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11月19日オ−ケストラ・アンサンブル金沢第291回定期公演PH
指揮、 ギュンター・ピヒラー、ヴァイオリン:リディア・バイチ
石川県立音楽堂コンサートホール

酢谷琢磨

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 今回はギュンター・ピヒラーマエストロがソリストにサンクトペテルブルク生まれ、しかも8歳で国際コンクール優勝を果たした美貌のリディア・バイチさんを迎えてオ−ケストラ・アンサン ブル金沢(OEK)を指揮する。曲はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。シェーンベルク又はシマノフスキを弾いてくれればと思いながらも、ベートーヴェン をどのようにこなすのかに期待して石川県立音楽堂に出掛けた。

 プレ・コンサートは、モーツァルト:弦楽四重奏曲。何番かは不明。2曲目はクライスラーだけ聞こえたが、曲目は不明。両曲共優雅な響きで、素敵なコンサー トを予感する。
 コンサート1曲目は、ベートーヴェン:序曲「コリオラン」。OEKの弦楽5部は8-6-4-4-3で、ヴィオラとチェロの位置が交代した通常配置。第1主題、第2主題の 後大きなコーダが奏され、フィナーレではコントラバスがpノピチカートを演奏し、消え入るように終わる。次曲のイントロを暗示するかのごとくである。この曲 はウィキペディアによれば1807 年の作とのこと。2曲目でも触れるが、4打のモチーフは当時のベートーヴェンのテーマなのだ。

リディア・バイチ
 コンサート2曲目は、リディア・バイチさんによるベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲。第1楽章Allegro ma non troppoは、イントロでティンパニが微かに刻 む4打が印象的。私はこのイントロを聞く度に交響曲第5番《運命》の早い4打の「運命は戸を叩く」を連想する。ウィキペディアによればヴァイオリン協奏 曲の作曲年は1806年であり、《運命》は1807年から1808年にかけて、交響曲第6番と並行して作曲されたとのこと。即ち、この4打は緩急の違いは有るもの のベートーヴェンのテーマなのである。さて、本題の戻るとティンパニ・ソロの後かなり長いオーケストラの演奏が入る。その後黒いドレスのバイチさんによるヴ ァイオリンが始まった。このヴァイオリンはストラディバリなのだろうか、高音が最高音までリリカルに響き、その凄さを感じさせる。音の方も独りでに鳴るよう で、バイチさんが押さえて演奏している程であった。フィナーレ近くのカデンツァは主題の変奏曲。誰の作かは不明。第2楽章Larghetto - attacca subito:は夢見 心地の緩徐楽章。バイチさんのヴァイオリンとホルン、クラリネットの掛け合いもピッタリであった。Attaccaで続く第3楽章Rondo: Allegroは、一転怒涛の演奏。バ イチさんとOEKの熱演が見事。分かり易いフィナーレで終了した。

 休憩を挟んで、3曲目はベートーヴェンの交響曲第2番。第1楽章Adagio molto - Allegro con brioは、ホルンが絶好調であり、中間部でメンデルスゾーンが影響を 受けたと思われる箇所もあり、con brioらしく活気を持った曲想。コントラバス3人の効果も絶大。第2楽章Larghettoは、プログラムにある通り緩徐楽章の極致。 完全なスケルツォ化である第3楽章Scherzo. Allegro - Trioは、スピード感と切れのある演奏。Attaccaに近く、間髪を入れずに始まる筈の第4楽章Allegro molto は、休止してからの演奏。コーダも力強く迫力のうちに終了した。私は交響曲第2番を選択して良かったと思う。何故ならば、第3番、第5番等の有名交響曲はお 馴染みであり、第2番のほうに却って、新鮮味を感じたのは私だけであろうか。

 終了は21時丁度だったと思うが、時間切れなのかアンコールは無し。さて、私は最近西田哲学の原典とも考えられるカント(篠田英雄訳):『純粋理性批判』 岩波文庫に挑戦している。難解な為現在(下)巻の途上なのだが、(上)巻には「悟性はア・プリオリに結合する能力であり、また直観における多様な表徴を統覚によっ て統一する能力にほかならない。そしてこの統覚の統一という原則こそ、人間の認識全体の最高の原理なのである」とある。統覚とは広辞苑によれば「自我または意 識が感覚的多様性を自己のうちで結合させて統一すること」とのこと。本レビューが統覚の統一をなしえたものかと反省しつつ擱筆する。


Last updated on Nov. 19, 2010.
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