日本語のルーツ−アイヌ語・梵語・タミル語・パーリ語を主として
 
酢谷琢磨
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   【要旨】「能登」の語源についてアイヌ語Nottu(ノットウ, 顎)に辿り
    ついたが, 能登の方言「牡牛(ごって)」・「童女(たーた)」は梵 語
   gotra(牛小屋)・ta-ta(父)であることも判明した。更に, 日本語「草」
   に相当する梵語kusa(草),「こめ, シャリ/ベイ」に対する梵語sali(米),
   タミル語kum-ai(米)・朝鮮語sal(米)・中国語ベイ(米)が検索され,
   稲の伝来はインドー朝鮮ー日本, 南インドー日本と中国ー日本の3ルー
   トで招来したことが比較言語学上判明し, 日本語の訓は全てではないが,
   アイヌ語と古代インド系言語に因ることも明らかになった。又『古事記』
   須佐之男のスサは梵語susa(力強い)より『古事記』の諸神はインド系古
   語梵語・パーリ語に因ることを述べ, 『古事記』を誦んだ稗田阿禮はイン
   ド帰化人Hilda Alleyn(女)説を提起する。
 
    キーワードアイヌ語・梵語・タミル語・朝鮮語・中国語・稲の伝来・
    比較言語学・訓・古事記・稗田阿禮
 
はじめに
 日本語の起源に就いては, 種々貴重な提言がなされたが,梵語を含む比較言語学的手法は欠如していた(大野1994・京都大学(編)2017・近藤2022)。本論文は梵語と他種言語の比較による日本語のルーツ解明を目的とし, 先ず能登(のと)の語源を検討する。能登は『倭名抄』で「蝦夷語謂半島(京都大学(編)1981:495)」とあり, 「半島」説である。しかし, 地図もない古代蝦夷(えみし)人は能登を半島と認識できたであろうか? 一方, アイヌ人は日本列島の広範囲に分布したと考えられているので(門田2020), 蝦夷人はアイヌ語を話していたとの前提でアイヌ語に手懸りを求めた。この結果, 「ノッは顎であり, 地名の場合は『岬』, nottuノットゥは岬, 陸地の細くとがって海へ突き出ている所(児島2024・平山2013・田村1996)」とあり, 「能登の語源はNOTTUノットウ」説を言及・提言した(酢谷2022:14・2024:32)。従って, 金田一が言及した日本語のルーツである古語はアイヌ語(金田一1933)かと思量していたところ, 梵語に触れる機会があり(赤松2024・鈴木学術(編)1979), 諸言語を参照すると(油谷2018・水野2005・野口2002), 日本語のルーツである訓読みは全てではないが, 一部アイヌ語と古期インド(天竺)系梵語(サンスクリット語)・パーリ語・ タミル語・シンハラによると考究するに至った。
 語尾が"a"で終止する語が多い梵語(鈴木学術(編)1979)について, (ハ)(り)と云は, もと物(モノ)(ヌフ)(ハリ)の名にて,(中略)釣針(ツリバリ)と云なり。(中略)波(ハ)(リ)は梵語なりと云るは, 本末を辨へざるひが説(コト)なり(本居(撰)・倉野(校訂)1996:275)」とあり, 又天地(アメツチ)(ク)(ニ)のありかたについて「天竺國の説などは(中略)論(アゲツラ)ふにも足らず(本居(撰)・倉野(校訂)1996:383)」と本居は梵語とインドよりの故事来歴を全否定した。一方「伊弉諾・伊弉冉トハ者梵語(林 277・4)」と梵語肯定論も提示された。最近では, 「訓読は梵語と和語の同一性を根拠として, 漢文を日本語に翻訳することであると言える(金2010:41)」との提言があったものの, 梵語と日本語の比較が不足していた。タミル語につぃては大野による日本語起源論が世に問われた。従って, 梵語・タミル語を含めた諸言語の比較を末尾の表1で示し, 更に, 『古事記』の諸神について論究する。
 
