何故記憶は3,4歳から始まるのか?
酢谷琢磨
(注)詳細は平成18年10月18日発行富山大学人間発達科学部『北陸心理学会第43回大会発表論文集』を参照下さい。
1.はじめに
孫の颯太(図1)は、無邪気で、天真爛漫。金沢へは昨年7月に生まれてから3回帰省した。しかし、帰る毎に私共祖母、祖父を忘れてしまい、家に入ると泣き出す始末。
新生児の記憶はどのようになっているのだろうか?私の事を考えてみても、記憶は3, 4歳頃から突然始まり、0〜2歳の記憶は無い。
本稿は記憶のメカニズムついて考察、
検討したので、その結果を報告する。
2.記憶はいかにして形成されるのか?
記憶とは経験を保持し、これを再生する過程である[1]、記憶とは何かと問われれば、それは「一度印象付けられ、刻み込まれた経験をふたたび思い出す精神機能である」
ということになる[2]。もしくは心理学的に記憶は(1) 手続的記憶、(2) 陳述的記憶に分類される。手続的記憶は自転車に乗ったり、文字を書くなど何らかの身体的運動機能
に関する記憶であり、陳述的記憶は感覚器を通して形成された記憶や概念の記憶とされている。分子生物学的には大脳辺縁系の古皮質に属する海馬が記憶と関係の深い部位で
あり、シナプスによる電気信号を介し伝播される[3]。
即ち、保持される場所は明確ではないが、記憶活動は生後すぐ開始され、脳内に保存される訳である。とすると、
当時ゼロ歳児であった颯太でも金沢の祖母、祖父を記憶し、3ヶ月ぶりに会ったとしてもにこにこ愛嬌を振りまくべきなのに、いつも家に入ると泣いてしまう。これは何故
だろうか?人見知りなのか?これも、まだ早い。どうも、函館の祖母、祖父、伯母等、見ず知らずの沢山の人が入れ替わり立ち代り周りに現れるので、颯太は混乱している
のであろう。その原因は認識と忘却である。
3.忘却とは
忘却について文献[1]では、
エビングハウスの研究はさきに示したように、無意味綴りを材料にし、再学習法で記憶率を算出してグラフに示したものであった。そしてその曲線は
忘却率が時間の経過につれて逓減するという、数学でいえば対数曲線をなしているものであった。
とあるように記憶は指数関数的に失われるのである。だとすると、孫の颯太も次々と忘れているのだろうか?確かに、珍しいものばかりで、目に入るもの全てに興味津々。従って、新しい
ものに興味が行く反面、どんどん忘れてしまうとも考えられる。しかし、それでは、母乳を飲むことを忘れることは有るのだろうか?
この答えは、母乳を飲むことを忘れることは無い、それは本能だからと言うかもしれない。確かに本能の部分もある。それでは、ママはパパは?尤も、颯太のパパは1週間程会社の仕事が
忙しく朝早く出勤し、夜遅く帰宅の日が続いたとき、颯太に忘れられたとのことであった。しかし、一般的にママやパパは忘れない。即ち、毎日連続して記憶されているからである。ところ
が、金沢の祖母が3ヶ月ぶりに合うシーケンシャルの断絶には忘却が伴う。
4.何故記憶は3、4歳頃から始まるか?
それでは、大人である我々のシーケンシャルな記憶は、ゼロ歳児から連続的に続いているのに、何故ゼロ歳の頃の記憶は忘却してしまうのであろうか?三島由紀夫は産湯を使ったことを
記憶しているといったそうだが、我々の記憶が始まるのはどう見ても2歳までしか遡れず、一般的には3, 4歳頃である。これについては文献[1]で、
われわれの幼時の想い出は
いったい何歳ごろまで遡りうるものであろうか。(中略)成人の報告において最も頻数の多いのは四歳富時のものであり、児童の報告によれば二歳乃至三歳富時のものである。
と述べられている。どうも三島由紀夫の産湯体験はデジャ・ビュ(既視体験)らしい。
とすると、ゼロ歳児はシーケンシャルな記憶のみ蘇り、シーケンシャルの断絶では忘却してしまう。即ち、我々はゼロ歳児と同じ記憶システムであるとすると、シーケンシャルな記憶
のみ残り、2, 3ヵ月前の記憶は全て忘却してしまう筈である。しかし、我々はゼロ歳時の記憶を紐解けないが、3, 4歳頃の記憶を保持している。この違いはどこにあるのだろうか?
5.記憶システムについての仮説
そこで、本文で提言する私の仮説は、
記憶はゼロ歳児から保持される。しかし、ゼロ歳から3, 4歳までは記憶のフォルダのラベル付け(認識)ができず、後で記憶を
紐解く事はできない。3, 4歳になるとフォルダのラベル付け(認識)ができるようになり、年数を経ても思い出すことができる。
即ち、3, 4歳頃までの記憶のフォルダは、図2で示すごとくラベルは無い。有ってもシーケンシャルなフォルダ、フォルダ2という程度であり、大人になっても思い出すことは
できない。3, 4歳になって、この人はうるさい金沢の祖母、あの人は元気な函館の祖母と認識できるようになると図3で示すごとく記憶のフォルダにラベルを付けることが出来、
老年になってからでも思い出すことが可能となる。
尚、印象が薄くラベル付けが薄弱な場合は、忘却する訳である。
6.むすび
以上、仮説を提言した。紙面の関係上省略したが、たんぱく質の輸送には直接あて先が書かれるらしい[4]。今後は、記憶のラベル付けシステムについて考察したい。
文献
[1] 相良守次:「記憶とは何か」、岩波新書 36, 1950
[2] 高木貞敬:「記憶のメカニズム」、岩波新書 965, 1976
[3] 市川一寿、吉岡亨:「記憶とは-分子生物学的アプローチ」、丸善、1997
[4] 永田和宏:「たんぱく質の一生-生命活動の舞台裏」、岩波新書 1139, 2008
Last updated on Oct. 26, 2008.