大嘗祭攷ー『江次第鈔』『江家次第』 ・奥能登饗の事について

酢谷琢磨

(注)詳細は令和元年12月発行『石川郷土史学会々誌』第52号を参照下さい。

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1. はじめに


 大嘗祭は新嘗祭とは違い、天皇1代1度の親祭である。本年は新天皇令和元年であり、 本誌が上梓された時点では大嘗祭は既に厳粛に斎行されてしまった後であろう。この大嘗 祭については、折口信夫の「真床覆衾」論を受容した聖婚説、寝座秘儀説が提言され、肥 大化されてきた。これは一条兼良の『江次第鈔』第7、6月の条における、現在は散逸し てしまった『内裏式』の引用である   「縫殿寮供寝具、天皇御之、亥一剋
の解釈に起因していると言われている。
 本論は、折口信夫の「真床覆衾」論、一条兼良が『江次第鈔』で言及した「天皇御之」、 関白・藤原師通が大江匡房にまとめさせた朝廷の儀式・行事の解説書である『江家次第』 及び奥能登響の事を論考する。

2. 真床覆衾


 先ず、折口の「真床覆衾」とは何を意味するのか、『大嘗祭の本義』を引用する。   天子様が、すめらみこととしての為事は、此國の田のり物を、お作りになる事であった。   天つ神のまたしをお受けして、降臨なされて、田をお作りになり、秋になるとまつりを   して、田の成り物を、天つ神のお目にかける。此が食國のまつりごとである。(中略)   大嘗と新嘗とは、どちらが先かは問題であるが、大嘗は、新嘗の大きなものといふ意味   ではなくて、或は大は、壮大なる・神秘なるの意味を表す敬語かも知れぬ。此方が或は、   本義かも知れぬ。普通には、大嘗は天皇御一代に一度、と考へられて居るが、古代では   すべて、大嘗であって、新嘗・大嘗の区別は、無かったのである。(中略)大嘗祭の時   の、悠紀・主基両殿中には、ちゃんと御寝所が設けられてあって、蓐・衾がある。蓐を   置いて、掛け布団や、枕も備へられてある。此は、日の皇子となられる御方が、資格完   成の為に、此の御寝所に引き籠って、深い御物忌みをなされる場所である。(中略)日   本紀の神代の巻を見ると、この布団のことを、真床覆衾と申して居る。彼のにゝぎの尊   が天降りせられる時には、此を被つて居られた。此真床覆衾こそ、大嘗祭の蓐裳を考へ   るよすがともなり、皇太子の物忌みの生活を考えるよすがともなる。物忌みの期間中、   外の日を避ける為にかぶるものが、真床覆衾である。此を取り除いた時に、完全な天子   様となるのである。
 即ち、「大嘗と新嘗は古代では区別は無かった。その大嘗祭の時・両殿中には、御寝所が 設けられてあって、蓐・衾がある。この布団のことを、真床覆衾という。皇太子の物忌みの 期間中、外の日を避ける為に被るものが、真床覆衾である」という。文脈から推察すると、 天皇の代替わりの時の大嘗祭では真床覆衾を被り、これを取り除くと新天皇になるとの折口 説である。しかし、真床覆衾と布団とは 別物であり、新天皇が布団を被ることは有り得ないだろう。

