兼六園雪見灯籠8基について

酢谷琢磨

(注)詳細は令和5年12月01日発行『石川郷土史学会々誌』第56号を参照下さい。

English
スマホ版へ

1. はじめに

 本年1月には10年に一度の寒波が襲来。積雪は多くはなかったが、兼六園では見事な雪景色が再現され、私はこれをSNSに投稿しようと散策した。 途上雪見形石灯籠(以下、雪見灯籠【とうろう】と略す)をと思い、入園口で貰う「兼六園案内図」にはなく、しかし『兼六園』に銘記されている橋 上手の雪見灯籠を撮影し、投稿した。
 雪見灯籠については、果たして私が撮影した灯籠で良かったのかと自問し、『兼六園全史』を読むと、瓢池北端の雪見灯籠と雁行橋上手の雪見灯籠 が記載されている。更に『特別名勝兼六園ーその歴史文化ー・本編』では「兼六園には雪見灯籠は7基ある」とのこと。
 そこで、7基の雪見灯籠を撮影したところ、もう1基現在の時雨亭横の曲水脇に鎮座することが判明した。即ち、現在の兼六園における雪見灯籠は8 基である。
 本稿はその概要について記述する。

2.灯籠

灯籠は「五分律」に左記の如き記載があり、読み下し文は一部追加した『望月仏教大辞典』解説文を示す。
復有諸沙彌知當布薩預入床下猶得聞戒。以是白佛。佛言。應看床下以火遍照。火照薫屋。或焼地敷。以是白佛。佛言。應作燈籠趺。僧及私畜皆得。諸 比丘便以金銀作。以是白佛。佛言。應用銅鐵瓦木
復た諸沙彌あり、戒経の説教に當るを知り、預め牀下に入りて猶ほ戒を聞くことを得。是を以て佛に白す、佛言はく、應に牀下を看るベしと。火を以 て遍く照らすに、火照屋を熏じ、或は地敷を焼く。是を以て佛に白す、佛言はく、應に燈籠、燈趺を作るべし。僧及個人の貯蓄を皆得、諸比丘便ち金銀 を以て作る。是を以て佛に白す、佛言はく應に銅鐵瓦木を用ふべし
 即ち、修行僧戒経の説教に当たり、寝台の下で戒を読む。仏は「寝台の下では火を照らせ」と言う。仏は「火を使うと屋敷を焼くので、燈籠(ひかご) と台を作れ」と言う。つまり、灯籠は照明器具なのだ。
この灯籠は我が国において古くは、主として神仏に対する献灯として供されてきた。その材質と形状により、石灯籠、金灯籠(かなどうろう)、切子灯 籠、牡丹灯籠、高灯籠、折かけ灯籠、廻り灯籠、釣灯籠、戴灯籠等の別あり(『望月仏教大辞典』)。

