加賀藩史料からみた大地動乱攷

酢谷琢磨

(注)詳細は平成25年11月28日発行『石川郷土史学会々誌』第46号を参照下さい。

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1. はじめに


 加賀藩史料は第一編から藩末篇下巻[1]までの記録であり、天文七年「是歳。前田利家 尾張愛知郡荒子に生る。父を縫殿助利春といひ、利家はその第四子なり」で始まる。藩末篇 下巻は、明治四年十月八日「前田慶寧参朝してその東京に召寄せられたる趣旨を告げらる」 で終わる。  一方、金沢市は地震の空白地帯だとの誤った認識が一般化しつつある。しかし、本来の姿は どうなのであろうか。加賀藩史料にはその大地動乱の記録が驚くほど多く含まれている。これ を理科年表[2]と比較し、加賀藩時代の実情を考察する。  本文は、加賀藩史料と理科年表による大地動乱の記録を論述する。

2. 大地動乱淵源


 昨年、「2012年から30年間に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率」として金沢市は2.8%だ と報じられた[3]。それでは、金沢は地震の空白地帯かというとそうではない。付表[4]は、寛 永から始まる加賀藩史料における大地動乱の記録と理科年表との比較を示す。
 大地動乱の魁は寛永17(1645)年の加賀大聖寺地震である。理科年表によればM6 1/4〜 6 3/4とあり、大地震である。この5年後正保2(1645)年白山が鳴動した。即ち、白山鳴動の前兆 が大聖寺地震だった訳である。北國新聞では、「加賀温泉郷地底に直径10キロのカルデラ」を金 沢大学平松准教授が確認したとの報道もあった[5]。これは大聖寺の地震は白山鳴動の引き金で あることを示す明証であり、加賀温泉郷直下のマグマだまりの存在は間違いない。

3. 大地動乱の記録

 
 その後金澤における地震の記録は、1703年、1707年に発生している。しかし、前者は相模、 武蔵、上総、安房で被害多く、後者は東海道、伊勢湾、紀伊半島で最もひどく、M8.6の巨大地 震だった。幸運にも震源地は加賀ではない。即ち、白山鳴動の結果、関東、東海で大地震が発 生したことになる。  1725年より1751年には小松、能登、越後、越中で地震が頻発した。特に、1751年の地震は金 澤でも強く感じられたとの記録である。金澤での群発地震の開始は、白山鳴動から114年後、 1759年である。この地震の記録は理科年表に記載されていないので、金澤が震源地の地震と考 えられる。  天明2(1782年には相模、武蔵、甲斐で地震。この地震は金沢でも感じられたと思われる。その 4年後、1786年からは金澤での地震が連続する。理科年表での記載は無いが、加賀藩史料では「 強震あり」との記載で、かなり大地動乱したものと推定される。特に、1799年には理科年表記載 の如く、金澤城で石垣が損壊した。M6.0の地震である。  文化12(1815)年、1818年と小松、金澤で地震がある。1819年の地震は、伊勢、美濃、近江で被 害が多く、金澤でも被害が出ている。その後、文政、天保、弘化、安政と金澤では地震が多発し ている。安政2(1855)年には飛騨白川、金沢で強震。金沢城で石垣を破損している。加賀藩史料 では、安政6(1859年「金沢で地震あり」の後、明治4年迄地震の記録は無い。

4.白山鳴動後金沢での地震


 前述のごとく、白山鳴動は1645年であり、その後白山鳴動によると思われる地震は1725年頃か ら頻発する。特に、1782年から1859年迄金沢では大地動乱の時代になる。即ち、白山が鳴動する と、以降200年くらい金沢では地震活動期に入る訳である。この原因は、加賀温泉郷直下のマグマ だまりの活動によることは論を俟たない。尚、その大きさは理科年表によれば最大M7.4であり、 平均的にはM6程度である。  尚、保立道久『歴史のなかの大地動乱ー奈良・平安の地震と天皇』[6]には、

  7〜9世紀と15〜17世紀という東北アジアにおける地震活動の2つの活発期をたしかに確認で きるだろう。

 とある。即ち、700±100年代及び1500±100年代に地震が多発した訳であり、加賀藩史料におけ る地震の多さはその一環であったと言える。尚、加賀藩史料以外では、天正大地震の記録[7]も存在す る。ところが、奈良・平安T〜戦国]を網羅する『加能史料』[8]には、飢饉、大風、大雨の記載 を散見することはできる。しかし、残念ながら地震の記載は無い。

5.おわりに


 以上、地震空白地帯と誤認されている金沢での大地動乱の記録を加賀藩史料と理科年表を基に検 証した。単純な800年周期説で推測すると、2300±100年頃に加賀温泉郷での地震に始まり、白山鳴 動と共に、金沢大地動乱の時代が再開されると思われる。
 地震の大きさは平均的にはM6と推定される。しかし、これはあくまでも1700年の記録からの推定 値であり、M8クラスの地震の可能性は皆無とは言えない。今後、加賀温泉郷地震とこれに 連動する白山鳴動が開始された場合、厳重な注意が必要な訳である。
 結論を纏めると、
(1) 2300±100年頃加賀温泉郷に地震が発生。これが、白山鳴動の引き金になる。
(2) 白山鳴動後200年位は、金沢での地震活動期となる。平均的にはマグニチュード6程度だが、最 大M7.4も予想される。