3. 『大嘗祭と古代の祭祀』


 そこで、岡田荘司『大嘗祭と古代の祭祀』での論述を考える。岡田は最初に「神祭りの源 流は、大嘗祭の淵源である秋に収穫を感謝する儀礼であり、また奥能登のアエノコトはその 最たる民間の信仰儀礼であることはよく知られている。(中略)折口説および多くの研究者 に支持されている聖婚説、寝座秘儀説は説得力が弱いということになる。天皇みずから寝座 の寝具にくるまり、秘儀を行い神の資格を得るという従来の理解は根本から考え直さなけれ ばならないであろう」と最初に述べる。工藤隆『大嘗祭』でも、「大嘗殿内陣の『衾(ふすま )』にも何らかの神(もともとは稲の神・稲魂だったのであろう)が幻視されているだけであり、 実際に新天皇がそれにくるまるというようなことはなかったと考えられる」とある。当然で あろう。
 では、その根拠は何に起因するのであろうか。一条兼良の『江次第鈔』第七、六月言われ ているの条には、『内裏式』が引かれているという。
  近仗陣陛下、御畳至陛下左右、少将已上各一人、共升監鋪御畳、訖退出閉門、縫殿寮供   寝具、天皇御之、亥一剋、主水・采女就内侍申時至也、寝内女官引出、縫殿供御衣、女   御已上転供、若無物、内侍・蔵人亦得、
が『内裏式』抜粋とのこと。問題は、「縫殿寮供寝具、天皇御之、亥一剋」における「天皇 御之」である。
 尚、『神道大系 朝儀祭祀編 儀式・内裏式』に『内裏式』は記載されている。しかし、 前述の記述は無く、『儀式』の「践祚大嘗祭儀」にそれらしき記述「衾單於 大嘗宮」等の記載はあるものの、摂関期の式次第であり、院政期以降『江次第鈔』の先例と 考えられる。従って、本論は『江次第鈔』の記述により論考を進める。
 岡田荘司は、「岡田精司は折口のマドコオフスマ論秘儀説を否定したが、寝座秘儀説は放 棄しなかった」と書く。続けて、「むしろ中央の寝座での秘儀、聖婚儀礼のあることを想定 した。その相手には国津神の女や地方豪族から貢上された采女、また中宮(皇后)との聖婚 の可能性を推定している」と、聖婚儀礼説を紹介。しかし、『内裏式』全文を考慮すると、 「天皇は縫殿寮の寝具供進に臨御され、立ち会われたと解釈することが妥当になった」。即 ち、聖婚儀礼説も完全に全否定された訳である。
 それでは、「天皇御之」は如何にというと、西本昌弘は次のように論考した。
『詩経』に「御」が賓客に酒食を「進める」意味で用いられていることから、(中略)   神殿に出御するだけでなく、「天皇みずから寝具(御衾)を供進することで、神の来臨   をより強く祈念する姿勢を示した。
即ち、寝具供進説である。これに対して、木村大樹は、
「御」には「進める」との意もあるかもしれないが、神饌供進の場面にあってすら自身が 盛り付けた神饌を直接的に神食薦上に供えず陪膳采女を介していた天皇が、寝具を直接   自らの手で進めたとは考えにくいのではないだろうか。やはりここでは全体の文意を考慮   して「御」を「出御(臨御)」の意で解するのが妥当であろう。
これには、岡田荘司は「首肯すべき意見である」と述べている。従って、岡田荘司の結論は、
  天皇みずから寝具をすすめる所作を「御之」というよりも、神嘉殿西隔の御休所に着かれ   ている天皇が、縫殿寮による寝具を供える所作のとき、隣の西隔より神殿までわずか数メー   トルの距離ではあるが、もっとも大切な神料の寝具供進に「御」され、その場に臨まれ立   ち合われたものとみるのが妥当な理解
と述べ、折口のマドコオフスマ論秘儀説は勿論、その派生である、先帝遺骸同衾説(洞富雄)、 聖婚儀礼説(岡田精司)を否定した。