3.石灯籠

石灯籠(以下、灯籠と略す)は、神社仏閣等に燈火を献ずるために建てられたものであり、その起源は堂内の灯籠より転じたるものなるべし(『望月仏教 大辞典』『仏具大事典』)とある。又、古代は庭に灯籠を置くことなし。灯籠は寺社の物なるを、茶湯者取て庭に置いて見物す(『石灯籠新入門』)とあり、 仏具から庭園での照明器具及び景物としての機能を有する置物に変容した。この形状種類としては、春日灯籠、南都般若寺形、東大寺三月堂形等があり、 茶庭用には、遠州形、珠光形、利久七本形、利休山寺形、雪見形、織部形、これ等の変形として寄せ灯籠(寄石灯籠)等がある。石質は大体標準型のものは十 中八九花崗岩であり、ほかには硬砂岩、凝灰岩もある(『石燈籠・層塔』)。
春日灯籠
 兼六園における春日灯籠は、図で示す内橋亭左前にある。清楚で均整のとれた灯籠だ。この形状は、その上に宝珠が飾られる六角形をした笠がある。その 下は火を入れるをふくむ火袋、中台を挟み、これを支える円筒形の竿、竿を支える基礎・基壇で構成される。
寄せ灯籠
 寄せ灯籠は内橋亭右前にある。堂々とした存在感十分な灯籠であり、石塔類等の構成部分や断片を集めて組立てたものである。尚、春日灯籠の笠に比較し て寄せ灯籠の笠にはびっしりと苔が着いている。両灯籠の設置年代については不明なので、経年変化による差違は無いと仮定すると、春日灯籠の笠は傾斜が 急で水滴がすぐ落下するのに比べ、寄せ灯籠の笠は大きくしかも傾斜が緩いため水分が貯まり易いため苔が増殖したと推量される。
雪見灯籠
 雪見灯籠は、一般に背が低く、笠の周囲は丸く大きな円盤状で、基礎と竿の代わりに脚のあるタイプであり、最も多いのは四脚付き。京都泉涌寺の雪見灯 籠が有名である。名前の由来は、「浮見形というウキがユキになまったもの」との説があるが、これは冠雪した灯籠を知らない人の説であろう。「笠の部分 に積もった雪を楽しむ」、又は「笠の形が雪が積もったように見える」説の方に信憑性があると思われる。笠は大きく、傾斜が緩い場合苔は増え、積雪は多 くなる原理だ。
 尚、本論では、雪見灯籠変形、又は形との名がある兼六園灯籠については脚が二脚につき別種とし、雪見灯籠のみに言及する。

4.『特別名勝兼六園』雪見灯籠

 『特別名勝兼六園』における時雨亭復元工事完成以前の七基の雪見灯籠は、瓢池北端・雁行橋上手・日本武尊銅像横・龍石上・山崎山北西麓・長谷池男滝 横・長谷池女滝横の雪見灯籠である。1基ずつ紹介しよう。