2. 各地方言とアイヌ語及び梵語
 アイヌ語と国語について「アイヌ人がこの國土の原住民であった関係上, 若しや, アイヌ語が, 後に茲へ来て國を建てた我々大和民族の國語の基礎になった言語ではなかったかという問題である(金田一1933)」と提起されたイヌ語は, 北海道だけではない。「1万6千年前に縄文時代が始まり, 縄文文化が1万3千年続く。その間, 大陸から分離された日本列島で, 文化も共有され, 共通する言葉も育まれたと考えられる。(中略)アイヌ語は, 縄文の言葉」である(門田2020)」とあり, 石川県能登地方でもアイヌ語NOTTUは存在した。そこで, 能登地方の中核鳳至郡(現在の鳳珠郡)における方言でアイヌ語かとも思われる牡牛(ごって), 童女(たーた)(石川県鳳至郡(編)1985:307)に着目する。何故ならば加賀地方では「ごったうし」, 富山県では「たーた」が最近まで使われていたからである。所が, アイヌ語辞典を調べても無い。しかし, 『漢訳対照梵和大辞典』(以下, 『梵和大辞典』と略す)を引いて参照されたのが表1にある梵語gotra(牛小屋)とta-ta(父)である。前者は牛小屋を牡牛と認識した結果であり, 後者は童女を連れた父の意が童女に変容した訳である。
 次に, 東北地方の言葉「いたこ」はアイヌ語にitako(イタコ)とあり, 青森県・岩手県でのイタコの存在と合致している。更に, 「そったら」は津軽地方での方言であり, これを調べると梵語にsottara(有上)がある。「有上」は漢訳であり, 「そったらことを言うな」は「上にある事を言うな」の意味かもしれない。即ち, 日本各地に残る方言は日本の古語であり, アイヌ語のみならず梵語の影響をも受けている。それでは, 現代の日本語についてはどうだろうか。次節で検討する。
 
3. アイヌ語・梵語・タミル語・朝鮮語・中国語
 先ず山(やま/サン)について比較・検討する。アイヌ語ではnupuri(ヌプリ, 山)とあり, 現在の日本語「やま」とは別系統。梵語にyamaはあるが, 意味は「手綱」「閻魔」。 「大金剛山に閻羅(閻魔羅, 略して閻羅)王宮あり(塚本(編)1960)」とある。しかし, 山と閻魔は同義とまでは言えない。一方朝鮮語は(san, 山)であり, 中国語の漢音(『角川大字源』)サンと一致。ぞれでは, 朝鮮語は全て中国語系かというと後述する如く一致しない言語が多い。とすると山は梵語の同音韻言語であろう。
 舟(ふね/シュウ)はどうであろうか。アイヌ語ではcip(チブ, 舟)であ
り, 梵語は該当なし。しかし, タミル語はpun-aiとp-f音韻変化形。朝鮮語は(pe, 船 ), 中国語漢音はシュウである。従って, タミル語は舟で伝わり, 舟はタミル語近似言語と言える。
 一方, 幣(ヌサ/へい)はアイヌ語nusa(ヌサ, 祭壇)があり, 梵語・タミル語に該当は無い。アイヌ語ヌサについては後に和語が取り入れられたとの考えもあろうかと思われるが, 御幣(ごへい)よりはまず祭壇と考えられるのでアイヌ語nusaは有力。とすると, 現段階では日本語の古語はアイヌ語と古期インド系梵語・タミルにて構成されていると思考される。
 栗について, アイヌ語はyam(ヤム, 栗), タミル語はkur-u(栗), 朝鮮語は(pa-m, 栗)であり, タミル語に近い。
 草について,アイヌ語はmun(ムン, 草), 梵語はkusa(草), 朝鮮語は(pul, 草), 中国語漢・呉音はソウであり, 草は梵語そのものである。
 鞍馬寺は奈良時代末期の宝亀元年(770)奈良・唐招提寺の鑑真和上の高弟・鑑禎上人が鞍馬山に登山, 鬼女に襲われたところを毘沙門天に助けられ, 毘沙門天を祀る草庵を結んだのが開基とのこと(歴史|総本山鞍馬寺2015)。現在はこの鞍馬の地の鞍馬寺にはケーブルカーで参詣できるのだが, 「ちかうてとをき物鞍馬のつづらおりという道(池田・岸上・秋山(校注)1958【166】)」と記述されている如く, 古代は歩いて登る巡礼の寺であった。 即ち, 鞍馬(くらま)は梵語krama(歩行)が原義なのである。kramaがkuramaになった理由は, 子音連続の場合の母音挿入である梵語ratna→パーリ語ratanaが挙げられる(Wikikipedia「音挿入」)。
 