4. 天皇御之と天皇御之


 そこで、前節の論述を考察する。 先ず、諸橋『大漢和辞典』で「之」を調べる。「1 これ。 4 往く。5 至る」とある。「往く」は勿論「ゆく」である。しかも、『角川大字源』では、Fエ で、「動詞について、語調を整える助字。訓読では読まない場合もある」とあり、「これ」が一 義だが、動詞に付く場合は読まないケースもある訳だ。
 次に、諸橋『大漢和辞典』で「御」を繰る。「1 11すすめる。13すすむ。そばにゆく。又、は べる。[國語、楚語上]以訓御之 。[注]御、進也」とある。即ち、「御之」は「之」を動詞につい て読まない、「天皇御之」は「天皇がすすめる」又は、 「天皇がすすむ」、「天皇がそばに ゆく」意である。これに対して、「3 むかへる。[詩、召南、鵲巣]百両御之」とも記載さ れている。返り点が付けば「之」を一義である「これ」と読まざるを得ない。とすれば「天皇こ れを御す」、即ち「天皇これをむかえる」となる。
更に、岡田荘司が述べた「大嘗祭の淵源は秋に収穫を感謝する新嘗儀礼であり、奥能登のアエノ コトはその最たる民間の信仰儀礼である」とした奥能登饗の事を考察する。毎年TVで紹介され ているが、先ず亭主は田圃で田の神様を迎え、家へ案内する。そして風呂と食事を進める。これが 大嘗祭の淵源であるとすれば、ここ迄の推論を纏めると次のようになる。
  一条兼良が引用した『内裏式』における、「縫殿寮供寝具、天皇御之、亥一剋」について、 「天皇御之」が正しく引用されたとすると、縫殿寮によって神座の上に寝具が供えられ、午後9時か ら11時の間(午後10時頃)の一剋(刻)、今の時間で30分、ここに天皇がはべり、寝具を進めるこ とになる。但し、寝具を進めることは神に寝ることを進めることになり、やはり天皇がはべる意と 思われる。木村大樹、岡田荘司説である。
 但し、「天皇御之」とすべきところ、返り点を省略し、「天皇御之」と書いたのだとすると、 奥能登饗の事神事と同じ神様、この場合は「田の神」ではなく「天照大神」だが、と にかく「縫殿寮によって供えられた寝具に天皇は神を迎える」ことを意味すると考えられる。

5. 『江家次第』


 しかし、『江次第鈔』はあくまでも「鈔」であるので、一条兼良が注釈した、『江家次第』を参 照する。『大嘗祭と古代の祭祀』における大嘗祭と天皇親祭を列挙すると、6月神今食(夜)、11月新嘗(夜、1代1度大嘗 祭)、12月神今食(夜)がある。そこで、『江家次第』○神今食次第を引用する。   近衛閉門、近仗候南階東西、(割注略)主殿寮儲御浴於寝側、縫殿司献天羽衣、供神物瓣備畢、 近衛開門、大舎人叩門、?司奏、(中略)瓣・少納言以下、侍従・内舎人・内竪・大舎人等舁御   畳参入、掃部官人四人相副參入、左右近衛次将脱兵具、昇開神殿戸、親王以下昇自南階、跪於   戸外、掃部官人候戸内、傳取供 之、(中略)次将退下、近衛閉門、縫殿司供御寝具、亥一刻采   女申時至 、供御膳儀見内裏式、丑剋采女奏時、供暁膳訖、采女申御膳平供奉之由、勅答(割注   略)、近衛開門、?司奏之、撤御畳等 如初、王卿入自西掖門、經屏幔南列立炬屋南、天皇易御   服還御本宮、(後略)
とあり、節注に、
4(頭書)御畳、神座南枕敷之、先一丈ニ尺帖、其上六尺畳四帖、南方二帖。有裏、其上九尺 畳七帖、其上八重畳設之、九尺畳一帖聊寄東、置打掃筥也、坂枕置八重畳下南方也、
  5(頭書)御寝具、御衾・御櫛・御扇・御履等也、内侍持参置之、
  6(頭書)供御膳儀、如大嘗會神膳也、或亦有墨同、
 先ず、大舎人等が畳を参入する。畳は節注の如く、神座南枕に敷く。節注「其上九尺畳七帖」とあ るのは、「其上九尺畳一帖」の過りであり、『大嘗祭と古代の祭祀』第3章に詳細図が記載されてい るので参照して欲しい。即ち、亥刻の御膳と寅剋(午前3から午前5時の間、午前4時頃)の暁膳を供 するための畳である。尚、坂枕は『広辞苑』によると、「(床が斜めになって枕の方が高いからい う)神座のの上に敷いて神に供した枕」とあり、神を迎えるための畳を意味している。
 次いで、縫殿寮が寝具を供し、亥一剋采女が時間を告げ、御膳を供する。その作法は内裏式による とある。『江家次第』○神祇官神今食では、その後、
  神膳供畢撤之、撤寝具、(割注略)丑一刻又供寝具、供暁膳 撤寝具
 神膳を供する時、寝具を撤収するのかと思われるが、文脈より神膳を供し終わり、撤収し、其の時 寝具も撤収する。又、寅一刻の暁膳にも寝具を準備し、(暁膳終了後)寝具を撤収する。即ち、一般 的には御膳終了後準備してある寝具で天皇が仮眠をとられると考えるのだが、逆で、御膳を供する時 のみ寝具を準備する。これは、神に御膳を供するための寝具ということになる。
 それでは、次に御膳の儀である内裏式を参照する。『江家次第』巻15 1大嘗会では、
  内裏式、奉柏於天皇奉酒盛之、天皇受&?灑神食上、而近代所行姫取柏自盛、天皇受之灑神食上、   以其柏便置神食之上(中略)最姫取先所立之御箸収於本筥、更加御箸於御飯上、天皇頗低 頭   拍 手稱唯執之、羞飯如常、最姫目次姫供御酒八度、以坏居高坏、(割注略)御飯了姫等傳始自   最後之供物、撤膳如初儀、訖最姫??神食薦退出、次二姫參入、供御手水如初儀、天皇洗了、十   男・十姫相引退出、天皇還御廻立殿、子一刻料理主基神膳、一 又御浴、易御服御主基殿、天皇   還廻立殿之後、(中略)寅一刻供暁膳、(割注進退且如悠紀、)(後略)
 天皇は廻立殿で沐浴の上祭服に着替え、悠紀殿に「御」、「お出ましになり」、亥1刻の御膳を供 する。これが「内裏式」である。内裏式では、宮中新嘗祭で使用される祭器具としての「本柏」と酒 を天皇が奉り、これを盛り、本柏をとして神食の上に置く。御箸筥より箸を神食の御飯の上に置き、 天皇は頗る低頭し、拍手を打ち、「はい」と神に対してご飯を進める。白酒・黒酒を八度供し、御飯 終了後天皇は廻立殿に戻り、更に沐浴し、御服を易え主基殿にお出ましになる。寅1刻の暁膳を供し、 祭祀終了後天皇は廻立殿に還られる。
 即ち、大嘗祭における神今食は神との共食である。奥能登饗の事では田の神を御膳前座布団に迎え、 御膳を供する(共食は不明)。一方、大嘗祭は神を寝具で迎え共食する。

