『うそつき』

 
うそつき…


 フェイにとって最近この言葉はある人と直結している。
言わずもがなシタン・ウヅキ。
またの名をヒュウガ。
 下の名前は聞いたことはないが、まぁどうせ名前なんかに縛られない人だからどうでもいいことなのだろう。
その気になれば日替わりで名前を変えても平気で使いこなす人だ。

 うそつき歴は筋金入り。
ちょっと思いつくだけでも身分詐称、名前詐称、経歴詐称。
要するに自分に関する情報全部。
しかも隠した経歴は生半可な犯罪者すら足元にも及ばないレベルで、のほほんと平和で無害な人間を装っていたのだから悪魔だってさぞ呆れることだろう。
頭の作りはその悪魔にだってきっと劣らない。

「………」
この辺まで考えてフェイは一度思考を放棄する。
 このことを考えるとフェイはひどく不可解な感情を胸の中に覚える。
本当は考えなければいいと思うのだが。
なんせこの単語とあの人は見事に直結しているわけで、思い出さないわけにも行かないレベルで、割と四六時中考えているかもしれないと思うと自分でもちょっと気分が悪い。
なにか消化不良の気分に陥らされるからだ。

 悪い感情かというとまぁそういう部分もあって、いい感情かというと悪くない部分もある。
理解できているわけでもないが、複雑かというとそうでもないような、どこかつるんとした感情。
ただそれは漬け物石のごとき存在感でフェイの心の隅をいくらほどか手狭にさせる圧迫感を与えていた。
 

「うそつき」

「わたしのことですか?」

 漬け物石を吐き出すように誰ともになく口に出したはずの言葉に、側にいた人がこともなげに返してきたのでフェイは少しだけ笑う。
相変わらずそつがないというべきなのか。
本を読んでいるかのようで、彼の意識はいつもどこか自分に向いているのだろうか。
未だに。
抜け目無い、監視員としての彼。
もう有効でもないはずなのだが。

「自覚あるんだ?」
おもしろがっているような声で返してやれば、相手は当たり前のことのように。

「ありますよ」

 無かったら私はどんな人ですか、と傷ついたように。
それは紛れもなくポーズで、分かっているからフェイはまたちょっとだけ笑う。
自分が嘘吐きだと認める割にはその大嘘を吐いた相手に最悪感とか気負いとか開き直りがまったく感じられない。
そんな物感じられてもこっちはイヤな気分になるだけなのだろうが。
この人らしい。
こういう物言いや、雰囲気は最初から変わらない。
ひととなりからくるものなのか。
自分込みでなのだが。
 それは心に何かあったとしてもお互いの間に流れる空気が穏やかで自然という不思議に今度は本当にこころから少しだけ笑えた。
それをうれしいと思える自分はもっと不思議だ、とフェイは心の中でその空気を他人事のように眺める。
これが余裕というものなのか。
もしかしてまた騙されているのかも知れないとも思う。
気がつくと相手に乗せられている。ということはよくあったから…。
 疑心暗鬼になっているのかも知れないが、きっとそういうのとは少し違う。
見えない物をちょっと疑うのは人として当然のことだし、この人はなんたって大うそつきなのだからちょっと疑ってみるのは自分がきっと少しだけ大人になったからだ。

 でもこんな嘘吐きを、まるで世界の不文律のようにただ盲目的に信じていた頃があったのだ。
しかも遠い昔のことでもない、ほんの少しだけ前のこと。
親になつく雛のような物であったのだろう、とすべての人格を取り戻したフェイは心の片隅に笑う少年を思う。

あれは子供。
ならば自分は大人?
そう、たぶん自分は大人。

大人…都合のいい言葉だとフェイは思う。
手っ取り早く今の状態を前の状態と区別する言葉だ。
本当のところは今の自分が大人だというのは少し違うのだろうが、他に区別の仕方を実のところ知らないのでそういうしかない。
その程度には劇的な周囲の変化だった。
あの時すべての記憶の統合と共に断片的に理解していた世界は形を表し、あの人の認識は希代のペテン師になった。
えらい変わり様もあったもんである。
変わったと言えば世界もずいぶん形を変えた。

 フェイはあのころからのことを思い出し、そして吐かれた嘘を一個一個数えていく。
結局彼のそばではそれくらいしかすることを思いつかないからだ。
今でも彼は当たり前のように自分のそばにいて、自分も当たり前のようにそれを受け入れている。
繰り返す思う思考に返される感情も変わらない。

おかしな話だ。
そう思うのに。

ずっと嘘を吐き続けられていたことは、すこしならずの傷になり、それでもこういう穏やかな関係と変わらぬ思慕をもてる自分を阿呆かと疑っても見たことがある。
そしてそれは現在進行形でも繰り返されていたりもする。
それでも心の角のほんの一部分にして、今の自分の基幹ともなる少年はこの隣の人に微笑みかけるのを止めない。

『恨まないの?』

心の中に問うとその少年は迷うことなくふるふると首を横に振る。

 愚かな…と他の人が言う。
もうおまえはあの手に無条件ですがらなければならないほど無力で無知な子供でもないだろうに。

さてどうだろう?
 