瓢池北端雪見灯籠
 真弓坂を上ると左手に見えてくる瓢池。瓢形の池をぐるりと回ると室生犀星の案内で芥川龍之介が宿泊した三好庵がある。その横の藤棚の手前に鎮座するの が雪見灯籠である。笠が大きく、ちょうど降雪四、五日後の画像が示す如く笠に冠雪が残り、雪見灯籠の名に相応しい。泉涌寺の雪見灯籠は太めなのに対し、 この雪見灯籠は細くすらりとして恰好が良い。しかも安定感もあり、右手奥の翠滝と調和している。石質は花崗岩であろう。
 尚、瓢池は「蓮池庭と呼ばれる兼六園草創の地にある池で(中略)その形が瓢ににているところからこの名がある(『兼六園全史』)とある。しかし、歩い ていると瓢箪形が良く分からないのだが、中央の海石塔へ渡る橋の辺りが縊れているので、成程瓢箪と実感できる池である。
雁行橋上手雪見灯籠
 眺望台を越え月見橋を渡り曲水に沿って進むと亀甲型の石を雁行形に並べた雁行橋がある。その上手、七福神山の前を流れる曲水に架けてある雪見橋の下手、 即ち月見橋と雪見橋の間、曲水の東岸に雪見灯籠が鎮座する。この灯籠は勿論四脚なのだが、瓢池北端の雪見灯籠の脚は半径方向に直線的に延びているのに 比べて、綺麗な楕円形状。兼六園を代表する雪見灯籠なのである。尚、雁行橋・雪見橋は激しい通行のため、いたみが著しく、現在は通行が禁じられている。
 この雪見灯籠については、元武州江戸本郷邸にありしを、慶應の頃引き寄せられ此の地に建てらるといへり(『金沢古蹟志』)とあり、兼六園の前身竹沢御 殿時代にはなかった灯籠である。
日本武尊銅像横雪見灯籠
 これは、左手の日本武尊銅像に気を取られて見落としがちな雪見灯篭である。笠が異常に大きな堂々とした灯籠であり、この日は降雪後雪が溶けかかった日の 撮影のため確認をしていないのだが、雪が載ると雄大な雪見灯篭が現出すると思われる。つまり、笠の大きさは雪を意識した設えなのだろう。尚、日本武尊銅像 については異論もあるようだが、是景行天皇の御世、尊をして熊襲國を征伐せしめられし故事に據りたるもの(『金沢古蹟志』)とある。即ち、明治8年に設置 された歩兵連隊では西南の役にほぼ600人の戦死者を出したため、之ヲ忠魂するための銅像であり、明治13年(1880)に立てられた。
龍石上雪見灯籠
 兼六園花見橋から山崎山方向へ向かうと左手に大きな黒い龍石があり、その上部に小型の可愛らしい雪見灯籠が設えられている。宝珠は立派だが笠の半径は小さ く、見落としそうな灯籠である。石の表面には火袋に火を入れたような痕跡があり、黒い龍石の内部で明滅する光は周囲の曲水に蛍火の用に写るのではないかと思 われる。即ち、この灯籠は京都桂離宮で有名な螢灯籠を意識しているのではないだろうか。尚、龍石については、鶺鴒島の東にあり、犀川滝坂の産で園内にある虎 石、獅子巌とともに兼六園の要石である(『兼六園全史』)とのこと。
 『魚津市史』には、「片貝川奥に蛇石神社がある。巨岩を太く帯のように黒い龍石が巻いており、(中略)夏旱魃の際には、農民たちが神酒(みき)をささげ、 龍石をたたいて雨ごいをしたものである」ともあり、犀川滝坂の龍石も雨乞い神事に寄与していたのかもしれない。
山崎山北西麓雪見灯籠
 兼六園取水口から流入した水は、山崎山を潜り曲水となり山崎山北西麓を潤す。その曲水右岸にこの雪見灯籠は鎮座する。北向きなので陽当たりが悪く、しかも 石が黒色。従って、この雪見灯篭も見落とすことが多いが、きりっと引き締まった灯籠である。
 黒色の岩石は、玻璃質複輝石安山岩、高アルミナ橄欖石玄武岩等が該当する。しかし、竹村公伸氏に教授願うと、坪野産の流紋岩だそうだ。花崗岩はそれが地下 でゆっくり固まってできるのに対し、流紋岩は地表付近で急に冷えて固まってできる(『原色岩石図鑑』)とのこと。
 尚、「山崎山、別名紅葉山は園の東隅、美術館(現在のいしかわ生活工芸ミュージアム)の横にある山で楓が多いので紅葉山とも呼ばれる。この地は、昔山崎村 の山林であったところである。山腹には京都御室御所の古塔を模した五重塔が立ち、山の背後の凹地は藩政時代に氷室のあった跡である(『兼六園全史』)とあ り、秋の紅葉シーズン(例年11月15日頃)には紅葉狩りの行楽客で賑わう地点である。
長谷池男滝横雪見灯籠
 長谷池へは徽軫灯籠方面からと出羽町方向からの二箇所より辰巳用水が流れ込む(『金沢城跡』)。私が撮影した日は偶々であろう空滝であったのだが、徽軫灯籠 方面から長谷池に流れ込む滝は男滝。その脇に鎮座するのが雪見灯籠である。山崎山北西麓雪見灯籠と比較して石質が薄黒色、即ち流紋岩であり、火袋の高さがやや 低く、中台も厚みにどっしり感を持たせ、均整のとれた灯籠だ。
 尚、長谷池については、政治家としても実業家としても活躍していた長谷川準也は、今の梅林から児童園に到る広大な土地の払い下げを受けて邸宅をつくっていた が、明治5年より毎年その2階を開放して養蚕飼育の伝習をしていた。現在でも長谷川邸跡の地名や、長谷池などが残っている(『兼六園全史』)とある。即ち、長 谷池は長谷川準也邸の池泉であった。長谷川準也については、製糸・撚糸・銅器各会社を起こし、尾山神社の神門を計画し、明治26年(1893)5月金沢市長に就任し た(『加能郷土辞彙』『実録・石川県史』)とある名士である。
 又、兼六園の西南部地域は明治以降、県中央図書館、商品陳列所、長谷川邸があり、商品陳列所全焼の跡地は児童園、長谷川邸跡は兼六園広場を経て梅林となっ た。県中央図書館跡地は、明治45年1月石川県立図書館として設立され、昭和23年11月火災の類焼にあうまでこの地にあった。同24年11月新築され改めて石 川県立中央図書館として発足し、昭和41年5月市内本多町に竣成した社会教育センターに移転した。
長谷池女滝横雪見灯籠
 出羽町方向から長谷池に流れ込む女滝(やはり撮影日は空滝)脇に鎮座するのはやはり雪見灯籠。山崎山北西麓雪見灯籠と同じ黒色の石質で、男滝横雪見灯籠と比 較するとやや小形、心なしか丸味を帯びた柔和な感じで相似形かとも思われる灯籠である。しかし、四本の脚の内側の線が上方で交叉する交点に茨(いばら、cusp)が 見られ、大きな相違点となっている。
 さて、長谷池横の図書館跡地について、建物の撤去後、園内の一部として整備され、モミ、アカマツ、スギ、タブ等の混淆林となっている。それに隣接した長谷池 周辺は長谷川邸の庭として造庭されたもので、こんもり茂ったシラカキの純林となっている(『兼六園全史』)とあり、詳細は不明だが、男滝横雪見灯籠と女滝横雪見 灯籠は長谷川邸の庭としての造庭時に設置されたものと推量する。シラカキの純林は伐採され、平成12年(2000)3月に時雨亭が完成し、長谷池はそのまま長谷川準也の 名を残し現在に至っている。