6. 結論


 以上を綜合すると、
(1)大嘗祭は神へ寝具を供するのだが、神は天照大神であり、既に死する祖先神を迎える。死する神 に対して座布団に座って貰い、共食することは奇異だ。従って、寝具が供される。この寝具は真床覆 衾、聖婚説、寝座秘儀説、即ち天皇みずから寝座の寝具にくるまり、秘儀を行い神の資格を得る為のも のではなく、単なる死する神を迎えるための寝具である。
 尚、『江次第鈔』の「天皇御之」は、「天皇御之」「天皇御之」の両義を含む「御」、即ち「おでま しになる」という意味であり、『江家次第』記載神今食による祭祀をも含む「おでまし」と考えられる。
(2)これに対して奥能登饗の事では田の神を迎える。田の神は死する神ではない。田に現存する神で ある。従って御膳、座布団を供する。共食については、TVでは放映されないので詳細は不明だが、 御酒、御飯を進めることは、同様と推察される。

謝辞

 書庫本参照に協力頂いた石川県立図書館司書に謝意を表する。

文献

[1] 折口信夫全集刊行会『折口信夫全集』3、中央公論社、1995
[2] 岡田荘司『大嘗祭と古代の祭祀』吉川弘文館、2019
[3] 工藤隆『大嘗祭ー天皇制と日本文化の源流』中公新書、2017
[4] 神道大系編纂会編『神道大系 朝儀祭祀編 儀式・内裏式』神道大系編纂会、1990
[5] 諸橋轍次『大漢和辞典』巻1、大修館書店、1989
[6] 尾崎雄二、都留春雄、西岡弘、山田勝美、山田俊雄編『角川大字源』角川書店、1992
[7] 諸橋轍次『大漢和辞典』巻四、大修館書店、1989
[8] 神道大系編纂会編『神道大系 朝儀祭祀編四 江家次第』神道大系編纂会、1991
[9] 工藤隆「大嘗祭で天皇はどんな秘儀をしているのか」『SAPIO改元特別号』、2019・4

Last updated on Dec. 01, 2019.
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