4. 梵語・タミル語・朝鮮語・中国語
 稲作は約15,000年前インドアッサム地方, 中国南部雲南省からタイ, ミャンマー付近で始まった考えられている(UNIPHOTO PRESS2000)。遺蹟については中国浙江省河姆渡(かもと)遺蹟が有名で, 年代は7,000〜5,300年前。水田跡が見つかり, 数万点の各種遺物と動植物異存体が出土した(藤原1998;中村・劉2020)。従って, 米は中国と朝鮮から日本に伝来したとの考えが定説化しているようだ。そこで, 比較言語学にて検証してみる。
 日本語の米には, 「こめ・しゃり/ベイ」の読みがある。他言語と比較しよう。アイヌ語には米は無く, 梵語ではsali, タミル語ではkum-ai, 朝鮮語はsal, 中国語(漢)はベイが検索される。「しゃり」は寿司用のご飯の意とも思われるが, 『広辞苑』では「舎利, 仏陀または聖者の遺骨。俗に, 米つぶ」とあり, 米で良い。とすると米伝来は次のルートが考えられる。 @sali(梵語)−sal(朝鮮語)−しゃり(日本語), Akum-ai(タミル語)−こめ(日本語), Bベイ(中国語)−べイ(日本語)。即ち, インド中部より朝鮮経由日本, インド南部より直接日本, 中国より直接日本の3ルートである。朝鮮は中国ではなくインドから稲作が伝来したようだ。尚, インドの米はインディカ米を連想するが, インドでは多種類の米を栽培していたようで, ジャポニカ米も栽培種であったと推量される。
 
5. 梵語・朝鮮語・中国語
 神道における式年遷宮について「暗闇のなか, 勅使の『出御』三声につれて神霊が新宮に遷り(國學院大學(編)1994:234)」とあるように魂(たま)の移動は暗闇即ち梵語tama(暗黒)裡に行われる。仏教用語南無(なむ)については, 真言宗で「南無大師遍照金剛」。浄土宗・真宗・時宗で「南無阿弥陀仏」, 曹洞宗で「南無釈迦牟尼仏」, 日蓮宗・法華宗で「南無妙法蓮華経」 と南無は帰命すると訳されているが, 梵語nam又はnamasはお辞儀をする意(塚本(編)1968では帰礼)であり, 帰命する等と仰々しい表現の原義はお辞儀をすることのようだ。
 
