人を越える会場で、顔しか覚えてないのは失礼な話だが、スーチーさんの支援イベントや、その他の場所で出会った人達も、沢山目に付いた。少しずつこの地域の中で、知人が増えている。嬉しい事だ。
 あくまでもメインは荒川さん、でもその荒川さんが、利益にもならないのに、僕のことを沢山の人に知ってもらいたいと言って、ライブの時間を1時間も与えてくれた。昨日の中野さんといい、この地域で高橋忠史の無償のマネージャーがどんどん増えていく。小山さん、榎ちゃん、花島さん、荒川さん。音楽の森に住みついて僕の人生は、新たな展開を見せている。ライブ終了後も沢山CDが売れ(花島さんと榎ちゃんが無理やり売りつけてくれたおかげ)、体調の悪さはとりあえずぶっ飛んだ。
 新年会終了後、2次会にも参加させてもらい。また新しい出会いが有った。その事は、又、報告します。
 今夜は、観山寺に泊めていただいて、風呂につかった。あー気持ちいい。
 1月 11日  東京の自宅を1時に出発した。どうも体調が悪く、頭がクラクラする。途中眠ったりしながら、何とか今日のライブ会場、浜松市内のJAIL ROCK CAF'Eに着いたのは6時半。あまりリハーサルの好きでない僕だが、あまりの体調の悪さに、ちょっと真剣に声を出している自分が居た。声の調子もいまいちだ。相変わらず頭はくらくらしている。きっと熱が出ているのだろう。こんな事で負けてたまるかー。
 今日のライブは、6日にささやか新年会をした時の、中野さんが主催してくれた。彼の仕事仲間やボランティア仲間が30人ほど集まってきてくれていた。
 お店の雰囲気は、なかなか面白。今日もデジカメを忘れてきたのでうまく伝えられないが、お客さんとは鉄格子を隔てて向き合う形。どちらが囚人かは分からないが。過激なライブになって、文句を言うようなお客が居ても安心だ。そんな事は無かったが、とにかく疲労感が強く、何をやったか覚えていない。
 1月 10日  昨日、式典が終わって、そのまま東京に帰ってきた。CDが無い。昨夜から今日一日CDの焼きつけ作業に追われ、あっという間に時が過ぎてしまった。明日は浜松でライブだ。ほんとにゆっくり出来る日は何時になったら来るんだろう。
 1月  9日     
     宮城県岩出山町の成人式会場、入り口に実行委員会の作った手作りのライブポスター暖かだった
 いよいよ成人式イベントのライブ、決して唄を聞きに来ているわけで無い、世代の違うもの達に、何を語って、何を唄えばいいのか分からない。ごく少数では有るが、ライブの前、式典の最中も、隣の友達と話をしたり、人がしゃべっているのに後ろを向いて友達と話していたり。はっきり言って彼等は成人とはかけ離れた、身体だけは大きいが、精神は幼稚園児以下。そんな奴等に限って、ファッションだけは今時の、珍しくも無い、スーツ姿に茶髪。それが個性だと勘違いしてるのかマスコミに従順なのか、当人の思いとは反比例する時代に流された連中だ。
 ここ数年、色んな町に呼ばれ、成人式の式典のイベントで唄っている僕としては。まず少数の幼稚園児をびっくりさせて、黙らせ。目立たないが自分を持っている成人者たちに、語り聞いてもらう手段を考えている。今年は、会場の後ろから、ギターを使わず、アカペラで「証明〜あかし」を唄いながらステージに上がるという方法をとった。20歳の幼稚園児たちはおおいに喜び、つかみはOK。ライブの時間は40分と短かったが、ホットな時間を作れたような気がする。
 それにしても、毎年歌う町は違えど、成人達の幼稚化が進んでいる。これも時代の流れか、しゃーないね。
                   
         
同じ成人者でありながら実行委員として、成人式を作る彼等が居たのが救いだった
 1月  8日  雪の無い東北、宮城県岩出山町にいます。明日はこの町の成人式。僕のコンサートがある。その実行委員の青年団の連中と飲んだ。前夜祭だ。素敵な青年達だ。8年前、福井県今立町の青年達と出会ったときと同じ熱さを感じた。今立町の青年達の熱さにほだされて唄を作ってしまったように、この岩出山町の青年達との出会いの中で歌が生まれそうな予感のする夜だった。
                     