5. 8基目の雪見灯籠

 前節で『特別名勝兼六園』雪見灯籠7基について述べたが、もう1基存在することが明らかとなった。即ち、長谷池周辺時雨亭横に鎮座する雪見灯籠である。
時雨亭横雪見灯籠
 この雪見灯籠は真弓坂を上り、時雨亭横を梅林の方に向かって進むと左手の曲水脇に鎮座する。大きさ及びその設えは均整がとれ、兼六園を代表する雪見灯籠である。 長谷池女滝横雪見灯籠と同じく茨が見られ、一見相似形かと思われる。しかし、良く見ると、火袋、台座、脚共に太く、女滝横雪見灯籠のスマートさに比して堂々たる 設えである。前述の如く男滝横雪見灯籠と女滝横雪見灯籠は恰好が相似形。男滝横雪見灯籠は少し大きく設計されているのだが、その男滝横雪見灯籠より堂々とし、し かも泉涌寺の雪見灯籠の極太までいかない均整のとれた花崗岩製雪見灯籠である。
 兼六園長谷池周辺整備事業は、時雨亭建設工事、舟之御亭工事他を含め、平成9年度〜11年度の3ケ年として計画された(『兼六園長谷池周辺整備事業報告書』)。時 雨亭については、
 屋根) 柿葺き 野地板 杉厚五分
一部 椹板大和葺き(洞庫)
棟押え 石棟(滝ケ原石)
鬼石(滝ケ原石)
雪止め 栗角材 ステンレス受金物
等との記載、及び
 灯籠(大)3基 1.織部方 2.柚ノ木形 3.利久形
 灯籠(中)2基 4.雪見形 5.四角形
とあるので、時雨亭横の雪見灯籠はこの事業完成時、即ち平成12年(2000)3月に披露されたものと思われる。四角形は梅林舟の御亭前にある。
 尚、時雨亭は、現在噴水の前に、「時雨亭跡」との案内板がある。噴水のある浅い流れを前にした苔むす一帯は、五代藩主、綱紀のころは「蓮池亭」と呼ばれる御亭が あった。ところが、宝暦9年(1759)の大火類焼し、その跡に高之亭、一名時雨亭が建てられた(『兼六園全史』)。即ち高之御亭(たかのおちん)である。
 その後、「この亭は廃藩ののち惜しくも撤廃されてしまった。その時期はいつか、その遺材はどうなったかいま明らかでない」とあり、兼六園に時雨亭は存在しなく なった。これを復元したのが、前述の長谷池周辺整備事業なのである。