 註

[1] 財団法人前田育徳会『加賀藩史料』第1編〜藩末篇下巻、清文堂出版株式会社、1980
[2] 国立天文台編『理科年表平成17年版』丸善、2012
[3] http://www.j-shis.bosai.go.jp/
[4] 理科年表に記載のない地震の発生西暦年月日は、keisan(http://keisan.casio.jp/has10/ SpecExec.cgi?path=01200000.%82%B1%82%E6%82%DD%82%CC%8Cv%8EZ%2F04000000.%98a%97%EF%81E%90%BC% 97%EF%2F10000500.%98a%97%EF%82%A9%82%E7%90%BC%97%EF%95%CF%8A%B7%81i%94N%8C%8E%93%FA%81j% 2Fdefault.xml)による換算結果を示す。
[5] 北國新聞、2012年12月22日
[6] 保立道久『歴史のなかの大地動乱ー奈良・平安の地震と天皇』岩波新書、2012
[7] 安達正雄『天正大地震(1586)の実像ー2つの火山噴火・3カ所の津波・10余の連動地震等による多 重災害について』石川郷土史学会々誌、2012
[8] 加能史料編纂委員会編『加能史料』奈良・平安T〜戦国]T、石川県、1982〜2013

番号 年.月.日 加賀藩史料 理科年表
1
寛永17.10.10
(1640.11.23)
大聖寺の地大に震ふ
加賀大聖寺:家屋の損潰多く、人畜の死
傷も多かった。M6 1/4〜6 3/4
2
正保2.4.5
(1645)
白山鳴動す。
3
元禄16.11.22
(1703.12.31)
金澤に地震あり。
江戸、関東諸國:『元禄地震』:相模、武
蔵、上総、安房で震度大。特に小田原で被
害大きく、城下は全滅。M7.9〜8.2
4
宝永4.10.4
(1707.10.28)
上國に地震ありて金澤に及ぶ。
五畿、七道:『宝永地震』:わが國最大
級の地震の一。全体で少なくとも死2万、
潰家6万、流出家2万、震害は東海道、
伊勢湾、紀伊半島で最もひどく、津波
が紀伊半島から九州までの太平洋沿岸
や瀬戸内海を襲った。M8.6
5
享保10.5.7
(1725.6.17)
能美郡小松に地震あり。
加賀小松:城の石垣、蔵など少々破損。
同日4〜5回地震。M6.0
6
享保14.7.7
(1729.8.1)
能登に地震あり。
能登:珠洲郡、鳳至郡で損潰家791、
死5、山崩れ1731ケ所。M6.6〜7.0
7
宝暦1.4.25
(1751.5.21)
地震により下街道の往来塞す。
越後、越中:高田城で所々破損、町方三
ケ所から出火した。鉢崎、糸魚川間の谷
で山崩れ多く、圧死多数。富山、金澤で
も強く感じ、日光で有感。M7.0〜7.4
8
宝暦9.5.21
(1759)
金澤に地震あり。
9
天明2.4.20
(1782)
金澤に地震あり。
10
天明2.7.15
(1782.8.23)
昨今両日江戸及び金澤に地震あり。
相模、武蔵、甲斐:15日に2度大震、小
田原城破損、人家約800破損、箱根、
大山、富士山で山崩れ、江戸でも潰家や
死者があった。M7.0
11
天明6.11.7
(1786)
金澤に地震あり。
12
天明8.6.9
(1788)
金澤に地震あり。
13
寛政9.5.26
(1790)
金澤に強震あり。
14
寛政9.5.26
(1797)
金澤に地震あり。
15
寛政9.7.2
(1797)
金澤に又強震あり。
16
寛政9.8.28
(1797)
金澤に地震あり。
17
寛政11.5.26
(1799.6.29)
金澤に強震あり。
加賀:上下動が激しく、屋根石が一尺も
飛び上がったという。金澤城でも石垣破損、
城下で潰家4169、能美、石川、河北郡
で損家1003、潰家964、全体で死21。M6.0
18
文化12.1.21
(1815.3.1)
金澤に強震あり。
加賀小松:小松城の破損多く、岐阜県白
鳥町の悲願寺で香炉が落ちた。金澤で強
かった。M6.0
19
文政1.4.14
(1818)
金澤に地震あり。
20
文政2.6.12
(1819.8.2)
金澤に地震あり。
伊勢、美濃、近江:近江八幡で潰家82、
死5、木曽川下流では香取で40軒全滅、
金澤、敦賀、出石、大和郡山などで被害。
M7 1/4
21
天保7.1.14
(1824)
金澤に地震あり。
22
天保4.4.9
(1833.5.27)
金澤に地震あり。
美濃西部:大垣北方の村々で山崩れ多く、
死者11。余震多く、8月まで続く。
震源は根尾谷断層に近い。M6 1/4
23
弘化4.3.24
(1847.5.8)
金澤に地震あり。
信濃北部および越後西部:『善光寺地震』
:被害範囲は高田から松本に至る地域
で、特に水内、更級両郡の被害が最大だ
った。M7.4
24
安政2.1.9
(1855)
金沢に地震あり。
25
安政2.2.1
(1855.3.18)
金沢に強震ありて城壁、石塁を損ず。
飛騨白川、金沢:野谷村で寺、民家に破損
があった。保下脇村で民家2軒が山抜
けのため潰れる。死12、金沢城で石
垣など破損 。M6 3/4
26
安政6.1.13
(1859)
金沢に地震あり。

Last updated on Nov. 28, 2013.
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