6. アイヌ語・梵語・タミル語・パーリ語・シンハラ語・朝鮮語・中国語
 旅(たび/リョ)はアイヌ語・梵語には無く, タミル語でtav-ir(旅)。朝鮮語でjofien(旅), 中国語(漢)はリョ。即ち, 訓読みはタミル語, 音読みは中国語である。田(た/デン)はタミル語でtamp-al(泥の水田), 朝鮮語でnon(田), 中国語(呉)でデン。これも訓読みはタミル語である。墓(はか/ボ)はアイヌ語でセットンバ(墓), タミル語でpokk-anai(墓穴), 中国語(漢)ボで, 音読みは中国語だが, 訓読みは決定的ではないがタミル語に近い。村(むら/ソン)はアイヌ語が有名なkotan(村)であり, 梵語にVinus神の名としてのmuraがある。 朝鮮語はmawl(村), 中国語(漢)(呉)ともソンである。インドでは村の入り口に偶像崇拝である神仏を象った像があったようだ。
 一方, その形成にサンスクリット語・パーリ語及びタミル語の影響があり, しかもセイロン島内の地域的な方言及び発音の差異が統一推進されたシンハラ語にはkana(金), the-ra(仏僧)が検索される(野口2002)。従って, 日本語(訓読みと子音・母音連接を含む)のルーツはアイヌ語の素地にインド系古語である梵語・タミル語・パーリ語・シンハラ語の流入に因ると結論づけられる。その後中国からの仏典における呉音・漢音の音読みが成立したことは論を俟たない。
 
7. 『古事記』における梵語・パーリ語
  『古事記』には数々の神が登場する。表2で示す如く, 「神」については梵語でkam-i=Kam(願う)意である。現代の我々が神前で祈り, 願う対照としての意に合致している。
 「高天(たかま)の原に成れる神」の一人, 高御産(たかみむ)(す)(ひの)神の産巣(むす)は梵語でmus(奪い去る)とある。musについては, 「高皇(たかみ)産霊(むすひの)(みこと), 皇孫(すめみま)を降(くだ)しまつりて, 此の地(くに)に君臨(きみとしたま)はむとす。故(かれ), 先(ま)ずに我(われ)(ふたり)の~を遣(つかは)して, 駆除(はら)ひ平定(しづ)めしむ。汝(いまし)が意(こころ)何如(いかに)。避(さ)りまつらむや否(いな)や(坂本・家永・井上・大野1967:138)」と大己貴~(おおあなむちのかみ)(大國主~)に国譲りをさせた高御産巣日は略奪者である。
 又, 中世加賀の前田利家・江戸の徳川家康が権力を略奪し, 利家は金沢尾山神社・家康は日光東照宮の神となった。これも正に梵語mus(奪い去る)の的確表現。
 次に, 林が言及した伊弉諾・伊弉冉(『古事記』では伊邪那岐・伊邪那美)について『梵和大辞典』を参照すると, 梵語isa(力ある)がある。所がnagi・namiは存在しない。そこで, 子音連続の場合の母音挿入例として前述したインド系古語パーリ語を検索すると, isa(主人), nagi(竜女), namhi(それにおいて)がある。「パーリ語はセイロン(スリランカ), ビルマ(ミャンマー), タイ(シャム)等の南方上座部(南伝仏教)の聖典の用語であって, (中略)インド語では梵語とパーリ語の音韻は大体類似しており(水野2005)」とあるので, 意味は少々異なるが, 『梵和大辞典』無き時代での林の伊弉諾・伊弉冉トハ者梵語」説は適宜な指摘であったと言えよう。
 (ひ)蛭子(るこ)は伊邪那岐・伊邪那美の最初の子で「葦船に入れて流して去(い)てき」とあるように正に離れていった子供。性別は女神とする説がある(伊藤2025:307)。天照大神は従来女神とされたが, 梵語ama(彼)であり, 天照は美麗の彼の意。とすれば男神である。月(つく)は少年であり, やはり男神。
「その御佩(はか)せる十拳劒(とつかつるぎ)を抜きて, その蛇(おろち)を切り散(ほふ)りたまひし(倉野・武田(校注)1978:87)」で有名な須佐之男命の須佐(すさ)は表2で示す如く梵語でsusa(力強い)に相当し, 建速(たけはや)須佐之男は疾走する軍馬のように力強い男で梵語がぴったりであり, これも男神。とすれば唯一の女神は前述のごとく水蛭子になるだろう。
 又, インド系古語の用例が多いことより『古事記』を誦んだ稗田阿禮はインドより帰化したイタコであり, 『研究社新英和大辞典』で検索されるHilda(女性名)Alleynと推定する。勿論, Hilda Alleyn(ヒエダ アレ)は西洋人名であり, 日本人名のローマ字表記ではない。とすれば, 『古事記』に太(おおの)安萬侶(やすまろ)が書いた「姓稗田, 名阿禮, (倉野・武田(校注)1978:46)」は, 日本人名と西洋人名における姓と名の倒置であり, 倒置は太の時代から存在した。従って, 「姓阿禮, 名稗田, 」が正しいことになる。
 