6. おわりに

 以上、『特別名勝兼六園』記載の7基の雪見灯籠に時雨亭復元工事完成後1基の雪見灯籠が追加され、現在兼六園には8基の雪見灯籠が鎮座することを述べた。兼六園で は、徽軫灯籠のみが注目され、雪見灯籠は忘れ去られた存在となっている。雪の多い金沢では雪見灯籠は良く似合う。私は降雪があった兼六園で雪見灯籠に蝋燭の火を入 れ、雪見灯籠ライトアップを是非見たいと思っている。実現に期待したい。
 尚、資料請求に快く応じて頂いた金沢大学附属図書館中央図書館・石川県立図書館司書に感謝致しますと共に、石質を教授頂いた竹村石材株式会社竹村公伸氏にお礼を 申し上げます。

文献

石川県金沢城・兼六園管理事務所監修『兼六園』北國新聞社、2013
兼六園全史編纂委員会・石川県公園事務所編『兼六園全史』兼六園観光協会、1976
『特別名勝兼六園ーその歴史文化ー』編纂委員会『特別名勝兼六園ーその歴史文化ー・本編』橋本確文堂、1997
高楠順次郎編『大正新修大蔵經』第廿二巻律部一、大正一切經刊行會、1926
塚本善隆編『望月仏教大辞典』第四巻、世界聖典刊行協会、1957
塚本善隆編『望月仏教大辞典』第一巻、世界聖典刊行協会、1954
諸橋轍次『大漢和辞典』巻四、大修館書店、1989
諸橋轍次『大漢和辞典』巻八、大修館書店、1989
岡崎讓治監修『仏具大事典』鎌倉新書、1982
天沼俊一『石燈籠 圖版 桃山 江戸』
上原敬二『石燈籠・層塔』加島書店、1961
勝政太郎『日本石材工芸史』綜芸社、1971
京田良志『石灯籠新入門』誠文堂新光社、1970
森田平次『金沢古蹟志』(上)、歴史図書社、1976
『実録・石川県史』編集委員会編『激動の明治・対象・昭和全記録実録石川県史 1868-1989』能登印刷・出版部、1991
魚津市史編纂委員会編『魚津市史』上巻、魚津市役所、1972
益富壽之助『原色岩石図鑑(全改訂新版)』保育社、1987
 石川県金沢城調査研究所編『金沢城跡ー鶴ノ丸第1次・新丸第1次・尾坂門・二ノ丸園路・数寄屋屋敷ー』石川県金沢城調査研究所、2016
 日置謙『加能郷土辞彙』北国新聞社、1979
 石川県兼六園管理事務所編『兼六園長谷池周辺整備事業報告書』2000
 
内橋亭左前春日灯籠 内橋亭右前寄せ灯籠
内橋亭左前春日灯籠内橋亭右前寄せ灯籠
瓢池北端雪見灯籠 雁行橋上手雪見灯籠
瓢池北端雪見灯籠雁行橋上手雪見灯籠
日本武尊銅像横雪見灯籠 龍石上雪見灯籠
日本武尊銅像横雪見灯籠龍石上雪見灯籠
山崎山北西麓雪見灯籠 長谷池男滝横雪見灯籠
山崎山北西麓雪見灯籠長谷池男滝横雪見灯籠
長谷池女滝横雪見灯籠 時雨亭横雪見灯籠
長谷池女滝横雪見灯籠時雨亭横雪見灯籠

Last updated on Dec. 03, 2023.
上部へ
著書と論文へ