                     
  岩出山町青年会の熱い奴等
 1月  7日  午前3時、東京に着いた。くたくただ。昼頃まで眠って、CDの焼きつけに深夜まで。あー、僕には休める時が無い。
 1月  6日  10時前に起き出した。寝たのは3時を過ぎていたので頭がボーっとしている。残っていた作業を始めたがなかなか終わらない。昨年末、宇野さんと来てくれた中野さんから電話が入った。3時に逢う約束をして、作業を何とか終わらせた。
 中野さんは、唄を聞いてくれて初対面の僕を一発で気に入ってくれた人だ。インターネット関連の会社を経営しながら、NPO活動もしている。そんな活動の中で僕と一緒にやれる事が有るはずだと、一生懸命考えてくれている。早速、11日の日に、浜松でそんな仲間を集めたライブを企画してくれた。今日はその打ち合わせと、今後の活動の中で僕に何が出来るか、そんな事を話あった。意気投合するところが多く、良い付き合いになりそうな人だ。

 そのまま東京に帰るのももったいないと思って、小山さんに電話した。中野さんの事務所のすぐ下で、急きょ新年会。もちろん押切さんも加わった。そのうち仕事途中の中野さんと職場のきれい所の須部さんも加わって、いい感じで新年を浜松で迎える事が出来た。ささやかな新年会を終わってすぐ、車を飛ばして東京に向かった。

 1月  5日  昨夜2時前に東京を出て、朝7時前に音楽の森に到着。年賀状が100通ほど届いていた。ニューアルバムの申し込みも30通ほど着いていた。ひたすら眠いので、ベッドにもぐり込んだ。目覚めたら夕方4時。浜松に打ち合わせにも行かなくちゃと思いつつ、とりあえず作業を始めたが、簡単には終わらない。すぐに終わらせて、出るつもりだったので、食料の用意をしていなかった。昨年、浜北の大城さん夫妻が電子レンジと一緒に食料を差し入れしてくれたカップラーメンで、ひもじさをしのいだが、作業は深夜まで続いた。おなかはぺこぺこ。カレーライスように用意していたじゃがいもだけをふかして食べた。ひもじい時は何でもうまい。料理の最大の味付けはひもじさだと言う言葉をかみ締めながら、じゃがいもだけのご馳走を食べて、ベッドにもぐり込んだ。浜松は明日だ。
 1月  4日  長女は今日から仕事。残り3人は今日もごろごろ。やらなきゃいけない事が沢山有る。今夜までごろごろを決め込んでいたのだが、音楽の森に着いているだろう年賀状も気になり、夜中、春野町に出発した。
 1月  3日  旅の間、ずっと運転手だったので、腰に痛みを感じ始めた。僕にとってはやっと正月。今日一日は、家族そろってごろごろ。
 1月  2日  昨夜は青森のホテルで一泊したのだが、正月で店は何処もお休み。夕食は開いていたデパートでとったのだが、簡単なものしか出来ないと言う。仕方なく頼んだそばは、最低の味。函館に渡る前にも郊外レストランでかなりまずいものを食わされた。どうも我家族と青森の相性は悪いようだ。と言う事で朝食は高速道路のパーキングでとることにして、8時過ぎスタート。昨夜降り積もった雪は、車に積もっていたのだが、フロントを出ると、雪は取り除かれていた。ホテルの人が取り除いてくれたようだ。当たり前のサービスなのだろうが、嬉しい。悪くなりかけていた青森の印象が、いいほうに転んで、さわやかな出発になった。
 渋滞を予想して、かなり飛ばして走ったのだが、以外や以外、スイスイと走り続け、夜6時過ぎに我が家に到着。短い家族旅行だったが、素敵な思いでいっぱい作れた旅でした。
 1月  1日  2000年ですね。いつもと同じように、昨日から今日に変わっただけの事です。いつもと違うのは、家族そろって、北海道の長万部町という町で雪を見ながら年を越したと言う事かな。朝早くこの街をでて船に乗り青森へ。

 

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