 

「181個」

「何の数ですか?」

「今まで吐かれた嘘の数」

「勘弁して下さいよ」

「まだ、ないかな」

まだ見破られていない嘘はないだろうかと記憶を探る。
思い出すのも苦しい記憶ばかりのなかにあって、不思議とこの人の記憶はひどく優しい。
嘘ばかりの記憶のはずが、この人の嘘を探す旅は心に暖かいものばかりもってくる。
思い返せば頭がいいくせにぬるい嘘の多い人だった。
自分のための嘘というのをほとんどしていないと言うことに思い当たると、フェイはどこかつかれたように目を閉じてため息をついた。

「ありました?」

「さぁ?まだわかんないや」

「そうですか」

「新しい嘘は吐かないの?」

「ネタ切れです」

つかなければならないような事情がもうこちらにはないですから、と穏やかに笑うこの人を胡散臭いと思うのに。

「つまんないな」

「あなた、私に嘘吐かれたいんですか?」

「そっかも」

そうすれば、きっともう少しこの人のことを嫌いいなれたのに。
隠し事ばかりの腹立たしいこの人のことを…。
ああ、自分は怒っているのかもしれない。
この人を嫌いになりたいのかもしれない。

「つきませんよ、もう」

「そうなの?」

「だって嘘の世界はもうあなたには必要無いでしょう?」

 私にとってもですけどね。

「……」

 その言葉に何かをつかれたような気になってフェイは黙り込む。
確かに必要無かっただなんていえない。
あの嘘の世界が幼い自分を守る殻でなかったなんてそれはいえない。
あの保護者のような、友のような、兄のような、あの嘘の身分に嘘の心の上に築かれた関係が関係が必要無かったなんて…。

ああ、だからこれほど腹立たしいのだけれども。

「本当のところはね、フェイ。私はずっとあなたに本当のことが言いたかった」

「うん」

「でもずっと嘘吐きでもいたかった…」

 これが本音ですね、とへたくそなしぐさで片目をつぶる人。
嘘吐きのまま。一生小さなラハン村のへんてこな発明ばかりするお医者さん。
遊びに来る大事な少年と、箱庭の世界でずっと幸せで幸せで幸せな…。
それもきっと一つの選べなかった世界。
嘘だと気付かれなかった嘘は本当のまま…。

では今は…?

こんどこそフェイは言葉を無くしたように黙り込んだ。
いや、言葉が無いわけではない。
いっそ言いたいことはあったがそれはいえないことだった。
 

昔は保護者と子供。

今は?

嘘吐きと…?

箱庭が消え失せ、嘘の関係が崩れた今、自分にとっての彼は?彼にとっての自分は…?

「………」
やたらつるりとしてつかみ所のない様な気がしていた漬け物石の正体が見えてフェイはどこか絶望的な気持ちで言葉のかわりに盛大にため息を吐きだした。
 

嫌いになれたらいいのに。

だって聞けるわけもない。
吐き出せるわけもない言葉。

「どうかしましたか?フェイ?」

相変わらず優しいトーンでそう尋ねてくる人にフェイは緩く首を振る。
変わらない気がするこの人。
聞いていけない言葉ではない。きっと。
本当は聞いてもいいのだろう。
聞けない理由は自分なのだ。
変わったのが自分だから。

そう…別に世界が変わったのではないし、あの人が変わったのでもない。
こちらの見方が変わった…というかほんの少し高いところから全体を見ることが出来るようになっただけなのだろう。
それは必要なことで、幸せなことかはきっと運次第で。
だから問わなければならないのは自分に対してなのだろう…が。
それはひどく難しいことのように思える。
フェイは心の中で同じ答えしか返さないであろう少年と、見方を変える原因を作ったくせに答え一つ返さないその他に思いつく限りの悪態をついてとりあずの憂さを晴らす。
答えは相変わらずあるようで今の自分にはなく、
世界は本当は同じ。
前のように何も知らないまま楽園に戻ることはできないのに同じ答えに浸るわけにはいかないのに。

なのに自分は…。

だから

「嘘も本当のことも全部言ってくれていいんだ。ううんよかったんだ」

問いの代わりにでた言葉は、ひどく曖昧な時系列をもつ。
あんな嘘吐きになに聞けってんだ、というのはただの言い訳。
嘘吐きでも沈黙されるのはもっといや。
これも本音だな。なんてぴかぴかの漬け物石を大事に抱え込んで、その重さがあって自分が人間くさく地面に縫い止められていることに少しばかりの満足感があることに気づいてフェイはよけいに憮然とする。

「難しい注文ですね?」
「いいんだよ、どうせわかりっこないんだから」
判断できなければ嘘も本当も同じ。
立ち位置次第で嘘も本当。
いやんなるくらい穏やかで狡猾な人だから。
ならばいっそ嘘を沢山。
少しは嫌いになれるように。
これは嘘。

だけど何でも話して。
もう知らないでいるのは嫌なのだ。
たとえ幸せになれなくても。
前と違う物になりたくないのだ。

謎掛けのようなただのっへ理屈のような言葉は、無理難題をふっかける子供っぽい
昔のフェイのような言いぐさだったのでシタンは優しく笑ってフェイの髪をそっと撫でた。
それをおとなしく受け止めてフェイは小さな子供のように目を閉じる。

同じ物なのに同じ物でないから、立ちすくむ。

物が見えるからって逡巡が無くなるわけでもないのは、人が神になれない理由に似ているような気がした。
 
 

支離滅裂。ううん…テーマは混乱。本人が混乱してどうするんでしょうか。

答えはとっくにでているような気もします。
多重人格といえば『五番目の○リー』という話のラストで統合直後のセリフ
「あなたが憎い、でも愛している」は多重人格的な部分を実に端的に理解できる言葉だったなと
思いました。だれしもそういう部分はあるのでしょうが。
フェイはある意味極端すぎるので本当は統合後がとても大変だったんじゃないかと思ってみたりはしますね(笑)

(2004.4.30 リオリー)