. 検討
 神はあるのだが命(Mikoto)は『梵和大辞典』には無い。みこと「命」は,「尊貴な人の仰せ言をいう。『御言(みこと)』の意。「み」は接頭語。またその人を尊んでいうとき, 命(みこと)・尊(みこと)をその名にそえていうことがあり(白川2007:685)」とある。確かに「御事」と読める箇所もあるのだが『古事記』全般的には尊称の意と思われる。これは, 「古事記では神と命を区別し, 神は宗教的, 命は人格的意義において用いられている(倉野(校注)1997:19)」との脚注より明らかである。従って, 御事説は保留し, Mikoto尊称説の確証を得るべく先ずkotoを検討する。梵語kotoについては, kotaがありkottaと同義で「城」「砦」とある。a-o音韻変化とすれば, 命は和語接頭語Miを加えて「城主」に該当する尊称かしれない。
 稗田阿禮がアイヌ語とインド系古語である梵語・タミル語・パーリ語・シンハラ語に通暁している点に就いては, 「印度ニハ何等歴史ヲ記シタ書物ガナイ(三上:147)」, 即ち「インドでは暗誦によって経典等を伝える方が多かった(村田・茂木2024:87)」ようで, 縄文語であるアイヌ語の土地にインド各地から渡来帰化した集団の居住区に稗田阿禮がイタコとして存在したことによると考えられる。インドからの渡来については, 東大寺大仏開眼供養の導師菩提僊那(Bodhi Senna)がインド僧であったことよりその例は多かったものと思われる。
 尚, 『古事記』には表2以外の神々が数多く存在する。これらは全て稗田阿禮の誦みではなく, 太の創作が大部なのであろう。
 
9.おわりに
 日本語のルーツについてはウラルアルタイ語族であり, 具体的には日本人はバイカル湖周辺からやって来たという「バイカル湖畔起源説」, 「オホーツク文化を担った人々は現代のアムール河河口域の先住民に近縁であった」(京都大学(編)2017:81), (増田2025:120)との説もあり, アイヌ語がルーツとの考えが主流であった。しかし, その後日本語とタミル語との同系関係が提示された。 梵語については, 梵字判読が難解なため林の『本朝神社考』を除いて梵語ー日本語ルーツ説は提起されてこなかった。現在は『梵語大辞典』があり, その判読は容易となり, これを検索すると日本語に相当する梵語等インド系古語の用例が多い。従って, 日本語のルーツである訓は全てではないがアイヌ語・インド系古語梵語・タミル語等に因ることを明らかにすることができた。
 又, 比較言語学的手法により稲の伝来はインドー朝鮮ー日本, 南インド日本と中国ー日本の3ルートであることも提示した。
 更に, 『古事記』における神々は, これも全てではないが, 梵語・パーリ語に準拠し, 稗田阿禮の誦みに基づくことを論拠した。
 今後, アイヌ語とインド系古語による更なる日本語との類似例が現出するものと思われ, 日本語のルーツ解明における進展が期待される。
 末尾ですが, 助言を頂いた金沢大学人間社会学域人文学類言語学専門分野教授入江浩司先生に感謝の意を表します。 
 
参照文献
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Last updated on Nov. 15, 2024.
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